72/縮まる距離
宿の敷地内にある、庭というには小さすぎるスペース。そこに、ニールはいた。
素足の状態のニールは吐息と共にシャツを脱ぎ捨て、剣を構え――振る、振る、振る。
剣を、刀身を、己を。
斬り下ろし、斬り上げ、薙ぐ。
時は早朝。空が見えないため本当に早朝なのか、そろそろ朝なのかは判断出来ないが、ニールの体内時計はいつも通りの時間であると告げている。
人間の街なら人気が少ないこの時間だが、ここアースリュームでは既に朝食を食べるドワーフの喧騒が響いていた。
「――ふっ!」
一挙一動を確かめるように、ゆっくりと剣を振るう。剣を習ったばかりの子供が型の練習でもするように、である。
斬撃の激しさは重視しない。今、ニールに必要なのは細かい技量だからだ。
(新しい剣がどんなに良いモンでも、力任せに振るえば同じことになるだろうしな)
カルナが開発した魔法である身体能力強化は、ニールの筋力を莫大に上昇させてれた。
だから技など不要、力で押し切ればいい――などという結論には至らない。強化したところで筋力自体は転移者の方が上だという事実もあるが、それ以上に自分の未熟さが見えてくるのだ。
(増大した力を、剣に活かしきれてねえ――だから剣に負荷をかけ過ぎてヒビなんて入れちまう)
だからこそ、一度基礎をやり直す。
実戦の中で自分向きに改良した部分をそのままに、しかし無意識に雑になっていた部分をじっくりと矯正していく。
「『剣ってのは刃筋が通ってればそうそう折れねぇよ。刃毀れするくらいだよ、もっと剣大事にしろこのマッチョが。馬鹿力に任せて棍棒みたいに振り回すから折れるんだよ、人間じゃなくてオークかよテメェは』――ったく、自分で言っておいて。こんな醜態見せたら、ヌイーオに指差して笑われちまうぜ」
武器とは、使い手の技があってこそ真価を発揮するものなのだ。
そもそも、人間という存在は身体にしろ頭脳にしろ、スペックで他種族を押しきれるように出来ていない。だからこそ必死に知識を学び、技術を身につけるのだ。
そうやって人間は獣人を打倒し、モンスターを倒し、魔族に打ち勝ってきたのだから。
「……熱心ねえ、毎日こんな風にやってるの?」
冬だというのに汗が滴り始めた頃、ここしばらくで随分と聞き慣れた女の声を聞いた。
見上げると、宿の窓からこちらを覗く長い黒髪の少女と視線が合った。
「おはよ」
「おう、おはよう……珍しいなお前、普段ならまだ夢の中だろ」
眠そうな顔で挨拶してくる連翹に対し、怪訝に思いつつも挨拶を返す。
普段なら寝ているのもそうだが、長い黒髪も綺麗に整えられているのだ。朝食の時間でも髪の毛がぼさぼさで、食後ノーラに整えられているというのにである。
今日の朝、何か用事でもあったのだろうか? 内心で首を傾げていると、連翹は何かをごまかすようにわざとらしい咳をした。
「ん、んん……うん、ちょっとね……普段鍛錬鍛錬って言ってるけど、実際どんなことしてるのかなって思って」
「……いや、アースリュームまでの道中で一度見たはずだろ。ほら、襲撃直前の時」
「え? ああ、あの時。あれは油断した貴方の脇に枝を突っ込んで素っ頓狂な声出させるつもりだったし、鍛錬なんて見てなかったわよ」
「そうだったよ、そうだったよな、覚えてるよ畜生が」
この女どうしてくれようか――そう思ったところで、ふと不思議に思う。
今まで興味も無かったくせに、なんで今日に限って見学してやがるんだコイツ、と。
事実、連翹はニールの鍛錬に興味があるというより、ニール自身に興味があるようなのだ。口を開き何かを言おうとして、言葉に出来ずゆっくりと口を閉じる――そんなことを繰り返している。
「……何の用事か知らねえが、時間の無駄だから頭の中纏めてから来いよ」
「じっ、時間の無駄ってなによ! そりゃ、どうやって言えばいいのかとか考えちゃってるけど、無駄って言い方は無いんじゃないの!?」
「鍛錬の時間が削られてるし、無駄以外の何物でもねえだろ。ま、鍛錬しつつで言いなら待っといてやるぞ」
言いつつも、既に剣は振り始めているし、集中力は自身の体の動きに対して向けられている。
剣の動きは体全体を使った運動だ。それゆえに、足の動き一つで斬撃にブレが出る。だからこそ、衣類や靴は邪魔なのだ。本当ならズボンどころか下着すら脱いでも良いくらいだが、さすがにそこまでしたらマズイ。
踏み込み、剣を薙ぐ。すると、僅かなブレを感じ、もう一度やり直す。右腕に余計な力が入っていることに気づくと、そこを矯正しもう一度同じ動作を繰り返す。
何度も、何度も、何度も。
淡々と、延々と、永遠と。
ニールは、この過程が好きだ。
同じことを延々と繰り返す作業だけれど、何十、何百と繰り返せば鍛錬前に比べ僅かな差を実感出来るからである。
そう、僅かだ。
何百、何千と繰り返したところで一足飛びで上達することなど滅多にない。時折、壁を突き破るように
刃物を振り回す、ただそれだけの技術だというのになんでこんなに奥深いのだろうか。
最初は演劇で見た剣士に対する憧れで手に取った剣だが、今では当時の憧れと同じくらいに剣を愛している。一体どこまで一緒に居れば、刀剣を真に理解できるのだろうか。
分からない。
分からないが、だからこそいい。まだまだ自分では底を見透かせない程、剣には魅力が詰まっているということなのだから。
「ふ――」
顔の汗を拭い、剣を鞘に収める。
やりきった爽快感と、冷えて冷たくなっていく汗の不快感を感じながら井戸に向かおうとし、足を止めた。
「……はい」
いつの間に下に降りていたのか、連翹が立っていた。手に水の入った桶とタオルを持って、だ。
それをしばし見つめたニールは――バックステップで距離を取り拳を構えた。
「お前っ、なんかやらかしやがったな!? 微妙な機嫌取りはいいからとっとと何やらかしたか言いやがれ馬鹿女!」
「なっ――貴方さすがに酷くない!? 人をなんだと思ってるのよ!」
「珍妙な言葉を好んで使う馬鹿女」
「――ああああっ、もうこのニール貴方ねぇええええ! 人がせっかくお礼に何かしらしようと思ってるのにぃいいい!」
「……ん、礼? 俺なんかやったか?」
ニールの言葉に、桶を投げつけようと振りかぶっていた連翹の動きが固まった。
視線を逸し、バツが悪そうな様子で口を開く。
「……昨日よ、昨日。馬鹿にせず、ちゃんと話聞いてくれたじゃない」
「そりゃお前、当たり前だろ。真剣に悩んでるっぽいと思ったら茶化すような真似はしねえよ」
「当然でもそうじゃなくても、助かったならお礼くらいするでしょ。はい」
視線を逸らしながら渡された桶とタオルを、「それもそうか」と頷きながら受け取る。
「だから、まあお昼くらい奢ってあげようかなって思ってね。ノーラはカルナのとこに行くみたいだし。……誘う時の言葉考えてたら、無駄な時間と言われるとは思わなかったけどね」
「いや、実際無駄な時間だろ。そんなモン適当に『二人でメシ食いに行こう』で済む話じゃねえか」
「勘違いされそうな言い方になりそうだから悩んだんじゃないっ! それを貴方はねぇ!」
「ま、俺は構わねえぞ。用事があるから、それが終わってからになるがな」
「用事って? 剣はアースリュームじゃ探さないとか言ってたじゃない」
「ヒビ入れちまった剣を溶かして、防具にしようと思ってな。愛着もある剣だったし、くず鉄として捨てるのもどうかと思うしよ。幸い、まだ金に余裕はあるからな」
共に戦ってきた武具というのは、どうしたって愛着が湧くモノだ。それが、転移者という強敵と戦った時に使ったものならば、尚更だろう。
命を預けるモノである以上、愛着だけではどうにもならないが、しかし道具とは想いを込めて使えば人間に答えてくれる。精神論の類だが、少なくともニールはそう信じている。
「そういうワケで、行くにしてもその後になるな――ああ、タオルありがとうな、返すぜ」
「え、嫌よそんな汗臭そうなの返さないで欲しいんだけど」
ストレートな感謝の言葉は、ストレートな拒絶によって阻まれた。
しばしの沈黙。
ニールはタオルを振りかぶり、
「え、ちょ――ニール待っ」
思いっきり投げた。
べちゃり、と顔面に張り付く湿ったタオル。
「ふわぁあああああ! ああああああ!」
「ベッドに居ないと思ったら……ニールさん、レンちゃんに何やったんですか!?」
連翹の叫びを聞きつけ、窓から顔を出したノーラが叫ぶ。
「……ニールがあたしの顔に汚いモンかけたのよぉ! ああああ、べたべたして臭くて気持ち悪いぃい!」
「……えっ?」
「バッ――妙な言い方すんじゃねえよ誤解招くだろうが馬鹿女ぁ!」




