65/深夜の茶会
深夜。
アースリュームは地下に存在する国であり、空を見て時間を察することはできないが、しかし窓から覗く街並みから明かりが失せていることからもうだいぶ遅い時間だということは理解できる。
そんな地下の夜。熟睡するニールの寝息をBGMに、カルナはペンを握り小さく唸っていた。
(問題は、鍛冶師をどう納得させるかだ)
紙に描いた鉄の筒は二種類存在している。
火吹き蜥蜴の粘液を用いた単発式の筒と、それに加えてカルナが開発した風の投石機の魔法をサポートする機構を加えた筒。
カルナ個人としては後者だけが出来上がればいいのだが、しかし需要があるのは前者だ。それに前者を量産して貰えたら、前者の筒を改造し後者にすることも可能だろう。
設計図自体は既に完成している。
無論、鍛冶のスペシャリストであるドワーフからすれば穴だらけの理屈かもしれない。ただ、簡単な構造などは完璧なはずだ。
そもそも、あちらだって鍛冶とは無縁なカルナが完璧な設計図を出してくるとは思っていないだろう。根本の原理さえしっかりとしてさえいれば、後はその道のプロが改善出来る。
(……でも『魔法や弓とどう違うんだ』、って言われたらどう答えるべきだろう)
新しい何かを売り出すなら、既存のモノとどう違うのか、どういう利点があるのかを説明しなくてはならない。
差別化が出来ていないなら既存のモノで十分だし、利点が無ければ作る理由もないのだから。
一応、利点はある。弓ほど技量が必要がない点だ。
弓を引き絞る技術も、そのために必要な筋力も必要ない。敵を狙うことさえ出来れば、あとは射出の衝撃に耐える身体能力があればいい。
だが、それで良かった万全だ――などとは言えない。
単発式の方は射出の際に大きな音が鳴るし、二発目を射出するまで時間がかかる。
それに、弓は長い年月を経て技術を蓄積している遠距離武器だ。弓そのものも、そして使い手の技も。
カルナの思い描いている筒は、同じ遠距離武器でありつつも弓とかけ離れているため、技術の蓄積を利用できない。
完成後に何年、何十年と経てば話は別だろう。筒の構造も、筒を使う技術も蓄積され技が生まれるはずだ。けれどそれは未来の話であり、今は技量のある魔法使い以外には『爆音と共に鉄の杭を射出する単発武器』でしかない。
「いっそのこと、鍛冶を見よう見まねで自前で作った方が――馬鹿か僕は」
素人が一朝一夕で実用に耐えうるモノを作れるなら、鍛冶師などという職業は成り立たない。もし可能だったら、休日に自宅の家具を作ることの延長線上に包丁やら刀剣やらの鍛冶も作られているはずだ。
思った以上に頭が疲れているのかな、と溜息を吐いて立ち上がった。
宿の食堂にまだ人の気配がするから、そこで砂糖でも分けて貰いに行こうと思ったのだ。頭が回らない時は糖分を摂取すべきだし、よっぽど無茶な量を要求しない限りは金銭で交換してくれるだろう。
そう思った矢先、扉を叩く小さな音が響いた。
一瞬、宿の主人か近くの部屋に泊まっている冒険者かな、と思った。考えこんでいる時に漏れた独り言がカルナが思っている以上に大きく、苦言を呈しに来たのかと。
しかしそれにしてはノックの音が控えめだ。とっくの昔に熟睡しているニールを起こさぬように、という気遣いだろう。そして、今現在一緒に行動しているカルナの知り合いで、そういった気遣いをするのは一人ぐらいだ。
「夜中に女の子が男の部屋を訪ねるのはどうかと思うよ」
扉を開けると、予想通りの人物が――ノーラが立っていた。
「それはその通りなんですけどね。でも、宿に戻ってからずっと起きてるようですし。そろそろ休憩したらどうかな、と思って」
そう言って微笑む彼女の手にはトレイがあり、その上にはティーポットとクッキーが載っている。
「前に言っていたじゃないですか、糖分欲しい時には砂糖舐めてるって」
「ああ、そうか。言ったね、そういえば」
女王都で皆とケーキ屋に行った時に、そんな話をした覚えがある。
そして、『菓子くらいは作るからそんな寂しい食べ方しないで、聞いてるこっちがひもじくなる』みたいなことをノーラが言ったのだ。
「……ま、煮詰まってたところだし、ちょうどいいかな。入っちゃっていいよ」
「いえ、でもニールさんが寝てるんじゃ……」
「大丈夫大丈夫、多少うるさくした程度じゃあいつは起きないよ。というか、僕がノーラさんが泊まってる部屋に行くのはマズイよ。レンさんだって居るのに」
そう言ってカルナはテーブルに散乱する筒の設計図を自分のベッドに移動させた後、ノーラに椅子に座るよう促した。
ノーラは恐る恐る、ベッドでイビキをかいて全く起きる気配のないニールにチラチラと視線を向けつつ、椅子に腰掛ける。
「えっと、それで――やっぱり大変なんですか?」
ティーカップに紅茶を注ぎながら言ったノーラは、とりあえずといった風に問うた。
専門知識がないため、ベッドに置かれた設計図を見てもどういう状況か理解できないのだろう。
「半分正解で、半分間違いかな。案自体は完成はしてるんだけど、それを他人に伝えて実物を作ってもらわなくちゃならないから」
他人に協力してもらうためには、納得が必要だ。
腕立て伏せだって、繰り返し行った結果に鍛え上げられた自分の存在があると理解し、だからこそ厳しい単純作業を繰り返すことを納得し実行するのだ。
だが仮に、毎日腕立て伏せを行っても何が起こるか分からなければ。
良い効果なのか悪い効果なのか、はたまた全くの無意味なのかすら判明していないとすれば、誰がそんな行動をするというのだ。効果自体はあったとしても、最初の一歩を踏み出す理由がない。
だからこそ、利益なり何なりで納得させなばならないのだ。
カルナ・カンパニュラが考えついたこの『筒』を作るという行動は、貴方に利益をもたらすモノなのだ、と。
「でも、それが中々難しくてね……ありがとう、貰うね」
クッキーを食む。
カルナの味覚では甘すぎるくらいな味付けのそれだが、しかし甘味が体の中にじんわりと伝わっていくような感覚が心地よい。
ニールやヤルやヌイーオたちの影響で疲れた時は肉と酒、ということが多くなったが、やはり糖分もまた人間の体を動かす燃料なのだなと強く実感する。
「知らない人に伝えるのが必要なら、試しにわたしにやってみませんか? ほら、わたしは当然、知識も何もないですし」
素人考えですけど、と申し訳無さそうに言うノーラだが、しかしそれはアリかもしれないとカルナは思う。
ドワーフの技術が必要なのは、設計図を見る程度には興味を持った後であり、実物を作製する時だ。最初に言葉を費やす際に、鍛冶の技術の有無はあまり問題ではない。
考え込みながら紅茶を啜る。柑橘系の香りが鼻孔をくすぐり、思考をクリアにしていく。コーヒー派だったが、たまには紅茶もありかもしれない。
「それは、金属の杭を射出する筒なんだ。弓と同じ遠距離武器で、けど全くジャンルの違うモノなんだ」
「筒、ですか?」
「そう。杭の底に破裂しやすい粘液を入れ、筒の中に入れる。筒の奥には、外から操作できる小さなハンマーがあって、それを利用して鉄の杭を叩く。すると火花が散り、粘液に引火。破裂した勢いは杭を突き飛ばし、筒の外へと勢い良く射出される」
「……え、っと。それで、その杭の威力はどれくらいで、どの程度の力を持った人が扱えるんですか?」
カルナの言葉を聞き、しばし悩んだノーラだったが、すぐに疑問を口にする。
ただ聞いているだけではなく、しっかり理解しようとしてくれている姿勢に、カルナは小さく笑みを漏らす。
自分が蓄えた知識や、思い描いた理屈を披露するのは中々楽しいものだ。熱心に聞いてくれる人がいればなおのこと。ニール辺りにやっても途中であくびとかするから、この手の会話ではあまり楽しめないのだ。
「杭の大きさと、粘液の量次第かな。どちらも大きく、多量にすれば威力は増すけど衝撃は大きい。小さく少量にすれば、もしかしたらノーラさんが扱える程度になるかもしれない」
無論、構造や金属の強度の問題でそこまで一気に小型化することは出来ないだろう。
むしろ最初は、ゴツイ見た目の大きなモノが作られるのではないかと思うのだ。無論、それらは技術の積み重ねで解決するだろうとは思うが。
「……鉄の杭を直接飛ばすから、威力は高いですよね。それこそ、大型の弓くらいには。でも、筒に入れて、爆発させて発射して、また中に入れて――っていう作業は、凄く時間がかかりますよね。連続で使っていたら、爆発の熱で筒も危ないでしょうし」
「そうなんだ。それに、それはなんとかなっても、爆発の音が大きいっていうのはどうすれば――」
連射性能と音は、カルナ自身の魔法でなんとかなる。
だが、カルナと同等の魔法使いで戦いを生業にする者が少ない以上、それで解決などとは言えない。
ならば、どうすればいい。
どうやって改良すればいいのだろう、と心を落ち着けるために紅茶を一口だけ飲み――
「え? それって消さないと駄目ですか?」
――首を傾げながら問うたノーラに、危うく吹きかけてしまいそうになった。
「そりゃ、駄目だよ。大きな音を響かせてたら、自分がここに居るって教えるようなモノだし」
「そういう場合は確かに問題ですけど、戦いの時に大きな音とか出しても問題ないんじゃないですか?」
「……え、ちょっと待って。なんで問題ないって思うの?」
ノーラは特別理解力が無いワケではない。
いや、先程のカルナの説明で『筒』の基本性能を理解出来る程度には理解力はあり、だからこそ説明するのが楽しかった。
その彼女が問題ないと言う理由を、ただの無知な小娘の戯言と断じることは、カルナには出来なかった。
「だって、ニールさんとか大声で叫んでるじゃないですか。あれって、意味があるからやってるんですよね」
「そんな――」
はずないだろう、とは言い切れなかった。
一年以上ニールの相棒をやっているが、しかし『お前なんで技の時に叫ぶんだ?』などと聞いたことは無かった。
聞いてどうなる、という部分もある。
だが、同時に理由があっても魔法使いの自分には関係がないと思っていたのではないか。
「……そうだな、それじゃあ本人に聞こうか」
「え、でもニールさん寝て――」
ティーカップを持ちながらニールのベッドに近づく。
幸せそうな顔で寝ている相棒の耳を掴み――耳穴に紅茶を流し込んだ。
沈黙の帳が、宿の一室に降りた。
「――ぃ熱ぅああっ!? な!? ぐあ、なんだ敵かモンスターか!?」
「や、ニールおはよう」
ベッドから転がり落ち、のたうち回るニール。しかしカルナはなんでもないといった顔で挨拶をする。
「え? あ、ああ、おはようカルナ。ところで一体何が――」
ニールの視線がカルナが手に持つティーカップに向けられた。
しばしの沈黙の後、現在進行形で耳の穴を焼く液体を指で触り、舐める。
「……紅茶の味だ」
「だろうね」
ぷちん、と。
脳内の何かが切れる音をカルナは確かに聞いた。
「かっ――――カルナお前ぇええええ! 喧嘩売ってるな売ってんだな残らず買うから表に出ろよこの野郎ぶっ殺す――ッ!」
「まあ、落ち着いてよ。別に無意味に起こしたわけじゃないから。それにほら、ノーラさんだっているんだからあんまり暴れないで」
ニールの耳に紅茶を注ぎ出した辺りで完全に硬直しているノーラを指さす。
それでようやく復帰したのか、慌ててこちらに駆け寄って来る。
「か、カルナさん何やってるんですか……!? そりゃあ怒りますよアレ! わたしだってやられたら怒ります!」
「普通にやっても起きないからね。宿の一室で魔法使うわけにもいかないしさ。実際、すぐ起きたでしょ」
「……それでっ、なんの用だよカルナっ」
「ニールさん、いいんですか? この場合、もっと怒ってもいいと思うんですけど……」
「こいつが滅茶苦茶なことやりだすのは、研究とかで取っ掛かり見つけてすぐ試したいか、煮詰まりすぎて暴走してるかの二択だ。なら、とっとと答えて今度メシでも奢らせた方がいいぜ」
「話が早くて助かるよ。それで、聞きたいことなんだけどさ」
「形だけでも反省しろよテメェ!」
ニールの叫びを無視して、ノーラに語った『筒』の機能を伝えていく。
それを面倒くさそうに聞いていたニールだが、しかし『筒』の爆発音云々、そしてノーラの考えを聞いて得心したように頷いた。
「――で、実際のとこ意味あるの、人心獣化流って叫ぶアレ。魔法の詠唱でも、転移者のスキルでもないし、発声が必要なワケじゃないだろ」
「技名とか叫ぶのは、まあ趣味みてぇなモンだけどな。それはともかく、叫ぶことに意味はある――っつーか立派な技だ」
「叫ぶことが技、なんですか?」
ノーラの疑問に、ニールは大きく頷いた。
「そもそも音とか声とか、そういうモンはどうしたって気になるだろ? だから、それに感情を乗せて相手をビビらせるんだよ」
そうやって緩んだ防御を剣技で砕くってワケだ、というニールの説明に、カルナは小さく頷いた。
モンスターの咆哮と似たようなモノなのだ。殺意や敵意を多量に含んだ大音声は、気をしっかりと持っていないと萎縮してしまう。
戦いではなくても、演劇における役者や舞台の歌手、商店の客引きなどもそういった声という音に感情を載せ、目的達成のための力として使っているのだ。
「だから、その『筒』? の音も、使い所が多少限定されるだろうが、問題ねえだろ」
大きな音と共に破壊をもたらすのであれば、それは十分に相手の心を乱す力となるだろう。
なにせ、威力も音も巨大なのは間違いないのだから。
「行ける――これはやれる。ありがとう、ノーラさん、ニール。僕だけじゃ考えつかなかった!」
「いえ、わたしは大したことをしてませんし」
「その礼は耳に紅茶流し込まれた分も含めて、一気にしてもらうから覚悟しとけよ。だがまあ……」
ニールはカルナの肩を軽く叩き、にいと笑った。
「気張れよ相棒、完成を楽しみにしてっからよ」
「言われなくても。完成後の僕の戦いぶりを見て腰を抜かさないようにね」
そう言って、ベッドの上に置いた設計図を集めようとして――ローブの裾を掴まれる。
「紅茶もクッキーも残ってますし、もう少しゆっくりしましょう」
「いや、でも今は――」
「どうせこの勢いで休憩無しで徹夜するんでしょう? その前に心も体もしっかり休ませないと、途中で倒れますよ」
本当は徹夜だって止めたいところですけど、止まりませんよねカルナさん――と苦笑するノーラに、見透かされてるなと僅かに頬を赤らめる。
「分かった――それじゃあ、もう少し一緒に居てくれるかな。一人だとやるべきことが気になって、逆に休めないよ」
「いいですけど、一人? ニールさんが……あれ、もう寝てる!?」
「ニール、あんまり夜には強くないから」




