278/勇者の帰還
――そうして。
日中に移動し、早朝と夜に鍛錬し、そういった生活を続け――ニールたち連合軍は女王都へと辿り着いた。
大したアクシデントはなく、行きの時のように死を覚悟するような場面もない帰路。だが、短いながらも己を高める時間は存在していた。
腕は磨いた、精神もまた研ぎ澄まされている。ニール・グラジオラスという刃は最高のコンディションになったと言っていいだろう。
ゆえに、さあ戦いだ。あの日の続きを、あの場所で行うのだ。
そう、思っていたのだが。
「うっそだろ、マジかよアレ……」
皆と共に騎士団が所有している宿舎までたどり着いたニールは、食堂まで入り周りから連合軍以外の視線が無くなったのを確認すると、壁に体重を預けてそのままずるずると地面に座り込んだ。
全身に今まで感じたことのない類の疲労がへばり付いている。
別に激しい戦いがあったワケではない。ただただ、女王都の大通りを連合軍の皆と共に歩いただけだ。その程度で疲弊するほどニールの体は軟弱ではない。
だが、今感じている疲労は体ではなく精神面。そして、普段負荷をかけていない部分に過剰なほど負荷をかけられたのだ。
座り込んで息を吐くニールに、アレックスは楽しげに笑ってみせた。
「正式なパレードの準備はこちらでしておく。無論、礼服の準備をしなくてはならんから採寸などでは協力して貰うがな」
「すまねえ、正直そっち関連は何も出来そうにねえよ……しっかし、いまいちピンと来ねえんだよな」
疲労の原因――数多の見物人の姿を思い出し、ニールは眉を寄せた。
――それは転移者の王を屠った英雄、
――狼翼の二つ名を得た二代目勇者、
――剣一本で成り上がった冒険者剣士の憧れ、
――その名はニール・グラジオラス。勇者ニール・グラジオラス!
誰だそいつ、ニールの頭に浮かんだ疑問はそれであった。どう考えても自分のことではない。
だが、行動と結果だけを抜き出せば間違いではないというのが恐ろしいところだ。無二を倒し、イカロスという銘の剣を使い狼翼の二つ名を得たのも、剣で成り上がった冒険者というのも事実ではある。
けれど、そこまで持ち上げられるような人間ではないだろう、というのがニールの正直な感想だ。得意な剣とて騎士には及ばず、言葉遣いがなっていないと怒られるような未熟者ではないか。
しかしそれでも、多くの吟遊詩人や作家はニール・グラジオラスを元ネタに作品を作り続けているのだという。
そして、ニールのことを知らない人間は大仰な話を信じてしまうらしく――女王都の大通り移動している際に、山のような見物人が来たのだ。
あれが勇者か、あれが転移者の王を一撃で斬り伏せた剣士か、どうやら騎士すら彼の剣を受け止めることは叶わないらしいぞ、それでどうやって背中から翼が生えるの? などなど。最後のは特に酷い、一体全体どうなってそうなった。
「期待が高すぎだろうが……俺をなんだと思ってやがる」
「ええー? ニール、それにしてはキリっとした顔で歩いてたじゃない。なんだかんだで嬉しかったんじゃないの?」
「うっせえよ他称姫様が。何度も会う相手でもねえし、ガッカリさせるのもアレだってだけだ」
「……おっそろしい速度で広まってて草も生えないのよね、それ。なんで皆あたしにお姫様属性盛ろうとするのよ、なんかあたしが主人公の物語さえ既にあるらしいし――亡国のお姫様って設定の」
ニールの物言いに連翹は――転移者世界の姫などと呼ばれている彼女は顔を歪めた。
オルシジームで聞いた荒唐無稽な作り話は、ブバルディアに輸出された後に吟遊詩人や商人が広めに広め――結果、多種多様のグラジオラス英雄譚が生まれたのだという。
ただ、どいつもこいつも適当に話を盛るためか、ニール・グラジオラスという名前を使っただけの別物になっていたりする。特になんだ、白い翼を羽ばたかせて戦う騎士っていう話は。もう人外だろうそれ。
「姫がピンチの時に颯爽と上空から助けに来てくれるらしいね、ふっ、くくっ……どうだいニール、そんなにガッカリさせたくないなら形だけなら魔法で再現してあげてもいいよ。思う存分決め顔で皆の前に降り立っ――ははっ、ああ駄目だ似合わないにも程がある……ッ!」
「腹抱えてんじゃねえぞカルナァ! お前だってすぐにネタにされるんだからなぁ! そん時は俺が笑ってやるから覚悟しやがれよ……っ!」
「その時はきっと君も同じようにネタにされているだろうし、痛み分けで終わるだけだと思うなぁ!」
だから一方的に殴れる間に殴っておくよ、と。
心底楽しそうに、心から馬鹿にするように笑いやがる相棒。
――斬り捨ててやろうかこの野郎。
指さして大笑いしているカルナを見てワリと本気でそう思う。
「まあまあ、ニールさん落ち着いてください。カルナさんも、さすがにそろそろ本気で怒られますよ」
二人の間に入りどうどうと落ち着かせるノーラ。
さすがに彼女を押しのけてカルナをぶった切るワケにもいくまい。ふう、と呼吸を整える。
(……まあ、逆の立場だったら俺も大笑いしてたろうしな)
そりゃもうゲラゲラと。
腹を抱えるどころか床に転がって大笑いしていたかもしれない。
自分も出来ないことを他人に求めるのは違うだろう。まだ微かに笑っているカルナの姿は素直にむかつくが、仕方ないと割り切るしかあるまい。
「つーかノーラは冷静だな、お前だってああやって注目されるのは初めてだろ」
「もちろん、緊張はしましたよ。ただ、ええっと……ニールさんとレンちゃんに比べるとだいぶマシですので……ええ、わたしは大して話を盛られてないのでわたしは楽だなぁ、と」
「早いか遅いかの違いだぁ! そんな風に『助かった』って顔出来るのも今くらいだからなぁ……!」
ニールは激怒した。この『わたしは安全圏に居ますから』みたいな顔をしている少女もまた、突拍子もない物語のネタにされてしまえと心から思う。
荒い息を吐いて、ニールは気持ちをリセットすべく天井を見上げた。下を見たら笑っているカルナが目に入ってまた苛立ちそうだ。
皆の姿を視界から外した後、静かに瞑目する。
――ニールはやりたいことをやり、やるべきと思ったことをやってここまで来た。
その結果、勇者の称号を得たワケだが――どうも現実味が薄い。
無二を倒したこと、レゾン・デイトルの幹部を倒したことは事実だ。どれだけ現実味が薄かろうと体が覚えている。
だが、騎士よりも弱いというのに、彼らよりも持ち上げられた上に救国の英雄めいた扱いを受けるのは違うと思ってしまうのだ。まるで詐欺師にでもなったような気分だ。
別にニールが存在しなくてもレゾン・デイトルは倒せた――今より犠牲が多いのか少ないのかは知らないが、ゲイリーやアレックスたちを見るとそのようなことを考えてしまう。
(――あんたも同じ気持ちだったのかね、先代)
ディミルゴが再現したという勇者リディアを思い出す。
体格には恵まれていたものの、ブライアンや港町ナルキに今も居るはずのヌイーオと比べれば細身だったその姿。
剣の才能もなく、恵まれた体形とて人類最高峰という程でもない。あの時代に強者がどれほど居たのかは知らないが、全人類でトーナメント戦などをやっても半ばぐらいで敗北することだろう。
だが、それでも彼女は仲間と共に魔王を打ち倒した。
やれることをやって、仲間を集め、必要なタイミングで踏み込む勇気を見せたから。強ければ勇者になれるのではなく、他者より弱くとも必要なタイミングで勇気を振り絞って成功を掴んだモノこそが勇者なのだ。
ならば、ニールもまた勇者なのだろう。
分不相応な夢を抱き、やれることをやって地力を高め、仲間と共に一歩踏み込んで勝利を掴んだのだから。
それを勇気と呼ぶのかは人それぞれだし、ニールはやはり自分のそれは無謀の二文字の方が似合っていると思う。
だが、無謀の中にも正しい勇気もあったのだ。
――ならば。
ガラじゃないだとか、分不相応などと言っている暇はない。
これからは勇者という肩書に押しつぶされぬよう、己を鍛え続けるしかないのだから。
「うっし、気合入れなおした! なあアレックス、闘技場はいつ頃使えそうだ?」
「――安心すると良い、もう場所は確保したよ」
がしゃり、と座り込むニールの背後から影が覆う。
見上げると禿頭の騎士ゲイリーがにこりと微笑む姿が見えた。
「『長旅の後で疲労があり、また礼儀作法に疎いためしばし勉強の時間を貰う』と言って一週間ほど貸し切った。明日にでも使えるよ」
ゲイリーの言葉に、心臓がどくりと脈打った。
明日、もう明日。
もうすぐだ、という想い。
まだ掛るのか、という想い。
それらが混ざり合って脳内でぐつぐつと煮えている。出来上がったのは高揚感だ。緊張しているワケではないが酷く落ち着かない気分になる。
「すまねえ、恩に着る」
「なに、構わないさ。それに、どちらも嘘ではないからね。決闘が終わった時に体を休めつつ最低限の言葉遣いを学んで貰うよ」
「望むところだ……つっても、見ての通りの人間だ、覚えは悪いと思うがな。よろしく頼む」
座ったままじゃ駄目だろうな、そう思って立ち上がって一礼。礼儀作法としては落第だと思うが、それでもやれることからやらねばならないだろう。
だが、それに対する返答はない。
ゲイリーは虚をつかれたように、無言でニールを見返している。
「……いやまあ、不安なのは分かるけどよ。まあ気合い入れて丸暗記するから心配すんな、慣れねえなりに頑張るからよ」
「ああいや、すまないね。不安はまあ、無いわけではなかったけれど――ただ、それ以上に少し驚いてね。ニール君はこういうのを面倒臭がると思っていたから」
そんなことより騎士と一緒に稽古をしたい、そう言うと思っていたよ。
ゲイリーはそう言って呵呵と笑う。
「……転移者の世界に行った時、連翹の親父さんにさんざん言われたからな。冒険者だから、あんま必要ねえから、ってやらない理由探しばっかしてても困るのは俺だしよ」
冒険者である以上、多少礼儀がなってなくても文句を言われることはない。
が、出来る者はそれだけ仕事の幅も増えるという。少し前までは剣に関係ないから、と思っていたが――勇者などと呼ばれることになった以上、昔のままでは居られまい。
未熟者なりに頑張るしかないだろう。
「そうか、ならニール君と連翹君、君たちはもう休むといい。細かな作業はボクらや他の冒険者たちで行うさ」
若者の成長を見て楽しげなゲイリーは、笑みを濃くして表に出て行った。
馬車から積み荷を降ろしたり、武具や荷物の点検、一緒に戦った冒険者とエルフやドワーフたちが泊まる場所の準備、そして今回の件に関する報告。やることは山とあるのだろう。
「いや、さすがにそういうワケにもいかねえだろ」
金を貰って仕事をしている以上、自分たちだけサボるワケにもいくまい。
力仕事くらいならニールにも出来るし、そのくらいはしなくてはならないだろう――そう思ってゲイリーの背を追いかける。
「いいや、休んで貰わないと困るね」
その進路を、別の巨体が遮った。
紺色のローブの上から鎖帷子を羽織った女性神官、マリアンだ。彼女は大笑しながらニールの方に歩み寄って来る。
「勇者様とこっちに味方した転移者の姫様の決闘だ。だってのに、どちらかの体調が悪いってんじゃ賭けが成り立たない」
「勇者とか姫とか、あんたまでそんな物言いを……つーかおい待て、賭けってなんだ初耳だぞ」
「はははは! これから嫌ってほど言われるんだ、今のうちに慣れておきな! それと、賭けの元締めはファルコンっていう冒険者だよ、ほら」
マリアンが指さす方向を見ると、金を受け取りながら手作りの札を手渡すファルコンの姿があった。「どうせ成功報酬がたんまり貰えるんだ! 今のうちに有り金使い切っちまおうゼぇ!」などと叫ぶ彼の周りには、冒険者や兵士、ドワーフたちが群がっている。
それを遠目に騎士たちが「まあ、あのくらい羽目を外してもいいか」と笑い、若いエルフたちが「今、あそこに有り金突っ込んだらとても冒険者っぽい気がする」と騒ぎミリアムに止められている。
あの野郎、何やってやがるんだ――と動き出すより早く、カルナがファルコンの方へと歩み寄った。
「お? どうしたカルナ。なんだよ、相棒や仲間を勝手に商売道具にすんなってか? いいじゃねえか、こんな機会そうそうねえんだしよ――」
「いいや」
短く否定の言葉を口にして、懐から何かを投擲する。
不意打ち気味だったというのに危なげなくキャッチしたファルコンは、怪訝な顔をして手元を見る。
そこにあったのはカルナの財布であった。女王都でレオンハルト討伐と行方不明者捜索の件で得た報酬が入ったそれは、女王都を出発する時に比べてだいぶ軽くはなっているが、まだまだ重い。
ためらいなく全財産を投げ渡したカルナは、得意げな笑みと共に右手を差し出した。
「僕もニールに賭けるよ、札をくれないかな」
「お、おう――いや、しかし意外だな。お前こういう賭け事はしないタイプだと思ったんだが」
「運に天を任せるような真似は好きじゃないよ。ただ、必ず増えるなら投資するのは当然だろう?」
「オレがお前の相棒じゃなくて良かったよ、信頼重すぎる」
苦笑いしながら財布の中身を確認したファルコンは、札の裏にかけ金を書き記して投げ渡す。
笑顔でそれをキャッチしたカルナは、悠々とニールたちの方へと戻って来た。ニールは、思わずカルナを睨みつける。
「おっまえ……無茶苦茶プレッシャーかけまくりやがって」
「それで委縮するタイプじゃないだろ、君は」
まあな、と相好を崩す。
プレッシャーを感じないワケではないが、ニールの場合それで気合いが入る類の人間だ。
これだけ信頼されたのなら全力で応えねば男が廃る、自分のためにもカルナのためにも一欠片とて手は抜かない。
そう心に誓うニールの内心が伝わったのか、カルナもまた楽しげに口角を上げた。
「……むう」
もっとも。
ニールと戦うもう一人にとっては、カルナの行動には不満しかなかったようなのだが。
頬を膨らませる連翹に、カルナは悪びれもせず笑みを向けた。
「悪いね、レンさん。君が頑張っているのは知っているけど、僕はニールを信じているから」
「うん、まあ……最初からそう言ってたものね。……ふんだ、いいわよ! いーわよ! 素寒貧になった時にはご飯くらいなら奢ったげるから覚悟しなさい! 貸しってヤツよ!」
「大丈夫、今のところ君に貸しを作る予定はないよ」
「ああくそこの男はホントにもぉ……! ノーラ! ノーラはあたしに賭ける予定はな――い?」
怒り狂った連翹がノーラの方に視線を向け、硬直した。
なんだなんだ、とニールたちもまたそちらを見て――ぐるぐるおめめで自分の財布を覗き込むノーラの姿を発見してしまう。
「賭け事――ゲーム――ここでレンちゃんに全部賭けて勝てたら、あちらの世界の負けもチャラに……!」
「ごめんノーラあたしが悪かったわ! 悪かったからそんな物欲に負けまくってる顔であたしに賭けないで! あたしを巻き込んで即落ち二コマ的に破滅しちゃいそうだからぁ!」
ゲンが悪いにも程があるからぁ! そう叫ぶ連翹に、ノーラはにこりと、聖女めいた温かみのある笑みを浮かべる。
「大丈夫ですレンちゃん、レンちゃんが頑張ってるのは知ってますから。それに何より――今度は勝てそうな気がするんですよ!」
もっとも、その笑みもすぐにギャンブラー属性に塗りつぶされたのだが。
大丈夫大丈夫、あれだけ負けたんだから次は勝てるはず――そんな、賭場に手を出して破滅していく人間の顔をしていた。
それはそれとして連翹を信じているのもまた事実だと思うのだが、あの顔を見ると不安になる気持ちはとてもよく分かる。
「それダメなヤツ! あたしにも分かるわ、それ絶対ダメなヤツだからぁ!」
「カルナ、止めて来いよ。お前の彼女だろ、アレ」
「ああ、うん……そうする」
カルナと連翹が二人がかりでノーラの説得を開始しだすのを見て、締まらねえなあと笑う。
翌日にはニールが求めて来た瞬間が訪れるというのに、緊張感が欠片もない。
だが、それで良いのだろうと思う。
実力を十全に発揮するには自然体が一番だ。緊張が抜け切るのもどうかと思うが、本番前になれば自然と緊張するモノだ。
なら、これでちょうど良い――
「ノーラがそこまで言うなら仕方ないわねぇ! あたしに対してあたしの全財産とノーラの魂を賭けるわ!」
「おいコラちょっと待てお前ぇ! なんで逆にお前が説得されてんだぁ!」
――本心からそう思ったのだが、何をやらかすつもりだあの馬鹿女は。
財布を手にファルコンの方に駆け出した連翹を止めるべく、ニールは全力疾走を開始した。




