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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
グラジオラスは曲がらない
282/288

279/過去と今、そして未来へ


 深夜。

 夜遅くまでやっている酒場も閉まっているような時間に、連翹は目を覚ました。

 騎士用の宿舎、その一室に彼女は居る。

 現状で街に出たら休もうにも休めないでしょう? とキャロルが部屋を貸してくれたのだ。ニールもまた、アレックスから部屋を借り受けているらしい。

 最初は遠慮したのだが、「いいのよ、どうせ今日は深酒して帰らないと思うから」と言ってカギを押し付けて来たのだ。

 そういえばアレックスの方も、マリアンとどこかに行っているらしい。知り合い同士で飲み会でもやっているのだろうか? それにしてはキャロルと一緒に居たブライアンが何やら気遣う素振りを見せていたが――


「他人のこと考えてる場合じゃないんだけどねー……」


 ごろり、と寝返りを打つ。

 だが、一度覚めてしまったためか、眠りはなかなかやって来ない。むう、と不満げな声を漏らしつつ起き上がる。

 

「やっぱり、緊張してるのかしら」

 

 ベッドに潜った時はあっさり眠れてしまったのだけれど、と小さく呟きながら立ち上がる。

 蓄積していた疲労が取れてしまったために、緊張が勝ってしまったのだろうか。

 軽く伸びをして窓の外に視線を向ける。

 既に明かりは無く、月明かりだけが街並みを照らしていた。

 やはり地球とは違う。連翹が住んでいた場所は都会でこそなかったが、道路には電灯があり、点在するコンビニが文明の光を見せつけていたから。

 もう、あちらに戻ることはないのだと思うと、今更ながら寂しさがつのる。そのくらい理解してこちらの世界を選んだ癖に、やはりすぐには割り切れそうにない。


「……今になって思うと、転移直後は本当に楽だったわ」


 元の世界のこともこちらの世界のことも考えず、ただただ自分のことだけを考えていたから。

 主演が自分の物語で、他は全てモブと書割。台本も演出も全て自分で、モブたちの非難アドリブも華麗に叩きのめしてしまう。

 まさに万能感を拗らせた子供。いいや、元々拗れていた凡人が特別な力を授かった結果、更に拗れてしまったのだろう。


 ――――そんな風に拗れに拗れた連翹の内面を、鋭い瞳と刃が貫いた。

 

 あの出会いが無ければ、連翹はレゾン・デイトル側に居たかもしれない。

 好き勝手にやった挙句、力を失って報復されるのが怖くて他の転移者たちに縋って、能力を褒められたら有頂天になって幹部になっていただろう。

  

「――ああ、駄目だわ。寝れそうにない」


 緊張と自己嫌悪、そしてあの日に感じた鮮烈な恐怖。

 それらが微かに残っていた眠気を残らず吹き飛ばしてしまった。

 小さくため息を吐いてセーラー服に着替え、剣を手に取って部屋の外へ出る。気を紛らわさなければ一秒だって眠れそうにない。

 こつん、こつん、と足音を響かせながら、明かりの失せた宿舎から外へ向かう。

 こうしていると肝試しをしているような気分になってくる。薄暗い学校を一人歩くようで、ドキドキして楽しいけれど、余計に眠れなくなりそうだ。

 そのようなことを考えながら辿り着いた場所は、騎士の訓練場であった。昼頃には馬車が停まり、多くの人が行き交っていたが、今は連翹一人だけ。

  

「――よし、ちょっとだけ」


 盾はデレクたちに預けっぱなしだ。こんな時間に宿を訪ねるのは非常識だろうから、今は剣だけを振るう。

 盾を構えるように左手を突き出しながら、右手で剣を構える。思い描くのはもちろん、ニールの姿。

 連翹の脳内で鳴り響いた戦闘開始の合図と共に、ニールが力強く地面を蹴って間合いを詰めて来る。衝撃。疾走の速度と体重と斬撃の重さが盾に叩き込まれ、微かに押し込まれる。

 そこからはニールの独壇場だ。縦横無尽に放たれる斬撃を必死に盾で受け止めるが、想像の中ですら段々と手が追い付かなくなって来る。盾という防具があるからこそ身を守れているだけで、リディアの剣のように剣の腹で受けようとしていたらとっくの昔にボロ雑巾にされているはずだ。

 苦し紛れに剣を突き出すが、ニールは螺旋蛇を用いて連翹の剣を絡め取る。この手を放すモノかと踏ん張ろうとするが、そもそもニールが転移者の連翹と力比べをしてくれるはずもない。そのまま一気に踏み込んだニールは、剣先を連翹に突き立て――たぶん、これで終わる。

 自分がどれだけ痛みに耐えて戦えるかは分からないが、胸や腹に剣を突き立てられてまともに動ける自信はない。仮に動けたとしても動きは大幅に鈍り、次の攻撃で斬り捨てられてしまうだろう。


「は――ぁ」


 大きく息を吸って、吐く。肌寒い冬の夜だというのにびっしょりと汗をかいていた。

 そんなに動き回ったワケではないから、この疲労はきっと精神的なモノ。ニールの攻撃を想像し、それを凌ぐ動きを考えて、動いて、考えて動いて考えて動いて、その繰り返し。

 ニールはこういうことを毎回やっているのだろうか? ワリと直感で動いているように見えるのだが、それは連翹がまだ未熟だから細かな機微に気づけないだけなのか? 考えても答えは出ず、大きくため息を吐く。


「……とりあえず。苦し紛れに攻撃、ってのは悪手にも程があるわね」


 言われなくても理解しているつもりだったが、実際に戦いを想像し、自分がどう動くか考えるとついやってしまう。

 想像よりも『耐え続ける』というのは精神が削られる。相手の懐に飛び込むひりつくようなモノではなく、ヤスリで削られ摩耗していくようだ。

 どこまで耐えられるのか、本当に自分は耐えきれるのか? ニールの剣に対して? そう思うと、心と体が楽な方に流れる。

 

 ――ワンチャン、この一撃で相手を仕留められるかも。


 そんな考えと共に、一歩踏み込んでしまう。

 無論、気の迷いだ。自分でも理解している。

 連翹の剣術はまだ見習い。このところの鍛錬とて、盾を使った防御と回避を重点的に行っている。そんな連翹が『ここぞ』という場面以外で攻め込めば逆に食い散らかされるに決まっているではないか。

 だが、じわじわと余力が無くなっていく恐怖よりも、一発で終わる方が楽なのだ。ゆえに、あまり心が強くない連翹は、そちらに転んでしまう。

 こんな調子で本番にちゃんと戦えるのだろうか。はあ、と大きくため息を吐く。

 どう戦い、どう勝つか、それは考えた。そのために頑張ってもいる。ブライアンも「ま、下手に切り結ぶよりずっと勝率は高いんじゃねえかな」と言ってくれた。決して、勝算が無いワケではない。

 だが、考えた通りに動けるのか? 

 いいや、そもそも――考えた通りに動いたとして、ニールに通用するのか?

 そんな不安が、じわじわと胸の中に広がっていく。

 

「……ああもうっ、だめだめ、いまさら過ぎるわそんなの」


 やっぱり別の手段、なんて時期はとっくの昔に通り過ぎている。

 いまさら何か特別な技や技術に目覚めたりなんてするはずもない。そういうのは、選ばれた血筋ゆえに、または長い下積みの果てに目覚めるモノだ。連翹はどちらでもない。

 ゆえに、今あるモノを丹念に磨く他ないだろう。

 幸い、目は良いと褒められている。防御も、筋は悪くないとブライアンは言っていた。ならば、それを貫くのみ。


「よおし! もうちょい頑張って――んん?」


 ぐっ、と拳を握りしめた連翹の視界に、不意に白い何かが映った。

 闇夜に紛れるように存在し、ぼんやりと輝いているように『それ』は、ゆっくりと、そして微かに揺れながらこちらに近づいてくる。

 ぴっ、と小さな悲鳴が漏れた。

 脳内に浮かぶのは二つの単語。幽霊&アンデッド。なんか前者の方が怖いイメージなのでアンデッドを選択。推定アンデッドモンスター的なそれは、人が歩くようなゆっくりとした速度で、しかし確実に連翹に近づいてきていた。

 

(あば、ばばばばっ、どうしよう、幽霊――ああいやいや、アンデッドって斬ったら死んだり燃えたら死んだりするのかしら的なあれを聞いておけばよかったなと思うあたしなのでした)


 ホラーを怖いと思ったことはあまりない。驚いたりほんの少しだけ肝が冷えたりはするが、喜々として映画鑑賞できる程度のモノだ。

 だって、ほら、しょせんは作り物なので。

 だが、こちらの世界なら、アンデッドも実在してしまっているのではなかろうか……?

 だからってなんでこちらに来るのか、墓場で運動会でもしてやがれ、そう思うが白い影はこつこつという足音を響かせながら近づいて来て――!


「ええい、こういうのは気合とか剣気とか心意とかそういうアレでぶった切れるって相場が決まってるのよ! というワケで先手必勝――!」

「……あー、その、すまないね。怖がらせてしまっただろうか?」


 野郎ぶっ殺してやるぅ!――そう叫びながら踏み込もうとした瞬間、聞き覚えのある声が耳に届いた。

 ゆらゆらと揺れる白いモノが更に近づいてくる。足音もまた、大きく。だがちょっと待って欲しい、足音とは? 幽霊って脚がないのだから物理的に足音を響かせられないのではなかろうか――?

 怪訝な顔をしたまま剣を構える連翹の前に、見知った巨漢が現れた。

 ゲイリー・Q・サザン――普段と違って私服姿の禿頭の騎士団長さまの頭部は、なんということでしょう! 月明かりを照り返して輝いているではありませんか! 


「もおおおおおお! 紛らわしいのよおおおおおお! 真夜中の出会いにそういう劇的にビフォーアフターな感じは求めてないのよ……!」

「いや、すまないね。修練場に連翹君が居るのが見えたから声をかけに来たのだが……」


 だんっ、だんっ、と地団駄を踏む連翹に、ゲイリーは困った顔で頬をかく。

 まあ、その気持ちは理解できる。心配だからと声をかけに来たら斬られかけた挙句に紛らわしいという罵倒だ。ゲイリーは怒ってもいいと連翹ですら思う。完全に八つ当たりだこれ。


「んんっ……あー、その、ごめんね。頭部が幽霊に見えたってのもあるんだけど、その、あんまり余裕なくって」


 謝りながら言い訳をしてしまう。

 怒られるかな、とゲイリーの顔を見る。だが、その心配は杞憂のようで「ふむ」と己の頭をぺたぺたと触っていた。

 

「……芸に出来るかな、どう思う?」

「真夏にやればワンチャンあるかも。こっちの世界では肝試し――幽霊が出そうな場所を練り歩くみたいな風習ってないの?」

「害のあるアンデッドを討伐することはあるけれど、そういった行事はないなぁ。子供が度胸試しをすることはあるけれど、ボクら騎士はそういう子供を止める側だしね」

「なんなら騎士とか兵士でそういうお祭りとかやってみたら? 作り物のおばけとかで子供を驚かしたりして」

 

 子供同士の度胸試しも出来るし、親は子供を安心して送り出せる。win-winというヤツではなかろうか?

 なるほどな、と考え込むゲイリーに自分のアイディアの手応えを――いや、違う。今はそういう話をするタイミングではない。

 自分がすべきことは、この眠れない時間に動きを改善することだ。戦いはもう明日に迫って――いや、明日ではなくもう今日になっているかもしれない。そう思うと、このままではいけないという想いが強くなってしまうのだ。


「ごめん、それよりあたし――」

「いや、中々に興味深い意見だったよ。実は書類仕事に疲れて飲み物でも持って来ようと思っていてね。どうだろう、一緒に茶でも飲みながら話さないかい?」


 連翹の言葉を遮るようにゲイリーは提案する。

 朗らかな笑みに悪意など欠片も見えないが、だからこそ断り辛い。

 どうすればそれとなく断れるだろうか、そう悩んでいると、ゲイリーはその笑みに悪戯っぽさを混ぜてみせた。


「さっきボクを斬ろうとした詫びも兼ねてだ、いいだろう?」


「……ん、じゃあ一杯だけね」


 ――そう言われると、もう断れない。

 ゲイリーに聞こえないように、小さくため息を一つ。こんな調子で明日は大丈夫なのだろうか。

 

     ◇

 

 食堂でココアを作った後、ゲイリーに案内されたのは彼の私室であった。

 夜中にうら若き乙女が男の部屋に――と言うと危険極まりない状況だが、連翹は全く警戒していない。

 レゾン・デイトルの転移者たちとの戦いの間、ずっと皆を率いて来た人だ。人柄だって知っているし――


(何より、団長が居なかったら、あたしは今ここに居なかったろうし)


 ――連翹を信用して迎え入れてくれた人だから、疑うようなことは考えたくないし、そもそも考えられない。

 そうだ、あの時の連翹を、誰彼構わずイキリ散らかしていた馬鹿娘を、だ。

 正直な話、もしも自分がゲイリーであったのなら、片桐連翹などという馬鹿娘を自分の懐に入れたりしない。下手をしたら騎士としてあの場で斬り殺していた可能性もある。

 

「しかし肝試しか――夏場には最適かもしれないね。どこかの建物を借り、飾りつけてみれば、本物の幽霊など居なくとも程よく怖がれそうだ」


 言って、禿頭の巨漢というヴィジュアルだというのにココアなどをのんびりと飲んでいるゲイリー。

 やだ、くっそ似合わない――と本人には言えない感想を抱きながら連翹も暖かなそれを啜った。寒空の中に居たからか、体に染み入るように感じる。


「別に特別なことじゃないと思うんだけどね。ううん、本物の幽霊がいるから逆にこういうことを考えつきにくいのかしら――ううん、違うか」


 たぶん、もう似たような娯楽はあるのだと思う。

 ただ、一部の町村が小規模な祭りとして行っているのみで、大陸中に普及していないなどという理由があるのかもしれなかった。少なくとも、連翹が発案者、というよりはそちらの方が可能性が高そうだ。

 そう、この世界は手付かずの新天地などではない。

 自分以外の誰かがずっと前から住んでいて、笑ったり泣いたりしながら日々を積み重ねて来たのだから。連翹程度が思いつくことなど、とっくの昔にこの地に生きる誰かがやっている。

 

「……うん、あの時に君を引き入れて正解だったよ。いい顔をするようになった」


 得意気になる自分と、そんな自分に自己嫌悪を抱く自分。

 二つの自分の間で揺れていると、ゲイリーは静かにカップを机に置いた。

 

「思い悩む顔を見て『いい顔をするようになった』と言うのは違う気もするけれどね。だけど、常に何かに対して勝ち誇っていたり、何かを嘲っていたり――それを心から正しいと確信している、そんな者たちよりはずっと真っ当な人間だろう?」


 悩みすぎるのはいけないことだが、だからといって全く悩まないのは人間として破綻している。

 なぜなら、人間は常に選択し続ける生き物だから。

 必ず正解を選び続けることなど不可能である以上、己のすべきこと、するべきでないこと、したこと、してしまったことを悩むのは当然だ。

 

「自分がやったことは全て正解で、そう思わない人間の方が間違っている――そんな人間をたくさん見て来ただろう? いいや、連翹君の場合は実感といった方がいいかな」

「……うん、まあね。耳が痛くて仕方がないけど」


 力を得た自分はこの世界の主人公。

 それに歯向かう奴は敵だし、異議を唱える奴は道理を知らない愚か者。

 他人の意見など聞かないし、他者の考えなど知ろうともしない、正しいのは常に自分一人。

 ああ、なんて孤独な愚か者なのだろうか。

 全てを従えている気になって、しかし全てを閉ざしてしまっている。

 ゆえに変わらない、ゆえに変われない。 

 自分たちが出会った無法の転移者とは、そういう者たちであった。

 

「けれど、君は思い悩めるようになった。やってしまったことを、『なぜ自分はこんなことをしてしまったのだろう』と。すべきことを、『自分はこれで大丈夫なのだろうか』と」

 

 それはとても大きな進歩だと、彼は微笑む。

 だが、連翹にはどうしてもそんな風には思えなかった。


(だって――そんなの、皆は最初から出来てることじゃない)


 ずっと逆走していたレースカーが、ようやくスタートラインに戻って来た――その程度のことではないか。

 言われるべき言葉は、遅いとか、今更なにをとかであって、決して褒められることではない。

 

「いいや、実のところ人間っていう生き物は思い込みが激しくてね。誰だって勝手に何かを思い込んで、それこそが正しいと無茶苦茶をしだすものさ。ボクも、そうだったよ。オルシジームで話さなかったかな? 自分には戦うべき強大な敵が居たはずだって、それと戦うために産まれたんだって、そんな思い込みで大陸を駆けずり回っていた愚か者の話をね」

「ああ、そういえばそんなこと――」

 

 そんな黒歴史を話してたわね、そう笑いかけて、止める。

 ゲイリーの言葉を聞き、思い出したから。



『ゆえに私は、追い詰められた人間に対し勇者という機会を与えるつもりだったのだ。かつて魔族に対してそうしたように、滅びかけたその時に才能を持った子が産まれるように。

 ……だが、現実は違った。私がまるで重要視していなかった一人の娘が、実力はあれど戦いに関わらなかったはずの天才を巻き込んで、未だ成長途中だった魔王に奇襲をしかけた。あれほど驚き、声を失ったのはあの時だけだ』



 創造神は言っていた。

 自分の予測では今現在まで魔王との戦いは続いていたと。勇者リディアという想定外の英雄によって、魔王は打ち倒されたのだと。

 結果、人間に与えられるはずだった勇者という存在に意味はなくなった。

 だが、もしかしたら本来の勇者は――ディミルゴの予測では滅ぶ瀬戸際である現在に産まれ、生きているのかもしれないと。


(――まさか、ディミルゴの言ってた本来の勇者って)


 確証はないが、もしそうだとしたら腑に落ちるのだ。

 だってこの人、孤独の剣鬼(オンリー・ワン)のように無意味に強すぎるから。彼と同じように世界に産まれてしまった神様のミス、破綻(バグ)なのかもしれないと。

 連翹はそのことを言おうとして――やめた。

 無意味に燃える使命感に苦しんでいた頃ならまだしも、それを乗り越えた大人に今更言うことは何もない。言ったところで、無意味になるか重荷になるかの二択だ。

 彼はゲイリー・Q・サザンという一人の人間。

 騎士団長であり、未熟な小娘を気にしてくれる優しい大人――それ以上でも以下でもない。

 そんな内心を読み取ったワケではないだろうが、ゲイリーは安堵するように笑った。


「実を言うとだね――ボクは君と出会った時、あの場で斬り捨てるか否か悩んでいたんだ」

「……まあ、そうでしょうね。あの時のあたしって、イキり散らかしたバカだったじゃない」


 ニールとの出会いでまだマシになっていたとはいえ、それは相対評価であって絶対評価ではない。

 片桐連翹という小娘は調子に乗ったただの愚者であった。それは覆しようのない事実なのだ。

 

「否定はしない――けれど、君を斬らなくて良かったと心から思うよ。君は皆と信頼を築き、やるべきことをやり切った。そして今、過去と向き合おうと努力している」


 それはとても人間らしくて素晴らしいのだと、彼は慈しむように語る。


「無論、連翹君は悪くない、などと言うつもりはないさ。間違いを犯さず日々真面目に生きて来た人間の方が偉いというのも、また事実だね」


 過ちを犯した人間よりも、正しく生きてきた人間の方が素晴らしい。

 それは、どう足掻いても覆せない理屈だ。

 人間は過ちを糧に出来る生き物ではあるが、だからといって過ちそのモノは過ちでしかないのだから。


「けれど、更生した人間が無意味なワケでは断じてない」


 無論、罪の大小はある。

 己の快楽のために無辜の民を殺し続けたような者が心を入れ替えたとしても、それだけで許されるはずもない。

 罪には罰が必要だ。

 そして正しく罰せられた者は、再び正しく生きる権利がある。


「君がやったことは未来永劫残り続ける。悪いことも、良いことも。けれど、胸を張って生きるといい。開き直るのではなく、己の成したことを全て飲み込んだ上でね――罰を受けた上でね」


 そうだ、もうすぐ連翹の罪が罰せられる。

 ニールが求めた戦いという形で、互いに剣を交えて納得するという刑罰を受けるのだ。

 だからこそ、連翹は不安だった。

 己の力で、己の技で、己の意志で、果たしてニールを納得させられるのだろうか、と。

 戦いの最中、『ニールを勝たせることこそが償いだ』などと考え、苦しんで耐え忍ぶよりも一撃で終わらせて貰う方向に――楽な終わりに逃げてしまわないかと。

 不安が顔に出るのが分かる。

 怖い。戦うことがではない、負けることでも勝つことでもない、ただただ――ニールに失望されるのが怖かった。

 だが、対面のゲイリーは笑顔のまま。

 何一つ心配する必要などないのだと、そういうように笑っていた。


「君は誰かを想うことが出来て、大切な人のために頑張れる良い子だ。だから何も心配することはない。君は、大切な人の信頼を裏切るような真似を、彼の目の前で楽に逃げてしまうような真似なんて出来ないよ」


 自分のことであれば、あるいは楽な方向に逃げるのかもしれない。

 だが、大切な誰かが関わっていることで逃げ出すことは片桐連翹という人間には出来ないよ、と。

 ゆえに何も心配はいらない。ただただ自分の力を出し切れば良いのだとゲイリーは微笑んだ。

 

 ――ああ、そうか。


 ゲイリーはきっと、この一言を言いたいがためにこうして部屋に招いたのだ。

 その言葉だけを投げかけても連翹はきっと納得しないだろうから、こうしてわざわざ時間を作って。

 

「……ありがとう。うん、だいぶ楽になったかも」

「なに、ボクがやりたかっただけさ、気にすることはないよ。さあ、早く部屋に戻るんだ。眠れなくてもベッドで瞳を閉じるだけでも十分休養になるのだからね」


 心が万全でも体が疲れていたら意味がないだろう?

 そう言って、ゲイリーは微笑みかけるのであった。

 

     ◇


「どれだけ心配しようと成るようにしか成らないよ」


 連翹がゲイリーとココアを飲んでいる頃――カルナとノーラは、宿の一室に居た。

 ノーラはどこか落ち着かないとでも言うように椅子から立ち上がったり、かと思えば座ったりを繰り返し、カルナは普段通りに机の上に魔導書を広げている。

 落ち着かなくて眠れない――そう言うノーラをカルナが部屋に招き入れて、おおよそ一時間程経っただろうか。

 カルナは特別ノーラに構うでもなく、けれど話しかけられたら返答をするということを繰り返していた。

 ノーラの足音と、カルナがページをめくり、時に筆を走らせる音。

 それだけが、深夜の一室に響くモノだ。

 

「……カルナさんは心配じゃないんですか?」


 ノーラが少し不貞腐れたように言って、再度椅子に腰かける。

 カルナが二人のことを想っていない――などとは考えてはいないけれど。

 それでも、まるで明日に特別なことなど何もないというような態度で、少しだけ不安になる。


「心配か心配じゃないかと問われれば、まあ心配だね。ニールもそうだけれど、レンさんも」


 ノーラに背を向けたまま、カルナは静かに答えを返す。


「けど、もう僕がやれることは何もないからね。どちらかが死ぬ可能性があるのならもっと心配するだろうけど、そうでもなし。なら、後は二人の問題だ」

「……こうやって心配するのは無駄、ということですか?」


 カルナの言葉に憤りを半分、納得を半分懐く。

 冷たいことを言うんだなと思う反面、確かにもうノーラがやれることは何もないと理解している。

 だが、それでも明日になったらどうしよう、ちゃんと納得の行く戦いが出来るのだろうか? 納得したとして、その後の二人はどうなるのだろうか? そんなことばかり考えて、不安になってしまうのだ。

 

「まあ、確かに無駄だとは思うよ。けど、それを否定もしたくないかな」


 ことり、とペンを置く音がする。

 静かに立ち上がったカルナは、しばし言葉を探すためか瞑目し――ゆっくりと瞳と口を開く。


「人の想い全てが必要か不要かで決められるモノじゃないだろう。ニールの武器の拘りだって、戦いのためには不要なモノだしね」


 カルナは語る。

 ニールは技量という面ではさして才能がある剣士ではないのだと。

 他者より優れているのは瞬発力と加速力、そしてそれらを注ぎ込んだ全身全霊の一太刀だ。

 だが、別にそれが剣である必要はあるまい。

 ニールの技量では転移者を切り裂くことは出来なかった。なら、剣で斬るのなど早々に諦めて鈍器でぶん殴った方が良い。それならニールが持つ力を全て転移者に叩き込めるし、痛みとダメージを与えられるだろう。

 だが、ニールは決してそれを良しとはしない。

 剣士に憧れ、剣で勝つと誓ったのだから、そのような道を選べるはずもないのだ。

 それは、確かに戦士としては無駄な拘りなのだろう。効率の悪い在り方なのだろう。

 

「けど、それが無くなったらニールはニールでは無くなるから。ニールだけじゃない、多くの人がそうなんだと僕は思う。そういう不要な何かを磨いて、磨いて、磨いて――それを前に進むための刃にして、誇るための宝石にして、そうやって生きていくのが人間なんじゃないかな」


 生きるために不必要だ、そう言って全てを削ぎ落していったら――残るのは昆虫めいた生き方のみだろう。

 誰しもが不要な拘りを抱き、無駄な感情を有して生きている。

 だが、それはきっと悪いことではないのだとカルナは言う。

 きっと、そういう無駄こそがただの動物が知的な生命体になるために重要な要素なのだと。

 カルナは座ったままのノーラに歩み寄り、その頭に手の平を載せて微笑む。 


「二人を想ってどうすれば良いのか分からない――そんな君もまた、不要な要素を磨く一人の人間さ。否定なんてするはずもないよ」


 もう出来ることは何もないのに、眠れないくらい心配してしまう。

 なるほど、無駄だ。今ここでノーラが起きていたとしても、明日のニールと連翹になんの影響もないのだから。

 けれど、その無駄という名の優しさが、想いが、ノーラ・ホワイトスターという人間を形作る一要素なのだろう。


「それに、僕はそいういう君を好いたワケだからね。そんな無駄なことを止めろ、なんて言えるはずもないさ。そんなことを言って、仮にノーラさんが受け入れてその無駄を削ぎ落して――それを続けた結果出来上がるのは、ノーラさんの姿をした僕のコピーだろう」


 ――迂遠な言い方だな、と思う。

 要は『そういう君も好きだよ』ということだけにこれだけ長々と語ったのだろうか。

 もっと直截的に言えばいいのに――そう思う反面、カルナ・カンパニュラはこういう人だとも思うのだ。

 何でも出来る優しい人に見えて、実のところ面倒で自己中心的な人。けれど、認めた誰かをしっかりと尊重できる人。

 そんな人だから、ノーラは気になったのだろうと思う。

 カルナ風に言うなら、そういう言いたいことは決まっているのに遠回りしているその無駄な部分も好いているワケだ。


「そうだ。まだまだ眠れそうにないので紅茶でも淹れようとかなと思うんですが、カルナさんも要りますか?」

「そうだね、貰おうかな。ああ、片づけは僕がやるから眠くなったら部屋に戻っていいよ」


 はい、と頷いて部屋の外へ、宿泊客が使える簡易的キッチンに向かう。茶を淹れるくらいにしか使えないが、夜まで起きていることの多いカルナと一緒に居ると重宝する。

 他の宿泊客や宿の主人たちを起こさぬよう静かに歩くノーラは、ふと窓の外に視線を向けた。

 月に照らされた夜の街。その奥に、騎士宿舎が見える。

 

「おやすみなさい、二人とも」


 届くはずのない言葉を紡ぐ自分は、やはり無駄なことをしているなと思いながら、ノーラは再び歩み出すのであった。

 

     ◇


 早朝。

 多くの者がまだ寝静まり、けれどパン屋が窯でパンを焼き始める頃にニールは目覚めた。

 大きくあくびをしながらベッドから出ると、軽く四肢を動かしてみる。

 

 ――両手足に問題はない。


 ――体調も、また。


 疲労は溶け落ちるように無くなっていて、体にあるのは僅かな眠気と活力だ。

 すぐさま着替え、剣を手に外に出る。

 向かう先は騎士修練場だ。まだ誰も居ないそこに辿り着くと、ニールは静かに剣を抜き放ち――振るう、振るう、振るう。

 全力ではない。体を慣らし、温めるような動き。

 大切な戦いが控えている以上、疲労をため込むワケにはいくまい。

 だが、最低限体を動かしておかないと戦いの時に動けないし、なにより普段からやっている鍛錬の時間に何もしないというのは気持ちが悪い。

 ゆえに、今まで積み重ねたモノを確かめるように剣を振るうのだ。

 

「その様子じゃあ体の調子は問題ねえみたいだな」

「――あ?」


 自身の中に埋没していたため、声の主が近くまで来ていることに気が付かなかった。

 額の汗を拭いながら声の主を仰ぎ見る。

 そこに居たのは巨漢の兵士、ブライアン・カランコエだ。「よう」と片手で会釈してみせる彼は、もう片方の腕で見慣れた女性を荷物のように抱えていた。

 キャロル・ミモザ――若き女騎士は、口から涎を垂らしながら爆睡している。その上、滅茶苦茶酒臭い。どこぞのゴミ捨て場で寝腐っていても違和感のないその様子に、ニールですら「うわあ……」という声を漏らすこととなった。

 

「出来る女ってイメージだったんだが、なんだ? そんなに酒癖悪かったのか?」

「いい方じゃねえけど、限界は見極めて飲む奴だよ、こいつは。けどまあ、今回はまあヤケ酒ってやがったからな。限界なんぞ一段二段と踏み越えて、色々ぶちまけた後に眠りやがった」

「……なあ、大丈夫なのか?」


 騎士として対幹部や対無二オンリー戦で活躍出来なかったのが悔しかったのだと思うが、そこまで飲んでしまう程に辛く思っていたのか。

 高い実力を有しているほど、積み重ねたモノがあり、プライドというモノが生まれる。だからこそ、ニールなどに功績を取られてしまったことを悔しく想い、辛く想っているのだろう。


「あー……こいつを心配してやってくれてんのは嬉しいし、それはそれで不甲斐なく思ってるのは確かだと思うがよ。酔いつぶれた理由はそういうのとは関係ない、男女のアレコレだ、心配すんな」


 男女関係? ニールは思わず首を傾げ、ああ、と納得する。

 そういえばアースリュームでアレックスの好みを聞いて欲しいと頼まれたり、温泉街オルシリュームでアレックスがマリアンのことが気になっていると言っていた時に凄まじく動揺していたことがあった。

 

「え、つーかなんだ、アレックスの奴マリアンと付き合うことになったのかよ。マジでか?」

「マジでだ。まあ、そんなこんなで独り身の友人であるオレが愚痴られ役になったワケでな」


 おかげで朝帰りだ、と大笑するブライアンだが疲労も眠気も見られない。さすがタンク役、同じ戦士でも体力が凄まじい。

 ブライアンはキャロルのポニーテールをぶらぶらと揺らしながらニカッ、と笑う。 


「それよか、とっとと食堂に行こうぜ。お前もそれ以上、剣を振るう理由もねえだろ?」

「まあな」


 剣を鞘に収めながら頷く。

 体はほぐれた、痛む場所もない。それを確認できただけで今回は十分だ。

 積み重ねるべきモノは積み重ねている、いまさら焦って何をやれと言うのか。下手なことをしても悪影響しかないだろう。


「……ところで、キャロルはどうするんだ?」


 共に食堂に向かいつつ、ブライアンが抱えるキャロルに視線を向ける。

 全く起きる気配がない。抱え方が雑で頭が下になり、ポニーテールの先が地面にこすりつけられているが、幸せそうに熟睡している。

 なんだろう、下手にキリっとしている姿よりこういう駄目な姿を見た方がどきりとしてしまう。胸だってそう大きくないし、実のところかなりニールの好みの女性だったのではないだろうか……?


「ああ、こいつ? 食堂の椅子で寝かす。なあに、お前が戦う前にはちゃんと起きて、『酔いつぶれた事実なんてありませんでした』って感じのキリっとした顔してやがるよ、きっと」

「食堂で寝かせたらどれだけキリっとした顔しても騎士にも兵士にもバレるんじゃねえのか?」


 もはや刑罰だろう、それは。

 間抜けな寝顔晒しの刑とか、そんな名の。

 だが、ブライアンは確かになと笑いながらもやめる気はないらしい。


「はっはっはっ、ま、このくらいだらしねえ姿晒した方が次の男も近寄りやすいだろ。騎士の若手の中じゃあアレックスに次ぐ実力者だからな、兵士の中じゃあ高嶺の花扱いだ。オレはその話聞く度に腹抱えて笑ってんだけど、そのイメージは崩れねえしな」


 綺麗は綺麗だが本質は踏みつぶしても枯れない雑草だ、そんな話をしながら食堂へ。

 瞬間、ニールに注がれる多くの視線。連合軍として共に行動した者たちのモノではない、治安維持のために残留した騎士や兵士のモノだ。


 あれがグラジオラスか、と。

 団長が敗北した転移者の王を倒した冒険者の剣士か、と。

 だが、それにしては弱そうだぞ、と。

  

 うるせえ、と言いたくなるが、大きなため息と共に仕方ないと割り切る。

 騎士や兵士たちは好奇の視線こそ向けるものの、これ見よがしに噂話をしたりはしていない。その辺り、ゲイリーやアレックス、そしてブライアンが指導してくれているのだと思う。

 だが、これから外に出れば違う。ニール・グラジオラスという男は、一人歩きした勇者の噂と比べられ続けることになる。そしてそれは、ニールが嫌だ、やめろ、などと言ったところで止まることのないモノだ。

 

(慣れなくちゃならねえよな……めんどくせえ)


 贅沢な悩みだとはニール自身も思っている。

 多くの剣士が成り上りたいと、名を上げたいと思い日々を生きているのだ。かつてのニールとて、その一人だ。

 だからこそ、有名税を面倒だなどとぼやいていたら反感を買うことくらい理解している。ニールもきっと、傍から見て『そのくらい我慢しろよ』などと思ったことだろう。

 ゆえに、ニールは可能な限り堂々と歩く。お前らの視線など気にしないぞ、と。幸い、緊張はあまりしない質だ。慣れれば意識せずとも同じことが出来るようになるだろう。

 気持ち背筋を伸ばして朝食を貰いに行こうと歩いていると、正面から少年が駆け寄って来た。青葉薫、転移者の少年だ。


「ブライアンさんおはようござ――え、その抱えてる女性って」

「おう、見ての通り酔いつぶれて爆睡中のキャロルだ。お前ら椅子動かすの手伝ってくれ、即席でベッド作るぞー」

「はい、分かりまし――いや、違、ちょっとこれなんか違くないですか……!? 部屋に送り届けた方がいいんじゃないかと思うんですけど!」

「こいつ片桐に部屋貸しちまってるからな。大事の前に追い出すワケにもいかねえだろ、ちゃんと休ませねえと」


 おら、お前らどけどけ、と。

 ブライアンは抱えたキャロルを見せびらかすように食堂の端へと向かう。

 その最中、彼は一瞬だけこちらに顔を向けると、得意げに笑みを浮かべてみせた。


(――ああ、視線は引き付けてやるからゆっくりメシ食えとか、そういう意味なんだろうな、きっと)


 正直に言うとありがたい。

 ありがたい、のだが――ブライアン、後でキャロルに処されないだろうか?

 その辺りがとても心配になったが、ここは素直に好意に甘えておこうと思う。さらばブライアン、叶うなら生きて再会したい。

 安堵の息を吐きつつ、ニールはぐるりと食堂を見渡した。 

 このくらいの時間なら、もうノーラ辺りが席を取っているはずだな――そこまで考えて、あっ、と声を漏らす。

 

(――そういや、ノーラもカルナもいねえんだよな)


 連翹もまた、ここにはいない。まだ寝ているのか、それとも戦う前にニールと顔を合わせたくないのか。

 最近はずっとあの三人と一緒に食事をしていたので、少しだけ新鮮であり、少しだけ寂しい。

 冒険者になるために故郷を出て、初めて宿に泊まった時もこんな気分だったなと思いながら周囲を見渡す。

 一人で座るのは可能な限り避けたい。寂しいとか一人で食事が出来ないとかそういう意味ではなく、先ほどのように連合軍と共にレゾン・デイトルへ向かわなかった騎士や兵士たちに注視されるからだ。

 だが、顔見知りの冒険者はいなかった。

 どうやら冒険者は宿などを手配したらしい。その代わり、先ほどの青葉や異種族たちは宿舎に部屋を用意したようだ。

 

(ま、女王都じゃ目立つもんな、エルフとドワーフ)


 断交しているワケではないが交流の少ない種族だ。実際、ニールも女王都を拠点にしていた時代に彼らの姿を見た覚えはない。

 だというのに、連合軍が帰って来た瞬間、多数のエルフやドワーフが宿に泊まり始めたら――どうなるかなど、考えるまでもないだろう。

 おお、あれは連合軍に所属していた者たちだ、あの勇者や転移者の姫と会った者たちだ、話を聞こう。そんな野次馬が大挙として押し寄せる姿が目に浮かぶ。

 だが、それなら都合がいい。

 若いエルフの集団――オルシジームギルドの面々とはそれなりに仲が良い。彼らに混ざらせて貰うとしよう。

 一人頷き、食事を受け取り――料理を担当していた青年に握手を求められ若干顔を引きつらせつつ――エルフたちの方へ向かう。

 人間が持つエルフのイメージとは真逆な騒がしいその席を覗き込んだニールは、予想もしていなかった存在に思わず声を漏らす。


「……珍しいなノエル」


 こんなに同族に囲まれて――というのは流石に失礼すぎるだろうか?

 そう思って口ごもったが、あそこまで言ってしまったのなら全て言ったも同然だ。だがノエルは顔色を変えることもなく「まあな」と静かに頷いた。


「変に気を遣うなニール・グラジオラス。事実、このように賑やかな食卓はもう百年以上無かったからな」


 若者の騒がしさが台風であれば、彼は台風の目になるのだろう。時折若者に話しかけられて返答こそしているものの、静かに食事を摂っている。

 

「そうか、良かったな」


 当たり障りのない言葉を吐きつつ、エルフたちに混ざるように席に着く。手元にあるのはパンとカリカリになるまで焼かれたベーコンと目玉焼き、そしてサラダとコーヒーだ。

 特別豪華な食事ではないが、決して貧相な食事ではない。だからこそ何度食べても飽きが来ない。卵もあるし満点だ。

 強いて文句をつけるなら食事の量が少なめなことだが――これも、今日に限っては問題ない。

 たくさん食べすぎても、食べる量が少なすぎても、体の動きは鈍ってしまう。

 ゆえに、これくらいが丁度いい。空腹を満たし、体を動かすエネルギーとなり、腹に余分なモノが残らない。


「しっかし、お前らはどういう風の吹き回しだ?」


 基本、オルシジームギルドの身内同士か、人間の冒険者と交流するかの二択だったというのに。

 アースリュームとの国交が成立して以降に産まれた若いエルフたちは、大人のエルフを毛嫌いしている節があった。ノエルもまた、その大人の一人として距離を置かれていたと思ったのだが。

 ニールの問いかけに、若者エルフたちの紅一点――ミリアム・ニコチアナが応えた。


「ああ、それはだね……ぼくらは転移者相手にあまり役立てなかったろう?」

「何言ってんだ。弓は十分頼りになったし、そもそも転移者相手に戦える奴の方が稀だろ」


 ニールとて、霊樹の剣が――イカロスが力を貸してくれなければ転移者と戦うなど不可能だったろう。


「けどよぉ、ノエルの旦那は前線で戦えてたろ?」

「そりゃお前、さすがに年季が違ぇだろ」


 不満を漏らすエルフの若者に苦笑する。彼の気持ちが分からないではないが、そもそも比べる相手が悪い。

 なにせ魔王大戦時代の英傑だ。

 死線を潜っていた頃と比べて弱体化はしているのかもしれないが、それでもその実力は連合軍の中でもトップクラス。強さではなく剣術の完成度で競うのなら、連合軍最強かもしれない。

 その強さを支えるのは数多くの経験、そして弛まぬ努力だ。

 その二つとエルフの寿命が組み合わさり、本来戦士に向かないエルフは最強格の剣士に至ったのだ。少し憧れた程度で追いつける存在ではない。

 そのようなことを語ると、ミリアムは「それだ」と頷いてみせた。

 

「その年季。ぼくらはその辺りをけっこう馬鹿にしていたんだ。年寄りの言う通りになんてしていたら、交流していたドワーフのひ孫が産まれてしまう、とね」

「その物言いも、決して間違いではない。他種族と交流の少なかった頃ならばともかく、今の時代にエルフの価値観を信じ込んでしまうのは危険だ」


 誰かと関わる以上、自分の価値観だけで生きることは出来ない。

 けれど、それは古い価値観の全てを捨ててしまって良いという意味ではないのだ。

 

「だからさ、その辺りを頑張って帳尻合わせるのがぼくらの役目、って思うワケさ――それを成せる実績も得たからね」

「実績――ああ、この戦いで生きて戻ってこれたことか?」

「うん。ぼくらは特別凄い活躍をしたワケじゃない。けれど、生き残って違法奴隷になった同族の多くを救うことが出来た。その実績で、それなりに発言権も増すはずなんだ」


 今までの若いエルフたちは、ただの粋がっている子供としか思われなかった。

 だが、同族を救うために戦い、生きて戻ったことにより、彼らは粋がった子供から新時代の戦士となったのだ。

 ただの子供の意見として鼻で笑われることもなくなる。

 

「で、そこら辺りをノエルさんに聞いてもらっているワケだね。ぼくらはまだまだ未熟で、知らないことも出来ないことも多い。だからこそ、新たな文化に理解のある大人に頼ろうかと思ったワケだよ」

「……そうかよ」


 誰しもが変わっていく。

 ニールが勇者などと呼ばれるようになったように、連翹がこの旅で変わったように。

 同じ時を過ごした皆は、その経験を踏まえて新たな道を歩んでいく。

 

「ぼくらオルシジームギルドは、君、狼翼の勇者さまと共に戦った英雄という肩書でこれから生きていくよ。だから、あまり無様な姿は見せないで欲しいな」

「あんまプレッシャー増やすんじゃねえよ。……けどま、分かった。俺だってわざわざ無様晒してえワケじゃねえしな」


 言って、パンの上にベーコンと卵を載せて食べる。

 結局のところニールが出来ることなどそう多くはない。ただ、剣を振るうことくらいしか脳のない男だが、それすら騎士やノエルのような練達の技を持つ者には劣る。

 才能がないと自身を卑下するつもりはないが、それでも頂点ではない。

 だが、それでも。

 それでも、頂点で無ければ何も成せないなどという理屈があるはずもない。

 そうであったのなら、ニール・グラジオラスという男は、リディア・アルストロメリアという女は、勇者などと呼ばれることはなかったろう。

 ゆえに、己の前に進むのみ。

 今までも、これからも――そして今日、この瞬間も。


「――ここに居たか、グラジオラス」


 エルフたちが織り成す喧騒に割っているように、金髪碧眼の美丈夫――アレックスが現れた。


「おう、アレックス。どうした?」

「なに、朝食の準備が終わったのなら馬車を出そうと思ってな」

「いや、そんくらい自分の足で――ああ、そういうことか」


 女王都へ帰還後の様子を思い出して納得した。下手をすれば人の壁に阻まれて闘技場まで辿り着けないかもしれない。

 

「そういうことだ、資材搬入用の馬車に紛れて中に入ってしまえ」

「ああ、悪い――つっても、俺一人だったらバレないような気もするがな」


 周りが好き勝手に噂するニール・グラジオラス像と自分はまるで違うのだから、堂々と歩けばバレないような気もする。

 だが、アレックスは小さく嘆息すると懐から一枚の紙を取り出し、ニールに手渡す。

 怪訝に思いながら受け取り、なんだろうと覗き込むと――はあ!? と叫び声を上げてしまった。

 そこに描かれていたのはニールの似顔絵だ。今のニールより若干幼いように見えるが、特徴はしっかりと捉えられている。


「さすがに似顔絵出回るの早くねえか!? 俺、元々そんな知名度ある冒険者じゃねえぞ!?」

「――グラジオラスは昔、この辺りを拠点にしていたらしいな。そして、当時の先輩冒険者には絵心がある者が居たらしい」


 ――なるほど、帰還後すぐに騒ぎになった理由はこれか。

 獰猛に笑うニールの横顔を描いたそれは、なるほど、良く似ている。これなら初対面の人間でもニールがニール・グラジオラスであると分かるだろう。

 畜生あの野郎どもと憤る反面、絵の端に『怒っちゃいないから顔を出せよ』と書かれていて少しだけ泣きそうになる。

 ニールは当時、転移者を倒すと言って冒険者の先輩、同期に窘められ――お前らなんぞ知るか、そう言って東へ向かった。強くなるために、当時の人間関係を斬り捨てたのだ。

 それが間違いだと思ってはいない。あのまま女王都へ居たとしても強くはなれなかったはずだから。

 けれど、斬り捨てた者たちが無価値だったワケでは断じてない。

 今よりずっと子供だったニールに色々と教えてくれた先輩冒険者には感謝していたし、友人だって居た。

 だが、強くなるために邪魔だからと斬り捨てた側が、へらへらと笑って戻って来れるはずもない。そんな厚顔無恥な真似など、死んだって出来るはずがないだろう。

 

「……そう、だな。時間が出来たら、顔を出すか」


 若干上ずった声音に、自分でも意外に思う。

 そういえば最近、こんな感情を抱くことは少なかったな、と。

 それはきっと、全てが終わろうとしているからだと思う。

 

 ――だが、まだだ。

 

 ニールは軽く目元を拭い、瞳を白刃の如く煌めかせる。

 心を緩めるのはまだだ、まだ早い。

 後ろを振り向くのも、新たな目標に向けて歩き出すのも、今日を乗り越えてからだ。

 

「――よし、アレックス。俺はいつでもいい、そっちの準備が出来たら連れてってくれ」

「そう言うだろうと思っていた。表に出ろ、既に馬車は用意してある」


 行くぞ、と先導するアレックスの背を追う。

 

     ◇


 闘技場。

 その選手控室。

 多くの人間がこの場で試合を待つための部屋に、ニールは一人椅子に腰かけていた。

 連翹は居ない。向かい側に存在する控室で、彼女もまたニールと同じようにその時を待っているのだろう。

 その事実に、ニールは感慨深く思っていた。


 ――おおよそ三年前、ニールはここに居た。


 己の剣で成り上がってみせると。

 自分よりも強い剣士に敗北したとしても、それを糧に成長してみせると。

 そう心に誓い、今と同じように椅子に座っていた。いいや、あの時はもっと緊張していたかもしれない。

 もっとも、その想いは転移者という存在によって打ち砕かれてしまったのだが。

 

(それでも、糧にはなったか)


 あの敗北がなければ、今のニールは存在しなかった。

 その結果、もっと強くなっていたかもしれない、あるいは今より弱い剣士だったかもしれない。

 どちらにせよ、今とは全く別の成長をして、全く別の仲間と出会い、全く別の未来を目指していたことだろう。

 剣を抜き放つ。金属光沢を放つ木剣、霊樹の剣の刀身は静かにニールの顔を映し出していた。

 

「――力を貸してくれ、イカロス。俺は結局、まだまだ未熟な剣士だからよ」


 どれだけ渇望しても天を駆けることは出来ない。

 どれだけ走っても走っても、空高く飛翔する存在には手が届かないのだ。

 ゆえに、この背に蝋の翼が欲しい。

 自分が持ちえない翼で、天を舞う好敵手の下まで飛翔したいのだ。

 その結果、大海原に叩きつけられたとしても構わない。天を望む以上は必要なリスクだ。今度は溶けぬよう翼を固め直して再び飛翔して見せる。

 

「――――両者、前に」


 ゲイリーの声が、響く。

 その瞬間、ひやりとした感覚が全身に走り抜けた。今さら緊張しているのかよ、と自分自身を笑ってしまう。

 イカロスの柄を握る。強く強く、痛いほどに。

 そうすると、自然と緊張の糸はほどけていった。

 そうだ、やれることはやった、今さら何を不安に思うのか。

 

「うっし――行くぞッ!」


 一人、決意を新たにするように叫ぶ!

 体調は万全だ。

 精神状態も、また。緊張しすぎず、けれど弛緩しすぎてない。

 ゆえに問題ない。ニール・グラジオラスという刃は最高の状態だ。

 一歩、一歩、前に進む。

 闘技場の入場口へ。

 逸る気持ちを抑えて、抑えて、抑えて、その熱量は戦いの瞬間に爆発させるのだと自分に言い聞かせながら前へと進む。


 ――――そうして。

 

 視線の先に、彼女は居た。

 片桐連翹。

 かつて自分を叩きのめした女であり、信頼する仲間であり――不覚にも一目惚れた女。

 彼女の右手には漆黒に塗られた長剣が一振り。左手には、金で縁取りされた蒼い盾があった。

 何かの物語の模倣――いや、連翹がよく言っている黄金鉄塊の騎士の真似か。

 彼女は己の剣を眼前に掲げるように持って瞑目している。

 心を落ち着けているのか、勝利を誓っているのか、あるいは――憧れた黄金鉄塊の騎士に助力を願っているのか。

 すう、と瞳が開かれる。

 連翹は真っ直ぐにニールを見つめると、少しだけ困ったように笑った。


「おはようニール――こういう場面に似合うなんか気取ったセリフ言おうかなって思ってたけど……思いつかなかったわ、ごめんね」

「構わねえよ。だが、それでも悪いって思ってんなら――全力で勝ちに来い」


 それを打倒してこそニールの全ては終わり、ニールの全てが始まる。

 大げさな思考だと理解しているが、それでも心からそう思うのだ。


「うん、そっちなら大丈夫そう」

「そうか、なら問題ねえ」

 

 ニールは連翹と向き合った。

 かつて初めて出会った場所で、慣れ親しんだ彼女と。おおよそ三年という月日が流れた今、再び。

 高揚があった、緊張があった、恐怖もまた僅かに。

 その全てが溶け落ちて剣と体に吸収される感覚。

 全身が研ぎ澄まさた刃と化し、鞘から抜き放たれる瞬間を今か今かと待ち焦がれている――――


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決戦開始か……ワクワクするぜ
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