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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
誘拐と違法奴隷
36/288

33/地下対話

 連翹れんぎょうたち招かれた部屋は、どうやらレオンハルトの私室のようだった。

 中央に豪奢な造りのテーブルが存在し、その上には燭台とベルが置いてある。奥にはベッドに本棚が存在し、壁にはいくつか武器が飾られている。

 家具の一つ一つは豪華だが、数が少ないため寂しい印象を受けた。そのワリに壁に飾られた武具は数も種類も多く、どれも綺麗に磨きぬかれている。これらを鑑賞するのがレオンハルトの趣味なのだろう。


(やっぱ壁に飾られた武器って格好良いわねえ……モロにファンタジーって感じで)


 剣や槍、斧やメイスなどといった物々しい武具が壁一面に並ぶ絵面は、中々に壮観だ。もっとも、これでは落ち着くパーソナルスペースというよりは剣呑な武器庫なのだが。

 連翹は見ているだけで満足するその室内だが、背後に立つニールは若干不満そうな表情だ。観賞用の武具ではなく、実戦用の武具を使わず飾っているのが不満なのだろう。

 

(ま、こいつはかなり剣とかを愛してるからねぇ……あたしと違った風に見てるんでしょ)


 ニールが扱っている剣は、使い古されてはいるものの貧乏臭いだとか汚いといった印象は皆無だ。数打ちではないものの名剣でもない、そんな剣を丁寧に手入れしているのだろうな、と連翹は思う。

 そんな彼にとって、使うために製造された武具は使われるべきだ、という想いがあるのかもしれない。もっとも、まだまだニールと出会って日が浅いために、ニール・グラジオラスという人間を見誤っている可能性もある。


(演技とか出来ないタイプだと思ってたけど、あの照れる演技は秀逸だったものね)

 

 レオンハルト相手に逆ハーレム要員の一人として演技させたあの時、顔を逸らしながらツンデレめいたセリフを吐いた瞬間に――連翹は一瞬だけ、ニールが自分に本気で惚れているのだと思いかけたものだ。


「どうした? ぼう、として」


 連翹が武具やニールの横顔を観察している間にレオンハルトはテーブルに向かっており、既に椅子に腰掛けていた。

 

「え……あ、いいえ。少し、壁の武器に圧倒されていて」

「ククク――そうだろう、そうだろう。我のコレクションの素晴らしさを理解できるとは、連翹。君も中々良い目をしている」


 慌てて言葉を紡ぐが、ある程度褒める言葉を混ぜ込んでいたおかげで、内心わたわたしていたのを気取られずに済んだ。小さく安堵の息を漏らす。


「だが、客人を立たせたままというワケにもいくまい。連翹、早く君も掛けたまえ」

「ええ、ありがとう」

 

 一度頭を下げてから椅子に座る連翹。その背後に控えるように、ニールとカルナが立った。

 その姿を満足そうに確認した後、レオンハルトはベルを掴み、それを鳴らす。  


「君は運がいいな、我は今日とても機嫌が良いのだ。本来なら、君程度を我が住処に案内することなど、あり得ぬのだからな。その幸福を噛みしめるといい」

「ええ、感謝しているわレオンハルト。貴方と出会えたことは、あたしにとってこの世界に来てから一番の幸運よ」


 隣の部屋で誰かが歩く音が聞こえる。あのベルの音が合図なのだろう。

 

「そうだろう、そうだろう……ああ、入り給え」

 

 満足そうに頷くレオンハルトは、ドアをノックする音に鷹揚に応えた。

 ぎい、という音を立てて扉が開く。


「失礼します。お呼びでしょうか、レオンハルト様」


 最初に入ってきたのは、燃えるような色の頭髪と瞳を持った女性だった。

 女性にしては高めの背丈に、微かに覗く四肢は肉食獣のように細くけれどしっかりと筋肉がついている。恐らく、彼女は戦士としてこれまで生きてきたのだろう。

 だろう、というのは彼女が纏う衣服がそういった生き方とは全く別のモノだったからだ。


 要所を白いフリルで飾った濃紺のロングドレスを纏い、その上に清潔さを強調する純白のエプロンを付けている。

 そして頭部には白いフリルのついたカチューシャ――ホワイトブリムが存在していた。

 

 メイドの衣装、である。

 可愛らしいその衣服だが、しかし彼女はあまり上手く着こなせていないように見えた。

 似合っていない、というわけではない。むしろキツそうな見た目を上手く中和していると言えるだろう。

 だが、元々そういった仕事とは無縁だったのだろう。どうしても他人の衣装を借りてきている――そんな印象を拭えないのだ。微かに赤い頬も、そう言った部分の照れが出ているように思える。


「君が来たか。我が愛しの奴隷ヒロインはどうしたのだ?」

「……この場は私一人で十分だと思いますが」

「うん? ……ハハハ、いいなキャロル、その嫉妬。我の寵愛を受ける少女よりも自分を見て欲しいという感情、中々可愛らしい」


 いや、違う。このキャロルと呼ばれた赤毛の女は、そういうことを考えているんじゃない。

 彼女は、もう一人の女をレオンハルトの前に出さないようにしているのだ。無論、嫉妬という感情からの行動ではなく、その少女を守るために。

 事実、彼女の瞳から親愛の情など欠片も見えやしない。上辺は取り繕っているが、見えるのは敵意や殺意といった感情だけだ。

 だというのに、レオンハルトは上辺のそれを全てだと信じ、美女に愛される自分に酔っている。自分しか見ていないのだから、他人の変化など気づきもしないということなのだろう。


「だがすまんな。我はこの客人たちに弁舌を振るうことになってな、我のことを知りたいと言ってくれた彼女には、是非同席してもらいたいのだよ。今すぐ連れて来てくれたまえ」

「ですが――」


 それでも、その女の子をこの場に連れて来るのは嫌なのだ、と。

 その言葉をどう装飾し当り障りのない言葉にすべきなのか迷うキャロル。その姿をしばし眺めていたレオンハルトだったが、しかしゆっくりと立ち上がり、彼女に歩み寄る。


「我は」


 苛立ちを孕んだ声音だった。

 自分の思い通りにならない現状に表情を怒りで歪ませた彼は、キャロルの顔面を片手で掴み――ゆっくりと力を入れはじめた。


「連れて来い――そう言ったぞ?」


 ぎし、ぎし、みし、と骨が歌う。

 伴奏は押し殺した苦痛の声音。

 その二重奏が、レオンハルトの私室に響き渡る。


「いかん、いかんなキャロル。君は確かに我のヒロインだが、同時に奴隷なのだ。ヒロインドレイであり、奴隷ヒロインなのだよ。だというのに、我の命令を拒絶するとは――どういうつもりなのだ? なあ、キャロル・ミモザ」

「――! ちょ、ちょっと、レオンハルト!」


 慌てて立ち上がる連翹を見て、レオンハルトは笑う。

 ああ、やはりこの女は未熟だな、と。

 仕方ない、我が転移者として相応しい振る舞いを見せてやろう、と。


「見ていたまえ連翹。これは躾だ。転移者に意見を言えるなどと思いあがった奴隷に対するムチだ。強者は強者らしく振る舞わねば、下の者たちはすぐにつけあがって反抗する」


 力の差も弁えずにな――と。

 言って、小石でも投げるような無造作な動作でキャロルを放り投げるた。壁に叩きつけられ、地面に崩れ落ちる彼女にレオンハルトは冷たく言い放つ。

 

「早く呼べ、キャロル。次はこの程度ではすまさんぞ」


 その威力に満足したのか、言葉の冷たさとは裏腹に表情を喜悦に染め上げた。

 しかし、それでもキャロルはここで退けないとばかりに彼を睨みつけ――

 

「お呼びですか、レオンハルトさん」


 ――その視線を遮るように、少女が現れた。

 

 小柄なその少女が身に纏うのは、キャロルと同じメイド服だ。ティーポットとカップを載せたトレイを持っている。

 キャロルと同様に着慣れていない印象を受けるが、しかし少女の柔らかい雰囲気と良くマッチしていて可愛らしい。

 桃色のサイドテールを揺らしながら入室した彼女は、その表情に驚きと安堵を滲ませながら、ニールたちに深々と頭を下げた。

 知っている。

 連翹は、いいや、ニールもカルナも彼女を知っている。


「ノ――」


 ノーラ、と。

 そう叫ぼうとした連翹の声をノーラが遮った。


「初めまして、わたしはノーラ。ノーラ・ホワイトスターと申します。いらっしゃいませ、愛するレオンハルトさんのお客人。歓迎しますよ」


 初見の客人に対応するように、けれどその眼には友に対する親愛を滲ませながら、ノーラは微笑んだ。

 若干ぎこちない印象を受けるものの上手く対応しているようで、連翹は小さく安堵の息を吐く。

 

(良かった――とりあえず、最悪の展開じゃなかった)


 レオンハルトの視線がノーラに向いている間にキャロルがゆっくりと立ち上がる。

 それを確認し、少しホッとしたような顔をしたノーラは、レオンハルトと連翹の分だけ紅茶を入れた後に彼の背後に控えた。

 ノーラの動きを満足そうに眺めていたレオンハルトは、一口紅茶を啜り微笑む。ああ、やはり我が奴隷ヒロインは愛らしい、とでも思っているのだろう。

 

「さて、我からも紹介しよう。彼女らはノーラとキャロル。我を愛し、我に愛されるという現地の人間にはあり得ぬ幸せを掴みとった者たちだ」

 

 語るレオンハルトの背後で、ノーラはキャロルの肩を軽く叩いた。

 訝しげに視線を向けた彼女の前で、ノーラは連翹、ニール、カルナを指さした後、安堵させるように柔らかく微笑んだ。


『大丈夫。彼女たちは知り合いです』

 

 と。そういう意図が込められているのだろう。

 それに気づいたらしいキャロルは、連翹に対し小さく頭を下げた。


(気にしなくていいわ、ノーラのついでよ、ついで)


 そう答えたいところだが、レオンハルトがこちらを見ている現状、口に出すことも仕草で意思を伝えることも出来ない。

 一応、レオンハルト相手に演技は上手く行っているものの、それは信じたいモノを信じさせているからだ。下手に疑られれば一気にボロが出る。

 だから、突破口が見つかるまでは演技を続ける他ない。そう思考しながら連翹は「流石ね、レオンハルト」と感嘆の声を作り、呟く。


「ええ。ノーラは可愛らしくて、キャロルは凛々しい美しさ……見る目があるのね、羨ましいわ。あたしが男なら、口説けなかったことを悔しく思っていたでしょうね」

「それだよ、君の間違いは」


 うまい具合に持ち上げるセリフを吐けた、と思った矢先に否定の言葉。

 何か失敗したか、と思ったがレオンハルトの表情を見て、否だと思う。

 あれは、きっと自分の知識を与えられることに喜びを感じているのだ。無知な初心者に弁舌を振るえるのが楽しくて仕方がないのだろう。 


「男なら口説けなかったことを悔やむ――そう言ったな。つまり、君が男であれば口説いていたということだな?」

「ええ、そうよ。それがどうしたのかしら?」

「嗚呼、なんと愚昧な! 君は転移者という存在を欠片も理解できていない!」


 これは中々説明に手間取りそうだな、と落胆した風な――けれどどこか嬉しそうな顔で重い溜息を吐く。

 相手が自分より圧倒的に格下だと理解し、内心で狂喜乱舞しているのだろう。


(その上、自分の奴隷の前で知識チートしている所を見せられるんだものね、テンション上がるのも当然かも)


 連翹も、その気持ちが理解できないわけではない。

 自分に親しい誰かの前で力を振るって、凄いと思われたい。片桐連翹という女の子はなんて凄いんだと言われたい。

 連翹の勝手な想像だが、規格外チートを得てこの世界に来た人間は、多かれ少なかれそういう願望を持っているんじゃないかと思うのだ。

 

「連翹。なぜ、口説くなどと下手に出る必要がある。他人の気を引くために言葉を連ねるなど、地球やこの世界の凡愚どもにやらせておけばいいではないか。そうしなければ女も手に入れられないクズどもなのだからな」


 だが我らは違うだろう! と。

 両手を広げ、レオンハルトは歌うように語る。

 

チート規格外チート侵されぬ自由チート……ああ、素晴らしき我が力! これを用いて力を示せばいい! 歯向かう愚者は撃滅しろ! 女にしろ男にしろ、力ある者に逆らえんし、そういった強者と子を成したいと願うのだから。現地人が作った決まりなどに、縛られる必要などあるものか」

「なるほど……だから、違法奴隷に手を出したのね」


 既にあるシステムが自分の自由を阻むなら、それを壊すなり違反するなり好きにすればいいのだ――彼はそう言いたいのだ。

 合法奴隷では自分の好みの女に手を出せないのなら、自分が守る理由などない。なにせ、合法奴隷などというシステムは現地人が作ったシステムだからだ。

 現地人如きでは自分は罰せられない――いいや、そもそも自分が罰せられるとすれ考えていないのかもしれない。


 自分がやる以上、それは正しいこと。


 ならば、それを否定する者は頭の固い凡人なのだ――と、彼はそう考えているのだろう。


「くく……そうだ。内政チートというヤツだな。あのような欠陥システムしか作れぬ愚昧な現地人の代わりに、我が理想のシステムを作ってやっているのだ」

「欠陥? そりゃあ、あたしはそういうシステムに詳しくないけど、一応この世界では上手く回っているシステムなんじゃないの?」

「それが間違いだと言っているのだ、連翹。この世界は全て我の庭だ。だが、その庭を闊歩する虫に合わせたシステムがあり、それのせいで主の自由が阻害されるというのなら、それは欠陥以外の何物でもないだろう?」


 そういう事だ、理解できただろう? と満足そうに微笑むと、彼は乾いた喉を紅茶で湿らせる。

 

「第一、なぜ君がそこまで現地人に配慮しているのか、理解に苦しむな。連翹、君とて転移者だろう。ならば――ここに招かれる瞬間を覚えているはずだ」

「……ええ、覚えているわ」


 もう、二年も前のことだが、しかし覚えている。忘れるはずがない。


「だろう? ああ、苦しくも懐かしい、我が新たな人生を歩みすことになった日だ。

 我に劣等生というレッテルを張る親や同級生、教師などに嫌気が差し、仮病を使って自宅に篭った日だった。

 インターネットの海で情報を浚い、学校では教えぬ様々な知識に触れ、知識欲を満たしていたのだ。だが同時に悔しく思ってもいた。この世界では、我の真価を発揮できない。凡愚の理屈で塗り固められた社会では、我の正当性を誰も認めない。

 だから思っていたのだ。その日以前から、何度も何度も。嗚呼――転生でも転移でも召喚でもいい、我を異世界に招いて欲しいと。そこでなら、我は人生をやり直し、真摯に生と向き合えるだろう、と」


 その時だったな、と。

 レオンハルトは一瞬だけ気取った表情を剥がし、過去を懐かしむように遠い目をした。

 

「声が聞こえたのだ。『その言葉に偽りが無ければ、我が世界に招こう』とな」

「そして、その言葉に頷い瞬間――神殿に招かれたのよね」


 瞬きの間に転移した場所は、日本人らしく宗教に興味のない連翹が見ても神秘的に見える場所だった。

 大理石の似た白さであり、しかしそれ以上に透明感のある石材で建造されたそこは、森の中に存在していたと思う。窓から見える風景は緑一色で、とてもではないが人里近くに存在していたとは考えにくい。

 人里から隔絶された神殿。それは確かに神秘的な要素の一部分ではあるのだろうが、それ以上に連翹がそこを『神秘的だ』と感じたのは何よりも雰囲気であった。地球時代に見た神社や寺院に神様やら仏様やらが存在し連翹を見下ろしていたら、似たような言語化しにくい神秘性を抱いたのかもしれない。


 そこに、彼は存在していた。


 どんな姿だったかは覚えていない。

 それどころか、人型だったか獣だったのか、鳥類だったのか虫だったのかすらも曖昧だ。どれも正しいようで、どれも間違っている気がする。

 ただ、それでも声質が男性的だったことと――生命力に満ち満ちていたことだけは覚えている。

 

「そうだな、確か……『生きるために力を授けよう。お前は自由だ。その力で、お前が成したいことを成すが良い』――だったか。今思い返せば神如きが我にそのような上から目線で言葉を述べるなど、不敬に程があるのだがな。しかし、当時の我は未だこの力チートを得た喜びで頭が一杯でな」

 

 レオンハルトはノーラに紅茶のお代わりを要求しながら、テーブルの上で腕を組んだ。


「だから、我は成したいことを成してるのだよ。我を否定するクズを殺し、囲う女を集め――いずれはこの大陸を我が統治するのだ」

「大陸を統治するなら、西の事件――転移者の街レゾン・デイトルがあるじゃない。そこには行かないの? あたしは行きたかったんだけど、この世界に来てからまだ一月くらいしか経ってないことを話したら断られてね」

「ふむ、君の今までの言動はそういうことなのか。まだ転移者と成ったばかりで、一般人気分が抜けていないというわけだな」


 レゾン・デイトルに期待しているのもその証明だな、と見下すように笑う。

 

「あのような連中、しょせん烏合の衆だ。群れなくては何も出来ない、地球時代の不良みたいなものだ。我は強いのだ。我は最強なのだ。だというのに、何故、他人の軍勢に入らなくてはならない」

「レオンハルトさん、どうぞ」

「ああ、ありがとう」


 会話が一段落した時を見計らって、ノーラが紅茶を出した。

 己の奴隷の働きに満足気に微笑んだ彼は、ゆっくりと紅茶を傾けた。


「ああ……美味しいよ、ノーラ。我がメイン奴隷ヒロイン


 レオンハルトは今、幸せの絶頂にあった。

 柔らかい美少女が自分を愛し、気の強そうな美女が自分の力を認めてくれている。ああ、まだまだ少ないが、ようやく自分のハーレムを持てたと彼の心は踊っていた。

 その上、格下の同郷が自分を頼り助言を求めてきた。そこらの凡人ではない。自分に劣りつつも、現地人などとは比べ物にならない力を持った転移者が『貴方の方が格上』だと頭を下げた。

 嬉しい。嬉しい。嬉しい。

 ああ、この世界は自分を認めてくれている。規格外チートを持った以外は変わらない自分を愛してくれている。

 

 ――だから。

  

 紅茶を出した後、ノーラが壁際に寄ったことも、

 飾ってあった武器の一つを握り、歩み寄ってきたことも、

 彼は気づけなかったのだ。

 

「ねえ、レオンハルトさん」


 優しく、愛を囁くような甘い――けれどどこか平坦な声音。

 本物の感情に砂糖をまぶし、無理矢理甘さを付け加えたような、演技演技とし過ぎた声。

 だが、レオンハルトは疑わない。なぜなら、彼女は自分を愛し、自分を知ってくれた女性だから。この世界の主人公である転移者レオンハルトのハーレム、その本妻となるべき最初の奴隷メインヒロインなのだから。

 紅茶を啜りながら、ゆっくりと振り向く。ああ、今度は自分をどんな風に喜ばしてくれるのだろう――そう考えながら。


「なんだい、ノー――」


 だから、気づけなかったのだ。

 自分を愛してくれていると信じていた少女が鈍色に輝く細身のメイスをを振り上げていたことすらも、それを振り下ろす瞬間まで気づけなかった。

 当然だ。この場で彼に奇襲を成功させられるのは、ノーラ・ホワイトスター、彼女ただ一人だったのだから。


 連翹なら、レオンハルトは回避出来ただろう。

 ノーラよりも身体能力があるとはいえ、彼女は転移者だ。突然の心変わりで襲われた場合、愛する奴隷を守りきれないかもしれないとレオンハルトは思い、完全に注意を逸らしていなかったからだ。


 ニールなら、レオンハルトは反撃し体勢を立て直しただろう。

 彼の攻撃は鋭く速いものの、しかし立っていた場所は連翹の後ろだ。連翹に注意を払っている以上、そのハーレム要員である彼も警戒していたからだ。


 カルナなら、レオンハルトは魔法の詠唱が終わる前にその首を跳ね飛ばしていただろう。

 レオンハルトは顔の整った同性が嫌いだ。平凡な自分の顔と対比し、自分の方が劣っていると考えてしまうからだ。もしも彼がニールのように礼儀知らずだったら、出会い頭で殺されていたかもしれない。

 

 キャロルなら、直前までは上手く行くだろうが寸前で気づかれ受け止められるだろう。

 彼女も一応、レオンハルトのハーレム要員ではある。だが、拐う前に一度戦闘をしたことと、時折嫉妬から来る反抗的な態度をした事実が、僅かな警戒心をレオンハルトに抱かせたからだ。


 しかし、ノーラは違う。

 彼女はレオンハルトに初めて愛を囁いた人物であり、彼の長い自分語りを優しく聞いてくれた女性であり、何より武器が似合わない柔らかな雰囲気を持っていたからだ。

 レオンハルトは彼女を信じていたし、武器を使う絵面を一欠片も想像していなかった。

 

 故に――メイスが自分に向かって振り下ろされているというのに、彼は呆けたように一歩も動けなかったのだ。

 メイスの先端が口元に寄せていたカップに辺り、砕け、紅茶を撒き散らす。砕けた破片と飛沫と共に飛来した金属の塊は、レオンハルトの顔面に勢い良くぶつかった。みし、という骨が軋む感触と共に、レオンハルトは椅子から弾き飛ばされた。

 

「い――ぐ、あああああ!?」

「……! レンちゃん! カルナさん、ニールさん!」


 がらん、とメイスを落としたノーラは、震える右手を押さえつつ叫んだ。


「撤退するよ! 僕がノーラさん抱えるから、ニールはそのキャロルさんって人をお願い! レンさんはとっとと縄梯子登りに行って!」


 それに一番早く対応したのはカルナだった。ノーラをその両手で抱えると、一気に外に向かって駈け出した。


「え? ちょ、待ちなさいカルナ! あたしの方が力あるんだから、ノーラはあたしが……!」

「お前一人でも縄梯子に手こずってた癖に何言ってんだこの馬鹿女! いいから行くぞ!」

 

 キャロルを背負って駈け出したニールの声に、連翹は「うっ」と小さくうめき声を漏らす。

 

(……まあ、確かに判断は間違ってない、のかしらね)


 ノーラは走るのは速くなさそうだが、体重が軽いため前衛職ではないものの多少は鍛えているカルナなら抱えて走れる。

 キャロルは騎士であり運動は得意だろうが、先程レオンハルトに転移者の腕力で壁に叩きつけられた。普段通りに走れるとは思えないため、誰かが担ぐ必要がある。彼女は背も高く戦士として筋肉もつけているためカルナでは荷が重い、ゆえにニールだ。

 そして転移者である連翹はノーラとキャロルを抱えて走っても問題のない腕力があるものの、縄梯子に不慣れなために二人どころか一人抱えて上まで登れるかどうか分からない。


「……間違ってない気がするけど、なんかお前使えねぇって言われてるみたいで腹立つ!」


 悪態を吐きながら、連翹も駆ける。

 これから相手がどういう行動を取ってくるかは分からないが、しかし捕まっていた二人を安全なところに送らないとマズイ。

 

     ◇


 レオンハルトは、現状を理解できていなかった。

 いいや、理解したくない、という方が正しいのかもしれない。


(違う、違う、違う――ぼくのノーラが、そんなことをするものか)


 メイスを振り下し、自分の顔面に叩きつけるノーラの姿を必死に脳内から追い出しながら、幽鬼のような動きで立ち上がり辺りを見渡す。

 先程まで有意義な会話をしていた私室には、誰もいない。

 自分を愛してくれた奴隷も、自分を頼って来た転移者も、そのハーレム要員の男どもも。誰も、誰も、誰も。

 

 だから、音のする方に――廊下に出たのだ。

 

 そこから音がする。

 そこから声が聞こえる。

 何があったかはまだ理解できないけれど、きっとそこに真実が――


「ねえノーラさん! ねえ! あの奇襲なんだけどさ、せめてジェスチャーとかしてからやって欲しかったなぁ僕は! 武器を取りに行った辺りからすっごく気が気じゃなかったよ!」

「何度もそんなことしてたら感付かれるかもしれないじゃないですか! それに、長話に疲れて気が緩んだあのタイミングが一番だと思ったんですよ!」


 ――カルナという男に抱きかかえられ、自分が見たことのない表情で楽しげに会話する、ノーラの姿が見えた。


「――な――ん――」


 なんだ、これは。

 なんだこれは、なんだこれは、なんだこれは――なんだこれは!

 彼女は己の奴隷ヒロインだ。だというのに、なぜ別の男の腕で楽しげに笑っている。

 なぜ、振り向かない。自分はここに居るのに。君が愛するレオンハルトはここに存在するというのに。


「――そういう、こと、か」


 頭の中から排除していた映像を呼び覚ます。

 メイスを振り下ろす彼女の姿。親しげに連翹たちの名を叫ぶ彼女の姿。主であるレオンハルトを顧みることなく男と共に逃げ去った彼女。

 

『えっと、レオンハルトさん。美しい黒髪と、冬の夜空のように澄んだ瞳を持つあなた。もっと、あなたのことを、教えてくれませんか? わたしは、キャロルさんよりあなたのことを知らないんです』


 全ては、嘘。

 自分を騙すための、嘘。

 酷い、どうして、なんでそんなことをするんだ。

 男を騙して、本気になっているのを見て笑っているのだろうか?

 嗚呼、嗚呼、だとしたら説明がつく。

 だって、自分は何も悪いことをしていない。自由に生きようと頑張っただけではないか。

 だというのに、あの奴隷ヒロインは、あの女は、

 

「あの――腐れ、ビッチがぁああああぁぁぁ!」


 許せない。

 殺してやる。

 裏切りの対価は死だ。

 ただで死ねると思うな、なぶり、痛めつけ、生まれてきたことを後悔させてやる。


「皆殺しだ! ぼくの女になるフリをして笑ってやがったあのビッチも! 騙していたとはいえぼくの女を抱き抱えて逃げやがったあの男共も! 恩を仇で返したあの転移者も!」


 殺す。

 例外なく殺戮する。

 これは正当な行為だ。これは復讐なのだ。

 

「ぼくを騙して、笑って、ただで済むと思うなよぉぉぉおおおおお!」


 レオンハルトは虚飾の仮面を脱ぎ捨て疾走する。

 彼にとっては正当な理屈で行われる復讐のために。

 他人から見れば、醜い逆恨みのために。


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