281/プロローグ2-2
「……レンちゃん、やっぱり厳しそうですね」
観客席の中。
カルナと共に二人の戦いを見守りながら、ノーラはぽつりと呟いた。
ノーラは戦士ではない。接近戦の理を知らず、駆け引きも大して理解できていない。
だが、それでも――ニールは無傷のままであり、連翹は数多の傷を刻まれていることくらいは理解しているのだ。
「う――ぐっ」
そうして今、連翹の左腕に斬撃が刻まれた。
金剛不壊のメイン盾を発動し損ねた――ワケでは断じてない。ニールが順応しだしたのだ。
結果、刻まれるのは骨には届かない――けれど、かすり傷などとは呼べない明確な裂傷。傷つけられた血管から血がしぶき、連翹の顔が苦しげに歪む。
「どうした!? 間合いを詰めたくらいで俺に勝てるつもりだったのか、お前はよぉ!」
「ま、だ――!」
歯を食いしばって連翹はニールに突っ込んでいく。
痛みに負けず、恐怖に負けず、果敢に攻め込んでいく姿は凄いと思う。
けれど、同時にもう無意味ではないかとも思ってしまうのだ。
攻撃は届かず、ニールの攻撃を完璧に防げてもいない。切り札もとうの昔に露呈して対処されだしている。
もう、連翹には勝ち目がない。どれだけ前に出たところでもう勝利は掴めない。
だからもう止めて――とは、言えるはずもないけれど。
ここで止めたところで二人はきっと満足しない。半端な終わりに胸の炎を燻ぶらせてしまうだろう。
だが、勝負は既に――
「上手くやるなレンさん。これはブライアンの入れ知恵か、それとも自分で考えついたのかは知らないけれど――どうする、ニール。そのままだと押し込まれるぞ」
――そんなノーラの思考を、カルナの言葉が遮る。
視線を向けると、カルナは苦渋に満ちた表情を浮かべていた。彼はニールの方を応援しているのだし、劣勢になっているのなら仕方がないことではある。
けれど現状、攻め続けているのはニールであり、防御しつつも攻撃を捌き切れていないのは連翹だ。とてもではないが連翹が優勢なようには見えない。
「……どういうことですか?」
「転移者流に言うなら『死ななきゃ安い』かな。どれだけ傷を負っても、最終的に生きて勝利さえすれば安い取引だ――そんな意味の言葉だけれど」
ノーラの問いかけに闘技場から視線を逸らすことなく答える。
確かに連翹は傷を負った。
小さい傷は数多と存在し、対応しだしたニールによって決して浅くない傷も体に刻まれている。
このまま戦い続けていたら連翹はすり潰されるように敗北することだろう。
――ニールが同じような動きで戦い続けられたらの話だが。
連翹は、その可能性を潰すためにあえてダメージ覚悟で突っ込んでいるのだと。
「ノーラさん、レンさんはニールと比べて剣士として劣っている。だからこそ、レンさんはそもそも――剣士としての技量で勝負なんてしていないんだよ」
だからこそ、連翹は盾を用いたし、剣は振るっても明確に必殺の一撃を放ってはいない。
防御主体かつ、右手で剣を力任せに振るうだけ。当たれば肉も骨も両断されるような一撃だが、回避は容易。ニールならば簡単に回避できるだろう。
だが、連翹の目的はニールを動かすことだ。
自分を攻めさせ、攻撃を回避させ、けれど餓狼喰らいのような必殺の一撃は使わせない。
多少のミスはあれど、連翹はそれらを徹底している。ニールを動き回らせて、直撃すれば一撃で沈みかねない必殺技は妨害し続けているのだ。
なるほど、理解した。
理解した、けれど。
「それに、一体なんの意味が――?」
ノーラは戦いに詳しいワケではないが、それでも攻撃を当てないと勝てないことくらいは理解できる。
だというのに、連翹はずっとニールの攻撃を耐え忍んでいるだけ。
(どちらにせよ、敗北が遅いか早いかの違いしか――違う、違います、つまり……!)
ノーラは傷の差でしか、ダメージの差しか考えていなかった。
その思考は決して間違いではなかったが、しかし一面的なモノの見方でしかない。
そうだ、違う。違うのだ。先ほどカルナが言ったではないか。
『死ななきゃ安い』
『剣士としての技量で勝負なんてしていない』
それは、つまり――絶対勝てない勝負を捨てて、ニールよりも上回っている部分で勝負しているということ。
そして、現状の連翹がニールよりも圧倒的に優れている部分は――
「転移者と普通の人間の体力差、そこを突くつもりなんだよ。レンさんは、ニールのスタミナを削るためにああやって接近戦をし続けているんだ」
――純然たる、肉体の能力差。
それは、言ってしまえば単純な理屈。
相手の体力が枯渇するまで、耐えて耐えて耐え続ける。
連翹自身が体力を温存する必要はない。なぜなら、転移者と普通の人間とでは身体能力の絶対値が違うのだから。
連翹はただただ、ニールの動きが鈍るまで接近戦を続ければいい。疲弊させるために、休ませぬため。
勝利のために攻撃するのは、その後でいいのだから。
◇
――攻めきれない。
幾度となく刃を振るう中で、ニールは内心で大きく舌打ちをした。
攻撃は当たっている。金剛不壊のメイン盾とやらの防御も少しずつ対応出来ている。もう少し慣れたのなら、一太刀で連翹の体を両断することが出来るだろう。
だが、そのもう少しが遠い。
あと少しではあるが、そのあと少しまで体力が持ちそうにないのだ。
せめて、距離を取って息を整えられたら良いのだが――
「やらせるワケ――ないでしょ!」
「だ、ろうな!」
――連翹はダメージ覚悟でその機会を潰してくる。
被弾覚悟で放たれたシールドバッシュを回避しつつ、すれ違いざまに斬撃。振るった刃は確かに連翹の腕を抉るが、致命傷には程遠い。
せめて餓狼喰らいのような大技で攻め立てることが出来たのなら状況は好転するかもしれないが、連翹がそれを許すはずもない。
耐え忍びながら盾を構え、けれどニールが無視出来ない程度に剣を振るう。ニールに傷はないが、けれど体力だけはじりじりと削られていっている。
(――だから、破砕土竜とかはあまり使いたくなかったんだけどな)
剣から闘気を放出する技は、どうしても体力を損耗してしまう。そうそう乱発出来る技ではないのだ。
だからこそ体勢を崩した後は一気に終わらせたかったのだが、削りきれなかった。
あの時と同じ状況は、もう訪れない。
連翹とて同じ技に何度も直撃して体勢を崩すような馬鹿ではないのだ。無論、乱発すればいずれ凌ぎきれずに直撃する可能性もあるだろうが――その可能性にたどり着くより先に、ニールの体力が枯渇する。
だからこそ、ニールが今出来るのは攻め続けることのみ。
距離を取ることが難しい現状、大技で仕留めることも、呼吸を整えることも難しい。ゆえに残された道は接近戦で剣を振るうことだけだ。
その果てに連撃で連翹を削りきって勝利するか――あるいは、疲労でミスをした自分が連翹に敗れるか。
どの未来が訪れるかは未だ不明だが、しかし逃げ回るよりはずっとマシな未来が待っているだろう。
荒い息を吐きながらも、ニールは獣の如く笑う。
(ああ――連翹の奴、本気で勝ちに来ている)
そう実感できるから。
あの時、ニールなど眼中に無かった転移者の娘が、今はニールを倒すためだけに対策を講じている。
それは互いに全力で戦うという無二との戦いとは真逆の、徹底的に強みを潰すモノだ。だからこそ、連翹は最初に聞いたのだろう。実力を出し切るための本気なのか、それとも勝つための本気なのかと。互いに実力をを出し切った試合をしたいのなら、このような戦い方は侮辱という他ないのだから。
なるほど、道理だ。ニールの強みは疾走し、跳び、斬ることだが――それがまるで発揮出来ていない。その事実に歯痒く思う部分はたしかに存在する。
だが、ニールは連翹の行いを心から嬉しいとも思っていた。
それは、ニール・グラジオラスという男を強敵と認めているから。
本気で対策を練り、本気で戦い、それでようやく勝ちを拾える可能性が出てくると連翹は考えているからだ。
(それに――俺はもう、こっち側なんだからな)
相手の動きを見て、どうすれば攻略できるのかと考える挑戦者ではない。
既に相手に動きを見られ、ニール・グラジオラスをどう攻略するのかと想像される勇者なのだから。
対策されたからもう勝てません、などという情けない言葉を吐けるはずがないだろう。
自分は既に狼翼の勇者。かつて英雄に憧れたニールのように――どこかの誰かが憧れる一人の剣士なのだから。
「く、は、ぁ……勝つのは――俺だ!」
鉛のように重くなっていく四肢を、空気を求め喘ぐ口を黙らせるように叫び、剣を担ぐように持って力強く踏み込む。
餓狼喰らいは助走が足りず使えない。ならば、別の技で盾の防御を貫くのみ。
「破城熊――!」
前のめりに突っ込み、柄頭を盾に叩き込む。重い衝撃と金属音が鳴り響き、連翹は僅かに退いた。
これも助走が必要な技ではあるが、柄頭を叩き込むという性質上、間合いが狭い。ゆえに、この接近戦でもギリギリ効果を発揮することが出来た。威力は大幅に減退しているが、体勢を僅かに崩させることには成功している。
ニールはそのまま更に前のめりになって踏み込む。盾を足場にして駆け上がり、連翹の脳天目掛け剣を振るう。
「こ――の!」
刃が脳天を抉る寸前、連翹は退いた勢いを殺すことなくバク宙。空中で盾を振るってニールを力任せに弾き飛ばす。
上空へと跳ね飛ばされるニールの、眼下で逆さまになった連翹の視線が交わる。
着地は――恐らく、連翹の方が速い。
「ッ……! 模倣秘剣、雷切!」
瞬間、ニールは己の体を鉄咆の杭の如く射出した。
このままでは先に着地した連翹に待ち構えられる。空中で移動する方法はあるが、だからといって地に足がついていない以上は自由に動けるはずもない。
ならば、体力の消耗覚悟でこちらから攻め込む。空中対空中であれば条件は同じ、いいや、上を取っているニールの方が有利だ。
帯電しながら連翹へと高速落下。剣を担ぎ、早く、速く、疾く。この一撃で決めるという意思を籠めて剣を振るう。
「ッ……!?」
連翹にとって、ニールの行動は予想外だったのだろう。
驚愕の表情を浮かべ――けれど、左手は無意識に盾をこちらに向けている。
(誰だが知らねえが、この短い期間で良く教え込んだもんだ)
やはり連翹は攻め込むよりこの手の守りに特化した動きの方が向いている。
仮に規格外が無くとも、このまま修練を続けて行けば一端の戦士になれるはずだ。
もっとも――
「――今は俺の方が強ぇ!」
――速度と力の籠った斬撃を盾に叩き込む。
イカロスが盾に食い込み火花を散らす。じりじりと盾が切断される中で、ニールは体ごと連翹にぶつかり、自身の体重と落下速度を連翹に叩き込んだ。
斬撃と衝撃に盾が異音を鳴らしながら両断される。逆さまのまま吹き飛ばされた連翹は、頭から勢いよく地面に叩きつけられた。
轟音、それと共に砂埃が舞う。
(うっし、これであっちの強みは――)
潰したぞ、と。
そう考えながら着地した、その瞬間――ぐらり、と体勢が崩れた。思考も一瞬、どろりと濁る。
考えるまでもない、疲労だ。
既に疲労がかなり蓄積していた状態で無二の秘剣を真似たため、一気に限界に近づいてしまった。
ちい、と舌打ち一つ。無二は人間の体で乱発していたというのに、無駄が多いのか鍛錬が足りないのか、ニールには負担が大きすぎる。
だが、問題ない。これで――
「終わり、だなんて言うつもりじゃないでしょうねぇ!」
――土煙を切り裂く人影。
それが何者なのか、考えるまでもない。
額から後頭部から血を垂れ流す連翹は、血液の飛沫を散らしながらひた走る。
もはや盾はない。両手で握るのは黒く塗られた長剣のみ。
(――悪かったな)
確かに、あれで終わりだと思った。
刃は届いていなかったとしても、頭から地面に叩きつけられたのだ。現地人なら頭蓋骨が砕けただろうし、転移者である連翹でも、衝撃で揺れた脳で行動不能になっているだろうと。
だが、その眼はまだ戦意に満ち満ちている。
悪かった、確かに舐めた。それは心から謝罪したいと思う。
だが、しかし――
「勝つのは、俺だ……!」
連翹が間合いを詰めて来る。剣を振り上げ、真っすぐに。
普段なら回避もカウンター出来る程度の動きだ。
だというのに。
(ぐ、くそ――ッ)
全身の疲労が動きを鈍らせる。無二との戦いほど体を動かしたワケでもないのに、体はもはやそう長くは動けぬと言うように警告していた。
それは恐らく、連翹が剣士としてさして優れてはいないからだ。
無二の剣鬼という圧倒的高みに存在する剣士を相手取っていたあの時は、ニールは正気ではなかった。あの最高にして最強の剣士を真っ向から打ち倒すという狂気が、肉体を限界以上に動かしていたのだ。
だが、今は違う。
確かに連翹とはずっと戦いたかったし、心から勝ちたいと思っている。けれど、それは正気の思考だ。人間であるニール・グラジオラスの思考なのだ。決して、剣に狂ったニール・グラジオラスの思考ではない。
その事実が、追い詰められたこの瞬間に動きを鈍らせた。
すぐさまカウンターという手段を放棄し、防御に移行する。先ほど舐めたことを反省したばかりだ、博打は打たず手堅く決める。
振り下ろされる刃、それをニールは剣で受け止めた。
無論、転移者の腕力をニールが防ぎきれるはずもないが、その勢いを利用して後ろに跳んですぐさま反撃を――
(なんだ、思ったより軽――違ぇ、これは……!?)
――両手に伝わる感触が軽いこと、連翹の剣は腕の力だけで振り下ろされたという事実、連翹の足はまだ地面を踏みしめていないということ。
それらの事実をようやく理解し、疲労で鈍った脳がようやく連翹の思惑をニールに伝えて来る。
――斬撃はフェイント。
――それに加え、疲労した頭と体、そしてニール・グラジオラスが剣士であるという事実。
それらを利用し、剣に意識を向けさせたのだ。
盾を失い、後に頼れるモノは一振りの刃だけ。ニールは、咄嗟にそう考えてしまったのだ。
だが違う。確かに剣とは有用な武器ではあるが、戦うために必須の道具ではない。
連翹の本当の目的は――
「せぇ、の!」
――ニールの腹部に突き刺さった、右足だ。
「ご、がっ……!?」
技も何もない、勢いと身体能力任せのケンカキック。だが、剣に意識を向けていて無防備なニールの腹に直撃する。突き抜ける衝撃に内蔵が紙風船の如く破裂し、それでも殺せなかった勢いがニールの体を観客席まで吹き飛ばしていく。
衝撃、轟音、破砕、破砕、破砕。
いくつかの客席を砕いて停止したニールは、八割がた血の吐瀉物を撒き散らして土煙の中に沈む。
「――足りない分は転移者の身体能力でゴリ押しちまえ、だったわね。全力で実践させて貰ったわよ、ニール」
ああ、そうだ。
連翹が鍛錬を始めたその時に、短期間で基礎を完璧になど出来るはずもないのだからと言ったではないか。
それを連翹は、忠実に実行した。
剣での勝負で勝てるはずもないのだから、剣そのものを囮に使ってしまえ、と。無手であっても攻撃さえ当たればニールの体を破壊することは容易いのだから。
(まだだ――)
それでも、まだだと叫び立ち上がろうとし――破裂して意味を成さなくなった内臓たちが、痛みという形で自己主張を始める。
痛みに視界が歪み、意識が揺らぐ。
この程度、と思う。
無二との戦いでは、これ以上の痛みに耐えて駆け回っただろうが、と。
だが、やはり、あの時とは違う。剣に狂って勝利へ突き進んだあの時と、勝利に突き進みたいと願ってはいるが正気のままの自分。その差が、立ち上がろうとするニールの体を、そして意識を蝕んでいく。
ならば、連翹を無二のような強敵であると思い込めば良いのだが――積み重ねた剣士としての日々がそれを許さない。
連翹は強い――が、剣士としてはまだまだひよっこだと、剣術で競い合えば必ずニールが勝利すると確信しているからだ。
そう、剣士としてのニールは連翹をさして重要視していない。
ならば。
ならば、それでも。
それでも立ち上がろうとしているニールは、一体、何を縁にしているのか――――




