275/本気で――
帰路は比較的穏やかな道のりであった。
襲撃が無かったワケではない。レゾン・デイトルの残党、または『レゾン・デイトルの王などより自分の方が強い』と思い込んでいる転移者が何度か襲って来たものの、もはやあの程度の相手に苦戦するはずもない。
無論、攻撃が直撃すれば即死しかねないのは今も同じ。現地人と転移者の身体能力差は、どれだけ戦いなれたところで埋まるモノではないのだから。
だが、スキルや転移者の身体能力を独自の技に昇華したワケでも、戦術を用いてこちらを圧殺しようとしたワケでもない以上、敗北の可能性は無きに等しい。
「なんというか、アレね。序盤のボスが色違い雑魚としてたくさんエンカウントしてる時みたいね」
「意味は分からねえが言いたいことは分かるな」
ゆえに、今も。
無法の転移者集団に襲われているというのに、誰一人として悲壮感を抱いていない。
けれど決して、騎士たちが、冒険者たちが、エルフとドワーフの戦士が倒している転移者たちは雑魚ではなかった。
スキルを使い慣れて、戦い慣れて、奪い慣れて、殺し慣れている。幹部程ではないが十分強者と言って良いだろう。
少なくとも、ほんの数か月前に死闘を繰り広げたレオンハルト――彼よりもずっと強い。クエストを受けた直後のニールがこの転移者たちに襲われていたら、為す術もなく敗北していたはずだ。
そう、ほんの数か月前ならば。
「この――現地人風情がぁ! 『ファスト・エッジ』……!」
「うるせえよ、素人風情が」
油断はしない。
慢心も、また。
されど、必要以上に力む理由も気合を入れる理由もなかった。
転移者が神速で踏み込み、袈裟懸けに剣を振るう。さすがスキルによる斬撃だ。ニールの斬撃どころか騎士たちのモノよりも鋭く、疾い。
初見であれば為す術もなく斬り殺されていたことだろうそれをイカロスで受け流す。ぎゃり、という硬質な音よりも速く地面を蹴り、すれ違いざまに首を落とした。そして鮮血が噴き出すよりも跳躍、魔法スキルを使おうとしていたらしい転移者の脳天に刃を叩き込む。
一刀で両断してすぐ、ニールは剣に闘気を纏わせ――
「模倣秘剣――虚鏡」
――気配のする残像を解き放つ。
狙うのはエルフの若者たちを囲んで叩こうとする転移者どもだ。
剣を右肩に背負うようにして疾走する残像。だがしかし、数メートルも進まぬ間に輪郭はぼやけ、溶けるように消えていく。
だがそれでも気を逸らす役目は果たせたらしい。僅かな隙に援護に回ったノエルが、霊樹の剣を振るい一人、二人、と流れるように斬り捨てて行く。
「……ああくそ、駄目だな。やっぱこの手の技は上手く行かねえ」
記憶が鮮明な内に無二の技を模倣しているのだが、やはり難しい。
雷切に関しては相性が良いのか、ある程度の模倣は出来る。
無論、無二のように使いこなせはしないが、単発の必殺技としてなら問題なく扱えるのだ。
だが、他の技は駄目だ。先ほどのような不完全な模倣であれば出来なくはないが、あのような有様では真っ当な戦士には通じはしないだろう。
大きくため息を吐く頃には、戦闘音は絶えていた。兵士たちが死体を火葬する準備をしていたので、ニールもまた自身が斬り捨てた転移者の死体を掴んで一か所に集めていく。
帰路は順調だ。
そう遠くない内に、ニールの念願は叶うことだろう。
「そうだ。ねえ、ニール」
「あ? なんだよ」
転移者の遺骸が燃えるのを眺めていると、不意に連翹が問いかけて来た。
怪訝な顔で顔を向け――しかし、彼女の真剣な眼差しに表情を引き締める。どのようなことを聞いてくるかは分からないが、相手の本気にはこちらもまた本気で応えなければならないだろう。
「女王都に戻ったら、あたしたち戦うワケじゃない?」
「まあな……どうした? 戦いたくない、ってワケじゃねえんだろ」
「うん。というか、今回はあたしが選択する権利はないでしょ。やれるだけのことを全力でやるだけだって思ってるわ」
あたしが聞きたいのはね――連翹はそう前置きして、ニールの瞳を見つめた。
「ニールがあたしに求めるのは実力を出し切るための本気? それとも勝つための本気? それだけは知っておきたくて」
その問いかけに、ニールは迷うことなく頷く。
「当然、勝つための、だ。無二とは互いの全力を出し切るために戦ったが、戦場で戦う者としては俺もあいつも落第だったしな」
剣とは、何をするための道具だ?
敵を倒すため? 大切な人を守るため? 装飾を施して権力を誇示するため?
それら全ては一面において正解であり、一面においては間違いだ。
ニールは思う。結局のところ剣とは斬るための道具、殺すための道具なのだと。どれだけ剣という概念を装飾しようとも、根っこは決して揺らがない。
牙も爪も持たぬ存在が石、木、金属――それらで拵えたモノ、自分よりも強靭な相手を打ち倒すための長大な刃物。
で、あるならば――
「俺は全力でやる、全力でお前を斬る、だからお前は好きに抗え。技術を競い合うのは嫌いじゃねえが、自分より劣った相手にそれを強要は出来ねえからな。昔、獣人が鉄剣を卑怯だって言ったらしいが、劣った地力を何かで埋めるのは当然の工夫だと俺は思うぜ」
「自分より劣ったって……言ってくれるわね」
「なんだ、違うのか?」
「……ううん、事実よね。実際のところ、いまさら素振りや試合を何度繰り返したところで、戦う日までにニールに追いつけそうにないもの」
不満げに口をとがらせる連翹を見て、ニールは笑みを浮かべた。
それはその仕草が子供っぽくて可愛らしかったから――だけではない。
連翹がニールよりも劣っているのだと言われ、本気で悔しそうにしていること。それが嬉しくてたまらない。
どうだ、あの時の路傍の石は既にお前を見下ろしているぞ。
どうだ、ニール・グラジオラスという男は凄いだろう。
そんな子供っぽい優越感が溢れて止まらない。
あの時の少女にこうも意識されているという事実に今すぐ踊り出したいくらいだ。
(――まだだ、まだ)
溢れ出さんとするその感情を、深呼吸して落ち着ける。
全ては勝利した後の話だ。ここでいい気になって敗北したら、ニールは一生後悔する。
油断はしない、
慢心も、また。
そして力みすぎない程度の緊張感を維持しながら、あの日の続きを行うのだ。
◇
太陽がその役目を終え、天上には静かに月が浮かんでいた。
その儚い明かりを補強するように、焚火が燃える。パチパチと爆ぜる音が不思議と心地よく響く。
「二人が居ないと静かだね」
「だな」
カルナの言葉に頷きながらコーヒーを啜る。店などで飲むモノに比べてだいぶ苦みが強くなってしまったが、ちびちびと飲む分には悪くない。
向かいに座るカルナも、白い息を吐きながら同じようにコーヒーを啜っている。
今、この場に連翹は居ない。ノーラも、また。夕食を終えると、ふらりと誰かに会いに行ってしまった。
だが、それを寂しく思うことはない。
連翹がどのような目的でこの場を離れたのかは理解しているため、むしろ嬉しいくらいだ。付き添いにノーラも一緒に行ってしまったため、カルナには悪いことをしたとは思うのだが――
「大丈夫さ。というか、あっちにも味方が居ないと不公平だろう?」
見透かしたように、相棒は微笑んだ。
「ニールとレンさん、どちらも友人だけれど――どちらかに肩入れするならニールを選ぶからね。なら、ノーラさんはあちらに居た方がいいさ」
「女より男を選ぶのは不健全なんじゃねえか?」
「相棒の敗北を願うよりはずっと健全だろう?」
それもそうだ、そう笑いながらコーヒーを飲み進める。
あまり夜は得意では無い以上、もう少し長く起きていたいのならこの手の眠気覚ましは必須だ。仮に酒なんて飲もうものならアルコールの許容量に達する前に眠気の許容量に達して眠ってしまう。
「――それはそれとしてよ、カルナ」
カップの中身が半分くらいになったころ、ニールは先ほどから地味に気になっていたことを問いかけた。
「そこに陣取ってるぬいぐるみはなんだ……?」
寒空の下、焚火で暖を取っている――そんな風にちょこんと座っているぬいぐるみ。恐らく地球産であろうそれは、つぶらな眼で焚火を見つめていた。
なんだろうアレは。可愛らしいのは確かだが、この場の空気に全くそぐわない。だというのにここに居るのが当然とばかりに座るぬいぐるみの足元には、土で汚れぬよう布が敷いてある。至れり尽くせりか。
「えびふらいのしっぽって言うんだ、独特な名前だよね」
「なんでそんな残り物筆頭みてぇな名前してんだこいつ。いや俺は好きだけどなカリカリしてて――って違ぇよ、なんでお前はそんな大事にそいつを座らせてんだって話だ」
別にぬいぐるみが好きなワケじゃなかったろお前。
そう問いかけると、カルナはなんと言ったモノか言うように悩み――答えが出たのか納得したように頷いた。
「……僕を負かした宿敵、だからかなぁ? そう考えると粗末な扱いも出来なくて……」
「俺が居ない間に何があったんだよお前とこいつに」
脳内に妙なイメージが浮かぶ。
多種多様の魔法を使うカルナを、このぬいぐるみが宙を縦横無尽に飛翔して追い詰めていく姿。最終的に懐に踏み込まれたカルナは、腹部に頭突きを叩きこまれて倒れるのであった――うん、少なくともこれではないと思う。
一体どんな勝負をしたんだ――? そんなことを考えていた時に、草を踏みしめる足音が響いた。忍ぶつもりのないらしいそれは徐々に大きくなり、足音の主の顔は焚火で照らされる。
「よう、男二人で向かい合うとか寂しいことしてやがんな」
ファルコン・ヘルコニア。
緑を基調とした動きやすそうな服装をし、腰のベルトに短剣とポーチ、そして先端に刃のついた鉄咆を下げた彼は「おお寒い」と焚火にあたり出す。
「また後で会えるから君よりは寂しくないよ――それはそれとして、どうしたんだい? 生憎と夕食は余っていないけれど」
「俺が呼んだんだ。素早い相手と戦う鍛錬に軽く付き合ってくれってな」
ファルコンは個人の実力としては騎士を下回るものの、素早く器用だ。
そんな彼に安定してクリーンヒットを叩き込めるようになれば、ニールの剣術はもっと鋭く、正確になる。
鍛錬は早朝にも行っているが、ファルコンの方は用事がなければ夜はギリギリまで起きて朝はギリギリまで寝るというスタイルなのだという。
もう少し健康的な生活をしろよと思わなくもないが、今回頼んだのはこちらの方だ。相手の都合に合わせるべきだろう。
「まあ、オレは構わねえんだが……なあニールよぉ、わざわざ普段以上に鍛錬する必要なんてあんのか? 相手は連翹の嬢ちゃんだろ? ――ああ、言っとくが別にあの子を馬鹿にしてるワケじゃねえぞ」
言い方がまずいと思ったのか、誤解すんなよ? と手を振って見せる。
「そりゃあよ、あの子は確かに強くなっちゃいるし、成長もしてるぜ? いずれは転移者の力無しでも強くなるとも思うさ。だが――そりゃ今じゃねえだろ?」
成長している、強くなっている、それは全て真実。
だが――それでも彼女はまだ未熟なのだと。
どれだけ伸びようとも剣を握ったのが三年近く前であり、鍛錬を開始したの最近だ。鍛錬の量とその密度、そして戦闘経験が全く足りていない。
「転移者の中じゃ強いのは事実だし、道中出会ったそこそこ強い連中相手でも完勝出来るんじゃねえかとも思う。つっても幹部連中より強いワケじゃねえだろ、あの子」
「まあな」
ファルコンの言葉は事実だ。
確かに片桐連翹という少女は強くなった。レゾン・デイトルを目指す道中で行った鍛錬、戦闘の経験、転移者が鍛錬し易い存在だということを踏まえても中々の成長速度だろう。
そう、彼女は確かに強くなっている――だが、ニールもまた強くなっているのだ。
鍛錬を行えば自分だけが強くなって他者を追い抜ける、などという都合の良い話などあるはずもない。相手もまた鍛錬し、戦闘経験を重ねている以上、相手が怠けているか自分がよほど急激な成長でもしない限り追い抜くことは至難なのだから。
かつてならばともかく、今のニールと連翹が本気で戦えば十中八九ニールが勝利する。それは覆しようのない事実なのだ。
「けどよ、ファルコン。あいつだってそのくらいは理解してる」
だからこそ、日中に聞いてきたのだ。
自分の実力を磨くだけで満足なのか、それとも勝つための努力を全力でした方が満足してくれるのか。
そしてニールは後者を選んだ。である以上、連翹がなんの対策もしないはずもない。
「それに加えて、俺の技や癖は完全に割れている。対策を練ることくらいは余裕だろ」
得意技から苦手な技、どういう場面で強くてどういう場面で劣勢になっているのか。
そして、ニール・グラジオラスという剣士は騎士のように安定した戦いが出来ない。つけ入る隙はある。
それを自覚している以上、油断も慢心も出来るはずもない。
「あいつが全力でやる以上、こっちも全力でやらねえと駄目だろ。勝つにしろ、負けるにしろな」
ゆえに、やるべきことは変わらない――全力で剣を振るい、全力で勝利を掴み取る、それだけだ。
ニールの言葉に本気を見出したのか、ファルコンは頭を軽く掻いた後、ゆっくりと立ち上がった。
「しゃあねえ、連翹の嬢ちゃんを想定すんならクリーンヒット以外は肌で弾く――って前提でいいよな?」
「ああ、それでいい。カルナ、焚火の維持頼んだ」
「分かった、そっちは好きにやってて」
頷くカルナに頼んだと頷いた後、焚火用に集めた枝を一本掴み取る。
今回は戦うのではなく逃げる相手に上手く当てるだけの鍛錬だ。ならば、思いっきり叩きつけられるモノの方がいい。
「ああ、使い捨ての道具を使ったらこっちに請求してくれよ」
「なに、あの化け物ぶっ殺してくれた勇者様に金はせびれねえよ。ただ、ダメージがねえからって突っ切ってくるような真似はすんなよ? 怪我させるようなモノは使えねえんだからよ」
ニールが構え、ファルコンが口角を上げる。
「ああ、それとだ。もしどうしても礼がしてえんだったら、『連合軍で頼りになった仲間は誰ですかぁ?』みてぇなことを誰かに聞かれた時は積極的にオレの名前を出してくれよ。名前が売れりゃ使い捨ての道具代なんぞいくらでも取り返せるし、運が良けりゃ女も出来る。ファルコン様かっこいいですわー、ってな」
「そういう誰でもいいから女が欲しい、みてぇなこと言ってるから独り身なんじゃねえ――かッ!」
他愛もない雑談から踏み込み、瞬時にトップスピードに到達。細い枝をしならせながら袈裟懸けに振るう。
不意打ち気味の速攻だったのだが、ファルコンは即座にバックステップで回避。だが、その程度は予測済みだ。
「模倣秘剣――雷切!」
本来加速に使う技で斬撃の勢いを強引に削ぎ――跳ね上げる。
二段構えの餓狼の牙は、しかし求めた相手を喰らうことなく空を切る。
後ろに転ぶことによって回避したファルコンは、ポーチに手を突っ込み――掴んだ何かをニールの足元に放り投げた。
瞬間、小さく爆ぜる音と共に噴き出す煙。ニールはちい、と舌打ちして距離を取った。恐らくただの煙幕なのだろうが、先ほどの会話でも言っていたように攻撃という前提で鍛錬すべきだ。
煙が徐々に失せていく。
互いに距離を取った状態で、ファルコンは冷汗を流していた。
「……前見た時より速くなってんな……つーかあの二連撃は卑怯だろ。なんで全力で剣を振り下ろした直後に速攻で剣を斬り上げるとか色々おかしいだろうがよ」
「それを捌いておいて、よく言うぜ……!」
「生憎、これと手先の器用さくらいしか取り柄がねえんでな!」
自慢げに笑うファルコンの間合いへ再び踏む込む。
餓狼喰らいからの雷切という連撃は回避された。ならば、次は手数で挑む。
斬り下ろし、跳ね上げ、薙ぎ払い、力強く踏み込みながら刺突を放つ。
だがどの攻撃も、ひゅん、ひゅん、と空を切るばかり。
無論、使い慣れた剣ではない以上、どうしても斬撃は鈍くなる。持ち手は細すぎて握りづらいし、微かに曲がった枝の重心に違和感も抱く。
だが、仮にこれがイカロスであったとしてもファルコンを捉える自信はあまりなかった。
細身ながらしっかりと鍛え抜かれた体は、戦う者というより走る者のそれに近しい。素早いのは当然だが、それ以上に恐ろしいのはその目と頭だ。
彼はニールの剣術を読んでいるワケではない。ある程度の動きの癖などは見切られているだろうが、それだけだ。
ゆえに初見の動きに対する対処は遅れているし、フェイントも上手く出来たのなら引っ掛かっている。
それでもニールの攻撃が届かないのは、対処が遅れても、フェイントに引っかかっても、見てから瞬時に判断して実行に移す。
恐らく、アドリブが上手いのだろう。
想定外のことが発生しても原因を見極め、対処する。使用する道具も多いようだが、どれをどのタイミングで使うのか全く迷っていない。
「上等だ――そのくらい喰らい尽くせねえと転移者の身体能力には追いつけねえ……!」
「熱心だなホントによ。だからこそ、紙一重で孤独に勝てたんだろうが――ほら、明日に響かねえ程度には付き合ってやるよ! 全力で来い!」
枝を振るう。剣と同じように、これで斬る、斬り殺すという想いを込めて。
自分よりも速く、頑強な相手を叩き切るために、枝を剣に見立てて振るい続ける。
掠るだけでは駄目だ。その程度ではいかにイカロスとて転移者の肌を軽く抉るのがせいぜいだろう。
狙うのはただ一つ。勢いよく、全力で、しっかりと刃筋を立てて斬り殺すこと。
焚火の明かりに照らされながら、それだけを念じてニールは走り続けるのであった。




