266/神田明神
大通りを外れ、カルナはいくつかの店に顔を出し機械を購入する。
もっとも、本格的な機械部品などではなく、初心者が作って遊ぶための製作キットのようなモノばかりなのだが。
電気で動く車と時計に、太陽の光で電気を作るソーラーバッテリーと手回し式の充電器。後は電気ケーブルなどが入った袋を持ち、カルナは小さくため息を吐いた。
(本格的なモノはもう何がなんだか分からないしね……)
カルナから見れば似たような部品だというのに、形や型番どころか使用用途まで全く別のモノばかり。
無論、構造を理解している者であれば差は歴然なのだろうが、カルナにはそれが不可能だ。端的に言って積み重ねてきた知識のジャンルが違い過ぎる。
「カルナさん、欲しいモノは手に入りましたか?」
様々な部品を見て回る際に、『一時間後に合流しよう』と言って別れたノーラがこちらの姿を認め歩み寄ってくる。
男女二人で来てそれはどうなのかとも思ったが、やはりカルナは自分が知らない何かを色々見て回りたかったし、ノーラがそれらにあまり興味がないのも察していた。
幸い、こちらの世界は治安が良い。ならば、興味がない場所に突き合わせるよりは独自に動いた方がノーラも楽しいだろうと思ったのだ。
「ああ、まあね。想定より色々難儀したけど――そっちは?」
「あ、それなんですけどね。見てください、これ!」
そう言って喜々として袋から出したのは、先程クレーンゲームで半ば敗北する形で手に入れたぬいぐるみ――その絵本であった。
そうか、そんなに気に入ってくれたのか。そう思うと確かに嬉しいのだが、同時に宿敵たるえびふらいのしっぽの掌で踊らされているような感覚に陥る。
『敗残者め、お前の想い人は既にこの私の手の中だ。悔しかろう悔しかろう』――そんな言葉が聞こえてきそうだ。無論、完全に幻聴である。どう考えてもそのようなセリフを吐くキャラクターではない。
「少し気になるな……軽く見せて貰ってもいいかな?」
「もちろん構いませんよ、その代わりカルナさんが買ったのも見せてくださいね」
人の邪魔にならぬよう道の端に寄り、手渡された絵本からえびふらいのしっぽの姿を探す。
こいつは一体どんな思考をしているのか、というかそもそもこいつは生物なのか? そんな諸々の疑問を解消し、対抗策を練る。勝利とはまず相手を知るところから始まるのだ――!
そうして見つけたえびふらいのしっぽの姿。
どうやら彼は硬いから食べ残されたエビフライの尻尾部分であるらしい。
『脂身が多いから残されたとんかつの端っこ』であるとんかつや、同じ境遇のアジフライのしっぽとは通じるモノがあり仲が良いらしい。
とんかつと一緒に遊んだり、どうしたら食べて貰えるか相談するのを読みながら、カルナは「くっ」と顔を歪めた。
「くそ、健気過ぎて憎みきれない……!? なんて卑劣な策略だ……ッ!」
「この子を憎もうとする人は少数派だと思いますよ、きっと」
電気工作の自動車制作キットの箱を見ながら「あー、なんか男の子がとても喜びそうですね」と微笑ましそうに笑うノーラだが、違う、これは知的好奇心を満たすための代物だ。断じて趣味の類ではない。
無論、似たようなモノの中から好みのモノを厳選したのは確かだが、機能が似たり寄ったりであるのならデザインを重視するのは特別おかしいことではないだろう。実のところ途中で見かけたミニ四駆なるオモチャもつい買ってしまったりしているが、これもまた簡素な工作でありながら完成度が高そうだと思ったから手に入れただけである。
別に黒地のボディに蜘蛛の巣を連想させる装飾が施されているのが格好いいと思ってしまったからでは断じて、そう断じてないのである。銀のサソリめいたデザインのモノと最後まで悩んだが、それはそれ、これはこれだ。
などと、理路整然と語ったのだが、ノーラの頬は緩むばかり。「ええ、分かってますよ、ええ」などと言って頷いているが、絶対分かっていないことはカルナにも伝わっている。
「いいさ。それよりここに留まっていても時間の無駄だし、移動しよう」
「あ、待ってくださいカルナさん。からかったのは謝りますから拗ねないでくださいよ」
拗ねていない。これは想いが正確に伝わらなかったことに苛立っただけであり、そういう子供っぽい感情とは無関係。たぶん、きっと。
そのようなことを考えながらずんずんと歩いていると、駅前からだいぶ離れてしまった。大通り周辺にあったアニメやゲームなどの綺羅びやかな色彩は失せ、路地に出店しているPCショップやアダルトゲームショップなどといったマニアックな要素も消えて、普通の街並みが現れる。
「……しまったな、少し離れすぎた」
目の前に現れた長い階段を前に、カルナは失態だと眉を寄せた。
先程まで巡っていた場所とは空気が違いすぎる。周りには少し前まで見かけた類の店はまるでなく、長い階段の前で写真を撮っている男性たちの姿だけが先程まで居た秋葉原と地続きの場所なのだと示していた。
「あ、やっと止まってくれましたね」
「ごめんごめん、流石に子供っぽかった。とりあえず引き返そうか」
「ええ――あ、いえ。カルナさん、あの坂の先に行きたいんですけど、構いませんか?」
「いや、さっきは僕の我儘を通したから構わないけど――何か気になるモノでもあったかい?」
こちらにも店はあるのだろうが、土地勘も地図もないカルナたちではそういったモノを的確に見つけられるとは思えない。十中八九、辺りをうろうろとするだけで終わってしまうだろう。
「それなんですけど、ほら、あっちの人たちを見てください」
ノーラが視線を向けた先には、先程カルナも見た男たちが居た。興味深そうに長い階段の写真を撮り、所有しているスマホの絵と見比べて楽しそうに仲間内ではしゃいでいる。
声自体は周囲の迷惑を考慮してかそう大きくはなかったが、耳を澄ませば会話は聞こえた。
曰く、ラブ、ライブ、アイドル、聖地、巡礼、ここで彼女たちが云々――などという単語を拾って、カルナは納得したように頷く。
「なるほど――彼らはこちらで言うところの神官たちか」
「神官という程の力はなくても、信心深い方々なのは確かみたいですね。神様が居た場所だって、子供みたいに喜んでますから」
そう、彼らは信仰する神の聖地を巡礼する信者なのだ。
恐らくあの坂の先には教会のような建物があり、そこに偶像も存在しているのだろう。
ノーラはこの世界の神を信仰しているワケではないが、自分が知る神とこちらの世界の神の差を知りたいということか。
納得したカルナは頷き、ノーラに笑いかける。
「よし、それじゃあ行こうか。僕もこちらの世界の教会は気になる」
「ですよね、行きましょう!」
――言うまでもないが、カルナとノーラが脳内で紡いだ方程式は間違っている。
しかし、それも致し方あるまい。この世界のことについて無知な二人では、聖地巡礼という単語から『アニメの元ネタになった場所巡り』という真相に到れるはずもないのだ。
だが、間違いだらけの方程式はたまたま正答を導き出した。
神田明神――神田神社がカルナたちの前に現れる。
カルナが最初に抱いたのは『朱い』という単純な感想であった。
神を祀る場所とはもっと色素の薄いイメージがあったが、それと真っ向から対立する色使いの神社だ。
だが、全体の調和が取れているのか不思議とケバケバしい印象はない。瓦棒葺きの屋根に、舗装され整えられた白い地面らが目立つ朱を神聖なモノにしているように思える。
「こっち側は入り口じゃなさそうですね――回り込んで行きましょうか」
「別にこっちから入っても良いと思うけど、まあ確かにそっちの方が安心かな」
どのように参拝するのが正解か分からない以上、順路通りに移動した方が良い。
カルナもノーラもこの国の人間ではないのは一目瞭然であるため、多少の失態はお目溢しされるだろうが――それに甘えるのは違うだろう。
ぐるりと回り込み、巨大な朱い門の前に立つ。
鮮やかな朱を基調とし、金の細工や緑の模様が施されている。左右には古めかしい衣装を着た男の彫像が飾られていた。何かこの場所に関係のある人物なのだろうか?
豪華で、鮮やかで、されど神秘的。カルナが知る宗教施設とは全く違う姿に驚きながら中に足を踏み入れようとし――ノーラに袖を掴まれる。
「待ってくださいカルナさん! その前にこっちです、こっち! こっちで手を清めてから行くみたいですよ!
ノーラが指差す方向には、ドラゴンの形をした石像が水を吐き出している水場があった。
柄杓が複数存在し、他の参拝客がそれを自身の手にふりかけているのが見える。神様に会う前に汚れを落としておけ、ということらしい。
「ありがとうノーラさん、正直奥ばかり見ていて気づかなかった――しかし、場所によってドラゴンの扱いもだいぶ違うんだね」
ドラゴンとは恐ろしい破壊と天災の象徴。
カルナの鉄咆にもドラゴンの絵が彫り込まれているが、あれは杭を射出する機構と発射の際に生じる音の大きさから連想した『敵から見た恐ろしいモノ』であるとドワーフのアトラが言っていた。
だが、こちらではどこか神聖なモノとして扱われているように思える。ドラゴンと比べて細長いようにも見えるし、人間とエルフなどのように体の共通点が多いだけで全くの別種族なのかもしれない。
互いに手を清め、今度こそ門から内部に入る。
すると正面に見える、一際立派で大きな建物。石造りの犬に守られるような形に設置されたそこに、至るまでの道を多くの人が並んでいるのが見えた。恐らく、あそこに神が祀られているのだろう。
周囲を見渡すと米俵に乗った恰幅の良い老人の像が見える。あれがここの神なのだろうか?
「カルナさん! あっちにここの説明が見れるみたいなので行ってきますね!」
「ああ、構わな――走らなくても逃げないから落ち着いて! 他の人の迷惑にならないようにね!」
分かりましたー! と、タッチパネル式のディスプレイに向かうノーラに、小さく息を吐いて追いかけ――ようとして脚を止める。
カルナの視線の先にあるのは絵馬だ。カルナはその用途を知らなかったが、ざっと観察してみればどういうモノかくらい理解出来る。要は願い事を書き記し、神様に叶えて貰うという神事なのだろう。
それ自体は良い。だが、その絵馬の半分くらいにはイラストが――先ほど秋葉原で見たような絵が描かれているモノが描かれていた。
当人の直筆らしきモノも多数あったが、既製品なのか巫女の姿をした少女のイラストが描かれている絵馬も大量に存在している。
(――ああ、これはもしや)
周囲を見渡し売られている土産物や、先ほど坂道の写真を撮っていた集団などに視線を向ける。
土産物は古風なモノから愛らしい少女が描かれたモノまで様々売られており、先ほどの集団は「ここで巫女服を着たあの娘が――」と楽しんでいる様子だ。
――なるほど、由緒正しい神殿のようなモノであるのは確かなようだ。
周囲には黒髪黒目以外の――どちらかと言えばカルナたちに近い人種の者たちが周囲を楽しげに観光しているのが見える。ここが古くから在る神を祀る場所であることに間違いはないだろう。
米俵に乗った神の像も立派だが、カルナとしては特に小さな滝に群がる獅子の石像は素晴らしい出来だと思っている。自然と一体化した石の獅子たちは雄々しく、生命のない存在だというのに見ていると身が引き締まるような気がする。簡単に造れるようなモノではないのだろうし、由緒正しい教会に存在する鮮やかなステンドグラスのような扱いなのだろうなとも思う。
改めて思う、ここはこの国に存在する教会――いや、神社というらしい――の中でもトップクラスに有名であり、栄えている場所なのだと。
――けれど、それはそれとして、さっきの人たちは信仰云々は関係ないのでは……?
土産のラインナップを、そして一部の人間の楽しみ方を見て、なんとなく『聖地巡礼』の意味を理解した。
要はこのキャラクターが居た場所=聖地ということなのだろうと無駄に働いた頭脳が正答を導き出していく。別に気づく必要はなかったというのに。
(……その辺りは気づかなかったフリをしておこう、うん)
ノーラもこの世界で初めて神官、信心深い人の姿を見て喜んでいるようなのでわざわざ水を差すこともあるまい。
ここが由緒正しい神を祀る場所であるということも間違いではないようだしね――納得したように頷き、ちらりと視線をノーラの方に向ける。
テンションが上がりに上がっているのか、カルナを放って拝殿の方に向かって興味深そうに内装を見たり、賽銭箱の前で祈りを捧げている人たちに視線を向けて自分がやる時の予習をしている。
だがまあ、今はちょうどいい。
(――さっきの絵馬、僕も買っておこうかな、うん)
その、なんというか――露出の少ない紅白の神聖な衣服って良いな、と思うのだ。
そういう目で見るべきモノではないと理解はしている。しているが、禁じられているモノほどやりたくなるのは人間の性だろう。つまり自分は悪くない、真っ当な人間であると自己弁護しながら先ほどの絵馬を一つ、そして目についたもう一つの絵馬を購入しておく。
さて、と一つを土産としてカバンの中にしまいながらノーラを探し――見つけた。カルナを放置していたことをようやく思い出したのか、慌ててこちらに駆け寄って来ている。
「ご、ごめんなさい――その、複数の神様が祀られているっていうのが珍しくて、つい気になって」
「いや、楽しそうで何よりだよ。しかし――へえ、複数の神様が居るって話は聞いていたけど、同じ場所に複数の神様を祀ったりもするんだ」
神がディミルゴ一柱である自分たちの世界とは全く違う仕組みに、カルナは素直に感嘆の声を漏らした。
神の在り方が違えば信仰や教会の在り方もまた違うということらしい。興味深いと頷くカルナを前に、ノーラは訝しげな顔で拝殿に視線を向ける。
「でも、見て回った範囲では女性の神様が居ないんですよね――さっきの人たちは彼女たちが、って言っていたのに」
「あー……たぶん、あれだよ。神様じゃなくてこっちで有名な女性神官のことを言っていたんじゃないかな? ほら、僕らの世界の神官だって創造神以外にも神官セルマを敬ったりはするしね」
「ああ、なるほど」
納得しましたと頷くノーラに、カルナは内心ホッと息を吐きながら微笑む。
嘘も方便。先ほど騒いでいた集団も、ノーラにがっかりされるよりは誤解されたままの方が良いだろうと自己弁護しておく。
ノーラにここに祀られた神について聞き、「ニールだったら平将門命に祈っていただろうね」「お守りも売ってるみたいですし、お参りした後お土産屋さんに行きましょう」と雑談しながら拝殿まで向かう。
しばし並んだ後に賽銭箱に硬貨を入れると、そっと瞳を閉じ祀られた神に祈りを捧げる。何を祈るのか、少しだけ迷ったが――
(ノーラさんとこれからも一緒に居れますように――心の中で思うだけでも照れくさいな、これは)
――これしかないな、と思う。
想いの大きさでは魔法使いとしてもっともっと躍進し成功することの方が大きい。
だが、それは決して神に願い、叶えて貰う類のモノではないのだ。己は己の力で成功し、躍進してみせる。そこに神の助力など必要ない。
ゆえに、ニールとの友情はそうそう無くならないと思っている。
カルナ程の魔法使いなどそうそう居ないのだから、ニールが途中で挫折して剣を諦めなければ関係は続いていくだろう。これから歳を取って互いの在り方は変化するだろうが、なんだかんだで顔を合わせ続けるだろうという確信があった。その繋がりで連翹ともなんだかんだで顔を合わせる予感もある。
――だが、魔法が関わらない人間関係などは、正直あまり自信を持てない。
このようなことを考えてしまうのは、桜大に完全に内心を読まれ叩きのめされたのも大きいのだろう。自分はそれなりに上手くやっている、上手く誤魔化せているという自負はあったのだが、結局のところまだまだ付け焼き刃であると自覚した。
なら、こういう部分くらいは神様に頼っても良いだろう。自分なりに努力はするのは当然だが、慣れないことなのだから少しくらい助力を願ったところでバチは当たるまい。
ゆっくりと瞳を開き、熱心に祈るノーラへと視線を向ける。一体何を願っているのか、真剣な表情で瞳を閉じて祈っていた。
数秒の間を置いて瞳を開いた彼女は、己を見つめるカルナの視線に気づき、少し照れくさそうに笑いながら口を開く。
「カルナさんはどんな願い事をしたんですか?」
「さあ。ノーラさんが教えてくれるなら僕も話すけど?」
「それなら……わたしも内緒にしておきます。さすがに口に出すのは恥ずかしくて」
それなら仕方ない、と二人で移動する。
「それで、次はどうしましょう? お土産にニールさんは平将門命様のお守りを、と思っているんですがレンちゃんの場合はどうしようかなって思ってるんですけど」
歩きながら「お守りとかを喜ぶタイプじゃないですよね」と言うノーラに頷く。
ニールの場合なんだかんだでそういう験担ぎなどは嫌いじゃないし、何より平将門命は除災厄除の神だ。剣士としても冒険者としても加護は欲しいだろうし、何より元々は人間の兵だから余計に気に入るだろうと思う。
だが、連翹に関しては神の加護とかお守りとか、そういったモノにあまり価値を感じていないように思える。規格外も加護と言えば加護なのだろうが、価値を感じていたのは即物的な力だった。
お守りを土産に渡されてガッカリすることはないと思うが、それより珍しい菓子を渡した方が喜ぶだろう。
「……連合軍の皆の土産を探す時に、レンさん用にも何か甘いモノを買って帰ろうか」
「やっぱりそうなりますよねぇ……それじゃあ、このままお土産を買って、駅の近くまで戻るって感じでいいですか?」
「ああ、待った。その前にやることが一つ」
歩き出すノーラを呼び止め――
「大巳貴命――だいこく様、だったっけ? その神様が縁結びの神様だっていうじゃないか」
――懐から痛絵馬とは別に購入していた縁結びの絵馬を取り出してノーラに見せる。
それを見て驚いた顔をした彼女だったが、すぐに困ったように笑う。
「迷惑だったかな?」
「ああ、違うんです。用意してくれていたのは嬉しいんですけど――同じ願い事をもう一度して良いものかと、思ってしまって。
照れくさそうに笑いながら先程、秘密にしていた願い事を口にする彼女に「なんだそんなことか」と微笑む。
「なら逆に安心だ、なにせ二回じゃなくて三回だからね。三度目の正直、は言葉の使い方が違う気がするけれど――二回で終わらせるよりは確実なんじゃないかな?」
再び驚き、硬直したノーラだったが、すぐに少し照れたような笑みを浮かべるのであった。




