36/転移者戦-2
「――レオンハルトさん。美しい黒髪と、冬の夜空のように澄んだ瞳を持つあなた」
叫び声とは違うが、体全体を使った周囲に響き渡る声。それはスキルの爆音にかき消されることなく、レオンハルトの耳に届いたようだった。
彼の動きが、一瞬だけ停止する。
だが、レオンハルトは振り向きもせずニールに対し『ファイアー・ボール』のスキルを使用する。
けれど、ノーラは聞こえているのなら問題ない、と言うように言葉を連ねていく。
「なんで、自分が拐った人にこんなことを言われて、その言葉が本気だと思ったんですか……? いいえ、そもそも――なんで、好みの異性が居てその人に対して最初にする行動が『奴隷にする』なんですか?」
ああ、そうか――とカルナは納得した。
ノーラもカルナと同じ思考に至り、なんとかしてレオンハルトの注意を逸そうとしているのだ。
「口説いて無視されたり、邪険にされたりするのが怖いんですか? それとも、そんな行動自体が面倒で余分だと思っているんですか? ああ、確かに――違法奴隷相手なら、それら全てを無視して手元に置けますものね」
でも、残念ですね、とあざけるような声でノーラは笑う。
「そんな人に靡く女性なんて、いませんよ」
「――黙れ」
そんな声を出すことに慣れていないのか、素人役者のセリフめいた不自然さだったものの、しかしレオンハルトはそれを真実と理解した。
スキルとスキルの合間に、呪うような低い声でノーラを威圧する。
「誰かと話すのってすごく面倒で手間で――けど、だからこそ楽しいんですよ。それらを全て嫌だ、無駄だ、やりたくない、なんて考える人に、異性はおろか同性すら寄って来ませんよ」
「『ファイアー・ボール』……違う、違う、黙れよビッチ。『ファイアー・ボール』お前だってどうせ、そこのイケメンがいいから、顔がいいその男が居るからぼくを裏切ったんだろ!? それを言葉で飾って誤魔化すなぁ!」
スキルとスキルの間隔が開き始めた。
ニールはそれを火球を回避しつつ、隙を伺っている。
(そうだ、今ここで突っ込んだらノーラさんに傾きかけた関心がニールに戻る)
だから、まだだ。
もう少し――様子を見なくてはならない。
「力がある奴、金がある奴、顔がいい奴、なんでもいい! 持ってる奴は何してたって人間が寄ってくるんだよ! そんな奴らがいるのに、頑張って他人の気を惹こうなんて――無駄じゃないか! 徒労じゃないか! 惨めだろ! キレイごとペラペラ並べ立てるなよぉ!」
視線はニールに向いているものの、既にレオンハルトの心はノーラに向いていた。
子供が欲しいオモチャを見つけて、しかし手に入らないことを理解して泣き叫ぶように、彼は叫び続ける。
「糞、糞、糞ぉ! なんでさ! ぼくは力を手に入れたんだ、物語の主人公みたいに異世界に行って、力を得たんだ! もう教室で一人で居なくてもよくなったはずなのに、寂しいのは全部全部終わったはずなのに……なんでだよ! 強いんだよ、最強なんだ! 格好良いんだよ! なのになんで皆、ぼくを認めてくれないんだよ! 褒めてくれないんだよ! 愛してくれないんだよ! おかしいだろ、卑怯だよ、不条理だ。なんでぼくだけこんな辛い目に遭わないといけないんだよぉ……!」
涙を流しながら、レオンハルトは叫ぶ。
それは支離滅裂で、何よりも自己中心的な叫びだったが――
(……分からないわけでも、ないよ)
一人は嫌だ、認めてくれ――無意識にそう願い、放浪していた時期を思い返す。
自分を認めてくれる誰かが欲しい。けれど自分は優秀な魔法使いなのだから路傍の石共とは釣り合わない――他人を見下し、自分から離れていく他人を見る目のない無能と内心で罵った。
恐らく、ナルキの街に行かなければ――そこでニールや女将、ヤルやヌイーオ、その他様々な冒険者と出会わなければ――カルナは今もそうやって生きていたかもしれない。
だから、理解できる。
その弱さを、そしてそれがどれだけ無茶苦茶な願望なのかを。
「ああ、だから――」
そう、だから。
「貴方は、今も昔も一人ぼっちなんですね」
レオンハルトの呼吸が停止する。
「他人の頑張りを見ずに、ただ羨ましがって面倒臭がって何もしない――ねえ、レオンハルトさん、だから貴方の周りには誰も居ないんですよ」
「だ、ま――れ」
かたかた、かたかた、レオンハルトの体が震える。
それは恐怖と怒りから来るモノ。
体を凍えさせ冷たい感情と、脳をぐつぐつと沸騰させる紅蓮の感情だ。
これが、適当な罵倒だったのなら、レオンハルトはノーラの言葉を無視し、ニールを攻撃出来ただろう。
だが――言葉とは、図星であるほど心を抉るモノだ。
ゆえに無視できないし、ゆえに逃れられない。
「ねえ、レオンハルトさん。もし、もしも貴方が普通にわたしに話しかけてくれたら、こんな風にはなってなかったと思うんですよ」
ノーラは語る。
お風呂上がりに連翹を待っているノーラに、突然話しかけてくる歳の近い男の人。
最初は警戒したかもしれないけれど、他人と喋り慣れていないその人に悪意がないと考えて、連翹を待った後にどこか温かい飲み物が飲める場所にでも行くのだ。
最初はぎこちなかった会話も、転移者という共通点がある連翹と徐々に打ち解けていき、会話も少しずつ弾んでいく。
翌日、ニールやカルナと合流して、彼を紹介するのだ。ニールは僅かに会話した後、気弱な彼を煽りつつも、よくお前が女に声をかけられたなと肩を叩いて笑うだろう。カルナはため息を吐きながらその男をフォローしているはずだ。
そんな風に話しているうちに、その男も遠慮がなくなっていって――
「――皆と友達になれていたかもしれない、そうわたしは思うんです」
もちろん、今はもう遅いかもしれない。
彼は罪を犯した。人を浚い、逆らう者を殺した。騎士に引き渡さないわけにはいかないし、引き渡せば死罪は確定だろう。
けれど、それでも。
罪を認め、反省するのならば、そこに至るまでは安らかな時間があってもいいのではないか。
「もう遅いかもしれませんけど、少しの間だけ――わたしたちと友達になりませんか?」
最初は注意を惹くために無理に絞り出した言葉たちだったのだろう。しかし今、ノーラの瞳は真剣だ。
拐ったことを許したわけではない。他人を傷めつけたり、殺したりしたことを忘れているわけでもない。
ノーラはきっと、レオンハルトのような自分勝手な人間は嫌いなのだろう。でなければ、メイスで思いっきりぶん殴るなど、彼女に出来るはずもないとカルナは思う。
だが、それでも。
それでも憎みきれないのだと、ノーラはレオンハルトに手を差し伸べる。
「嘘だ」
けれど。
「嘘だ。嘘だ。嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ! ぼくが……転移者の力を示していないのに、仲良くなんてなれるはずがないだろ! 命惜しさに作り話なんてするな、この……腐れ、ビッチめ!」
彼はその手を取らなかった。
いいや、取れなかったのだ。
理由は二つ。
彼はそこまで自分を信じられなかったというのが一つ。
そして何より、ここで手を取り、短い時間とはいえ仲良くなれば――いいやなってしまえば、彼の心は耐えられないからだ。
仲良く話せるのは数日かもしれないし、数時間かもしれない。
だが、どちらにしろその間にノーラや彼女の仲間の誰かと話をして仲良くなってしまえば、彼は理解してしまう。
最初からこうすれば良かったのだ、という事実を。
気づいたところでもはややり直せない、という現実を。
「ぼく――我は! 我はレオンハルト! 最強の転移者で、数多の美少女奴隷を囲う者! 他人と仲良く? 笑わせるな愚昧な現地人の女! 我に――そのような余分は必要ない!」
だから、レオンハルトは仮面を被る。
憧れた強くて格好良い主人公の姿を模倣する。
戻れないなら突き進むだけだと、涙を滲ませながら哄笑する。
「そう――ですか」
「ああ、そうだ! さあ、貴様ら、我がスキルの力で――」
「人心獣化流――」
轟、と。
風を突き破るような音が響く。
ハッ、と。レオンハルトは気づく。
そうだ、ノーラにばかり目を向けていたが――さきほどまで、自分が追い詰めていた剣士はどこだ? と。
しかし、気づくのが遅かった。
何もかも、全て全て――レオンハルトが気づくのは遅すぎたのだ。
「――破城熊ぁああ!」
振り返ろうとしたレオンハルトの頭部、その側面に剣の柄が叩き込まれた。
金属と金属が衝突するような硬質な音が響き――連なるように砕ける音と、柔らかい何かが撒き散らされる音が響く。
「俺の剣で斬れねえくらいに硬ぇんなら、ぶちかますまでだ……たく、ぐっだぐだ、うるせえ野郎だったなオイ。自分の責任を他人や他人が持ってる力のせいにして、怠惰の言い訳にしたあげくいざ自分が力持ったら暴走しただけだろうが」
全部テメェの責任だろうが、とニールが吐き捨てた。
遠くでガシャガシャと甲冑を纏った人間たちが駆け寄ってくる音が聞こえてくる。それを聞きながら、カルナは隣に視線を向ける。見れば、ノーラが両手を組んで祈りを捧げていた。
「ふふふ、颯爽と登場したあたしが今ここで華麗な反撃を――終わってる!? なにこれ、あたしの超格好良い戦いを見――ぎゃああ! ちょ、カルナ、貴方その足! 足ぃ!」
騎士たちよりもいくらか速く辿り着いた連翹は、戦闘音が無いことに不満を吐きかけるも、カルナの惨状を見て少女らしからぬ悲鳴を上げた。
慌てて跳躍し屋根に登った彼女は、
「あわ、わわわ、どうしよう……えっと、とりあえず神官のいる場所に……それと、わわ、あと、車いすとか買ったほうがいいのかしら!? 両足ないと不便でしょ!?」
「落ち着いてレンさん。第一、脚なんて治癒の奇跡で生えてくるよ」
「え? あ……そっか、さっすがファンタジー。侮れないわね……」
なにがさすがなのか、どう侮っていたのか色々聞きたいけれど、しかしそんなことをする気力がない。
小さくため息を吐いていると、自分の体が無理矢理持ち上げられる感覚。ニールが自分を抱えたのだ。
ニールはカルナを背負うと、おろおろと視線を彷徨わせている連翹に視線を向ける。
「いいからとっとと神官んとこに行くぞ! 連翹、お前はノーラを連れて来い。大丈夫だと思うが、一応見てもらった方がいいだろ」
「あたしに命令するんじゃないわよ! 今行こうとしてたの、今!」
「そうかよ。じゃ、俺は先に行ってるぞ!」
瞬間、ニールは屋根から飛び降りた。
着地の衝撃で背中とか脚の切断面とかが冗談のように激しい痛みを脳に叩きつけて、思わず「ぐぎゃあ!?」というらしくない悲鳴が口から吐き出される。
「うおっ……お前、耳元で叫ぶんじゃねえよ!」
「きき、君って奴は! 君って奴は! 僕が怪我人だってことを理解して動けないのかなぁ!?」
「それだけ叫べりゃ死にゃしないだろ。それにほら、あれだ、痛いのは生きてる証拠だって言うぞ」
「別に今その証拠は確認させる必要はなかったんじゃないかなぁ!」
二人で叫び合いながら通りをひた走っていたが、しばらくするとニールは真面目な口調で言った。
「とりあえずは一勝……だがよ、カルナ。お前、今回の戦い、どう思う?」
「……うん。運が良かっただけだ。今回戦ったのがレオンハルトと同程度の実力の別人だったら……負けていたかもしれない」
序盤は良かったのだ。
スキルを使わせないように動き、こちらの攻撃を当てていく流れは上手くハマっていたと思うし、今後も使える手段だと思う。
しかし、攻撃をしてもあまりダメージが通らず、ヒットアンドアウェイで時間を稼ごうとするが失敗し、スキルで一気に追い詰められた。
(特に、僕の方は悲惨だった)
ニールはなんとか剣で防御をしていたが、自分は詠唱を放棄して逃げ出すのがやっとだった。
(トドメをさしたのはニールで、その隙を作ったのはノーラさんだ。僕は――最初くらいしか、役に立ててない)
糞、と思う。
自分の弱さが悔しい。こんなのでよく転移者と戦うなどと言えたものだ。
自責の念に囚われていると、ニールもまたぽつり、と悔しげな呟きを漏らす。
「破城熊だってよ、隙だらけな頭部にぶち込めたから一撃で終わったんだ。他の部位ならそこまでダメージにならねえだろうし、警戒されてたら頭部に直接攻撃なんて無理だ」
本当は、最初の攻撃の時――一撃で首を落とせなきゃいけなかった。ニールは血を吐くような響きで言う。
「あそこで終わらせたら、俺らの完全勝利で終わったんだ。だが、俺の技じゃあ、一撃で首を落とすには足りねえ」
「……まだまだだね、僕ら」
「ああ」
「だけど、これで終わりじゃないだろ?」
「当然だ――鍛えて、連携を練って、相手の動きを読んで……次は自信持って勝てた、って言えるような勝ち方をしようぜ」
「うん、もちろんだよ」
未熟さを理解した。
相手の強さもまた、理解した。
だが、それらは諦める理由になどならない。
それで諦める程度の覚悟なら、最初からこの道を走っていないのだから。




