54/強化の魔法
――時は少し巻き戻る。
連翹が転移者の男と出会い、剣を交えた頃まで。
「我が望むは、鳴り響く雷光。雷鳴よりも疾く駆け抜け、我が敵を穿て!」
前衛が転移者を釘付けにしている間に、詠唱を行う。
魔力を練り、生み出すのは雷雲だ。バチバチと帯電するイメージのそれに精霊が力を流し、カルナのイメージは現実に顕現する。
「ふは、ぬるいんだよ! 『ライトニング・ファランクス』!」
しかし、雷鳴と共に放たれた雷は、転移者の背後から生み出された無数の雷槍によって切り刻まれ、消滅していく。ちい、とカルナは舌打ちをして転移者に視線を向けた。
そいつは、見苦しいほどの肥満体の男だった。
港街ナルキで肥満の冒険者は見慣れた、と思ったが――あれとはまた違う。あちらはなんだかんだで筋肉もあり、動ける体力もあった。だからこそ冒険出来たのだし、カルナも彼を信頼したのだ。
しかし、目の前の男は違う。
脂肪の下に筋肉があるとはとても思えない体つきだ。全身の肉が垂れて、動く度にぶるりと震えている。
だというのに――冗談のように素早い。
自分の尻すらも拭けなさそうな肥満体で、そこらの肉食獣顔負けの速度で動きまわるのは異常だ。異常だというのに、そうであるのが当然と言うように男は駆け、剣を振るい、魔法のスキルを使う。
(けど、レオンハルトよりは遅い。あの体型じゃあ歩くだけで大変だろうし、それを相殺するために転移者の力が使われていて、結果普通に走り回れる程度の身体能力を持った人間より力が劣化するんだと思う)
ならば、付け入る隙はあるか?
前衛の戦士ではない、後方で詠唱し、魔法を使うカルナ・カンパニュラという魔法使いが突ける隙は存在するのか?
(――駄目だ。あっちは詠唱がないから、こっちの魔法が完成する前に相殺なり防御なり回避なりの手段を考えついてしまう!)
カルナは十代としてはかなり優秀な魔法使いである。
詠唱も自力で短縮しているし、魔力を編む速度も速い。その上、魔法使いに欠けがちな身体能力も、前衛程ではないが高いのだ。
カルナよりも強い魔法が使えても、詠唱が長すぎる者や体力がない者などが多い魔法使い。その中で体力と詠唱短縮のノウハウを持ったカルナは、単騎で戦う魔法使いとしては理想的なスペックを持っている。天才、と呼んでも過言ではない程度に、才能があり、同時に勤勉なのだ。
――――だが、それ以上に魔法使いという存在が、転移者に対して相性が悪すぎる。
詠唱が精霊に呼びかけ、力を貸してもらう過程であるため、囁くように呟いても精霊は寄り付かないし、魔法として発動しても威力が激減してしまう。
けれど、辺りに響く声で詠唱すれば、潰されるかカウンターの魔法スキルで弾かれる。
「燃え盛れ雑魚ども、『バーニング・ロータス』!」
「――ああ、くっそ、うざってぇなその技! 距離詰められねえんだよ!」
炎の結界が形成されるよりも早く、ファルコンは勢い良く後ろに跳ね跳び、その勢いのままノーラとカルナの服の裾を掴む。
二人を引きずりながら『バーニング・ロータス』の間合いから逃れると、ファルコンはふう、と安堵の息と共に額の汗を拭った。
「……一度技を出すと止まれないのが、唯一の救いだな。あれを連続で避けろとか言われたら、さすがのオレ様ファルコン様でも厳しいっての」
哄笑しながら炎の檻の中で踊り続ける肥満体の男。その姿は珍妙であるが、カルナたちにとっては死者の国の使者が大鎌を振り回しているような、明確な死を連想させるものだった。
灼熱の斬撃を四方に放ち、それらを繋げ炎の檻とする魔法と剣の複合スキルである『バーニング・ロータス』
あそこに囚われたら、その時点で積みだ。炎に焼かれるか、一か八かで中央で剣舞を踊る転移者に向かい切り刻まれるか、どちらかの死に様を選ぶことくらいしか出来ない。
「ごめん、ファルコン。手間をかける」
「お互い様だ。お前があの技知らなかったら、オレなんざとっくに蒸し焼きだ……」
「カルナさん、ファルコンさん。現状、わたしたちはどうするべきだと思いますか?」
ノーラは辺りを見渡しながらカルナやファルコンに意見を求める。
現在、この肥満体の転移者と戦っているのは冒険者がほとんどだ。
野営地の奥では、騎士たちが転移者と戦闘しているらしい。騎士や兵士に指示を飛ばすアレックスの声が。剣戟の音と共にこちらまで聞こえてくる。
(騎士たちも、こっちで戦闘が起こっていることくらい分かるはず。なのに救援に来ないのは、あちらにもその余裕がないということ)
助けは来ない。来るとしても、だいぶ後となるだろう。
そして、逃げることも難しい。スキルの大技を使わせ、発動硬直を誘発、その隙に逃げるという手も考えたが――そもそも、身体能力が違いすぎる。数秒時間を稼いだ程度では、よっぽど脚の速い者しか逃げ切れない。
「ここで仕留める。それしかないよ」
カルナの言葉にファルコンとノーラが頷く。
ファルコンは「だろうな」と言いながら軽く、ノーラは無言で力強く。
(問題は、僕らにアレを倒す力があるのか、という話だね……)
現在、この場にはカルナたち以外にも多数の冒険者がいる。
一体多数――数では勝っているが、しかし数の暴力で圧倒できる程度の相手なら、転移者を脅威とは思わない。
幸い、ここに居る冒険者はみんな試験を突破した者たちだ。冒険者としての力量も高く、ある程度は転移者との戦闘を想定している者も多い。
そして更に、あの肥満男は――レオンハルトより確実に弱い。
単純な身体能力もそうだが、スキルの使い方もそうだ。大技主体で暴れるだけで、意識が敵であるカルナたちに向いていないのだ。
大技を使い、その威力に酔いしれている――そんなイメージだろうか。
そのため、先程から軽傷の者は出ているが、重傷者や死亡者は出ていない。そもそも、マトモに狙っていないからクリーンヒットが出ないのだ。
こちらに意識を向けるのは、魔法使いの詠唱が始まった時くらいである。その度に詠唱を潰し、魔法を相殺している。
(こっちに欠片も興味を持ってない相手が、詠唱をわざわざ潰す。つまり、威力のある魔法は十分ダメージになるんだろう)
そこまでは分かる――分かるが、どうしようもない。
「……ああ、くっそ、前に戦った敵に比べて、あんなに劣化してるのに……!」
高威力の魔法を叩きつける、急所を破壊する、それで倒せる。簡単な理屈だ。非常に分かりやすい。
言葉にすれば容易いが、しかしそれは狂乱するドラゴンの背に乗り、首を落とせばドラゴンに勝てるという程度には無茶ぶりである。
(だけど――やるしかない!)
無理だから逃げよう、などと言える人間だったのなら、カルナは現在ここに居ないし冒険者にもなっていない。
回す、回す、頭を回す。スキルの発声と共に放たれる破壊に肝が冷える。けれど肝も冷えれば頭も冷えるだろう、と脳内で無茶苦茶な理屈を紡ぎながら戦闘方針を練っていく。
「……ファルコン! 撹乱頼んだ、僕が魔法を使う隙を作って! ダメージは与えなくていい、スキルに巻き込まれないことだけを考えて!」
「ま、そういうのは専門だしな。任された」
「ノーラさんはファルコンがダメージを受けたらすぐに治癒の奇跡をお願い。ダメージで動きが鈍ってスキルを回避し損なうと、一撃でやられる!」
「分かりました!」
カルナの言葉に二人は頷くと、すぐさまファルコンは男へと突貫し、ノーラは奇跡の使用準備に入った。カルナもまた、魔導書を開き詠唱のタイミングを図る。
「とりあえず――これでも食らっとけ!」
腰に吊るしたポーチから、赤くドロリとした粘液が満たされた薬瓶を取り出すと、それを転移者に向けて投擲する。
男はそれに気づき、鬱陶しそうに剣でそれを弾き飛ばし――パアン! という耳をつんざく爆音と共に破裂した。
「しゃあ! 火吹き蜥蜴の火炎袋に満たされた粘液だ。威力はねぇけど、音はデケェだろ!」
ファルコンがガッツポーズをしながら得意気に叫ぶ。
(そうか、耳を潰して詠唱を聞き取れなくするつもりか!)
詠唱に反応されて反撃や迎撃をされるなら、そもそも詠唱を聞かれない状況を作り出せばいい。
簡単な理屈ではあるが、それを咄嗟に考えついた上で間を開けずに実行するのは簡単ではない。
ならば、その繋いだ隙を逃さぬように――
「我が望むは灼熱の焔。その腕で眼前の敵を抱きしめ――――」
「ヌルいんだよ雑魚がぁ!」
瞬間、衝撃が腹部を貫いた。
何が起こった? それを理解するよりも早く速く、カルナの体は宙に跳ね飛ばされ、勢い良く地面に叩きつけられる。
「ぐ――げ、ごほっ!」
痛みで視界が赤く染まる。
血液混じりの吐瀉物を口から吐き出しながら、この状況を作り出したであろう相手に視線を向けた。
「ぬるいぬるいぬるいぃぃぃいい! 転移者に状態異常は聞かないんだよ間抜けぇ! 爆音なんぞでおれを止められると思うなよぉ!」
「畜生! 毒は聞かねえとは聞いてたが、五感潰すのも無理なのかよ……この化物が!」
「化物? いいや、おれは悪魔だ……ははは! なぁんてな! ああ、一度言ってみたかったんだよな、これ。雑魚どもを潰しながら言うと快感も段違いだなぁ――!」
こちらを見もせず笑い続ける肥満体の男を睨みながら、カルナは地面に爪を立てた。
自分の胸の中に留めきれない悔しさと怒りと情けなさを吐き出しながら、心の中で絶叫する。
(糞、糞、糞……! あの時も! 今も! 僕は!)
全く役に立ててない――少なくとも、カルナはそう思っていた。
レオンハルトとの戦いで彼の隙を作ったのはノーラであり、トドメを刺したのはニールだ。
そして今、相手の動きを押し留めているのはファルコンたち前衛であり、そんな彼らを支えているのはノーラの治癒の奇跡だ。
カルナ・カンパニュラという男は何も関与していない。あの時も、今も、無様に攻撃を喰らって倒れ伏しているのみ。
なんだこれは、まるで足手まといではないか。
ふざけるな、そんなモノは認めない。
これが当然だなんて認めない、絶対に認めない。
(僕が歩んだ道が無価値だなんて――認められるものか)
激痛に耐えながら立ち上がる。
痛い、痛いが――問題ない。骨はあちこち砕けたし、内蔵のどこかは潰されたような気がする。
だが、両足があれば立てるし、頭部さえ残っていれば即死ではない。治癒の奇跡で命を繋げる範囲だ。
ここで諦めて倒れている理由にはならない。
「カルナさん! 今――」
「駄目だッ! 無駄なことしないで! 僕じゃなく前衛に集中してくれ!」
こちらに向けて治癒の奇跡を使おうとするノーラを怒鳴りつける。
ここで回復のリソースまで使わせてしまったら、本当に足手まといだ。
「でも……!」
「ダメージがあろうと無かろうと、どうせ僕じゃあ相手の攻撃を避けられない! だったら、無傷だろうが重症だろうが大した違いはないさ!」
悔しいが、それは事実だ。
重装備の戦士なら転移者のスキルを鍛えた肉体と装備で受け止め致命傷を防げるだろうし、軽装備の戦士やスカウトなら軽やかな動きで回避することも出来るだろう。
自分には、それは出来ない。
だから、考える。
目の前のバケモノを倒す手段を、自分が出来ることを。
後衛に立ち、戦場を俯瞰し、自分や他人がやるべきことを考える。
(時間を稼いで貰って、身体能力強化の魔法を僕かファルコンに――駄目だ、決定打にならない)
自分に使っても魔法使いであるカルナでは大きな効果は望めない。
ファルコンに使えば圧倒的な速度で相手を撹乱できるだろうが、決定打に欠ける。戦闘能力のないノーラに使うのは論外だし、他の冒険者に使うことも無理だ。
(なにせ、僕はまだ彼らや彼女らと大して親しくない。そんな僕が、いきなり体を弄る魔法を使うといって、信用して体を預けてくれる人間がいるかどうか――)
だから。
カルナがその魔法を使うのなら、その相手は――
「――餓狼喰らいぃい!」
――絶叫とともに突貫してくる茶髪の剣士、ニール・グラジオラスだ。
「なぁんだテメェはバカみたいに叫びやがってぇ……『ファスト・エッジ』!」
袈裟懸けに振り下ろされた肉食獣の牙めいた斬撃、それに対して肥満体の男はスキルで迎撃する。
両者の剣が食い合い、鼓膜を裂くような鋭い金属音と共に火花が散った。しかし、拮抗は一瞬。ニールは弾かれるように後方に飛ばされる。
肥満体の男は笑う。無駄だ、その程度では自分は倒せないと。檻の中で吠える猛獣を挑発するように、哄笑する。
「――ははは、ぬるいぬるいぬるいぃぃいいい! 雑魚が何匹集まってブンブンブンブン飛び回っても、おれの安眠くらいしか妨げられないぞぉ!」
「くっそ、テメエみたいなのに防がれるとイラッと来んなオイ!」
舌打ちと共にニールは男の脇をすり抜けるようにして間合いを脱出する。
口調のワリに悔しそうに見えず、かつ逃走の判断が早かったのは、そもそもこの一撃でダメージを与えられると思っていなかったからだろう。
「はは、逃がすか――」
「お前の相手はオレだぞデブ! おらこっち向きやがれぇ!」
ニールを追おうとした男の耳に対し、ファルコンが薬瓶を投げつけた。轟音と共に破裂したそれは、先程と同じ火吹き蜥蜴の粘液だ。
しかし、口調の威勢の良さとは裏腹に、ファルコンの表情は憎々しげに歪んでいる。
当然だ。先程使って効かなかったモノを苦し紛れに投擲してただけの無意味な行動――
「あ、が……このっ! 邪魔するなハエがぁああ!」
――否。
表情を苦痛に歪めた肥満体の男は、片耳を抑えながらファルコンに殺意を向ける。
(効いた……いや、復帰が早い。耳が潰せたわけじゃない)
しかし、耳元で爆音を鳴らされ、表情を苦痛に歪めて耳を抑えている。
思考を加速させる。速く、速く、弱点と呼べない程度の小さな隙かもしれないが、全力で突っ込めば広げられる程度には大きいかもしれないのだから。
(そうか。爆音で一時的に耳が聞こえなくなる――そういった体の異常を自動的に回復してるだけなんだ!)
閃光で視界を遮ったとする。
普通の人間なら強烈な光によって瞳が焼かれ、しばらくの間は何も見えなくなるだろう。
しかし、その転移者は同じ閃光を喰らっても、その『光で目が使い物にならなくなる』という異常を自動的にレジストするのだ。
けれど、周囲でいきなり爆音がしたり、眩しくなったりするのは転移者の体の異常ではない。
ゆえに。
(あいつを中心に爆音を鳴らしたその瞬間だけ。僕の詠唱は悟られない!)
周辺が爆音が響いている瞬間ならカルナの声はかき消されるし、距離さえ取っていれば精霊に声を届かせることも十分可能だ。
無論、爆音で音をかき消せるのは一瞬だろう。
だが――その一瞬だけあれば問題ない。
「ファルコン! それをありったけ投擲してくれ! それで動きを止められる! ニール! こっちに来てくれ!」
「おう、待ってろ!」
「カルナお前、どっかの街ついたら絶対メシ奢れよ! 酒もだぞ! これ揃えるのけっこう苦労したんだからなぁ!」
ニールが即断し、ファルコンが軽口なんか悲鳴なのか分からない絶叫と共に複数の薬瓶を男へ投擲する。
それが破裂する瞬間、カルナは詠唱を始めた。普段よりいささか早口で、しかし爆音の中でも精霊に届くように声を張り上げて。
「我が望むは肉の繊維、――」
火や氷、雷といった攻撃の魔法ではない。
ファルコンが投げたあの薬瓶も、恐らく今ので打ち止めだ。ならば、一度の詠唱で一回の効果を発揮する類の魔法では、倒しきれない可能性がある。そうなれば、今度こそ自分はお荷物だ。
ならば、今使うべきはある程度効果が持続する魔法。
風の投石機ではない。あれはまだ未完成だし、何より牽制のための魔法だ。ここで使っても意味はない。
ゆえに、使うべきは魔法は一つ。
「――筋束と共に交わる力の源! 今、彼の者と混ざり合い、超越の力を顕現せよ!」
魔導書に描かれた図面を見る。
簡略化され、他人が見ても意味が分からないその図形。それは人間の体と、どこに魔力を注ぐべきか記したモノだ。
解剖図で描かれていた筋肉の位置、その中でも戦いの際に使う部位。それらに寄り添うように、魔力で編んだ繊維を埋め込む。
――それは、身体能力強化の魔法。
人体に編んだ魔力を埋め込み、精霊の力で筋肉として一時的に実体化。使った相手の身体能力を大幅に高める手段だ。
「うん? 詠唱? 魔法か? なんだ、何をしたんだ現地の魔法使い? おれにダメージはないぞ? あまりの恐怖に詠唱ミスって不発ってヤツか?」
雑音を無視してニールに問いかける。
「――どうだい、ニール」
「……少しだけ、理解したぜ」
剣を担ぐように構え、獰猛な肉食獣めいた表情でニールは呟く。
「体に力が溢れる――俺が俺じゃねえみてえだ。ああ、こりゃ転移者が調子に乗るのも分かるぜ。今ならなんでも出来るって、俺はスゲェ強えんだってのぼせ上がっちまいそうだ」
「何をしたのかは知らないが、それでおれを倒そうなど片腹痛い。さあ、来いよ雑魚ども。無様に負けて、土下座でもしながら女を差し出せ。それくらいしか、お前らに価値なんてないだろ」
ニールの言葉と共に聞こえてくる雑音が耳障りだが、どうでもいいと聞き流す。
「言っとくけど、普段より力が増した、ただそれだけの話だからね。そこを勘違いしないように」
「分かってる。それに、これだけ力があっても、俺より剣が数段上の連中にゃあ負けるだろ」
「――お前ら、聞いてるのか? このおれが惨めな羽虫であるお前らに話しかけてやっているんだ、五体投地して歓喜に打ち震えてもいいくらいだろいうのに」
分かってるならいいさ、と言って腰を降ろす。
どうせ、魔法で援護するタイミングは無さそうだし――あったとしても、そんなことをしたらニールがキレてしまう。
「――僕の出来る範囲で土台は整えてやったよ、後は好きにやりな」
「言われなくても。後処理なんかが終わったら、強化後の感覚とか教えてやるから期待して待ってろ」
「――――お前ら、お前ら……! おれを無視しやがって、薄汚い雑魚の分際でぇ……!」
「つーか誰だよお前。知り合いでもねぇのに会話に混ざろうとキャンキャン喚くなよ小汚いデブが」
「……不敬な! 不敬な不敬な不敬な! ぶっ殺す!」
「ハンッ! それはこっちのセリフだ!」
ニールが疾走し、肥満体の男はスキルを発動させる。
下位スキルある『ファスト・エッジ』がニールに向けて放たれ、それを迎え撃つようにニールの餓狼喰らいが振るわれる。
悲鳴めいた金属音が辺りに響き渡った。
「……なんっ、おれの、スキルを……!?」
剣と剣が食い合った地点。そこで、二人はつばぜり合いを行っていた。ギチギチと刃と刃がこすれ合う音が鳴り、ザリザリと相手の力を押しとどめようと踏ん張り土が削れる音が響く。
それは、本来あり得ない状況だ。なにせ、転移者と普通の人間では単純な身体能力のスペックが違いすぎる。
このような状況になれば、相手が片手だったり、別の場所に注意を逸らしていない限り、現地人が潰されて終わる。
だから、このように力で拮抗するなど、本来はあり得ないことなのだ。
「微妙に負けてやがんな……ま、俺は力比べするタイプでもねえし、仕方ねえか」
けれど、天秤は未だ転移者たる肥満体の男に傾いている。
地面を削りながらニールは、ゆっくり、ゆっくりと押し戻されていく。
「なんだ、やっぱり雑魚じゃないか! このまま潰――」
「潰されるのを待つ馬鹿がどこにいるかっての」
ニールは転移者の腕力を利用し、勢い良く後方へと跳んだ。
突然拮抗する力を失いつんのめる男から視線を逸らさず見つめ、着地。その瞬間、剣を中段に構え直し、再度疾走する。
「馬鹿のひとつ覚えかぁ! 死ねよ、『スウィフト・スラッシュ』!」
迎え撃つようにスキルを放ってくる男に、ニールはにやりと微笑んだ。ああ、やはりこいつは戦いに慣れてないな、と。
多少なりとも戦闘経験があれば、突貫してくるニールの速度が、先程よりもだいぶ遅いことに気づけただろうに。
スキルの発声を聞き取ったニールは、地面を蹴り飛ばしバックステップで距離を取る。先程までニールがいた場所を、鋭い斬撃が走り抜けていく。
「……この! 姑息な手を使いやがってぇ……!」
「フェイント、後の先、立派な技法だっての」
虚空に向けて連撃を放つ転移者を嘲弄する。
スキルは強力だ。剣を握ったことのないような素人でも、発声するだけで強力な技を放つことが出来る。
しかし、その長所は同時に短所にも成り得るモノだ。
(連撃の場合、回避されてもその動作を途中で止められない……使いやすく、威力も高いけど、高位のスキルはリスクが高いんだ)
観察しながら、カルナは小さくため息を吐いた。
「ノーラさん、ちょっと治癒の奇跡をお願い」
「分かりました。けど、大丈夫なんですか?」
ニールの戦いとカルナを交互に見ながら、ノーラが問う。
カルナの傷が、ではない。
現在、転移者と剣を交えているニールのことだ。
先程まで、前衛の治癒に集中しろと言ったいたのに、どういう心境の変化だろうとノーラは問うているのだ。
「問題ないよ……もう、終わりさ」
カルナが知っているニール・グラジオラスは馬鹿な男だが、しかし剣に関しては真面目であるし、何より――剣と剣での戦いで大きな隙を見逃す愚鈍ではない。
「このスキルが終了した瞬間、お前をすぐに――!」
「人心獣化流――」
それは、螺旋を描きながら放たれる突きだ。
腕と手首の回転により、蔓のようにしなやかに、蛇が如く狡猾に、肥満体の男の剣を絡めとり――
「――螺旋蛇!」
――剣を、跳ね飛ばした。
「え、あ?」
自分の手から剣が失せた意味が理解できず、間の抜けた声を漏らす転移者。
しかし、それは当然のこと。
スキルの効果が消える瞬間、自動的な戦士の動きから、力だけの素人に体の支配が移り変わるその刹那。柄を握る力が、一番弱くなるであろうタイミング。
そこを、的確に突いた。だから成功した。単純な理屈だ。
「ま、自前の身体能力じゃあ、そこを突いても跳ね飛ばせなかったろうがな」
剣を、掲げるように構える。
全身の力を、ただ剣を振り下ろすことにだけ集中させていく。
剣を振る、という動作は腕に頼るモノではなく、全身を使った円運動だ。
ゆえに、回避など考えず、余力など考えず――自身が持ち得るモノ全てを剣に注ぎ込み、ただ一撃で仕留めると心に決めて振るう斬撃は、何よりも強力な技と化す。
「人心獣化流――」
「待っ、やめろ、もう武器が……!」
今のニールに、そんな声など聞こえない。聴覚なんて機能は不要だ。
見るべきモノは敵の動き、感じるべきは自分の動き。無駄をそぎ落とし、削り落とし――
「――破断大猩猩……!」
――無心で剣を振り下ろす!
ひい、と悲鳴を上げて逃げ出そうとするが、遅い。
二の太刀を考えぬ力任せの一撃は、頭部を砕き、喉を裂き、上半身を分断し、下半身を裂断し、足の間をすり抜けて地面に届き――破砕音を鳴らした。
砕けた地面が巻き上がり、両断された男の体を不規則に叩き、切断面をズラす。瞬間、ようやく自分が切断されたことを理解したとでも言うように、血液が吹き出した。
「なん――で」
即死しなくてはおかしい傷。完全なる致命傷。
だというのに、転移者が持つ生命力のためか、男にはまだ意識があった。無論、それを幸運などとは思えないが。
多少生き残ったところで、この傷ではもう長くない。熟練の神官たちが複数人で治癒の奇跡を使えば別なのだろうが、しかしそれをする理由も義理もない。
ゆえに、彼が呟くそれは末期の言葉。消え行く命が、最後に世界に残せるモノだ。
「ゆるさ、ない」
男はその言葉に、呪いを選んだ。怨嗟の叫びを選択した。
「楽に、生きられるから、チート、あるから、こっちに来た、のに、こんなの、聞いて、ない。だまし、た、ディミルゴ、かみ、ごときが――」
許さぬ、許さぬ、許さぬ――それが男が最期に抱いた感情だったのだろう。
(……くっ)
カルナはぶるり、と体を震わせた。
呪う言葉と、死した男の顔に刻まれた憎悪の色。濃厚な負の感情は、ぞくりとする恐怖を見る者に抱かせる。
「ざけんな、デブが」
それを断ち斬るように、ニールが吐き捨てた。
顔に付着した返り血を手で拭いながら、見下すように男の死体を見下ろす。
「こっちに来たのも、殺されるような真似をしたのも、テメエの責任じゃねえか。力を恵まれねえと動けねえ分際で、一人前の顔して不満囀ってんじゃねえよ」
呪いめいた負の感情を間近で浴びつつも全く変わらないニールの姿を見て、カルナは思う。
(ああ――やっぱり、羨ましいな)
最初に出会った頃から変わらない、自分を曲げずに貫くその姿が。
弱い相手だったとはいえ、自分の援護があったとはいえ、転移者を打ち破った力が。
(僕は――結局、大して何も出来てない)
相手の隙を見つけた?
戦士のために力を貸し与えた?
それが無ければもっと苦戦していただろうから、それで満足しろと?
――無理だ。
後ろで敵を見つめ、隙を見つけ出して軍師面して満足など出来るものか。
戦士の体を強化しただけで、戦ったなどと言えるものか。
(僕はカルナだ。カルナ・カンパニュラだ。魔法使いだ)
仲間の付属品であり、そうでなくては力を発揮できない存在ではない。
無論、一人でどうにもならない時は仲間には頼る。当然だ。人間はそういう生き物なのだから。
しかし、場合によってはそうするということと、そうでなくては何も出来ないというのは、全くもって別問題だ。
「……カルナさん? 大丈夫ですか? 傷、まだ痛みますか?」
「ああ……いや、大丈夫。うん、色々改善点が合ってね、ちょっと悩んでただけさ」
不安げにこちらの顔を覗きこんでくるノーラに、カルナは安心させるように笑いかけた。
けれど、ノーラの表情は不安さを増すばかりだ。慌てて自分を顔を触ってみると、笑みとはとても呼べない引き攣った表情になっている。
(……ああ、くっそ。情けない!)
大した活躍も出来ないばかりか、自分を気遣う少女を安堵させてやることすら出来ない。
それが悔しくて、情けなくて――結局カルナは笑みを浮かべることが出来なかった。




