73/気持ち
――早朝の酷い騒ぎからしばらく。
なんとか誤解を解いた後、ニールと連翹、そしてノーラは工房が立つ東のエリアに向かっていた。
ニールと連翹はヒビが入った剣を鋳潰して防具に鍛え直して貰うために、ノーラはカルナが篭もる工房へ向かうために。
「しっかし騒々しい場所ね。いや、昨日行った装飾通りも騒がしかったのは騒がしかったけど、男臭い騒がしさっていうか」
鋼を鍛える金属音と蒸気、そして男同士が怒鳴り合う声。
装飾通りの喧騒が黄色いそれなら、ここはもっと男臭いモノだ。それらに連翹は若干不快そうに眉を寄せ、ノーラは珍しそうに辺りをちらちらと見ている。
「言いたいことはなんとなく分かる。ま、鍛冶なんざ男の仕事だからな」
特にドワーフは男女で筋力の差が大きいため、槌を振り鉄を鍛えるような仕事は男がほとんどだ。
無論、柄や鍔の装飾を担う女も居る。しかし、ニールがよく使う値段帯の剣では専門の者が装飾を施すことはほとんどないため、そういう女を見ることは少ない。居る所には居ると思うのだが。
「ノーラもあんまキョロキョロすんなよ。この辺りは大して治安が悪いわけじゃねえけど、隙晒しまくってるとさすがに狙われるぞ」
堂々としていればトラブルを回避できるとまでは言わないが、しかしお上りさん丸出しで歩くよりは危険は少ないだろう。
スリにしろ路地裏に連れ込んで金なり純潔なりを求める者は、なるべく手軽に奪える美味そうな獲物を狙うものだ。その点、ノーラは腰に戦闘用の棒を差しているし、堂々としていれば問題ないだろう。
「あ、そうですね。ありがとうございます」
「……ね、ねえ、あたしにはそういうアドバイスないの?」
ぐいぐいと袖を引きながら問いかけてくる連翹に、何言ってんだお前? と呆れた口調で言う。
「スリ以外なら大体どうとでもなるだろ。金でも純潔でも、奪おうとした馬鹿を血の海に沈められそうな女が何言ってやがる――なんだよノーラ」
不満そうに袖を引く連翹の手を引き剥がし、途中から半眼でこちらを睨み始めたノーラに視線を向ける。
連翹には適当な対応をしたが、ノーラに関しては真面目にアドバイスしたつもりだし、不満を抱かれることはないと思うのだが。
そんなニールの思考を読んだのか、ノーラは小さく、けれど重い溜息を吐いた。
「いえ……もう少し機微が分かればいいのに、と思っただけです」
何かすげえ馬鹿にされてる気がする。
そう思ったが、ノーラは意味もなく相手を馬鹿にするタイプではないため、きっと自分自身に問題があるのだろなとは思う。そして、言葉を濁している点から、直球で言葉にしても当人の血肉にならない類のモノである、と。
そんなことを考えるニールの内面にノーラが気づけたら、「そういう部分は気づけてどうして!」と怒るところだろうが、幸いというか残念なことにというか、ノーラにニールの思考を読み取る術はない。
「……カルナさんが言っていた場所はこの辺りですね。それじゃあ二人とも、また後で。……ニールさん、ちゃんとレンちゃんをエスコートしてあげてくださいね?」
「あ? さっきも言ったがこいつトラブルに巻き込まれても自力で――おわっ!」
自力でどうにかすんだろ――というセリフは、ノーラにシャツを力任せに引っ張られたことにより遮られる。
力自体は大したことはなかったが、正直そんなことやってくると思わなかったため、対応が遅れた。バランスを崩し前のめりになったニールに、ノーラはそっと囁く。
「レンちゃんだって女の子なんですからね、もうちょっと優しくしても良いんじゃないかと思うんですよ、わたしは」
「いや、女の子、つってもな……」
確かに性別は女であるし、尻とかふとももとかいい感じだなとは思う。
けれど、ニールにとってはそれ以上に転移者であり、いつか出会った日のことを思い出したら再戦を挑みたい相手なのだ。
『ただの人が、地球から召喚されたあたしに敵うわけないのに』
かつての言葉がニールの心に刻まれ、離れない。
路傍の石でも見るように、大した考えもなしに言ったであろうその言葉。だが、ニールにとっては許せない言葉であるし、取り消させたい言葉なのだ。
(……いいや、違うな。どっちかっつうと)
認めさせたい。
そう、認めさせたいのだ。
ニール・グラジオラスという男を。剣士を。お前に見下されるだけの存在では断じて無いと心に刻み込んでやりたいのだ。
「……受け入れがたいなら、それでもいいです」
ニールの顔を見て思考をある程度察したのか、ノーラが小さく首を横に振る。
「でもニールさん、これだけは覚えていてください。今、ニールさんが考えてるような敵対心ばかりじゃ、仲良く話したりなんて出来るはずないってことを」
ネガティブな感情以外にも、抱いてるものはあるはずですよ、とノーラは教え諭すように言い含める。
何を馬鹿な、と頭から否定することは可能だった。
しかし、ノーラが考えなしにそんなことを言う人間ではないと理解しているし――何より、ニール自身も感じていることであったから否定など出来ないのだ。
(ああ――くっそ、殴ったり剣で叩き斬れば解決する類なら、こんなに悩まず済んだってのに)
ニールは馬鹿だ。
頭自体はそこまで悪くないが、考えが足りていない。長時間悩み続けるというのが苦手だからだ。ぐだぐだ悩んでいても物事は進展しないし、ならその間に剣でも振って鍛錬兼ストレス解消でもしていた方が楽だと思い実践してきた。
だからだろう。ニールには悩みを棚上げする癖があった。考えても仕方ない、と思考を放棄することが多々とあるのだ。
それは長所でもあり、同時に短所でもある。
一人でぐだぐだと悩んでいる時間を鍛錬に注ぎ込んだからこそ、同年代の剣士に比べて技量は上なのだ。
だが、長く悩まないからこそ、胸の奥で淀む疑問の答えは未だ出ない。
「カルナさんの場合、悩みすぎて重さに耐え切れなくなるんですけど――ニールさんの場合、もうちょっとだけ悩んでみてもいいと思いますよ」
そうしたら胸の中にある気持ちも理解できるはずです、とノーラは微笑んだ。
母親が優しく言い含めるような物言いに、ニールは故郷の母を想起する。
ノーラと比べ恰幅はよかったが、胸が大きい優しい女性の母。それが、「全く困った子だ」と優しく微笑むのとノーラの笑みがダブる。
だからこそ、強く否定できないのだろうなと思う。自分を想って言ってくれてると理解できてしまうから、反抗しても虚しくなるだけだから。
「正直言ってよく分からねえが……まあ、その言葉は覚えとく」
気恥ずかしさを誤魔化すように視線を逸らす。
自分を想って色々言ってくれるのは素直にありがたいが、母に優しく教え諭されているような現状は少々恥ずかしい。
「……ねえ、なんで二人でこそこそ話してるの? 一人だけハブられると凄く寂しいんだけど! あたしも混ぜなさいよ!」
「いえ、そろそろカルナさんが篭っているっていう工房が近いので、ニールさんに地図を見て貰ってたんですよ。ニールさんは昔来ていたって話ですし、土地勘あるかなぁと思って」
ね? と。
ウィンクしながら言うノーラを見て、やはりただの手弱女ではないなと思う。見た目以上に強かで、か弱いだけではない。
身を翻したノーラは、顔だけこちらに向ける。
「それじゃあ、わたしは行きますね。カルナさんがどうなっているのか気になりますし」
「おう。あ、ドワーフの連中とも仲良くやってるとか言ってたし問題ねえと思うが、なんか珍妙なことやらかしてたら背中とか蹴り飛ばしてやれ」
「あはは……それじゃあね、レンちゃん。ニールさんに迷惑かけないように気をつけてくださいね」
ニールの言葉に曖昧に笑いながら、連翹に手を振る。
連翹もそれに合わせて手を振りながら、無い胸を張って得意げな表情を浮かべた。
「いってらっしゃい、ノーラ。黄金の鉄の塊で出来たあたしが他人に迷惑なんてかけるはずもないのは確定的に明らかよ、安心して!」
「……大丈夫かなぁ」
「え、なんでそんな不安そうな顔するの!? ていうか宿前レズ告白騒ぎ起こしたノーラに心配される筋合いはないと思うんだけど! あたしより自分の言動心配してよ!」
「あ、ぁぁああああ! 忘れかけてたのに! 頑張って忘れようとしてるのに! 思い出させないでくださいよレンちゃぁあああん!」
「衝撃的な告白を忘れられる可能性は最初からゼロパーセントだった、ノーラはこれから骨になる……冗談はともかく。ニールもカルナも普段は忘れてるフリしてくれるだろうけど、酒が入ったらどうか分からないじゃない。ちゃんと耐性つけといた方がいいんじゃない?」
「う……ぅぅうううう! 正論なような、正論なような気もしますけどぉ!」
「耐性云々はともかくお前らいい加減に会話打ち切れ! いつまで経っても出発できねえだろうが!」
◇
柄に存在する目貫を外し、柄と刀身を分離させた。
丁重な動作で作業台に置かれた刀身。酷く刃こぼれた場所を中心に刀身全体に大小様々なヒビが走っている。
「……破損させたのはお前さんじゃないのか? 筋力自慢が勝手にお前さんの剣を振って壊した、という方が納得がいくんだがね」
刀身をじい、と眺めながら問うのは三十代頃のドワーフである。
何軒か工房をはしごし、手の空いていて、かつニール程度の剣士を相手にしてくれる鍛冶師を見つけ出したのだ。
(いや、まだ剣を見てくれてるだけ、だがな)
鍛冶師には鍛冶師の矜持があり、誇りがある。武具を粗末に扱うような者には商売をしない、なんていう者も少なくない。特にドワーフの中には。
人間は良くも悪くも欲が強く、金銭さえ貰えればどんな相手でも仕事をする者が多いが、ドワーフは短い人生の中でどれだけ良い仕事をしたのかを誇る者が多い。
だからこそ、こんなつまらない仕事が出来るか、と追い出される者も多いのだとか。
「見立ては正しいが、確かに俺が壊しちまったぜ、その相棒は。普通の神官が使える身体能力強化の奇跡――それの十倍近い強化を受けて戦ったんだ」
「どんな高名な神官と一緒に居るんだ、お前さんは。それはともかく――まあ、納得だ。力が変わっただけで、癖は変わってない。部品の疲労も同じような場所に集中してやがる」
彼の眼鏡に適うのかどうかは分からないものの、しかしニールは気負うこと無く堂々と答える。
今更ビクビクしたところでどうなるワケでもないし、そもそも自分がやれることは昔からやっている。これで駄目だったら、元々この工房がニール・グラジオラス程度の剣士では仕事をしない、ということなのだろう。
どちらにしろ、今更ニールが考えたところでどうにもならない。
だというのに、
「……あ、あわ、わわわ……」
なぜこの連翹はニール以上に緊張しているのだろう。
「……そもそもお前にゃ何一つ関係ないことだろ。なんでそんなガチガチなんだよ」
「え? いやだって、なんか合格発表を待ってるみたいで、他人事でも凄く緊張するんだけど……むしろ当事者の癖になんで平気なのよニール」
「ビビろうが堂々としてようが結果は変わらねえだろ」
それに、とドワーフに視線を向ける。
腕を組み考え込んでいたらしい彼は、刀身から視線を外し、一回だけ大きく頷いた。
「いいだろう、やってやる。それで、どうしたいんだ?」
「そんじゃあおっさん、革鎧の上につける胸当てを造って貰いてぇんだよ。さすがに刀身だけの金属じゃ足りないだろうから、新しいのと合わせちまってくれ」
「ニールニール、篭手とかそういうのはつけないの? 剣士的に腕落とされたらマズイんだし、そういう装備した方がいいんじゃないの?」
「腕が重くなる、ってのもあるが――転移者に腕を攻撃されたら、篭手あっても骨が砕けて握れねえよ。それに、腕の一本二本無くなってもすぐに戦えなくなるワケじゃねえしな」
「採寸するぞ」
「お、すまねえ。よろしく頼む」
両手を上に上げ、少し屈む。
ドワーフはニールの体をゆっくりと触り、サイズや筋肉の付き方を確かめる。
「……なんか絵面が最悪なホモを見てるみたいなんだけど」
「いや、お前さすがに失礼だろそれ。悪いな、おっさん。こいつ、ちいっと常識知らずで――」
言いながら、ふと気づく。
なんか、触り方がねっとりしているというか。
採寸し始めた時の事務的な触り方ではなく、味わうようにゆっくりと撫で回しているような感覚に変化しているような気がしたのだ。
「はぁ……はぁ……お前さん、いい筋肉だな。強さを見せつけるためのモノではなく、剣を振るためのモノだ……唆る」
跳躍した。
地を蹴り、工房の出入り口あたりまで一気に。
着地と同時に剣を抜き、ぞわぞわと這い出てきた気持ち悪さを燃やし怒号として放った。
「寄るなテメェぇえ! 寄ったらぶった斬るからなぁああ!」
「ふむ……ワシが気に入った剣士は、数名を除いて皆そのような反応をする――解せぬ」
「順当に残当だ馬鹿野郎! うぉおあああ、鳥肌立ってきやがった……!」
「っていうか、数名は受け入れてたっぽいのがあたし的に怖いんだけど」




