58/カルナとノーラ
「そんな酷い顔をして、だっていうのに何でもない風を装って――どうした、はこっちのセリフですよ。どうしたんですか、カルナさん」
その言葉に、カルナは何も返せなかった。
問題ない、大丈夫、心配いらない――そんな言葉で納得するとは思えなかったし、けれど別の言葉も思い浮かばない。
ゆえに、無言。気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「黙ってちゃ、何も分かりませんよ」
「……いや、さっきも言ったけど大丈夫。なんでもないよ」
「なんでもない人はそんな顔しませんっ」
うるさいな、放っておいてくれよ――口から出かけた言葉を、無理矢理それを飲み込む。
ノーラが心配して言ってくれているのは理解している、だからそんな邪険にするような言葉を吐くことなんて出来ない。
彼女を傷つけるだろうし――何より、そんな情けない真似して失望されたくないのだ。
だから、無理矢理表情を緩め、ノーラを安心させるように微笑む。
「だから――」
「大丈夫です」
問題ないよ、と。
言い切る前に、己の体を優しく抱きとめられた。
予想していなかった行動に、自身を取り繕おうとして考えた言葉が、困惑の吐息と共にぽろぽろとこぼれていく。
「少し駄目なところを見せたくらいじゃ、失望なんてしませんよ。ニールさんも、たぶんレンちゃんも、もちろんわたしも」
「な――」
何を言ってるんだ、と取り繕うとしたのか。
何で僕が考えていることが分かったんだ、と本心を吐露しようとしたのか。
カルナ自身、どちらなのかを理解できないかった。
だが、ノーラは後者だと判断したのか、親が子に見せるような優しげな笑顔でカルナの顔を見つめる。
「分かりますよ、今のカルナさん、意地っ張りな子供と同じですから。痛いのに痛くないって強がってる男の子と同じですから」
「……僕は、もう子供って歳じゃないんだけど」
「子供じゃない、って言葉は子供の言葉ですよ、カルナさん」
からかうように笑うノーラに上手く反論ができない。
母親や年上のお姉さんに勝てない子供のように、悔しさと気恥ずかしさが生まれる。
きっとそれは、心から自分を案じている人にやさしくしてもらっているから。
「意地を張るのも大切ですけど、張りすぎるのも問題です。わたしじゃあ悩みや不安の解決策を出せませんけど、それでも話を聞くくらいはできるんですよ」
「そりゃ、そうかもしれないけど」
けれど、悩みを話して楽になるのは、相手に悩みの一部を渡して支えさせているからに過ぎない。
結局悩みの総量は変わらず、相手に負担をかけるだけ。だから、嫌なのだ。
それは結局、一人で荷物を支えきれない弱さの証明であり、他人に支えきれない分を放り投げる無責任さの証明であるように思えるから。
「……もちろん、弱音や愚痴ばかり言う人もどうかと思いますけど。でも、周りの人を無視して一人で抱え続けているのもどうかと思いますよ」
未だ口を噤んだままのカルナに、ノーラは困った弟を相手するように微笑んだ。
「それにカルナさん。もしも自分が一人で戦う手段を手に入れて、逆にニールさんが剣で戦う手段が思いつかずに悩んでいたら――そんな時にニールさんが助けを求めてきても、失望なんてしないでしょう?」
その言葉に、今の自分のように悩むニールを想像する。
自慢の剣が届かず、カルナの魔法が活躍する状況。自分が足手まといになるのではないか、という不安に表情を歪めるニールの姿。
ああ、きっと放ってはおけないだろう。しかし、同時に自分から声をかけることも出来ないだろうな、とも思う。
彼を焦らせている要素が自分にある以上、心の整理がついていない状況で近づいてもニールを追い詰めるだけに思えるから。
そんな中、ようやくニールが声をこちらに向けて弱音や愚痴を吐いたら、失望どころか逆に安堵するだろう。
ようやっと心の整理がついたか、と。
剣に関しては無頼漢ではあるが、心の負担を軽くしてやろう、と。
「……僕ならそうかもね。でも、ニールもそうだっていう保証は」
「ありますよ、性格も戦い方も違いますけど、ニールとカルナさんは凄く似たもの同士なんですから」
だから、心配しなくていいんですよ。
ノーラはそう言って花のように笑った。
「そう――なのかな」
「そうなんです。……まあ、わたしはもちろんニールさんやレンちゃんも魔法の知識は全然ないので、根本的な解決は出来そうにないんですけどね」
なのに偉そうなこと言っちゃってごめんなさい、と抱きとめたままだったのを思い出したらしいノーラは、慌てて距離を取り頭を下げる。
カルナは密着していた柔らかい感触が無くなったことを少しだけ残念に思いつつ、首を横に振った。
「ううん、ありがとう。僕はもう大丈夫――とまでは胸張って言えないけどさ。でも、だいぶ落ち着いたよ」
「いえ。わたしはまだまだ、カルナさんたちに恩を返せていませんから」
恩? と首を傾げると、ノーラは「ええ」と小さく頷いた。
「ここに来るまで、わたしはカルナさんやニールさん、レンちゃん。それ以外にも、色々な人たちに助けられて来ました。けどその中でも、最初に出会った日。あの時にカルナさんたちと出会って居なければ、わたしは今ここまで辿り着いていなかったと思うんです」
「そんな大げさな。そりゃ、旅慣れてない女の子の一人旅は危険だけどさ」
「そうかもしれませんけど――でも、次の日の朝に、レンちゃんに絡んでいる男の人たちが居たじゃないですか。当時はガラの悪い人がいるんだな、としか考えてなかったんですけど――今考えてみると、あれってレオンハルトさんや他の転移者に違法奴隷を渡している人たちなんじゃないかなって思うんです」
そういえば、そんなことがあった。
連翹に絡んでいた男たちが、邪険に扱われたことに腹を立てて暴れたのだ。その時の衝撃で朝食の目玉焼きが巻き込まれ、怒り狂ったニールが乱闘に介入したのだった。
「どうなんだろうなぁ。かもしれない、とは思うけど」
確かにあの男たちの戦い方は、複数人で一人を追い詰め捕縛することに特化しているように思えた。
思えたが、それだけだ。よくよく考えればそれっぽいだけで、証拠は何一つとして存在しない。
「けど、もし本当にそうだったら。もし、カルナさんやニールさん、レンちゃんに出会わずレオンハルトさんの元に運ばれて奴隷扱いされたら――死んでますよ、わたし」
「……それは、そうだね」
殺されるまでの過程を想像してしまい、カルナは思わず表情を歪めた。
連翹がモンスターを蹴散らす姿を見ていないから、転移者という存在をよく知らないから、隙を見て逃げようとして殺されていただろう。殺された町娘たちと同じように。
「でしょう? 他にも、レンちゃんと色々話したから演技することを思いつけたし、ニールさんやカルナさんと一緒に居たからすぐに助けに来て貰えた。マリアンさんにわたしに合う武器を教えて貰えたから、脱出前の奇襲もあまりためらわずに上手く行った――ね? 全部わたし一人じゃ無理なことでしょう?」
威張って言うことじゃないですけどね、と苦笑しながら頬を掻くノーラ。
「一人で頑張るのも大事ですけど、人間一人で出来ることなんて限られてますから。だからカルナさん、貴方はもうちょっと色んな人に頼ってもいいと思いますよ」
「ありがとう、ノーラさん。けど、それでも僕は――」
「自分の足で立ちたい、ですか? それでいいと思いますよ。ただ、自分の足で立てるようになるまで、支えて貰うんです。ニールさんだって、今はカルナさんの魔法に支えられて剣を振るって、転移者に勝ったじゃないですか」
支え、支えられ――人間ってそういうものでしょう? と。
ノーラのその言葉に、呼吸が止まった。
簡単な、子供でも分かりそうな理屈。しかし、それはカルナの中に無かったモノだ。
(立てるようになるまで支えてもらうか――ああ、考えてみれば)
ずっと支えられたままで終わるなど、誰が決めたというのだ。
「……なんだ、そうか。色々理屈をつけてたけど――結局、僕は弱気になってただけなんだ」
転移者との二戦で、ニールが活躍し自分が大して活躍できなかったから、不安になっていたのだ。
自分はもう活躍できないのではないか、
もう一人では何もできないのではないか、
こんな有り様の自分を相棒は見捨てるのではないか、と。
「そこを突かれた程度で裏切ろうとするなんて、間抜けにも程があるな」
雑音語り(ノイズ・メイカー)と名乗った男を思い出す。
落ち着いてしまえば、彼の言葉に惹かれるモノなど何一つない。弱っていたから心に響いただけで、本質はただの雑音だ。
「……行こう、ノーラさん。みんなの所に」
「ええっ、そうですねカルナさん」
さすがに留まりすぎた。これ以上迷惑も心配もかけたくはない。
ノーラと共に野営地へ戻ると、既にブライアンが状況説明を終えていたのか、複数人が朝食を取りつつ議論を交わしている。
そんな中で、腕を高く上げて自己主張をしている男が一人。ニールだ。
「おっ、カルナ。無事みてぇで何よりだ」
「なんとかね。ごめん、心配かけた」
ニールと連翹が居る場所に歩み寄る。
ニールの側には、四人分の朝食が置いてあった。
メニューは村から少し分けてもらったらしいパンとベーコン、そして野菜のたっぷり入った塩味のスープである。どうやら、少し前にニールか連翹がか取ってきてくれたらしい。
「ノーラ! ねえノーラ大丈夫!? なんか戦闘後はムラムラするとかそういう話を聞いたような気がするけど、カルナと二人っきりでなんか変なことされなかった!?」
連翹がノーラに朝食を手渡しながら酷い風評被害を周囲にばら撒いているが、さすがに色々あって疲れているため、突っ込む気になれない。
「変なことなんてされてません――あれ、でも、この場合、逆にわたしがした側になるのかな」
微笑みながらフォローを入れようとしたノーラだが、その瞬間を思い出したのか気恥ずかしそうに俯く。
その言葉と反応に、連翹は「えっ」と呟き体をぷるぷると震わせた。
「な、なにそれ怖い、最近の子進んでるぅ……! だ、ダメよノーラ、そんな狼の前で生肉のドレス着て踊るような真似したら! いつかぱくりといかれるわよ!」
「レンちゃん、レンちゃん! あんまり大声でそういうこと言わないでください! 思い出したらちょっと恥ずかしいんですよぉ!」
かしましく騒ぐ二人を見て、カルナは微笑む。
すでに日常になっている騒ぎに、心が安らいでいく。港街ナルキでヤルとヌイーオたちと酒を交わした時に近い安らぎだ。
「ニール」
その情景を見つめながら、カルナは呟いた。
後に回せば回すほど、気恥ずかしくて言いにくい事柄だ。なら、このタイミングで一気に言ってしまった方がいい。
「んあ? ……っと、どうしたカルナ」
口の中にパンを突っ込んでいたニールは、しばし無言で咀嚼した後にこちらに視線を向けてくる。
「まだまだ僕の力は転移者に及ばない――一人じゃ、何もできない」
だから、
「少しだけ、君を頼ってもいいかな」
「ハッ――今更何言ってんだカルナ」
「俺はお前を頼りにしてるし、お前は俺を頼りにしてくれてる――今までとなんも変わらねえだろ。少しなんざ水くせえよ、がっつり頼ってこい。俺の出来る範囲で助けてやる」
「そっか……そうだね。うん、これからもよろしく頼むよ、相棒」
「おう、任せろ相棒」
互いの拳をぶつけあって想いを再確認し、無言で食事を再開する。
頬が微かに熱いのは、こんな簡単なことも分からなかったという恥ずかしさか、真っ向から向けられる親愛に対する照れだろうか。
「ねえ、なんかカルナ男同士で頬赤らめてるんだけど! ねえ、これ本当にホモとかバラとかBLだったりするんじゃなあああああ! あたしのベーコンがぁ! パンに載せて食べるつもりだったのにぃ!」
「慰謝料として貰って行くからね! ホモだとかそういう疑いはニールだけにしてくれないかな!」
「おいカルナお前ぇ! 今ナチュラルに俺を売りやがったな! 表出ろ、ぶっ殺してやる!」
「ニールさん剣にヒビ入ってるって言ってたじゃないですかぁ! なんで煽ってるんですか、というかカルナさんもそんな子供みたいな真似しないでください」
「そうよね! 相手の皿から食べ物取るなんて子供のやることよね! ところでノーラ、貴女が大人だと見込んでそのベーコン――」
「……!」
「――を、ってちょっとぉ! 冗談よ、全力で逃げることないじゃない!」




