66/出歩こう
アースリュームの朝は騒がしい。
仕事場へと駆けて行く男ドワーフの足音に、弁当を忘れているぞと叫ぶ女ドワーフの声、まだ朝早いというのに友人たちと遊び始める子供たちの笑い声。それらが混然一体なり、土色の地下都市を彩っている。
ドワーフの朝は早いのだ。人間やエルフと比べ睡眠が短くても疲れが取れる彼らは、夜は遅く朝が早い。がやがやと街を賑わす喧騒は、人間にとって鶏が鳴き始めるくらいの時間である。
「おもしろくないわ」
むすっ、と。
アースリュームのドワーフたちからだいぶ後に朝ごはんを食べ終え、目の下に隈を作ったカルナが紙束を抱えて凄い勢いで街に飛び出していってからしばらくして、連翹は不機嫌そうに呟いた。
無茶苦茶眠そうなのにハイテンションになっているカルナを心配そうに見送ったニールとノーラが、一体どうしたんだ、と言うような視線を向ける。
「なんか昨日の夜、あたしに黙ってみんな集まって騒いでたらしいじゃない。なに? なんでナチュラルにあたし除け者にされてるの? 想像を絶する悲しみが連翹を襲ったんだけど?」
朝食の時。
昨日の夜、ニールたちの部屋が騒がしかっただとか、そこで女の声が聞こえただとかの話を他の冒険者が喋っていたのだ。
その時、ノーラが自分のことのように申し訳無さそうに頭を下げていたので、ニールたちの部屋に居たのがノーラだということも分かった。
完全な蚊帳の外な現状に、不満はとっくにピークに到達していた。机の上に顎を載せ、むーむーと怨嗟の声らしきモノを上げて二人を糾弾する。
「レンちゃん、別に遊んでたワケじゃないんですよ。カルナさんに差し入れを持っていっただけですから」
「俺なんざ耳に紅茶ブチこまれて起こされた後は、ちっと会話しただけですぐ寝たしな」
「待って、ノーラはともかくニールの状況は意味分かんないんだけど」
「寝耳に紅茶やらかしたんだよあいつ。俺に聞きたいことがあるから起こそうって理由だけでだぞ。畜生、そのせいで鍛錬の最中すげぇ眠かったんだぞ」
カルナの野郎、落ち着いたら覚えてやがれよ――と額に青筋を浮かべながらニールがぼやく。
本当、何やっているのだろうこの男二人は。連翹の口から、重いため息が漏れだした。
「……カルナってまともな人間だと思ってたけど、どんどん化けの皮が剥がれてるわね。黙ってたらイケメンなのにね」
なんというか、大学デビューしたガリ勉みたいなイメージがあるのだ。だから学ぶことには人一倍真面目で、外側は取り繕ってはいるが実際はあんまりコミュ能力がなさそうな感じなのだろう。
カルナ本人が聞いたら怒りそうなことを寝ぼけた頭で考えていると、ニールがからからと笑った。
「そりゃあいつは元々、自分勝手な俺様スゲー魔法使いなんだひれ伏せよ、みたいな奴だったんだ。だいぶまともになっちゃいるが、根はすげぇ傲慢だぞ」
もちろん、カルナはそういう部分が駄目だと理解し、改善しようとはしている。
しかし若い頃に刻まれた価値観は人格の土台になっていて、なかなか変われないものだ。だからテンションが上がったり、追い詰められた時などに、ぽろりと傲慢さが溢れるんだろう――とニールは苦笑する。
そんな、駄目な部分も引っ括めてあいつが相棒なんだよ――とでも言いたげなニールの笑みが、なぜだか連翹の心をかき乱す。
しかし、その理由が分からず、もやもやとしたまま首を傾げる。
(道中で無意識に恋心抱いてて嫉妬でうんぬんかんぬん――ってのは王道といえば王道だけど、そういうワケでもなさそうなのよね)
この感情は強いて言えば、寂しい、だろうか。
ニールやカルナみたいな仲の良い連中が連翹をそっちのけで楽しそうにしてたり、分かり合っているみたいな姿を見せられると、どうしようもなく不安になるのだ。
しかし何が不安なのかが、どう寂しいのか、それは自分でもよく分かっていない。だから、余計にもやもやとする。
「レンちゃん、コーヒーお代わりいりますか?」
「うん、もらう。しっかし凄いわねドワーフの国。正直、もっと油っこくて埃っぽくて砂っぽいイメージだったのに、下手な人間の街よりコーヒーとか紅茶とか、あとサラダとか豊富だし美味しいんだけど」
朝食用のお代わり自由のコーヒーを注いで貰い、談笑しつつ頭を下げる。
気にしないでと言うように微笑むノーラに、胸の中の寂しさや不安が溶けていく。
連翹はこの感情がなんであるかを理解出来なかった。出来なかったけれど、ノーラたちともっと一緒に居たい願い――
「今日は自由行動していいみたいですし、どうです? 昨日の夜に行った店、ランチもやってるみたいなので一緒に――」
「一人で行きなさいよバカぁ! ノーラの食欲魔人! 西洋風酒天童子娘っ!」
「――あ、あれぇ!? 酷くないですかレンちゃん!」
――けど、これに関しちゃ別問題よ、と全力で拒否をしたのである。
「美味しい美味しくないじゃないのよ、あれ絶対女の子が食べちゃ行けないビジュアルなのよ! 初見で美味しそうにぱくぱく食べられるノーラが異常なのよぉ!」
「えっ、お前ら行ったのかあの店」
「あ、ニールさん知ってるんですね。だったら、ちょっとレンちゃんに言ってやってください! さすがにあの言い草は酷――」
「いや、残当だろ。美味いのは美味いが初見でたくさん食えるもんじゃねえぞアレ」
「え、あれ? あれぇ!? 味方が居ないんですけど!?」
二人の顔を交互に見つめてうろたえるノーラを見て、仕方ないな子だなと思わず笑みを漏らしてしまう。
それが、先程ニールがカルナのことを考えながら浮かべた笑みに似ているような気がして、少しだけ恥ずかしいようなくすぐったいような気分になる。
正直、先ほどの感情も今の感情も、連翹は上手く言葉にすることが出来ない。
この世界に来るまでは他人とは距離を置いていたし、こちらに来てからも冒険は一人ですることが多く、他人と接する機会は店員や冒険者の宿の主人との会話くらいだったのだから。
似たような笑みを浮かべたニールに聞けば、この感情を教えてくれそうな気がするが――
(馬鹿にされそうだし、却下ね)
絶対、「あ? そんなことも分からねえのかよ馬鹿女」とか言ってくるに違いない。
それなら、分かってるフリして黙っている方がいい。少なくとも、連翹はそう思っている。
「しかし、自由か――剣は森林国家オルシジームで探すから、ここでやることはあんまねえんだよな」
「ニール、ハゲ団長のドワーフの協力者探して欲しいってセリフを忘れたわけ? 暇なら適当に声かけて戦力探せばいいんじゃない」
「ドワーフの戦士にその手の交渉するなら、まず実力を示す必要があっからな。さすがにこの剣でドワーフの練達と戦うのは御免だし、下手な代用の剣に金出したくねえんだよ」
言って、腰に吊るした剣をこつこつと叩く。
まあ確かに、その剣は目利きに関しては完全に素人の連翹からしても粗悪品であると思う。
「けど、マジでどうすっかな。鍛錬は朝にしたし、近日中に出立する以上、あんまり疲労を溜めてもな」
しばし腕を組んで悩んでいたニールだが、よしっ、と自分の膝を叩く。
「二人とも、どっか行きたいとこあるか? 昔来たことあるし、多少は案内できるぞ」
「え? なに? 両手に花のデートをご所望? まあ、全身から醸し出されるあたしの美しさエネルギー量がオーラとして見えそうになってるから仕方ないわね」
「そういうセリフは言動まともにしてから言えよ馬鹿女」
「何度も何度も馬鹿女馬鹿女って……あんまり調子に乗ってると人工的に淘汰して裏世界でひっそりと幕を閉じさせるわよ!」
「うるせえよ、まともな言語喋れお前! ああくそ、なんとなく分かるから絶妙にたち悪いなコレ……!」
「否定してるのは言動だけ……ああ、無意識なんでしょうねコレ……」
連翹とニールの会話に突然頭を抱えだしたノーラだが、すぐさま頭を振って口を開いた。
「ええっと、観光の件なんですが、わたしは遠慮しておきます」
「やーい、フラレてやんのー、プークスクス!」
「レンちゃん煽らないの! ……えっと、わたしは教会に行って、ドワーフの信仰の形とか色々聞きに行きたいなと思って」
でも、二人とも興味ないですよね? という視線を向けてくるので、そっと目を逸らした。
この世界には実際に神様が居る――いや、地球にだって居たのかもしれないけど――のだが、だからといって宗教に興味はないのだ。
それは現地人であるニールも同じようで、「まあな」とノーラの言葉に頷いている。
「でしょう? だから、観光は二人で行ってきてください。色々話を聞きたいので長居すると思いますし、興味のない二人の観光の時間を削って長時間拘束するのも、と思いますし」
それなら仕方ない、と頷く。
実際、自分が楽しんであちこち見たり話したりしてるのに、後ろで退屈そうに待たれてたら心から入り込めない。それでは楽しむ側も待つ側も不幸だ。
「うん、分かった。ノーラも楽しんできてね」
「一応言っておくが、女一人なら大通り以外は歩くなよ。人間の街よか路地が薄暗いからな、下手に入って酔っぱらいに絡まれたやら触られたやらっていう被害はあっから」
教会までの道なら問題ねえだろうけどな、という言葉に頷くノーラを見て、確かに狙われやすそうだものねと思う。
なんたって、小柄かつ胸が大きい。そして、雰囲気は柔らかく押しが弱そうであり、触っても反撃されなさそうだ。実際はけっこう我も押しも強いタイプであるが、少なくとも初見ではそう見える。
「ノーラはちゃんと気をつけてね、それじゃ、ちょっと着替えてくるわね」
「女はそこら辺が面倒だな。待っててやるからとっとと来いよ」
◇
「あ、ニールさんちょっといいですか」
連翹が戻ってくるまでのんびりするか、とコーヒーを新たに注いだ辺りで、ノーラが声をかけてきた。
「どうした? なんか不安なことでもあんのか? ああ、大通りはドワーフやエルフの戦士が巡回してるぞ。それにこの時間だ、前みたいに拐われることはねえだろ」
ノーラも出かけるのに着替えに行かないのは、そういうことが不安なのだろうかと思い先んじて回答する。
しかし、彼女は頭を振ってそれを否定し、連翹がまだ戻ってこないことを確認すると、ニールにそっと耳打ちした。
「ドワーフの街ってことは、ちょっとしたアクセサリーとかもありますよね。ニールさんが良いと思ったタイミングでいいので、レンちゃんにプレゼントしてあげてくれませんか?」
「あ? いや、別によっぽど高いモンじゃねえなら問題はねえが、なんでだ? 別に俺があいつに渡す理由なんざねえだろ」
女のドワーフは器用で、装飾品の加工などに携わっている者が多い。
そのため、ニールには手が出ない高い物から、子供の玩具のような値段の物までアースリュームでは数多く販売されている。
仕事で来た時、護衛の商人が妻の土産だといくつか購入しているのを見たので、多少は覚えていたのだ。
「ええっと――そうだ、レンちゃん色々頑張ってますし、ご褒美って感じですね。わたしが渡してもいいんですけど、やっぱりそれじゃあ意外性がないですし」
(なんつーか、すげえ建前臭いというか)
最初に言い淀まねば違和感も抱かなかったというのに。
しかし、どんな建前があろうとノーラの言葉それ自体は納得出来る。
「転移者が襲撃に来た時、あいつが転移者抑えてくれてたからカルナたちの救援に行けたわけだしな。ま、感謝を形にするのも悪くねえか」
「ええ、お願いします。それと、残念ながら両手に花のデートではありませんけど、残った一つの花はちゃんと世話してあげてくださいね」
「だからそういう意図じゃねえって、連翹の言葉真に受けてんなよ。それに、あいつは適当に放置してても咲くタイプじゃねえか?」
からからと笑ってコーヒーを啜る。
その様子を見て、ノーラはため息を吐いた。深い、深いため息だ。
「本当に子供と一緒ですね……黙ってたら憎まれ口とイタズラしかしない辺り、本当にそっくり」
「ん? どうした、まだなんかあるのか?」
「いいえ、なんでもありません。それじゃあ、わたしも出かける準備をしてきます。観光、二人で楽しんできてくださいね」
微笑みを浮かべ去っていく姿に既視感を抱く。
首を傾げながらしばし悩み、ああ、と納得する。
「……ああ、お袋とか女将さんとか、その辺りが浮かべてそうな笑いなんだな」
こっちの内心を見通して、こっそりと手助けをしてくれる、そんな感じなのだ。




