52/早朝の襲撃
「むう……」
テントから這い出した連翹は、未だ低い位置に存在する太陽を見て呻いた。
眠い。快適な目覚めとは言い難い。
だというのに外に出たのは、早く起きすぎてしまったからだ。
昨夜はアレックスを弄りながらご飯を食べ、村の共同風呂を借り汗を流した後にぐっすりと眠った。長時間歩いた疲れもあり、普段よりもずっと早く。
そうしたら、ノーラよりもずっと早く起きてしまったのだ。ノーラはカルナと共に古い本を読んでいて、遅くまで起きていたためだ。
隣で気持ちよさそうに眠るノーラを見つめつつ、しばらくテントの中でごろごろしていたが、さすがに退屈だった。
だから、ノーラを起こさないようにテントの外に出たのだが……
「でも、失敗だったかしら。うう、寒い。……けど、今更テントに戻るのもなぁ」
何度も出たり入ったりしていたら、ぐっすり眠っているノーラを起こしてしまうかもしれない。
眠たい時に邪魔してくるモノはすべからく悪だ。
目覚まし時計とか、携帯のアラームとか、母親の声とか、そういうのも全部悪なのである。
そして自分がされて嫌なことはしないのは当然だとも思う。
(けど、寒くて暇なのはちょっとなぁ……)
体を震わせながら耳を澄ます。
誰か起きていないだろうか。もし起きてたら、他愛もないお喋りにでも付き合ってもらおう。
「――うんっ?」
耳が、音を拾う。
風を切る音がする。
地面を強く踏み込む足音もだ。
大きな音ではないが、しかししっかりと響くその音は、色々なところから聞こえてくる。
(素振りとか、そういうのの音ね。この寒いのによくやるわ……)
ため息を吐きながら、一番近い音がする場所へと近づいていく。
そこに、ニールがいた。
上半身の服を脱ぎ捨てた彼は、冬の朝だというのに汗を滴らせながら剣を振るっている。
「ふ――ッ! ふ――ッ!」
一回、一回、と体に刻み込むように剣を振るう。
実戦で振るう剣よりも遅く、しかし正確さを重視した斬撃を虚空に放つ。
その度に指の握りや腕の力の入れ具合を微調整し、次の斬撃を振るう。
単調だが、集中力のいる鍛錬だ。己と向き合い、己を研ぎ澄ます――ただそれだけのために、自身が持ち得る集中力を注いでいる。実際、近場まで見に来た連翹に気づく様子もない。
(これ、こっそり背後から忍び寄って脇の下に枝とか突っ込んだら驚くかしら)
手とか指でないのは、突っ込んだ瞬間汗でじっとりしてそうだからだ。正直あまり触りたくない。
適当な小枝を拾い、怪我をしないように軽く周りを愛剣貪り食らう黄金鉄塊で削ると、忍び足でニールに接近する。
無心で――いや、剣にのみ心を注いだ状態で素振りをするニールへ、抜き足差し足忍び足。ゆっくり、ゆっくり、近づいて――
(喰らえ、ルビは思いつかないけどとりあえず脇刺す死刺の小枝――!)
心のなかで真名を開帳し、小枝で脇を狙い打つ。
さあ、突然の衝撃に珍妙な悲鳴を上げるがいい――!
「誰だ!」
剣が翻り、小枝は斬り飛ばされた。
え? と思い先程までニールがいた場所をよく見るが――居ない。視線をずらすと、いつの間にかニールは数メートル先で剣を構えた状態で連翹を睨んでおり――数秒後、脱力した。
「……お前かよ、いったい何事かと思っただろうが。ホントにお前は馬鹿女だな……」
剣を鞘に収め、深い溜息を吐かれる。
「な、なによなによ! 無防備な脇の下に適当なモノを突っ込みたくなる衝動は人類共通のモノでしょ!?」
「勝手に俺を巻き込むんじゃねえ」
「大体、なによ今の逃げ足。小枝がそんなに怖かったんですかー? はーん?」
「相手の武器を弾きつつ、相手の間合いから外れただけだっての。つーかお前こそ、いつも自信満々の癖して簡単に小枝斬り飛ばされたのはどういうことだ、あーん? この脆弱転移者が」
「なんですって! 待ってなさい、今いい感じの小枝であんたの脇の下を蹂躙してやるから……!」
足元に視線を向け、ニールに前言を撤回させるべく小枝を探す。
無事、いい感じに手に馴染む小枝を見つけ、尖って危険な部分を頑張って剣でそぎ落としていると、深い深いため息が頭に叩きつけられた。
「そんなこと言う相手の前で隙晒す馬鹿がいるかこの馬鹿女。つーか、連翹お前なんでこんな時間に起きてんだ? まだ、朝食も始まってねぇぞ」
「待って、あたしが朝食の匂いで起きてくるって誤解を生むような言い方はやめて」
「大体事実だろ。女王都の宿じゃあ、俺らが朝食食おうとすると、いつも八割くらい瞼を閉じた状態で部屋から出てきてノーラの隣に座ってたじゃねえか。途中からノーラ、お前の分も前もって頼んでたし。つーか、眠いなら寝とけよ、用事ねぇ限り起こさねえんだからよ」
「なによ、皆が楽しく一緒にごはん食べてるのに、あたし一人でごはん食べろっていうの? ブランチの響きは格好良いけど一人で食べるのは寂しいじゃない! あたしも一緒にごはん食べさせてよ!」
「うっわ、なんだお前めんどくせえ――」
えな、と。
言い切る前に言葉を切ったニールは、無言で剣の柄に手を伸ばし抜剣。瞳を刀剣の如く鋭くさせ、あさっての方向に視線を向ける。
突然無視された、と思いムッとし――しかしすぐさま違和感に気づく。
(なんか――あちこちが騒がしい?)
誰かがテントで眠る仲間を起こす声や、武具を装備する金属音。そしてニールのように外に出ていた者が、油断なく武器を抜く音だ。
激しい音、ではない。
だが、連翹はなんとなくこの音たちが戦いの音なのだと思った。
近くのテントでは、すでに武装を終えた騎士たちが兵士を率い、武器を構えているのが見える。
「……思ったより早えな。来るにしても、西部に入ってからだと思ってたんだが」
防具外してるのは痛えな、とニールは忌々しげに舌打ちする。
何を言ってるのよ、あたしにも分かるように説明してよ――そう言いかけ、口を閉じる。
(この集まりは、西の転移者たちから街を奪還するためのモノ。そして、その皆がこんなに真剣になっているということは――)
ただのモンスターや野盗などでは、断じてない。
転移者だ。恐らく、自分たちを狙った。
そして、ニールなどがそれに気づいたのは、きっと殺意やら悪意を感じ取ったからなのだろうと思う。
(そういうのに気づいて武器を構えるのってなんか格好良いわね……あれ、いや、でも、それだとあたしが無能っぽい? ……いや、きっとアレだわ。あたし強いし、あの程度のポテンシャルの相手じゃほんの少しもビビらないってだけ。うん、知らないけどきっとそう)
元々、その手の気配を察するのは苦手なのだ。
というよりも、そう言った感覚を研ぎ澄ます必要が全く存在しないというべきか。
転移者の体は硬く、また状態異常を防ぐ。奇襲されても素の防御力で防げるし、毒矢などで弱体化されることもない。そして、囲まれたところで囲んだ連中相手に無双できるスキルがある。
敏感である必要がないのだ。むしろ、その手の小細工を真っ向から踏み砕くのが転移者の力なのだから。
「ニール、あたし全然分からないんだけど。一体何人くらい来てるの?」
「四人。バラバラに移動して、俺らの野営場を襲うつもりらしい。その内、一人はまっすぐこっちに来る」
そんなことも分からねえのかさすが馬鹿女だなお前――みたいなことを言われると思ったが、しかし予想に反してニールは淡々と気づいた情報を喋ってくれた。
それだけ真剣なのだろうな、と思う。無駄口を叩いている暇があれば、どうやって戦うのかを考える。そういうことなのだろう。
「――うん、一人はあたしが戦う。ニールはノーラやカルナと合流して、ついでにちゃんと防具装備してきて」
一歩。
前に出て、剣を構える。
「……あ? いい格好がしたいだけなら――」
「そういう気持ちはもちろんあるけどね。でも、ニール防具つけてないじゃない。レオンハルトの時、致命傷はなくても掠った跡がたくさんあったのに」
防具なし、かつカルナとノーラの援護なしでは、ニールは実力不足だと思う。
正直なところ、連翹は現地人の戦闘能力の差なんてあまり分からない。しかし、もしニールが一人で転移者と戦えるのなら、カルナやノーラが居た時にもっとスマートに勝てていたと思う。
「それに、まっすぐ来てるなら丁度いいわ。あたし気配とか殺気とか全然分かんないから、下手に他の人と合流するより、ここで大活躍した方が貢献できるでしょ?」
活躍して、もっともっと自分を認めてもらいたいという気持ちは大きい。
最近あまり戦えていないため、ノーラ辺りは転移者の片桐連翹ではなく普通の片桐連翹と見られている気さえする。
(それじゃあ駄目なの、そんなんじゃ、いずれ見限られちゃう)
片桐連翹は転移者で強くて頼りになる人だって思われなくてはならないのだから。
だから、大活躍したいという気持ちは偽りではない。
けれど、それと同じくらい――ニールを下手に突っ込ませて危険な目に合わせるのも嫌だ、と思っているのだ。
(まあ、なんだかんだでノーラとも仲悪くないしね。下手に無茶して死んでも、あたしは困らないけど、ノーラが悲しむし)
たぶん、そういうことなのだろうと思う。
「――オーケーだ。こっちも余裕できたら、カルナたちと一緒にそっちに向かう」
ニールは数瞬黙り考え込んだが、そう言って自分たちのテントの方へと駆け出した。
「その頃には敵は哀れに骨になってるから問題ないわ、それよりノーラお願いね!」
ニールは答えない。
聞こえていないことはないだろうから、答える手間と時間を惜しんだのだろう。
早く防具を身につけないといけないから、というのもあるだろうが、何よりカルナもノーラも後衛だからだ。
カルナは虚弱なワケではないし、弱いモンスターなら肉体で戦える程度には身体能力が高い。しかし前衛と、それどころか転移者と競える程の能力はないのだ。
「さあ、それじゃあ久々に全力で戦いましょうか。我が剣に斬れぬモノはなし、相手はなんやかんやでバラバラに引き裂かれて死ぬ――!」
すでにニールたちの心配はしていない。
なにせ、彼らは運に恵まれたとしても、転移者を撃退しているのだ。そして、今は騎士や兵士、他の冒険者も居る。劣勢になることもないだろう。
それに、劣勢になっていても問題ない。来た敵を軽く捻った後、救援に向かえばそれはそれで美味しい。
「それはどうかな? 『クリムゾン・エッジ』」
「『ファスト・エッジ』ッ!」
轟、と炎を纏って突貫してくる斬撃を、咄嗟に発動した斬撃で応戦する。
刃と刃が衝突し、乾いた金属音が鳴り響く。本来なら衝撃で火花の一つでも爆ぜるところだが、相手の剣が纏った炎がそれを飲み込み燃え盛る。
「熱――この!」
スキルの発動硬直が失せた瞬間、背後に跳ぶ。
『クリムゾン・エッジ』は、初歩スキル 『ファスト・エッジ』に炎を纏わせたスキルだ。
『ファスト・エッジ』に比べ威力は高く、炎による追加ダメージを狙えるスキルだが――
(『ファスト・エッジ』に比べて発動後の硬直が長い!)
だから問題ない。すぐに炎から距離を取れる。
連翹の動作に、突如現れた男は「へえ」と意外そうに呟いた。
「なんだ、君。転移者なのか」
「何よ、この黒髪とセーラー服、見れば分からない?」
「生憎と、他人に興味はなくてね。それに、どちらにしろおれの道を阻む障害物だろう?」
なら問題ない、排除するだけだ――と男は笑う。
歳は大体、二十代くらいだろうか。顔が見えない程に伸びた前髪と、全身を覆う漆黒の鎧が容姿の判別を難しくしているが、しかし三十代よりは若く、十代程に若くは見えない。
彼は長剣をだらりと弛緩した右手で長剣を持ちながら、ゆっくりと連翹に歩み寄ってくる。
「臭うな。群れの臭いだ。一人では何も出来ない雑魚どもが身を寄せ合い、愚かにもおれの国を滅ぼそうとしている。許されないな、これだから現地人は愚かなんだ。だが、一箇所に集まったのはありがたい。これで駆除の手間が省ける」
「『おれの国』? 貴方――レゾン・デイトルの王様なの?」
ぶつぶつと呟く男に連翹が問いかける。
もしそうであるなら、自分はとんでもない大物と戦うことになるらしい。
「いずれはな。あそこはおれの国になる。今は偽りの王が玉座に座し、面倒な街の管理などをしているが――ことの全てが終われば全ておれが頂く。戦果を出せば、いずれ他の転移者どももおれに跪き、自然とおれを王にするだろう」
「……なんだ、つまりただの功を焦った馬鹿じゃない」
ニールは言っていた。気配は四つと。
それは現地人程度、四人で十分だからと、そういう理由なのだと思っていたのだが――
「貴方、三人しか賛同者得られなかったんだ。そんなんでよく王になるとか言えるわね」
「黙れ!」
叫び声の衝撃で、顔面を覆っていた前髪が一瞬だけ開く。
中にあるのは不健康そうに痩けた顔だ。目元に分厚い隈が刻まれている。
「うるせえんだよ小娘が! くっそ、馬鹿にするなよ、馬鹿にすんじゃねえよ! おれは転移者なんだ、誰よりもこの世界で強いんだよ、見下してんじゃねえよ三下が! ああ、くっそ、ムカつくな。なんでおれに気持よく物語を紡がせねないんだ。これだから現地人は無能なんだよ、下手におれのヘイト稼ぎやがって、稼ぐなら稼ぐで解消の手段を用意しとけよ、くそ、くそ」
連翹への罵倒が、途中から独り言へと変化していく。
連翹個人に対する怒りは、次第に自分以外のモノ全てに拡散する。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、と。全てを憎悪し、前髪に隠れた瞳をギラつかせながら、男は呟いた。
「まあ、いい。どちらにしろ、ここにおれを阻めるモノはない」
「あら、ここに一人居るんだけど? あたしの愛剣貪り食らう黄金鉄塊は暗黒が持つと頭がおかしくなって死ぬ最強の剣、暗黒っぽい見た目の貴方が勝つ可能性は最初っからゼロパーセントよ。デバウラ―スフィフトでバッラバラにしてやるから覚悟しなさい!」
「切り裂き、潰し、殲滅する、撃滅する、虐殺する。ああ、死ねよ、死ね。おれが強いって、おれには勝てないって泣き叫びながら、命乞いしながら死ねよ雑魚ども」
渾身の名乗りを無視し、男は延々と独り言を呟き続けている。
顔が赤い。反応が何もないと超スベった気がして恥ずかしいのだ。
「……会話のキャッチボールしてよ! こっちが大人の対応してたらつけあがって、マジでかなぐり捨てるわよ、『ファスト・エッジ』ぃっ!」
「そんな低級技で、愚かな。『万魔の剣舞! レクイエ――」
言い終わる前に胴体に『ファスト・エッジ』を直撃させた。金属の悲鳴にも似た衝撃音が鳴り響き、男は背後に吹き飛ばされる。
両腕が少しだけぴりぴり、と痺れる。硬い。転移者は素の状態でも十分に硬いというのに、あんな立派な鎧を装備しているからだろう、全くダメージが通っている気がしない。
(でも、分かったわ。こいつ――転移者の力に慣れてない!)
恐らく、来てから一年も経ってないのだろう。
転移者の力は強力で何も考えず剣を棒のように振り回し、適当に技名を叫ぶだけで現地の人間やモンスターは大体殲滅できる。
だが、それでもずっと使っていれば効率のよい流れ、というのを覚えていくものだ。
大技は威力は大きいものの、発動までに時間がかかり、かつ発動後の硬直時間も長い。まともに動けないその前後部分で敵に殴られたら、大したダメージはないものの痛いのだ。
だからこそ、多くの転移者は初動の早さと硬直時間の少ない技を常用する。大技なんて使わなくても、無双なんていくらでも出来るからだ。大技なんて使っても、オーバーキルにしかならない。
(あたしは二年。いや、来年の四月くらいになればもう三年。経験はあたしの方がある!)
それに、連翹はあまりダメージを負わないように戦うことを心がけていた。
傷を負うと、痛いと思ってしまうと、ついあの日のことを追い出してしまうから。
闘技場でスキル縛りプレイで無双しようとしていたら出会った、もう顔も覚えていない戦士のことを。
こちらの攻撃を避けて一撃を入れた男。胴体を両断されてなお、瞳を戦意で輝かせていた誰か。
あれのせいで、昔から他の転移者のように現地の人間『で』遊ぶようなことが出来なくなった。ふざけるなよ、見下してるなよ、と睨まれている気がするから。
「痛い……くそ、この、小娘、このおれに、傷を……!」
「その程度がなによ、血も出てないじゃない」
「くそ、くそ、くそ、こんなの駄目だ、こんなの認めない、殺す、殺す、殺してやるあの小娘」
「やれるもんならやってみなさいよ。けど、あたしはこんなところで負ける気はないわよ」
少なくとも。
あの記憶の戦士と出会うまでは。
どうしたいかは知らない。話したいのか、戦いたいのか、自分でもよく分からない。
記憶の男は怖い。出来れば思い出したくないくらいに。
なぜだか無性に、連翹は顔も思い出せないあの戦士と会いたかった。




