46/渇望
騎士修練場に、鋼と鋼が衝突する乾いた音が響き渡る。
「人心獣化流――餓狼喰らいぃ!」
裂帛の気合いと共に刃が走り、冬の空気を裂断する。
踏み込みながら振るった斬撃に期待した手応えがないことを認識すると、ニールはすぐさま背後に跳んだ。
瞬間、先程までニールが居た場所に閃光めいた速度の刺突が通り過ぎて行く。
(速――ええ!)
間合いの外に転がり出るように回避しつつ、頬にひやりとした汗が伝うのを感じた。ちい、とニールは眼前の相手を睨みつける。
燃え立つような赤髪を、ポニーテイルにしている。細身の体ではあるものの、全身にしっかりと筋肉のついた戦士の肉体であることがニールには分かった。
白銀の鎧を身に纏い、鍔に勇者リディア・アルストロメリアの肖像が掘られている剣を握る彼女は、ここアルストロメリア女王国の騎士である。
――女騎士キャロル・ミモザ。
レオンハルトに破れ、捕まり、ニールたちに救出された女騎士だ。
「ニール君、君は動きが大きすぎるわね。もう少し相手の動きを見極めて、最小の動きが出来ればもっと速くなれると思うわ」
性格の強さが現れたような鋭い瞳。それを柔らかく緩めながら、彼女は微笑む。
それが、ニールを僅かに苛立たせる。自慢の攻撃を軽く回避された――いや、それどころか相手はこちらの動きを見て悪い部分を指摘する余裕すらある。
そんな剣士と戦えること、それ自体は嬉しい。
ただ、相手の本気を引き出すことのできない自分に腹が立つのだ。
「助言感謝感激――だけどその余裕はムカつくんだよ!」
体内の気を練り上げ、それを剣に纏わせる。
燐光を放つ刀身を最上段から地面に叩きつけ、開放。
「人心獣化流――破砕土竜ァ!」
キョロルに向けて、地面を這うように衝撃波が放たれた。
地面がめくれ上げ、砂や石をまき散らしながら疾走するそれを、キャロルは地を蹴り空を飛ぶような優雅さで回避する。
「かかった!」
地面から足が離れたら、鳥でもない限り人間は方向転換など出来ない。
だからこそ、破砕土竜は優秀なのだ。跳ぶことで回避は容易だが、次の技をほぼ確実にぶつけることが出来る。
悔しいが、真っ向から剣を振るっても当てられる気がしないのだ。だからこそ、こうやって相手の行動を狭め、回避を封じる!
「……うん、悪く無いわ。お手本みたいに上手い」
「跳兎――斬!」
余裕のある態度が気になるが――こちらの狙いが読まれた以上、もう同じ戦術は通用しない。
ゆえに、己の刃に全霊を込め、振りぬくのみ!
地面を蹴り飛ばし、弧を描きながら地面に落ちていくキャロルへと突き進む。
「でも、こういう搦手は得意じゃないみたいね」
鋼と鋼が喰らい合う硬質な音。
ニールの斬撃を剣の腹で受け止めたキャロルは、力に逆らわずに地面に叩きとされ――しかし、余裕を持って受け身を取り、衝撃を逃がす。
「く――そっ!」
すぐにでも追撃を行いたいが、こちらはまだ空中だ。先程のキャロルと同様に、地に足が着かぬ限り身動きが取れない。
着地する頃にはすでにキャロルは立ち上がり、こちらに向けて剣を構えている。
「狙いが丸わかりよ。同じことをするにしても、素早い動きを生かした連続攻撃の合間に混ぜ込んで――みたいにしないとね」
「……あんがとよ」
確かに、最近は知能の薄いモンスターとばかり戦っていた。
体捌きや剣術が衰えぬように実戦で、鍛錬で己を磨いていたつもりだったが、どうも対人戦の駆け引きが衰えていたようだ。
だが、それがどうした。
足の早さならニールの方が上だ。筋力だってそうだ。
僅かにでも上回っている部分があるなら、勝てる可能性はゼロではない。ならば、勝ちを欲さぬ理由もない。
(そして何より――まだあいつは魔法を使ってねえ)
彼女と戦う前に、顔見知りになった騎士アレックスが言ったのだ。
『キョロルは魔法剣士だ。そのため、町娘の格好でも他の女騎士よりも実力を発揮できると思い囮役に推薦されたのだ』
だというのに、ニールと剣を交えてから、彼女は一度もそれを使っていないのだ。
それは余裕。ニール相手なら、剣のみでも十分渡り合えるという自信から来る行動だ。
それが、腹立たしい。
その自信が、慢心ではないという事実が、ニールを苛立たせるのだ。
騎士は強い。それは理解してるし、そう簡単に勝てる相手だとは思っていない。
だが、
(勝てねえにしろ、せめてそれを使わしてやる!)
剣を右肩で抱えるように構え――駆ける。
早く、速く、疾く。
ニールが彼女に勝利している部分は、速度と腕力だ。
ならば、それを限界まで研ぎ澄ましてブチ込む!
感情のまま咆哮し、ジグザクに駆け抜ける。しかしそれとは真逆に、心は凪いだ海の如く平静だ。
どこが相手の隙か、どうやって切り込むか。
そういった思考が刃と刃が衝突し爆ぜる火花のように、生まれては消え、消えては生まれる。
元々、ニールはこういった咄嗟の思考が得意だ。長々と戦略を考えるよりも、刹那の戦術を脳内で組み立て相手を攻め立てる方が性に合っている。
「餓狼――」
踏み込み、剣を振るう。
キャロルはニールの行動に「やはり」と不敵に笑い、ほんの僅かに前に出る。
一気に踏み込み、袈裟懸けに叩き切る技――餓狼喰らいは逃げる相手には簡単に追いつける。
元々、逃げる獲物を追いかけて食らいつく飢えた狼を模した技なのだ。僅かに左右や後ろに逃げたくらいでは、簡単に追いつき、その剣で相手を貪り喰らうことが出来る。
だが、懐に入り込まれたら、そうもいかない。
剣の威力は外側の方が速度が乗って威力も高いのは当然として、懐にまで入り込まれたら剣を振るうことすら出来ない。
だからこそ、キャロルは前に出た。この短い戦いの間に、技の弱点を見抜いたのだ。
だが、それがどうした。
「……! 踏み込みが、浅――」
そも、キャロルを切りつける気も――そもそも、このタイミングで餓狼喰らいを使う気もない!
人心獣化流はニールが学んできた剣術だ。実践できるかどうかは別として、弱点やその対処法などは頭に入っている。
それに何より――その手は試験の時、騎士アレックスに使われたのだ。
経験を積めば、当然相手の動きを予測し対処することもたやすい。
「――残念だったな!」
振るった剣を地面に突き立て、そのまま一気に気を流し込む。
人心獣化流、破砕土竜。
突き刺さった剣先から扇状に地面をめくり上げていく衝撃波が、キャロルの体を正面から殴りつけた。
鋼が軋む鈍い音が鳴る。見れば、剣の腹をこちらに向け、顔付近をガードにしているのが分かった。
(顔を傷つけたくなかったってか? そんな甘い考えで俺に勝てると思うなよ!)
短い時間に二度、体内の気を放出したため、全身に鉛のような疲労感が広がっている。
だが、問題ない。残った体力を振り絞り、最高の一撃を放ち彼女を打倒する。
(顔全体を守るようにガードしてやがるから、視界が開けてねぇ。仕留めにかかるなら今だ!)
右肩に剣を担ぎ、矢の如く疾駆する。
今度こそ全身全霊の餓狼喰らいだ。防御ごと叩き斬るべく振るう斬撃で、この勝負をニールの勝ちで終わらせる。
距離を詰め、剣を振り下ろす。相手はまだ防御を解いていない。これで勝――
「――灼熱の隼によって、我が敵を焼き、裂き、撃滅せよ」
――ぶわっ、と。
体から冷たい汗が吹き出した。
(しまっ――)
キャロルが顔付近をガードしたのは、自分の顔を傷つけたくないなどという理由ではない。
衝撃波を防ぐためであり――口元を隠し、ニールに自分が詠唱をしていることを隠したのだ。
まずい、と思った時にはすでに遅かった。
轟、と隼を模った炎がキャロルの背から飛び出し、ニールに殺到したのだ。
胴体、顔、腕、脚――複数の部位に着弾し、爆炎と共に破裂する隼。その衝撃に、勝利を確信していたニールは耐えられなかった。
宙に跳ね上げられ、腕から力が抜ける。
「さっきのフェイントは中々良かったわ。もっとも、勝ちを確信して防御を疎かにしたのは頂けないけどね」
勢い良く地面に叩きつけられるのと、首筋に剣が突きつけられるのは同時だった。
◇
「ああ、くっそ――いけると思ったんだがな」
剣戟の音を聞きながら、ニールは休憩用作られたベンチに腰を下ろしていた。
女王都リディアに来てから、二週間経った。その間、ニールは騎士たちと混じって鍛錬に参加したり、先ほどのように試合を行っている。
もちろん、騎士たちは冒険者の試験を行いつつ、西に向かわない騎士に業務の引き継ぎなどを行っているため、暇ではない。それでもニールのような冒険者に構っているのは、一緒に戦う者とのコミュニケーションという側面が大きい。
実際、ニール以外にも合格したらしい戦士が、騎士に試合を挑んではボロ負けしている姿などが確認できる。
今、目の前で行われている戦いなども、その一つだ。動きやすい衣服に皮の鎧を身にまとい、右手には短剣というスタイルの男だ。戦士というよりスカウトに見える。
彼も華麗な身のこなしで騎士を翻弄しているものの、しかし時間が経てば経つほど動きを見切られ、追い詰められていっている。騎士の剣を捌ききれなくなる瞬間も近いだろう。
「お疲れ様、ニール君。ありがとうね、やっぱり他流派と戦わないと駄目ね。同門同士も勉強になるけど、そればかりだとね」
俺も速いつもりだったが、あいつ俺より速えなオイ――と内心で感嘆していると、ベンチの隣に誰かが腰掛けた。
誰だろう、と思いそちらに視線を向けると、先程戦った女騎士キャロルの姿が見えた。軽く井戸水で顔や髪を拭ったらしく、ポニーテイルが水を含んでしっとりとしている。
「いや、こっちも勉強になった。最近、技量的に格上と戦う機会がなかったからな。あんな感じに上手くあしらわれると、すげぇ悔しいが色々参考になる」
「それは良かったわ。ここで何の参考にもならなかった、なんて言われたら騎士辞めてたかもしれないから」
微笑むキャロルだが、若干表情が硬い。無理に笑顔を作っているように見えた。
聞きたいことはあるが言い出しにくくて、世間話で距離を測ろうとしているように思える。
「なんか聞きたいことがあんなら遠慮無く言ってくれていいぜ。勝者の特権、ってヤツだ」
これがカルナなら、もう少し自然に会話を繋げられたんだろうな、とは思う。
だがニールはそういうのがどうも苦手だ。直球で言いたいことを言い合う方が楽だし、性に合っている。
「ニール君。なんで君はあれと戦えたの?」
あれが何を指しているのか、言われなくても分かった。
レオンハルトと名乗った転移者、大蔓穂という少年。
キャロルは彼を捕らえるための囮となり――その役目を果たせず、敗北した。
「戦って分かった。私はニール君より強い――ああ、別に嫌味だとか、変な意味はないから誤解しないでね」
「分かってるから続けてくれ」
そんな小さい奴じゃないだろあんた、と言うと彼女は少し困ったように笑った。
「でも、私は勝てなかった。いいえ、戦いにすらならなかったわ――これでも、そこそこ強いつもりだったんだけれど。だというのに、私に劣る君が、三人がかりとはいえあの転移者に勝利した――ねえ、私と君の違いって何?」
実力不足で勝てなかった、それなら理解できる。
なぜなら、それは自分が弱かっただけ。ならば鍛えればなんとかなる――ああ、とても簡単な理屈だ。
けれど、実際はそうではない。
キャロルは武装こそしてなかったとはいえ、複数の兵士たちと共に戦いを挑んだ。ニールたち以上に、数の利はあったのだ。
だというのに、数も質も劣っているニールたちが勝利し、自分たちは敗北した。
「……一応言っとくが、俺らだってノーラが足止めしてくんなきゃ無様に負けてたぞ」
「それでも、君たちは戦いになっていた――そうでしょう?」
真剣な目でこちらを見つめてくるキャロル。その両手は、かつての悔しさを思い出しからか、強く強く握りしめられていた。
役目を果たせず、同じように捕まった女の子を守れずむしろ庇われ、その女の子と仲が良い冒険者達が自分を圧倒した相手と戦った。
悔しくて、情けなくて、剣を捨ててしまいたいくらいなのだろう。
だが、それでも騎士としてこの場に居るのは、負け犬のまま終わりたくないからだ。騎士として、戦士として、いや――キャロル・ミモザという名の一人の女として名誉を取り戻したいと願ったからだ。
(……はは、いい女だな、おい)
そんな熱意を感じたからこそ、ニールはなるべく教えられることは教えたいと思った。
だが、ニールはそこまで他人にモノを教えることが得意なタイプではない。「あぁ……」と唸りながら、必死に言葉を紡ぐ。
「えっとだな……簡単な話で、ドラゴンを単騎で殺せる英雄様だって、ドラゴンのブレス直撃くらっても無傷で戦闘続行できるワケじゃねえだろ?」
人間一人を簡単に消し炭に出来る炎を吐き出せるドラゴンを相手にするなら、様々な対処をしなければならない。
相手の動きを観察しブレスの直撃を避けることや、
炎に耐性のある装備で固めて生存率を上げること。
他にも色々あるだろうが、そういう風に規格外な力に対して対策を練って練って練って――勝率を底上げして勝利する。
それが、人間という種族の戦い方だ。
自分を磨き、相手の力に対して万全の対策を取り、人間以上の種族を屠ってきたのだ。
もし、人間が自分の体のスペックに任せて戦うことしかしなければ、とっくに人間など滅びて魔族なり獣人なりモンスターなりが大陸を制覇している。
「俺は、一度転移者に負けたからな。その後、自分を磨きつつも、相手の情報を探ってた。んで、『スキル使わせたらヤバイが、使わせなきゃ勝てるかもしれねえ』と思ったわけだ」
無論、その考えが甘かったのはレオンハルトとの戦いで証明済みだ。
現状では一撃で仕留められない以上、もっと強くなって一撃で相手を殺せるようになるか、相手のスキルを見切り反撃する手段を模索しなければならない。
「分かんねえことだらけだが……何にも知らねえ奴に比べりゃ、戦えるのは当然だろ。キャロル、お前が負けたのは、ドラゴンに正面特攻しかけてブレスの直撃喰らって焼け死んだとか、そんな感じなんだよ、きっと」
対処しなければ負ける一撃も、知らなければ対処など出来ない。
恐らく人間は、何度も初見で殺され、生き残った者が必死に打開策を考え、他種族と対抗して来たのだ。
昔の人間だってそうやってきた。ならば、今の自分達ができない理由はない。
「つっても、言葉ほど簡単じゃねえんだけどな……俺だって、どう対処するか悩んでる最中だしよ。悪かったな、大したことを教えられなくて」
「いいえ、ありがとう。凄く参考になったわ」
言って立ち上がったキャロルは、迷いのない笑みでニールに微笑みかけた。
「今度はあんな無様を晒さないわ。絶対に、騎士として君たちを守ってみせる」
「守られるほど弱くねえ――と、言いてえが、まあ相手が相手だかんな。ま、俺が絶対絶命で、そっちが助けられそうなら助けてくれよ」
「言われるまでもないわ。私、キャロル・ミモザはアルストロメリアの騎士なんだから」




