61/ドワーフの王
筋骨隆々とした男だった。
ドワーフであるため、人間に比べればいくらか小柄ではあるものの、小さいという印象がまるでない。筋肉の塊のような人物だ。
豪奢な服を身に纏った彼は、地下国家アースリュームの王である。名を、ドラフ・アースリュームという。
壮年ながらも生命力に満ち満ちた彼の瞳は、鍛えた刃の如く鋭く細められていた。
視線の先には、二人の男がいる。
禿頭の騎士ゲイリー・Q・サザンと、金髪碧眼の騎士アレックス・イキシアだ。
彼らはアースリューム到着後、宿の確保を部下に頼み、二人でドラフの屋敷を訪問していた。
ドワーフの街は地中にあるため、そして風の流れを遮らぬために、大きな建物は少ない。ドラフの屋敷もまた、同様だ。
調度品などは豪華ではあるが、人間の価値観で言えば『そこそこ大きな家』程度の大きさでしかない。そのため、大人数で家を尋ねるのは、ドワーフたちの間ではマナー違反とされている。
ゆえに、今ここに居るのは騎士団の団長であるゲイリーと、副長のアレックスのみ。
二人はドラフに跪き、今回の訪問の理由を語っていた。
「――転移者討伐か。なるほど、確かに必要なことだろう。我々ドワーフも、長命の友も彼らには頭を悩まされている」
玉座に座す彼は鷹揚に頷く。
ならば――と表情に喜色を浮かべたアレックスを否定するように、ドラフは冷たい声音で言った。
「街の者には好きなように声をかけるといい。強要せぬ限り、我々はそれを咎めぬ――だが、兵は出せん。個人と交渉し、仲間に引き入れるのはいいだろう。だが、王の命令としてお前たち人間に力を貸せ、と命令するつもりはない」
国民がお前たちを助けたいと思うのなら国民の意見を尊重する。
しかし、国としてゲイリーたちを助ける気持ちはない――ドラフはそう言っているのだ。
「理由を聞いてもいいでしょうか?」
なぜ!? と問おうとするアレックスを手で制し、ゲイリーは淡々と問いかけた。
「では、問おう人間の騎士よ。騎士、兵士、冒険者――この連合軍の中に、誰か一人でも王族は居るだろうか?」
(……やはり、か)
ゲイリーは予想の通りであったために口をつぐみ、アレックスもまた二の句を告げられなかった。
「居らぬだろう。それが理由だ。我々は人間と交流は少ない――が、魔王を打ち倒した勇者には、その血族である人の王族に敬意を払っているつもりだ。彼らが戦うというのなら、こちらも手を貸しただろう」
だが、とドラフは冷めた眼差しで二人を見つめる。
「しかし、それはここには居ない。最前線で戦い、人を導いたが故に王となった者の末裔が、戦う素振りも見せぬ」
勇者として戦い人を導いた末裔が、この状況で誰一人として来ていないのはどういう事なのだ。
自分たちが出るまでもない小さな争いだと思っているのであれば、そんな戦に我々(ドワーフ)が手を貸す義理も無し。そんな戦に他種族の助力を求めるなど、ふざけている。
大きな争いになると思いつつも、死ぬのが怖いから戦いを避けているのなら――それこそ手を貸す義理はない。そんな臆病者の変わりに傷を負う趣味はないのだから。
どちらにしろ、ドワーフの中の個人ならともかく、ドワーフという種族がお前たちを救う義理はない。
「王が来るべきである、もしくは第一王子が来るべきである、などとは言わん。血を守るのも王族の務めであるし、王が死ねば政が滞る」
しかし、誰一人として来ていないのは違うだろう、と。
お前たちの王は、戦い、導いたが故に王となった者の末裔だろうに、何を城に引き篭もっているのだと。
誰かしら武芸を磨いている者は居ないのか?
力はなくとも、勇気を持って騎士たちと同行する者はいないのか?
結論は、どちらも否だ。
「勇者の子孫が臆病なものだな。それに仕えるお前たちに憐憫すら抱く」
「恐れながら、憐れまれるほど王は愚者ではありません」
「だが、賢王でも無ければ勇気があるワケでもないだろう。積み重ねた平和を維持する程度には、力はあるらしいがな」
その通りだ。
今のアルストロメリアの王族には力がない。
何代か前から王族が修めるべき武芸は形骸化しており、剣など式典の時でも無ければ腰に吊るすこともないのだ。
騎士や兵士、そして冒険者たちで十分だからというのもあるが――元々、アルストロメリアの王族には剣の才能はあまりないのだ。無才とは言わないが、平々凡々の才しか持ち合わせていない。
そのため、平和な時代が続く間に、武芸よりも内政の手腕が重要視されるようになり――現在の王族となったのだ。
無論、アルストロメリアの王族は無能でもなければ悪辣でもない。
善政を敷き、今まで培ってきた平和を維持し、かつ時代に則さない決まり事はゆっくりと改定し民が過ごしやすい国を運営している。それゆえに尊敬し、騎士を志す者は多いのだ。
「――そう睨むな。悪かったな、旅人や女王都に品を御ろしに行った商人などからの情報で、お前たちの王が尊敬されているのは理解している。しかし、どうにも我々の好みではないのだよ」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
無意識に険しい顔をしていたのだろうか。
ゲイリーは意識的に顔の筋肉を緩めながら首を左右に振った。
「しかしな、騎士よ。いくら尊敬されようと、あれは平時に力を発揮する者。情勢が大きく変わった時には古きモノを抱えたまま溺死する類の人間だぞ」
「……貴方は、これからこの大陸の情勢が変わると」
ゲイリーの言葉に、ドラフは「変わらぬはずがないだろう」と快活に笑った。
「転移者――長命の友たちの長老が若造だった頃には、既にちらほらと居たらしい。しかし、ここ数年は異常だ」
確かに、と言うようにアレックスが頷いた。
ドラフが語るエルフの長老が若者の時代などは分からないが、しかし十年程前には今ほど数は多くなかった気がする。
「創造神ディミルゴ――それがどのような考えであのような連中を招いているかは知らん。知らん、が――必要だから招いているのだろう」
自分たちを救うために招いているのなら、あの力が無ければ対抗できない事件が近づいている。
自分たちを害するために招いているのなら、レゾン・デイトルのような集団はこれからもっと増え続けることになる。
どちらにしろ、安寧とした平和が続くとは思えない――ドラフはそう言って己の拳を強く握りしめた。
「急に数が増えたのは、救うためにしろ害するためにしろ、我々にとっての危機が近づいているということだろう。
――だからこそ、王は強くなくてはならぬのだ。
我らドワーフの先代のように苛烈な戦士であり指導者を、長命の友であるエルフの長の如く知恵と知識に満ち溢れた者を、時代は必要としているのだ」
「……それは貴方たちの推論でしょう。もしかしたら、取り越し苦労かもしれない」
アレックスが声音に不快な感情を滲ませながら反論する。
大人になったと思ったが、こういうところはまだまだ子供だな、とゲイリーは内心でため息を吐いた。まだまだ、アレックスに騎士団を任せるわけにはいかない。実力はあるが、少々直情的過ぎる。
「否だ。否だぞ、金髪の騎士よ。
変わるぞ、世界は。神の手が無かろうと、事件など無くとも、我々の世界は変わり続けるぞ。
そもそも、我らドワーフにしろ、長命の友エルフにしろ、お前たち人間にしろ――この大陸のことと、東の島国である日向しか知らぬちっぽけな生き物だ。
いや、魔王大戦以前は日向すら知らなかった。
そこからもたらされた刀という剣に、当時のドワーフのプライドを傷つけたという。ああ、人間があのような細く鋭く美しい刃を打てるのか! とな。
あんな小さな島国でこれだぞ。今後、大陸を見つけ――そこに巨大な国があったらどうなるだろうな? 日向の比ではない人と文化が流れてくるぞ。好意にしろ害意にしろ、その連中は我々の文化を飲み込んでいくぞ」
その時、今の人間の王族に何か出来るかな、とドラフは楽しげに笑った。
馬鹿にしているワケではない。ただただ近々起こるであろう変化に期待し、興奮しているのだ。その姿は、誕生日を今か今かと待つ子供のようだ。
「だから、我は楽しみにしているのだぞ。
自分たちよりも強い力を持った相手に立ち向かおうとするお前たちが、変わる世界でどう動くのかを。鉄を鍛える炎のように熱い魂の行く末を!
その炎で未来という剣を鍛え、次代に託す! これこそが短命なる者の楽しみだ!」
呵呵と笑うドラフの思考は、異端なモノではなく、むしろ平均的なドワーフの死生観だ。
ドワーフの寿命はあまり長くない。短くて三十、どれだけ長く生きても五十に届くか届かないかという辺りで寿命を迎える。壮年であるドラフも、そろそろ寿命が近いはずだ。
その変わり、彼らドワーフは死ぬ直前まで体が衰えない。命の火が消えるその瞬間まで、苛烈に生き続けるのである。
「ああ、国民が羨ましいな。もし我が王でなければ、戦鎚担いでお前たちと共に転移者に戦いを挑んでいたというのに」
「ははっ、ではどうですか? ここらで次代に任せ、一ドワーフの戦士として自分たちと共に行くというのは」
「魅力的な誘いだが、答えは否だ。跡継ぎは居るし、教育も十分。すぐに引き継ぐことも可能だが――我は命の炎を最期まで王として消費したい」
戦士として生きるのも楽しそうだが、やはり自分は王なのだ、とドラフは楽しげに笑った。
◇
「どうかしたかい、アレックス。心ここにあらず、といった風だけれど」
ドラフの屋敷からの帰り道。
思い悩む――というより困惑しているアレックスに、ゲイリーは問いかけた。
「団長――ああ、いえ。ドワーフの王との謁見で……」
「最初と最後で印象が違った、かい?」
「ええ、最初は冷たい印象を受けたのですが、最後の方になるとむしろ焼けるような熱さしか感じられず」
どちらが本性なのだろうと悩み、そして悩んでも理解できない自分の未熟さを恥じていた。
「どちらも本性だよ、あれは」
謁見でこった体をほぐしながら、ゲイリーは笑う。
「ドワーフは感情的な種族だ、よくも悪くもね。だからこそ、こちらの王族が来ていない事実を知れば不満で態度は冷たくなるし、興が乗れば燃え上がる」
「そう言われると、子供のようですね」
「寿命がボクら人間と比べても短いから、耐え忍ぶ生き方よりも苛烈に自己主張する生き方を善としているからね」
この世に知恵持つ種族がドワーフしか居なければ、また別の思想に至っていたかもしれない。
しかし、彼らはエルフという長命の種族を知っている。自分たちの何倍以上生きる種族を知っているのだ。
だからこそ、己の生の短さを実感し、苛烈に生きることを選んだのだろうと思う。
「数日滞在しドワーフたちを口説き落とすことになるのだけれど――ボクらより、冒険者の方が得意そうだね」
なにせ、一番ドワーフの生き方に近いのが彼らだ。
無論、研鑽もせず日銭を稼ぐだけの冒険者は嫌うのだろうが、しかしここに居るのは良くも悪くも尖り、練磨された者たちだ。ドワーフの好みと合致するだろう。
「つまり――団長の鎧兜で雑炊を作った時期の自分の気持ちで行けばいいわけですね。とりあえず団長、かつての気持ちを思い出すために兜を貸し――」
「ハハハ――ぶっ殺すぞアレックス」
「団長、怖い! 怖いです団長! 冗談ですからその顔は止めてください! 周りのドワーフが逃げ出してますってば!」
さすがにこれからドワーフを勧誘するというのに、団長の自分が妨害になる行動をするのはまずい。
慌てて表情を整えようとするが、戻らなかったので仕方なく兜を被った。
「いや、悪いねアレックス。大事な品だからね、これは」
ゲイリーには親友と呼ぶべき友が居た。大陸西部の領地を治める貴族であり、神の奇跡を賜った信心深い男だ。
彼はよく「ゲイリー、お前は時代が時代なら勇者や英雄と呼ばれてた人間だよ」と言い、試練と称して厄介事をこちらに投げてきたモノだ。
その経験がゲイリーを騎士団長という地位まで引き上げたのだから、彼の目に狂いは無かったのだろう。
ゲイリーの纏う甲冑は、そんな彼がドワーフに多額の金銭を出して作らせたモノなのだ。
「――しかし、あいつは無事なのだろうか」
英雄には英雄に相応しい装備があるだろう、と言って身内だけでの団長就任祝いの最中に飛び込んできてこれを手渡したあの男。
彼が治めている領地は大陸西部の中でも更に西側――転移者がレゾン・デイトルという国を建国したと言っているあの辺りなのだから。




