59/少女が想う黄金鉄塊の騎士
「――そうだ、周囲の警戒を続けてくれ。転移者の組織だった襲撃の可能性は低いが、数人くるだけでも脅威だからな。仮にそれらしい人影を見つけても、決して一人で接触しないように」
「了解です、アレックス副長」
アレックスが騎士たちに指示を出しているのを聞き、ニールは「副長って思った以上に偉いんだなアレックス」と思いながら小さくあくびを漏らした。
転移者の襲撃から数日経った。
慌ただしい朝が幻だったかのように、旅は順調に続いている。
無論、食い詰めたモンスターや、騎士の強さすら理解していない野盗などと接敵することはあったが、あの程度では脅威にすらならない。
大陸最強勢力の騎士団に、騎士には劣るものの十分な戦力を持つ兵士たち。そして実力のある冒険者が集まっているのだ。よっぽどの化物が出ない限り、死人どころか怪我人すら出る余地がない。
(隙を狙ってる――ワケじゃねえな)
転移者が来る可能性がゼロでないため、あくびをしつつも周囲を警戒する。その最中、ニールは転移者たちが奇襲して来ない理由を考えていた。
転移者の多くは現地人を見下している。
無論、全員ではないだろう。
連翹のように多少傲慢さが残っていても対等に接する者は居るし、力を使わず村人に溶け込む者も居るらしい。もっとも。後者に関しては他の冒険者や騎士からの伝聞で、ニールが直接見たわけではないのだが。
しかし、レゾン・デイトルに属し街を占領した転移者の多くは、現地人を同じ人間だと認識していない。
蟻を踏み潰して心が痛まないのと同じだ。自身よりも圧倒的に下位の存在に対し、同族と同じ感情を抱けというのは無理な話だろう。だからこそ、簡単に踏みにじれるのだ。
(だから奇襲狙いじゃなくて、待ち構えて一網打尽にするつもりってワケだ。黙ってても俺らは来るし、探す手間も省ける)
絶対に勝てる以上、奇襲も兵糧攻めも無意味だ。むしろ、そんなことをして敵対者が恐れて逃げ帰られる方がダメージが大きい。レゾン・デイトルの転移者は、そう考えているのだろう。
そもそも最初の襲撃だって、自分たちを倒すというよりもレゾン・デイトルの在庫処分という側面が強かったらしい。
だからこそ、相手は弱かったし、全員無事だったのだ。
(やっぱあいつら――根本的に現地人を舐めてやがる)
その事実に苛立つものの、ニールは少しだけ安心していた。
普段なら全力で襲撃を仕掛けてきても望むところなのだが、今は駄目だ。
「グラジオラス、明日には地下国家アースリュームに辿り着く。その時に新たな剣を探すといい」
部下に指示を出し終えたのか、こちらに近づいて来たアレックスはニールの腰に吊るされた剣に視線を向けた。
「ああ。実際、この剣じゃ弱いモンスターくらいとしかまともに戦えそうにねえ」
剣を悪く言うのは趣味じゃねえけどな、とぼやきながら鞘から剣を抜く。
現れ出たのは、分厚いだけのナマクラな刀身。それは転移者の襲撃があった日、すぐに近場の村で格安で譲ってもらった剣だ。
自警団の男が予備に持っていたというその剣は、手入れもあまりされず納屋に放り込まれてたモノである。
お前もうちょい剣を大事にしろよ、と説教したくなるほど放置されていた剣だが、ニールが軽く手入れをすると元々の頑強さのおかげか最低限の性能は発揮した。
もっとも、性能を発揮しても元々が安物のため、たかが知れているのだが。
「ま、細身の安物じゃなくて良かったぜ。こいつはナマクラだが、頑丈だしな。脆い剣はいつ砕けるか分かったもんじゃねえし」
頑丈な数打ちの剣、と考えれば優秀ではあるのだろう。
けれど、ニールは切れ味が鋭く、そして軽い剣が好きなのだ。
人心獣化流が動き回る流派なため、重い剣だと足かせになってしまうからだ。
だが、転移者のように硬く強い敵を相手にするには、その上でさらに刃こぼれし難い頑丈な剣が必要である。
だが、そのような剣など名剣の類であり、ニールのような無名の剣士が手に入れられるモノではない。値段が高い云々ではなく、そんな剣を打てる鍛冶師がニールのような剣士を相手にしないからだ。
ドワーフの国である地下国家アースリュームに行っても、自分が求める剣を得られるかどうか不安に思う。
「良い剣良い剣って、なんでそんなにこだわるのよ。弘法筆を選ばずって名ゼリフを知らないワケ?」
会話が聞こえていたのか、後ろからとてとて歩み寄りながら連翹が言う。
振り返りながら、ため息を一つ。連翹の言葉は毎度の事ながらよく分からない。
「知らねえよ、お前の世界の常識を当然の如くこっちに押し付けんな。誰だよコウボーってのは」
「え……? あー、たぶん絵描きだったんじゃないかしら、知らないけどきっとそう。というか、弘法とかどうでもいいのよ。重要なのは、名人はどんな道具でも立派な仕事をするって言葉の意味よ!」
お前コウボーに謝れよ、ことわざになるくらいにはすげぇ偉人だろきっと――と思ったがやめた。剣士の偉人ならまだしも、絵描きの偉人には興味はない。
そしてそもそも弘法は絵描きですらないのだが、それを追求できる者はここには居なかった。
ニールは剣を鞘に収めつつ、「名人ねぇ」と呟く。
「だったら俺には意味ねえ言葉だな。別に俺、名人でもなんでもねえし」
剣は好きだし、目指すなら最強の剣士だとは思っている。
だが、同時に自分にそこまで才気があるとは思えない。
ニールは自分の才能を『そこそこ優秀』止まりだと認識しているのだ。
その自己評価が妥当なのか過小なのか過大なのかは分からないが、確かめるにはもっと鍛錬をして上を目指すしかない。
「……あれ? この辺りで俺は最強剣士云々で怒り狂ってくると思ってたのに……貴方は誰!? ニールをどこにやったの!?」
「テメエ怒らせる前提か! スカートめくり上げて上で結んでパンツ大開帳してやんぞ!」
「なにその昭和の匂い漂う攻撃……! いいわ、かかってきなさ――」
「グラジオラス、片桐」
ニールがスカートに跳びかかろうとし、連翹がそれを迎え撃とうとした矢先。
アレックスが氷の刃めいた鋭く冷たい声で言った。
「……二人とも、私語程度は止めない。しかし、警戒を忘れて騒ぐならこのまま放り出すぞ」
「わ、悪い……ほら、連翹お前も謝れ!」
「そ、そうね。ご、ごめんなさいね、アレックス」
アレックスは真面目ではあるが、堅物ではない。
そのため、仕事をちゃんしている限りこちらの行動は咎めない。こちらが冒険者であり、規則に縛られ慣れていないから大目に見ているというのもあるだろう。
しかし、だからだろう。こういう人がちらりと怒気を放つと、常日頃から怒鳴っている人よりも怖い。連翹なんて、親に怒られた子供のように小さくなっている。
「……まあ正直、敵はあまり来ないしな。多少の会話やサボりくらいは目をつむる。だが、完全にサボるなら、立場上自分は注意しなくてはならないからな、気をつけてくれ」
ため息を吐くアレックスだが、その表情は怒りや呆れよりも懐かしさや微笑ましさが強い。困った弟や妹の世話をする兄の気分なのだろうか。
まあ、本気で怒ってたらこの程度の怒気じゃねえだろうな、とニールは安堵の息を吐きつつ辺りを警戒する。
「……でも、暇なのよねぇ。ねえ、街の外はフィールドみたいなモンでしょ? こんな大人数で移動してるわけだし、ぽんぽんモンスターとエンカウントして暇潰せると思ったんだけど」
「街道でモンスターにぽんぽん遭ってたら物流とか完全に止まるだろうし、武装した大人数襲うのは人間もモンスターも頭悪い奴だけだっての、ホント馬鹿女だなお前。……つーか街の外は平原ってどういう意味だよ、妙な言語使いやがって」
「はーん? あたしが馬鹿女なら貴方なんて頭に剣しか詰まってない脳なし剣男じゃない」
「……な、なんだお前、脈絡も無しに褒めんなよ。照れんだろ」
「ちょ、待って! ねえ待って! この場合、貴方が脈絡無しに照れてるだけだと思うの!」
ああテメエ脈絡無しってどういう意味だ剣のことナメてんのか。
そう言おうとして、止めた。先程アレックスに釘を刺されたばかりだというのに、全てを放り出して延々と喋ってしまいそうだ。
「つーかよ。暇だってんなら、お前の世界の偉人について教えろよ。暇つぶしの会話のネタくらい自分で投げやがれ」
「え? ええっと……そ、その手の話はつまらないから別の話にしない? べ、べつにね、別に、分からなかったり、うろ覚えだったりするワケじゃないのよ? 歴史とか苦手だったとかそういうのじゃないのよ?」
視線を逸らす連翹だが、その手の知識がないのは先程のコウボーで察している。
「いつだったか言ってたろ、お前の珍妙な方言が尊敬する英雄の訛りだとかなんとか」
「訛りだなんて浅はかさが愚かしいわね、これは立派な言語よ」
「いやまあ、よく分からねえけどよ……だが、一応そいつも騎士だし、真似てるお前の武器が剣ってことは剣使いなんだろ? 異世界の剣士について興味があんだよ」
この世界におけるリック・シュロのような剣士が連翹たちの世界にも居るなら、ぜひその話を聞いてみたいと思うのだ。
語り継がれる英雄の軌跡というのは、やはり心が踊る。その人物が自分と同じように剣を振るっているのなら、尚更だ。
ニールの言葉に連翹は納得したように頷き、しかし困った顔で唸り出した。
「といっても、黄金の鉄の塊の騎士って実在の英雄じゃないのよね……」
「つーことは、物語の英雄ってことか」
「ううん、近いけど違うわ。当初はただの頭おかしい人も妄言ってだけだったし」
物語ではなく、顔も見えない誰かの妄言が発端だったの、という言葉にニールを首をひねった。
話を聞く限りでは英雄ではなくただの道化師に思えるのだが、語る連翹の顔はリックを語る時の自分のように輝いている。
「最初はただ、変なこと言ってるだけの人だったのよ。現実に則さない妄言を垂れ流して、けどその妄言が妙にウケて広まった――ただそれだけだったの」
実在の英雄でも、架空の英雄でもなく、ただの狂人の狂言。
騎士でも剣士でもない、顔を見せていない誰かの珍妙な言葉。
これだけでは、憧れる意味が分からない。
「でもね、その妄言を聞いた人間が容姿を想像して、色々な過程を経てキャラクター化していって――いつの間にか『皆を守る騎士』である彼が産まれ、物語がたくさん紡がれたの」
虚言であり狂言でしかなかった存在は、いつしか白銀の鎧を纏った騎士の姿を生み出したのだ。
珍妙な言語を扱う、盾の騎士。謙虚と自称しながらも、どこか傲慢な――けれど仲間を守ることだけは妥協しない冒険者の姿を。
「最初はただ妄言だった。けど、色々な人と共に成長して行った彼という偶像は最初の妄言を真実にし、皆を守る盾の騎士として慕われる存在になった。ね、そう思うと凄く格好良くない?」
「嘘を貫いて本当にしたってワケだ。……確かに、そう考えると悪くねえな」
実在の英雄ではない、
架空の英雄でもない、
狂人の虚言が様々な人との出会いを経て、架空の英雄に至った。
そう考えると、物語の外で行われた立志伝のように思えて、中々悪くない。
(ま、後半に関しちゃ連翹の思い込み――つーか思い入れがあるからストーリーを妄想してるだけなんだろうがな)
だが、楽しそうに微笑みながら好きな英雄を語る彼女に、水を差したくはない。
自分だってリックのことを語っている時に水を差されたら嫌だ、というのもあるのだが――それ以上に、楽しそうに微笑む連翹をもっと見ていたかったからだ。
「だからね、あたしエルフの国に行くの楽しみなの! せっかく異世界に来たのに、エルフって中々出会えなくて! ねえ、いつ着くの!? ふぁあああテンション上がってきた……!」
「落ち着けよ、馬鹿女。つーか、森林国家オルシジームの前に地下国家アースリュームに行くって言ってたろ」
なんか妙に自分の頬が熱いな、と首を傾げながら顔を拭ったニールは、テンションが天元突破し始めている連翹に釘を刺す。
楽しそうにしているのはいいが、さすがにここらで正気に戻しておかないと仕事に支障をきたしそうだ。
「ああ、そっか。そうだっけ……ドワーフって土臭くてキレやすいチビマッスル集団っぽくて興味ないなぁ」
「……連翹、お前それ国に入ったら言うんじゃねえぞ。連中、頭に血が上るのすげー速いからな」
何がまずいって、大体間違っていないのが一番まずい。
地下で暮らしているドワーフが土臭いのは当然だし、狭い洞窟でも移動しやすいようにという創造神の配慮のためか、みんな小柄だ。そして金属を運び、鍛えることを得意とするため、ドワーフの男は皆筋肉質である。
そんな彼らは、そういう生き方に誇りを持っているため、下手にそれを傷つけるようなことを言ったら周りを巻き込んだ大喧嘩になるだろう。
「ドワーフって偏屈っぽいイメージあるしねぇ……うん、分かったわ。そこで一歩ひくのが大人の醍醐味って奴だものね」
「大人の醍醐味云々は知らねえがな」




