274/帰還
――お前がこれを読んでいということは、私は既に死んでいるのだろう。
陳腐な書き出しではあるが、生憎とこれ以上に的確な言葉が思い浮かばない。
そう、私は死んだ。どのような死に方をしたかは知らないが、このような駄文を放置している時点でもう命はないのだろう。
これを手に取った者が誰なのかは、未来を見通せぬ以上は想像する他ないが、我が友ゲイリーであると仮定して書き進めよう。連合軍が勝利し、この街を開放したのだと信じて筆を執ろう。
無論、勝利した無二の可能性もある。可能性は低いが、万事上手く行った雑音の手に渡っているのかもしれない。その時は嗤いながら読み進めると良い、見通しの甘い敗残者だと。死人にそれを咎める手段はないのだから。
――さて。勝利したお前たちはこの街の復興、衰弱した領民の看病、そしてレゾン・デイトルに組した者の証拠を集めている最中だろう。でなければ、私の部屋をわざわざ漁る理由もあるまい。
この手紙が入っていた封筒の中に、雑音に協力した貴族やレゾン・デイトルと交易していた商人が行った悪事の証拠を同封してある。喜々と違法奴隷を買っていたような者共だ、そちらで裏を取った後に粛々と処罰をして貰いたい。
だが、中には家族や友人を人質に取られて協力せざるを得なかった者もいる。そちらもまた別紙に纏めている、こちらは可能な限り温情を与えて欲しい。強い力を前にし、常に正しくあれる者などそう多くはないのだから。
また、一部の西部貴族が違法奴隷を『保管』しているであろう場所もまた別紙にてリストアップしてある。速やかに救出し、このような真似に関わっている外道どもに鉄槌を与えて見せろ。昔から、その手のことは得意だったろう?
そして最後に。
私の名誉回復などを考えるな、と言っておこう。
むしろ、クレイス・ナルシス・バーベナという男は転移者におもねった屑であったと喧伝して欲しい。
お前たちは確かにレゾン・デイトルを打倒した。だが、最初の敗北は、そして救出の遅れは覆せない。救われたと感謝するのは一瞬で、すぐに『なぜもっと早くに来てくれなかったのか』と騒ぎ出す者が出てくるだろう。
ゆえに、私の悪名を利用しろ。丁度よいスケープ・ゴートだ。
転移者に媚を売り、街を、領民を売り払った外道という風評。また、騎士団長と交友関係を持っていたという事実。
それらを使って、私が転移者共に情報を売りさばき利益を得ていたのだと、それゆえに最初の戦いで敗北したのだと発表すればいい。
正義の騎士は侵略者を打倒し、罪深い売国貴族を成敗した。大衆向けの良い物語になりそうではないか?
これによって、多くの矛先は私に向くことだろう。なに、どうせ死人だ、好きに使うといい。
だが、お前はきっと納得しないだろう。
ゆえに交換条件を一つ。
アニーが生きていたのならば、彼女を匿って欲しい。悪名高いクレイスのメイドだ、再就職先もないだろう。適当に名前を誤魔化して雇ってやって欲しい。
あれで中々仕事の出来る女だ、損はしない。それに、お前も奴も独り身なのだ、嫁にしてしまうのもありだろう。もっとも、こればかりは当人たちの気持ち次第なので強制は出来んのだが。
さて、書くことがなくなってしまった。
名残惜しいがこれで筆を置かせて貰おう。さらば、我が友よ。お前がこれを読んでいる未来は、私にとっての祝福だ。どうか気に病まぬようにな。
――クレイス・ナルシス・バーベナ。
◇
「……あいつめ」
孤独の剣鬼との戦いが終わってしばらく。
炊き出しを行いながら病人の看護、そしてレゾン・デイトルの残党狩りを行っていたが、ようやく落ち着いてきた。
ニール・グラジオラスたちが消え失せた時は大騒ぎになったものだが、連翹とカルナが残した情報があったため混乱は広がらずに済んだ。
仮設住宅もおおよそ建て終わり、ようやく一段落――その時に、ゲイリー・Q・サザンは友の部屋を、クレイス・ナルシス・バーベナの部屋を漁ったのだ。
既に粗方調べつくされていたようだったが、かつて自分たちが少年少女であった時代に彼が作っていた秘密の保管庫の存在を思い出したのだ。
かくして手紙は見つかった。彼の遺言、転移者や賢人円卓と繋がっていた者たちの証拠が。
だが、それを喜ぶ気持ちになど、なれるはずもない。
ゲイリーは静かに兜を被った。かつて、お前は顔が怖いのだから、笑っていない時はこれでも被っていろと送られたモノだ。
ああ、やはり便利だ。
「ああ、ちゃんとその願いを叶えよう。だが、未来永劫お前が悪し様に言われるのは我慢できないな」
願いは叶えよう。
実際、女王都へ戻れば後始末や他所で暴れまわる転移者の対処で忙しくなるだろう。その最中、現地人の怒りの矛先はあった方がいい。
だが、いずれ――長い時が流れたころに名誉を回復させる手段を残しておいてもバチは当たらないだろう。
心に誓って手紙を懐に収めていると、不意に扉をノックする音が響いた。
「おっと、何か問題でもあったかな」
「失礼します――いえ、朗報です」
入室し、一礼した騎士は表情に安堵を滲ませながら報告した。
「ニール・グラジオラス、カルナ・カンパニュラ、ノーラ・ホワイトスター、片桐連翹――四名の帰還を確認しました」
「分かった、向かおう。ちょうど新たな証拠を見つけたところだ、丁度いいタイミングだったよ」
◇
「――なあ、どういう状況だ?」
皆から僅かに遅れて連合軍の野営地に転移したニールは、思わず問いを投げかけた。
連翹は小さく笑い、ノーラは呆れたと言うようにため息を吐き――カルナは、なぜだか騎士アレックスに正座させられていたのだ。
なんだこれ、本当にどういう状況なのだろうか。
突如として失踪したニールたちを怒っている、というのなら連翹やノーラも怒られてなければおかしいだろう。ほんの数分の間に何をやらかしたのだろうか、あの男は。
その問いかけでニールもこの場に転移したことに気づいたのか、アレックスがカルナから視線を外して微笑んだ。
「ああ、グラジオラス。君も無事で良かった――しかし、四肢が繋がったとは聞いていたが、装備も含めて修復された上に体の違和感も無さそうだ。なるほど、これは神の奇跡だと言われても納得出来る」
「お、おう。これからしばらくまともに剣を振るえねえと思ってたからマジでありがたいとは思ってるんだが……それはそれとして、カルナの奴なにやらかしたんだ?」
なんで帰還直後に一人だけ説教食らってるんだあの男?
その問いかけに、アレックスは「なんと言ったモノか」としばし悩み――
「簡潔に言えばだな――この男、転移直前にグラジオラスが寝ていた天幕を放火したのだ」
「おうコラ待てやお前」
何してくれてんだこの男。
一体何がどうしてそうなっているんだ。
ニールが怒るべきか呆れるべきか悩みながらカルナを半眼で見つめていると、放火犯は己の潔白を証明するとでも言うように両手を広げた。
「いや、悪かったとは思っている。だからこそちゃんと罰を受けているワケだからね。でも、あの行動はちゃんと理由があったんだ。そろそろ僕の言い分も聞いて欲しい」
確かに自分は悪いことをしたのかもしれない。
だが、それにはちゃんと理由があり、情状酌量の余地はあるのだと。
そのようなことを身振り手振りで表現してくる姿に、ニールは仕方ないとばかりに先を促した。
「転移の直前、僕は自分の声も出せなければ音も鳴らせない状態であることに気づいた」
「ああ、うん。そうよね、あたしそれで慌てて地面にメッセージ残したんだもの」
うんうん、と頷く連翹にカルナもまた「だろう?」と大きく頷いた。
「そして、そういうのはたぶんレンさんがやると思ったよ。だから僕は、転移する姿を見せる必要があると考えた。誰かに連れ去られたワケではなく、こちらもある程度この状況を理解していることを伝えなくてはならなかった」
メッセージだけなら誘拐犯が書き記した、と思われるかもしれない。
なにせ、連翹のメッセージは剣の鞘で地面に文字を書いただけのもの。これで筆跡を判別しろというのは無茶だろう。
ゆえに、消え去る前に一度姿を見せなければならないと判断したワケだ。
平然とした面持ちで、突然のことではあったが決して悪意に晒されたワケではないのだと。
「けど、声が出せない以上は魔法が使えない。鉄咆を撃っても意味はない。人を集めるために咄嗟に出来ることは少なかった。だからこう――ランプのカバーを外して天幕の布部分を燃やして見せたわけだ」
ランプを持ち上げてぶん投げるジェスチャーが行われる。
ランプの油を一部にぶちまけて、そこにランプを叩きつけたという。それはもう勢いよく燃えたらしい。
「レゾン・デイトルの残党が居る可能性が高い以上、騎士や兵士、冒険者の巡回は多いはず。その中でも自力で動けないニールの周辺の監視は多いと踏んだ。そんな中、突然ニールが居る天幕が無音で燃え始めたら、みんな慌ててこっちに来るだろう?」
「当然だ。忍び込んだ残党がグラジオラスを焼き殺しているかと思って慌てて飛び込んだとも――カンパニュラが笑顔で手を振っている姿が見え、その直後グラジオラスと共に消滅したワケだ」
「ほら、目的は達成しているだろう? 完璧だ」
「ねえ、こいつ『依頼者は死にましたが星は獲得できたので問題ありません』みたいなこと言ってるんだけど……」
馬鹿なの? 死んだライオンでも操るつもりなの? などと連翹が言うが、全く意味は分からない。
分からないがニュアンスだけは理解できた。少なくとも、その星の入手手段とやらもカルナのやったことも手放しに褒められるモノではないのは共通している。
周囲の反応もまさしくそれだ。
やりたいことも理解した、成功もしている、けれどそれはそれとして腹立たしいな、と。
「なんだこの反応……!? 待って欲しい、さすがに味方が死ぬような真似は僕だってしないよ。これは連合軍の皆が仕事をサボらずニールを守ってくれていると思ったから実行出来たワケで――」
「そうか、そうか、とりあえずまだ正座していろよカンパニュラ」
「くっ、解せない! 仲間を信じて奇策を練ったとかそういう風になるかなぁと思ったのになぁ――!」
解せよ馬鹿野郎。
仲間を助けるために燃える天幕の中に突入したら、笑顔で手を振るカルナの姿。そりゃお前むかつくわと頷く。ニールだったら帰還直後に飛び蹴りをかましている。正座で済ませてるだけアレックスは大人だ。
「はあ……あのですね、カルナさん」
アレックスの説教とカルナの弁明を黙って聞いていたノーラは、大きなため息と共に近づくと、屈んで目線を合わせた。
「咄嗟にやったことで、かつ考える時間もなかったと思うので放火したこと自体は責めません。わたしでは代案も出せないですしね。けど、せめて少しだけでも申し訳なさそうな顔をしていればこんな風にはなっていなかったと思うんですよ。天幕が燃えているって気づいた瞬間、皆さんは本気で慌てて、本気で助けに向かってくれたはずなんですから」
それに対してへらへらとした対応したら、そりゃあ怒りますよ、と。
声を張り上げているワケではなく、怒気を漲らせているワケでもなく、優しい口調でカルナの眼をじっと見つめてノーラは語る。
「いや、まあ、それは……」
ああ、やっぱりあいつこういう語り口での説教が一番苦手なんだよなぁ、と狼狽えるカルナを見て強く思う。
良い部分と悪い部分を列挙しながら優しく叱られると、反抗心よりも罪悪感の方が芽生えるらしい。
確かに、カルナ相手に悪いことだけ列挙して怒鳴りつけたところで、「何を言ってるんだ! その結果あれは上手く行ったじゃないか!」と反抗して来るのが目に見えるようだ。ニールが言えた義理ではないが、両親はさぞ苦労したことだろう。
「わたしがカルナさんの立場だったら、何も伝えられなかったかもしれません。咄嗟にどうすればいいのか、なんて思いつきそうにないですし。ですが、それはそれとしてカルナさんはもう少しだけ人の心というモノを考えましょうよ。わたしなんかよりずっと頭は良いんですから、考えたら分かることなんですから。ね?」
「そ、そうだね――アレックス、悪かった。正直に言うと、上手くやったとしか考えてなくて」
頭を下げるカルナに、「なに、分かればいいさ」と笑みを浮かべるアレックス。
彼としても無事かつちゃんと反省していれば怒ることもなかったのだろう。カルナの方がどうして怒られているのかズレて理解していたから、さすがに反省しろと言わざるを得なかっただけで。
「なあ、カルナ」
「ん、どうしたんだいニール? ああ、君が居た天幕を燃やしたのは悪かったよ。巻き込まれないように注意はしていたけど、寝ている間にそんなことされたら確かに文句の一つは言いたくなるよね」
「いや、それに関しちゃ構わねえよ。そっちの件はアレックス以外にも一緒に来た奴もいるだろうから、そっちにもちゃんと謝れよ。ただ、俺はちっと気になったことがあってな」
なんだい? と不思議そうな顔をするカルナをまじまじと見ながら、ニールは問いかけた。
「カルナ――お前って、もしかしてマザコンなのか?」
「なんで突然別の側面から喧嘩売りやがるかな君はぁ!」
激情のまま立ち上がろうとし――脚が痺れていたのか地面に突っ伏した。ぐううっ、と四つん這いになりながら苦悶の声を漏らしている。
「いやだってよ、女将さんにしろノーラにしろ、お前が頭の上がらないタイプってこの手の母親っぽいタイプじゃねえか?」
そういう女以外にもカルナに近づいてきた女は居る。
というか、そちらの方が多いくらいだ。
無論、カルナは自分の時間を奪われるのを厭うため、何も考えず絡んでくる女には好意を抱いていないのは知っている。
だが、そういう女ばかりでもなかったろうに、最終的に残ったのは優しくありながら駄目な部分をしっかりと叱る母親みたいなタイプだけ。まさか、と思っても仕方ないだろう。
「あの、ニールさん。さすがにこの歳でお母さんっぽいタイプって言われるのは心外なんですけど……」
「教会の共同生活で年少の面倒みたりしてたんだろ? なら実質母親ってことでもいいんじゃねえの?」
「ジェネリックお母さん属性ってことね、わかるわかる。世話焼きだし料理も家庭レベルの範囲で美味しいし、優しいし、大衆浴場行かずに寝ようとしたら怒って布団から引きずり出したりする程度には甘やかさないし」
「お前、あっちでもこっちでもそんなことされてたのか……あんま迷惑かけんなよ」
「さ、最近はちゃんとするようにしてるし……というか、男って基本的には善人マザコンだって話をどっかで聞いたような気もするわ。ニールだってそうなんじゃないの?」
「おうコラ、カルナと一緒にするんじゃねえよ」
「ああもうっ、凄く自然に僕が母親好きって前提の会話をするんじゃない! ……単純にさ、力や正しさを認めてくれる相手を邪険に出来ないじゃないか」
少し気恥しそうにしながら立ち上がったカルナに、そうかと頷く。
プライドの高さは元からあったのだろうが、雑音に敗北してからは承認欲求も膨れ上がったのだ。
その点、本当にノーラは上手くハマったのだろうなと思う。
カルナの実力を素直に認め、心から尊敬し、だがそれはそれとして駄目な部分は駄目な部分としてちゃんと物申すところが良かったのだ。ただただカルナを持ち上げるだけの女であったら、今のような関係にはなってはいないはずだ。
「――騒がしいね。君たちが帰って来たんだと実感出来るよ」
脇道に逸れた話を軌道修正するように、がしゃり、と響く重い足音。
全身を白銀の鎧で覆った巨漢の騎士――ゲイリーは静かに兜を脱いで微笑んだ。
「カルナくんの説教も終わっているようだし、ボクから改めて言うことはなにもないかな。皆、よく戻ったね」
「ああ。悪いな、突然出て行っちまって」
「いいさ、話を聞く限りでは強制だったのだろう? なら、ニール君が謝る必要はないさ」
「いや、それはそれとして観光とかして来ちまったし……あ、これ騎士団用の土産だから皆で分けて食ってくれ」
そう言って日本で買って来た土産を手渡す。
ちょっとした菓子と海産物の形をしたマカロニ。ノーラやカルナの方も、秋葉原とやらで買って来た土産モノを渡している。
「ふむ……時々、転移者が食べかけていた菓子なども一緒に転移するのを見たことはあるがけど……新品の状態を見るのはボクは初めてだね、新鮮だ」
「だろ? この中でも俺は断面がスカイツリーの絵になってる飴がイチオシだな。ぶっちゃけ甘いモノはさして好きじゃねえんだが、職人が実際に作ってるのを見ちまったからかね。興味のねえモノでも一流の仕事ってのは見ていて惚れ惚れとしちまうよな……あ、菓子に興味のねえ奴も酒とか買って来たから安心してくれ」
ゲイリーが興味深そうに包装された菓子を眺めている横で、ニールは袋から酒の缶を取り出す。
それは、あちらの世界で何度か飲んだ、強めの酒――
「え、なんでスカイツリー……!? というかストロング・ゼ〇……ッ!? なんで異世界に……!?」
「若干甘いがキツイ酒だから注意して飲んでくれ――って、薫だったか? あっちじゃお前酒飲める歳じゃねえだろ、なんで知ってんだ?」
ブライアンに付き従って兵士の仕事を手伝っている転移者の少年――青葉薫の声に怪訝な声を漏らす。
もしかしてあちらの世界の住人は未成年だろうが普通に酒を飲んでいるのだろうか。そんな決まりなんざ律義に守ってる奴なんて居ねえぜ、といった風に。なんだそれは、自分も外でガッツリ飲めばよかった――!
「ああいや、『苦痛に耐えられぬ時のむがいい』ってそれを差し出すコラージュ画像をネットで見たことがあって――いや、というかお土産全部僕らの世界のモノじゃないですかコレ?」
コラージュ画像ってなんだ、と思ったが連翹が「あー、あれね。わかるわかる」みたいな顔で頷いているのを見る限り、あちらの世界の住人なら――否、転移者に選ばれるタイプの人間なら知っている者も多いのだろう。
「なんやかんやあってあっち側に転移して来てな。ああ、スカイツリーの展望回廊にも行って来たぞ。つーかヤベェなあの高さ、さすがあっちで一番高い塔だな」
「いや、日本では一番だったはずですけど、地球全体で見ればあれより高い建物もあったはずですよ。地震の多い国でしたから」
マジかよ世界って広い……!?
だが、考えてみればニールが見れたのは普通の家族である桜大と茉莉が連れていける範囲にあるモノだった。
自動車という便利な移動手段こそあったものの、空を駆けられるワケでも海を越えられるワケでもない。あれだけ色々と珍しいモノを見たというのに、実際のところあの世界に在るモノの半分すら見れていないのだろう。
それが少しだけ寂しい。あちらの世界に長居することは出来なかったのは事実だが、許されるならもっと色々な場所を皆で巡ってみたかった。
(ったく、未練だな)
あちらでは普段と違って連翹に色々と教えられていたので、新鮮だった。もう少しだけ、あの気分を味わって見たかったのだ。
もう二度と戻れないというのにこのようなことを――これでは桜大に叱られてしまう。お前がそのような様でどうする、それで連翹を導けるのかと。
分かっている、と脳内で響く桜大の声に返答しながら薫に土産を手渡した。
「ブライアンは別の場所か? なら、悪いが後で渡してくれねえか。ほら、こっちの袋が兵士用だ。お前も知っての通りストロング・ゼ〇も入ってる」
「あ、ありがとうございます……あれぇ? 異世界に来たのに、なんで僕はスカイツリー土産とストロング・ゼ〇を貰ってるんだろう……?」
嬉しさ半分、違和感半分といった表情の薫の後ろで連翹が高速で相槌を打っている。
「うん、ちょっと腑に落ちない気持ちも分かるわあたし。ごめんね、なんか凄い力を秘めたクリスタルとか持って帰れなくて」
「そんなモノはあの世界にねえだろ」
ニールはあの世界に詳しいワケではないが、絶対その手のアイテムとは真逆の世界だろう。
だが、連翹は「分かってないわねえ」と言いたげな顔でちっちっ、と指を振る。なんだろう、絶妙にうざい。
「そういう世界観だからこそ神秘は輝くし凄まじいパワーを秘めてる的なアレなのよ。結果、そういうのを求めて文明の闇に潜む能力者と殺人鬼が夜な夜なバトルしたり、魂喰らいの妖刀使いの剣士が鬼と戦ったりしてるかも……! ロマンね!」
「魂喰らいの妖刀云々のロマンは分かる――じゃねえや。お前それ喜々として語るような内容じゃねえだろ」
普通に暮らしている人間にとって大惨事でしかねえよ。
小さく息を吐いた後、ニールは他の騎士や冒険者に会釈した。実際、心配はかけただろうと思うから。
だが、ニールたちが居なくなったことよりも、ニールが四肢を生やして歩いている事実の方が気になる者が多いようだった。
「そうだ。騎士団長さんよ、迷惑かけた後に悪いんだが、頼み事をしてえんだ」
皆に土産を渡した後、ニールは再度ゲイリーに向き合った。
「構わないさ、君は実績を出した。ゆえによほど戯けた願いでも無い限り聞いてみせるさ」
なあ、狼翼の勇者。
そんな風に言われ、気恥ずかしくて顔を歪めてしまう。
正直、ニール・グラジオラスという男は、そんな大それた二つ名で呼ばれるような実力ではない。その程度の事実、自分が一番理解している。
剣の腕はまだまだ中堅の中で上位といったところで、とてもではないが騎士たちには及ばない。得意分野で勝る部分はあっても、戦えば総合力で完封されてしまうだろう。
だが、称号とは、名声とは、実力だけで勝ち取るモノではない。
その実力で何を成せたか、何を成したか、それこそが重要なのだと思う。
ゆえに、恥じ入るのは無粋だし、何よりニールを助けてくれた人々に失礼だ。
そう思い直し、ゲイリーを真っ直ぐ見つめ返し――
「――女王都の闘技場。あそこを貸し切りてえんだ。野次馬とかは全部排除して――あー、連合軍の皆くらいは、俺もあいつも居ても大丈夫だと思うが」
――ずっと、願っていたことを口にした。
あの日の再現するための場所であり、
あの日の続きを行うための舞台であり、
そして――あの日を超える為の戦場。
そこで、連翹と全身全霊の勝負をする。
それこそが、ニール・グラジオラスの願いなのだ。
「あそこで、連翹と戦いてえ。別の場所じゃ駄目だ、あそこじゃなきゃ嫌だ……全部が全部、俺のワガママだけどな」
それは二年前――いいや、そろそろ三年前のあの日、初めて連翹と出会い戦った場所。
冒険者の剣士として立志すべく胸を弾ませてあの場に行き、彼女に一目惚れ、そして絶対勝つと誓った場所だ。
ゆえに戦うのは、あそこしか考えられない。
ゆえに心に区切りをつけるのは、あの場所しか考えられない。
ニール・グラジオラスという男の過去を精算し、未来に征くためにはあの場で戦うことが必須なのだと思うのだ。
「……分かった」
その熱意が伝わったのだろうか、ゲイリーはニカリと笑ってみせた。
「凱旋した勇者を披露する場、その準備に必要だとでも言って掛け合うよ。だから、冒険者にそういう祭事は荷が重いなどとは言わないで欲しいな」
「……礼儀とかに期待すんなよ。それで失敗してきたばっかりだからな」
簡単に許可は取れるさと笑うゲイリーに、苦虫を潰した顔で応える。
連合軍が解散するまでの間に、アレックスたち騎士に礼儀作法などを聞いてみよう。
だが、その前に――練磨しなければならない。
己の体を、技を、剣を。
研ぎ澄まして研ぎ澄まして研ぎ澄まして、理想のコンディションにする。
己の全てを出し切るからこその全身全霊だ。半端な状態で戦いに挑み、悔いが残っては意味がない。
無二と戦った時のように、いいや、自分一人で戦う以上それ以上のニール・グラジオラスで戦って見せよう。
そうでなくては連翹に、それ以上にあの時に敗北した自分自身に顔向けできないのだから――




