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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
転移者の国へ
56/288

53/団長

 鋼が鳴く。

 甲高い音で、時に鈍い音で。


「燃え盛れ、『バーニング・ロー――」

「下段から迎撃するつもりだったあたしに隙はなかった、ってね!」


 連翹れんぎょうは力任せに剣を斬り上げて、男の剣を叩く。悲鳴めいた金属音が周囲に響き渡る。

 スキル発動直前の隙に武器を叩かれ、男は苦悶の声と共に大きく体勢を崩す。男のスキルはキャンセルされ、忌々しげな舌打ちが響く。


「この、小うるさい小娘め! 邪魔な障害物め! おれにマトモにダメージも与えられない雑魚の分際で!」

「革装備じゃなくてよかったわね、革装備だったら貴方リアルで死んでるわよ」


 剣を突きつけながらセリフを決めるが、内心ではそこまで余裕があるわけではない。


(……実際、ダメージ通らないのは本当だしね)


『ファスト・エッジ』程度では鎧と転移者の頑強さで対してダメージを与えられない。『ファイアー・ボール』などの下位魔法スキルも同様だ。

 大技を叩き込めれば勝てる――が、それは相手も同じ。下手に隙を見せ、反撃されたらこっちが一気に不利になる。

 なにせ、連翹の鎧は軽装だ。転移者の腕力で下手に一撃を貰えば、ちまちまと積み重ねた有利など一気に覆されてしまう。

 だからこそ、相手の初動を潰すことに専念しているのだ。相手が大きな隙を晒したら、こちらも大技で攻めればいい。

  

「邪魔だ。邪魔だな。くそ、このままでは他の連中に戦果を奪われてしまう。おれの戦果を。おれの獲物を。全部おれのモノだ。だっていうのに、あの盗人ども。おれが王になったら、その首を断ち切り晒してやる。断罪だ。粛清だ。おれの世界でおれの足を引っ張る塵芥どもめ」

 

 だが、中々相手がその隙を見せてくれない。

 精神が低いところで安定しているというべきか。自分しか見ていない彼は、連翹の挑発や攻撃も『世界に存在する煩わしいモノ』の中の一つとして認識しているようなのだ。

 だからこそ、苛立ちから隙を晒すような真似はしない――そもそも、最初からあらゆるモノ全てに苛立っているのだから。 

 

「こん――のおお!」


 男の顔面に向けて剣を振り下ろす。唯一露出した部分であり、人間の急所だ。当たれば力任せの一撃や、下位スキルでもダメージが期待できる。

 しかし、期待した頭部を叩く感触はなく、両手に伝わったのは全力で金属を叩いた時の電撃めいた痺れだ。見れば、男は剣の腹で連翹の剣を防いでいるのが見える。

 自分しか見えていないからこそ、自分の弱点も理解しているのだろう。

 

(防御の隙間を縫って、みたいな真似は無理ね)


 ならば、鎧の上から相手を叩き潰す。上位のスキルで相手の鎧を突破する。超強い力チートを使って物理で殴り倒す。

 無論、そうすればスキルの発動前、発動後の硬直を狙われるだろうが――


(ダメージを恐れてる場合じゃ、ないものね!)


 ――どうせ守っていたって勝てない、ならば多少のダメージは許容すべきだ。

 偉い人は言っていた。勝てば官軍、命あっての物種、死ななきゃ安い、と。

 何より、この異世界でなら四肢欠損しても神官の奇跡で生えてくる。死にさえしなければ、ダメージは安い出費に過ぎない。ならば問題ない……いや、問題はある。痛そうだし、怖い。


(……だ、だって生えてくるイメージなんて浮かばないのよ! 地球育ちなめんじゃないわよ!? 腕切り落とされたら、痛みとインドアな趣味全般がほとんどできなくなることで、超絶望しちゃいそうだし!)


 ラノベを読めなくなったり、コントローラーを握れなくなったり、キーボードを叩けなくなるというのは――異世界に来たんだから関係ないと理解しつつも――怖いのだ。

 だが、その恐怖はぐっと堪える。 

 なにせ、知り合いのカルナだってちゃんと脚が生えてきていたのだ。

 治るのだと知識ではなく実感で理解したのだから、怖くはあるが問題はないはず――問題、ない、はずなのだ。

 だが、どうしても怖い。なにせ、地球時代に大きな怪我をしたワケでもなく、この異世界に来てからも涙が出るくらい痛かったのは二年前の闘技場での戦いくらいだ。 


(だけど――)


 痛みへの恐怖が幻影を作る。

 自分と同じか、少し年上くらいの少年の姿を。

 ダメージを受けた怒りで、力任せに胴体を叩ききった剣士の姿を。

 顔はよく見えない。体つきも不鮮明。しかし、おびただしい量の血と、その中で沈んでなお戦意で満ち満ちた鋭い瞳だけは鮮明だった。

 

『ざっけ……ん――な。絶、対――勝つ』


 その背中を追いかける。どこまでも、どこまで追い続ける。

 待っていろ、待っていろ、待っていろ――余裕かましてると、背中から叩き斬るぞ。


 ああ、怖い。

 なんて怖い瞳。


 思い出すだけで冷汗が出る、心臓が早鐘を打つ。忘れたい思い出。しかし、忘れられない思い出。

 

「――ああ、もうっ、うるさいのよ! 貴方のせいよ、貴方がいなかったら、あたしはもっと強くて格好良い転移者になれたのに――!」


 力でねじ伏せ、自分の存在を誇示しようとしても、あの姿がチラついて心が冷めるのだ。

 まだ、そんなことやっているのか。上等だ、いつか必ずぶっ殺すから覚悟しろ――そんな風に言われているようで。

 いいや、それ以上に。

 片桐連翹という転移者の思い通りにならない、あの少年剣士。その姿を思い返す度に、この世界に存在するのは人間で、自分の思い通りになる人形キャラクターではないのだと思うから。

 当たり前といえば当たり前。当然の理屈だ。

 しかし、連翹にはそれを許容できない。


(だって――それじゃあ結局、異世界ここ地球あっちと同じってことになるじゃない)


 才無き者が何をやっても無駄なあの世界。

 無能が頑張る姿を別の無能が褒めて傷口を舐め合い、それを影で指さし笑いながら頂点へ向かう少数の才ある者――そんな世界と、同じ。

 もしそうだとしたら、前の世界と同じように自分も――


「違う、違う、違う! あたしは転移者だもの、強いの、才能があって、格好良いの。誰も、あたしをあざ笑うことはできないし、させない」


 首を左右に振りながら叫ぶ。

 そうだ。今の自分は強い。誰もが、自分に憧れる――そんな力を得たのだ。

 人間でも人形でも、関係ない。

 最強の力チートで無双していれば、皆はきっと認めてくれる。


「……先程から何を言っている小娘。おれの強さに怯え、心を乱すのは理解するが――」

「うっさいわね黙っててよ! 誰も貴方の話なんてしてないわよ、邪魔よ邪魔!」


 だから。

 こんな小物に時間をかけている暇なんてない。

 倒す、倒す、倒す。首を切って晒し者にしてやる。そうしたら、皆はきっと自分を祝福してくれるはず。

 感情のままに叫び、男へと駆ける。防御なんて考えない。一発くらい攻撃を食らったって、転移者の自分に致命傷を与えることなんて出来ない。 


「『スウィフト・スラッシュ』――!」


 スキルの発音と共に右肩に担いだ剣を、勢い良く右袈裟に振るう。

 鎧に命中した剣は表面を削りながら火花を散らす。


「ぐっ……!?」


 先程まで下位スキルしか使っていなかったため、鎧だけで防ぎきれると思っていたのだろうか。

 防御をせずに隙を狙っていたらしい男は、連翹の剣の衝撃によってバランスを崩す。

 にい、と自分の頬が緩むのを感じた。


「取った――!」


 連翹の動きは止まらない。

 スキルによって自動化された動きで踏み込みながら、振り切った剣を速度を落とすことなく切り上げる。腹部の鎧を叩きながら連翹の頭上まで戻った剣を、全霊の力を持って振り下ろす。場所は――顔面。

 

「ひっ、やめ――」


 やめろ、といって手を止める馬鹿なんていないわ――嗤いながら連翹は呟く。


(もっとも、止めようと思っても止まらないけどね)


 そもそも、スウィフト・スラッシュは三連撃の攻撃だ。それを出し終えるまで、連翹の体は自分の意思では操作出来ない。

 転移者のスキルとはそういうモノだ。スキルを出し終え硬直時間が終了するか、大きく体勢を崩しモーションを維持できなくなるまで、自動的に攻撃は続けられる。

 自動化されたスキルの動作で剣を振り下ろす。

 がぁん! と。とても人間の頭を剣で叩いたとは思えない鈍く重い音が鳴り響いた。

 

「一撃じゃ、さすがに無理ね……!」


 悲鳴とともに地面に倒れた男に剣を向けながら、小さく舌打ちをする。

 いくら頭が弱点とはいえ、転移者の体は強靭だ。無機物を破壊することに特化した技でもなければ、転移者の腕力とはいえど一撃で斬り砕くことはできない。

 だから、もう一撃――そう思った矢先、絶叫が連翹の動きを止めた

 

「あ、あああああ、あああ痛い、痛い、痛い……! 血が、ああ、血がこんなに出てる……痛いよ、なんでだ、なんでおれがこんな目に……!」

 

 額が割れ、どくどく、どくどく、と血を垂れ流しながら男は涙を流す。

 深い傷ではない。骨は砕けていないし、肉だってさして斬れていないのだ。そもそも額は出血しやすい部位である。衝撃による脳のダメージを心配することはあれど、多少血が出たところで大騒ぎするモノではない。

 しかし、自分の体から痛みと共に血液が流出していくのは、非常に分かりやすい恐怖だ。命の赤が自分の体からこぼれ落ちていく光景は、己の死を強く連想させる。

 

(でも、これはチャンスね――!)


 痛みにのたうち、恐怖に心を縛られた男に、もはや反撃の術はないだろう。

 もう一度スウィフト・スラッシュを使って叩き潰す、そう思って剣を構えた瞬間、男は急に体を動かした。

 

「『スウィ――」

「た、助けてくれ! 死にたくない、死にたくないんだ!」

 

 反撃が来る!? そう思って発音しかけたスキルは、しかし男の言葉で停止した。

 男の両手は地面を突き、両足は正座するように折りたたまれている。そして、血液と涙が滴る頭部を勢い良く下げた。土下座であり、命乞いである。


「こ、こんなところで死にたくないんだ! 悪かった、おれが全て悪かったよ、痛いんだ、怖いんだ、もう戦えない! そ、そもそも、おれは楽に勝てると思ったからここに来たんだ! 小む――貴方みたいな人がいるなんて、思わなくて」

 

 嗚咽混じりの媚びた声で、男は連翹に縋る。どうか見逃してくれと。

 なんだこれ、見苦しい。心からそう思う。

 そもそも、こんな奴を見逃して一利も得られないだろうし、後で百の害と化して襲ってくるはずだ。物語でも、大体そういうモノだ。潔白な主人公が一度見逃すが、逆恨みしたあげく仲間を危険に晒すというヤツだ。

 

(だけど、あたしは違う。もっと上手くやれる)


 連翹は無言で剣を振り上げると、ゆっくり、ゆっくりと男に歩み寄る。

 

「か、金なら出すよ。おれだって転移者だ、けっこう稼いでるんだ……だ、だから、な?」


 連翹は答えない。


「ひっ……け、剣と鎧も渡す! これは特注の品で、現地の騎士どもが着てる奴に近い性能なんだ! 売れば、きっと高く売れるし、さ、サイズだって整えれば、お前の奴隷か何かに下げ渡すことだって出来る!」


 連翹は答えない。


「こ、これでも、不満なら、他に、な、なんでもやるよ。力仕事でもモンスター退治でも、なんでも! だから――」


 連翹は答えず、剣を振り下ろした。

 

「ひ――――嫌だ、死にたくないぃぃ!」


 ざくり、と抉った。


「あ、え……?」


 男から横に大きく逸れた地面を、剣先が深々と。

 男の呆気に取られた顔を見ながら、連翹は舌打ちをして剣を鞘に収めた。

 

「――お望み通り、見逃してあげるわよ。だから、さっさとどっか行ったら?」

 

 背を向け、ニールたちが居るであろうテント周辺に向かう。

 足早に、今の顔を見られないように、早く速く。

 

(情けない――情けない、情けない!)


 情けなさと悔しさ、そして自分に対する失望で涙が出てくる。

 先程のあれは、見逃したくて見逃したワケではない。

 単純に、攻撃する勇気がなかっただけ。

 泣きながら命乞いをする誰かに追撃することが、連翹には出来なかったのだ。

 今すぐ取って返してあいつの首を落としておくべきだ、と冷静な部分の連翹が告げる。しかし、そう思うだけで腕が震えるのだ。


(なによ、あっちも殺す気で来てたら、こんなに怖くなかったのに……!)

 

 この世界に来てから、連翹は人殺しをしていないというワケではない。

 亞人のモンスターだって華麗に瞬殺したし、襲ってきた野盗の集団だって一撃で殲滅してやった。

 そう――戦意や殺意のある相手を、命乞いする暇もないほど、素早く、力任せに。

 だから、先程の男のように戦闘が長引いたことはなかったし、あのように命乞いされたのも初めての経験だった。

 

「何よ、殺す覚悟云々とか、流行らないってば……」

 

 無防備な顔面に剣を叩きつけ、頭を叩き割る。ただ、それだけ。

 戦うよりも簡単なことだと思うのに、しかし体はそれを想像するだけで震え、凍える。

 

「あたしって、馬鹿だなぁ……」


 異世界に来ても、失敗ばかりだなんて。


「ああ、心からそう思うぞ愚かな小娘」

 

 無意識に呟いた言葉に返事があったことに驚く間もなく、首を強く締められた。背後から、強く強く。くぐもった悲鳴が自分の口から漏れる。

 

「馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして――おれを馬鹿にしやがって、見下しやがって! トドメも刺せない三流が、殺す覚悟も無い雑魚が! おれに勝ったつもりになりやがって。ふざけるなよ、小娘。その罪を裁いてやる。断罪だ、死刑だ。慈悲などない。死ね、死ね、死ね!」

 

 耳から拾う言葉は、先程の男のモノだ。

 脳内で冷静な自分が、「ほうら、言わんこっちゃない」と嘲笑っている。あんな奴が見逃した程度で感謝するはずもないだろう、と。

 その声にうるさいと心の中で怒鳴り返しながら、腕を振り回す。だが、背後に回られているため、上手く狙えない。がん、がん、と拳が男の鎧を叩くだけだ。

 

「無能は死ね、おれを認められない狭量の者は全て全て死んでしまえ。お前みたいなのがいるから、世界は上手く回らないんだ!」

「そうだね――」

 

 声と共に銀の閃光が奔った。

 瞬間、連翹の首から圧迫感が消えた。どすん、と尻から地面に落ちる。

 

「――最後の一言だけは、ボクも同感だ」

 

 ぼとり、ぼとり、と二つの音が聞こえた。何かが地面に落ちた音だ。

 連翹は咳き込みながら、その音の正体を探るべく地面に視線を向ける。

 それは――腕。二本の腕だ。

 漆黒の篭手に守られていたはずのそれは、しかし切断され鋭利な断面を晒している。

 

「……あ?」


 呆けたような男の声。

 現実に理解が追い付いていない彼を置き去りにして、腕の切断面はおびただしい量の血液が吹き出し、両腕を切断されたという事実を男に語る。

 血液と、落ちた二本の腕。

 唖然としていた男の頭に、ようやく現実が痛み共に伝わった。

 

「あ、ああ、あああああっ!? おれ、おれ、おれの腕がぁあああ!」

「大丈夫かな、連翹くん」

 

 男の悲鳴を一顧だにせず、豪奢な白銀の甲冑を纏った大男は――騎士団長ゲイリー・Q・サザンは連翹に優しげな声をかけた。表情は、兜で覆われていて見えない。

 ゲイリーは咳き込む連翹を気遣うように頭を撫でると、申し訳無さそうに頭を下げた。

 

「悪かったね、君が他の転移者と相対するようなので、少々監視させてもらった。そのくせに、助けるのが遅れたのは弁明のしようもない。やはりボクは欠陥だらけだ。なにせ、君のことを信じきれなかったのだから。君が西の転移者連中のスパイだという疑惑を捨てきれなかった」

「いぎ、ぎぎっ、おま、お前、お前お前お前お前ぇえ! おれの腕を! 全てを従え王となるおれの腕を、腕をおおお!」

「全く、両腕が落ちたくらいで情けない。これだから、貴様のような勘違いした獣は嫌いなんだ。……安心するといい、連翹くん。この薄汚い獣は、ボクに任せるんだ」 

 

 剣を構え、ゲイリーは男に向き合う。

 これは自分が倒すと。だからそこで待っていて欲しいと。

 

「この大陸の者のために――いや、君の場合は違うかな。君の仲間のために戦おうとする想い、それを信じきれなかった贖罪のため、この獣は責任を持ってボクが駆除しよう」

「ふざ、けるなぁあああ!」

 

 それが癇に障ったのだろう。男は額と両腕から血液を垂れ流しながら、憎悪に満ち満ちた叫び声を上げた。


「貴様のような愚物が! 貴様のような無能が! 不意を打って腕を断った程度でおれに勝つつもりか!? 愚か愚か愚か愚か愚かなぁ! 剣など必要ない! 剣など、しょせんおれが賞賛を浴びるための手段の一つに過ぎない! 魔法だ! 魔法でお前を葬ってやる! 覚悟しろ薄汚い現地人がぁあああ」

「――――薄汚い欲望の獣が。吠える声だけは大きいようだ。耳障りだ、しょせん君たちは野盗に毛が生えた程度の存在でしかないというのに」

「ほざけぇ! 串刺しになり、消えろ! 『ライトニング・ファランクス』ゥゥウウ!」

「――!? だめ、逃げて!」

 

 スキルの発声と共に男の背後の空間が帯電し――暴力めいた閃光と共に、魔法が放たれた。

 それは、無数の雷の槍だ。

 槍衾のように、点ではなく面で押し寄せてくる雷撃の瀑布。それを回避することなど不可能だろう。

 雷の速度と物量は、それだけで脅威である。無数の槍たちはゲイリーの逃げ場を奪い、更に命を奪うため宙を疾駆する。

 逃げ道など――存在しない!


「――――」

 

 ――響いたのは耳に残らない声だ。

 いいや、それは詠唱だ。何か、詠唱したらしいことは連翹にも理解が出来た。

 しかし、その内容は理解できない。けれど、早口言葉のように早く、そして暗号のように圧縮された言葉だったのは理解できた。

 その詠唱で生まれた現象は、男と同じ無数の雷槍であり、雷の槍衾であり、『ライトニング・ファランクス』であった。

 それは男が放ったそれを打ち消していく。宙で雷が爆ぜ、砕け、打ち砕かれていく。


「うん、雷鳴の発生位置を後方にし、術者の目が眩まぬようにしているワケか。戦闘と無縁の者を戦わせるために設計されてるためかな、とても扱いやすい」

「――な、なんだ、お前」 

 

 魔法の発動硬直を脱した男は、震えた声で呟いた。

 あれは転移者の技チートだ。

 自分の切り札チートだ。

 地球から来た自分のためのモノチートなのだ。 

 だというのに。

 なぜ、なぜあの男は同じ現象を生み出しているのか? 

 

(な、に――あれ)


 その気持ちが理解できるのは、連翹もまた同じ気持ちだったからだ。

 最初、彼も転移者なのかと思ったが――いや、違う。試験の時に見た彼の顔はどう見ても日本人には見えないし、日本人以外の転移者を連翹は見たことがないし、そんな存在を聞いたこともない。 


 ――何より、彼は詠唱していた。


 聞き取れなかったが、この世界の魔法の理に則り、魔法を発動させていたのだ。

 つまり、彼は現地の人間であり――転移者のスキルを真っ向から打ち破ったのだと理解してしまう。理解できてしまう。

 

「驚くことはないだろう。大陸の人間は多い。なら、その頂点は君たちに対抗出来ても不思議はないさ」 


 ゲイリーは言う。親しげに、しかし氷の刃めいた冷たさで。

 その剣先を男に向けながら、一歩、一歩と歩んでいく。

 

「ボクはゲイリー・Q・サザン。神髄カンテサンスの名を受け継いだ者であり、この大陸の民の盾であるアルストロメリア騎士団の団長だ。確かに君たちは強い。だが、一対多ならまだしも、一対一でボクが君たちに劣るとでも思ったのかい? だとすれば――君たちは我々を、この地の人間を舐めすぎだ」

「ファ、『ファイアー・ボール』!」


 スキルの発声と共に生み出された火球は、しかしゲイリーが振るった剣によって両断され、あらぬ方向へ吹き飛んでいく。


「さて――君に問おう」

 

 ファイアー・ボールを両断した余波なのか、篭手と剣から白煙を靡かせながらゲイリーは男に視線を向け――


「君は罪を償うつもりはあるかな? その気があるなら、ボクたち騎士団は君たちを法の裁きが下るまで守ることを約束しよう」


 ――あろうことか、そんな馬鹿げたことを言い始めた。


「ボクは人間は人間として罪を裁かれるべきだと思っている。無論、国家転覆を狙った組織に身を置いている以上は、罪は軽くないだろうけどね。それでもいいのなら、どうだい?」 

「え――ちょ、ちょっと貴方!」

 

 優しげな口調で言うゲイリーに、呆然としていた連翹の意識が覚醒する。 

 一体何を言っているのか、さきほど自分が見逃して、それを仇で返したばかりではないか。

 だというのに、なぜこんな無駄なことをしているのか理解できない。


「あ……つ、償う。償うさ! 絶対償う、約束する! ああ、おれは本当に幸運だなぁ! 貴方のような人格者に会えるなんて!」

 

 男はしばし呆然としていたが、しかしすぐに正気を取り戻し媚びた声で言った。

 

「ふむ、嬉しそうだね」

「そりゃそうさ! ……です! だって、おれこっちに来て間も無いし、大して悪いこともしてないですし! それに、元々おれは勝てるから行って来いってそそのかされただけで、悪いのは全部そいつらなんですよ! だからおれはたいして悪くな――」

「――――よく分かった。疾く、この世界から消えろ」

 

 閃光めいた斬撃が走り、男の首を撫でるように通り抜けた。


「――な、い、あえ」


 刹那の間。

 何が起こったのか理解できてない男の呟きと共に、首がズレ・・た。ずるり、と滑るように。

 ごとり、と頭部が地面に転がる。その瞬間、断面はようやくあるべきモノがないことに気づいたのか、血液を噴水の如く吐き出した。

 

「――、――」

「うそつき、か。それは君の勘違いさ。ボクは、君がどんな大悪人だろうと、罪を償うつもりであれば守っていたよ」

 

 剣に付着した血液を一振りで払い、鞘に収める。


「誰かにそそのかされようと、選択したのは君自身だ。レゾン・デイトルという集団に属したのも、ボクらを襲撃したのも、君が選んだことであり、君だけの罪だ。しかし、罪を犯しても悔み、償い、やり直せるのもまた人間だとボクは思っている」

 

 だけど、と。

 転がった頭部を踏みつけ、体重をかける。

 ぎしぎし、ぎりぎり、頭蓋骨が軋む音が響く。


「途中で逃げるつもりだったのか、本当に自分は大して悪くないと思っていたのかは知らない――興味もない。だがどちらにしろ、罪から目を逸し耳を塞ぐ者に、罪を償うことなどできるものか。欲望のままに暴れまわった薄汚い害獣め――人間でない貴様に法の裁きなど無意味だ。害獣は害獣らしく、ここで駆除されろ」

 

 ――ぐちゃり、と水気をたっぷり含んだ果物が砕けるような音が響く。 

 連翹は、その情景を、ただただ見つめ続けていた。

 いいや、見ていることしか出来なかったのだ。

 目を逸らすことも、ゲイリーを止めることも、殺されかかったから自分がトドメを刺すと宣言することも、何も何も。

 意識はあって、五感も正常なのに、思考だけが空白になっている。

 

「大丈夫かな、連翹くん。申し訳ない、少し刺激が強すぎたかな?」

 

 地面に腰を降ろしたまま動かない連翹に、ゲイリーが声をかけた。

 兜を外し視線を同じ位置に合わせた彼は、柔和な態度で連翹に微笑みかけている。

 

「こ、この程度であたしがビビると思うなんて、なんて浅はかさは愚かしいのかしら! だ、大丈夫よ。というか、手助けなくても、あたしなら華麗に逆転大勝利できたし的なね?」

「ははっ。それは理解できたけれど、ボクは心配性でね。もしかしたらと思うとつい手を出してしまったんだ」

「そ、そう? なら仕方ないわね。ゲイリーの寿命がストレスでマッハだから」

「うん? ……ああ、そうだね。まだまだ現役を続けたいからね。アレックスも真面目になったけど、まだまだ後を任せるのは不安だし」

 

 一瞬、「それはどういう意味だ?」という顔をしていたが、すぐに意味を理解したのか会話を続ける。

 さすが黄金鉄塊のナイト言語。文法は激しく間違っていても意味は通じる……!


「というかね、ゲイリー。貴方どんだけチート野郎なのよ。転移者を真っ向から倒すなんて」

 

 初めて会った時に、「転移者を無闇に怒らせるな、危ないぞ」と忠告したが、それも無意味だったかもしれない。


「いやいや、不意打ちで両腕を落とせたのが大きかったよ。そうでなければ、ボクだってもう少し苦戦していたさ」

「炎の魔法を叩き斬った癖に、なに言ってるのよ」

 

 こちらのスキルを見てから再現余裕でした――みたいなことをされた時も驚いたが、一番驚いたのはあれだ。

 魔法なら、技術で差を埋めただけだと思えた。これからもっと強いスキルを使えば圧倒できると信じられた。

 しかし、無造作に振るった剣でスキルを叩き斬ったことで、あの男の戦意を粉々に打ち砕いたのだ。


「いや、あれはちょっとミスをしてね……ほら、これ」

 

 ゲイリーは苦笑しながら右の篭手を外し――それを見た連翹が「ぴぃあああ!?」という珍妙な悲鳴を上げた。

 焼け焦げて黒く染まった物体がそこにあった。肌の白い部分など欠片もなく、大部分は黒く焦げ、残りは火傷によって赤く変色している。

 己の腕がグロテスクな肉に変貌しているというのに、ゲイリーは「はっはっ」と朗らかに笑う。


「直撃ならまだしも、切り裂いた後の余波なら鎧で十分弾けると思ったんだけど……甘かったね」

「あ、あわ、わわ、あわわ……! 病院! じゃ、なかったわね……えっと、そう、誰か神官に治して貰わないと! というかなんで剣で斬ったのよ馬鹿じゃないのぉ!?」

「魔法で迎撃するより、剣で無造作に斬った方が戦意を奪えると思ってね。それは正しかったけど、うん、他は失敗だったなぁ。けっこう痛いよ、これ」

「い、痛いとかそういうレベルじゃなくて、どっちかと言うと大怪我ってヤツよコレぇ! というかなんで平気な顔して笑ってるの意味分かんない!」

「慣れだよ、慣れ。騎士は民を守る存在である以上、攻撃を避けず受け止める必要もあるからね。両腕大火傷程度なら軽いものさ。むしろ、朝食まだだし焼ける匂いでお腹が減ってくるくらいだよ」

「そ、そういう問題じゃないでしょ!? というか左手も!? ああもう、慣れてても痛いのは痛いはずじゃない、なにを我慢してるのよ! ほら、立って! 早く! ノーラでもマリアンでも、他の神官でもいいから治癒してもらうのよ! 急いで!」


 そう言って腕を引っ張ろうとし――大部分が火傷しているから掴めず、しかたなく腰の辺りを掴んで力任せに立たせる。

 

「ほら、貴方団長なんだから皆がどこにいるか把握してるでしょ!? カカッと神官のとこに行くわよ! 他の転移者とかモンスターが出たらあたしが倒すから、安静にしてるのよ? いいわね? フリじゃないからね!」 

 

 剣を抜き放ち、気配による探知なんて出来ないからぐるぐると辺りを見渡しながらゆっくりと歩く。

 それがちょっと不格好だな、と自分でも思うのだが、しかし仕方のないことだと思い直す。


「怪我人戦わせるわけにはいかないもんね。さあ、安心して付いてきなさいゲイリー! 今回だけだけど、あたしが貴方の唯一ぬにのメイン盾になってあげるから!」

「――ああ、ありがとう連翹くん」


     ◇


 連翹の背中を追い、時々かけられる言葉に微笑みながら対応する。

 風で草花が揺れる音に過剰反応し、そちらに剣を向け――自分の気のせいだったと分かると、「よ、よーし練習完了ね!」と誤魔化す少女の姿を見て、笑うなという方が無理だろう。


 悪い子ではない。

 ゲイリー・Q・サザンは心からそう思う。


 しかし、それでも油断出来ないのは、レオンハルトと名乗った転移者――大蔓穂おおつるみのるという男の存在が生み出した可能性だ。

 二年近く女王都で過ごしていたらしい彼は、友人だったという兵士ブライアンの言葉によれば、持っている力のワリに臆病だったがそれ以外は普通の少年だったらしい。

 だからこそ、連翹とて彼と同じように変質する可能性もあるのだ。

 しかし、その理由が分からない。

 ある一定期間を過ぎると暴走するのか? と一瞬だけ思ったが、すぐさまその思考を打ち消す。女王都にしろ、他の街や村にしろ、現地の住民と打ち解け暮らしている者は存在する。

 

(転移者でないボクが考えても無駄か。彼らの立場になって考えようにも、生まれ育った環境が違い過ぎる)


 例えば先程晒したゲイリーの腕。

 この世界の人間であれば、たかだかあの程度の火傷で狼狽えない。

 なにせ、肉が焼け焦げ腕を動かすと激痛はするが、それだけだ。痛みがあるというのは生きている証拠ではないか。前衛ならよくあることで済ませる怪我だ。

 だが、彼女は違った。


 ああ、なんて酷い怪我をしているんだろう。

 これを治すには、一体どれだけ長い年月が必要なのだろう。

 

 そんな風に考えているフシがある。

 無論、腕の良い神官に任せれば癒せるということも理解しているようだが、しかし染み付いた常識が彼女を慌てさせているのだ。

 

(怪我一つでもこれだ。一体何がスイッチになって暴走するのか、ボクには理解が出来ない)

「……ね、ねえ。大丈夫? さっきから黙ってるけど、痛いの? おぶった方がいい? 転移者の超パワーならそれくらい出来るわよ」

 

 少しばかり考えこみ過ぎていたのか、連翹が不安そうな顔でこちらの顔を見つめている。

 その表情は純粋にゲイリーの怪我の具合を心配していて、ゲイリーは少しだけ自分が情けなくなった。

 自分は笑顔で誤魔化しながら観察しているというのに、あちらはストレートに感情をぶつけてくる。詐欺師のまね事をしているようで、性に合わない。


「いや、大丈夫だよ。それに、十以上も年下の女の子におぶられるのは、騎士団長として威厳がね。まあ、男の見栄ってやつだよ。ボクが本当にどうしようも無い時以外は、それを尊重してくれると助かるかな」

「偉くなると大変ね……でも、危なそうだったらちゃんと言うのよ! いい、絶対よ!」

 

 念を押した後、前を向いて歩き出す。

 その背中を見つめながら、ゲイリーはそっと自身の剣の柄を撫でた。


(必要となれば、あの首を叩き落とす――そんなことをしなくて済むのが一番なんだけれどね)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 抑止力、または災害に対抗するための進化の形、なのでしょうかね。
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