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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
女王都へ
27/288

24/曲がらぬ剣士と死を恐れる少女

 海の底から浮上するように、ゆっくりゆっくりと意識が覚醒に向かっていく感覚。それにニールは僅かに顔をしかめた。


(――ああ、くっそ)


 その悪態は安寧の眠りを妨げられたことに対して、ではない。

 それは両腕に残留ざんりゅうした感触に対してのモノだ。騎士に対して最後に振るった斬撃の残滓ざんしに対してのモノだ。

 

(浅かった! あの程度で刃が心臓まで届くかよ、クソが!)


 倒れる寸前の記憶と剣から伝わってきた感触、それらが結末を見ていないニールに対して明確な敗北を告げている。

 なぜもっと意識を保てなかったのか。なぜ、失神しても全力で剣を振るえなかったのか! 

 自分でも無茶なことを言っていると思う。

 しかし無茶をやり通さずに夢を掴めるほど、自分が才気に満ち満ちているとは思えないのだ。

 無理を通して道理を蹴り飛ばして、ようやく過去の英雄たちの背中が見える位置に立てる――自分はその程度の才気しか持っていないと実感しているが故に。

 

(もっと、鍛えなくちゃならねえ)


 もっと鋭く剣を操れるように、

 もっと無茶ができる体を作るために――


     ◇

 

 鉛のように重い瞳を開くと、見慣れない天井が瞳に映った。

 

「ここは――」


 どこだ、と。辺りを探るために上体を起こした。

 瞬間、思考と視界が霧がかかったように白く霞んだ。


「ぐっ……」


 全身が「まだ起きるな、寝てろ、寝てろ!」と眠気やら痛みやらでニールを抑えこもうとしているが、知った事かと無視し辺りを観察する。

 辺りには清潔そうな白いベッドが複数並んでおり、自分もまたその一つに体を横たえていることが分かった。呼吸をすると薬品の臭いが鼻孔を刺激して、ニールは顔をしかめて口だけで呼吸を始める。

 

「病室、か」

 

 そう呟くと、不意にドアが開く音がした。

 視線を向けると、そこには見慣れた黒服銀髪の少年カルナが居た。その背後にはノーラも居るのだろう、カルナの背中から桃色のサイドテールが僅かに顔を出している。


「……や。少なくとも死んではいないみたいだね」

 

 安堵と苛立ちが半々、といった口調で挨拶したカルナは、ニールのベッドに歩み寄った。その背後をノーラが続く。

 

「まぁな……悪いな、カルナ」

「悪いな、か。ねえ、ニール。君は何を悪いと思って謝ったか聞いてもいいかな?」

「結局あの騎士に勝てなかった。ったく、こんなんでよく転移者に勝つとか言え――」


 顔面に靴底が叩き込まれた。

 血が足りず、未だ体力も十全ではないニールは踏みとどまれない。布団ごと宙を舞い、床に叩きつけられる。 

 

「い――つ、テメェカルナお前」

「ふんっ。魔法叩き込まれなかっただけ、ありがたいと思いなよ」


 凍えた声音で言ったカルナは、言葉と同じ温度の視線をニールに向けた。


「馬鹿だ馬鹿だ、とは思ってたけど、まさかここまで馬鹿だとは思わなかったな。君は何も理解してない」

「鍛え方が足りなかったことか? 確かに気絶ギリギリまでやって引き分けにすら出来なかったんだ、相棒のお前が怒るのも無理ねぇよな――」


 カバンが叩きつけられた。

 着弾地点は左胸。既に魔法で塞がったものの、少し前まで剣が突き刺さっていた場所だ。繋がったばかりの肉がミチミチと音を立てて断裂する感覚と共に激痛が体を走り抜ける。

 さすがに文句を言ってやろうとカルナに視線を向けるが、彼は殴れるような位置には居なかった。

 そこに立っていたのはノーラだ。カバンを振り下ろした体勢のまま、ふー、ふー、と荒い息を吐いている。


「勝つとか負けるとかから頭を離してください――というかあなた馬鹿ですか馬鹿ですか馬鹿なんじゃないですかこのお馬鹿! 致命傷って言葉知ってます!? 知ってますよね知らなかったら怒りますよええもう怒りますから!」

 

 いや、お前もう怒りまくってるだろう。怒髪天を突きまくってるだろ!

 そんな風にツッコミを入れたらヤバイな、程度の空気くらいはさすがにニールも読めた。


「え? あ? あー、あれだろ? 治癒の奇跡無ければ死ぬの確定なダメージだろ? まあ近くに神官いるなら、治る傷だし問題なしって思――ぱう!?」

 

 もう一度叩きつけられた。同じ場所、同じカバンで、しかし今回はカドで、前より勢い良く。

 カルナに顔面蹴られた痛みより、絶対こっちの方が痛い。というか、絶対痛いところを狙ってぶん殴ってるよなお前、と心の中で叫びつつ床で悶絶するニールをノーラは鋭い瞳で見下ろしていた。

 やはり怒っている。

 それはもう凄い勢いで。

『ぷんぷん』という擬音がつくような可愛いモノではない。

 ニールが目覚めるだいぶ前に『ブチィッ!』という擬音が盛大に鳴らして、その怒りを持続させている――そんな怒り方だ。激怒とかガチ切れとかそんな言葉がよく似合う。

 

「いいですか? 治るから怪我していい、なんて考えで居られると困るんですよ。ディミルゴ様だって自分から傷口を広げるような人のために力を貸してくれるほど暇な存在ではないんですからね? ……ニールさん、分かりますか?」

「あ、おう……」


 怖い。

 普段通りの丁寧な言葉遣いだというのに、鉛のように重く氷の如く冷たい声音が恐怖を感じさせる。

 

「治癒の奇跡というのは、必死に今を生きる生物の手助けのため、ほんの少しだけディミルゴ様が貸してくれる力なんです。人間が頑張っている誰かを見て手助けしたいと思うのと同じように、ディミルゴ様もそうやってわたしたちに力を貸してくれる」


 ……だっていうのに、その力で助けてもらえるのを前提に動くとはどういうことですか――と。こちらの瞳を真っ直ぐ見つめながらこんこんと説教をするノーラ。

 

「もちろん、必要な時なら構いません。命をかけてでもやりたい事がある、傷ついてもやるべき何かがある、というのならディミルゴ様も文句は言わないでしょう。……けど今回、騎士さんと戦ったのって、命をかける場面ですか?」

「――む」


 そう言われると、少しばかり困る。

 戦いというのは鍛錬じゅんび装備じゅんびを重ねた上で命を賭けるギャンブルである。

 だが、全ての戦いで全財産いのちをぶちこむのは戴けない話だ。

 毎度毎度そんなことをしていては、いずれ破滅する。それは理解しているのだが、


(……楽しかったからなぁ、強かったからなぁ)


 自分よりも格上の相手に、もしかしたら勝てるかもしれない。そう思った瞬間、その手の理性が一瞬で蒸発した。

 無茶をすれば勝てる。無理を通せばより高みへと行ける。なら何をためらう、と命を全部賭けてしまった。

 その結果が医務室のベッドで横たわる現状だ。ギャンブル狂が有り金を全てスッて破滅するのと同じ流れで、ニールは死という破滅に導かれるところだった。

 

「分かっちゃいるんだがな。けど、やれる、できる、勝てる――そう思うと体の方が先に動いちまう」

 

 馬鹿だ馬鹿だとは思うが、そういう性分だし――そして何より、自分自身こういう思考を嫌っていないのだ。

 ノーラの言葉も理解できるし、ニール・グラジオラスという男を心配しているがゆえの怒りだとも理解できる。申し訳なく感じるし、謝りたいとも思う。

 だが、己のあり方を肯定している以上、変えることはできない。当人に変える気が無いからだ。


 これが、幼いころのトラウマで自分の命を安く感じてしまっている――というのならまだ矯正は出来たかもしれない。

 しかし、ニールにはそういった事情は欠片も存在しない。

 普通に西部の町で産まれ、普通に両親の愛を受けて育ち、普通に英雄物語に憧れ、普通に剣を取り、その流れで冒険者になった――そんな凡庸な男である。 

 ただ、自分が納得した上でなら、命を賭けることになんのためらいも浮かばない――そんな性質を生まれつき持っていただけなのだ。


(師匠は『最大の欠点かつ、最大の長所』とか言ってたけどな)


 真剣で斬り合っても、魔物と殺しあっても欠片も怯まないのは才能だが、命に頓着しなさ過ぎるのは欠点だとニールの師匠は言っていた。

 しかし、その二つは表裏一体であり、いいところだけを手に取るのは不可能だろう、とも。


(だから友を作れ。お前のデカ過ぎる欠点を塞ぐ誰かを、お前の長所で守れるような剣士になれ――だったか)


 人間なんて一人で完成する生き物でないのだから、他者と交わることで長所を高め、短所を埋めていくべきなのだと。

 

(――ああ)


 だとしたら今の俺は随分と恵まれている。

 カルナにしろノーラにしろ、ニールの欠点をニールのために怒り注意してくれる。後は互いに補い合えるようになればいい。

 

「悪いな二人とも、無茶やって心配かけちまった。確かにあんなどうでもいい無茶で死ぬとかゴメンだな」

「なんで君は初めからそれが言えないかな……心配するこっちの身にもなって欲しいよ」


 立ち上がろうとしてふらつくニールの手を、カルナが握り強く引いた。

 不安定ながらもなんとか二本足で立ったニールの姿を、カルナは「しょうがない奴だ」と言うように微笑む。

 

「無茶をやるなら僕が援護できる時にしてくれないかな。考えなしの行動ばっかで危なっかしいんだよ、君はさ」

「別に考えなしなわけじゃないんだぜ。考えた結果、ああなるだけでな」

「似たようなモノだよ、それ。ま、下手に縮こまってる奴よりはいいさ。そんな奴とじゃあ、一緒に居ても意味がない」


 だろ? とニールが笑いそれに釣られるようにカルナが笑い声を上げる。

 そして思うのだ。やはりこいつは、性格も得物も技術も違えど、根っこの部分は自分と同じ求道者なのだな、と。

 だからこそ、どちらかが道を阻まない限りは仲良く出来るし、高め合うことができるのだ。


「……決めました」


 笑い合う二人の顔を不満気に睨む少女が一人。ノーラだ。

 大きな瞳を半眼にしていた彼女は、不意に「よしっ」と己に気合を入れるように叫んだ。

 

「ニールさん、カルナさん。今回のお仕事では、なるべく貴方たちと一緒に行動しますからね!」

 

 高々と宣言するノーラに対して、「え?」という二つの声が放たれる。


「いや、俺は助かるけどな、前衛やってる以上は生傷は絶えねえし」

「うん、僕もありがたいと思うけど……どうしたの、いきなり」


 ニールが心配なのは分かるけどさ、と言うカルナ。

 その顔に「貴方もです」と言いたげな鋭い視線が突き刺さる。


「あのですね、カルナさん。貴方がもうちょっとマトモな人なら、今ここで決心しませんでしたよ」

「あれ!? なんで僕いきなり罵倒されてるの!?」

「だってカルナさん、自分が援護できるなら無茶しても問題ない、みたいな顔で笑ってるんですもの! 初めて会った時は大人しくて優しそうだと思ってましたけど、実は根っこはニールさんとあまり変わらないじゃないですか!」


 興が乗ったら一緒にどこまでも暴走するタイプでしょう貴方! と指を差されたカルナは、謂れのない罪を告発されたように瞳を見開いた。


「え……え!? 待って! ねえ待ってお願い! いくらなんでもこいつと変わらないとか言われるのは心外なんだけど!」

「テメエこのカルナ、さすがに俺だってそこまで言われるのは心外だぞ表出ろぉ!」

「上等だよ! ここらで互いにどっちが上なのか決めようじゃないか……! これで僕が君と一緒とかいう誹謗中傷も無くなるはずだしね……ッ!」

「ちょ、なんで全然血が足りてないのに暴れるんですか暴れるんですか暴れるんですかっ! カルナさんも煽らないで……ああもう、安静って単語を知らないんですかぁー!」


 ノーラの叫び声に引っ張られるようにドアが開き、そこから連翹れんぎょうが顔を出す。

 部屋の外まで響く大きな声に、何かあったのだと思ったらしい彼女は、医務室内をぐるりと見渡し――


「――――あ、えっと。なにこれ、どういう状況?」

 

 わけがわからない、という顔で呟いた。

 

「あ! レンちゃんレンちゃん! ちょっとこの頭の茹だった人たちベッドに押し倒してくれませんか! わたしも手伝いますから!」

「な――いきなり何よノーラ! 押し倒すとか……しかも四人で!? つまりよんぴい!? だめよノーラ、そんないやらしい!」

「えっ?」

「えっ?」

「……盛り上がっているところ悪いのだが」


 少女たちが「何言ってるんだコイツ」と互いに見つめ合っている横をすり抜けるように、金髪碧眼の騎士が現れた。ニールの胸を刺し貫いた騎士、アレックスだ。

 その姿を見たノーラは、試験の戦いを思い出したのか警戒するように一歩だけ距離を取り、


「おう、お疲れ。やー、強いなアンタ……っと名前聞いてなかったな、なんて言うんだ?」


 死にかけた本人は何一つ気負うことなく、友人と出会った時の気軽さで話し始めていた。

 

「アレックス・イキシアだ――あの時は済まなかった。途中から夢中になり過ぎてしまった」

「ああ、問題ねえ問題ねえ。アレックス――アンタを夢中にさせる程度にゃ、俺の剣は鋭かったってことだろ? なら、ベストじゃねえけどベターだよ」


 あそこから大逆転決めて勝鬨かちどきを上げるのが一番だったんだがな、と笑うニールに対しアレックスの表情には呆れを多分に含まれている。

 ただ、その呆れが救いようのない馬鹿を見下すモノでは断じて無く、どことなく「それなら仕方ないな」と言いたげなのは、彼もまたあの戦いで楽しくなり致命傷を与えるような気質の人間だからだろう。

 剣士の全てがそういう人間ではないものの、しかし強い誰かと戦い心を躍らせる者が多いのもまた剣士なのだ。


「すでに聞いていると思うが、君たちは全員合格だ。クエスト開始までの寝床に関しては冒険者ギルドに頼み、冒険者の宿を紹介してもらっている。募集期間が終わるまでは自由期間として、鍛錬に励むなり観光を行うなりしてくれ」


 アレックスは懐から書簡を取り出し、四人に手渡した。それを冒険者ギルドの受付に渡せば、無料で宿を仲介してもらえる、と。

 ニールはそれを無くさぬよう懐に収めながら、にいと唇を愉しげに釣り上げた。

 とりあえず、スタートラインには辿りつけた。後は鍛えた体と技が届くかどうかだ。

 そしてその気持ちはカルナも同じのようだった。

 しかし笑う余裕はないのか、手渡された書簡をじっと見つめている。それは夢への通行手形であり、しかし同時に危険地帯に自分が踏み入ることへの証明であるのだと――そんなことを考えているのだろう。

 小さく溜息をついて、その肩を掴む。振り向くカルナをニールは安堵させるように笑いかける。


「やることはやったんだろ? なら問題ねえ、後はぶつかるだけだ」

「まあ、そうなんだけどね……もっと準備が出来たかなあ、とか考えちゃって」

「万全な準備なんてしてたら、他の誰かが転移者あいつら倒しちまうか、俺らが年寄りになっちまうっての」


 どれだけ準備してもしたりないのは事実だが、しかし準備だけして前に進まないと他の誰かがどんどん追い抜いていってしまう。

 故に、やらねばならない時が来たのなら、後は今までの自分を信じ当たって砕けろの精神で前に進むしかない。

 

「ま、お前がヘマしたら俺が守ってやるから、安心してろ」

「その言葉はそっくりそのまま返すよ。……それでも、まあ、礼は言っておく」


 言って、互いに拳と拳をこつんと叩き合わせた。

 こいつとなら負ける気がしないし、負けたとしてもそれは互いに全てを出し切った果での敗北のはずだ。

 なら、それでいい。無謀な挑戦の果てに惨めな敗北を向かえるなら、コイツの隣で共に屍となり風化したい。

 ニールはそう思っているし、カルナもそう思っていて欲しいと思う。

 無論、それを口に出すことはしない。この感情が破滅願望に近いのはニールとて承知の上だ。それを口にして、カルナを縛りたくはない。

 互いに思うように動き、夢半ばで倒れるのなら、その果てはそうなればいいな――そんな願望。その瞬間、カルナがニールを見捨てて逃げても、多少寂しく思うものの決してカルナを恨んだりはしない。したくない。

 

 ――そう思考し笑うニールの横顔を、ノーラが不安そうに見つめていることに、ニールは全く気づかない。

 

     ◇


 ノーラ・ホワイトスターは未だ見習いとはいえ神官であり、自身が住まう村では良く傷の手当などを行っていた。

 だから、怪我をし易い人間、というのはなんとなく理解できるのだ。

 注意力が散漫な者、危険だと分かりつつもその危険に首を突っ込む者――そもそも、傷ついて死ぬという事実を欠片として恐れていない者……ニール・グラジオラスがそれだ。

 死を理解していないワケでは断じて無いだろう。

 彼は剣士だ。剣を振るって、切り裂き、重要な臓器を破壊し血を垂れ流せば人は死ぬ、という事実はきっと理解しているはず。それすら理解できないような愚鈍な人間なら、カルナは愛想を尽かして彼から離れているだろう。

 

 ――死を真っ直ぐ見つめ、死を理解し、けれど死を恐れない。

 

 それがニールという少年のあり方だとノーラは感じた。

 

(……!)


 それが、少し怖い。

 悪い人間ではないと理解しているし、言葉を交わせば互いに笑い合える。嫌いな人間ではない。

 だが、神官として死を遠ざけ、死に畏怖する彼女にとって、そのあり方は狂気と言っても過言ではない。

 

 ――彼女の両親は流行病で死んだ。

 

 抵抗力の弱い子供だったノーラが罹らなかったのは幸運だったが、日に日に弱っていく両親を理解できる程度には大人だったことは不運だった。

 神官の扱う奇跡は病魔を払うことはできない。弱る体に活力を巡らせるし、臓器が壊死しても再生させることはできる。しかし、病魔の元を断つことは不可能であり、またすぐに病が体を蝕んでしまう。

 しかし、その病魔を払う技術を収めた者――医者はノーラの住む村には存在しなかった。

 元々、医者――医術を扱う人間は少ないのだ。怪我の大半は神官の奇跡で治せるし、多少の病気なら治癒の奇跡で体力を回復させ、栄養のある食べ物を食べれば抵抗力が上がり病魔に打ち勝てるからだ。

 結果。医者が来るまでの時間稼ぎは虚しく、彼女の両親は死んだ。風船を何度も何度も膨らませてはしぼませて――最後には穴が空いた、そんな死に様。

 実の親が何度も死にかけ、努力虚しく逝ってしまった過去は、ノーラ・ホワイトスターという少女の心に一つの感情を刻み込んだ。

 

 それは恐怖。

 死に対する恐怖だ。

 

 死ぬのは怖いし、誰かが死ぬのを見るのはもっと怖い。

 だから、彼女は神官を志した。本来は両親を救えたかもしれない医学を学びたかったが、しかし小さな村でそれを教えられる人間など居はしない。

 そのため、言い方は悪いが代用品として神官の道を志した彼女だが、しかしそれでも修行で手を抜いた事などは一度もない。事故で大怪我をすれば人は死ぬ。そして、その命を繋ぎ止められるの神官だ。死を遠ざけ、誰かを救うための技術を習得する道のりで手を抜くなどありえない。

 いずれ訪れるとしても死は怖くて、いつか終わるとしても生は尊い。

 だから、誰かが怪我や病気で死ぬのは悲しいし――それを頓着しない人は理解し難い。


「彼の思想が恐ろしいか?」


 己の心を読んだような言葉に、慌てて振り返るとアレックスがこちらを見下ろしていた。


「……ええ、少しだけ」


 その言葉になんと答えようか迷い……結局ノーラは本心を吐露した。

 誤魔化しても意味がなさそうだということもあるが、他人と話して楽になりたかったという面が大きい。


「別に彼のあり方は珍しくない――というのは言い過ぎだが、貴重だと言えるほどでもないんだ。自分たち騎士にも、己と他者の死に感心が薄い者がいる」


 アレックスが言うには、普通の人間は人形であろうと剣で切り裂き、魔法で破壊することを躊躇するものらしい。

 それが人間なら尚更で、初めて真剣で斬り合いをさせたら、訓練で示した実力の半分も出せない者が大多数なのだと。敵を殺してしまうかもしれないという恐怖と、自分が殺されるかもしれないという恐怖が体を縛るのだ。

 だが、そんな中に一定数、そういった縛鎖を全く受けない者がいる。

 人形を他の的と同じように切り裂き、真剣での斬り合いで訓練と遜色ない動きをする――命を奪い合う才能を持った者が。


「だが、別にその人物たちが危険人物というわけでは断じてないんだ。ピアノを弾き方を覚えるのが早いとか、他人よりも頭の巡りがいいとか、その程度の気質でしかない」

 

 問題は、それをどう扱うかだ。

 アレックスはそう言うと腰の剣をこつん、と軽く拳で叩いた。


「この剣は他者の命を奪うためのモノであり、今ここで抜き放って君に振り下ろせば、君は死ぬ。自分は剣術を学び、君はそれを防ぐ手立てはないからだ。しかし、君は別段、自分に対して恐怖を抱いてはいない」

「それは――」


 きっと、アレックスという人間が突然自分を斬り殺すような殺人鬼には見えないから。

 その剣を突然抜き、己を斬り殺す未来が想定できないからだ。


「剣は殺すモノだが、振り下ろす先は選べる。内に秘めた衝動もまた、同じだ」


 剣という殺傷の道具を持っているが、それを悪戯に振り回さないことと同じ。

 ニールも死に対して恐怖を抱きにくいが、だからといって無意味に死に恋い焦がれているワケでもないのだろう、と。


「どのような武器を持っていようが、どのような精神であろうが、関係ない。彼がどういう人間で、どういう人間であろうとしているか――大切なのは、それだけのはずだ」

「……そう、ですね」


 納得し、ノーラは頷いた。

 誰しも心にそういった外れた部分を持っていて、それを抱え、互いに許容範囲を探り生きていくのだろう。

 自分だってそうだ。同い年の誰かに比べ、死を理解し、死を恐れている。これもまた、他の人間と比べ外れていると言えるだろう。

 そう思うと、少しだけ恐怖は薄らいだ。少なくともニールは、他人の言葉を聞いて受け入れることができるのだから。

 

(……だから)


 わたしが真に恐れるのは、抜身の刃の如く己の衝動を振り回すような人なのだろうな、とノーラは思う。

 金銭や肉欲のためだけに刃を振るい人を襲うような誰かや、自分勝手な理屈を恥もせず他人に強要する誰か。

 だからこそ、もっと誰かの役に立てるようになりたいと思う。

 そんな人間たちが目の前に立ちふさがった時、後ろで震えているだけではないように。隣り合って立ち向かえるように。


「……そういえば、だ。君たちに質問がある」


 不意に、アレックスが声を上げた。ノーラを含めた四人の視線が彼に向かう。

 

「片桐が合格祝いということで、どこかで食事をしたいと言っていてな。自分の知っている範囲で店を紹介しようと思っているのだが、何か要望はあるか?」


 瞬間、ニールが拳を掲げ高らかに宣言した。 


「焼肉食おうぜ焼肉! 酒飲みながら肉を食いまくろうぜ! 血ィ足りないならやっぱ肉だよなぁ肉!」

「そういう場合は安静にして体に良い物でも食べてたらいいと思うけど……まあ、いいよねぇ肉」


 同調するカルナに対し、連翹が「この男どもは」と言いたげな表情で溜息を吐いた。


「女が二人も居るのにそんな可愛らしさもオシャレさもない選択肢はないでしょ。ほら、ノーラだって――」

「いいですねお肉! わたしもお腹空いてるんですよ!」

「――嫌が、ってあれえ!? ねえノーラノーラ、そんな男臭い食事で大丈夫なの? 別にあっち二人に合わせる必要とかないのよ?」


 瞳をキラキラと輝かせるノーラの肩を掴む連翹。

 何を心配しているのかは良く分からないが、問題ないということを示すために笑いかける。


「大丈夫ですっ! 教会に居た時ってあんまりお肉食べなかったので、凄い新鮮なんですよ!」


 焼き鳥とビールも美味しかったのだから、きっと焼肉とビールも凄いよく合うはずだ。

 なにせ、ビールと脂っこい食べ物は友人だ。兄弟とか、夫婦と言ってもいい。そのぐらい相性が抜群なのだ。

 それに、今ノーラは奇跡を集中して使用したために疲労しているし、お腹も減ってるし喉も乾いている。

 つまり……!


「ビール飲むのに最高のコンディションじゃないですかっ! すごい、これってディミルゴ様がビール飲んでお肉を食べろ、と言ってるに違いありません……!」

「いいの!? ノーラ、その発言、神官として色々いいの!?」

 

 連翹がノーラの肩を掴んで叫ぶが、当の本人は大丈夫だろうと思っている。

 創造神ディミルゴが人に求めるのは、生を謳歌することと、目的を持ち日々前に進むこと。食べることに夢中で目的を忘れたら怒られるだろうが、合間合間で美味しい物を食べたり酒を飲んだりしても問題はないはずである。


「いえ、待ってください……! お腹すいた時にごはん食べると、生きてて良かったって思うわけですから――人生を楽しんでいるってことで、むしろ賞賛されると思うんです!」

 

 胸を張って宣言すると、連翹は突発性の頭痛が襲ったように頭を抱えて蹲った。


「あっれー……? おかしいなあ、大人しそうなプリーストがなんでこんなに肉食なの? あたしとしてはもっとテンプレ的な感じな世界と登場人物が欲しかったんだけど……」

(なんだかよく分からないが、色々と混乱しているみたいですね)


 なんというか、レンちゃんって予想外の事態に弱い傾向がありますよね――とノーラは思う。

 最初に会った時、酒場で尊大な口調で男たちと戦おうとして、ニールに全部手柄を取られた時も同じだった。

 

(レンちゃんって、なんか物語の登場人物を真似てるみたいな感じだから――突然、予想外なことが起こると演じきれなくなっちゃうのかな)


 子供の頃の勇者ごっこ、英雄ごっこを一人で今でも続けている――と言ったら酷く残念な人に思えるけれど、ノーラにはそこまでの変人には見えない。

 たぶん、予想外のことでわたわたしているのが本当の連翹で、そういう自分が嫌だからこそ憧れた英雄に成ろうとしているのだ。

 疲れている時でも頑張って平気な顔をすれば平気になるのと同じように、英雄を演じて英雄の力を借りているんだと思う。

 だから、


「レンちゃん、一緒に行きませんか? 皆で食べた方が、きっと美味しいですよ」


 彼女に手を差し伸べて、微笑む。

 凄い力を持った転移者だとか、そういうのは一切関係ない。

 頑張って前を向こうとしている誰かに手を差し伸べるのに、地位や産まれや力なんて関係ないはずだ。

 

「あ……うん。そうよね、うん」


 一瞬、差し伸ばされた手の意味を理解できず、ぽかんとしていた連翹。

 だが、経験のない誘いに戸惑うように、照れるように頬を赤らめその手を取った。

 

(本当、強いのに人見知りする子供みたいですね)

 

 そう思うと、どうしても放っておけなくて、近所の子供にするようにその頭を撫でてしまう。

 子供扱いしてしまった怒られるかな、と思ったが連翹は戸惑いながらも受け入れてくれた。さら、さら、と艶やかな黒髪を撫で上げる。


「おーい、店決まったからじゃれてねえでそろそろ行こうぜー! 血ぃ流し過ぎたから腹減ってるんだよ」

「失血と空腹はそこまで深い関係じゃないと思うけどね……。まあ、いいや。ノーラさん、レンさん、席が埋まっちゃう前に行こうか」

「あ、はーい!」


 元気よく返事をして、連翹の手を掴む。

 そういうことをされるのに慣れていないのか、目に見えて狼狽える連翹に、優しく微笑みかける。


「行きましょう、レンちゃん」

「あ、う……うん、そうね! まあ、ノーラがそうやって誘ってくれるのなら仕方がない、行ってあげなくもないわね!」

「そっか、ありがとう」


 無理に尊大に振る舞おうとするその姿が、少しおかしくて笑ってしまう。

 けど、それはきっと彼女にとって必要なこと。

 でも――いつかはそういった演技などは抜きで、二人で語り合いたいなと思うのだ。

 

「ん……あれ、あれぇ!? なにこれ、ナデポにニコポって奴!? なんであたしがやられる方なの……っていうかノーラ女じゃない! え、あたし、もしかしてそっちの気があったりするの……!?」


 頬を朱に染めながらよく知らない単語をぶつぶつと呟く連翹を横目に見ながら、とりあえず暇な時に彼女が良く言う言葉を教えて貰おうかな、と思った。

 

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