45/大蔓穂
酒が入って若干ふわふわとした頭で夜の大通りを四人で歩く。
それだけで楽しいのは、お酒が入っているからなのか、それとも仲の良い人たちと一緒に歩くからなのか。
(たぶん両方、ですね)
街を賑わす喧騒は、昼に響く生活の賑わいから、酒場から響く喧騒や家屋から響く食卓のなごやかな声に取って代わる。
先頭で歩くニールは、両手を頭の後ろで組みながら楽しげに歩く。その頬には、なぜだか拳の跡がついていた。
(というか――わたしがつけました)
拳がじんじんと痛みを発しているが、仕方がない。あれはあそこで殴っておくべきだったと思うのだ。
「やっぱ白って色はいいな。一番無難だが、見ていて滾る……!」
「ねえ、カルナ! ねえねえカルナ、剣とか魔法で造れない!? 鉄じゃなくていいから、石とか氷でいいから! ニールの脳天叩き割れたらそれでいいから!」
「い、いやあ……まあ気持ちは分からなくもないけど、一応あれでも相棒の端くれに引っかかる物体だからさ、殺すのはちょっと遠慮してもらいたいな」
最後尾で連翹が「ふしゅるるるる!」とニールを威嚇しながら歩いている。
間にノーラとカルナが居るというのに、スカートの前後を両手で抑えたままだ。頬は、怒りとは別種の朱色で彩られている。
「下ばっかガードしてるからそうなんだよ。ズリ降ろされる可能性を考慮しない時点で、お前の負けだったんだよ」
スカートの裾を巡った激闘は連翹の優勢で進んでいたのだが、彼女はスカートの裾ばかり守っていたため、スカートの上部が疎かになっていたのだ。
それに気づいたのと、ニールの手がスカートの止め金具を外したのはほぼ同時。
ふわりと落ちていくスカートと、開帳されるレースで装飾された白い下着。慌てて目を逸らすカルナと、悲鳴を上げる連翹。そして、洒落にならないくらいにブチ切れたノーラの拳がニールの頬を叩いたのだ。
ノーラのそれは腰の入った、いいパンチだった。
連翹のそれは華美ではないが可愛らしい、いいパンツだった。
そんな感想をニールが言ったから、同じ場所を全力で殴った。子供の悪戯ならまだ加減をするが、ニールは一応もう大人だ。ここは全力でぶん殴るべきだと判断した。
残当だね、というカルナの声を思い出しながら、腰に手を当ててニールを睨む。
「ニールさん、今度やったら頬じゃ済みませんからね。というか、ニールさんの歳では普通に犯罪ですからねこれ! レンちゃんたちと一緒に助けてくれた恩が無ければ、とっくに騎士さんたちに通報してましたからね!」
冗談の類だと思ってたのに、本当にやるとは思いませんでした――そんな言葉を瞳から放ち、氷の刃の如くニールの背中を突き刺してやる。
しかしニールはそんな視線などどこ吹く風、酒の入った頭のままケラケラ笑いながら連翹を指差し煽っている。
ノーラは重いため息を吐いた。悪戯っ子に説教をしている気分だ。何回怒っても反省の色が見えない辺り、すごくそう思う。
「……カルナさん、ニールさんって元々あんな感じな人なんですか? なんというか、宿場町で会った時は、まだ多少常識的な気がしたんですけど」
ニールを罵倒する連翹の声と、それを笑いながら受け流すニールの声。
それに隠れるように、ぼそぼそとカルナに問いかける。
カルナに比べて配慮は足りなかったものの、それでも紳士的だったと思う。
けれど、連翹と出会ってからしばらく、欲望に身を任せた行動が増えたような気がするのだ。
「ううーん……よく考えれば珍しい、かな。確かにニールは女の人のお尻とかふとももとか、下半身辺りが好きだけど」
「率直に言って最低ですよねそれ」
別に男なのだから、女の体が気になるのは仕方がない、とは思う。
けれど、言葉や文字にするとすごく最低な表現になるのは何故なのだろうか。
「ああ、うん。でも今みたいにずり下ろしたりしない限りは許してやって欲しいかな……ニールも男だし。僕だって好みの部分見てムラムラするのは理解できるし」
「カルナさんも実はけっこう酔ってますよね。言わなくてもいい部分まで言って自分の株下げてますよ」
カルナはそこそこ常識的とはいえ、やはり男たちだけで冒険していた人間である。
普段はノーラや連翹などが居るためそういった発言は自制しようとはしているものの、ふとした拍子に喋ってしまっているのだ。
(けっこう格好良いのに特定の相手が居ないのは、こういう残念な部分があるからなんでしょうかね)
初対面の印象は凄くいいのだ。
顔も整っているし、女性を守るようにそっと手を差し伸べてくれる。
正直な話、宿場町辺りでは過保護過ぎるとは思いつつも若干ときめいたものだ――今はまあ、なんだかんだで隙だらけですよねこの人、という感想になってしまうのだが。
「……まあ、それはともかくさ。ニールはそういう部分が好きだって公言はしてたけど、わざわざ自分でスカートめくったり覗きこんだりしてた覚えは僕にはないんだよね」
カルナは人差し指で顎を叩きながら、脳内の記憶を探る。
数秒その動作を続けたものの、しかし結局それらしい記憶を引き出せなかったのか、首を左右に振るう。
「……よくよく考えたら、あんな風にセクハラしてるのってレンさんだけじゃないかな。……完全に忘れられたからってそんな悪戯するとか、大人気ないなぁ」
小さく独り言を言った後、あいつ子供だからねとカルナは笑う。
しかし、ノーラはそれを笑えなかった。
(忘れられてたって――つまり、ニールさんはレンちゃんに昔会ったことがある?)
ならば、つまり――とノーラの脳内で情報が繋がっていく。
自分が持っている知識と、ニールが連翹にしている行動。それらを繋げていくと、恐らく――
「……ああ、つまりそういうことなんですね……想像以上に子供ですねニールさん……!」
思わず頭を抱えたくなった。
行動もそうだが、何よりも自分がなぜそんなことをしているのか――それに本人が全く気づいていないことが、また子供だ。村の広場で駆けまわっている子供から成長してないのではないか、とすら思う。
「はは、まあニールが子供っぽいのは仕方がないことだよ」
言うべきでしょうか言わぬべきでしょうか、いやこれは絶対当人が気づかないとムキになって否定する類のモノですねぇ!
そんな風に悩んでいるノーラの隣で、カルナが笑う。
「わたしから言わせて貰えば、全く気づいてないカルナさんも十分子供ですよ」
「あれぇ!? なんでここで僕に流れ矢が飛んでくるのさ!?」
「じゃあ、カルナさん。どうしてニールさんがレンさんを気にしているのか、分かります?」
「え? うーん……まあ、本人に言わないのであれば、隠す必要もないかな」
一応、レンさんには黙っておいてね――そう前置きして、カルナはニールから伝え聞いた連翹との出会いを語りだす。
新人冒険者のトーナメントで出会い、勝負し、無様に負けて努力を嗤われたその話を。
それから二年間、ニールは連翹を倒すために冒険者として研鑽を積んできたことを。
二年後に出会い、ニールは鮮明に覚えていたというのに、連翹はニールのことなど欠片も覚えていなかったことを。
「こうやって話すと、なんだこの女って感想なんだけど――会って話すと、そこまでトチ狂った転移者には思えなくてね。僕も、ニールも、若干判断に困ってる部分があるんだ」
「……ああ、だから気づけないんですね。そういう気持ちをなんとなくで自覚しても、そういう理由で……」
「ノーラさん、一人で納得してないで、僕にも教えて欲しいんだけど」
「いえ、完全に合っているかどうかは分かりませんし、何よりも今言ってもニールさん否定しかしませんよ。合ってるにしても間違ってるにしても、自分でケリをつけないと」
「いや、ニールに教えなくても、僕に教えるのくらいは――」
「だって、カルナさんニールさんになんだかんだで甘いじゃないですか。ニールさんが悩んでいて、自分が答えを知っていたら、絶対教えちゃうじゃないですか」
「そんなこと――ない、とは言い切れないなぁ。あいつが悩んでる姿とか、あんまり見たくないしね」
でしょうね、とノーラは小さくため息を吐く。
ため息といっても、それは呆れというよりも「仕方ないなぁ」と微笑むような柔らかいモノだ。
ダメな部分もあるけれど、こうやって友人を心から想っている姿を見ると、呆れよりも羨ましさの方が強くなる。
「もう怒った! あたしの怒りが有頂天になったわ! パンチングマシンで100とか出す拳で、貴方の脳天バラバラに引き裂いてやる!」
「ハン! やれるもんなら――あ、ちょい待てストップ。たんまだたんま」
「ほう? あたしの致命的な致命傷を与える攻撃を構えを見ただけで理解するなんて、中々に長寿タイプじゃない。けど、時はもう時間切れ! 仏の顔を三度までって名台詞――」
「おいアレックス、どうしたお前こんな場所で」
「――聞きなさいよぉ! せっかく転移者の肺活量フル回転でペラ回してるのに! あ、喉乾いてきた……」
無視して走りだすニールの背中を睨みながら、連翹はげほげほとむせている。
なんだろう、とニールが向かう先を見ると、見知った男の姿があった。
背丈の高い青年だ。艶やかな金髪と輝く碧眼が、月明かりに照らされて夜の闇に映えている。
アレックス・イキシア――レゾン・デイトル行きの試験で、ニールと戦った騎士だ。
今は非番なのだろうか、白銀の甲冑ではなく白を基調とした衣服を身にまとっている。恐らく、私服なのだろう。
そんな彼は、一人の男に肩を貸して歩いていた。
その男は背の高い騎士アレックスと並べても、なお大柄に見える。分厚い四肢に、肩の辺りで乱雑に切った茶色の髪。夜の闇の如く黒い瞳は鋭く、ちゃんと二本の脚で立っていれば威圧感のある大男に見えたことだろう。
けれど、今のように騎士アレックスに肩を貸され、引きずられるように歩いていると、全くそんなふうには見えないのだが。
「む――グラジオラスか」
「おう、奇遇だな。なんだ、同僚が酔いつぶれたのか?」
「似たようなものだ。彼は騎士ではなく、兵士ではあるがな」
うおぷぅ、と騎士アレックスに支えられた男が体を震わせた。
びくり、と騎士アレックスの体が反応するが、男はなんとか吐瀉物を飲み込んで辺りに撒き散らすのを防いだ。
(た、大変ですよねえ……)
肩を貸す騎士アレックスも、必死に吐くのを耐えている男も。
自分も昼頃にやらかしたので、喉元辺りまでせり上がってくる感覚が辛いことは理解できる。
「あの、奇跡の力、使いましょうか? わたし程度では酒を全部抜くことは出来ませんけれど、少し楽にすることくらい」
「……いや、遠慮しておこう。もう少し彼を、ブライアンを酔わしてやってくれ」
誰だって酒に飲まれたい時はある、と。騎士アレックスは静かに呟いた。
「オレが、オレがもっと話を聞いてやれば良かったんだ。そしたらよ、もっと別のなんかがあったんだ。みのるの奴も、殺された女たちも」
肩を貸されて歩くその男、兵士ブライアンは痛みに耐えるような声で言葉を連ねていく。
それは懺悔であり、人に聞かせる言葉ではない。酩酊した意識が、胸の中で淀んで溜まった罪悪感を少しでも減らそうと口から吐き出しているのだ。
(それって――まさか)
「みのる? なんか大陸の人っぽくない名前ね。日向の人だったりするの? あたし、こっち来てから日向の人と会ったことないのよね」
ニールに無視されて暇になったのか、連翹が会話に混ざってくる。
正直、空気が読めていないにも程がある行動だったが、兵士ブライアンは誰かに話しを聞いて欲しいのか、酩酊した意識のままぽつぽつと言葉を連ねていく。
「いいや、あいつは日向の産まれじゃあない。それどころか、この大陸の産まれでもない――あいつは転移者だったんだ」
「へえ、あたしと一緒なのね」
「嬢ちゃんもか? ああ、確かに似たような黒髪に黒目で、日向の奴らより背が高ぇなぁ……」
あいつの同郷かあ、と。
兵士ブライアンは寂しそうに笑いながら思い出を語る。
「あいつはすげえ強ぇのに、妙に臆病でな。オレが最初に会った時も、冒険者の宿近くで冒険者崩れに囲まれて半泣きになってやがったよ」
転移者すげぇ強ぇのにだぜ、と兵士ブライアンは昔懐かしむように小さく微笑んだ。
「さすがに見てられねえって助けたんだが、でもそいつ冒険者になりてぇとか言うじゃねえか。チンピラに囲まれて泣き入ってるようなガキが。まあ、だからモンスターの怖さを教えてやるために、街の外に行ったわけだ。周辺のモンスターなら何匹来ようとオレだけで守れるしよ」
そしたらあいつ、一人で全滅させやがった――そう言ってブライアンは大きく笑う。
「やあ、驚いた驚いた。何が驚いたって、なんでそんな強えのに、街のチンピラに囲まれて泣きそうになってんだよってことだ。ほんっとにチグハグでワケが分からなかったぜ」
冒険者ギルドの登録を手伝いながら、ブライアンは聞いたという。
なぜ、あんな強いのに街ではビビってたんだよ、と。
お前、あんな連中一捻りで倒せただろうが、と。
「そしたらあいつ、元々強かったわけじゃないらしくてな。力を試す前だったってのもあって、自分が強いって信じ切れず完全にビビッちまったらしい」
元々、戦いどころか喧嘩も得意ではなかったのだろう。
多数で囲まれ、怒鳴り声をぶつけられ、反撃する気も萎えてしまったのだ。
「そんな風に出会ったからな、みのるの奴とは良く会って、オレが非番の時にゃあ一緒にクエストとかやってたんだ。あいつ、こっちの常識全然ねぇからよ、時々すげえポカやらかして半泣きになるからな」
ほっとけなかったんだよ、とブライアンは楽しそうに笑う。
実際、その思い出は楽しいモノなのだろう。仲の良い誰かと一緒に紡いだ思い出は、宝石の如く輝くモノなのだから。
「けど、オレが騎士試験に落ちてへこんでる時なんかは、メシ奢ってくれてよ。一緒に何が悪かったのか考えてくれたんだ。良い奴なんだよ、あいつは。奴隷市場で娼婦買おうとして、寸前でヘタれて店から逃げるようなヘタレだったが、悪い奴なんかじゃあ、ないんだ」
表情が曇り、体に力が込められた。
ぎし、と肩を貸す騎士アレックスの体から軋む音が聞こえたが、彼は何も言わず無表情を貫いている。
「みのるの奴と出会って二年経ったころに、転移者が来たんだ。同郷の奴とダベりたいっていうから、オレも空気を読んで席を外したんだが――それから、あいつはおかしくなっちまった」
「おかしく、ですか?」
ノーラは既に兵士ブライアンの語る彼、みのるが誰なのかを理解している。
だからこそ、解せなかった。ブライアンの語る彼の姿と、ノーラの知る彼の姿が重ならなかったからだ。
「『眠るのが怖い。明日が来るのが怖い。日々が過ぎ去っていくのが恐ろしい――ぼくは何も成せてないのに、このままじゃあ』……そんなことを、延々とぶつぶつ言うようになった。
クエストを一日に何度もやって金や名声を稼いで、力を誇示するように戦って……あいつはどんどんやつれて行った」
なぜこんなことをするのか、そう聞いても彼は答えなかった。
せめて気晴らしになれば、と思い好きだった店に連れて行き料理を奢ってやっても、変わらない。むしろ、こちらを泣きそうな顔で見ていて、逆に追い詰めている気さえした――ブライアンは悔しげに語る。
「そんなある日、突然あいつはオレの家に来たんだ。ここしばらくの間の追い詰められた顔じゃなくて、悩みなんか全て無くなった、みたいな顔でよ」
安心した。
いいや、安心してしまった。
良かった、なんだか知らないが、悩みは無くなったんだな、と。
『ぼくはぼくを捨てる。弱い自分を捨てなくちゃ間に合わない。だから、最後に大蔓穂として別れを告げに来たんだ』
仲の良かった少年の言葉に困惑したものの、ブライアンはそれ以上に嬉しかったのだ。
それだけその日まで少年は追い詰められていたし、少しばかり妙なことを言っても、まあそういう年頃だ。笑って受け入れてやろうと思っていた。
『ぼく――否、我の名はレオンハルト。孤高の獅子を冠する、最強の剣士。今までの弱さ、脆さ、全てを捨ててこの我は主人公に至る。そうでなくては、間に合わない』
そう言って、彼は去った。
その当時は、ブライアンは特に問題視していなかったのだ。
一人で強くなりたい――それは男なら誰しも一度くらい思うことだし、それなら下手に精神的に弱い部分を知っている自分が隣に居ない方がいいと。
今度再開する時、あいつは成長しているだろう。なら、自分もまた強くなろう。礼儀作法なんかで落ちまくっている騎士試験を突破し、互いに成長した姿を見せあおう。
――そんなことを、あの事件が解決するまで、兵士ブライアンは思っていたのだ。
誘拐事件の犯人が、一緒に笑いあった友だと、欠片も気づかずに。
「なあ、嬢ちゃんも転移者なんだろ? なら――なら、教えてくれよ。間に合わないってなんだ。あいつは一体、何に怯えていたんだよ。オレは一体――あの時、なんて言えば、あいつを止められたんだ」
縋るように、兵士ブライアンは連翹に問いかける。
答えを得てももはや意味はない。けれど、それでも知りたいのだと彼は言う。
連翹は真っ直ぐ向けられた視線から逃れるように俯くと、震えながら口を開いた。
「……ごめん、分からないわ。その人が怯えてた理由も、別人をロールプレイしてまで何かを求めていた理由も。役に立てなくて、ごめん。茶化しながら無遠慮に聞いて、ごめん」
恐らく、本当に分からないのだろうな、とノーラは思った。
もし、一欠片でも理解できる点があれば、連翹は頑張ってそれを言葉に変えて、ブライアンに伝えていたはずだからだ。
(レンちゃんは常識知らずで空気読めてない部分もありますけど――決して悪い人でも、必死な誰かの言葉を聞き流せるような人でもないから)
だから、この言葉こそが連翹の精一杯なのだろう。
「そう……か」
「……すまなかったな、グラジオラス、片桐、カンパニュラ、ホワイトスター」
楽しい休日を最後の最後で台無しにして悪かった、と騎士アレックスは頭を下げた後、ゆっくりと歩き去っていった。恐らく、兵士ブライアンを家に送り届けに行ったのだろう。
「……ここで立っててもしょうがないし、僕らも宿に戻ろうか」
重い沈黙をカルナが破る。確かに、このままずっと居ても風邪をひくだけだ。




