272/帰還、そして願い事
――――こうして。
連翹たちは神座の前へと転移した。
かつてと同じように、けれどかつては違う想いで。
あの時は元の世界のことなどなど欠片も考えず、ただ一人でここに来た。ただただ、都合の良い未来を夢想して笑いながら。
けれど、今は違う。
故郷と、両親と、そして自分の愚かさと向き合い、別れ――そして今、四人でここに居る。切り捨てたモノを理解し、瞳を滲ませながら。
(もっと簡単に切り替えられたら楽なのにね)
無くしたモノは戻らない、切り捨てたモノはもう己の手では掴めない。
ゆえに、こんなことをぐだぐだと考えていても無駄だ。とっとと切り替えて歩き始めなければならない。そう、思っているのだけれど。
「ぜんぜん、上手く行かないわ」
「そりゃそうだろ、なに言ってんだお前は」
思わず呟いた言葉に、ニールは呆れたように笑みを浮かべる。
「お前はそういうことが出来る人間じゃねえからな、色々と悩んだ上で歩いてくしかねえだろ」
口調は優しく、けれど言葉自体は少し厳しい。
結局のところ片桐連翹の人生はこうやって悩み苦しむモノだと、隠すことなく真っ直ぐ伝えているのだ。こういう時くらい、頑張ればなんとかなるよ、みたいな言葉を送ってくれても良いだろうに。
「……ん、そうね」
けど、そういうことをあまりしない人だからこそ、拗れていた時期にニールの言葉は届いたのだと思う。
ならば、頑張って受け入れるだけだ。
どうしても歩けないくらい苦しければ、ニールに、ノーラに、カルナに、知り合った他の人たちに力を借りれば良い。
乱雑に目元を拭っていると、不意にパチパチと拍手する音が鳴り響いた。
白い部屋の中心にぽつんと置かれた見窄らしい椅子。それに座す男から発せられる音だ。
「――よく戻った、我が愛子たちよ」
虫の羽音や獣の唸り声などが入り混じった独特な音、けれど脳は人間の声だと認識する奇妙な感覚。
創造神ディミルゴ。
彼は心から連翹たちの帰還を喜び、笑みを浮かべていた。その瞬間、ディミルゴの姿は蛇に見えたが、嬉しそうに微笑んでいると認識出来てしまう。
正直、この力を悪意を以て振るわれたら、それだけで発狂してしまいそうだ。ただただ「あ、この神様めっちゃ嬉しそう」などと考えられる時点で、人間の精神を傷つけない配慮をしているのだと思う。
「正直に言えば、再起の少女はあちらに残る可能性が高いと思っていた。転移直後ならばともかく、現在の精神であればあちらでも十分馴染んで生きていくことは可能だろうし、それを理解する頭もある。ならば、未成熟な私の世界よりもあちらの世界を選ぶ可能性も高いと思っていたのだが――」
「うん、それはもちろん考えたわ……というか、自分の世界を未成熟って言っちゃうの?」
「無論。私は私の世界を、愛子たちを愛している。だが、だからこそ愛子が育んだ世界を正確に評価せねばならんだろう」
愛しているが、それはそれ、これはこれだと。
我が子が可愛いのは当然だが、同年代のアイドルよりも美しいなどと言うつもりはない、ということなのだろうか?
色眼鏡で見るのではなく、贔屓するのでもなく、可能な限り客観的に観察し評価したい、と。
「だからこそ心からの喜びを伝えているのだ。私の世界よりもずっと発展した地球ではなくこちらを選び、私そしてそこに生きる一人の男を愛――」
「ふわー!」
朗々とした声音で胸に秘めた想いを暴露しかけやがった神畜生に剣を投擲。回転しながらディミルゴに突っ込んだ剣は、ざくり、と顔面に刀身が突き刺さった。
ずしゃあ、と倒れるディミルゴ。
シン、と静まる神殿。
ぴくりとも動かなくなったディミルゴの姿に、ノーラは物凄い汗を垂れ流しながら連翹に顔を向ける。
「……え? れ、レンちゃん……?」
「い、いや、違う、違うのっていうか、絶対防がれるだろうと思ったっていうか、そのドサクサで声を遮ってやろうって思ったっていうか……まさかノーガードで顔面に突き刺さるとは思ってなかったっていうか」
脳内に燦然と輝く『神殺し』の三文字。
なるほど、格好いい。
格好いいけれど、それを成すのはこのタイミングじゃないと思う……!
「……ねえレンさん。仮にディミルゴが本当に死んでいたら、未踏破のストック大森林から脱出しないと連合軍の皆と合流出来なくなると思うんだ。転移者と戦うのとは別の方向性で命をかけなくちゃならなくなるよ、これ」
「いやいやいや、待って待って待って、ねえ嘘でしょ? 神様なんか喋っ――」
「む? 黙れという思念が伝わって来たので黙っていたが、もう喋っても良いのか?」
「――ふわああああ!?」
顔面に剣が突き刺さったまま、猿の形に見えるディミルゴはむくりと起き上がって普通に喋りだした。
悲鳴を上げる連翹を不思議そうな顔をして眺めた彼は、そのまま椅子に腰掛ける。
「どうした、黙れというから黙り、喋れというから喋っているだけだろう。何を驚き、困惑するのか」
ちゃんとお前の意見は汲み取ってやっただろう? という得意気な顔を見て、マジでぶっ殺してやろうかこの神畜生めと思ってしまう。
こちらに対してとても友好的であり、尊重してくれているのは理解出来ているけれどちょくちょく噛み合わない。人類が友好的な宇宙人と出会ったらこんな感じになるのだろうか。
悪意がないから怒りづらいので、悪意――と呼ぶには些細なモノだが――が有ったと思われるカルナを睨みつける。
「……カルナ、生きてるの知っててあんなこと言ったわね。ワリと本気で焦ったんだけど」
「ごめんごめん、レンさんもノーラさんも本気で焦ってるから、つい」
この野郎。
どうしてくれようかと思ったが、ノーラがカルナの脇腹辺りを執拗に小突き始めたのを見て溜飲を下げる。口をへの時にしてごすごす殴り続ける姿はちょっと可愛い、なるほど、カルナの気持ちもちょっと分かる。
「愛子との語らいは楽しいモノだが、そればかりにかまけてもいられん。蝋翼の餓狼、そして祝福の乙女よ――願いは決まったか?」
「――はい、決まりました」
ノーラはカルナの脇腹を小突く動作を停止し、呼吸を整えながらディミルゴと向き合った。
「ほう。では、問おう。祝福の乙女、お前は何を求める?」
「お金です。それも、わたし一人じゃ使い切れないくらいたくさんの」
「……ごめん、ノーラもう一回言って?」
黙ってノーラの願いを聞いていようと思っていたのに、思わず問いかけてしまった。
なんだろう、キャラとは全く違う願い事が聞こえたような。
確かにお金は重要だし、カルナだって日本円を自由に使えるように願っていた。けれどそれは日本で自由に動くために必要だったからであって、単純にお金が欲しかったからというワケではない。
だというのに、ノーラは不思議そうに首を傾げながら、ハッキリと言う。
「ですから、お金です。それも可能な限りたくさんの」
「ねえカルナ、あっちの世界でノーラ何やってたの? というか、どんな悪影響与えたのかキリキリ吐いて欲しいんだけど」
どんな豪遊をすればノーラみたいな良い子が『可能な限りたくさんのお金が欲しい』などと言うようになってしまうのか。
脳内に浮かぶのはホストクラブで豪遊するノーラの姿。男たちを傅かせながら優雅にドンペリを飲んでいる……! ホストクラブになんて行ったことがないので実情がどんなモノかは知らないが、漫画のイメージだとだいたいこんな感じだろう。
「いや、待って欲しい! 当然の流れみたいな感じで僕の悪影響によってノーラさんが金の亡者になったって思ってるよね? 僕だって予想外だよこれはぁ!」
「日頃の行いってヤツだろ。そら、違うってんなら違うっていう証拠を出してみせろよカルナァ!」
「こいつ、ここぞとばかりに攻撃して来て……!」
連翹とニールで挟み込むようにカルナを追求する。
もっとも、半分くらいは悪ノリしているだけなのだが。カルナは善人ではないが、だからといって他の善人を墜落させる趣味はないはずだ。
「ええっと……? あの、確かにあちらの世界に行ったから思いついたことではあるんですけど……」
「ねえ聞いたカルナ? 二人でどんな店に行ったのか教えてちょうだい。即落ちニコマ的な勢いでお金の力に負けてるから」
「いや、普通に電気街や神社で観光したり買い物したりしたくらいで――いや待って、確かに途中で二手に別れたことがあったな」
「なるほどな……なあノーラ、お前一人の時にどんな男遊びして来たんだ?」
「さっきまでカルナさんを責めてたのに、どうして突然連携してこっちに矛先向けるんですかぁ!? というかカルナさんも、そんな長時間別れていたワケじゃないでしょう!」
「いやぁ、これが中々楽しくて」
いえーい、と三人でハイタッチ。
とても楽しかったが、ノーラが無言で理不尽を捕食する者を構え始めたので速攻でニールの背中に隠れる。今ある規格外の残滓を消し去られたら鎧の重さに耐えられない。
「まったく、本当にまったく、皆はもう……!」
ぷんすかという擬音がつきそうな怒り方をしているノーラは、大きく深呼吸をして呼吸を落ち着けると再びディミルゴへと向き合う。
願いごとの最中に突然茶番を始めるとか完全に不敬案件だと思うのだが、ディミルゴは大して気にした様子はない。愛子たちが楽しそうにしているのは彼にとっても楽しい瞬間なのだろう。
「三人の言葉も理解出来るな。祝福の乙女よ、お前はそういう即物的なモノを願う人間ではなかったと思ったが」
話してみろ、そう促されノーラは大きく頷いた。
「あちらの世界に行って、とても凄い文明だと思ったんです。どこまでも続く人の営みに、便利な道具に乗り物、その中にある歴史的な建造物――ある日突然、特別な力でああなったワケじゃなくて、人々の営みが続いた結果あのようになったんだと」
ノーラが語ったのは、ほんの少しだけ滞在した日本の風景であった。
「それを見て、わたしは思ったんです。この世界とあちらの世界、その差はなんだろう、と」
世界が違う、知的生命の数が違う、環境が違う、魔法の有無。
そういった要素もあるだろうが、何より――
「わたしは、歴史の長さと蓄えた技術の差だと思ったんです。人の営みはこちらの世界にだってあるのですから」
そもそもこの世界の人間の技術は、魔王大戦の中で大部分が失伝している。
かつて栄華を誇った魔法王国トリリアム。魔法が使える存在を至上とし、使えぬ者を奴隷とする歪な国だったというが――その国が今なお存続していたら、歴史が途中で途絶えなければ、地球に勝るとも劣らない文化を育んでいたのかもしれない。
だが、時計の針を巻き戻すことは出来ない。
ならば、新たに技術を育んでいく他ないだろう。
「それに、『自分がやらなくてはと思った時に自身の力を見誤ることが多い』でしたよね。これから自力を上げるのは当然ですけれど、あれこれと手を伸ばしても中途半端になってしまいます」
ノーラは神官として特別秀でているワケではない。
大人しい見た目に似合わぬ度胸で前に出て、やれることをやった結果、今があるのだ。
その功績自体を否定するわけではないが、彼女が一番得意な奇跡ですらまだまだ半人前という事実は決して覆らない。
「だから、そういう人たちを支援するお金があればな、って思ったんです」
医学などといった神官の奇跡で救えない者を救う技術――それを扱えるようになりたいと、ノーラは医学書を手に言っていた。
だが、ノーラは神官としての研鑽と医学の勉強、それらを並行して行ってどちらも完璧にこなせるような人間ではない。真面目ではある、勤勉でもある、だが天才などではないのだから。
だから、自分以外の誰かに頼るのだと。
つまり、ノーラは研究者や発明家などのスポンサーになりたいのだ。
「言いたいことは分かったけど、そういう研究者ってどこから探すの? なかなか難しいと思うんだけど」
ノーラの言いたいこと、やりたいこと、そして熱意は伝わった。
だが、だからこそ問わねばならない。
この世界の人間には魔法がある、奇跡がある、そして地球の人間よりも身体能力がある。
その三つで生活が維持出来てしまうから、新たな技術が生まれづらい。魔法使いが一人いるだけで中世風ファンタジー世界で新鮮な食料を流通出来ている点から、連翹でも想像は出来る。
ゆえに、この世界の人間が想像する技術の発展とは『既存の技術の改良』と『便利な魔法の開発』、より頑丈になった鎧だとか、魔法による新たな食料の保管技術なのだと思う。
そこから外れた医学だとか科学などといったモノは大多数の人にとって想像の埒外。仮にその手の研究者が同じ町に住んでいたとしても、よく分からない変人扱いで終わりだろう。
そんな人たちを、一体どこから探す? 研究者とすら思われず、下手をしたらただの変人扱いされているかもしれない人間をどうやって集めるのか。
「なんだ、そんなことですか」
連翹の言葉に、ノーラは狼狽えることなく微笑んだ。
なに一つ問題ありませんよ、そう言うように。
「レンさんの話はもっともだと思ったけど――ノーラさん、そういった人たちを識別する方法でも考えついたのかい?」
「いいえ、まったく。けど、探す必要なんてありませんよ」
だって、と。
言葉を切ってから、悪戯な笑みを浮かべてみせた。
「探さずとも、たくさん居たじゃないですか――王冠に謳う鎮魂歌が囲っていた人たちの中に」
あ、と思わず声を漏らした。
王冠が引き連れ、インフィニットがブバルディアへと護送していった現地人――その中には、数多くの研究者が居た。
王冠という庇護者が居なくなった以上、彼らも働かねばならない。
そして、ブバルディアは転移者の襲撃によって様々な場所が破損し、怪我人も多数存在している。全員ではないだろうが、多くの研究者はまだブバルディアに留まっているだろう。
連翹たちが気づいたのを理解したのか、「ね?」とノーラは得意げに微笑む。
「理由は知りませんが、彼は治癒の奇跡を嫌っていて、だからこそこちらの世界で医療技術を研究している人たちを保護していました。だから、わたしがやるべきことは彼らと交渉することだけなんですよ」
だが、その為には金が必要だ。
研究には金が必要であり、研究を行う者たちの私生活にも金がいる。
金が無ければ研究は出来ず、金がなくて生活出来ないのなら研究を諦める必要もあるだろう。
無論、王冠を殺した自分たちが交渉する難しさもあるが、大前提として彼らを支える金銭が無ければ話にならない。小娘が何もなしに「貴方を支えます」などと言ったところで戯言なのだから。
ゆえに金銭。即物的ではあるが、だからこそ価値は伝わりやすい。
そして――
「その上で、わたしが、というよりもそのたくさんのお金の所有者が私利私欲のために使えば破滅するような、そんな呪いをかけて欲しいんです」
――自分自身には決して使えぬ縛りを与えて欲しいのだと。
「わたしだって魔が差すことはあるでしょうし、わたしが何かの拍子に死んで、それを受け継いだ誰かが無茶苦茶なことをしたら死んでも死にきれませんから」
その言葉は、ノーラを知らぬ者が聞けば清廉な聖女の言葉に聞こえたことだろう。定めた目的以外にそのお金に手を出さず、また死後に争いの種にならぬようにしたのだと。
だが、連翹は知っている。彼女は真面目だが、そこまで清らかでも私欲が無いワケでもないのだと。
死後に争いの種になるのは困るだろうが、だからといって自分まで使えなくする理由はない――普通なら。
「――デメリットをつけることで効果時間を延長させるつもりか」
「ええ。わたしがたくさんお金を使えたところでやれることなんてたかが知れていますますから。なら、わたしの死後もずっと使えるようなモノの方が良いでしょう?」
一体どれだけ効果が続くかはディミルゴ次第。
どれだけ効果を発揮したとしても、いずれ消滅する定めだろう。
だが、もしノーラのやり方で効果があったのなら。
今、ノーラが願った奇跡が消え失せたとしても、それに続く者が現れる。
仮になんらかの形で失態を犯したとしても、反面教師になることが出来るだろう。
「わたしはわたしなりに神官として頑張ってみます。だから、他のことはもっと優れた人に頼りたいと思うんです」
無茶をせず、やれる範囲のことを全力で――それが自分がすべきことだとノーラは語る。
それが今回の旅で得た教訓であると。
「なるほど、なるほど――いいだろう」
楽しげな声音と共に白い床が波打った。
波打つ水面のように、そして子供が捏ねる粘土のように。床の一部は隆起し、ぐにぐにと形を変え、金色に輝き――切り離される。
金のインゴットのようにも見えるそれは、ふわふわと浮かぶとノーラの手の平へと飛び込んでいく。慌てて受け止めた彼女は、二、三歩と後ずさる。
「きゃ――とと」
「無私の黄金、とでも銘しておこうか。願えば増え、自由に譲渡出来る。周りには『転移者の世界に転移した際に持ち帰った道具』、とでも言えば良い。今の時代の金貨などよりは誤魔化しやすいだろう。だが、自分が言った言葉を努々忘れぬようにな」
「ええ、無論です。こんなモノ、仮に自由に使えてしまったら呪いがなくても歪んでしまいます」
強い心があるのならともかく、そこまで自分に自信を持てませんから――そう言ってノーラは気恥ずかしそうに微笑んだ。
「それで、残るはお前だけだ――蝋翼の餓狼よ。願いは決まったか?」
「ああ。俺が願うのは、最初からたった一つだけだ」
にい、と笑みを浮かべたニールは、静かに剣を抜き放った。
それは、決して戦うための行為ではない。
これこそが自分であると、これこそが原点であると、そう神に告げるような行為に見えた。
「『転移者片桐連翹との全身全霊での勝負』、これだけだ。正直、卑怯な言い回しだが――これが俺の本心からの願いだ、叶えてくれるよな」
ニールはディミルゴを真っ直ぐに見つめ、言い放つのだった。




