55/蹂躙
――それは、一言で言ってしまえば消化試合であった。
勝つべき者が勝ち、負けるべき者が負ける。ただそれだけの話だ。
一人の男を、複数人の騎士や兵士が囲んでいる。逃さぬように、場合によっては戦う者に加勢するために。
その中心に、四つの人影があった。
一つは金髪碧眼の美丈夫、騎士アレックス。
二つ目は茶髪に屈強な肉体を持つ大男、兵士ブライアン。
三つ目は赤色のポニーテイルを靡かせた凛々しい顔つきの女、女騎士キャロル。
「糞! いい加減にくたばれ、蝿どもが!」
そして、不健康なまでに細身な男――転移者だ。
彼らを包囲する騎士たちは、剣を構えたまま、じっと動かない。
しかし、もし転移者が下位スキルで包囲を破壊しようとすれば、複数人でそれを受け止めるだろう。上位スキルで纏めて吹き飛ばそうとすれば、包囲の中に居る精鋭三人がその発動を潰す。
三人の内の誰かが大きな傷を負えば、包囲の中から交代要因が飛び出して戦闘を維持する。そして治癒の奇跡を習得した者が傷を癒し、また交代。
派手な技を使うわけでも、高威力の魔法を使うでもなく、相手の大技を潰しながら小さなダメージを蓄積させていく陣形だ。
騎士らしくない戦い方ではあるが、致し方ないとアレックスは思う。
なにせ、相手は転移者だ。剣に自信のある自分や、大柄で筋肉もあるブライアンでも力負けするような相手なのだ。油断も慢心も出来ない。
「死ね! 『スウィフト・スラッシュ!』」
彼が放ったのは、神速の三連撃である。
上下のコンビネーションで相手の防御を崩し、無防備になった体に三発目を叩き込む――そんな理屈で構築されたスキルなのだろうな、とアレックス・イキシアは思った。
「いいや、その程度じゃくたばってやれねえな!」
そう言って前に出たのは、アレックスが女王都に来た時からの友人であるブライアン・カランコエだ。
大柄な体躯に分厚い鎧を纏った彼は、初撃を長剣で弾き、追撃を鎧で防ぎ、三撃目を余裕を持って回避する。
「ブライアン! キャロル!」
「言われなくても、だ!」
「任せなさい!」
絶対の自信を持っていたスキルを何度も防がれ、苛立ったガリガリの男がブライアンに突っ込む。
その隙を突くように、赤髪のポニーテイルを靡かせ、キャロル・ミモザが突貫した。
ブライアンに向けられていた転移者の剣の腹。キャロルはそこに自分の剣を合わせ、滑らせるように振るう。ぎゃりん、という金属が擦れる嫌な音を響かせながら剣は進み――柄を握る指を撫でるように裂いた。
「痛ッ、この、女……!」
致命傷ではない、戦闘に支障が出るダメージでもない。けれど、自分に傷を与えた存在には、どうしても注意を払ってしまう。
その瞬間、アレックスは駆け抜け、剣を振るった。
(狙うは――右腕だ!)
流れるような動作で振り下ろした刃は、細い腕に喰らいつき、切り裂き、両断する。
頭部の破壊を狙わないのは、この男から情報を抜き出すためだ。
出会った瞬間、この転移者は自分の素晴らしさとそれを見抜けぬレゾン・デイトルの上位者たちへの侮蔑、そして数人の駒と共に戦果を上げるためにここに来たと語っていた。
典型的な小物だ、あまり有用な情報は持っていないだろう。
しかし、些細の情報でも自分たちが勝利するための鍵になるかもしれないのだ。
(グラジオラスがキャロルに語ったように――な)
彼の言った話は、要約してしまえば『相手は人間ではないのだから、人間のつもりで相手をしたら失敗するのは当然』というモノだ。
身体能力もスキルの力も、人間の延長としてしか考えていなかった自分たちにとっては、耳が痛い話である。
だが、それさえ知ればこの程度の相手、苦戦する理由もない。身体能力が高かろうと、スキルが直撃すれば即死する危険があろうと――その程度で負けるほどアルストロメリアの騎士は惰弱ではない。
「さあ、これでまともに武器を扱えないだろう。悪いことは言わない、投降――」
アレックスは男の鼻先に剣を突きつけながら宣言する。
両手で使っても届かなかったというのに、片手で届くとは思えない。魔法のスキルも、この距離なら発声するより剣で突き刺す方が速い。
ゆえに、アレックスが男の行動を二つだけ予測していた。
一つは、その理屈を理解できず反撃してくること。
もう一つは、敗北を認め投降すること。
「あ、がああああああ!」
どちらかと言えば前者の方が可能性が高いだろうか。
そんなことを思っていたアレックスの予想を裏切り、男は第三の選択肢を選んだ。
「痛い、痛いいいい、腕、おれ、お、おれの腕がぁ! 腕がぁあ! 利き手、おれ、おれの利き手がぁ!」
泣き叫びながら腕の切断面を抑える。流れる血液と、それ以上に腕が切断されたことに対して恐怖と絶望を抱いている、そんな絶叫だった。
(……罠か?)
その声を聞いて、アレックスが抱いたのは困惑だった。
何を叫んでいる? 何を絶望している? たかだか腕が一本落ちただけではないか。
前衛の戦士なら四肢欠損するダメージは慣れ親しんだモノだし、治癒の奇跡で繋ぐこともできるし、生やすこともできる。
ゆえに、アレックスには分からない。この男がなぜ、そんなに痛みに泣き、腕を落とされた事実に絶望しているのかを。
「――ブライアン、キャロル! 予定変更! 何かされる前に殺すぞ!」
「仕方ねえよな、いいぜ任せろ!」
「妥当な判断ね、いいわ!」
「い、あ、え? 待っ」
なんでこんなに泣き叫んでいるのに警戒しているんだろう?
それを質問する暇も、三人の勘違いを訂正する間もなく、三つの刃は頭部、胸、腹部を刺し貫いた。
「なん、で……痛い、痛……」
血を流しながら生命活動を停止していく姿を見つめ、命が絶えたことを確認すると三人は剣を鞘に収めた。
「……どう思う?」
アレックスは二人に、ブライアンとキャロルに問いかける。
「あの程度のダメージで泣き叫んだのは罠としか思えないが、罠らしきモノは見つけられない――もしかしたらアレは、本当に痛みで悲痛な声を上げていたんじゃないか?」
「まさか。さすがに無いでしょ、それは」
キャロルは『何を言ってるんだコイツは』という感情を隠さない半眼でアレックスを見つめる。
「あの程度の痛みなんて、前衛やってる奴なら余裕で耐えられるモノじゃない。そりゃ、普通の町娘なんかがいきなりああなったら取り乱すかもしれないけどね」
「……そうだな。すまん、変なことを聞いた」
「いや、アレックスの推測、当たってるかもしれねえぞ」
ブライアンは鎧の損傷をチェックしながら、二人に語りかけた。
「オレと一緒にいたみのるって奴も、転移者らしくすげぇ強かったんだが――ペーパーナイフで指切った程度で半泣きになってたぞ」
「……それは軟弱過ぎると思うのだが」
「まあな。見た目も性格も軟弱だったし、ファンタジー云々とか言いながら戦いたがってはいたが、戦いとかより街の中で作業する方が合ってるような奴だったよ。……思うに、大小はあれど、転移者の連中ってそういうモンなんじゃないか?」
ブライアンは言う。
そもそも、転移者は町娘程度には戦いに無縁で、傷や痛みに対する耐性がないのではないか、と。
「それって有り得るの? そもそも、よっぽど体が弱いとかでも無い限り、男なら自警団なんかと一緒にモンスターを倒したりするものじゃない」
モンスター退治は基本的に騎士や兵士、冒険者の仕事だ。村人に人工ダンジョンに入りモンスターと戦う力はないのだから。
しかし、ダンジョンでの生存競争に負けた一部のモンスターが、食い詰めて人里に向かうことは少なくない。
だが、それは大した脅威にはならない。生存競争に敗れる程度の弱いモンスターであり、その上、満足に食事も出来ていない連中だ。むしろ、村の大人たちは、それを『若者たちにモンスターの怖さを教えるための教材』として用いられる。
そこで何度か怪我をして、痛みの耐性とモンスターの恐怖を学んでいくのだ。
「忘れたのかよキャロル。連中、そもそも別世界の住人なんだぜ」
「……そっか、そうね。モンスターみたいな外敵は、専門職しか戦えないみたい決まりがあるのかもしれないわね」
「片桐に聞いてみれば一発だが――転移者は皆、元の世界のことをあまり語りたがらないからな。望み薄か」
三人には分からない。
平和になったとはいえ、モンスターが存在し、年に何人か食われて死ぬような世界に生きる彼や彼女には分からないのだ。
地球にモンスターなどいないこと。
戦乱がないワケではないが、日本人の若者は争い事など無縁であり、場合によっては殴り合いの喧嘩すらしていない者がいることを。
可能性に気づいていないワケではない。
だが、
(仮にモンスターも存在しない平和な世界に住んでいたら――この世界に憧れる理由もないだろうしな)
モンスターの脅威を知る彼らには、平和な世界に産まれながらモンスターとの殺し合いに惹かれる者の気持ちなど理解できないのだ。
(ゲイリー団長か、片桐と中の良いグラジオラスたちに聞けば分かるかもしれないが――いや、今考えるべきはコレではないな)
アレックスは首を左右に振り、思考を打ち切ると周囲の気配を探る。
戦闘の気配は二つほどあったが、どちらも静止している。
そこで、ふとアレックスは疑問を抱いた。
転移者が襲撃して来た瞬間、四人分の敵意を感じた。
だというのに、戦闘していたであろう場所は自分たちを含めても三箇所しかない。
「皆、疲れているところ悪いが冒険者たちを集めてくれ。……まだ一人、機を伺っている可能性がある」
敵意は既にない。
自分の感覚も、既に戦いは終わったと告げている。
だからきっと、戦闘前に逃げたしたか、ゲイリー団長が瞬殺して戦闘音に気づけなかったか、そもそも最初に感じた気配が誤りだったのだろう。だろう、と思う。
「――念には念を、だな」
取り越し苦労ならそれでいい、アレックスという男が存外臆病だったというだけの話だ。
だが、この小さな違和感が事実なら――何か、取り返しのつかないことになる。そんな気がしたのだ。




