44/終わりの近い休日と彼女の真意
熱した石製の丼の中に、米と肉、そしてコリコリとした食感の漬物が入っている。
じゅうじゅうと音を立てる丼の中に卵を落とし――スプーンで力の限り、混ぜる、混ぜる、混ぜる。
肉と漬物、米と卵。全てが等しく混ざり合い、丼に接する部分が熱され焦げていく。
だが、それでいい。これはそういう食べ物であり、そういう食い方を推奨するモノなのだ。
程よく混ざり合い、熱せられたそれをスプーンで掬い、食べる。
熱い。そして、美味い。
食感の違う食材が混ざり合ったそれを噛めば、肉のジューシーさ、米と卵の柔らかさ、漬物のコリコリとした硬さが味以上に噛むことを楽しませてくれる。
石焼のビビンバ――そういう名の食べ物、らしい。
日向で見つかった米に肉と漬物をぶち込んで食べていたら、そこそこ穏健派だった転移者が「なんかすごいビビンバっぽい」と言ったため、そのまま名前を流用しているのだとか。
辛口のタレと一緒に焼かれ、熱々になったビビンバを飲み込んだ後、ジョッキをたぐり寄せてビールを呷る。熱と辛口な味付けで火照った口の中を、キンキンに冷やされた黄金色の液体が癒していく。
(ああ、やっぱ熱いモンには冷たい酒だよな、うん)
個人的な好みではあるが、飲み物と食べ物は温度差があればあるほどいいと思うのだ。
そうすれば口の中が一度リフレッシュされ、次に口にする時にまた新鮮な気持ちで楽しめる。
そんなことを考えながらビールのお代わりを頼んでいるニールの隣で、カルナが意外そうな顔で言った。
「意外だね、君はカツ丼とかその辺りを頼むと思ってたよ」
「何言ってんだ。お前が入院してたり、ノーラが事情聞かれてたりした時に一人で来て、もう二杯くらい食ってるっての」
「ほんと卵と肉好きだよね……や、僕だって嫌いじゃないけどさ」
数十分程前。
そろそろ晩飯食うか、と思いニールはこの店にみんなを案内したのだ。
雑多ではあるものの新しく、そして中々に洒落た店だ。
外観こそ他の建物と同じく石造りで四角い無骨さだが、景観を崩しすぎない程度に派手な看板や、日向の雰囲気を取り入れた内装などは見ていて飽きない。
天井に吊り下げられた提灯という照明器具に、木製の家らしく整えた内装。床は畳を模したタイルが貼り付けられていた。
ノーラは日向風の建物を知らないため見る物全てが珍しいのか、入店してから今も物珍しそうに辺りを見回している。カルナも「へえ」と独特な内装に感嘆の声を漏らす。
もっとも、約一名。
連翹だけはなぜだか先程から頭を抱え、小さく呻いているのだが。
「あかん、あかんわこれ、半端に情報仕入れて日本風にしようとしたあげく、斜め上にロケットで突っ切った感じの似非オリエンタル感ハンパない……!」
というか白米使ってどんぶりで出してるから和風内装、ってのがなんか違うと思うの!
とかなんとか言っているが、そもそもニールどころかカルナすら日向の建築様式やら文化やらに詳しくないため、誰も彼女に同意してあげられない。
「レンちゃんレンちゃん、色々気になってるみたいですけど、食べないと冷めちゃいますよ」
「あたしはマグロとアボカドを混ぜてぶち込んだ『海鮮トロピカル丼』っていう、なんかエキセントリックな名前の食べ物だからいいのよ……というかなんで和風、というか日向風? の内装でこれを出すのかしらね。
ともかく、ごはんは多少冷めるかもだけど、具の部分は冷たいから問題ないわ……あ、アボカド美味しい、いい具合に熟れてる」
というかね、と連翹はノーラの手元に視線を向ける。
カリカリに揚がったとんかつを卵で閉じ、それをごはんに載せた――男心を掴んで離さないカツ丼が存在していた。
美味しそうではあるが、けっこう量があるそれを線の細い少女がひょいひょいと食べていく姿はちょっと目立つ。
「……ああ、これですか? 美味しいですよね! ふわふわの卵の中にある肉厚なカツ。濃く味付けされたお肉と卵、それをごはんと一緒に食べると口の中で程よい味わいになって……!」
「うん、ノーラが嬉しいんなら、それでいいんだけどね」
「ノーラさん見た目によらずお肉とか好きだよねえ……」
言いながらスプーンを動かすカルナの手元にあるのは、あんかけ海鮮丼である。
あんかけの中に、エビやイカ、他にも野菜が沢山入っている。とろりとしたあんかけをごはんに絡め、エビやイカといった海の幸と共に口の中に運び、表情を緩ませた。
「なんだろ、なんかカルナの方がノーラより食べてる料理の女子力が高い気がするんだけど」
「……これは馬鹿にされてるのかな、それとも褒められてるのかな」
「少なくともわたしは馬鹿にされてる気がしますよ! 男の人よりも女っぽくないって言われた感じで! せっかくカツの端っこの隣を分けてあげようと思ったのに! 全部食べちゃいますからね!」
額に手を当てて悩むカルナの近くで、ノーラは自分のカツ丼を抱え込むようにしてガードしている。もう絶対この中身は誰にも渡さない、全部わたしが食べるんだから――という強い想いが伝わってくる。
これがもっと少女らしい食べ物であれば、微笑ましいのだろう。しかし、実際は半分くらい食べられたカツ丼であるため、食い意地張っているなという印象しか受けない。隣に存在するビールのジョッキもまた、その印象に拍車をかけていた。
「いいわよいいわよ、食べちゃって食べちゃって。というか真ん中でもなく、端っこの衣がカリカリした部分でもなく、その中間部分ってすごい妥協の産物じゃないのノーラ?」
カツは肉が主役であるのは当然だが、端の衣部分も肉こそ少ないもののカツの美味しい部位だと思うのだ。
「な、なんのことでしょう……」
「ノーラ、こっち見て、ねえちゃんとこっち見て。ノーラって、食べ物関連は本当にぽんこつよね」
「そんな……レンちゃんに、レンちゃんにぽんこつって! レンちゃんにぽんこつって言われたぁ! レンちゃんにだけは言われたくなかったのに!」
「……待って、ねえ待ってノーラ! それって転移者で凄いあたしっていう人に言われたからショックとか、そういう意味合いじゃないわよね!? ぽんこつにぽんこつ呼ばわりされてショックって意味合いよね!?」
「何を当たり前のことを言ってるんですかレンちゃん」
「なんでそこで真顔になるのよ! 反応に困るじゃない! ねえ、ちょっと助けてよそこの男二人!」
遠慮がなくなって来たことを喜べばいいのか怒ればいいのか分かんない! とニールとカルナに視線を向け――
「ねえねえ、ビビンバ少し分けてよ。エビ一匹食べてもいいからさ」
「お前シーフードドリアといいホントに海鮮モノ好きだよなぁ……いいぜ、ついでにおこげ部分ももってけ。ドリアとかでもお前好きだろ、その部分」
「え、いいの!? ありがとうニール、それじゃあ遠慮なく!」
――女そっちのけでメシに集中している野郎二人を発見したのである。
「スルーしないでよ! もう! もうっ! もおおぉぉおおう!」
「あ、レンさんも一口どう? あんかけと海鮮の組み合わせって素晴らしいと思うんだ」
「というか連翹牛、店の中で騒ぐなよ」
「あ、美味しそうだからもら――違っ、ごまかされないわよ! というかなによニール、連翹牛って何よ、もうもう言ってたから!? いやらしいわね!」
「どういう思考回路でいやらしいに行き着いたお前! お前の脳みその方がいやらしいぞ!」
「ええっと……ああ、牛の乳しぼりとかそういうのからだね、きっと。大丈夫レンさん、僕ら二人とも興味ないから」
「でもよカルナ、ノーラの乳しぼりだったら?」
「ああ、それならちょっと見――何を言わせるんだ! いやらしいな君は!」
「ニールさんもカルナさんもどっちもいやらしいですよ! 本人前にして何言ってるんですかぁ!」
「ねえ、それって興味がないのはあたしに胸がないからって意味? おう、ちょっと話を聞かせてもらおうじゃないかしら」
◇
騒ぎが収まり、食事を終える頃には太陽は地平線の向こうに消え、月がゆるゆると空に昇り始めていた。
「う……あたしちょっとお花摘みに行ってくる。代金は後で払うから、ちゃんと覚えといてね」
「つーかメニューに書いてあっただろ、値段。お前が覚えとけって話だ馬鹿女」
「うっさい! うっさい! あんな騒いだ後に数字なんて覚えられな……あ、ごめん、ちょっともう無理、叫び過ぎたからってジュースの飲み過ぎはいけないわね……」
早足で去っていく連翹の背中を見送り、ニールたちは財布を開いた。
幸い、連翹は酒を飲んでいない分、三人に比べ安い。一時的とはいえ立て替えても問題はないだろう。
「……でも、良かったです」
店員に金を渡し、釣り銭を貰いながら、ノーラは呟いた。
「ここの食事のこと? 確かに美味しかったよね。まだまだ日向風の食事って少ないけど、もっと探して色々食べてみたいなぁ」
「ああ、いえ。確かに美味しかったですしお米って凄いなあと思いましたけど、そうじゃなくてですね」
ちらり、とトイレの方に視線を向け、連翹がまだ帰ってくる様子がないことを確認する。
(連翹に聞かれちゃマズイ話……なんだ?)
これがカルナなら、転移者が聞けば愉快ではない話などを切り出してくるのだと思う。
遊びに出る前は転移者との戦い方などを真剣に話し合っていたのだ。気分がリフレッシュしたため転移者を倒す新たなアイディアが浮かび、それについてニールの意見を聞きたいのだろうな、と想像がつく。
しかしノーラは転移者に関して――レオンハルトの件があってなお――強い悪感情を抱いていない。
何より、ニールが見る限りでは連翹とノーラは随分と仲が良い。連翹個人の陰口という線も、少ないだろうと思う。
ではなんだろう。
そう悩んでいると、ノーラは声を潜めて――
「内緒にって言われてるんですけど――レンちゃん、二人とも悩みすぎて余裕が無さそうだったから、連れ回してリフレッシュさせようって言ってたんですよ」
――そんな、予想もしてなかった一言を口にした。
「……はっ? アレが?」
「ノーラさん、なんか勘違いしてるんじゃないかな。なんか適当な言葉を深読みしてるだけじゃない? ちょっと落ち着いて考えてみようか」
「二人ともレンちゃんに関して時々凄い辛辣ですよね……」
「いや、最近じゃあノーラも負けてねぇと思うぞ」
「友達同士の冗談の範疇ですよ、怒らない範囲でやってますし、本気で怒らせちゃったらちゃんと謝るつもりでいますから」
それはともかく、と。
「『あの脳筋がなんかすっごい悩んでるみたいなのよね。そしてたぶん、なんだかんだで似たもの同士のカルナだって悩んでると思うのよ』――そんな風に話を切り出して来たんです」
「誰が脳筋だあの馬鹿女、せめて脳剣と言いやがれよあの馬鹿女」
「僕、ニールと似たもの同士扱いされるのは、さすがに不快なんだけど」
「話の腰を折らないでください! ええっと……『悩んでる二人が顔つき合わせて唸ったって、そうそういいアイディアなんて出ないわ。だから、一回外に連れ出してリフレッシュした方がいいと思うの。そして、その為にはノーラが必要なのよ』って」
「ちょっと待って、なんでそこでノーラさんが出てくるのか分からないんだけど」
「カルナさん、普通に連れだそうとしても、断ってたでしょう」
うっ、とカルナが小さく呻いた。
「『色々あったノーラのため、といえば二人は断らないはず。その流れで外に連れ回して、楽しんで、美味しいごはんでも食べれば重い気分もリフレッシュされるはずよ』……ですって。
その通りですね。宿から出て来た瞬間はあんまり余裕が無さそうでしたけど、今は普段通りですから」
もちろん、二人をリフレッシュさせるのと一緒に、自分自身も凄く楽しんでましたけど――そう言ってノーラはころころと笑う。
(んな馬鹿な――いや、でも、確かに)
遊びに行くぞ宣言した連翹に対し、非常に面倒だという視線を向けていたカルナを思い出す。そして、恐らくニールもそうだったろうと思う。
ノーラの名前を出されなければ、その要求を突っぱねて今でも男二人で顔を突き合わせているか、成果が出るかも分からないことを延々と繰り返していたはずだ。
「二人がどう思っているかは知りませんけど――レンちゃんは他人のことを見てますよ」
話しながら外に出ると、昼の喧騒とは違う夜の喧騒がニールたちを出迎えた。
夜が早い。それは、きっと今日が楽しかったからなのだろうなと思う。
「ちょっと人見知りなのか、他人の顔色をうかがい過ぎな気はするんですけどね……でも、他人のことを考えられる優しい人なんですよ。だから、もうちょっと優しくしてあげてください。もちろん、甘くしろってわけじゃないですよ。レンちゃん、常識知らずなところも多々とありますし、そういう時はちゃんと叱らないと」
「人見知りで、優しいねえ。俺には全然、そんな風には見えねえけど」
「うん、まあ僕もニールに同意かなぁ」
ニールは二年前の闘技場での出来事を覚えているため、そんな感想を持てない。
カルナもカルナで、彼女と出会ったのは宿場町で大立ち回りしようとして大口を叩いている場面だ。
ここしばらくの間行動を共にし、悪感情が減った自覚はある。しかし、ノーラが言うような人間には、とてもではないが思えないのだ。
「何を言ってるんですか。素で接するのが怖いから、あんな風に強い誰かの真似をしてるんですよ。実際、レンちゃんはずっとあんな感じじゃないでしょう?」
最近はたくさん素の部分を見せてくれますよね! とノーラは嬉しそうに表情を緩ませた。
だが、ニールとカルナは笑えなかった。
別に、ノーラの言葉を疑っているわけではない。
疑えないからこそ、笑えないのだ。
今日の朝、連翹のことを『空気を読まずにはしゃぐ馬鹿女』と思っていたから。
気を使ってもらっていたことに、一切気付かず一日を過ごした自分の馬鹿さ加減に、くすりとも笑えない。
「ああ、くっそ――情けねえなぁ」
己の間抜けさが。
そして、そんな風に思う前に、嬉しいと思ってしまったことが。
連翹がちゃんとニール・グラジオラスという人間を見て、考え、色々と行動を起こしてくれた事実がなぜだか妙に嬉しくて――そんな風に思ってしまう自分を女々しいと思う。
「おまたせー! いくらだった? ちゃっちゃと払っちゃうから教えてー」
「……おう、一人酒飲まねえから一番安いぞお前。やっぱ酒って高いわな」
そんな思考を切り捨てて、連翹に向けてにいと笑みを向けた。
間抜けで女々しかろうが、やらかしたことは仕方がない。なら、引きずらず、けれど忘れず心に留めておくだけだ。
自分の間抜けを呪い、陰鬱な表情をしているのは連翹の望むところではないだろうし、なによりニールの趣味ではない。駄目だったら駄目で、切り替えて前に進むべきだと思うのだ。
「しかし、今日はけっこう楽しかったね。演劇なんて久々に見たし、観光も悪く無かった。何より、ノーラさんが医学書持ってるってのも今日外に出なくちゃ分からなかっただろうしね」
他人の、それも女の鞄の中身を覗く趣味はないからさ、とカルナが笑う。
その笑みを見て、連翹は満足そうに得意げに微笑んだ。全て自分の思惑通り! とでも言いたげであるが、しかしノーラの医学書に関しては完全に偶然だと思う。
もっとも、そんな野暮なツッコミは先程の話を聞いた以上、出来やしない。
「ま、ノーラのことがあったってのもあるが、俺らだけじゃ遊びになんざ出なかったろうしな。ありがとうな、連翹」
言って、肩をとんと叩く。
「あ――う、ん――しっかし、あれね! ニール、貴方ありがとうって素直な単語凄い似合わないわね! 全身総鳥肌状態よ! あたしをカラッと揚げてフライドチキンにでもしたいわけ!?」
一瞬、ぽかんとした表情をしていた連翹だが、すぐさま腕を組んでいつもの調子で口を回す。
だが、ノーラの話を聞くと、これも一種の照れ隠しなのではないかと思うのだ。咄嗟に自分の弱い部分を隠す鎧として、そういうキャラクターを纏っているのだろう。
そう思うと、これはこれで微笑ましい――
「ね、ねえノーラ! ノーラ! なんかニールがキモイんだけど! 優しい笑みでじっと見つめてきて超キモいんだけど! やっぱカツ丼食べたかったって気持ちが脳みそを壊しちゃったのかもしれないわ! 神官の奇跡で治してあげて!」
――というのは気の迷いだな、ニールはそう思った。
「おい連翹テメェ! 人がせっかく優しくしてやろうとしてんのになんだその言い草は、スカートめくんぞお前!」
「はーん? どこの小学生の脅し文句……スカートめくりで思い出した! そういえば、縄梯子で思いっきりスカートの中を見上げられた件の制裁がまだだったわね! 来なさいよニール! 剣なんて捨ててかかってきなさい!」
「そもそも持ってきてねぇよ馬鹿女! くっそ無駄に良い太ももしやがって……!」
「な、なによその目は……あたしの豊満なボディをもてあそぶつもりね!」
「なにが豊満だお前! 自分の胸を見下ろしてから、もう一度同じセリフ言いやがれ!」
「ああああ! 言ったわね! 言ったわねぇ! こっちが礼儀正しく大人の対応してたらつけあがって!」
道端で連翹に飛びかかるニール。
それを「ふふっ、下段ガードで固めたあたしに隙はないわ!」とスカートをガードしつつ小刻みにジャブを放つ連翹。
その姿を見つめながら、カルナとノーラは呆れを多分に含んだ笑みを浮かべていた。
「……ノーラさん、あれはいいのかなあ」
「いいんじゃないですか。なんだかんだで楽しそうですよ、レンちゃん」
「ああ、なんか分かるなぁ。今までしたことない友人との口喧嘩が超楽しいって顔してる」




