34/接敵
腕にノーラの重みを感じながら、カルナは疾走する。
石畳を蹴り、先導するニールや連翹を追いかける。冒険者として体を鍛えてはいるものの、やはり前衛のニールや転移者の連翹に比べて足が遅い。
(予想以上に距離は稼げた――)
自分たちが想像していた以上にレオンハルトはノーラを信頼していて、それに裏切られたショックで動けなかったと予想出来る。
最初に距離を稼げたのはプラスだが、しかしもう一つのマイナスがそれを相殺していた。
「――我が望むは大地の衝撃。その領域に足を踏み入れし者に、瓦礫の洗礼を与えよ!」
地面に魔力を流し、その上を誰かが通りかかれば弾け飛ぶ。そんな簡単な、しかしシンプルながら有効な魔法を唱える。
魔法書を出している暇はないため、威力は多少減退するが――しかし大規模な魔法ならともかく、この程度なら誤差だ。
発動を確認することなく、すぐさま走ることに集中し――ドン! という鈍い衝撃音が背後で響く。
ちい、とカルナは小さく舌打ちした。
「逃すかぁぁああ! 糞野郎に糞女ぁ! 殺す、殺す、殺す、死ね! ぼくを笑ったことを、生きていることを後悔させてやるぅっ!」
猛り狂ったレオンハルトの叫び声が夜半の空に鳴り響き、石畳を砕きながら疾駆するモンスターめいた重低音が地面越しに伝わってくる。
(ああ、くそ、追いかけてくるスピードが速過ぎる!)
走り方は素人臭くて、身体能力のワリには速度は出ていない。恐らく、転移者になる前は走るのは苦手だったのだろうと思う。
だが、レオンハルトは転移者だ。化け物じみた身体能力は技術面を相殺し、肉食獣めいた速度で駆けることを可能としている。
そして、何より――執念だ。
曲がりきれずに家屋の壁にぶつかれば、壁を突き破り室内で方向転換、そのまま壁を吹き飛ばしながら追ってくる。
障害物は避けることなく破壊し、最短距離を真っ直ぐ進む。そして先程カルナがやったように魔法で足止めしようとしても――意に介さずに直進して来るのだ。
最初に稼いだ距離がどんどん詰められていく。
「……ッ! 本当に化物ね、あれ。人間というより、魔王戦争時代に存在したっていう魔族みたい」
「ねえちょっとカルナ! これホント大丈夫なの!? あたし、途中で捕まる未来しか見えないんだけど!」
キャロルが唖然としながら呟き、連翹が慌てながら叫ぶ。
いいや、その認識は間違ってないよレンさん――そう答える暇も惜しい。
本来は女王都リディアの中心にある噴水広場でノーラとキャロルを開放し、自分たち三人が足止めしている間に騎士団に行ってもらうつもりだったのだ。
そして、三人でレオンハルトを倒せればそれでよし。仮に駄目だったとしても、ノーラたちの言葉と戦闘の音で増援が見込める。
だが、今は大通りには出たものの、予定の半分も進んでいない。レオンハルトの追走が、予想していた以上に速過ぎるのだ。
(どうする? このままじゃあ追い付かれるのは火を見るより明らかだ。けど、これ以上速く走るのは無理だ)
ならば、どうする?
追い付かれて戦闘になるのは最悪だ。転移者を相手にする以上はノーラや怪我人のキャロルを庇いながら戦うのは不可能だし、そして恐らくレオンハルトは自分を裏切ったノーラを許さない。近くに居れば、最優先で殺しにかかることだろう。
今ここで足止めをしノーラたちを騎士団に向かわることも考えたが――まだ距離が遠すぎる。
それに、遮る物のない大通りを真っ直ぐ走らせるのは危険だ。ノーラたちを転移者のスキルには魔法もあるし、武器を使ったスキルでも遠距離を攻撃出来るモノは存在している。逃げているノーラたちにそれを使われたら、守りきれない可能性がある。
「カルナ!」
じゃあ、どうすればいい? どうするのが最良だ?
必死に頭を巡らせているカルナに対し、ニールが怒鳴りつけるように叫んだ。
「なんだよニール! 今ちょっと考えてるから――」
「どうせ追い付かれる! なら、連翹に二人担がせて、騎士団まで走らせるぞ! 足止めは俺ら二人でやりゃあいい!」
言ってニールはキャロルを降ろすと、すぐさま剣を抜き放ち反転する。
「ちょ、それならあたしが――」
「いや、ニールの方が正しい! レンさん、お願い」
ノーラを抱えながら走り、飛んでくる魔法を警戒し、時に防ぎ回避する――少なくとも、カルナには不可能だ。
だが、連翹が二人を抱えて全力疾走すれば問題ない。二人の体重分速度は遅くなるものの、カルナがノーラを抱えて走る速度よりは速いはずだ。
何より、連翹は転移者だ。身体能力が高く、相手がどんなスキルを――どんな遠距離攻撃をしてくるかある程度予測が出来るため、攻撃を防ぐなり避けるなり出来る可能性が高い。
問題は、ただ一つ。
(僕らだけで転移者と戦えるか――か)
戦えるように鍛えて来た。
無様に負けた時に比べ、随分と強くなったと自分でも思っている。
だが、届くのだろうか? 自分が自惚れているだけで、一撃で戦闘不能になるのではないだろうか。
(ああ――くっそ、情けないなあ!)
嗚呼、怖い、怖い、怖い。
また無様に負けるのが怖い。何も出来ず殺されるのが怖い。自分のやって来た事が無意味だと証明されそうで、怖い。
けれど、
「黙ってろ恐怖! 僕が積み重ねた魔法使いとしての研鑽が、あんな妄想拗らせたような奴に敗れるものか!」
「ハッハァッ! よく言ったカルナ!」
ニールがこちらを向いて、にい、と剣呑な笑みを浮かべている。
レオンハルトと戦えるのが――いや、転移者と戦えるのが嬉しくて堪らないのだろう。
その顔を見ていると、「この状況でなんでそんな楽しそうなんだよ、この狂戦士」と言いたくなる。
けれど、相手に全く萎縮しないニールを見ていると、こちらの心も落ち着いてくる。あの馬鹿がちゃんとやってるんだ、自分も負けていられるかという気分になってくるのだ。
「ノーラさん、早くレンさんと一緒に!」
「ああもうっ、死ぬんじゃないわよ! あたしはどうでもいいけど、ノーラが悲しむのよノーラが!」
カルナが己の腕からノーラを降ろし、彼女を連翹に委ねようとし――しかし、その腕をノーラが振り払った。
「いいえ。わたしは残ります。レンちゃんはキャロルさんを連れて行ってください。わたしは――ここで、カルナさんとニールさんのサポートをします
「な――」
何を言っているんだ、とか。
いいからさっさと連翹と共に行ってよ、とか。
そういう言葉を言おうとして、しかしカルナはその口を閉ざした。ノーラの瞳を、見てしまったからだ。
その瞳はただただこちらを追うレオンハルトを注視している。視線を逸らさず、ただただ真っ直ぐとこちらを追う敵を見つめている。
そこに恐れはなく、ただただ己に向かってくる存在をどう対処するかを見て、考え、実行しているように思えたのだ。
「わたしは力は無いし、あまり速く走れないけど――傷を癒やすことはできる。そして、キャロルさんは地下に運ばれる前に傷を負って、その弱った体に攻撃を受けている――わたしなんかより、早く安全な場所に送るべき人です
「何言ってるのノーラ、あたしが守ってあげるから早く――」
こっちに来なさい、と連翹が叫ぶ。
「いいえ、レンちゃんの言葉には頷けません」
しかし、ノーラはそれに否を叩きつけた。
レオンハルトの進行方向からカルナやニールを盾にするように立つ。光の粒子を両の手に纏わせながら、己が使える奇跡の力を少しでも素早く使えるように集中している。
それは戦闘の意思だ。
それは治療の奇跡をほんの少しでも早く使う準備動作であり、ここから逃げず彼らを癒やし戦う意思の証明である。
「わたしは――守られてるだけの女なんて嫌なんですよ。自分が出来ることはしたいし、助けられる能力があるなら助けたい、やれることがあるのに後ろで震えているだけなんて許容できないんです。だから――正直に答えてください、カルナさん、ニールさん。わたしは足手まといですか……?」
僅かな不安を滲ませ、ノーラが問う。
自分の手はカルナたちの助けになるのか、それとも思い上がった小娘がお花畑な脳みそをさらけ出しているだけなのか、と。
ここでカルナが「邪魔なんだよ、だから速くレンさんと一緒に逃げて」などと言えばノーラは悔しくは思いつつも逃げ出しただろう。その方がずっと彼女にとって安全であり、そうすべきであるとカルナは思う。
だが、
「うん、ありがとう。助かるよ、ノーラさん」
カルナはそう応えた。
一緒に戦ってくれと。逃げず、この場に残れと彼女に言ったのだ。
(だって、そうだろう?)
――魔法使いとして無謀を行うか、神官として無謀を行うかの違いでしかないのだから。
覚悟を決めて立ち向かう選択肢を選んだのなら、それを妨げる理由はカルナにはない。
無論、治癒の奇跡があれば有利だという実利的な面もある。それに、ノーラとキャロルを守るのは骨だが――ノーラだけなら、なんとかなる。
(むしろ、都合がいいかもしれない。相手の動きを制限できる)
レオンハルトはノーラに対し強い怒りの感情を抱いている。視界に入れば何よりも先に殺そうとするだろう。
だが、それは裏を返せば相手の視線をノーラに引き付けられるということ。カルナやニールに対する注意が散漫になるということだ。
ならば、問題はない。
いいや、問題はあるが、カルナもノーラも気にしない。
けれど失敗、失態のリスクなど実行を決定する前に考えることだ。やると決めた以上、そんな後ろ向きな思考に対して脳の力を使うわけにはいかない。
「……ああ、もうっ。なによあたしを無視して決めて! いいわ、ならあたしも――」
「いや、お前はとっととキャロル連れて騎士修練場まで走れ」
既に剣を抜き、すぐにでも戦闘行動が出来る体勢のニールが言う。
「レオンハルトは確かにこっちに殺意を抱いているが……本気じゃあねえ」
魔法使いが耳元で飛ぶ羽虫に苛立ち、殺意を抱いたとしても、その羽虫に対して全力の魔法を放つことはないだろう。
叩き潰すために手を振り回すだろうし、魔法を使うにしても小規模な火で焼く、せいぜいその程度だ。
それと同じように――転移者は現地の人間に対して、全力のスキルを放ってこない。
身体能力で圧倒しようとはするだろう。
使いやすい武器や魔法のスキルも使ってくるはずだ。
だが、体力を消耗する大規模なスキルや、威力は高いが使いづらいなどといった力は使わない。転移者にとってそれは、耳元で飛ぶ羽虫に対して、周辺を焼き払う大規模な炎を放つようなモノだ。
「だけど、それはレンさんが――転移者が居なければの話だ」
彼は何度も自分を最強の転移者だと言っていた。それが事実かどうかは分からないが、レオンハルトが連翹を下に見ているのは事実だろう。
だが、いかに下の相手でも、転移者なのだ。
現地人よりも高い身体能力とスキルを持った強敵であり、適当に手を振れば弾き飛ばせる羽虫ではないのだから。
「本気で来ても俺らはどうにかするつもりだが――そっちの怪我人はそうも行かねえだろ」
「……ええ、その通りでしょうね。無傷でなおかつ装備もあれば問題ないのでしょうけど、この状態では私は足手まといよ」
「つーことだ。連翹、お前はその女騎士護衛して騎士修練場に行って他の騎士に、可能なら他の冒険者も呼んでくれ」
悔しげに言うキャロルに、「気にすんな」と言いたげな視線を送りながら、ニールは言う。
「――で、でも」
けれど、連翹は動かなかった。
否、動けなかった。迷いが足を地面に繋ぎ止めているのだ。
彼女もまた転移者であり、転移者がどれだけ強い存在なのかを理解している。それに比べ、現地人など脆い弱者なのだと思っている。
(……ほんと、なにがあったのか知らないけど)
連翹は本当に現地人を人間として認識しているのだな、とカルナは思う。
彼女は恐ろしいのだ。今、ここでその言葉に従ったら、カルナたち三人を見殺しにする結果になるのではないか、と思っているのだ。
レオンハルトのように遊戯の駒を見るような冷たい目ではない。だからこそ、カルナは彼女が転移者でありつつも多少心を許しているのだろう。
「問題ねえよ。それに――丁度いい」
にい、とニールが笑う。
楽しくて楽しくて仕方がない、と言うようなその笑みは獲物を見つけた肉食獣めいていた。
ああ、喰らいたい喰らいたい。この牙で奴の体を引き裂きたい。俺にはそれが出来るはずだという狂気じみた――けれども真っ直ぐな感情を体全体から発露させている。
「今の俺の剣が、一体どこまで通じるか……俺らはどこまでやれるのか! ああ、どうせ近い内に西で戦うんだ! こりゃあ丁度いい練習台だぜカルナ!」
「テンション上げるのはいいけどさ、一人で突っ込むのはやめてよ」
「当然! ああ、連翹お前まだ居るのか、とっとと行けとっとと。早くしねぇと俺らが全部やって騎士の面目丸っと全部叩き潰しちまうぞ」
俺はそれでもいいんだがな、と笑うニールの顔を見て、連翹はしばしの沈黙し、
「……ああっ、もう! 死んでもノーラ守りなさいよ貴方たち! ほんとに死んだら困るけど、死ぬ気でやりなさいよ!」
と激昂しながらこちらに背を向け、駈け出した。
その様子を見て、ノーラが小さく微笑んだ。
「……ニールさん。貴方って、なんだかんだで優しいというか、面倒見いいですよね」
「あ? なんだいきなり」
「あのテンションも、あの物言いも、レンちゃんに不安を抱かせないようにしたものでしょう?」
「は? ……いや、八割くらい本気のセリフだぞアレ」
「つまり、二割くらいはそういう意図があったってことですよね?」
微笑みながら退路を潰していくノーラの言葉に、むぐ、と言葉を詰まらせるニール。そのやり取りを見て、カルナはくくと笑う。
ニールが狂戦士気質なのは周知の事実だが、しかしこういう部分があるからこそ、彼は他の冒険者やカルナと友情を結べたのだろうなと思うのだ。
「……ああ、くっそ、てめえこのカルナお前笑うなぁ! いいからとっとと魔法の準備始めろ!」
「はいはい了解――と、来るよ!」
音が、近い。
獣の咆哮めいた呪詛の声が、鼓膜を震わせる。
「追いついたぁ! はは、追いついた、追いついた、追いついたぁ! ぼくを笑った土人め! 薄汚い弱小モブめ! お前らに罰を与える。罰とは死! 死とは罰だ! ぼくの剣に切り裂かれて、ぼくを騙し笑った罪を後悔しながら地獄に落ちろぉぉぉぉ!」
大剣を構えながら突貫してくるレオンハルトを目視した瞬間、カルナは魔法を使い始めた。




