30/地下牢
兵士の詰め所の地下に、犯罪者を閉じ込めておく地下牢は存在した。
太陽の光が届かない石造りの通路には、壁に等間隔で燭台が設置され闇を打ち払っている。空気は存在するがあまり上手く循環していないのだろうか、呼吸とともにカビの嫌な臭いが鼻孔を満たす。
正直な話、過ごしやすい環境とは言えない。
罪人に同情する気は無いが、しかしここを警備する兵士には同情してもいいだろう。
(まあでも、薄暗くてカビの臭い淀んだ空気――うん、地下牢ってこういうモノよね! なんかテンション上がって来たわ!)
だが、連翹はその珍しさに内心で「ひゃっほい!」などと言っていた。
何せ牢だ。色々な物語で主人公やその仲間たちがブチ込まれ、壁に穴を空けたり鉄格子を削ったり隣の囚人と協力したりして脱出するあの牢だ。自分がその近くに居ると思うと、それだけでテンションが上がる。
その上、地下だ。地下牢だ!
捕らえた人物を絶対に逃さない! という閉塞感が非日常を感じさせてワクワクする。これがファンタジーだ! と強く思うのだ。
(――いや、何を考えてるのよ、あたし)
地下牢の風景を見た瞬間に浮かんだ喜びと際限なく上がるテンションを、これ以上燃え盛るなと水をかける。そもそも、そんな場合ではないのだ。
今、ここに来たのはノーラのためだ。ノーラ・ホワイトスターという知り合いの女の子を助けるために来たのだ。だというのに、なんで自分勝手にテンションを上げているのだ、と自己嫌悪する。
「協力に感謝するよ冒険者の皆さん。連中、俺らがどう頑張っても口を割らなくてねえ」
言ったのは連翹やニール、カルナを先導する兵士である。
言葉ほど感謝が感じられないのは、兵士自体そこまで期待していないからだろう。自分たちで無理なら冒険者も無理だと思うが、上が依頼を出しているならまあ従おうか――その程度の思考が透けて見える。
「いえ、僕らも誘拐犯の情報が欲しいので、こちらとしてもこの依頼は願ったり叶ったりでしたよ」
カルナが兵士と会話しているのを小耳にはさみつつ、ぼんやりと思考する。
鈍色の甲冑を纏った彼は、兵士として仕事をしている以外の時間は女王都の道具屋の三男坊として店の手伝いなどをして過ごしているらしい。
なんでも、この世界における兵士とは、跡取りに成れない次男坊、三男坊などといった暇を持て余した者が就く職業らしいのだ。
そういった者が家の手伝いをしつつ、合間で鍛錬を行い、そしてこうやって兵士としての仕事をする――それがこの世界における兵士であるらしい。
そして、騎士という存在は他の業務などを行わず、戦いや用兵などの技術を学び実践する者なのだという。騎士を目指す戦士などは、兵士として日銭を稼ぎつつ勉強をしているらしい。
騎士という職業に就くには戦闘能力の他に礼節や勉学の知識が必要らしく、武芸だけを極めてきた多くの戦士が頭を抱えながら勉学に励んでいるようだ。
(騎士=貴族ってワケじゃないから混乱したけど……要は、プロとアマチュアなのよね)
連翹が居た世界のスポーツ選手などまさにそれだ。
少し前までは、サッカーも野球も『企業の部活動』というべき扱いだったらしい。選手もその中の社員で、平日は仕事をしつつもスポーツをしていたのだという。言い方は悪いがアマチュアなのだ。
この世界で言う兵士は、少しばかり変則的ながらもそういう存在なのだろうと思う。日頃は別の仕事をしつつも、必要な時はそういった競技――否、戦地なり職務に就くのだ。
逆に、騎士はプロだ。
戦うために生き、民を守る事を仕事とする。
『戦闘』という二文字のために日々汗を流し、給金を貰うのだ。それは、先程語った兵士に比べて楽と思うかもしれないが、しかし実際は真逆だ。
戦い以外のことをしなくて良いのだから、逆に戦いに誠実であらねばならない。スポーツ選手がスポーツの練習を疎かにしたら職を失うように、騎士が鍛錬に不真面目なら解雇される。
それが騎士と兵士の差であり、実力の谷であり、他者からの信頼を明確に分ける一線なのだ。
「ここさ。俺はここらで待機してるんで、口を割らせるなり諦めるなりしたら声をかけてくれよ」
奥まった所に存在する牢を指さすと、兵士は壁に背を預けた。ここで殺してしまわぬように監視をしつつ、だらだらと休むつもりなのだろう。
やる気に満ちた態度とは言えないが、しかし職務までは放棄しないそこそこな勤勉さの兵士の視線を背中に受けながら、連翹は鉄格子に付けられた格子戸を開けて牢の中に進入する。
「……誰だ」
牢の奥から男の声がした。
視線を向けると、ボロキレとなった服を纏った小汚い男が居た。脚をだらしなく広げながら地面に座った彼は、連翹をじいと見つめている。
(元々こんな服を着てたワケないんだから、やっぱり……)
拷問の際にこうなったんだろう、と連翹は確信する。
体の傷は奇跡で治癒できるが、身に纏う衣服は別だ。剣で切断され、拳や鈍器での殴打で破れたのであろう衣服は、治癒され塞がった傷に変わって暴行の激しさを見る者に伝える。
……別に、同情するワケでは、ない。
しかし、既にこうも傷めつけられた男を、更に自分が追い詰めると考えると少しばかり良心が――
「暴行の次は女で籠絡するつもりかよ? だったらもっと良い女連れて来いよ兵士さんよ。こんな貧相な小娘じゃ勃たねえんだ――」
「『ファストエッジ』ぃっ!」
――痛いような気がしたけれど、別にそんなことはなかったわね! とスキルを発動させた。
瞬間、体の主導権が別の誰かに移譲された――そんな感覚が全身を満たす。五感は存在し、意識は片桐連翹という少女のまま、どこかの剣豪が理想的な動きで剣を扱ってくれる――そんなイメージだ。
剣を振り上げ、剣の間合いまで一気に踏み込み――振り下ろされた。硬質な何かが砕け、割れる音が地下に響き渡る。
連翹の剣は、開いた男の脚の間に存在する地面を正確に叩き、砕いていた。パラ、パラ、と跳ね上げられた床の破片が今更になって落下し、男の体を叩く。
あまりの衝撃で体勢を崩した男は、呆然とした表情で連翹を見ていた。
(この程度のスキルでこの顔――ふふっ、やっぱりあたしは強くて最強なんじゃない)
転移者スキルの中で、もっとも下位に位置し、しかし使いやすいスキル――『ファストエッジ』
狙った相手を袈裟懸けに斬りつける、ただそれだけの技だ。しかし、だからこそ使いやすい。
何度も斬りつけるような連撃や、『バーニングロータス』のような魔力を用いた大規模なスキルは、発動から解除まで時間が掛かり過ぎる。
ゆえに、剣を振り下ろし、その後の一秒にも満たない硬直で体が自由になるこの技は、非常に使い勝手が良いのだ。
(けど、使い勝手がいいだけで、断じて強い技じゃあないもの。たとえるなら、ゲームで最初に覚える必殺技程度のモノ)
その程度の技でここまで驚く眼前の男が軟弱なのか、それとも自分が強すぎるために誰もが軟弱に見えるのか――きっと両方ね! と一人満足気に頷く。
嬉しくて楽しくて、つい満面の笑みで「ひゃっほい!」などと言いたくなるが、それをぐっと堪える。そこで喜んだら威圧感は出ないし、何よりかっこ良くない。
右手で剣を突きつけながら、左手で顔を覆う。そして、指の間から覗くようにして相手を睨む。少し顎を上げて見下すのは忘れない。
(ふぁあああっ……! 今のあたし、最高にクールな女剣士ね……!)
ニールが聞けば「寝言は寝て言えよ馬鹿女」と言われそうな妄想をしながら、しかし連翹は目的を忘れてはいない。
片桐連翹という女を男が恐れている存在以上に恐怖させ、情報を引き出す。ならば、普段通りよりはこちらの方が都合が良い。何より、自分も楽しい。
「ふふ……これであたしの力は理解――」
「あ――あ、あああああ!」
「――でき、ってちょっと! せっかくなんかそれっぽいカッコいいセリフをペラ回そうとしてるのに、邪魔するんじゃないわよ! 空気読めてないわね!」
ビビってくれるのはいいけど、もう少し堪えなさいよ! あたしのクールな女剣士のロールプレイはまだ108パターンくらいあるのに!
そんな文句を言う前に、男が叫んだ。
「その技――お前、あいつの仲間か! 俺を消しに来たのか!?」
「……?」
恐怖に満ち満ちた眼で連翹を見つめる男に対し、連翹は何も言えなかった。
しかしそれは、想定外の言葉で咄嗟に言葉が出せなかっただけ。次はどんな格好良いセリフを言おうか、などという思考しかしていなかったため、咄嗟に頭が回らなかったのだ。
けれど、男は連翹の沈黙をどう理解したのか、「違う! 違う!」と叫び続けている。
「誤解だ! 俺は何も喋っちゃいない! どんなことだって喋るものか! アンタらに――転移者に逆らおうなんて考えちゃいねえよ!」
「……なんですって?」
眉を寄せて男に歩み寄る。男はそれをどう解釈したのか、情けない悲鳴を上げて壁に張り付いた。
「今、アンタら、って言ったわね? あたしが転移者なのは当然だけど……何? 貴方が恐れてる奴って、転移者なの?」
その言葉で連翹が無関係の人物だと悟ったのか、恐怖で青くなっていた男の顔は更に血の気を失い土気色になる。
先程まで大声で泣き叫んでいたというのに、喋ったら死ぬとでも言うように口を閉じた。
(……誘拐犯は転移者で、この男とか他のチンピラはそいつに脅されてたのね。喋ったら絶対許さない、必ず殺す――みたいなことを言われて)
いくら暴行されても喋らないのは道理かもしれない。
人間は辛いことや痛いこと、怖いことがあっても様々な思考を行うことで我慢できる生き物だ。
これを耐えれば楽しい未来が待ってるから、
ここで折れたら全てが無駄になるから、
そして、
(前に体感した辛さや痛み、恐怖の方が上だったから――ね)
前のアレの方が辛かった、だから問題ない。前回のあれほどじゃないのだから頑張れる、と。連翹には理解し難い感覚だが、そういう理屈は良く聞く。
つまり、男はそのようにして暴行を耐えているのだ。
どれだけ傷めつけられようと、最悪殺されようと――転移者と敵対して痛めつけられて殺されるよりはマシだ、と。
ふう、と小さく息を吐く。
それは安堵の溜息。良かった、これなら自分でなんとか出来る――そう思い剣を突きつける。
「貴方に選べる選択肢は二つ。そして起こり得る結果は三つ……良く聞きなさい」
ノーラを拐ったような連中だ。
暴行の痕跡を残す衣服も、恐怖で土気色になった顔も可哀そうだとは思う。
思うけれど、それだけだ。同情なんてしてやらない。そもそも、ノーラという自分の――
(――自分の、なんだろ)
仲間? 知り合い? パーティーメンバー? なんだろう、どれもしっくりとしない。
なら、一体どう言えばいいのだろう?
(……とりあえず、それは後。今は、情報を引き出すのが先!)
とにかく、大切な存在を拐ったのだ。出会い頭に殺されなかっただけありがたいと思いなさい、と自分を無理矢理に納得させる。
「一つ。ここで沈黙を続けて、あたしに殺される。あたしも貴方にとっても嫌な結末ね。これは選ばないで貰いたいわ。
……ちなみに、兵士が監視してるから殺されない、なんて思うんじゃないわよ。なにせ、あたしは転移者。貴方を殺して、そこの兵士も殺して女王都から脱出してやるわ」
「ぅえ、マジで? その場合、俺見なかったことにしますんで、見逃してくれませんかねえ……」
背後で狼狽える兵士に溜息を吐く。ニールが「お前、あの騎士連中の下で働いてんだから、もうちっとやる気出せよ」と呆れた声を出している。
なんだろう、頑張って格好良いロールプレイをしているとその度に横槍が入る気がするのだが、気のせいだろうか?
「二つ。ここであたしに知っていることを洗いざらい話して、この場で殺されるのを回避する。ねえ、貴方。誘拐された女の子の中にはね、あたしの知り合いが居るのよ。だから、あたしはその誘拐犯の転移者をぶっ殺したいと思ってる」
詰問するような口調ではなく、むしろ友と語るような優しさでに言って、微笑んだ。
無論、親愛の情から来る笑みなどではない。
笑顔は本来攻撃的なモノ――それが本当かどうかは分からないが、少なくとも戦闘能力でも権力でも財力でも力が強い者の笑みは多大なプレッシャーを与えるモノだと思う。
だから笑う。柔らかく、けれど剣のように刺々しく。
「あたしが負ければ貴方は情報を漏らした使えないクズとして殺される。けど、あたしが勝てば転移者に殺されることはないわ。
だから、貴方が得られる結果は三つ。情報を話さず今ここで殺されるか、情報を話して後で殺されるか、情報を話して殺されずに済むか……どう?」
あたしは実質一択だと思うんだけどね、と笑いかける。
「……場所は知らない、だが、どこに行けば会えるか程度は知っている」
男は数秒の間黙っていたが、しかし迷いを振り切るように歯を食いしばった後、その転移者と落ち合える場所を語り始めた。
背後で「やばい! 絶対無理だと思ってたからメモ帳持ってきてなかった! やべえ忘れる! 聞いた端から忘れちゃううう!」という叫び声と、深い溜息を吐いたカルナがカバンを弄る音が聞こえてくる。
男が語り終えると、連翹は「とりあえずあの兵士は帰り際にぶん殴ろう」と思考しつつ剣を収めた。
「……賢い選択をしてくれてありがとう。ついでに、自分が死なないようにこっちの世界の神様にあたしの勝利でも祈っておいて」
男に背を向け、牢から出る。
兵士が牢の鍵を締めるのを確認していると、背後からニールが「おう連翹」と言って連翹の背を叩いた。
「やったじゃねえか。正直、下手こいて失敗するんじゃねえかと思ってたぜ」
「誘拐犯ぶっ殺す前に貴方をぶっ殺すわよ……それで、カルナ。あの情報で問題はなさそう?」
褒めてるんだか貶してるんだか分からない言葉を投げかけてくるニールを睨みつつ、カルナに問いかける。
銀髪の少年は、メモ帳を読み直しながら小さく頷いた。
「……うん、問題はなさそうだ。出てくる時間は日が落ちてからみたいだから、それまでにどういう形で会うかを皆で相談しよう。……ありがとう、僕らじゃこの情報を引き出すのは無理だったよ」
お手柄だよ、と言って微笑まれ、気を良くした連翹は思いっきり胸を張った。
ノーラが拐われてしばらく、自分が何やってもから回っている感覚に苛まれていたが、それが解きほぐされていく。
やっぱり、自分のやったことが認められるのは嬉しい。これだけで、異世界に来た甲斐があると思う。
「ふふふ、でしょう? でしょう!? なんでったってあたしだからね、この片桐連翹だからね! もう全てがパーフェクトな転移者様何だからね!」
どうせ自分は何やっても駄目な人間だから、
才能のない凡人が、頑張っても意味なんてないんだから、
(規格外の力が有る限り、あたしは天才で居られる。
規格外の力が有る限り、あたしは誰かに必要とされる)
この力を振るい続ければ、きっと誰もが自分を認めてくれる。
何一つ変わらない、ありのままの片桐連翹を受け入れてくれる誰かに出会えるはずだから。




