277/鉄のように硬く、黄金のように輝いて
連合軍はブバルディアに寄ってから北進中。
馬車の周辺で転移者やモンスターの襲撃に警戒しながら、ノーラはブバルディアで出会った研究者たちのことを思い出していた。
――ノーラの研究者や医師に対するスポンサーになりたい、という言葉の反応はあまり芳しいモノではなかった。
それも当然だろう。歳若い娘が突然そのようなことを言ってすぐに信用するはずもない。
それでも十名ほどの人間がノーラの誘いに乗ったのは、彼女を信じたというよりも他に選択肢がなかったからだ。
王冠に謳う鎮魂歌の庇護下でなんとか研究と生活を両立していた者たちは、彼の戦死という形でその安定は崩れた。
王冠のように資金援助をしてくれる人間を探そうにも、医学という技術は神官の奇跡に比べて下に見られているため、探すのは困難。ゆえに、ノーラを信じたというより藁にもすがる思いで手を伸ばしたという方が正しいのだろう。
「それでも構いません。今のわたしでは信用されないのは当然だと思いますから」
一先ずディミルゴから授かった、対外的には転移者の世界から持ち帰ったことにしている『無私の黄金』から出した金を換金し、研究者たちの当座の資金とする。
所有者が相手に与えるという形でしか利用出来ず、私利私欲のために使えば破滅する呪いをかけられたそれを使いながら、ノーラはこの縛りがあってむしろ良かったと安堵していた。
(……これさえあればなんでも――と思ってしまいますからね)
金は汚いなどと言うつもりは無い。金銭に執着することも、また。金なんて無くても、などと思えるほどお花畑ではないのだから。
だが、膨大すぎる金は倫理観や価値観を歪めるのもまた事実だと思う。
もしもこのお金を自分の好きなように使えたらと思うと全能感めいた想いが沸き上がって来るし、なぜあんな縛りをつけてしまったのかと後悔する想いもある。我がことながら俗物ですね、とノーラは苦笑いを浮かべた。
きっと、これで良いのだと思う。
人間とは善性のみの生き物ではなく、悪性のみの生き物ではない。どちらも胸の中にあって、常に天秤を揺れ動かしながら生きる生き物なのだと思うから。
どちらにも傾き過ぎていない今のような状態が、きっと人として安定しているのだと思う。
「ったく――そんなに危険はねえと思うが、あんまボサッとすんなよノーラ。任された仕事はしっかりやれ」
物思いに耽っている最中に、とすんと背中を小突かれる。
慌てて振り向くとニールが小さくため息を吐きながらこちらを見下ろしていた。
そして、あ、と思う。
ブバルディアでのことばかり考えていて、周囲の警戒をまるでしていなかったな、と。
「あ、あわっ、ごめんなさいニールさん! 気を付けます!」
「ま、ノーラなら繰り返さねえだろうしこれ以上言わねえよ。連翹辺りだったら背中を蹴り飛ばしてやってたが」
レンちゃんも女の子なんだからやめてあげたらどうです? そう思ったがその言葉を飲み込む。
傍から見ていて二人のコミュニケーションは男女としてどうなんだろうなー、と思うことは多々とある。だが、連翹は連翹でそこまで嫌がっている様子が見えないので咎める方が無粋だ。ただ、本気で嫌がり始めたらちょっと強めにニールを怒ろうと思っている。
無論、茉莉や桜大と出会ってから改善しようとはしているみたいなのだが――
(女性の機微に敏いタイプではないですからね……)
――元々がアレですからねえ。
周囲の警戒を行いながら、心の中でそっとため息を吐く。
そういう部分が連翹に上手く嵌ったのかもしれないが、時折同じ女性として『ねえレンちゃん本当にそれでいいんですか?』と問いかけたくなることもある。
顔と言動のワリに比較的常識人なのだが、女性の扱いがもう本当に壊滅的だ。剣ばかり鍛えていて、そういった部分を全く鍛えなかったんだろうなと思う。けっこうな駄目人間だ。
(でもまあ、そういうこと言いだしたらカルナさんだって十分駄目人間ですし)
そんな彼と付き合っている自分は一体どうなんだ、という話になる。
当人が聞いたら心外だと怒りそうだが、あの人は魔法と外面に特化してるんじゃないかと時々思う。
悪い人ではないしこちらを気遣ってはくれるし、その辺りは素直にありがたいと思っている。だが、それ以外がけっこうポンコツなんじゃないかなぁ、とも思うのだ。
だが、そんなことを言い出したらノーラとて実力が足りない癖に無茶をする駄目人間である。
ちゃんと周囲を警戒しながら、小さくため息。
どう考えても人のことをとやかく言える身分ではないな、と心を戒める。
けど、それはそれとしてカルナは放置していたらどんどん変な方向に行きそうな予感というか確信があるので、ちゃんと彼に物申せるくらい努力しないとなと思うのだ。
ノーラが無力で怠惰な人間になれば、カルナは簡単に見限る。そんな確信があった。それは嫌だなと思うから、もっと頑張ろうと思うのだ。
「そういえばニールさん、ご両親には合わなくて良かったんですか?」
もう見えなくなったブバルディアの方に視線を向けながら、ノーラはふと思い浮かんだ疑問を投げかけた。
ニールが家に帰り辛い理由は聞いている。
だが、勇者と呼ばれる程の成果を出したのだ。帰ったところで疎まれることはないだろうと思うのに。
「ん? ああ……そうだな、何か大きなことを成したら帰ってきてもいい、とは言っていたからな」
普段より、だいぶ歯切れの悪い物言いであった。
ニール自身、考えている最中なのかもしれない。しばしの間、天を見上げ瞳を細めていたニールは、一人小さく頷いて見せた。
「やることやり終えて、拠点にしてた町の顔見知りに挨拶した後に行く――ことにする」
今行ったら気が抜けちまいそうだ、とニールは若干後ろめたそうに笑った。
その言葉の半分は本心なのだろうが、行かない理由があってホッとしているのだろう。それゆえに、言い訳をしているような気分になっているのだ。
「大丈夫ですよ、ちゃんと顔を出すのなら。ただ、あんまり先延ばしにはしない方がいいですよ。こういうのって後にすればするほど踏み出し難くなるものですから」
「まあな――つか、けっこう実感籠ってるな」
「ええ。女王都を目指す時も、ここで踏みとどまったら二度と行けない気がする――そう思って一人馬車に飛び込んだワケですから」
今踏み留まったら賢しい考えで村に籠り続けるか、司祭や同室の友人に感づかれて止められるかの二択だと思った。
だから、こう、今しかない! という想いで書置きだけ残して馬車に飛び込んだのだ。
(……今思うと、色々と無計画だったんですけどね)
女の一人旅というだけでも危険だというのに、旅慣れていないのだ。教会で書置きを見つけた皆は、どれだけ驚き、そして心配したことだろう。今更ながら罪悪感が膨れ上がる。
だが、その結果カルナとニール、そして連翹と出会えたのは幸運だった。
ニールもまた同じことを考えたのか、珍しく苦笑いを浮かべている。気持ちは分かる。この出会いが無ければ、ノーラ・ホワイトスターという小娘が活躍するどころか無事に女王都まで辿り着けたかも怪しい。
「俺が言うなって話になるのは分かってんだが、ノーラの場合は踏み出す勇気よりも踏みとどまる勇気を持った方がいいんじゃねえの?」
「本当にニールさんが言って良いセリフじゃないですね……けど、ええ。ディミルゴ様にも窘められましたし、ちゃんと気をつけます」
そうか、と楽しげに笑うニール。先ほどの後ろめたさはもう無いようで、適度にリラックスしながら周囲の警戒をしている。
その様子を見て、ノーラは安堵の息を吐いた。
やはりニールという男は思い悩んでいるより、やりたいこと、やるべきことに真っ直ぐ意識を向けている方がとてもらしいと思うから。
(――だから、思うんですよね)
どうか、互いに納得のいく決着であって欲しいと。
ニールと連翹との戦いにおいて、ノーラは連翹の方を応援している。同性であり、気心も知れていて、最近はとても頑張っているから。ちゃんとその成果が出ればいいな、と思うのだ。
だが、だからといってニールに負けて欲しいと思っているワケではない。
彼もまた友人であり、大切な人だ。あれだけ剣を愛し、努力して来たのだから負けて欲しいなどと思えるはずがないではないか。
だが、勝負とは常に二者択一。すなわち、勝つか負けるか。競い合う以上、勝者と敗者の間には明確な線が引かれるのは当然のことだ。
叶うならどちらも勝利して欲しいが、それが不可能な願いだということくらい理解している。
だからこそ、互いに全力を尽くした上で、納得のいく結末を。
一対一の戦いである以上、ただの傍観者に過ぎないノーラは、そう願う他なかった。
静かに前を向く。
街道を複数の馬車が連なって移動し、その周囲を固めるように兵士や冒険者、そして騎士が行軍している。
アースリュームやオルシジームに寄らずに行く帰り道は、行きよりもずっと早く女王都へと向かっていた。
◇
「ねえカルナ! これってどうすればニールから隠せると思う……!?」
カルナが周囲警戒の仕事を終え、ファルコンと交代してしばらく経った頃のことである。
馬車内で休憩中に、大きな鉄の板を持った連翹が突然カルナの方に飛び込んで来たのだ。
「突然なに――ぐむ、いや、そうか。盾か、これは――むぐっ」
顔にぐいぐいと押し付けられる鉄の板――即ち盾を押し返そうとして失敗しながら呟く。
正直、武具に関しては素人に毛が生えた程度の知識しかないが、盾に関しては多少知っている。回路を作るために中古品の安物を探した時に、盾と一口に言っても様々な種類があるのだなと思ったものだ。
連翹がカルナに押し付けてくるそれは、前にカルナが購入した軽量のラウンドシールドとは違う、ヒーター・シールドと呼ばれる盾であった。
アイロンの底を巨大化させたような見た目のそれを突き出せば、上半身など簡単に隠せてしまう。実際、ぐいぐいと押し付けられている現状、連翹の顔が見えない。押し返そうにも連翹は転移者の規格外を取り戻しているのだ。
結果、そのまま馬車の隅っこまで押し込まれてしまっている。正直、けっこう苦しいし痛い。
「……というかレンさん! いい加減に押し付けるのを止めてくれないかなぁ!?」
「うわっ、とと、ごめん。実はちょっと焦ってて」
「うん、それは物理的に伝わった」
慌てて盾を引き戻しながら謝る連翹を見ながら己の頬を撫でる。ぐいぐいと押し付けられてまだ若干痛い。
「それで? 一体どうしたんだい? その様子では、ニールと戦う上での秘策を聞きに来たワケじゃなさそうだけれど」
「うん。というか、仮に聞いたとしても教えてくれないでしょカルナ。あたしよりニールの方が大好きだものね」
「……間違ってはいないけど、その言い方は誤解を招くから止めて欲しいなぁ」
確かに連翹よりニールを優先するし好感を抱いてはいる。だがそれは友情であって決して愛情ではない。
拠点にしていた港町ナルキでも似たような噂は流れていたらしいが、そんなにホモ扱いされるような見た目なのだろうか?
「たぶん、女を遠ざけてる癖にニールとかとは楽しそうにしてるからじゃない? ノーラ居なかったら連合軍のホモ担当扱いされてたかもしれないわね」
「なんだよその担当、どんな仕事をするんだよホモ担当――いや、違う、色々聞きたいのは山々だけれど、そうじゃない」
危うく会話がホモのみで終わるところだった。危ない。日本に転移した時、ニールとエロ談義だけで会話を終えてしまったことを思い出すが、同じ轍を踏むはずもない――カルナは常に成長しているのだから。
自身に満ちた笑みを浮かべて見せるが、対面の連翹は物凄く微妙そうな表情を浮かべていた。より詳しく言えばとても残念な人間を目撃したような顔だ、とても解せない。
「なに考えていたのかは知らないけど、この会話の脱線っぷりでそんなドヤ顔決められても――まあいいわ、ちょっと相談があるのよ」
「構わないけれど、僕に相談していいのかい?」
さっきも言った通りニール側だぞ、と問いかける。
連翹を邪険に扱うつもりはないが、だからといって肩入れするワケでもないのは伝わったはずだ。
彼女からしてみれば、カルナは対戦者側の人間。もっとニールに情報を流されることを恐れるかと思っていた。
だが連翹は、「ああ、そんなこと?」と微笑みながら首を振る。
「ニールが強くなる方法に気づいたらアドバイスとかはするだろうけど、あたしがこれこれこんなことやってるから、こんな風に動くと完封できるぞ――みたいな話をしてもニールが喜ばないことくらい分かってるでしょ?」
「まあね」
ニールがすべきことは今以上に剣術を磨くことであり、連翹がすべきことはそんなニールをどう対処するかことである。
そんな中、カルナがスパイ紛いなことをして情報をニールに流し続けていたら連翹の勝ちの目はなくなる。
――ニールは、きっとそれを嫌がるはず。
それはカンニングと一緒だから。
無論、本気の殺し合いであればニールもそのようなことを考えないだろう。皆の生き死にがかかっている以上、優先すべきは仲間の命だと彼は思うから。
だが、今回は違う。ニールは本気で戦うつもりだが、それは本気で試合うための本気。勝ちたいとは思っているが、必ず勝たねばならない戦いではないのだ。
ニールとて連翹がどのように戦うのか想像はするだろう、それに対処する鍛錬もきっと行っているはず。だが、それはあくまで己を高めることの延長線に位置するモノ。
己の全力があの日の転移者にどれだけ届くか、否、届かせるのだ。絶対に勝利を掴み取る――そう強く強く願って錬磨しているからこそ、相手の手札を覗き見るような真似を許せない。
それでは勝った時に手札を覗いたからだと思い、納得できないから。
(本当に、剣士っていう生き物は度し難いね)
カルナであったら魔法を主軸にしつつも使えるモノはなんでも使う。それこそ、連合軍の皆に金でも握らせて連翹の動向を調べさせていたはずだ。
相手の手札を覗き見ると納得できない? 馬鹿が、覗き見れる場所に手札を晒している相手が間抜けなのだ。自分を高め、相手を観察し、最も有効な手段を模索する。可能であれば食事に薬を盛るし、それで痛むような心は持っていない。対策していない方が悪いのだ。
魔法が大事なのは確かだが、それに固執しすぎて敗北したら意味がない。だからこそ、カルナは魔法使いでありながら鉄咆という装備を使っているのだ。
だが、ニールがそういう人間ではないことくらい理解している。
仮にカルナが先ほど想像したようなことをしてニールを勝利に導いたとしたら、彼はカルナを絶対に許さないだろう。『お前は俺が願い続けた戦いを汚しやがった』、と。
(それは、嫌だな)
敵対者や見ず知らずの人間にいくら嫌われても心は痛まないが――ニールたちや連合軍の皆にそう思われるのは、正直耐えがたい。
ニールは唯一無二の友だ。プライドが折れかかっていた時、同じ夢を抱いている男と出会えたことを、その男に認められたことを、カルナは片時も忘れたことがない。だからこそ、ニールのことも考えて己の行動を決定しなくてはならないのだ。
本当に、付き合いが増えるのは、友が増えるのは面倒だ。正直、邪魔とすら思うことさえある。
一人なら、もっともっと自由であれたのに。
一人なら、好きなように求道し続けられたというのに。
だが、それでも――今の自分は悪くないと思うのだ。
「それで、相談はたぶんその盾のことだよね。分かっているとは思うけれど、僕は武具に関してはほぼ素人だよ」
「うん、それは知ってる。あたしが相談したいのはね――」
そう言って、彼女は盾を指さした。
「――これ、どこに隠したらいいと思う?」
「真面目に相談を聞くつもりだった僕の気持ちを返してくれないかな?」
「ワリと切実な悩みなんですけどぉ!? だってこれ持って一緒に野営とかしたら、あたしのやろうとしていることが一発でバレるじゃない!」
「いや、ニールだって君が盾を使って来る可能性くらい考えて――いや、そうか」
可能性があるのと確定とでは天と地ほどの差がある。
後者であれば対盾使いの鍛錬に集中すれば良いが、前者であれば考えつく限りの対抗策を身につけなくてはならない。
ゆえに、可能な限りニールに情報を与えたくないのは当然のことだろう。技も経験も劣っている以上、少しでも勝率を上げようとするのは当然のことだ。
「なるほど。そして、下手に知り合いに渡しても怪しまれる――か」
「そうなの。そもそもこの世界って盾の地位低いじゃない? なのに突然そんなモノを持ちだしたら違和感ありまくりでしょ。預かり物にしたって誰から受け取ったんだってニールは思うだろうし、そこからあたしだって感づいちゃうでしょ?」
確かにね、と頷く。
普段盾を持っていない戦士が突然そのようなモノを手元に置いていたら魔法使い目線でも目立つ。ならば、剣士であるニールならばもっと強い違和感を抱くことだろう。
そして、『今、この瞬間に盾を持とうとするのは誰か』という疑問の答えにも、簡単に辿り着けてしまうはずだ。
ゆえに、戦士に盾を預けることは出来ない。
だが、連翹が気が付いていない選択肢が一つある。
「冒険者や騎士、兵士に渡そうとするから目立つんだよ。こういうのを持っていても目立たない人は居るだろう」
「ええー? 確かにマリアンとか大盾構えるのすっごい似合いそうだけど、それはそれで目立つような……」
「従軍神官のことじゃないよ。というか戦う人から離れて」
そうだ、戦う人間が新たに盾を用意しているから目立つのだ。
戦士が今現在の戦闘スタイルにそぐわない武具を持つということは、完成された絵画に素人が絵を付け足すようなモノ。ニールに秘密で預かって貰う相手には相応しくないだろう。
ゆえに、預けるべきは戦う者ではなく、武具を持っていても不審に思われない者だ。
「……ねえカルナ、そんな都合のいい奴なんて居るの?」
胡乱な眼差しを向けて来る連翹に「もちろんさ」と頷く。
というか、まだ気づかないのだろうか。連翹とて交流のある相手だろうに。
「――デレクたち工房サイカスの面々さ。ほら、非戦闘員かつ自分が使わない武具を持っていても違和感がないだろう?」
ドワーフの鍛冶師たち。
彼らほど武具に囲まれていて違和感のない者たちはいまい。
◇
「お邪魔しまーす、アトラちゃんやっほー! 元気ー!?」
「ん、連翹さん、いらっしゃい。アトラは元気」
ハイテンションな連翹が掌を突き出し、ローテンションながら楽しげなアトラが掌を合わせる。
どうやら連合軍の女性の中で一番波長が合うらしく、時たまこのように会って一緒にはしゃいでいるらしい。先ほどのハイタッチから流れるように「おちゃらかほい」などと言いながら手遊びを開始しているのを見る限り、普段からこんなノリなのだろう。
二人のテンションに混ざれず一歩引いた場所でどんどん高速化している手遊びを眺めていたが、どうやら勝負がついたらしい。がくりと連翹が膝をついた。
「く……小学生くらいの頃はそれなりに強かったし、最初の頃はあたしの方が強かったのに――今はもう全然勝てないわ。やるわねアトラ……!」
「ふふん、どんどん成長して、大人になってるから、ね。たぶんもう連翹さんより、大人」
「さあ、それはどうかしらね。あたしはまだ大人の女子力を開放しきってないんだから……!」
いやあ、あんな手遊びをしてる時点で十分子供だし、レンさんも言動が大人の女性感ゼロだよ。
そんな言葉が脳裏を過ったが、思うだけに留めておく。口に出したが最後、連翹とアトラが敵に回る未来しか見えない。
「あ、ところでアトラアトラ。故郷に転移した時にアトラが好きそうな絵が描かれたの買って来たの。スカイツリーの戦国モノ売ってる場所でね、こんな感じの六刀、というか六爪流のスラっとしたイケメン武将が描かれたポーチ! アトラこの手の背が高くて細身のイケメン好きだったはずよね!」
ホントは銀髪キャラの方がいいかなって思ったけどあそこでは見つからなくて! と自信満々に言う連翹の姿に、カルナは「うっ……!?」と居心地の悪さを感じていた。
確かにアトラが銀髪長身細身の男に憧れていたのは事実なのだが、結果的にカルナは憧れは憧れだと突き付けてしまったから。
このタイミングで蒸し返されると、居場所がないというか――!?
「連翹さん、そういうのに、憧れる時代はね、過ぎ去ったの」
だが、アトラはそのようなこと気にしていないのだろうか、髪をかきあげて憂いに満ちた表情などを浮かべていた。気持ち、得意げに。
マウントだ。マウントを取っている。自分の方が大人であるのだと!
気にしていないのは理解したし、安心もしたけれど、それはそれとしてその行動はどうなのだろう。
「え、嘘、過ぎ去るのはっやい……!? さすがドワーフ、大人になるスピードぱないわね! あたしも負けてられないわ……! 待ってて、いつか赤いカクテルドレスを着て窓際で黄昏るっていう大人っぽいアクションで度肝を抜いてやるんだから……!」
「ふふん、楽しみにして待ってる、から……!」
その姿はまさに挑戦者とチャンピオン。悔しげに再戦を申し込む連翹に対し、アトラは悠然と笑みを浮かべている――!
「あ、それはそれとして、そのポーチ、貰っても、いい?」
「あ、もちろん。どうぞー」
「うん、ありがとう――まあ、うん、現実に憧れるワケじゃない、なら……ね?」
直後、普通にお土産を受け取る姿に脳の処理速度が追い付かない。テンションと会話の流れが独特過ぎる……!?
なんで女同士の会話ってあっちこっちに行ったり来たりするのだろう、もっと順序だてて喋れよと思う。
「はあ……デレク、ちょっといいかい?」
重い溜息を吐き、女性同士の低次元バトルを放置してカルナはドレッドヘアーのドワーフに声をかけた。
彼は彼で女同士の交流に混ざれるはずがないと最初から連翹たちから離れて工房のドワーフたちと雑談していたらしい。ああ? と面倒くさそうにこちらに視線を向けて来た。
「おう、どうした魔法使い? 鉄咆でもぶっ壊したか?」
「いいや、そこまで激しい戦いをしてないからね。用があるのは僕じゃなくて――レンさん、そろそろ当初の目的を思い出して欲しいんだけれど」
理想の大人の女論をに熱中しだした二人を諫めた。
それで当初の目的を思い出したのか、連翹はアトラに手を振りながらこちらに駆け寄って来る。
「ごめんごめん、せっかく一緒に来てくれたのに――あのねデレク、ちょっとお願いがあってね」
そうして先ほどの会話と共に背負っていた背負っていた盾をデレクに手渡あいた。
連翹よりも小柄なデレクであったが、やはりドワーフらしく怪力で揺らぐことなく受け取る。なるほどなぁ、と言いながら盾を矯めつ眇めつ眺め出す。
「これを預かるのは構わねえぜ、大した荷物じゃねえしな。けどよ、どうせ俺らに預けるんだ、何かやって欲しいことはねえか?」
「何かって? ごめん、あたしあんまり鍛冶屋に装備預けた経験ないからよく分かんないのよね」
「道中にいじる程度だから大したことは出来ねえが、バランス調整だとか磨いたり削ったりとかだな――てか、けっこう装備を大事にしてるんだな。冒険者やってりゃ装備を預けて修理することくらいあるだろ」
「あ、ううん、違うの。規格外パワーで適当にぶん回したら折れたり曲がったりはしてたわ。けど、モンスターは簡単に倒せるからお金はけっこう簡単に手に入っちゃうじゃない。なら、修理するより新品買っちゃえーって――」
「あ?」
「――い、今は自分にあった剣を使ってるし、ちゃんと大事にしてるから。ごめん、お願いだからそんなに怒らないで」
デレクに睨まれて後ずさる連翹を、というより彼女が吊るす剣に視線を向けた。
分厚い肉厚な長剣。リディアの剣で使われるモノよりも太く、頑強な刃。なるほど、と思う。趣味で作ったオーダーメイドというより、頑丈にする必要があったからこうなったのか。
(考えてみれば、レンさんの趣味ならもっと細身で綺麗な剣とか選びそうだしね)
日向の刀とか、緻密な細工が施された豪奢な剣とか、無駄に細長い剣とか。
もしかしたら、過去に手を出したこともあるのかもしれない。だが、たぶん全部駄目にしたのだろうなと思う。お気に入りの剣を持って意気揚々とモンスターと戦闘し、勝利したものの剣がへし折れて泣いている姿が容易に想像できる。
「しかし、やって欲しいことね――それじゃあ赤く塗ったりしてくれない?」
「赤に? いや、構わねえが――赤かぁ、本当に塗りたいのか?」
「ふえへへへっ、冗談よ――あ、ごめん、引かないで! なんだこの気持ち悪い女みたいな顔しないで! 悪かったってば! 一度こういうやり取りしてみたかったのぉ!」
――しかし、本当に大丈夫なのだろうかこの女。
普段通りというか、緊張感が無いというか、本当にニールと戦う準備をする気があるのかと問い質したくなってくる。
「それじゃあ、そうね――青、というか藍色っぽい感じで、縁は金で……は、無理よね。なんか近い色に塗ってくれない?」
さすがにそろそろ窘めておくべきかと思った頃に、連翹は真面目な表情でそう言った。
先程の会話と似たり寄ったりではある。
だが、その瞳には先程までには無かった真剣さがあった。
「色々頼んじゃって申し訳ないんだけど、時間がある時でいいから、剣の方も黒く塗ったりできない? 形までは変えなくていいから――というか、今更バランスを変えられたら慣れる前にニールと戦うことになりそうだし」
「さっきから色の話ばっかで、鍛冶屋の仕事じゃねえ気がするが――ま、やってやる。けど、それで何が変わるってんだ?」
「んー、ざっくり言うなら、気分、かしら」
傍から聞けばふざけているとしか言いようのない言葉。
だが、連翹の眼は真剣そのものであった。
馬鹿げているのは百も承知。だが、それでも今の自分にはそれが必要なのだと。
「襤褸を着てても心は錦とは言うけど、やっぱりあたしは影響されやすいタイプだから――そうやって憧れに近づきたいの」
「なにか、憧れてる人、いるの?」
「うん。偽物でも空想でもない、他人の妄言から産まれた英雄。初めは英雄どころかただの頭のおかしい人だったのに、色々な人の手を借りて物語の中とはいえ本物の英雄になった人」
連翹は語る。
それは、様々な世界に紛れ込んで盾を構えながら皆を守る主人公。
強くて面白くて人気者なのだが、調子に乗りすぎて震えていることもある――そんな、有頂天な人。
今はもうブームは過ぎ去ってしまったものの、それでも連翹はそんな彼に憧れているのだと。
その英雄の名は――
「黄金鉄塊の騎士――その剣と盾、それを模したいの。凄い人なのよ? 少なくとも、あたしの中では盾を扱う英雄の中では一番凄い人なんだから」
そう言って微笑む連翹を見て、カルナもまた口元に笑みを浮かべた。
なるほど、力を借りるのなら打ってつけの相手だな――そう思ったがゆえに。
それは、彼女もまた頭のおかしい偽物であったから。
しかし、出会いを経て、交流を重ね、彼女自身もまた努力をしたがゆえに、片桐連翹という少女はここに居る。それは、奇しくもその黄金鉄塊の騎士が英雄となった流れのようだ。
(さて――ニール、この戦いは君が思っている以上に厳しいかもしれないぞ)
今の連翹は、ニールへの罪悪感だけで戦うワケではない。
憧れた英雄の力を借りて、自分もまた同じように飛翔すべく勝利を求めている。
無様な真似など、出来るはずもない。
ニールのために、
黄金鉄塊の騎士のために、
そして自分のために、
そして――ニールたちに相応しい片桐連翹であるために、彼女は全身全霊を出し尽くすことだろう。
想いだけで勝利を掴めるほど戦いは甘くはないが――拮抗した状況を打ち崩す切っ掛けもまた人の想いであるのだから。




