39/ケーキ屋は男を阻む結界とか張ってるんじゃねえの?
チーズケーキはいいモノだな、と。
ニールは口の中で溶かすように味わいながらそう思った。
甘すぎるのはあまり好きではないニールだが、しかし控えめながらも自己主張するこの甘味は中々いいものだ。
「……案外いいもんだな。俺一人じゃ絶対こねぇ――ってか来れねえし、たまにはアリだな」
甘党じゃなくて良かったぜ、と笑いながら辺りを見渡す。
自分たち以外の席はほとんど女性ばかりで、数少ない男性も知り合いの女性と一緒のテーブルに座っていた。
女の聖域。
店内を見渡すと、ついついそんなことを考えてしまう。
別に男一人で入店して追い出されることはないと思うが、けれども不可視の結界で入店を拒否されているような感覚になるのだ。
「あたしは毎日三食ケーキでもいいくらいだけどね。ほわぁあ――生クリームと苺って、もう神様がケーキにするために創造したんだって思うくらいに合うのよねぇ……ッ!」
自分が卵と肉が好きなように、こいつは甘いモンが好きなんだな。
味わうように食べては顔を緩ませる連翹を見ながらコーヒーを傾ける。程よい苦味が口の中に残った甘さと調和して心地よい。
「やっぱりちゃんとしたお店のケーキは美味しいですねぇ……教会の友達と一緒に材料持ち寄って作ったことはありますけど、ここまで美味しくはなりませんでしたし」
あれはあれで凄く楽しかったですけど、とノーラが小さく微笑む。
彼女の手元にあるのはオレンジを使ったケーキだ。薄くスライスされたオレンジが花弁のようで、見ているだけで楽しめる。
「なんかちゃんとした甘いモノって、すごく久しぶりに食べた気がするよ。ニールたちと一緒だと、大衆料理屋か酒場くらいにしか行かないしさ」
興味深そうに言いながらフォークを動かすカルナ。彼のケーキはチョコレートを用いたモノである。
本来こういった店で出されるチョコレートよりもずっとビターな味わいらしいそれは、しかし舌で溶かすように味わって食べると上品な甘みが口の中に広がっていく。
「ふふふ、知らないの? 甘いものってのは頭を動かす栄養がたっぷり入ってるのよ。魔法の研究なんてしてる人が甘いモノを食べないなんて――」
「それはちょっと馬鹿にしすぎじゃないかな。それくらい知ってるよ。ちゃんとコーヒーに砂糖混ぜたり、水に砂糖ぶち込んだり、適当に舐めたりはしてるから大丈夫さ」
これが知識チートって奴ねぇ! と無い胸を張ろうとした連翹を叩き落とすようにカルナが言う。
女性二人の顔が一気に引きつるのが見えたが、ニールは知らぬ顔でケーキを食していた。
なんだかんだでモテるカルナが女にドン引きされているシーンは、最近ではけっこう貴重だ。昔はもっとやらかして、その度に黄色の水仙亭の女将に怒られたり諭されたりしていたのだが。
久々にやらかしてるカルナを見て、ざまあ! ざまあ! と内心で笑う。
別に本気で女に嫌われちまえ、みたいなことを考えているわけではないし、ノーラと連翹たちとの関係が悪くなりそうならフォローはする気ではいる。
しかし、街中を一緒に歩いていて女の目がカルナばかりに向くと、さすがにイラッと来るのだ。ゆえに問題の無さそうな時はこうやってドン引かせるままにしておくのである。
「最初のはいいんですが、残り二つはちゃんととは言い難い気がするんですけど……」
「なんというか、完全に脳みそに栄養を送る用途でしか甘味を口に入れてないのね。ちゃんとした甘いモノを久しぶりに、って言い回しも納得できるわ……っていうかね、なんでそんなことになってるのよ。別にお菓子が食べられないほどお金がないわけじゃないでしょ」
「だって、砂糖なら持ち運びが凄い楽じゃないか。調理後より保存利くし」
甘いモノ自体、嫌いじゃあないんだけどね。
カルナはそう付け加えてコーヒーを傾けた。僅かに緩んだその顔が、その発言がノーラや連翹に対して取り繕ったモノではないとニールに教えてくれる。
「……分かりました! わたしが一緒にいる時に甘いモノが欲しかったら言ってください、作りますから! ですから、そういう寂しい食べ方はやめてくださいよ! 聞いてるこっちまで、なんかひもじくなるんです……!」
「え? いや、でも僕の場合、魔導書の編集作業はだいたい夜にやってるから……」
そんな時間に料理をさせるのも、ましてや男がいる部屋に招くのもいかがなモノか。
カルナはそう言って諭そうとするが、その前に連翹が口を挟んだ。
「そ、そうよノーラ。大体、男はオオカミって名台詞を知らないわけ? 女に興味なさそうな顔をしていても、本心では『ぐへへぇ、姉ちゃんいいおっぱいしてやがるなぁ超もみもみしてぇぜ』、みたいなことを考えてるのが男なのよ」
「否定はしないけど、さすがにそこまで下衆いセリフを使う必要はなかったんじゃないかなぁ!」
「知ってますけど大丈夫ですよ、レンちゃん。だってカルナさん、わたしが前後不覚になるまで酔った時に胸を突き出しても、揉んだり服を剥いだりしなかったんですから!」
「……それはそれでどうなのかしら。ねえ、もしかして胸とか見るのってポーズか何か? 実際はホモだったりする? だからニールと仲良いの? やめてよね。あたし腐ってないから、そんな方面でキャラ立てられても困るのよ」
「レンさん、君ねえ!」
じりじりと距離を取る連翹を見て、さすがにカルナがキレた。
だんっ! とテーブルを叩き、思いの丈を叫ぶ!
「なんで必死に我慢したのに、ここまでボロクソに言われなきゃいけないのかなぁ!? 後々になって揉まなかったことを後悔する程度には女の子が好きだよ僕は! ああ、もうっ、こんなことなら狼だとか変態だとか巨乳好きだとかいう後々の暴言なんて気にせず思い切り揉んでおくんだったかなぁ……!」
「おい馬鹿やめろカルナお前ぇ! 気持ちは分からんでもないが冷静になれ! この勢いで喋り倒すと本気で引かれっから!」
というか、他のテーブルに座る町娘なんかはとっくの昔にドン引きだ。
顔立ちが整っていて、チラチラと見られていたからこそ、逆に好感度の下落も激しいようだ。遠目に見ていた格好良い男の、唐突な胸揉みたい発言。それはさすがに整った顔だけではフォローしきれなかったらしい。
「ねえ、いいのノーラ? 本当に西行きのクエスト、こいつらと一緒に行動する気なの? 今なら別のパーティーに入れて貰えるんじゃない?」
「……ええっと、うん、ああ――ま、まあ男の人ですし、ある程度は仕方ないんじゃないかなぁ……と思います?」
「ぎ、疑問系はやめて欲しいな、すごく不安になるから……ど、どうしようニール。なんか久々にやらかした気がするんだけど……!」
「気づくのがだいぶ遅えぞお前」
慌てて助けを求めてくるカルナを、「自分でなんとかしろよ」と突き放す。
もしも女性二人がカルナを本気で見限るつもりだったら、加勢して引き止める手伝いくらいはしただろう。
だが、ドン引きしたフリをして笑いを噛み殺しているノーラを見る限り、その心配はなさそうだ。
「ノーラ、お前大人しそうに見えて、案外いい性格してやがるよな」
「失礼ですね、仲の良い人だけにしかしませんよ、わたし。それに、本気で嫌がる人にはやるつもりはありませんし」
言外に言った『超からかっているよな、お前』という言葉に、何一つ反論せずくすくすと笑っている。
その様子を見て、ようやくからかわれていると気づいたカルナは、仏頂面でケーキを食べるのを再開した。その姿を見て、ノーラがころころと笑いながら謝罪している。
「……え、あれ、そういう流れ? ま、まあ、知ってたけどね! 会話の流れくらい読んでたから! 二年くらい前から読んでたから!」
「お前も黙ってりゃあ空気読めない奴って烙印を押されずに済んだのにな」
「なによその浅はかな結論っ、あからさまに愚かしいわね! あんまり調子に乗ってると、有頂天になったあたしの怒りで貴方の人生ひっそりと幕を閉じるわよ!?」
「……前からちょくちょく妙な言葉漏らしてるけどよ、どこの訛りだ、それ」
「ぽこじゃかツッコミ入れるんじゃないわよ! どこだっていいでしょ、言語学者なの!?」
まあ確かにどうでもいいか、とケーキを口に入れる。どうせ転移者の世界にある方言の一つだろう。
「……んなことよりカルナ。今後どこに行きゃいいのか教えてくれ。道は知ってても、勇者たち縁の地なんて俺は知らんしな」
「はむ……? んぐ……その前に、演劇でも見に行かない? そもそも、勇者のこと何も知らないレンさんを連れ回しても、楽しめないと思うしさ」
勇者リディア関連の演劇は、観光者向けに必ずやってると思うしさ、と。からかったお詫びに分けてもらったらしいオレンジケーキを食べながら、カルナは言った。
それで機嫌直してるのかお前、とは思うものの当人が納得しているならそれでいいはずだ。たぶん。
「小説やら絵本でも伝説は知れるけど、前者は時間掛かり過ぎるし、後者はさすがにね……演劇なら皆で見れるし、その後に縁の地を回ればレンさんも楽しめると思うよ」
「そういえばあたし、リアルタイムで役者の演技とか見たことないわね……そもそも劇場どころか映画館だってあまり行かなかったし、せいぜいレンタルショップでDVD借りるくらい?」
「言葉の意味はよく分からねえけど、それなら丁度いいんじゃねえのか?」
初めて触れる娯楽は心が踊るモノだ。
見慣れた後、やり慣れた後に触れた名作よりも、最初の数回で触れた凡作の方が心に残ったりする。
その理由は、きっと何もかもが新鮮だからなんだろう。見たことのない楽しいモノだから、予備知識が全くないから純粋な気持ちでその楽しさだけを受け止められる。
だから、ニールは少しだけ連翹を羨ましく思った。
勇者たちを知らず、劇場の空気を知らず、何もかも初めての状態で物語に触れられるから。
自分だって何度も劇場に通っているワケではないが、それでもそんな風に思ってしまう。
「わたしもそういうの見たことないんですよね。村には劇場なんてありませんでしたし――お揃いですねレンちゃん!」
「お揃い……! なんだろう、その響き凄いワクワクするんだけど! よし皆、ちゃっちゃと食べてちゃっちゃと行きましょう!」
「分かった、分かったから落ち着け。ただでさえ俺ら騒がしくしてんのに、これ以上店に迷惑かけんな」
だがそれ以上に、子供のように楽しみだという気持ちを全身から発している連翹を見て、微笑ましく思うのだ。
「じゃあ、ちょっと店員さんに近くで演劇やってる場所とか聞いてみますね! 大通りにあるお店ですし、聞かれ慣れてると思いますし!」
そう言って立ち上がったノーラは、近くの店員に歩み寄り話しかける。
距離が離れて声は聞き取れないが、観光客慣れしているらしい店員はノーラの問いに淀みなく答え、壁に向かって――いや、その方向にあるであろう建造物を指さした。
感謝の言葉を告げて頭を下げたノーラは、軽い足取りでこちらに戻ってくる。
「よっ。その様子なら聞けたみたいだな」
「ええ。ここから大通りを真っ直ぐ行った場所に闘技場があるんですって。そこで演劇をやるみたいですよ」
カルナの顔が「しまった」と告げていた。
――闘技場。
その単語に過去を思い出す。
無様に敗北した悔しさと、もっと強くなりたいという強い願い。
そして、自分を打ちのめした少女の姿と、その少女が自分を打ち負かしたことなど欠片も覚えていなかったという現実を。
「ああ、そこなら知ってるわ! あんまりこっちに来たことないんだけど、そこはこの世界に来た最初の頃に一度行ったことあるもの」
「そうなんですか? そういえば、一度だけこちらに来たって言ってましたね」
「ええ、冒険者の登録をしたその時に、新人冒険者用の大会やってて、そこであたしが出場! 見事に一位をかっさらったってワケ!」
「……大丈夫ですか? なんか変なことして、変な人に睨まれたりしてません? というかそんな人目の多い場所で、レンちゃんの常識の無さとかを無駄に披露しなくても……」
「ここはあたしを褒め称える場面じゃない!? なんで心配――いやこれ罵倒!? あれ、どっちなのコレ!?」
「いえ、だって……今でもけっこうアレなのに、昔はきっともっと酷かったんだろうなと思うと……」
「ノーラ、貴女があたしをどう思ってるのか聞いてもいい!? というか聞かせて欲しいんだけど! ねえ! ちょっと!」
楽しそうに笑う二人を微笑ましく思いながら、しかしその戦いで破った男がすぐ近くにいることを欠片も気づいていない事実を理解し、悔しく思う。
(――ああ、やっぱりまだ俺は、あいつにとって塵芥でしかねえんだな)
あの時の雑魚め、と笑われるのなら良いのだ。『雑魚』と連翹に認識されているのだから。その瞬間に脳みそを沸騰させ、もう一度勝負を挑めばいい。
だが、完全に忘れ去られている現状は、怒りより悔しさより、寂しさの方が強くなる。
今ここで剣を抜いて再戦を申し出ても、彼女は首を傾げるだけだろう。なんだか知らないけど、まあ戦えといえば戦うわ――そんな風に、剣を振るってくるはずだ。
けれど、それは嫌なのだ。それでは不満なのだ。
かつてのニール・グラジオラスと今のニール・グラジオラスを比較し、賞賛なり罵倒なりをして欲しい。
よくここまで強くなったわね、と微笑まれたらと思うだけで心が踊る。しょせんこの程度、と笑われたらその怒りを鍛錬にぶつけよう。
だが、無関心は嫌なのだ。
無関心は怖いのだ。
肯定でも、否定でもいい。ただ、覚えていて欲しい。
女々しい願いだな、とは思う。まるで初恋の男と再開した少女のようだ、と自分で自分を嘲笑ってやりたい。
けれど、自分の心に確固として存在する以上、それを見なかったフリをすることも、その気持ちを曲げることもできない。
(どうせ俺は馬鹿なんだ。無駄に考え込んだところで、無駄でしかねえ)
なら、馬鹿は馬鹿なりに前に進むしかない。考えこんで止まるなど、無意味だ。
進んで進んで進んで――鍛え成長し連翹の心にニール・グラジオラスを刻む。そして、その刻んだ姿から、過去の自分を思い出させる。
ならば、悩んでいる暇はない。へこんでる場合ではない。やるべきことをやり続ける、それだけだ。
その結果が失敗だとしても、それはニール・グラジオラスという人間にはその願いを叶える才能が無かっただけ。その場合は仕方ねえ、と酒でも飲みながら悔しさを身内に吐き出すだけだ。
「……なんか悪かったね」
ニールの心の柔い部分を突く結果となり、カルナが女性二人に気付かれない程度に謝罪の言葉を告げた。
だが、こちらも気にするなと言うように首を横に振る。そもそも、柔い部分の大元が近くでノーラと一緒に騒いでいるのだ。ここで突かれなくても、いずれ突かれていただろう。
「そうと決まれば発進よ! 来た、見た、楽しかった、の精神で行くから覚悟しなさい!」
「へいへい。それより、ちゃんとケーキ食ってから行けよ。うめぇんだろ、それ」
「そうだったわ……! 危ない、なんて巧妙なトラップ! 後であたしにケーキを全部食べられなかったことを後悔し殺させるつもりだったのね!」
額の汗を拭う仕草をしながらケーキを食べ始める連翹を見て苦笑する。
めんどくせえなコイツ、とは思う。しかしそれと同じくらい、コロコロと変わる表情が面白いと思うのだ。
「ノーラさん、そっち一口ちょうだいよ。というかオレンジ部分、フォークで簡単に切れるんだね」
「しっかり漬け込んで柔らかくなってるから、甘酸っぱくて美味しいですよ。あ、わたしもそっちのチョコレートケーキ一口貰いますねー」
……まあ、それに。
剣を振って戦う瞬間こそ至高とは思うが、こうやって仲間と騒ぐのも、まあ悪くはないと思うのだ。
「……あ、おいコラ連翹テメェ! 勝手に俺の皿にフォーク向けんな!」
「なによ、なんか黄昏れてたから食べないんじゃないかと思っただけじゃない! あ、控えめだけど上品な甘さで美味しい……」
「開き直ってガッツリ食うんじゃねえ! くそ、俺もそっちの少し貰うぞ!」
「あっ! ああぁっ!? 半分くらい行った! 半分くらい行ったぁ! 全然少しじゃないじゃないぃぃぃ!」
「……不味くはねえけど、甘すぎて俺好みじゃねえなあ」
「あんなに食べといて! あんなに食べといてぇ!」




