遠き時代の果てにて物語る
――そうして、彼女は本を閉じた。
清潔な、けれど無機質な部屋――選手控室に、彼女は居た。
和装の少女であった。鮮やかな紅の着物を纏い、艷やかな黒髪を背中まで伸ばした姿は淑やかな令嬢にも見える。静かに読書をする姿も、見る者にそういった印象を抱かせるだろう。
しかし動きやすさを重視したのか、着物の裾を邪魔だとでも言うように乱雑に切り開いているため、ふとももが露出するほどのスリットが存在している。掌は硬く、四肢も肉食獣のように鍛え抜かれていた。それら全てが可憐な花のようでいて、獰猛な肉食獣のようでもある。
そして、彼女の腰には一振りの剣があった。
それは金属でも無ければ、最近流行りの魔導光剣でもない。金属光沢を発する木剣である。
どちらかと言えば武器というよりも骨董品と言った方が正しいであろうそれだったが、彼女の手には良く馴染んでいた。
――まるで、大昔から扱って来たかのように。
――老齢になるまで振るい続けた相棒であるかのように。
馬鹿げた話だ、彼女はまだ二十年も生きてはいない。
そして、死した人間が転生しているワケでもなかった。
彼女は彼女、日向の貴族の家に産まれた令嬢だ。そこに偽りなどあるはずもない。
ただ――記憶だけは。
とある剣士の記憶だけは、脳と心に刻まれていた。
今でも思い出す。彼女がまだお転婆な娘なだけであった頃、武術など学んだことなど皆無だった頃、不意に目覚めた一人の剣士の記憶。
その記憶の中で真っ先に見せられたのは、とある老人の声であった。
――なあ、見知らぬ誰かさんよ。俺の記憶を受け継ぐ気はあるか?
――受け継いだとして、剣士として生きずとも良いさ、好きに生きろ。
――俺は俺で、お前はお前だ、生き方の強制なんぞ出来るはずもねえ。
――邪魔な荷物だっていうならとっとと捨てて、利用したいってんなら好きに使え。
――ただ。
――ただ、もし剣士として生きようとするのなら。
――俺の家に来い。イカロスが待ってるからよ。
彼女はその言葉を半分も聞かない内に記憶の継承を決め、とある勇者が生涯鍛えぬいた技術とその知識を得た。
このまま生きていても政略結婚の駒になるだけだ。それ自体は仕方のないことだと思っていたが、別の道があるというのならばそちらを選ぶのも悪くはない。
「思えば――遠くまで来たモノです」
その後はひたすらに鍛錬、鍛錬、鍛錬の日々だった。
人心獣化流という古めかしい流派の知識は頭の中にあったが、大して鍛えていない彼女では扱いきれるはずもない。ゆえに、まずは基礎体力と筋力。当時の彼女ではイカロスを持ち上げることすら怪しかったのだから、それも当然の理屈であろう。
それに何より、特別な力に目覚めて調子に乗った結果どうなるかなど、彼の記憶に存在する人物たちを見れば一目瞭然ではないか。
ゆえに、鍛えて鍛えて鍛えて、戦って、勝って、負けて、そしてまた鍛えて。
記憶の中の剣術に学び、それを徐々に自分流に改良し、今はもう彼の剣とは別物の自分の剣と化した。誰にも受け継いだだけの小娘などとは言わせない、これこそ自分の剣だ、自分の道だと胸を張って言える。
彼女はその剣で戦い続け――今、彼女はここに居る。
視線を上に向ける。設置されているモニターには、少年が対戦相手を一太刀で切り伏せて勝利する姿が映っていた。
あれが、彼女の対戦相手。
この記憶を受け継ぎ、剣士になると誓った時点で戦うことを運命づけられていた存在だ。
「準備が整いました、どうぞ」
「はい」
頷き、愛剣を手に進む――決戦のバトルフィールドへ。
足を踏み入れた瞬間、わっ、と響き渡る歓声。観客席に居る人と異種族、そして空中に浮かぶ撮影用ドローンが彼女を――ナナカを見つめていた。
空には大きな穴が穿たれ、別世界までこの瞬間を放映している。
カンパニュラ式時空転移術が発見されてから幾星霜。大きな社会問題を巻き起こしたこの術式も、今は世界と世界を繋ぐなくてはならない存在となった。
もしこの術式が無ければ、記憶を受け継いだところで剣を振るう機会などなかったろう。実際、そのような時期もあったらしい。
だが、今は違う。
世界と世界が繋がり、世界間貿易が盛んに行われている現代。
とある世界に存在するというオリンピックのように、世界の代表が戦う競技があった。
『来たぁー! 彼女こそ時空交流戦のスターの道を駆け上がる、可憐な花にして獰猛なる肉食獣! 見た目に騙され、その荒々しい牙によって食い破られた者は数知らず! その戦いぶりから可憐なるバーサーカーと呼ぶ者も多いのだとか! ナナカ・サクラギ選手、ここに登場――!』
「……そこは勇者とか言って欲しいのですけれど」
当時勇者と呼ばれた男の技術で剣を学んだのだから、そこは勇者と呼ぶのが筋ではないだろうか。そもそも、うら若き乙女にバーサーカーというのはどうかと思う。
小さくため息を吐いてバトルフィールドへ向かう。
空中には数多の投影型ディスプレイが出現し、彼女の――ナナカの戦績とこれまでの戦闘データから導き出されたステータスを映し出していた。
『対するは、無名にして無銘の剣士! 両親に紛争地帯に捨てれた彼は、拾った刃一つで今日まで生き抜いて来た! 苦難に満ちた人生によって紡がれた彼の剣術は唯一無二! 選手名はネームレスで登録されていますが、私はこう呼びましょう――無二の剣神と! 今、剣の神がここに降臨する――!」
向かいから現れる影が困ったように苦笑するのが見えた。気持ちは分かる、あそこまで持ち上げられたらもはや笑うしかないだろう。
その様子を見ながら、ナナカもまた微笑みを浮かべた。
実況の大仰な物言いがおかしかったからではない。別世界生まれの実況者は同じ響きを持つ悪党のことを知らないのだろうに、彼に対してその名を付けたことがおかしくてたまらないのである。
くすり、と微笑みながら闘技場の中心へ行く。
対戦者である男も、また。
ナナカよりも年下であろう彼だったが、ひ弱さなど欠片もない。
彼女を見下ろす程の長身であるため、遠目に見たらどこかほっそりとした印象を抱かせるが――その四肢は驚くほどに太い。まるで肉厚な刀だ。
威圧感を抱いてもおかしくはない姿だというのに、浮かべる表情は柔和で物腰も柔らかく、爽やかな印象を見る者に抱かせる。ホワイトスター学園で同じクラスの女子が良く画像データを送って来ては『爽やかイケメンで超タイプなの! 会場で会えたら合コンに誘ってくんない!?』などと言って来るのだし、女性ファンも多いのだと思う。ミーハーだから、あの人。
だが、ナナカは知っている。
彼と出会うのは初めてでも、受け継いだ記憶の中にこの男の本質があったから。
正直、ライバルとしては大好物だけれど、異性としては完全にノーサンキューな相手だ。というか、異性に興味あるのだろうかこの男。
「――お初にお目にかかります……無二、と呼べば良いのでしょうか?」
内心の失礼な思考を悟らせぬよう、優雅に微笑んで見せる。
父に習わされた花嫁修業は決して無駄ではなかった。淑やかにしていれば勝手に相手が油断してくれるし、ポーカーフェイスも上手くなっている。料理だって、肉体作りのために重宝したし。
「好きに呼ぶと良いさ。実際、今のおれには名前が無い。なにせ、名付けられる前に捨てられていたからね、この体は」
「……わたくしの記憶では、前に、そして前の前に出会った時もそのような境遇だったような気がするのですが。なんですか、そんなに運が悪いんですか?」
今の彼女が出会ったワケではないが、記憶を継承した時に他の記憶を継承した人間の記憶もまた見られるようになっていた。
記憶を継承する度に現れるこの剣士は、毎度毎度両親から捨てられただの虐待を受けただの施設で虐められていただのという人間に転生していたような気がする。ガチャだったら数百と回して全部外れレベルの屑運だ。
「まさか。おれなんて畜生の意識で未来ある若者の意識を塗り替えていいはずがないだろう? だから、心が死にかけている子供に頼み込んで変わって貰ったのさ」
ははっ、と笑って頭を振る無二。
彼はナナカのように記憶だけを受け継いだ別人ではない。かつて多くの人間を斬り殺した悪鬼、孤独の剣鬼が転生した姿なのだ。
姿は変わっても立ち居振る舞いと剣技は変わらない――否、剣技は常に進化し続けている。
新しい何かを見つけたらそれを取り込んで、もっともっと上へ上へ、強く強く、そうやって記憶の継承者と戦い続けているのだ。
「……わたくしも剣は好きですけど、よく飽きませんね貴方」
「まさか、飽きるはずがないじゃないか。おれが転生した時には必ず君のような人が居る。彼の技術を受け継ぎ、己のために改造し磨きぬいた誰かが。それが嬉しくて楽しくて、退屈なんて感じている暇なんてないよ」
「そうですか。なら、失望させるワケにはいきませんね」
構える。
互いに、剣を、刀を。
その瞬間、正面で構える無二が持つ刀が――薄紫色に輝くオーラを放つ妖刀がナナカを、そしてイカロスを睨みつける気配がした。
――今生は我らが勝利する。
ナナカには剣と会話する能力など存在しない。
けれど、確かにあの妖刀はそう告げた――そんな気がした。
「それはこちらのセリフです、ねえイカロス」
ナナカはエルフではない以上、霊樹の剣の声もまた聞こえない。
だが、柄から伝わる感触からなんとなく言いたいことが理解出来るような気がするのだ。かつての勇者の経験が、ナナカ以前の記憶の継承者が紡いできた剣との絆が、微かな震えを声として認識させる。
――無論だ、行くぞ主。
かくして、物語は紡がれ続ける。
古き時代から紡がれる剣士と剣士の絆は、互いを鎖で縛り合うように交わり――けれど、それで良しと互いに笑みを浮かべた。
「人心獣化流――ナナカ・サクラギ」
「無銘秘剣――無二の剣神」
流派を、名を。
互いに名乗り――――
「――参ります」
「ああ、君の本気を見せてくれ――!」
――――刃が交わった。
これにて本編完結です。長い間ご愛読ありがとうございました。
番外編を書くかどうかは今の所未定。書きたいなと思うことはあるので、いずれ書くかもしれませんが、少し休んでからそちらか新作に手をつけたいなと思っています。




