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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
誘拐と違法奴隷
35/288

32/転移者レオンハルト

 太陽が地平線の向こうに没し、入れ替われように月が大地を見下ろしだした頃。ニールたちは動き始めた。

 事件があったせいで前日よりも静かなものの、未だ酒場から漏れる笑い声が響く大通りを外れ、小路に向かう。店の明かりや喧騒が遠退き、次第に薄れていく。


(暗ぇな。ダンジョンとは違うが――危険なのはここも一緒だな)


 長い年月を掛けて増築に増築を重ねられた都市の小路は、もはや迷宮だ。

 細く枝分かれした道に、建物の影が作る泥のように深い闇。微かに道を照らす月光や生活の明かりも、羽虫を誘う炎の明かりの剣呑さを感じる。

 耳を澄ませば大通りの喧騒はまだ聞こえてくるが、だからこそ今いる場所の闇が際立つ。比較対象がない分、全体が闇で満ちた洞窟系の人工ダンジョンの方がずっと明るい気さえする。

 

「……意外。あたし、もっと浮浪者とかが居たり、ゴミゴミしてるのを想像してたわ」


 暗いは暗いけど、不潔な感じはあんまないのね、と呟く。


「居るには居るらしいがな、浮浪者は」


 連翹の呟きにニールが応える。

 

「だがまあ、今は安定してるからな。食い詰めた奴が出ないってワケじゃねえけど、少し道を外れたくらいで出会う程に多くもねえらしい」

 

 新しい商売に手を出して失敗した者や、怠けて継いだ家業を傾けた者、そして冒険者を辞めたものの故郷に帰れない者などが残飯を探すという話は聞いたことがある。

 アルストロメリア女王国の政治は大きな争いもなく安定しているものの、全ての人間が完璧に幸福な未来を約束されている――などといった完全無欠なモノでもないのだ。

 だが、不満の出ない統治など存在しないのだから、ある程度は仕方がないのだろう。


「そんな話より、だ……カルナ、道はあってんだよな?」

「……うん、大丈夫みたい。今、目印を見つけたよ」

 

 カルナの視線を追うと、壁や石畳にキズが刻み込まれているのが見える。といっても小さなモノで、目印が近くにあると意識して辺りを探らないと見つからない大きさだ。

 キズは古いモノから新しいモノまで様々で、カルナはその中でもっとも新しいキズを探し、小路を先導している。

 女を拐った者たちは、これを辿って女を運んでいたらしい。最初に入る小路さえ覚えていれば、一番新しいキズを辿っていけば転移者に会えるのだという。

 しかし、闇に沈んだ道では目印のキズを探ることは難しい。

 先程からカルナが見落としたら連翹が見つけ、連翹も見落としたらニールが見つけ、いくらか歩いて新しい目印が無ければ最後に見つけた目印まで引き返すということを繰り返している。


「……この辺り、かな」


 カルナが立ち止まる。

 たどり着いた場所は、建物と建物の間に存在する、狭い空間だった。通り抜けるなら一人がやっとという有り様だ。

 屋根が作る影が月明かりを遮り、薄暗い夜の小路を真の闇に沈ませている。窓はこの小路からは見えず、生活の明かりが闇を払うことも期待できそうにない。

 

「……何者だ」


 その闇から這い出るように、漆黒の少年が姿を表した。

 細身な少年だ。年頃はまだ十五、六に見えた。纏った衣服と対照的な白い肌に若干曲がった背中、そして生来の気弱さが滲み出したような柔らかい顔立ちをしている。

 けれど、その顔に浮かぶ表情に柔らかさは皆無だ。

 冬の夜の大気よりもなお冷たい眼差しに、釣り上がった唇は彼の傲慢な思考を言葉よりも雄弁にニールたちに伝えている。


「見覚えがないな、ということは――どこぞの無能が我のことを喋ったか」


 現地の者はこれだから当てにならん――と愚痴るが、しかしその表情に苛立ちはなかった。

 その無能はあとで殺せばいいし、目の前に居るニールたちも敵対するなら殺せばいいだけだ。

 敗北する未来など、想像もしていない。小石を投げればいずれは壁か地面にぶつかる、そんな当たり前の事実を疑わないように、彼は己の勝利を疑っていなかった。


(――なんつーか、だ)

 

 そういう相手の姿を見て、ニールもっと自分が怒り狂うと思っていた。

 すぐさま剣を抜きそうになり、カルナに止められる――そんな未来を想像していたのだ。

 無論、そういう思考も衝動もないワケではない。今すぐ剣を抜いて戦いを挑みたい、という欲求もある。

 けれど、それ以上に――


(――懐かしい、んだよな)


 二年前に、連翹と戦った時のことを思い出す。

 かつて見た連翹は、目の前の少年を若干薄めたような雰囲気の少女だった。少なくとも、ニールはそう認識していたのだ。

 しかし二年ぶりにあった彼女は、傲慢さはあれど人間味があり、目の前の少年が持つ雰囲気から大きく逸脱している。

 

 だから、ニールは思うのだ。

 

(ああ、こいつだ)


 これが、俺が剣を交える相手だ、と。

 こういう奴を殺すために、俺はこの二年、剣士として研鑽を積んだのだ、と。


(だが、そいつは今じゃない)


 己の欲望を叶えるのは、やるべきことをやってからだ。

 胸の中で燃え盛りだした戦意を押し留めているニール、その僅か前方に立つ連翹は佇む少年に笑いかけた。


「初めまして。あたしは片桐連翹。名前とこの服を見れば、どこから来たのかは理解できるんじゃないかしら」


 スカートの裾を摘んで微笑む連翹に、少年は「ふむ、同郷か」と頷いた。


「それで? 一体、我に何の用だ? ただ会話するためだけに来たわけでもあるまい」

「いいえ、半分正解よ……カルナ」

「はい、我が主」 

 

 連翹は腰に差した剣を鞘ごと外すと、それをカルナに手渡した。

 カルナはそれを恭しい仕草で受け取ると、そっと壁際に寄って道を空ける。連翹は小さく「ありがとう」と言って微笑むと、少年の方に歩み寄った。

 未だ僅かに警戒している少年の前で、連翹はそっと跪いた。騎士が王にするような敬意に満ちた――しかしこのような場で行うには芝居臭すぎる大仰な仕草である。

 

「見ての通り、敵意はないわ。あたしは転移者だし、素手でも強いのは当然だけれど、同じ転移者――いいえ、自分より強い転移者を相手に無手で戦いを挑む愚か者じゃあないもの」

「――ふふ、なるほど、なるほど! ああ、君は道理を弁えているようだ。名乗るのが遅れたな。我はレオンハルト。最強にして無双の転移者にして、この世界の主人公だ」 


 少年は連翹の言葉に満足したのか、喜悦に満ちた顔で名乗る。


「それで? 一体なんの用なのだ? まさか、小汚いあの世界の話をしたいわけではあるまい」

「ええ、もちろん。あたしはただ、貴方に転移者としての生き方をご教授願いたいと思って、貴方と繋がっているであろう現地人から情報を引き出し、ここに来たの」


 立ち上がった連翹はレオンハルトの側まで近寄り、囁くように、けれどニールたちにもギリギリ聞こえる程度の小さな声で話しだした。  


「……ごめんなさい、敬語で話すべきだとは思うんですけど、あたしを信じてくれたあの男たちを失望させたくないんです」

「ふむ、腰が低いというのに口調がそのままなのは、つまりはそういうことか」

「ええ……あたしは未熟で、貴方と同列な口調で話すのは心苦しいのですが――怖いんです。ここで自分の弱さを彼らに見せて、見限られるのが」


 地球時代あのころの自分に戻ってしまうようで、と。


「……仕方がない、寛容さを見せるのも、また強者の務めか。いいだろう、彼らが居る前では、普段通りに過ごすといい」

「……! ありがとうございます。貴方と出会えて良かった」

 

 気にするな、と笑うレオンハルトを見ながら、ニールは「なんて茶番だ」と口から漏れそうになる苦笑を必死に殺していた。


(……連翹の奴、絶対上手く行くとは言ってたが)


 実際、自分やカルナよりも連翹の方が転移者について詳しいため、大筋の流れは彼女に一任していたのだが――それでも不安はあったのだ。


「それで、その二人は――君が囲っている男、というわけだね」

「ええ、そうよ。カルナ、ニール、挨拶なさい」


 連翹が語った言葉を思い出す。


『あたしとその転移者が同列、なんて風に話を切り出したら一発で戦闘になると思った方がいいわ。

 だってそうでしょう? 自分が特別だと思ってるのに、その特別な自分と同列な他人が存在する、なんて受け入れられるわけないじゃない。 

 だから、あたしは転移者の中でも新米。そうね、デスゲームモノとかMMO世界転移モノにおける主人公に低レベルプレイヤーが合流するみたいな流れで……え、意味が分からない?

 あー、うん、えっと。ベテラン冒険者気取りたくて仕方がない人に、新米冒険者が『貴方をがベテランなんですね! 尊敬してます! 色々教えて下さい!』みたいな感じでその転移者に会いに行くから、二人はあたしに惚れてるって感じで演技して着いて来て。逆ハーレム要因ってことにするから。 

 ……なによ、その「え? 何言ってんだこの女?」って目は! 仕方ないじゃない、貴方たち置いて行ったらノーラ助ける時に手数が足りないし、かといって同列の仲間だとか言い出したら、正義感溢れる踏み台召喚勇者的な見下され方するに決まってるわ!』


 一応、細部は話し合って決定したのだが、それでも不安はあったのだ。おいおい、本当にこれで行けるのかよ、と。

 

(ああ、まあ、疑ってたわけじゃないんだがよ)


 転移者の思考回路が自分たちと違うのは理解していたからこそ、連翹に大筋の流れを考えてもらったのだから。でも、こうも上手くいくと自分たちの不安はなんだったのだ、と思うのだ。

 その考えはカルナも同様なのか、抑えた笑いを柔らかい微笑みに仕立てながら口を開く。


「初めまして、愛する主と同じ世界から来た者よ。僕の名はカルナ・カンパニュラ、彼女の右手であり、彼女を守る盾だ」

「ハッ! 魔法使い風情が盾とか……笑いが止まらねえな! 魔法使いは黙って一人で魔法の研究でもしてろよこのもやし野郎が」

「グラジオラス……! 貴様……!」


 侮辱され、怒り狂った――という演技の――カルナはローブの袖から魔導書を取り出し、ニールを睨む。

 ニールもまた、にいと笑い剣の柄を握る。今すぐにでも抜剣し、駆け出せるような姿勢でカルナに剣呑な笑みを向けた。

 一瞬即発。

 そんな風に見える二人を見て、連翹が呆れたように溜息を吐いた。


「カルナ、抑えなさい。そしてニール……悪戯にカルナを煽るんじゃないの」

「……すまない、我が主」

「へいへい、悪かったよ連翹。ああ、俺の名はニール・グラジオラスだ。アンタがどれほどの者かは知らねえが、俺の女に仇なすなら覚悟しとけよ」


 剣の柄をとんとん、と叩きながら連翹を庇うように前に出る。

 連翹に「ニール。貴方の場合、感情を隠すのが難しそうだから、こんな感じのキャラを演じなさいよ」と言われていたが、なるほど確かに演じやすいなと思う。

 実際、カルナを煽るのは酒飲ながら良くやっているし、敵意や殺意が漏れても『愛する主人のために暴走している』と誤魔化せるのだ。

 知り合ったばかりだが、連翹は二人をしっかりと見ているのだろう。そう思うと、ニールは自分の胸が熱くなるのを感じるのだ。過去のニールは彼女の心の中に存在しなくても、今のニールは存在している。それが、たまらなく嬉しい。


「ふむ、そちらの魔法使いは躾が行き届いているようだが――そちらの剣士はどうなのだ?」

「躾の行き届いた室内犬も、荒々しくもあたしを慕ってくれる野良犬も、どちらも可愛いと思わない?」

「生憎と、我は従順な奴隷の方が好みでな。ツンデレやら暴力ヒロインなど、面倒なだけだろうに」

「そちらの好みは否定しないけど、気が向いたらそういう子とも仲良くしてみたらいいと思うわよ。隠し切れない好意を必死に隠そうとする姿は、とっても可愛いんだから……ねえ、ニール」

「……おい連翹、そこでなんで俺を見る」

「実力の差を理解していないのは減点だけど……さっきのセリフは嬉しかったわ。何かあったら、ちゃんとあたしを守ってね?」

 

 そう言って、春風のような暖かな微笑みを向ける。

 不意に、どぐん、と心臓が鳴った。あまり見たことのない表情に、なぜだか気恥ずかしさを感じる。


「勘違いすんなよ、連翹。俺はただ、お前を倒し、お前に俺を認めさせたいだけだ。その前に、他の誰かに負けられると人生設計が狂うんだよ」


 微かに赤らんでいく頬を誤魔化すように背を向け、ぶっきらぼうに応える。 

 その仕草に僅かに驚いていた連翹だが、しかし「案外演技上手いじゃない」と言いたげな満足そうな笑みを浮かべた後、レオンハルトに向き直った。


「ね? いいでしょ、こういうのも」

「ふむ、まあ奴が女なら、それなりに良いのではないかな」


 もっとも、我は面倒臭さの方が強くて好かんな、と。 

 そう言った彼は、こちらに背を向け闇の中に脚を踏み入れていく。


「我が住処へと誘おう。着いて来るがいい。転移者としての心構えなどは、全てそこで話そう」

「ありがとう、レオンハルト。貴方の寛容に感謝を」

 

 スカートの裾を摘み一礼した連翹は、彼の背中を追う。ニールとカルナも、それに続いた。

 闇を泳ぐように移動していくと、袋小路に辿り着く。奥まった場所にあるそこは、あまり手入れが行き届いていないのか、崩れた塀の破片やら土砂、放棄された家具やらが散乱している。

 

「……少し、待っていろ」


 レオンハルトはそんなゴミゴミとした空間の端に行くと屈み込み、石畳の一部を持ち上げた。

 円形に切り取られたそれを一旦地面に置くと、ニールたちを手招きする。


「……こいつは」


 覗き込み、その深さに驚いた。

 縄梯子がつけられたその穴は六メートルほどの深さはあるだろう。穴の底には燭台が見え、地下の闇を照らしている。きっと中はそこそこ広いのだろう。

 

「ここが我の住処だ。少々手狭で、かつ綺麗とは言い難いが――物語のスタート地点としては丁度いいだろう?」


 先に行け、とニールたち三人に視線を向ける。

 

(……ま、当然か)


 もし自分がレオンハルトなら、きっとそうするだろうなとニールは思う。

 恐らくだが、この地下には出入口は一つしかない。先にニールたちを中に入れることで、地下に閉じ込めることができるのだ。レオンハルトは連翹に対し、それなりに気を許しているようだが、しかし相手が敵だという可能性は捨て去っていないのだろう。

 

「オーケーだ。一応、俺が先に行くから、連翹たちはその後に来い」


 安全確認を兼ねて、ニールは縄梯子をするすると降りていく。

 降りる途中の土壁に罠は見受けられず、地面に降りた後も罠が発動したりもしなければ、潜んでいた何者かが襲ってくる気配もない。

 警戒しながら降りることにも理由がある。もしもニールたちの思惑を理解していたら、ここで攻撃をしかけてくるはずなのだ。出入口に転移者であるレオンハルトが番人として立ち、地下で雇ったチンピラや冒険者崩れの集団で袋叩きにする。量と質の挟撃で外敵を排除できるのだ。

 しかし、ニールが感じる範囲ではそういった兆候はない。レオンハルトは、ノーラを救い出そうとしているニールたちの意図に気づいてはいない。

 よし、と頷き、上に声をかけた。


「問題ねえぞ、降りてこい!」

「そ、ありがとうね」


 よいしょ、という掛け声と共に連翹が縄梯子を掴み、ゆっくりと降りてくる。

 あまりこういう道具に慣れていないのか、身体能力のワリにゆっくりとした動きだ。

 

「うわあ! あ、あ、あっ! ゆ、揺れる! バランスが、わ、わ、あわっ!」

(――おっ?)


 こいつ大丈夫なのか? 

 と思い降りてくる連翹を見上げていたニールだが、しかしとある事実に気づく。

 

 ――連翹は、長めとはいえスカートじゃねえか、と。


 ゆっくりとこちらに向かって近づいてくる尻。しかし、それは薄暗い地下ではスカートの奥は中々覗けない。元々薄暗いスカートの中は、地下の闇に覆われ内部を完全に漆黒で塗りつぶしている。

 だが、ニールの近くには燭台がある。部屋を照らすそれは、ゆっくり、ゆっくりと降りてくる連翹のスカートの中すらも、近づくにつれてほんのりと――しかし確かに照らし始めていた。

 白いモノほど光を反射し、暗闇でも見えやすくなる――どこかで聞いた言葉だが、なるほど、確かにと内心で頷いた。

 懸命にバランスを取り、ふるふると震える連翹のスカートの奥――その奥にある丸くて柔らかそうな臀部を覆う白い布地が、ニールの眼にはしっかりと映っていたのだ。ふるふると震えるふとももも、また。

 

「うう……人工ダンジョンだって基本はただの洞窟じゃない、こんな高い所から降りるとかやったことないのよ……あたしがビビりだったりするわけじゃないのよ、分かってる……?」


 震えた声で言う連翹。

 その声と一緒に震える下着に包まれた尻。

 素晴らしいな、と思う。特にロングスカートから覗く白い下着というのは、娼館で抱ける女の全裸よりもよっぽど官能的だと思うのだ。

 何より、完全に照らされていないのが良い。揺れる尻と連動し前後に揺れるスカートの裾が尻を遮り、光を遮る。けれどその隙間を縫うようにスカートの中身は照らされ、白い下着は、柔らかそうなふとももは開帳されるのである。


 このじれったさが、またいい!


 見えそうで中々見えない、けれどちょっと見えるその仕草は下手に全裸だったり下着姿だったりするより、ずっとエロい。

 連翹がこちらに近づけば近づくほど、室内の明かりで見上げるスカートも鮮明になってくる。

 白い三角形にしか見えなかった布地も、今は花を模ったレースの模様や装飾するリボンなどがしっかりと瞳に映っていた。ああ、しかし尻肉と下着の境界線のエロさは筆舌にしがたい……! 

 ごくり、と無意識に唾を飲んだ。このまま駆け登り、スカートの中に手を突っ込んでひたすら下着に包まれた尻とかふとももとかを撫で回したい、という欲求が主に下半身辺りから噴き出てくる。


「あうあっ、とと……! ニール、ちょっと貴方、あたしが降りるまで、縄梯子、うわ、とと! 抑えて、くれな……何よ、そんな熱心に……うえ、を……――――ッ!」


 食い入るように真上を見るニールの姿に違和感を覚えること数秒。

 自分がスカートであることを思い出すのに、また数秒。

 ニールの視線の先を想像し、彼の目に自分がどういう風に映っているのかを推理し、声にならない絶叫と共に顔を真紅にするまでに、これまた数秒。

 

 合計して、約十秒程だろうか。


 それが、涙目の連翹が左手でスカートを抑え、右手を振り上げて落下してくるまでの時間だった。

 やばい、と思い回避しようとし――下半身の違和感がその動きを鈍らせた。膨らんだ一部分が、地味に動きを阻害したのだ。


(けどま、じっくり鑑賞出来たわけだし――仕方ねえか!)


 いい笑顔と共に回避を諦めた瞬間、ニールの顔面に拳が突き刺さった。

 落下の速度と転移者の力で放たれた拳は、ニールの体を回転させて地面に叩きつける。みしみし、と頭蓋骨が軋む音を聞いた気がするが、耐えられないレベルではないから問題はない。

 

「ニール、ニール、ニールぅ……! あああっ、貴方ねぇ! 貴方ねぇえええッ! もっぱつ殴るから立ちなさいよぉぉ!」

「いや、それはちっとばかし無理だわ」

「何よ!? 下手な言い訳とかしたら手加減しないからね!」

 

 ああ、一応手加減してくれてたんだな、と。

 軋む痛みを発しつつも原型を保ってる顔面を擦りながら、ニールは「だってよぉ」と口を開く。


「立ったら殴るんだろ? 真後ろに家主が居るのに、他人の家で暴れんのはどうかと思うぞ、俺は」


 バッ! と連翹が振り向く。

 

「レオンハルト様。我が主に狼藉を働いたバカ犬を燃やし尽くしたいのだが、よろしいだろうか?」

「ああ……うん、えっと……だな、うん。……貴様ら、やるならよそでやれ」


 そこには、とりあえず真面目に怒ってる演技をしているカルナと、あまりの茶番に若干口調が乱れているレオンハルトが立っていた。

 

「……念の為に警戒していたのが馬鹿らしいな。まあいい、着いて来たまえ。茶でも飲みながら、転移者としての心構えを話してやる」


 振り上げた拳を上げたり下げたりする連翹の姿に深い溜息を吐き、共に歩き出すレオンハルト。その背中を見つめながら、ニールはぐっとガッツポーズをした。


「どうだ、敵の警戒心を根こそぎ削ぐ、俺の起死回生の必殺テクニックは」

「控えめに言ってぶっ殺したいんだけど……っ! 貴方、無事にノーラ助けだしたら覚悟しときなさいよ……!」

「レンさん、その時は僕も手伝うよ。アレックスさん相手に死にかけたのとは別の怒りがふつふつと湧いてくるんだよね」

「ああ!? カルナ、お前の場合は自分も見たかったからとかそういう怒りだろ!? 常識人ぶるなよテメエ!」

「そういう気持ちがないとは言わないけどね、男だから! でもこの状況で欲望優先した君をぶっ殺すぞと思ったのは事実だよ!」

「ああ、尻側だったからあまり羨ましくなかったんだな。これが胸元覗いたとかなら、お前羨ましさの方がデカかったろ」

「…………ニールが何を言ってるのか分からないなあ」

「何その間……貴方たち、今後あんまりあたしに近づかないでね。身の危険感じるから」


 押し殺した声で喋りながら、レオンハルトの背中を追う。 

 硬い岩盤を無理矢理削ったような通路を歩きながら、ニールはふと鼻をひくひくと動かした。


「……臭うな」

「何がよ? へ、変な意味じゃないでしょうね……?」

「違うから安心しろ、スカート抑えながら距離を取るな」


 カルナから「自業自得だよ」と言いたげな視線を向けられながら、ニールは口を開く。


「なんつーかだな……ダンジョンに近い臭い、っつーのかね」

「なにそれ。地下の洞窟みたいな場所だから、近くなるのは当然なんじゃないの?」

「いや、そういうのとはまた別の感覚だ。……俺もこういった感知は本職じゃねえから断言できねえけど」


 自分が抱いた嫌な感覚を、少ない語彙でなんとか言葉にする。

 

「剣呑な――もっと言えば血の臭いが残留してる気がする」

「そうなの?」


 ニールの言葉を聞き鼻をひくつかせるが、しかしすぐ表情を顰めた。 


「……なによ、別にそんな臭いとかしないんだけど」


 怖がらせるためにデタラメ言ってるんじゃないでしょうね、と連翹が睨んでくる。

 

「いいや、たぶん合ってると思うよ、レンさん」


 レオンハルトの背中を見つめ、声を潜めながらカルナが言う。


「ダンジョンでもなんでも――何度も人が死んだ場所、っていうのはなんとなく分かるよ。肌が、ぴりぴりとする」


 もちろん、ニールもカルナもそういった感知に関しては専門ではない。読み違えることはあるだろう。

 だが、二人が同時に嫌な感覚に襲われたのだ。警戒しておくに越したことはない。

 

(だが、問題は……)


 誰が殺し、誰が殺されたのか――だ。

 殺したのはレオンハルトだろう。彼はここの家主であり、強者だ。

 では、殺されたのは誰だ? 侵入者か? 

 しかし、ここはまだ騎士や兵士たちに知られてはいない。侵入者が何人も来て、この場を剣呑な空気に変質させるほど殺している、という可能性は低いと思う。

 ならば、一体殺されているのは何者だ?


「カルナ、どう思う?」


 その辺りで、ニールの思考は停止した。

 やはり、自分はこういった思考というモノに向いていない、とニールは額に手を置き脳を冷やしながら思う。

 剣や拳を使った接近戦などで、咄嗟の思考や相手の動きを予測することはそれなりに得意だし、考えることも苦ではないのだが――こうやってじっと考えこむのはどうも苦手だ。もう剣抜いて突貫すりゃいいんじゃねえの? と思う。

 

「予想は出来る。けど……彼が、レオンハルトがどんな人間かどうか理解しないと、断言しきれない」

 

 眉を寄せ、考えたくないことで脳内を満たしている風な苦い顔で、カルナは言った。


「だけど、もしも僕の予想が当たっていた時のために、一応言っておくね。そして、レオンハルトが僕の予想を裏付けることを言ったとしても、剣を抜いたりしないことを守ってほしい。少なくとも、ノーラさんを助けるまでは」

「前置きが長えな。つまり、どういうことなんだよ」

「レオンハルトは少女を誘拐して違法奴隷として所有している――そして恐らく、多くの少女は彼に対して罵声を発したり脱走を試みたり殴りかかったり……とにかく従順ではない行動をしている者の方が大多数だと思うんだ」


 レオンハルトが屈強な大男なら、少女はそういった相手を怒らせるようなことはしないだろう。

 相手が自分に対して怒り、攻撃してきたら対応できないという現実を理解しているからだ。多少は従順なフリをするはずだ。


 だがしかし、レオンハルトは色白で細身だ。細身の少女であろうと、武器を持って立ち向かえば勝てるのではないか? そう思わせるくらい弱そうな男だ。

 ゆえに「ふざけるな、家に返せ」とレオンハルトにとっては罵声であり、少女にとっては当然の言葉を発するだろう。拒否をされたら手近な道具で殴りかかるだろうし、殴りかかる度胸が無くても隙を突いて逃げ出そうと画策する。


 こいつを怒らせても、対応できると思うから。

 脱走したのがバレても、あんな運動の出来そうにない男より自分の脚の方が速いと考えているから。

 転移者という存在を、詳しく知らないから。


 そうだ、少女たちは知らない。

 目の前の相手が屈強な大男よりもずっとずっと強くて怖い相手だと知らないのだ。

 だが、それは少女たちが無知であったり愚鈍であったりという意味ではない。冒険者や騎士ならともかく、ただの町娘が出会う可能性の方が低いのだ。そして、転移者の恐ろしさなど冒険者や騎士からの伝聞でしか学べず、しかしただの町娘が彼らと話す機会など身内でも無い限り滅多にない。

 ゆえに外見で判断し――


「逆上したあいつにぶっ殺される、と」

「そう。もちろん、合ってる保証はないんだけどね」

「……いいえ。たぶん合ってるわ、それ」


 カルナの推測を聞き終えた連翹は、苦い顔で口を開いた。


「彼、あたしと話す時に言ってたじゃない、従順な奴隷の方が好みって。あれって、その流れで反抗されまくったから、ってのもあるんじゃないかしら」

 

 もちろん、そういったキャラクターが出てくる創作物が好きだから、ってのもあるんでしょうけどね。

 そう言ったっきり、連翹は無言になった。先導するレオンハルトを見つめながら、ゆっくりと歩く。

 

(不安、なんだろうな)


 誘拐されたノーラが、レオンハルトに対してどんな対応をしたのか分からない。それが、とても不安なのだろう。

 一応、希望はある。

 ノーラは連翹と知り合うことで、転移者という存在を理解した。見た目以上の力を持った存在だと、知っているのだ。

 ゆえに、ノーラはそこまで無茶な行動はしないはず――というのは些か希望的観測が過ぎるだろうか。

 転移者だと気づく前に敵対していたらアウトだし、従順な奴隷を演じようとして失敗している可能性だってある。


(やめだやめ。ぐだぐだ考えたところで、死んでる場合はとっくに死んでる)


 生きているなら助ければいいし、死んでいたらそれが仇討ちになるだけだ。

 どちらにしろ、ニールはレオンハルトに対して剣を振るい戦うだけだ。やるべきことは変わらない。無事に救出して喜ぶのも、亡骸を回収して涙するのも、全部その後だ。

 前衛職なら、そういった不安や悩みなどは戦いの前に潰しておくか、先送りにしておくべきなのだ。 

 不安は剣を鈍らせ、悩みは体の動きを固くしてしまう。近接戦闘は一瞬に生まれる隙を奪い合うモノ、その隙をわざわざ相手にくれてやる道理はない。


「カルナ、顔色悪ぃぞ」

「うん……ごめん、嫌なことばかり、頭に浮かんでさ」

 

 だが、カルナはそこまで割り切れないようで、顔を青くしながら俯いている。

 カルナはそういう自分を弱い人間だ、と思っているフシがあるが、しかしニールはそうは思っていない。


 不安を抱くから、その不安の対抗策を考える。

 何度も悩むから、不測の事態に陥ることが少ない。

 そして、自分たちだけではどうにもならない、もしくはリスクとリターンが合わない、と判断すれば即座に撤退を選択できる。 

 だからこそ、カルナ・カンパニュラはそこらの魔法使いなんぞよりずっと強い、とニールは強く強く思うのだ。

 

「悩め悩め。んで、剣を抜くタイミングは指示してくれよ。俺が考えてするより、そっちの方がずっと効果的だろ?」

「……そうだね。君は脳みそまで剣で出来てるから、広い視野がないものね。うん、任せて」

「おう、ありがとな。その褒め言葉に恥じねえように、やるべき時は全力でやるからよ」

「……え? 待って、ねえちょっと待ってお願い! 僕の言葉のどの辺りに褒め言葉があったのか聞いてもいいかなぁ!?」

 

 その言葉に返答するよりも先に、先導していたレオンハルトが足を止めた。

 こちらを向き、彼は笑う。しかしその笑みは刺々しい、自己顕示欲に満ちた暗い笑みだった。

 

「さあ、来たまえ。我が転移者としての在り方を、君にじっくりと教えてやろう」


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