260/天空の大樹
――スカイツリー、というモノがあるらしい。
単語の意味は空の樹木ということになるのだろうが、ニールにはそこがどのような場所なのかサッパリ理解出来なかった。
エルフの国である森林国家オリシジームにあった巨大な霊樹を連想するが、どうもしっくりと来ない。
無論、だからこそ連翹や茉莉、桜大に聞いてみたのだが――
「行ったこと無いし、人に説明出来る程下調べしたワケじゃないのよねぇ、あたしも。なんか凄い高い塔って認識で良いと思うわよ」
「なに、見れば分かる」
「これに関してはその通りよね。スマホで写真を見せてもいいけど、何にも知らないなら実物を見た方が楽しいと思うから」
――このように、ざっくりな説明と見てのお楽しみだという言葉しか返ってこない。
「いやまあ、そういうことなら詳しくは聞かねえけどよ……」
桜大が運転する車の後部座席――そこに体重を預けながら、少しだけ不満げに呟く。
その反応に、助手席の茉莉と隣に座る連翹が小さく笑った。
「ごめんごめん、でも別にからかってるワケじゃないの」
「そりゃまあ、連翹だけならともかく、茉莉さんや桜大さんもそう言ってるワケだしな」
「おう、あたしはともかくってどういう意味か聞かせて貰おうじゃないかしら」
「いや、だってお前の場合、指差してプークスクスとか言い出しそうな気がしてなあ……」
信じてやんのー! みたいなことを言われそうだなと思ってしまうのだ。
だが、連翹は心外だとばかりに頬を膨らませる。
「あたしだって初めての場所でワクワクしてる人をからかったりしないわよ。ニールだってアースリュームとかオルシジームとかの時はちゃんと――あ、駄目だ。オルシジームの時はノエルとの斬り合いに夢中になって案内忘れてたじゃないこの男」
「う、埋め合わせはしたからセーフじゃねえの……?」
「うーん……うん、それじゃあアースリュームに買ってくれたこれと合わせてギリギリセーフってことにしといてあげる」
仕方ないわねえ、と笑いながら連翹は盾型の飾りがついた銀ペンダントを弄る。
せっかくこちら側の世界に来たんだから、そんな一冒険者が買えるような安物ではなくもっと良いのを買ったらどうだ? そんなことを言おうとして、小さく首を横に振る。
気に入っているのならそれでいいし、何より贈ったニールとしても嬉しく思う。
連合軍として皆と旅したあの濃密な時間、ずっとつけていたモノなのだ。きっと愛着もあるのだろう。
「――自前の装飾品など珍しいと思ったが、そうか、グラジオラスが送ったのか」
「ああ、連翹は盾持った黄金鉄塊の騎士とやらが好きだって話してたから――って、ミラー越しに怪訝な目ぇ向けんなよ。黄金で鉄塊ってなんだよって言いたい気持ちは俺だって同じだ」
「黄金で、鉄……? 黄鉄鉱のこと? 愚者の黄金とか言われてる」
「待ってお母さん、真面目に考察しないで。好んでるあたしが言うのもなんだけど、頭の悪い発言が巡り巡ってキャラクター化したようなモノだから真面目に考えてたら頭がおかしくなって死ぬと思うの」
スマホで調べ物を始める茉莉を連翹が慌てて止めた。
確かに、ニールも黄金鉄塊の騎士に関しては連翹からの伝聞でしか知らないが、その範囲でも与太話を色々脚色しただけの代物であると理解出来る。
だが、その脚色の果てに空想の英雄は生まれた。
嘘と間違いだらけの存在が旅路の果てに、連翹を含めた多くの人間を魅了するような登場人物に成り上がったのだ。
(――それはきっと、こいつも同じだな)
茉莉のスマホを奪い取ろうとし、シートベルトで固定されているため手をぷらぷらさせるしかなくなった連翹を見て、ふとそのようなことを考えた。
彼女もまた、嘘と間違いだからけの存在だった。
明るい性格も虚飾で、振るう力は期間限定の貰い物。外敵として暴れることだけを求められた存在であり、英雄どころか真っ当な人間ですらない愚か者。
だが、黄金鉄塊の騎士が数多くの人間が脚色を加えた結果、物語の英雄になれたように――連翹もまた、出会いと経験から異世界の英雄の一人となった。
桜大や茉莉の教育のおかげで根は真っ当だったから立ち直れたというのもあるが、それと同じくらい好いた物語の英雄がその騎士であったから今の連翹になれたのではないだろうか。
(なら、茉莉さんや桜大さんにはもちろん、そいつにも礼を言わねえとな)
きっと、何が欠けても今の片桐連翹は居なかっただろう。
小さな誤差でも、ちょっとした切っ掛けでも、人間が変わるには十分過ぎる。かつてニールが、演劇の剣舞を見て剣士に憧れたように。
小さく口元に笑みを浮かべながら窓の外を眺める。
すると見えてくる高速で流れていく景色の中に乱立する無数のビルたち。
これほど高い建物など、ニールたちの世界ではオルシジームの商業塔くらいだ。無論、女王都に存在する城も大きいが、あれは縦幅も大きいが横幅も大きい。
大工仕事などは椅子や机を直せる程度の技術しかないが、そんなニールでもこちらのビルに使われる技術の高さを察することが出来てしまう。
「……ぶっちゃけ、これ以上デッケエって言われても、どうもピンと来ねえんだよな」
ぽつり、と呟く。
四階建てから六階建て、更にそれより大きいであろうビルを見つめると、圧巻はされるがどれもこれも似たり寄ったりなイメージを抱いてしまう。
連れて行って貰っている身分で文句を言うつもりはないが、ここから二、三階分くらい縦に長くても新鮮に驚ける自信がなかった。どいつもこいつも、もう既に十分デケェだろ、という感想しか抱けない。
だが、連翹が白けるような反応だけはしないように気をつけよう――そのようなことを考えながら窓の外を眺めていると、ふと違和感を抱いた。
(ああ、あれが目的地の塔――? ……!?)
最初、大した反応が出来なかった。
遠くにあるビルより大きな建物。それが遠近感のせいで小さく見えてるんだな、としか。
それは決して間違いではない、それどころか大正解と言っても良いだろう。
だが、車が前に進む度に近づいてくるそれは、ニールが『大体このくらい離れているんだろうな』とぼんやりと考えた距離よりもずっと遠くに存在していた。
相手と自分の距離を目視で測る技術にはそれなりに自信があったのだが、想像の埒外の大きさに感覚が狂いに狂ってしまう。
天を衝く、という比喩表現が脳裏に浮かび上がった。
陳腐に過ぎる表現だが、ここまで他と隔絶すると他になんと言えばよいのか分からなくなる。
「驚いてる驚いてる。そうよニール、あれが――」
「スカイツリーか……マジで名前の通りだな、おい」
蒼天を貫く白き大樹――スカイツリー。
先程まで巨大に見えていたビル群が赤子のように見えるその大きさに、ニールはただただ圧倒された。
なるほど、これは確かに実物をこの目で見たほうがいい。
まだまだ遠くに存在するはずだというのに既に圧倒的な存在感を放つその威容は、言葉や写真では伝わらないだろう。
◇
昨夜の内にネット予約していたという駐車場に車を停め、四人はスカイツリーへと向かって歩き始める。
思い立ったのが前日の夜だったため近場の駐車場は全滅していたとのことだが、ニールも連翹も歩くのは苦ではない。むしろずっと座っていたため体を動かしたいくらいだ。
「……でけえでけえと思ってはいたが、ここまで来るともう理解が出来なくなってくんな」
桜大と茉莉が先導するその後ろでスカイツリーを仰ぎ見る。
あまりに高いために首も痛いし、頂上も中腹辺りの出っ張った部分に遮られて見えない。
常識知らずの大きさだということは遠目から見ても理解出来たのだが、近くで見ると逆に意味が分からなくなってくる。
そんなことを考えていると、くすっ、という笑い声が隣から響く。
「ああ、ごめんごめん。口半開きにして見上げてるのが、なんか間抜けでおかしくって」
「……まあ、反論は出来ねえな」
視線を戻しながらぶっきらぼうに言う。
そんな仕草が余計におかしかったのか、連翹は更に笑う、笑う、笑う。こちらに体を向けながら、後ろ向きに歩いて。
(だが、まあ、悪くはねえな)
畜生テメエ、と思う心がないワケではないが、こうも楽しそうにされたらそんな気も失せていく。
小さく溜息を吐いて、
「転んでも知らねえぞ、ば――連翹」
と少しだけ言葉を詰まらせながら笑う。
なるほど、確かに昨夜に桜大が言った通りだ。馬鹿女という呼び方はもうほとんど癖になっていて、止めておこうと思っているのにこれまでに何度も言いそうになった。
出会った当初は『あの時の転移者』という対抗心から、そして今は冗談めかした戯言として使っているそれ。
だが今は大丈夫であったとしても、こんな呼び方はどう取り繕っても悪口でしかない。いずれ不満を抱き、それが積もって爆発させてしまう。そしてその時、ニールは『なんで今さら怒ってんだ?』と首を傾げるのだろう。今まで大丈夫だったじゃねえか、と。
「じゃれるのも良いが、そろそろ着く。他人の迷惑にならんようにしろ」
「っと、悪い」
「節度を守るのなら構わん。厳粛な場でもないのだからな、好きに騒げ」
傍から見れば不機嫌そうに見える彼の姿だが、けれど最大限こちらに配慮してくれているのが今なら理解出来た。
小さく口元を緩めた彼は視線を前に向ける。
ニールもまた、そちらの方向に視線を向け――スカイツリーの根本、それを覆う商業施設を発見した。全貌は分からないが、軽食を売る店や衣服、土産物を売る店などが見える。
「それではこちらに行くぞ。学生の冬休みはとっくに終わっているとはいえ、もたもたとしていては混雑するだろうからな」
「そういえばお父さん、どこに行こうとしてるの?」
見て回る場所は沢山あるでしょ? と。
その問いかけに桜大は「しまった」と言いたげな顔でしばし黙り込む。
「――そうか。説明していなかったかな、すまないな」
「いや、前日の夜に予定立ててくれたんだからその辺りは仕方ないと思うの」
なにせ準備時間が短すぎるのだから。
無論、よく家族と出かけていたのならもっとスムーズに出来たのだろうが――元々そういったことが得意ではなかったのだろうし、娘を含めた家族と過ごすことに二年以上のブランクがある。それを考えれば、この程度はミスにもならない。
「そうか――昨夜に水族館は予約していたが、天望回廊のチケットは無理でな。昼になる前に整理券を受け取っていた方が良いだろう」
この場に来た以上、上に登らぬ理由はないだろう――桜大は歩み出しながら言う。
「……なら、俺はその整理券手に入れたら一人で散策してるぜ。それで良いんだよな?」
桜大の背中を追いかけながら問いかける。
天望回廊と呼ばれる、恐らくはスカイツリー上部行きのチケットは今から手に入れるとしても、問題は前日に予約していたという水族館の方だ。
ニールが連翹たちに着いて行くと決めたのは今朝のことである以上、自分の分の予約は出来ていないはずだ。
そう思ったのだが、桜大は小さく口元を緩め「いいや。グラジオラス、お前も問題ない」と答える。
「私だけならば、水族館の混雑次第ではお前の言葉通りにしてもらったろうが、私などより察しの良い者が居たからな」
その言葉に、茉莉は得意げに微笑んだ。
(こういう表情すると、マジで連翹そっくりだな)
連翹を上から押し込んだらパチリという音と共にハマりそうだな、などとどうでも良いことを考えてしまう。
「どうせ連翹が誘うからもう独り分は用意しておきましょう、ってね。仮に連翹が誘わなくても、わたしが誘ってあげようかなって思ってたから」
「いや、お母さん……? あたしだって朝食終えるまで誘おうなんて考えてもいなかったんだけど……?」
「だって連翹、誘い損ねたら後悔するでしょう?」
「いや、それは――それは、その……そうかも?」
反論しようとするも勢いが衰え、最終的に気恥ずかしそうに頷く連翹に「やっぱりね」と茉莉は微笑む。
さすが母親だ、娘のことをよく見ているのだなとニールは感心したように頷く。
だが、なぜニールを誘うと半ば確信していたのだろうか? 連翹のことだから、ノーラを誘う選択肢もあったはずだし、三人全員を誘うという選択肢もあったろうに。
「さあ、行きましょう。一日は長いようで短いんだから」
女の勘ってやつなのか? などと考えているニールを急かすように茉莉が桜大と共に歩き出した。
確かに、ここで考えていたところで時間の無駄だ。女の勘にしろ、探偵のように推理したにしろ、ニールが知らぬ情報から確信したのかは分からないが、今はどうでも良い。
重要なのは今この瞬間を楽しめるか否かだ。
「そうっすね――んじゃ、行こうぜ連翹。こっちのことは分からねえから色々頼むわ」
「エスコートするのは男の役目なんじゃないかなって思うけど――仕方ないわねぇ、やはり忍者よりナイトの方が頼りにされてるってワケね!」
「唐突に忍者貶めるのやめてやれよ……」
せっかく先程の疑問は考えないことにしたというのに、連翹――というか黄金鉄塊の騎士にとって忍者はどんな存在なんだよ、という疑問が浮かび上がってくる。
得意気に笑う連翹の姿に小さく溜息を吐きながらも、ニールは彼女と共に桜大たちを追うのであった。




