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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
グラジオラスは曲がらない
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エピローグ


 ――それから。

 

 しばし、忙しい日が続いた。

 ニールは必死に礼儀作法を学び、カルナは前に言った通りインフィニットの弁護を行った。

 ノーラは連れてきた研究者たちが住まう場所を作るために奔走している。

 そして、連翹は――


「ひい――ひぃっ――ふひい――っ」

「オラオラ片桐、その程度の体力じゃ盾持って移動するなんて無理だぞ!」


 分かってるわよ、と思ったが声にならない。というか、声にしたくない。今は一息たりとも無駄には出来ないのだ。

 一体、なぜ。どうして、連翹は兵士に混じって走り込みなどしているのだろう。どこの誰の陰謀だ、絶対許せない……!


『式典って言っても、学校の卒業式みたいな感じというか、そんなに難しいことしなくていいのね――なら、覚えた後は兵士に混じって鍛錬しようかしら』

 

 自分であった。それはもう完全無欠に片桐連翹さんであった。

 知ってたわよちくしょう、心の中で叫びながら連翹は必死に走り込みを続ける。


 ――もう、連翹の体に規格外チートはない。


 発声するだけで発動する強力なスキルも、圧倒的な身体能力もない。ニールとの戦いを最後に、全て消え失せてしまった。

 もっとも、神官の力を借りれば一時的に復活出来るようなのだが――しばらく頼る理由もないだろう。

 これからニールたちの足手まといにならぬよう、自身を磨きぬかねばならないのだ。そういう力に頼り切っている暇は、今はない――のだけれど。


(うぁあぁあぁあああ! なんかもう超あのパワーが恋しい……!)


 まあ、走りながら心の中で泣き言を漏らす程度は許して欲しいと思う。

 転移者の力を失っても鍛えた分は無くならない。体力も、転移前と比べれば圧倒的に高まっている自覚はある。

 それは引きこもりが運動部員レベルになったくらいと言うべきか、上げ幅自体はかなりのモノだ。


「おーし、片桐。次は筋トレな」

「ま――ま、ひゅ、まへ、……まっへ……」


 かなりのモノだけれど、運動部員だって軍隊と混ざってトレーニングしたら普通に死ねると思う。

 周りの兵士たちは、戦闘能力でいえば連合軍の中でも下位だったのだろう。だが、そんな人たちと競い合っても連翹は勝てない。


(……まあ、当たり前なんだけどね)


 兵士の男たちも、鍛錬や実戦を積み重ねてここまで来たのだ。

 それを一足飛びに追いつき追い越せなど、それこそチートだろう。

 戦闘経験、体力、技術――皆より劣っているモノはまだまだ山ほどある。

 泣き言ばかり溢していられない。連翹は全身から汗を垂れ流しながらトレーニングを再開する。

 他の兵士たちはもう全部終わらせて汗を流しに行っているようだが、連帯責任で待たせることにならないで良かったと思いながら腕立て、腹筋、背筋などを規定の回数やり遂げる。

 全てが終わると、ぐへぁあ、という乙女らしからぬうめき声が漏らしながらうつ伏せで倒れこんだ。気分はまるで毛虫とか蛇。立ち上がる気力なんて皆無なので、このままずりずりと移動したい。


「おー、よくやったよくやった、途中で音を上げるかと思ったがちゃんと全部やれたじゃねえか」

「ふ、ふふ――このくらい余裕、余裕……」

「おーし、それじゃあ走り込みからもうワンセットな」

「やめてくださいしんでしまいます」


 それはもはや鍛錬ではなくて拷問だろう。

 ブライアンは連翹の様子を見て笑いながら、手帳に何かを書き記している。

 恐らく力を失った転移者用の鍛錬法などを模索している最中なのだと思う。いずれ転移者を集めた傭兵団を立ち上げたいと言っていたし、連翹はそのモデルケースの一つなのだろう。

 

(まあ、世話になってばかりだとアレだし、実験体バッチコーイ的な感じよね)


 わりと連翹がギリギリこなせる難易度にしてくれているのも分かるし、不満はない。

 そう、不満はないけれど、鍛錬の最中に鬼とか悪魔とか思ってしまうことくらいは許してくれないかなと思う。

 疲労困憊の状態の連翹が助けを求めたら、笑顔で「いや、片桐はまだまだやれるだろ、休憩にゃまだ早いぞ」と言って来る姿に何度この畜生だとかこの野郎と思ったか。


「連翹お姉さーん」


 こちらを想ってくれるのは分かるけど本当に体力ギリギリまで絞り出されるのよね――そう心の中でぼやいていると、少女の声が耳に届いた。うつ伏せに倒れたまま顔だけそちらへ向ける。

 現れたのは二次元のキャラクターのように大きなツインテールを揺らす少女だ。ついでに胸も少し揺れている。彼女が自分より二歳も年下だという事実を思い出し、口から魂が出そうになった。プロポーションに差がありすぎだろう。

 

「はい、お水とタオル。ちゃんと体を洗わなくちゃだけど、その前に体とか服とか軽く拭わないといけないわ」


 汗で土がたくさんついてるもの、と。

 かつて崩落狂声(テラー・ハウリング)と呼ばれた少女は、ころころと笑った。

 そんな彼女が身に纏うのは、あの時のようなゲームキャラクターめいた衣装ではなく、古めかしいメイド服だ。

 現在、彼女は女性騎士や従軍神官の世話をするメイド――その見習いとして働いている。

 

「おう、悪いな。準備しておこうと思って忘れてたんだ、これが」

「――――いえ、お礼を言われるほどのことでは」


 朗らかに笑うブライアンを前に、彼女は僅かに退く。

 雑音ノイズによって提供され、崩落テラーの体を侵していたハピメア。それは完全に除去され、すっかりと健康体になった――心を除いて。

 転移前に刻まれた異性へのトラウマは未だ根深く、そう簡単に除去できるモノではない。だからこそ、あまり男性と関わらない場所で仕事をしているのだ。

 

「ありがとね、崩落テラー。でも、わざわざここに来なくてもいいのよ? ほら、兵士って基本男の人ばっかりだし」

「大丈夫――ううん、大丈夫じゃないけど、大丈夫にしたいと思ってるから」


 ごろり、と仰向けになりながらこちらを見下ろす崩落テラーの微笑みを見返す。

 その笑みは力強い――などとは言えないが、彼女なりに決意を宿しているように見えた。

 

「薬で楽しいことだけ考えていた時にもね、ちゃんと助けようとしてくれてる人が居たの。あの時はうるさい男の人って思ってたけど、どっかに行って欲しいって思ってたけど、今思うとわたしをちゃんと助けようとしてくれた最初の人はあの大きな人だったんだなって思って」

「大きな人?」


 レゾン・デイトルで背丈が大きくて崩落テラーを助けるような人間など居ただろうか?

 王冠クラウンは女など自分の好きに使っても良い道具程度にしか見ていなかったように思えるし、孤独オンリーは論外。雑音ノイズは小柄だったし、そもそも彼女を救うどころか底なし沼に沈めようとしていた。

 うーん? と悩んでいると、崩落テラーは花開くように微笑んだ。 


「ええ。大きな人。人間よりずっとずっと大きくて、わたしがたくさんの転移者に襲われそうになった時、体と同じくらい大きな剣で守ってくれた人が居たの。わたしなんてどうとでも出来たはずなのに、手を出さずに守ってくれて、無事なわたしを見て心から喜んでた人。そんな人も、ちゃんと居たんだって思うから」

「――そっか」


 狂乱の剛力殺撃インサニティ・ストレングスレイヤー――否、インフィニット・カイザー。

 正義の勇者に憧れて戦うも、規格外チートを失うという恐怖に耐えられずレゾン・デイトルに組した男。

 ニールから聞いた。確か、インフィニットは彼女の心を救うことが出来なかったと嘆いていたと。

 けれど、ちゃんと届いていたのだ。

 それは薬に汚染された彼女を現実に引き戻す程の力は無かったけれど、今、ゆっくりと立ち上がるために必要な小さな力として彼女の胸の中に息づいている。

 後でニールかカルナに伝言を頼もうと思う。連翹自身が伝えても良いのだが、巨大な甲冑を身に纏っている姿でしかインフィニットを知らないから。


「そういえば、さっきからあたし崩落テラーって呼んじゃってるけど、新しい名前はどうなったの?」


 崩落テラーを見上げながら、ふと、思い浮かんだことを問いかける。

 崩落狂声(テラー・ハウリング)という名はレゾン・デイトルの幹部であることを示す二つ名のようなモノだ、いつまでもその名前で呼べないという会話が発端だった。

 だが、彼女は転移前の名前を――日本人としての名前を名乗りたがらなかった。

 恐らく、過去を思い出してしまうからだろう。動画主として有名で、可愛くて、そしてそんな少女をどうにかしたいと思う男は山ほど居て――結果、彼女の無防備さも相まって最悪な形で全てが崩壊したことを。

 だからだろう、こちらの世界に合わせた名前を名乗りたいと言っていた。


「ああ、それはね――」

「ああ、ここに居たのね」

 

 連翹の問いかけに彼女が答えようとした時、不意に別の女性の声が訓練場に響いた。

 赤いポニーテイルを揺らす女騎士、キャロルである。彼女は何か紙束を持った状態でこちらに駆け寄ってくると、心配そうな顔で崩落テラーの顔を覗き込んだ。


「ああ、ここに居たの。大丈夫? こんな場所に来て。辛くなったらいつでも言っていいし、困ったら相談してくれたらいいんだからね?」

「うん、ありがとうキャロルお姉さん。でも大丈夫。まだ怖いけど、前よりはマシになったから」

「そうねえ、あんな大男が近くに居ても話せてはいるものね」

「近寄ったり話しかけたりしたら露骨に泣きそうな顔されるけどな。ま、それは仕方ねえか」


 ブライアンの言葉に同意するように、崩落テラーは肩を震わせた。

 こんな様子だから先ほどから二人で話している最中に混ざって来なかったのだろう。


「ところでブライアン――これは何?」


 半眼で紙束を突き付けるキャロルに、ブライアンは大きく胸を張って見せた。


「おう、どうだ? 完璧だろ?」

「ええ、そうね。完璧――完璧な間違いね」

 

 そう言ってキャロルは重い、とても重い溜息を吐いた。

 なんだろう、とようやく体力が回復し始めたので、起き上がって覗き込む。

 書かれているのは多種多様の数式だ。と言っても、難しいモノではない。小学生レベルの算数だ、連翹でも余裕――いや、文章題とか書かれている、どうしようちょっと自信がなくなって来た。


「貴方ね、独立して自前で傭兵団作るんでしょ? この程度の数字を扱えなくてどうするのよ」

「……ねえ、ざっと見た感じ八割近く間違ってるんだけど。あたしだって数字が得意な方じゃないけど、これちょっと酷くない? ねえ崩落テラー……崩落テラー?」


 返事がないことに疑問を抱き、彼女の方に体を向ける。

 するとそこにはなんと――脂汗を垂れ流しながら必死に目を逸らしている崩落テラーの姿!

 出来ないのか、勉強出来ないのか。現代日本から異世界に来たという身の上で小学生レベルの算数が!

 連翹の視線に気づいて、ブライアンとキャロルも崩落テラーをじっと見つめる。

 その圧力に耐えかねたのか、彼女は視線を逸らしながらぽつぽつとしゃべり始めた。


「そ、そのね? ……む、むかしから、再生数稼ぐのばっかり頑張ってたから……がっ、合唱とかも得意だったし、運動会のダンスも一番目立つ位置を任されたりしたし――うん、その、そのね? お勉強は、なんというか」

「貴女も後でテストするわ。覚悟しておきなさい」


 にこりと微笑むキャロルに、ぴいっ、という可愛らしい悲鳴を上げる崩落テラー

 気持ちはとても分かる。簡単な計算はちゃんと出来るようになった方がいいと理解はしているものの――理解したから「よぉし勉強するかぁ!」ってなる人間だったら、きっとディミルゴに招かれるタイプの人間にはなっていない。彼女は歌とダンスに、そして連翹はゲームやラノベに逃げまくっていた。


「い、いやあ……そのだな。ほら、薫の奴もオレが独立したら付いて来てくれるって言うし、ほら、あいつけっこう頭いいし……金勘定全部あいつに任せられねえかな、って思うんだがどうよ?」

「確かにあの子、覚えが早いモノね。騎士団の書類整理要因として育てたいくらいよ。けどね……だからって部下に全部丸投げするリーダーがどこに居るのよこの馬鹿。確かに向き不向きがあるのは当然だし、得意な人間に任せるのは悪いことじゃないわ。だけど、最低限くらいは出来るようになりなさい。ほら、やりなおし。この子はもちろん、連翹さんだって頑張ってるのよ、貴方だって頑張らないと傭兵団なんて作っても下がついて来ないわよ」

「きゃ、キャロルお姉さん……? お、お仕事の方は、頑張りたいと思うけど――」

「安心なさい、ちゃんと出来るようならアレコレなんて言わないから」


 それはつまり、ちゃんと出来ていなかったらアレコレ言うということだ。崩落テラーの可愛らしい顔が完全に引きつっている。

 なんだろう、美人だけど厳しい女教師のようだ。優しくないワケではないが、決して甘くない。赤点候補の連中を引っ叩いて成績を底上げするような感じというべきか。


「……ねえ、それいつ頃やるの? あたしも混ざっていい?」

「ん、いいわよ。二人が三人になるぐらいどうってことないもの。でも、連翹さんはやらなくても問題ないんじゃない? ブライアンの間違いを一発で見抜ける程度には勉強出来るでしょ」

「小学生レベルの算数で勉強できるって言われるのはちょっと――いやまあ、自分が何が出来て何が出来ないのかの再確認しときたくて。あたしだってほら、あっちの世界じゃまともに勉強なんてしてなかったし、昔習ったこととか全部うろ覚えだからねー……」


 大丈夫だったら大丈夫で構わないし、駄目なら今のうちに学んでおきたい。

 ただでさえ色々とサボって生きて来たのだ、ここらで踏ん張らないと先に進むことすら出来ないだろう。

 

「そういうことなら、夕方頃に私が呼びに行くわ。この二人を拾うついでにね……ほら、二人ともシャキッとしなさい。勉強の前に今日の仕事よ」


 そう言って、キャロルはブライアンと崩落テラーの手を掴んでずんずんと歩んでいく。

 そんなあ、という情けない声の二重奏が徐々に遠ざかっていった。


「……まあ、勉強って面倒だもんね、うん」


 そう言って崩落テラーが持ってきてくれた水を一口。ただの水ではあるけれど、乾いた喉はどんな茶よりも美味だというように吸収していく。

 はふう、と緩んだ吐息が漏れた。

 休憩してある程度の疲れは取れたものの、体の奥や筋肉などにびっちりと疲弊がへばり付いている感覚。これはきっと明日は筋肉痛だ。

 正直、もっと楽に強くなれないのかなと思ってしまう。モンスターを倒してレベルアップとかそういうシステムだったら、雑魚敵を乱獲して一気に強くなってみせるのに。


「……こーいうこと考えちゃうからダメなんだと思うけどねー……」


 今現在強い人たちはこういった辛さを乗り越えて来たのだと思うけれど、それはそれとしてもっと楽な道がないのかなー、などと考えてしまう。それも、効率を上げるとかそういう健全な思考ではなく、甘ったれた幻想方面の思考だ。

 真面目に頑張ろうと誓ったばかりだというのに、どうしてもこの手の泣き言や寝言が止まらない。

 人間、そうそう簡単には変われないということだろう。仮にどれだけ効率的な鍛錬方法があったとして、やはり体を鍛えたり勉強したりするのは面倒だし辛い。きっと、一人だったら三日坊主どころか初日で全部投げ出している気がする。

 

「……お、なんだ連翹。まだこんなとこに居んのか」


 鍛錬場でぼんやりと思考をしていると、やる気を出す要因の一人――ニールが現れた。シャツとズボンという軽装で、腰にはイカロスを下げている。


「どうしたのよニール、練習が嫌になってサボりに来たの? 駄目よ、ハゲ団長困らせたら」

「違ぇよ、休憩時間貰ったから気晴らしに剣振りに来たんだよ。……いやまあ、真面目にやってても困らせてる最中なんだがな」


 はあ、と大きくため息を吐き――抜剣。

 体が鈍らぬよう、技が乱れぬよう、動きを確かめるように剣を振るい始める。

 その動作一つ一つにブレなどほとんどなく、あったとしてもすぐに修正してしまう。今現在まともに剣も振るえない連翹とは大違いだ。


「というかニール、あんなのは今やってる剣術の型稽古と同じじゃない? 決まりきった動きをとりあえず頭と体に詰め込んで、慣れたらそれを応用に使うみたいな感じ」

「簡単に言いやがる――いや、実際お前はそこそこ簡単そうにやってやがったな」

「きっちり座って、合図があったら立ち上がったり頭を下げたり――まあ、ぶっちゃけ小学校の卒業式的な感じだったからね。経験済みというかなんというか」


 騎士団も貴族たちも冒険者である連翹やニールにそこまでの礼儀作法を求めてはいない。

 無論、適切な敬語を使って完璧なスピーチをしてみせろなどと言われたら無理だし緊張でゲロ吐きそうだが、現実はそうではない。整然と歩き、座り、何度か立ち上がり礼をして微笑むくらいだ。ニールはそれに加えてスピーチをさせられるらしいが、それだって決まりきった文章を丸暗記するだけだ。

 だが、その辺りは大人数での集団行動の経験が少ない人にとっては難しいらしい。冒険者やエルフ、そしてドワーフは中々苦労しているようだった。

 意外だったのは、集団行動が苦手そうなカルナはさっさと丸暗記して一抜けしたというのに、ノーラが苦戦しているということだ。教会で集団生活してたんじゃないの? と問うたら、「田舎の教会ってけっこう適当なんですよ、大きな教会だと色々厳しいらしいんですけどね」とのこと。

 教会という居住空間は凄い厳格なイメージがあったのだが、どうやら場所によりけりらしい。


「……なあ、連翹」

「んー? なにー?」


 そろそろ汗を流しに行こうかなと思い始めた頃に、ニールがぽつりと口を開いた。


「今回の式典が終わったら――カルナとノーラと一緒に東部に行かねえか?」

「東部? 別に構わないけど、どうして――ああ、そっか」


 そうだ、確かニールとカルナが拠点にしていた街が東部にあると会話の流れで何度も聞いていた。

 そこの女将にお世話になっただとか、ヌイーオという筋肉馬鹿がいるだとか、ヤルという肥満体のスケベ野郎が居るだとか。

 最初以外は全部誉め言葉じゃないと思うのだが、その話をする時のニールはとても楽しそうで――なんというか、少しだけ妬ける。

 自分が知らないニールを沢山知っていて、ニールもまた彼らを信頼しているのが伝わって来るから。そこまで考えて「あ"ー……」と濁った呻き声を漏らす。なんだこの思考は、面倒な女そのものではないか。

 昔、何かの流れで少女漫画などを読んで『どいつもこいつも糞めんどくせえ!』みたいな感想を抱いたモノだが、今なら少しだけ気持ちが分かる気がする。


「手紙は送ったけどよ、無事な顔くらい見せねえといけねえしな。それに、お前だって紹介してえし」


 そんな連翹の苦悩を知ってか知らずか、ニールは笑みを浮かべながら剣を振るう。

 だけど、この流れで紹介したい、というのはなんというか気恥ずかしいというかなんというか。両親に恋人を紹介するみたいな流れのようで、けっこう気恥ずかしい。


「お、おう――まあ、こんな最強無敵な美少女と付き合うことになったなんだもの、自慢したいのも当然よねぇ!」

「ああ。馬鹿二人に俺の彼女は可愛いだろって自慢しつつ、色々と迷惑かけた女将さんを安心させてやりてえからな」


 ――照れ隠しの大言壮語を迷うことなく肯定され、固まった。

 しばし、ニールが剣を振るう音だけが周囲に響き渡る。


「……そ、そこは否定してくれないと、あたしがなんかこう、イキッた馬鹿女みたいじゃない」

「そういう部分も俺はけっこう好きだぞ」


 再起動してすぐにまたフリーズ。なんだこれは、OS擬人化モノのポンコツキャラか何かかこれは……!?

 どうしよう。

 ニールの言葉が全部直球過ぎて困る。

 言葉にしなくても伝わるというのは傲慢だと思うけれど、、だからといってこうも言葉にされると恥ずかしさしかない。

 どうしたんだこの男、遠回しに虐めているのか、悪いモノでも食べたのか――!?

 

「ね、ねえ、なんか色々と普段と違くない……? なんかあたしがやらかして皮肉ってるとかだったら謝るから……」

「何言ってんだお前、んな回りくどいことするなら直接言ってるぞ。ただな――俺は二年前……いや、もう三年か。あの時に出会ってからずっとお前のことが好きだった、それだけだ」

「ほ、褒め殺す気……? いい? あたし死ぬわよ? わりと簡単に恥ずか死ぬんだからね!」

「別に褒めちゃいねえよ、お前が言った通りイキッた馬鹿みてえなこと言ってたのも、そういうお前も悪くねえって思ってるのも全部事実だからな」


 ……なんというか、力いっぱいアクセル踏み込んだ後にブレーキが壊れたスポーツカーみたいな勢いだ。

 それはもう全力全開の全速力。数秒後には事故って終わりみたいなスピード感だ。


(あたしはついていけるだろうか、今のニールの居る世界のスピードに……!)


 オサレなポエム風味にうろたえても状況は変わらない。たぶん、惚れた相手に対する素なのだと思う。

 考えてみればニールという男は、出会ってすぐの頃もそういう瞬間を見せていてような気がする。驚いたり、咄嗟に言葉が出たりした時などは、直球の好意らしきモノをこぼしていたはずだ。


 ――今までならあの時の転移者だから、と無意識に。


 ――決着がつくまでは、と意識的に。


 言葉と感情にブレーキをかけていたのだろう。

 だが、今はその二つのブレーキは完全に取り払われた。残るはアクセルを踏み続けるニールのみ。もはや、のがれることはできんぞ……!

 

「にっ、ニールはそういうの気恥ずかしかったりしないの……? あたしはほら、なんかこうもうちょい硬派なアレでオッケー的な感じに思うに至ってるんだけど……!」 

「落ち着け、無茶苦茶だぞ言葉。……いやまあ、確かに気恥ずかしさってのは無くはねえよ」


 だがな、と。

 剣の素振りを一旦止めて、とある方向を指さす。

 そちらにあるのは闘技場。数日前、ニールと連翹が戦った場所であり――


「――あそこの中心で、連合軍の皆が見てる中で告白とかやったんだ。恥ずかしいとかそういう感情はもういまさらじゃねえか?」

「やめてよおおお! せっかく忘れかけてたのにぃいいい!」


 ――公開告白をやらかした場所でもある。

 わっ、と頭を抱えてうずくまった。

 告白されて、ニールを抱き留めながら受け入れて。

 その事実だけでも今思い出すと恥ずかしいというのに、あそこには連合軍の皆が観戦していたのだ。

 なんだそれは、古いテレビの企画か何かか。学校の屋上から愛を叫んだりする恥ずかしいアレ的なことを誰がした、連翹だ。


「あー! あああー! ふわあああああああ!」

「やかましいっての、もう数日も前のことじゃねえか一々大騒ぎすんじゃねえよ!」

「たった数日じゃないのよぉ! なによなによ、ニールにあたしの気持ちが分かるの!? ミリアムに頬染めた半笑いで『いや、中々に情熱的だったよ。将来ぼくも見習いたい』とか言われたりするのよぉ!」


 他にもアトラに「大人っぽい……!」と純度百パーセントの尊敬の感情と共に拍手されたり、マリアンに大笑いながら肩を叩かれたり、キャロルが死んだ魚の目で一人うずくまっていたり。

 皆、茶化しながらも祝福してくれているので、感謝はしている。キャロルとて「オメデトウ……ああああ年下の子が幸せになってることに対してこういう感情抱いちゃいけないのに」と悶絶しつつも祝福してくれたのだ。嬉しいのは当然である。

 だが、それはそれとして恥ずかしいと思ってしまうのは当たり前の感情ではあるまいか――!?

 未だ呻き声を上げ続ける連翹に、ニールは呆れたようにため息を吐く。


「つーかよ、そんなに照れるから茶化されるんじゃねえの? もっと堂々としてろよ」

「いや、堂々とって言われても……!?」

「俺もファルコンやオルシジームギルドのエルフたちに色々言われたりしたが、『最高に幸せだぞ、どうだ羨ましいだろ』って笑って色々話してやったら二度と絡んで来なくなったぞ」

「いや待ってちょっと待ってすっごく待って! それ初耳なんだけどぉ!? 最近『あー、あれがバカップルってやつか』みたいな視線を感じてたけど、原因それよねそれ!」


 そして絡んで来なくなった理由は、決して堂々としているからではないと思う。

 それ絶対、『からかってやろうと思ったら全力で惚気のろけられた』からだ。面倒になって逃げたヤツだ――!


「……騒がしいから一発で見つかったよ」

「あ、あはは……」


 なんなの? どうしてあたしってこんなに追い込まれてるの? ――そんなことを考えてうずくまる連翹に声をかける呆れ声と乾いた笑い声。どちらも聞きなれた声音だ。

 涙目のままそちらに視線を向けると、そこには呆れ切った半眼でこちらを見つめるカルナと視線を逸らすノーラが居た。


「ふぐぅ……二人ともお疲れぇ……すべきことは終わったの?」

「え、ええ、わたしの方もちゃんと式典でやることは暗記――あの、レンちゃん? 辛いのなら喋らなくても……」

「いいの、このままさっきの話題が続くとあたし羞恥の海に沈むから。別の話題を頂戴。お願いだから」

「いや、まあお前が嫌なら仕方ねえけどよ」


 そんなに駄目だったか? とノーラに目配せをするニール。

 ノーラは笑顔で頭を振った。駄目ですよ、と。

 その様子を呆れ眼で見つめていたカルナだが、おほん、と咳払いをすると真面目な顔で語り出した。


「――インフィニットの弁護は終わったよ」


 緩んでいたニールの顔が引き締まる。

 インフィニット・カイザー――西部の勇者であり、多くの転移者から現地人を守った英雄であり、けれど力を失う恐怖からレゾン・デイトルに組した男。けれど、最後にはニールたちを守ってくれた人だ。

 

「……どうだった? あいつは悪い奴じゃねえのは確かだが――レゾン・デイトルの幹部だったのも事実だからな」


 無罪放免には決してならないだろう。それでは周りに示しがつかない。

 ゆえに、問題となるのはどれほどの罪になるのかだ。

 斬首か、未来永劫檻の中で暮らすことになるのか――

 

「ああ、レゾン・デイトルに潜入して違法奴隷となった現地人を人知れず救い続けていた――という事実をでっち上げて、刑務作業半年に縮めて来たよ。インフィニットに『どのような理屈があろうと罪は罪、これから償っていきたい』とか言わせたのも利いたね。下手に極刑にしようものなら、西部出身者を敵に回すから」


 ――そんな連翹の心配を吹き消すように、明るい声音で言う。

 

「……ねえカルナ。それ、大丈夫なの?」

「実際、レゾン・デイトル所属後も西部の勇者として色々な人を救っていたのは事実だし、崩落テラーっていう存在も居るんだから全てが嘘ではないだろう? 残った幹部は二人だけ、賢人円卓とやらも全滅している。なら、問題ない。細かな罪は全部連中に押し付けてしまえばいい」


 なにせ――


「あの外道領主が居るんだ。現地人の敵意はそっちに向いている以上、『外道な転移者と現地人の内側に入り込み、歯を食いしばりながら人々を救い続けた』っていうストーリーは描きやすかったよ」


 ――分かりやすい邪悪が居るのだから。

 外道領主クレイス・ナルシス・バーベナ。騎士団長の友人であるという立場を利用し、レゾン・デイトルに騎士団や連合軍の情報を流し続けた裏切り者。最期は焼け落ちるレゾン・デイトルから私財を担いで逃げ出そうとしていたところをゲイリーに発見され、処断された。

 

 ――そのように、語られている。

 

 邪悪であり、外道であり、レゾン・デイトルがここまで騎士団を苦しめた原因であるのだと。

 だが、連翹は知っている。

 クレイスという男がそのような男ではないと、実際に会ったノーラから聞いているのだ。


 ――だが、カルナはそれを知らない。ニールも、また。


 屋敷に踏み込まず、騎士たちによって情報をシャットアウトされているため、気づく余地もないのだろう。

 叶うなら、違うのだと言いたい。彼がどのような人だったのか、一から説明してやりたい。

 だが、それはゲイリーに口止めされている。彼はクレイスに直接会った人間を集め、遺言を読ませたのだ。

 無論、それで良いのかと思ったが―― 


『窮地に何も出来なかった友として、最期の意思くらいは全うさせてやりたいんだ』


 ――そのようなことを言われたら、異論など挟めるはずもなくて。

 だって、一番異論を挟みたいのは彼のはずだから。

 クレイスから送られたという兜を、今も大事に扱っている彼が、一番現状を嘆いているのだ。そんな彼がそれでもこの道を選んだ以上、連翹に出来ること口を閉ざすことだけだ。

 

「……これで、全て終わったんですね」


 ノーラが話題を打ち切るように、ぽつりと呟いた。

 その気持ちは理解できる。このままカルナやニールに喋らせたら、外道領主の悪行についての話になりそうだったから。

 クレイスという男がどのような想いであの場に居て、どのように死んだのかを知っている聞いた者からすれば、それは気持ちの良い話題ではない。下手をしたら、全てを喋ってしまうだろう。

 ゆえに思考を、話題を、未来に向ける。

 これからどうするのか、皆はどうするのか、自分はどうするのか。


(正直に言うと――)


 今でも、皆に相応しい自分であるのかどうかは自信がない。

 転移前の自分、転移後にやらかした自分、そして現在の自分。

 それらを見比べても、片桐連翹という人間が信頼に足る存在であるとは想い難くて。

 けれど、それでも立ち止まるワケにはいかない。

 皆の信頼は、きっと未来への期待を含めてのモノだ。ゆっくりでも前に進んで、一緒に歩んで行きたいと願ってくれてるからこその信頼なのだ。

 だというのに、立ち止まったら――歩みを止めたら、その想いを裏切ってしまう。


 ――だからこそ、一歩前に。


 始まりは規格外チートの力で調子に乗っただけの偽物であったし、今も胸を張って本物であるとは言い難いけれど。

 それでも、偽物を本物にするために、皆と共に歩むために、踏み出すことを続けたいと思うのだ。


「……ッ!」


 そんな、弱音と決意が入り乱れる心を胸の中で抱いていると、不意に風が吹いた。土を巻き上げる、強い風。

 だが、幸いなことに連翹はニールたちが壁となって砂が目に入ることはなかった。

 瞳に映るのは突然の強風に瞳を閉じるニールにカルナとノーラ。

 だが、彼らの背後に一瞬、こちらに背を向けて立つ、騎士が身に纏うモノとは意匠の違う白銀の鎧を身に着けた長身の男が見えたような気がした。

 こちらの世界では珍しい片手剣と盾という装備を身に着けた、エルフのような長耳の銀髪のナイト。実在するはずもない、虚構まみれの存在だ。

 それが、一瞬だけこちらを振り向いて――――



「ほう、経験が生きたな」



 ――――そんな言葉を、一言。

 偽物から本物に成った大先輩は、そうやって優しく微笑み、霧のように消えた。


「……どうした連翹?」

「ううん、なんでもない」


 訝しげに背後に視線を向けるニールに、連翹は小さく頭を振った。

 今のがなんだったのかは分からない。 

 ただの幻覚か、ディミルゴからの褒美か、あるいは別の異世界に彼は本当に存在していて、なんらかの拍子に連翹を見つけて認めてくれたのか。

 だが、連翹は確かめようとは思わない。

 どれであっても構わない――胸に灯った、暖かな感情さえ確かならば、それで。


「よーし、それじゃあニール! どれだけ式典でやることを覚えられたかチェックしたげるから、ちょっとやってみせて!」

「なにがそれじゃあか分からねえが……まあ、そうだな。自主練もしておかねえとな」


 よしやってやらあ! と気合を入れるニールを見て、連翹は微笑む。

 夢と目的まで真っ直ぐに突き進み、決して曲がらないニールという存在。

 転移前なら鬱陶しいとすら思っていた人種だったろうが、今は違う。

 自分にはない強さと真っ直ぐさを有した、大事な人。彼の隣を歩めるような人に、本物になりたいという願いを胸に灯らせてくれた現実の人。

 だからこそ、連翹は彼を支えたいと願う。


 ――だって、折れず曲がらず頑強なだけの金属は、過剰に力を込めればあっさりと折れてしまうから。


 ――だから、彼に比べて曲がりっぱなしの連翹という存在が、彼の助けになれたらと思うのだ。


 それは頑強でありながら弾力にも富んだ、折れず曲がらぬ刀の如く。

 弾力はあるが曲がりやすい片桐連翹はニールに支えられ、頑強で曲がらないニール・グラジオラスが折れぬよう連翹が支える。

 

「ねえ、ニール」


 まだまだ自分は未熟だけれど、片桐連翹は――


「これからも、よろしくね」


 それは宣言だ。

 これからも共にあると。

 その為に日々歩み続けると。

 ……正直に言うと努力など長続きするタイプではない。今だって未来には不安がある。

 だからこそ、逃げ道を封鎖するように口にするのだ。

 

「――ああ、多少は多めに見るが、あんまサボってるようならケツ蹴り飛ばすから覚悟しとけよ……レン」


 連翹が言いたいことを汲み取ったニールは、そう言っていたずらっぽく笑ってみせるのだった。



 ――――こうして、レゾン・デイトルとの、転移者との戦いの日々は終わりを告げる。


 

 戦いそのものはとっくの昔に終わっていたが、心の区切りがついたのだ。

 季節は未だ冬。

 されど、徐々に世界は暖かさを取り戻し、春の足音が響き渡っている。

 春は新しい日々の始まりを告げる季節。連翹もまた、ニールたちとの新しい日々が始まろうとしていた―――― 


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