70/ノーラの悩み
石造りの教会、その聖堂の中にノーラは居た。
人間の教会に比べ薄暗いその場所を、他人にぶつからないように注意して歩く。
等間隔で並ぶ長椅子には、多数のドワーフとエルフ、そして少数の人間が祈りを捧げている。
彼らが祈りを捧げているのは、聖堂の奥にある創造神ディミルゴの像だ。あらゆる種族の形を取れるという創造神ディミルゴの像は、その集落で一番数が多い種族の形にするというのが通例だ。実際、ノーラが見上げるディミルゴの像はドワーフの姿をしている。
「……よしっ」
近くの長椅子に座ると、両手を組んで祈りを捧げる。
教会で祈るという行為は、神官にとって己を高める手段でもある。
神に生き方を認められ、力を繋いでもらいその力の一端を行使する――それが神官の奇跡だ。
ノーラは既に繋いでもらっており、奇跡を使用できる。けれど、それを理由にサボっていたらノーラと創造神の細い繋がりなど、すぐに断線してしまう。
ゆえに祈り、そして言葉を伝えるのだ。
自分はこのように生きてきたと、貴方の教えを守り前を向いて生きているのだと。
(――奇跡、か)
創世からしばらく。
弱肉強食で生き残った種族たちに、創造神ディミルゴは問うたという。
『ここまで生き残ったお前たちに褒美を授けよう。己と友を癒やす力と、あと一つ。自由に考え、決めるがいい』
それに最初に答えたのはドワーフだった。地下に住む彼らは、闇を見通す力を欲した。ドワーフは元々夜目が利く方ではあったが、長所を更に伸ばすことを選んだのだ。
次に答えたのはエルフだった。森に住まい共に生きる彼らは、木々と会話する力を欲した。魔法の力に自信を持っていた彼らは、種族の強化よりも住処で快適に過ごす力を求めたのだ。
獣人は自分の爪と牙を神に見せ、申し出を断った。多種族を圧倒するこの力があるのだから、癒しの力以上を求めるのは傲慢だろうと。
魔族は答えた。多種族よりも強い力を持つ彼らは、自身のそれを更に高めるモノを望んだ。群れることのない魔族たちは、自身の力をただただ高めることだけを望んだのだ。
様々な種族が答えていく中、人間は中々答えられなかった。
彼らには足りない部分が多すぎて、何を求めればいいのか分からなかったのだ。
そんな中、二匹の獣人が前に出た。ゴブリンとコボルトという、獣人に近いが力と知性が劣っているために別の枠を作られた存在だった。
ゴブリンが一歩前に出て、答えた。頭を良くする力が欲しい、自分たちは阿呆で家族を守る手段が分からないから。
コボルトも一歩前に出て、答えた。一時でいいから体を頑丈にする力が欲しい、群れの仲間を守ろうにも自分たちは弱くすぐ蹴散らされてしまう。
数多くの種族が自分を研ぎ澄ます選択をする中、致命的な短所を補うことを望んだのだ。
多くの種族が彼らをあざ笑ったが、しかし人間は笑えなかった。力の無さを感じていたのは同じだったからだ。
彼らの姿を見て、人間は一歩前に出て、こう言った。
『生き残るための力をください』
漠然とした物言いではあったが、それが当時の人間の総意だったことには違いない。
元来、人間とは半端な生き物なのだ。叡智も力も、人間を上回る種族は沢山居る。
まだ文化も未成熟だったその頃は、半端な力を持つ人間は常に劣勢だった。モンスターや獣人、魔族といった存在どころか、ただの獣にすら敗北することもあったという。
だからこそ、一つに絞れなかった。
一つ一つは弱くても構わない、どうせただ一つだけではその力が強くても生き延びられないから――それが人間が扱う奇跡の種類が、『治癒』、『防壁』、『結界』、軽い『身体能力強化』、と幅広い理由である、らしい。
実際に他の多くの種族は治癒の力と、種族の長所を伸ばすか短所を補う力が一つ、合計二つくらいしか無い。
もっとも、力の種類が多いぶん一つ一つの力は弱めだ。
特に治癒以外の奇跡は、神との繋がりが太くならないと出力不足でまともに発動してくれない。そのため、現在のノーラの実力では治癒を使うだけで手一杯だ。
(わたしも、守られてるだけじゃいけませんから)
戦闘能力のない神官が守られるのは仕方のないことだ。
だが、守ってもらうからにはちゃんと貢献しないといけないと思う。
すぐに他の奇跡が使えるようになるとは思っていないが、しかしほんの少しでも治癒の力が上昇すれば前衛が戦いやすくなる。
それに、親しい前衛であるニールは目的のためなら自分の命を頓着しないタイプだ。場合によっては大怪我をすることもあるだろう。
その時、完全な治癒は不可能でも、もっと腕が良い神官が来るまでの時間稼ぎが出来る程度の力が欲しいのだ。
無論、理想は自分の力で癒してしまうこと。
しかし、そんな一足飛びの成長が出来るとは思っていない。
ゆっくりこつこつと、しかし踏み込むべき時は躊躇わずに踏み込む――そういうことが重要なのだろうな、とノーラは思うのだ。
(思っては、いますけど……)
その理屈が正しいだろうと思うことと、感情はまた別問題だ。
レオンハルトとの戦いでも、道中で出会った転移者での戦いでも、ノーラは神官として大して役に立っていない。
大きな傷を咄嗟に癒やすことはできないし、戦う者をサポートする奇跡は使えない。そして、ゆっくりと成長する時間は無いはずだ。
ぐっ、と胸の上で揺れる十字聖印を握りしめる。胸の奥から湧き上がる焦りを押し留めるように。
だって、この旅の中で一番仲良くなった三人。彼らや彼女と比べ、ノーラの脆弱さは際立っているから。
ニールはカルナのサポートで転移者と真っ向から戦えるようになり、その力に耐えうる剣を入手する目処も立ったらしい。
カルナは今、アースリュームに来て思いついた技術をドワーフたちに売り込んでいる最中だろう。それが成功すれば、今よりもっと強くなるはずだ。
連翹はそもそも転移者だ。騎士も冒険者も複数人で倒した敵対する転移者を、たった一人で戦い勝利する実力を持っている。
その中で、ノーラだけが弱い。戦闘能力はもちろん、神官としての実力も。
すぐに解決するモノではない以上、悩んでも仕方のないことかもしれない。けれど、このままではいけないとも思うのだ。
「おう、熱心だねノーラ」
ぐるぐると回り始めた思考。それが突然背中を、パンッ、と叩かれたことで霧散した。
「いたた……マリアンさん」
背中を擦りながら見上げると、ノーラよりも頭二つは大きい筋肉質な女性が立っていた。
マリアン・シンビジューム。騎士団と共に戦う女性神官である。
「おう。なんでこんな所に、って顔してるけど、あたしだって神官の端くれだからね。そりゃ祈りぐらい捧げに来るさ」
それに、と。
どさりと隣に座ったマリアンは、快活な笑みをこちらに向けてきた。
「悩みとかを聞いてやるのも神官の務めだからね。悩みなんてのは、誰かに話せば解決しなくても精神的にはマシになるもんさ」
そんな沈んだ顔をしていただろうか、と思う。
心配させてしまった申し訳無さがあったが、しかしニカリと笑うマリアンの顔を見ているとそういうのを感じなくなってくる。
それは優しい、というよりも自然体だからだろうか。話しやすい人だな、と思う。
「ありがとうございます、実は――」
彼女の言葉に甘え、ノーラは先程考えていたことを言葉にする。
マリアンはノーラよりもずっと練達の神官なのだから、話を聞いて貰うのも悪くはないだろう。
もちろん、そんな簡単に上達する手段があるとは思えないが、自分一人で悩むより彼女に否定してもらった方が諦めがつく。
「んー、一足飛びに力を強める手段ってのも、無くはないんだけどね」
そう思っていたのに、マリアンはそんな事を口走った。
「え、ちょ――ど、どうやるんですか!?」
「はいはい落ち着きな。声、響きまくってるよ」
「あ……ご、ごめんなさい」
何事かとこちらを見るドワーフに何度も頭を下げたあと、マリアンに視線を合わせる。
「それで、その手段ってのはどういうものなんですか?」
「言っておくけど、簡単にできることじゃないからね。まあ、もし上手く行けばラッキーくらいに思っておくんだよ」
ノーラが力強く頷くと、マリアンはゆっくりと語り始めた。
「神官の奇跡ってのは、創造神と繋がるからこそ出来る手段だってのは知ってるね。創造神が貯水湖なら、あたしら神官は水路ってわけだ。神官個人の力量によって水路の幅の大きさに違いがあり、それが太いほど一度に使える水の量――創造神の力をたくさん使うことができる」
もちろん、と頷く。
神官としての実力は、『創造神にどれだけ力を流して貰えるか』、『一度にどれだけの力を使えるか』、『その力を上手く奇跡に変換するか』、という部分にある。
昔、神官について連翹に聞かれた時に説明した所、『ああ、創造神は蛇口で、神官はホースってわけ。そして先から出てきた水を利用して奇跡を使うのね』と、いくつかノーラには理解できない単語を交えつつ納得していたのを思い出す。
「そして、奇跡を使う時は創造神に願い、水を水路に流してもらう。その力を治癒だとかにして利用する。この流れで、ほんの一瞬だけど創造神と神官が繋がるわけよ。
そこで思いっきり強い想いを創造神に叩き込んで……運が良ければ気に入られて流して貰える力を増やして貰える、らしい。水路の幅、つまり創造神とのラインがそのままなだけれど、多量の力を受け入れてる内に自然と力に合わせてラインも太くなっていく――らしい、ってわけ」
魔王大戦の時代では、これで神官になった奴も多いらしい、とマリアンが言う。
なるほど、確かに筋は通っている。
しかし、
「……後半から『らしい』ばかりですね、マリアンさん」
「そりゃ、あたしは普通に鍛えて来たからね。実感がないからそういうしかないよ。……ああ、けど。これで手軽に腕を磨こうって奇跡無駄撃ちしまくったあげく、怠惰な心を見抜かれて奇跡を剥奪されたって奴はいるらしいからね」
そういうのを一番嫌う存在だからね、とマリアンは笑う。
「まあ、そりゃそうですよね。簡単に一足飛びに上達できる手段があったら、みんなもやってるでしょうし」
「そういうことだね。ま、楽して上手くなりたい、みたいな心でなければ奇跡を使う時にやっても損はないんじゃないの」
「そうですね……今日はありがとうございました」
結局のところ、地道に努力していくしかないのだろうな、と思う。
結局一人で悩んでいた場所に戻ってきたワケだが、一人で悶々としている時よりもずっと気分は晴れやかだ。もしかしたら、こういう悩みは解決するかどうかよりも、他人と話すことが重要なのかもしれない。
「ああ、そうだ。これがあった」
心の中で結論づけ、宿に戻ったあともしっかりと祈ろうと内心で頷いていたノーラの手を、マリアンが掴んだ。
「マリアンさん?」
「創造神の力を流すラインを持ってる奴同士がこうやって肌を重ねると、細い方のラインが広がるって噂――というか俗説があるね。正直眉唾だし、本当だったとしてもよっぽど差がないと誤差でしかないと思うけど。それにもし本当でも、流してもらう力に変化はないから、一度に使える量だけ増えてすぐ疲労するハメになるとも言うしね。
……ま。また似たようなことで悩んだら、あたしん所に来なさい。眉唾ではあるけど、効果がないって実証されたワケでもなし、休みの時なら手くらい繋いであげるからさ」
そう言ってマリアンは手を離すと、ディミルゴの像へと祈りを捧げ始めた。
ノーラは小さな声で礼を言って、教会から外に出た。
もう連翹とニールは帰ったのだろうか、カルナはドワーフへの売り込みは上手く行ったのだろうか、などと考えながら宿に向かう。
「……あれ」
その足が、ぴたりと止まった。
(あれ、そういえば転移者って、ディミルゴ様の力を貰っているはずですよね)
女王都で連翹に十字聖印を手渡すと、神官でもないというのに聖印が反応したことを思い出す。ノーラよりも、ずっとずっと強く。
つまり、転移者である連翹は見習い神官であるノーラよりも、ラインが太く、創造神ディミルゴの力を多量に受け取っているはずなワケで――
「よしっ!」
走りだしたノーラは、息を弾ませながら宿へと向かった。
宿の前では、荷物を持ったカルナとそれを見送るニールと連翹の姿が見える。
三人とも走るノーラの姿に気づいたようだ。連翹が大きく手を振っている。
「ノーラ、ちょうど良かったわね。カルナ、ドワーフの工房に篭もるらしいわよ」
「うん、ちょっと若いドワーフと話が合ってね。完成するまで宿と行き来する時間がもったいないから、ギリギリまで工房に泊まるよ」
「女王都の時みてえに長期滞在できるわけでもねえしな。ま、頑張ってこいよ。ここまでやって、全然駄目でした、とかやらかしたら指差して笑ってやるから覚悟しとけ」
「はんっ、そっちこそ後で僕と筒のコンビネーションに腰を抜かすなよ」
「はっ、はっ――カルナ、ふうっ、さん……売り込み、成功、したん、ですね。おめで、とう、ござい、ます」
「……ねえノーラ、なんでそんなに死にかけてるの? というか、どこから走ってたの?」
気遣わしげにこちらの顔を覗き込んでくる連翹。
そんな彼女の手を取り、はあ、はあ、と荒い息を漏らしながら詰め寄った。
「レンちゃん、わたしと裸で寝ませんか!? わたしとしては今からが一番なんですけど、レンちゃんはいつがいいですか!?」
「……えっ」
「ぶっ……!? げほ、ごほっ」
「――!?」
なぜだか、空気が凍った。
「……えっ、ん?」
困惑した様子の連翹が、ニールとカルナに視線を向けた。
しかしニールは咳き込んでおりそれどころではなく、カルナは赤い顔で視線を逸らしていて会話にならない。
「……あ、あの、ノーラ。ちょっとあたし、意味が……」
「え? 意味って――言葉通りですよ?」
創造神ディミルゴから力を受け取るライン、それを持つ者同士が素肌を重ねると小さい方のラインが広がる。
マリアンは手を繋ぐと言っていたが、互いに裸で抱き合えば接触の面積は増える――ラインも手を握るよりも効率よく広がるのではないかと思うのだ。
完璧な理屈だ、何も問題はない。
「わ、悪いんだけどね、ノーラ。あたし……」
じりじり、と後ずさる連翹の背が、宿の壁に当たる。
口元を引きつらせながらこちらを見る連翹を見て、その理由を考え――思い至った。
「あ――そ、そうですよね。ごめんなさい。わたし、いきなりこんなこと……」
ノーラは連翹を友人だと思っている。ちょっと抜けたところもあるが、可愛らしくて他人のことをちゃんと見れる良い娘だと思っているのだ。
だというのに、今の自分は連翹の意思を無視し、『転移者のライン』という部分を欲し、詰め寄ってしまった。
それは、お金を沢山持っている友人に対し、お金をよこせと言うような――そんな、酷く恥知らずな行動なのではないだろうか。
「ご、ごめんなさい、レンちゃん。わたし……突然こんなこと」
「え、ええっと……その」
「でも、わたし、ちゃんとレンちゃんのこと好きですから」
「えっ!?」
言葉にしなくては気持ちは伝わらない。
その気はなくても酷いことを言ってしまった以上、ちゃんと自分から気持ちを伝えなくてはならない。
転移者だからではなく、ちゃんと友人として大好きだと。
「ちょ、待ってノーラ、待って……!」
「体だけが目的なんじゃないんです、わたし、レンちゃんのこと、大好きですから――」
その時、連翹から音が聞こえたような気がした。
ぷつん、とか。
ぷちん、とか。
ともかく張り詰めていたモノが千切れた音だ。
「んぁああああ、どうしよう、ねえこれどう答えればいいの!? 冗談じゃなくて反応が真剣っぽくて茶化せないんだけど! あたしどこでキマシ塔の建設を初めちゃったの!? ニール、カルナ、助けてぇ!」
「お前なんかすげえその気にさせる一言とか言ったんだろ!? 受けるなり断るなりちゃんと責任持てよ俺に振るんじゃねえよ馬鹿女!」
「……ん、あれ? そういえば、昔読んだ本でライン云々って……レンさん転移者だし……うわあ」
頭を抱えて叫ぶ連翹と、それを怒鳴りつけるニール。
その様子を見て、ようやくノーラは「あれ? なんか自分が理解している話の流れと、あっちが理解している話の流れが違う気がする」ということに気づいた。
そんなノーラの前に、カルナが歩み出る。
「……ねえ、ノーラさん。神官のラインを太くする話って、知ってる? 素肌と素肌を重ねる、ってやつ」
「え、ええ。というか、ずっとその話をしていたつもりなんですけど……」
今度はカルナが頭を抱え始めた。
言うべきか、言わぬべきか、必死に悩んでいる、そんな様子だ。
「言わないワケにもいかないかぁ……うん。とりあえず――神官のライン云々の情報を取っ払って、自分が言ったことを思い出してみようか」
「え? だってそれが前提の話なのに、取り払っ――!?」
瞬間、ノーラは全てを理解した。
物凄い勢いで顔が熱くなる。というか、そもそも誤解抜きにしても、裸で寝ようとこんな場所で叫ぶのは完全にアウトだった気がする。
全身の関節が石のように固まり動かないものの、気力を振り絞って頭だけ連翹に向ける。
(いや、レンちゃんけっこう抜けてるところもあるから――別の話に勘違いしている可能性も、ほんの、僅かに)
抜けてるところがあるって、鏡みたらどうですか? と冷静な部分のノーラが言ってくるが、そんな事はどうでもいい、重要なことじゃない。
「えっ、ノーラがレズに目覚めてあたしに告白したって流れじゃなかったの?」
「あああああああああ!」
「ばっ……連翹お前空気読んでやれよ馬鹿女ぁ!」
◇
それから数十分後。
宿の部屋の中、団子虫のように布団に包まるノーラの姿があった。
「……」
「ね、ねえ、ノーラ? あたし気にしてないから」
優しい言葉も、時には痛い。
ああ、この旅は自分の知らないことを沢山知れるなあ――と半ば現実逃避気味で思う。
「……」
「あ、あたしだって、色々やらかすことあるし! 仕方ないわよ! 冷静じゃない時って凄く変なことしちゃうわよね!」
「……ぁぁぁぁぁ」
「いや、ノーラが変だったってワケじゃなくてね! 誰しもやらかすことがあるからオールオッケー的なアトモスフィアよ!」
「ぅぅぅぅうううううう! 転移者としてではなくて友達として大切だって言いたかったのに、あれじゃ――ぁぁああああ、宿の前で! 色んな人に聞かれてたぁあああああ!」
「――……大切、か」
ああ、時は戻らない、戻せない、あのよくよく考えなくても同性愛者の告白めいた言葉は、どうあっても口の中には戻ってはくれない。
布団の中で頭を抱えていると、小さく笑う声を漏らしていることに気づいた。
なんだろう、と頭だけを外に出してみると、連翹は喜ぶような、けれど照れているような、そんな笑みを浮かべていた。
「ありがとう、ノーラ」
「……いや、今日わたし、やらかしてしかいないような気がするんですけど」
「それでも、ありがとう。一番欲しかった言葉を貰えたから」
連翹はその言葉がなんなのかは語ってくれなかった。
秘密にしたいのか、それとも口に出すのが恥ずかしいのか、その両方か。
どちらにしろ、柔らかく微笑む連翹を見ていると、後悔が少しずつ薄れていくのを感じる。
「ふふっ。ねえ、ノーラ。とりあえず、今日は一緒の布団で寝る? さすがに裸はちょっとアレだけど、手を繋ぎながらくらいならね」
「――ええ、お願いします」
きっとこのことは、後々思い出してベッドの上を転がり回るような黒歴史になるだろう。
でも、黒歴史だって人間を構築する記憶であり、出会った人たちとの大切な思い出だ。
だから、それはきっと必要なモノなのだろうと思うのは、きっと間違いではないと思う。




