40/最弱の勇者リディア
かつてニールが連翹と戦った闘技場。
本来、戦士と戦士が戦うために建造されたその場所だが、今現在はそれ以外にも多種多様な用途で用いられている。
その用途の一つが演劇だ。
元々戦っている姿を鑑賞するために建造された施設であるため、見世物で客を呼びこむのに向いているのだ。
もっとも、専用の劇場と比べ、演出などは少々雑になっている。中央を囲うような形に客席が存在するので書割の背景なども使えないし、座席の位置によっては感動のシーンだというのに役者の背中しか見えないなんてことだってある。そのため、有名な劇団などは専用の劇場を借りて公演している。
だがしかし、予算がなくて派手な演出だったり凝った背景などを用意出来ない劇団にとって、それはむしろ都合がいいのだ。低予算でも客を呼び込み、楽しませることができるのだから。
(こっちとしても安く見られるから、都合がいいぜ……ってな)
専用の劇場に入場し演劇を鑑賞すると、懐が一気に寒くなる。
別に払えない値段ではないのだが、しかし一回で消費するには大きすぎる値段だ。定期収入が期待できない冒険者がぽんと出すには、金額が大きすぎる。
しかし、こういった場を借りて公演する演劇は、懐にやさしい。演技も衣装も前者に比べて大きく劣るが、しかし庶民の日々の娯楽ならこちらで十分だろう。
そんなことを考えながら、かつて自分が冒険者に成り立ての頃に立っていた場を、敗北し強くなると決意した場に視線を向ける。
――勇者リディア・アルストロメリアの伝説は、使い古された物語のような筋書きで幕を開く。
魔王の攻撃により当時大陸の大部分を支配していた西の大国――魔法王国トリリアムが滅ぼされ、近くの村に住んでいたリディアは幼なじみの神官セルマ・ブルースターと共に東へ旅立つ。
旅の理由は二つ。
力を蓄えいずれ魔王を倒してやる、という若者らしい無謀な情熱。
そして、自分よりも圧倒的に強いバケモノたちから早く距離を取りたいという小心な怯え。
二つの感情に身を任せ、彼女たちはただただ東へ向かう。
「――ね、ねえ。あたしとてもじゃないけど、この人が魔王倒せたとか信じられないんだけど」
劇中の戦闘シーンを見ながら、連翹が見る劇間違えてない? と言いたげな視線を向けてくる。
実際、そのシーンはとてもではないが勇者の戦いとは思えないものだった。
そのシーン自体はよくあるものだ。
旅の途中に訪れた村に、野盗が現れたため、リディアが村を守るために剣を抜くという場面だ。
――だが、彼女は剣術を知らぬ。
野盗よりも。
学もなく、努力もせず、他人から物を奪うことしか考えぬ野盗よりも、剣というモノを知らなかった。
確かに、魔法王国トリリアムが存在した時代は魔法使いこそが世の神秘を解き明かす選ばれた人類であるとされ、武器や体を使った戦い方が軽んじられていた。
しかし、護身術という形で剣術は残っていたし、どういう道具かという情報も知られていた。
――だというのに、彼女は棍棒を振り回すように剣をデタラメに振るい、剣を野盗にぶつける。
刃筋が通っていない、どころではない。
刃がある部分だろうが、腹の部分だろうが、そんなモノは一切関係ない。相手に当たれば勝ちだとでも言うように振り回していく。
当然そんな使い方をしていれば剣などすぐにへし折れるが、すぐさま倒した野盗の武器を奪い同じように振り回す。
「……そもそも、あれって勇者って呼んでいいの?」
あれ絶対勇者なんてナマモノじゃないでしょ、と連翹はリディア役を指さした。
なんというか、アレが騎士の剣に掘られた絵や街などに存在する石像の乙女と同一の存在であるとは信じがたいのだ。
当時、勇者と同じ名前の狂戦士が居て、それの演劇に迷い込んだとかそんな流れではないだろうか。そんなことでも考えているのか、連翹はリディア役の女に胡乱げな視線を向ける。
「戦い方は、まあ確かにそうですよね」
ノーラはその言葉に苦笑しつつも同意する。
「けど、リディアは弱くて当然なんですよ。だって――そもそも、強者としての逸話がほとんどない人ですから」
そう、リディアは弱い。
旅立った当初は剣の使い方は知らないし、神官の奇跡も使えない。魔法の知識なんて農村の娘が学べるわけもない。
優れているところは、せいぜい農作業で体が鍛えられていたことと、女性にしては体格に恵まれていたことくらいだろうか。
けれど、やると決めたら痛みや恐怖に怯むこと無く立ち向かう。そして自分が無力で無知であることを理解しているから他人の言葉はちゃんと聞き、それを自分の血肉に変えようと努力するのだ。
今のシーンだってそうだ。
野盗を打倒したその日の夜――村の広場で歓待される中、「ありゃあ酷い、俺の方がまだ上手く剣を扱えるぞ」と一人の青年が面白く無さそうに言った。
その言葉には、あの程度の敵なら俺でも倒せた、とリディアを揶揄する響きがあった。
お前があんな風に活躍出来るなら、俺ならもっと活躍できたはずだ。調子に乗るなよ――酒の入った若者はリディアを囲む村人たちを救いがたい痴愚だと言うように嗤う。
……その言葉も、野盗が現れた瞬間に我先にと逃げ出した者のモノでなければ、もっと説得力があっただろう。
負け犬の遠吠え。成功者のあら探しをしなければ自分を保てない小人の戯言だ。
村人たちも彼がそういう人間だと理解しているのか、ある者はいつものことだと彼の言葉を無視し、ある者はこんな男をリディアたちの前に出すのは村の恥だと思ったのか力づくで宴会ら排除するために立ち上がる。
だが、リディアはその男に怒るどころか、嬉しそうな表情を浮かべ剣を突き出す。
――なら、貴方が教えられる範囲で構わない。わたしに剣を教えて。
自分は剣を学ぶ機会が無かった。
だから、せめて基礎だけでも誰かに教えて貰いたかった、とリディアは朗らかに笑う。
男は一瞬、驚いた表情を浮かべたが、すぐさま丁度いいとばかりに口を釣り上げた。
この男も剣術など最低限のことしか知らない。剣の握り方や、素人よりはマシ程度の斬撃のやり方程度の技術しかないのだ。もしもちゃんと剣術を学んでいたら、そもそも野盗如き相手に逃げ出していないだろう。
彼は声高にリディアの拙さ、未熟さを声高に叫び――それと違い強く素晴らしい自分は素晴らしいと笑いながら、彼女に剣を振らせた。
欠点があれば他人に聞こえるように大声で、しかし成功しても何も言わない。自分の持っている数少ない知識をひけらかしながら、リディアに剣を教えるという名目で彼女を貶める。
俺はこんなに凄いんだ。
たかだか野盗に勝った程度の無知な女より、ずっとずっと凄いんだ。
だからもっと、もっと俺に賞賛の目を向けろ――と。
その状況を遠巻きに見ていた者たちは、一人、また一人とその場から去っていく。
あの男が得意になってる声は不快だし、そいつが村を救った旅人を罵倒する姿はもっと不愉快だ。
しかし、その男に剣を教えて欲しいといったのはその旅人の願いであるため、男を黙らせることもできない。ならば、とっとと家に戻り寝てしまおうということなのだろう。
リディアが最低限、剣を剣らしく振り下ろせるようになる頃には、リディアと男の近くにはセルマしか居なくなっていた。
男はその事実に舌打ちを漏らすと地面に座った。どいつもこいつも自分の輝きを理解できない者ばかりだ、と吐き捨てながら他の村人が忘れていった酒を勢い良く呷る。
そんな彼にあきれ果てたようにため息を吐いたセルマは、リディアを宿へと急かす。
頷いたリディアは、しかし一度振り返って男に言った。
――貴方の言う通り、わたしは弱いし無知だ。けど、こんなわたしでも結果が出せたんだから、貴方が本当に行動を起こせば、きっとわたし以上のことが出来るはずよ。
なにせわたしより剣が上手いんだから、余裕余裕と楽しそうに笑いセルマの背を追った。
「……ああ、そっか。勇者リディアは当人の強さよりも、周りを盛り立てて戦える人を増やして立ち向かおう、って感じで動く人なのね」
村人たちに見送られ旅立つリディアたちに隠れるように立ち、剣の素振りをしている男の姿を見て、連翹は得心がいったと頷く。
自身を鍛えつつも、強い人、弱くても戦う力を持っている人を盛り立てながら旅を続ける――それがリディアの在り方だ。
「――才能があるから魔王を倒そう、って考えた人じゃないからね、勇者リディアは。弱い自分が頑張れば、その背中を見たもっと才能のある人が立ち上がりやすくなるから最前線に立とうと思ったらしいから」
カルナは頷きながら言った。
実際、彼女は魔王と対決する直前ですら、熟練の戦士に比べて能力は劣っていたらしい。
それでも魔王を打倒できたのは、考えることも戦うことも止めなかった彼女自身の愚直さ、そして何よりも築き上げてきた縁の力が大きい。
そんな彼女だからこそ、『英雄』ではなく『勇者』として語られ、こうやって演劇になっているのだ。
『英雄』のように才気は足りなかったが、人柄と勇気だけで戦い不可能を可能にした存在。
『勇気』を持って踏み出し破滅をひっくり返した者――ゆえに彼女は『勇者』と呼ばれるのだ。
それでも、彼女とセルマだけならば魔王を倒すことなど夢のまた夢だったろう。
それを支えた者が居たからこそ、彼女は最前線で多くの人を鼓舞することができた。
それが『賢者』イライアス・スターチスと、『剣奴』リック・シュロという二人の男だ。
イライアスはその知謀で戦いを有利に進め、強力な魔法を用いてモンスターや魔族を打ち倒し、
リックはその無双の武勇で多くの魔族を単騎で討滅した。
「……ねえ、戦闘能力的にはもうこの二人居れば問題ないってくらいじゃない?」
というかリディアそこまで派手に勝ててないじゃない、といつの間にやら買ったらしいポップコーンを摘みながら言う。
確かに、戦闘能力という面ではこの男二人が抜きん出ている。
魔王の軍勢を大規模魔法で壊滅させたイライアス。
そして城塞都市――現在の女王都リディアの城門に陣取り、一人で魔族の襲撃を凌ぎ切ったリックはこの時代でも最上位に位置する実力者だ。
それに比べれば、リディアは非常に弱い。
イライアスに簡単な魔法を教わり、リックが天性のセンスだけで使ってる剣術を必死に理論化して『リディアの剣』という流派にまとめ上げても、彼らには遠く及ばないのだ。
「戦力的にはご尤もなんだがな。それでもリディア居なけりゃ最強剣士リックはもちろん、イライアスも魔王討伐なんてせずに好き勝手やってったぽいからな」
リックは城塞都市で魔族斬り殺しているだけで満足していたらしいし、イライアスに至ってはそもそも戦う気すら無かったらしい。
リディアが居なければ、リックは城塞都市で好き勝手に剣を振るい――魔族によって食料の搬入が阻まれ、街と共に干上がるように死んでいただろう。
イライアスは元々ストック大森林近くに居を構え、魔法の研究をしていればそれで満足だったらしい。そんな彼は人間の滅亡などはどうでも良かったらしく、自分以外の人間が死んでも己の好奇心のままに研究を行い、いずれ老衰でこの世から去っていただろう。
そんな彼らを説き伏せ、魔王討伐のパーティーに加えたのがリディアなのだ。
もしも彼女が居なければ、リックもイライアスも名を残すこと無く歴史に埋没していたのは想像に難くない。
「それに、アレだ。実力が足りなくても、魔王を倒せたのはリディアの功績が大きいからな」
「うん、まあ――勇者というかアサシンみたいな感じだけどね」
リディアの考えた策は、単純過ぎる程に単純だ。
当時の人類は城塞都市を最前線とし、魔族の軍の幹部を受け止めていた。
魔族と戦う決意をした人間の多くもそこに居たため、城塞都市さえ落とせば魔族の勝利だと人間も魔族も考えていのだ。
だからこそ魔族の攻撃は城塞都市に集中し――リディアたちはその隙を突き、たった四人で魔王城に潜入し魔王を討ち取った。
元々、魔族とは己の力こそ全てという存在であり、それを纏める魔王があってこそ軍として機能していたのだ。魔王が死亡した瞬間、大陸の半分近くを制圧していた魔族は誰が頂点に立つのかと内部分裂を起こし――身内と人間の両方を相手にした魔族は一気に疲弊し、滅亡した。
「……というか、魔王が最強だったわけじゃないのね。魔王の幹部の方がずっと強い演出なんだけどコレ」
「何言ってんだお前、人間の王だって人類を統治しちゃいるが一番強いわけでもねえだろ」
「それはそうなんだけどね! そうなんだけどね! でも、魔王ってもっと強くあって欲しいというのはあたしのワガママかしら……!?」
もっと言えば勇者も! と叫ぶ連翹だが、こればかりは仕方がない。そもそも勇者リディアはそういう人物なのだから。
だが、そんな人物だからこそ、騎士団は今でも彼女を崇拝しているのだと思う。
一人の力で勝つのではなく縁を結び絆を深めていく生き方は、守るために戦う者たちにとっては無双の剣士や最強の魔法使いよりも、ずっとずっと参考にすべきモノなのだろう。




