28/情報収集2
騎士修練場と呼ばれるその建造物。
その中に、ニールは居た。
早朝だというのに絶えず鳴り響く剣戟の音は、しかしそこを囲うように建築された騎士宿舎が壁となり街には響かない。近くの民家も騒音で眠りを妨げられることはないようだ。
もっとも、そこで宿舎で寝泊まりする騎士たちは別のようで、非番らしい騎士が鋼と鋼がぶつかり合う音に不満そうな視線を向けている。
(あれだな、村の鶏とかと一緒か)
起きなくてもいい日でも構わず寝室を震わせる大音声。心地よい眠りを遠慮無く霧散させる音に顔を顰める気持ちも理解できる。
もっとも、そのおかげで早起きの習慣が出来て、朝の鍛錬を欠かさず続けられるのだ。不満がないわけではないが、文句を言うつもりはない。
「ああ、多いな――当時は動かせる騎士は居たが、騎士を大々的に動かすには情報が足りていなかった。しかし、今はその真逆だ。動かすべきだという情報はあるが、『西』の事件で騎士の大多数が取られてしまっている。現場を抑え、捉えた者も居るが、下っ端ばかりで情報が出てこない」
剣戟の音をBGMに、アレックスはニールの質問に答えていた。
質問の内容は単純。『昨夜にノーラが攫われた。最近こういった出来事は多いのか』というモノである。
多いのなら、情報が得られるし、少ないのなら事件を騎士団に伝えられる。故に、どちらに転んでも無駄にならない手ではあったが――
「そのワリに、夜の外出を警戒しろ――って感じの告知を見かけねえんだが」
「昨夜、女騎士に町娘の格好をさせて夜の街を歩かせていた。犯人が現れた際に、武装した兵士が駆けつけられるような位置でな」
警戒を促したあとに囮なんて出したら、疑ってくれと言っているようなものだろう? とアレックスは言う。
なるほど、皆が自分を警戒している中で一人隙だらけで歩くエサ――罠だと疑うには十分過ぎる。
しかし、今の現状から考えると、
「……見破られてた、ってわけか」
囮に引っかかれば、武装していないとはいえ騎士とそれに指揮された兵士の集団を相手取ることになるわけだ。
犯人がどういう人物であり、どういう集団であるのかは知らないが、無事に済むとは思えない。
それはつまり、拐う相手を前もって下調べをしているのか、拐う前に周囲の異常を確認する用心深さを持っているかのどちらかなのだろう。
しかし、アレックスは首を横に振りニールの想像を否定した。
「蹴散らされた。兵士たちの死骸が、路地裏に乱雑に放置され、囮役だった女騎士の行方は不明――恐らく、町娘と同様に攫われたのだろう」
「――……冗談だろ?」
アレックス・イキシアという騎士と戦ったからこそ理解できる。
武装していようがいまいが、騎士という存在は楽に勝てる相手ではないということを。仮にその女騎士がアレックスに比べ一段階、二段階弱かったとしても、小悪党が打倒できる相手ではないはずだ。
それに加え、複数人の兵士だ。彼らのほとんどは兼業であり、普段は農作業や土木作業を行っている者たちだ。単体の戦闘能力は騎士よりも、そして戦闘を主とする冒険者よりも低い。
しかし、数の暴力とは何より強力な武器であり、だからこそ、それを覆した戦士は英雄視される。優秀な指揮官に統率されていたのなら尚更だ。
「その兵士の傷はどんなモンなんだ? 背後から襲われて、とかなら――」
「いや、誰も彼も正面から打ち倒されていた。得物は剣だ。力任せの斬撃で、甲冑ごと体を叩き切られ、死亡していたよ」
沈痛な顔で告げるアレックスを見つめながら、ニールはギリ……、と歯を食いしばった。
それは誰かが無残に殺された怒り――ではない。
(強いんだな、犯人は。ああ、強いんだろ、犯人は)
数の不利を覆して勝利を掴み取る、ああ――ニールも憧れるし、そういったことを可能とする人間には礼儀知らずなりに敬意を示す。
子供の頃に読んだ勇者の物語。勇者として人を導いた少女の傍らで剣を振るった一人の剣士――傭兵リック・シュロ。彼に憧れて剣に憧れを抱いた。善悪などどうでもいい、ただ彼のように剣を振るいたいと焦がれた。彼のように強くなりたいと願った。
だからこそ、腸が煮えくり返った。
だからこそ、許せなかった。
だからこそ――悲しかった。
(――――そんな力を持ちながら、なんでそんな小悪党みてぇな真似したんだよ、犯人は!)
そんな路地裏でたむろするゴロツキのようなことがやりたくて、お前は自分を鍛え上げたのかよ、と。
そう叫び、己の剣を相手に振るいたかった。
「……分かった、朝早くから悪かったな」
「構わん、全て我々騎士の不手際が起因しているのだからな。ノーラ、だったか。彼女のことも心配するな、我々が全力を尽くして彼女を救おう」
「頼りにしてるぜ、騎士様。……それより、いいのか? 試験に受かった奴がこんなあっさりと捕まっちまってるんだぜ。合格を撤回するなら今だぞ」
それとも、神官だからそういうのは無いのか? と問いかける。
「見るべき部分は既に見たし、何よりそれとこれは全くの別問題だろう」
「そういうモンか」
「ああ。我々アルストロメリアの騎士は民を守る盾であり、民を仇なす者を捌く剣だ。ニール・グラジオラス、悪に身を染めぬ限り君もまた自分が守るべき民の一人だ」
真顔で言い切るアレックスに、ニールは思わず苦笑を漏らす。
「ハッ! 守られるほど弱くねえよ、俺は!」
言って駆け出した。これ以上顔を突き合わせて会話していたら、どんな臭いことを言われるか分かったモノではない。
それに、
「ゆっくりしてる場合でもねえしな」
ノーラが危ないから、というのもある。
だが、心の中でそれが瑣末な事柄になっていくのを自覚していた。
無意識に柄を握る。強く、強く、強く。
(――俺が仕留める、俺がぶった切る、俺が殺す)
己の武を腐らせ、悪戯に振り回すクズ野郎――そいつに対して、誰よりも早く刃を振り下ろしたい。
そんな欲求が強く、強く、強く、ニールの心を震わせた。
◇
宿の一室、ニールたちが泊まっている部屋。そのベッドに体を預けながら、連翹は小さな吐息を吐いた。
やるべきことがあるはずなのに、何をやればいいのか全く思い浮かばないのだ。
その事実が心を焼き、焦がす。疲れはあるし、眠気もあるのに、意識は冴えるばかりだ。
「ああもうっ……なんで全てを見通す魔眼とかそういうアレがないのよ……!」
転移者に与えられた力は三つ。
他者を圧倒する身体能力と、毒や麻痺などといった自身に不利益をもたらす状態異常の無効化、そして他者を鏖殺する強力な威力のスキル。
そう、転移者のスキルとはそういうモノだ。武器を使った必殺技でも、魔法でも同じ。自分を守り、相手を倒す力しか存在しない。
ゲームのメニュー画面のようなモノを開いて何かを調べることはおろか、自分や他人の傷を癒やすことすらできないのだ。
だがそれでも、一人では何一つ困ることはなかった。
当然だ。転移者となった片桐連翹という少女に攻撃を当てる事は至難だし、仮に当てることが出来ても転移者の力で強化された肌は生半可な刃ではかすり傷も与えられない。
ゆえに回復の力など必要なく、ゆえに自分は最強。
ああ、自分は一人で完成している、と心から思えた――思えたのに。
(なのに、今のあたしは何もできてない)
倒すべき敵がいるなら、簡単に倒せる。
進行を妨げる硬い壁があるなら、力技で破壊できる。
お金が必要なら、転移者のスペックをフル活用して楽に稼げるだろう。
けれど、今どうすればいいのか理解できない。
倒すべき敵がどこに居るか分からないし、そもそもどこにノーラが居るのか分からないから、どれが壊すべき壁なのかも判断がつかない。金も、あったところでどう活用すべきか考えつかないのだ。
「……ああ、もうっ!」
苛立ちを吐き出すが胸の奥からぼこぼこと湧いてきて一向に気が晴れない。
「騒いでも体力使うだけだぞ。ほらよ」
ガチャリ、と扉が開くとその隙間から何かが飛び出してきた。
慌てて受け止めると、思ったより軽く柔らかくて驚く。なんだろう、と思い手元を見ると――
「……パン?」
ライ麦のパンにベーコンとレタス、そしてスクランブルエッグを挟んだモノだ。受け止めた時に強く握りしめたためか、味付けのソースがこぼれそうになっている。
「あわっ、とっとっ……!」
服やシーツに垂れる前に慌ててそれを舐め取った後、扉に視線を向けた。
僅かに逆立った茶色の髪に、引き締まった体。鋭い瞳も相まって刀剣のような印象を受ける。ニールだ。
右腕でいくつかのパンを抱えた彼は「よう」と言うような気軽さで左手をを上げると、そのまま連翹が寝転ぶベッドまで歩み、腰を降ろした。どさり、といくつかのパンがシーツの上に転がる。
「カルナが来るまでにそれ食っとけ。朝に食わねえと力出ねえぇぞ」
「……そんな気分じゃないわよ」
知り合いがどうなっているのか分からない。
もしかしたら、今この瞬間にも酷い目に遭っているかもしれないのだ。そんなことばかり考えている今、食欲なんてあるはずもない。
だというのに目の前の男は、がつがつとパンを口に運んでいる。
「……もっとも、貴方はそんなの関係ないって感じね。ノーラが居なくなってもどうでもいいように見えるわ」
だから、少し苛立ったのだ。
なんでこの人はこんな平気そうに食事なんてしてるんだ、と。
ノーラとの付き合いは自分より長いはずなのに、なんで平然としているのか、と。
目の前の男が酷い冷血漢に見えて、腹が立つのだ。
「んぐ……俺は剣士だからな」
パンを飲み込みながらニールが言う。
右手で次に食べるパンを探りながら、言葉を連ねる。
「腹が減ってて実力が出せなかった、他人が心配で実力が出せなかった、だから負けたんだ――なんて、くだらねえ言い訳はしたくねえんだよ」
情報を集め、ノーラの居場所を見つけても、それで終わりではない。
侵入して助けださねばならないし、その時には必ず剣が必要になる。拐った女を守るために、自分たちの居場所を知った人間を口封じするために。
その時に体調が悪くて失敗しました――なんて笑い話にもならない。
そこまで言ってニールは食事を再開した。口に運ぶのはたまごサンド。というか、買ってきたパンに卵が入っていないモノがない。そんなに卵が好きなんだろうか。
「それは理屈の話じゃない。感情とそういうのは別物でしょ?」
ニールの言葉に納得できず、反論する。
人間は感情の生き物だ。だからこそ、様々な娯楽が発展してきた。しかしだからこそ、ままならないことが多いのも人間なのだ。
焦っても無駄だと理解していても焦るのが人間だし、必要な努力だと理解しつつもサボったりするのが人間だ。理屈だけでは、決して動かない。
「ああ、そういうことか」
パンを飲み込むように食べ終えると、ニールは気楽に笑った。
「心配は心配だがよ――女子供殺したいだけなら女王都でやる必要なんざ皆無だからな。十中八九生きてるから問題ねえ、って思ってるのが一つ」
言って、ニールはベッドに横たわった。
同じベッドに男が横たわっている――その事実に心臓が跳ねまわるが、しかしニールにこちらを襲う意図が無いことと、自分の方が強いからという安心感がその不安をかき消す。
「カルナが調べてくれてるからな。あいつは冷静なようで感情的な奴だが――俺なんかよりずっと頭が良いし、俺一人で走り回るよりずっと綺麗に状況を纏めてくれる」
だから、問題ねえんだ。
そう言ってニールは笑う。
その信頼に満ち満ちた微笑みを見ていると、心に突き刺さるような痛みが襲いかかる。
自分でもよく意味が理解できない。なんでこんなことを考えているか分からない。
だけど、思うのだ。
「ふうん……でも、カルナが期待はずれでなんの情報も持って来なかったら、貴方はどうするのよ」
ああ、羨ましいなあ――と。
「カルナが出来なけりゃ、俺にだってできねえよ。他の知り合いだって同じだ。なら、手持ちの金を使って探索クエストを出すさ」
何が羨ましいのか、なんで羨ましいのか、それらは理解できない癖に胸の中で声高に叫んでいる。
心が締め付けられる。精神が乾き、飢え、けれど手元に無いがゆえに叫ぶのだ。欲しい、欲しい、欲しい――と。
でも、何が?
(――きっと、二人の方が活躍しているから)
力を得たのに知り合いの救出というイベントで活躍できないことに苛立ち、ちゃんと動いている二人が羨ましいのだ。きっと、たぶん。
(なら、きっと問題ない)
ノーラを助ける時に、きっと自分の力は必要なのだから。そうすればきっと、自分は満足できるはずなのだ。




