258/ラッキースケベと変わるモノと
早朝。
ニールは未だ熟睡中のカルナを起こさぬようゆっくりと起き上がると、昨日購入しておいたジャージに着替え始めた。
(見立通り、動きやすそうだな)
軽くて風通しも良く、運動には最適だ。
もっとも、ただの布なので防御面に不安はあるのだが――それに関してはこの世界に居る間は心配せずとも良いだろう。
よし、と頷き外に出ると、少し遅れて連翹の部屋の扉が開いた。寝ぼけ眼でありながらもニールと同じようにジャージを着た連翹と目が合う。
彼女がジャージを買った記憶は無かったが、恐らく転移前のモノを引っ張り出して来たのだろう。ニールとは違い、袖や裾の丈が足りていない。
ニールは静かに右手を上げ、連翹もまた軽く手を振ると、そのまま会話もなく一階へと降りていく。
すると聞こえてくる水の音。風呂場から聞こえてくるそれに疑問を抱きつつ覗き込むと、桜大が風呂の掃除を行っていた。寝間着で、腕まくりをして、ごしごしと。
「む」
視線に気づいたのか、ゆっくりと振り向いた桜大はその眼に微かな驚きを滲ませていた。
「……随分と早く起きるようになったのだな」
「うん、まあね。最初は必要に迫られて、って感じだったけど最近は習慣になってきてね――おはよう、お父さん」
「ああ。……いや、おはよう、連翹。グラジオラスも早いのだな」
昨日会話した時よりも幾分表情が柔らかくなった桜大の姿に、ニールは小さく安堵の息を吐いた。
ニールは昨夜にどのような会話をしたのかは結果しか知らない。だが、この様子ではちゃんと上手く行ったようだ。
「日課だからな。こっちじゃ剣は振るえねえけど、せめて体が鈍らねえように最低限の鍛錬はしねえといけねえし――っと、それより悪い、掃除やらせちまって」
汚したのはニールなのだから、本来なら言われる前に自分からやらねばならなかった。
そう思ったのだが、桜大は「いいや」と首を振る。
「我が家のことだ、茉莉にやらせるワケにはいかない以上、私がやるのが筋だろう。それに、これに関しては私の頑固さが招いた結果だ。最低限これくらいはやらねばならん」
そうか、とニールは笑った。
ここで下手に手伝っても桜大は納得しないだろう。ならば、信じて任せるのみだ。
「そういや茉莉さんはどうしたんすか?」
「今日は寝坊している。久しぶりにはしゃいでいたからな、仕方あるまい」
その言葉に連翹がバツの悪そうな表情を浮かべたが、すぐに「なら、ゆっくり寝て体力回復しないとね」と微笑む。
過去は無かったことには出来ない以上、自分がやったことを反省するのは当然だが――少なくとも、今はその時ではない。
反省も後悔も、全てやり切った後に行うこと。
ならば、今はただただこの時間を楽しむだけだ。
「それじゃあ、あたしたちは外に行ってくるわ。お母さんが起きたらそう言っておいて」
「ああ、分かった」
桜大に会釈し、玄関から外に出る。
瞬間、肌を突き刺す寒気。冬の早朝に吹く風が容赦なく肌を撫ぜて体温を奪っていく。
「ううー、寒い寒い――っと、ニールちょっと待ってて」
連翹は小走りでポストに向かい、中から新聞を取り出して下駄箱の目立つ場所に置く。
戻ってくる連翹を見て、ニールは明日以降機会があったら自分がやっておこうと頷いた。
「そういや、ノーラはどうしたんだ?」
体をほぐしながら問いかける。外に出てしまえばよっぽどの大声でもなければ起こすこともあるまい。
「あー……なんか凄く気持ち悪いからゆっくり起きるんだって。ベッドの中で真っ青になってたわよノーラ」
アキレス腱を伸ばしながら答える連翹。
完全に二日酔いである。その様子を思い浮かべ、ニールは小さく苦笑を浮かべた。
「だいぶ引き際ミスってたからな、ノーラの奴。まあ、それも含めて酒だ。こういうのを繰り返して限界を見極めてくもんだろ」
どの程度が自分にとって適量なのか、どこまでなら楽しく飲めるのか、それを知るには経験を積むしかない。
無論、ノーラもその辺りを理解していたはずなのだが――知らない強い酒という存在に引き際を盛大に誤ったのだろう。
「けどまあ、吐かなけりゃ問題ねえさ。つーか、もしあの時吐き散らかしてたらノーラ立ち直れなかったかもしれなかったしな。むしろ今回は大成功つっても過言じゃねえだろ」
「それはたぶん過言だと思うの」
そうは言うが、初めてお邪魔した友人の部屋で思いっきり嘔吐するノーラという状況を想像すると――
(……いや、やめとくか。可哀想だ)
――昔、女王都で吐いた実績があるからかリアルに想像出来てしまって申し訳ない。
あれに関しては食後にノーラの肩を思いっきり揺さぶりまくったカルナの責任だったが、今回やらかしていたら十割ノーラの責任だ。少女のハート的に耐えられるモノではないだろう。
「うっし、そんじゃとりあえず適当に走るか! 連翹、ちゃんと付いてこいよ!」
体を解し終えたのなら、寒空の下で突っ立っている理由も皆無。ニールは普段通り地面を蹴り飛ばし、一気に疾走する。
地を蹴り、風を切り、轟と音を響かせて加速、加速、加速――
「あっ!? ちょ! 待ってニール、待って! ストップ! ストーップ!」
――している最中に響く制止の声。
本気で慌てた連翹の声に、ざざあっ! と履いたばかりのスニーカーの靴底を削りながら強引に急停止する。
「なんだ? もしかしてまたなんかやらかしちまったか?」
一応こちらの世界に配慮した鍛錬をしたつもりだったのだが、ニールが知らない決まりごとを破ってしまったのだろうか?
銃刀法という剣を持ち歩いたら捕まるという決まりごとは聞いていたし注意していたのだが、他の決まりを万全に守れているかと問われたら自信がない。
「なにそのどっかの転生主人公みたいなセリフ――っとと、そうじゃなくて、なんって言えばいいのかしら」
ううん、と唸る連翹の横をオートバイが通過していく。それを見て、連翹は大きく頷いてニールに近寄る。
「ニール、あのね――こっちの世界じゃ、ランニングくらいの走り方でさっきのオートバイ以上の速度で走るのは異常なのよ」
「いや、確かに普通の人間には無理だと思うが、鍛えた人間なら十分――」
「まあ確かに、駅伝とか見ればさっきのニールぐらいの速度を出せる人はいると思うけど――ニール、あそこから更にペース上げるつもりだったでしょ?」
「まあな、負荷を掛けねえと鍛錬にならねえし――ああ、いや、そういうことか」
普段のニールの速度は、こちらの世界では異常なのだろう。
ある種、異世界における人間とエルフの関係に近いのかもしれない。同じような体型であっても、同じ筋肉量であっても、そこから出せる出力が違うというワケだ。
「考えてみれば、こっちの世界の人がどれだけ鍛えても鉄塊みたいな大剣を振り回したり出来ないのに、異世界じゃあ鍛えた人なら十分可能だったものね」
連翹が周囲をきょろきょろと見渡した後、自宅の駐車場へと駆け出した。
なんだ、と思い近づいて見ると――車のバンパー辺りを掴んで、前輪を浮かせる連翹の姿が目に入る。
「ふうっ、さすがに重っ……規格外は使ってないけど、ちょっと鍛えただけのあたしでこれかあ。あたしの肉体も異世界基準みたいね。これは今のところ、あたしも異世界の住人扱いで、地球からすればお客様扱いだからなのかしら」
ちょっと鍛えただけでこんなこと出来るはずもない、と。
世界によって法則が違うのかもね、興味深そうに呟いて連翹は車を下ろした。
「あ、だったら別の異世界とかにステータスとかがあるような異世界もあるのかしら? ステータスオープン! ってやつ! あたし異世界転移した時に真っ先にやったんだけど、なんの反応もなくてすっごく微妙な気分になったのよね」
「あれ俺も読んだがどういう仕組みなんだよ。突然空中に自分の能力が映し出されるとか普通に怖ぇぞ」
「あたしもよく知らないけど、あれはああいうモノだって理解した方が楽しめるわよ。カンストとか限界突破で無双するのもいいけど、ステータスに出てこない特殊能力で無双するのもいいのよね……!」
どっちにしろ無双するんじゃねえか、そう思ったが口には出さないでおく。
圧倒的に強い主人公が登場する物語が大衆に人気なのはどの世界でも共通のことだろう。ニールとて剣奴リックに憧れて剣を始めたのだ、その辺りを悪く言うつもりは毛頭ない。
「しっかし、これじゃあ走り込みは無理そうだな。順当に筋トレだけして終わるか」
「そうねー、今のあたしですら全力疾走したらまずいことになりそうだし……近くに公園あるからそっちでやりましょ。アスファルトの下でやるよりはやりやすいだろうし」
「そうだな。そんじゃ、道案内ついでに軽く走って先導してくれ」
一応理屈は分かったが、だからといってこちらの世界で標準的な速度、というモノが全く分からない。
それならこの世界の住人である連翹に手本を見せてもらった方が良いだろう。
「それもそっか――けど、なんかこの手のことであたしがニールに教えるのって新鮮ね」
くすりと笑って連翹は「こっちよ」、とゆっくりと駆け出した。
とん、とん、とん、と軽く地面を蹴りながら歩くよりは速く、けれどニールの主観では遅すぎるくらいの速度で。
ニールはその背中を追い越さぬよう、ゆったり、しかし体を温めながら追う。
(しっかし、さすがにこれはどうなんだ……?)
さすがに遅すぎる気がするのだが――そう思っていた矢先、道路の向こう側でランニングをしている男性の姿が見えた。
その速度は今のニールたちより若干遅いというのに、表情も真剣そのもの。体も平均以上には鍛え上げられており、ニール目線では先程の原チャリぐらいなら余裕で追い抜ける身体スペックがあるように見える。
だというのにあの速度であり、手を抜いているワケでも運動不足ゆえに速度が出ていないワケでもない。
連翹の言葉の意味を実感する。なるほど、確かにニールが普段通りの速度で走り回ったら大騒ぎになるだろう。
(そういや、昨日のゲームでもコントローラー握り潰さねえように力加減をする必要があったな。あれって鍛えてねえ女用だからってワケじゃなく、こっちの世界の人間はそうそうコントローラーなんぞ握り潰せねえってこと――ん?)
こういう世界だから、肉体の出力が異世界より低いから、剣士はほとんど絶滅したのかもしれないな――そんなことを考えていたニールだったが、視線の先にあるモノを見て思考を中段する。
そこに居るのは当然の如く先導する連翹。ニールは彼女の背中よりも下、腰回りを注視した。
(ああ――体は大きくなって、腹回りは細くなったワケだ……)
鍛錬の時には腕だけではなく満遍なく体を鍛え上げるように指示していた。
無論、剣士にとって重視すべき場所はあるのだが――素人の連翹は最低限の筋肉も鍛え上げられていなかったのだ。ゆえに、全身を平均的に鍛え上げたのだ。
そのためか元々細身だった連翹の体は更に細く、けれど引き締まっている。これからもっと重点的に鍛えたら太くなる部分もあるのだろうが、今は無駄な肉が抜けてすらりとしている段階だ。
そのためだろう――元の体型に合わせたジャージのズボンが、徐々に、徐々に、ずり下がっていっている……ッ!
無論、これだけではそこまで簡単にずり落ちたりはしないだろう。ジャージの内側のゴムが、しっかりと固定してくれたはずだ。
だが、数年前の服だからなのだろう。ゴムが弱くなっているらしくランニングの上下の振動で、微かに、しかし確かに、ジャージがずり下がっているのである。
茉莉やノーラが起きていたらその辺りを指摘してくれたのだろう。これじゃ駄目だ、もっと別の服にした方が良い、と。
だが、ニールはもちろん桜大だってその辺りの機微に聡いとは思えない。ゆえにこの現状だ。素晴らしい。
(ありがとう桜大さん。あんたが居たからこの状況に辿り着くことが出来た――!)
本人が聞いたら正座を強要されそうなことを考えながら、じっと見つめるのは連翹の腰回りである。
ゆっくりと現れた白パンツの上ゴムは日の出の如く。あまねく全てを照らし出すように、白い輝きをニールに見せつけてくる。
飾り気のない、野暮ったさすら感じる白い下着が尻を包んでいるのが見えて来た。だが、これはこれで悪くない。見せることを全く想定しないないデザインのそれは、名家の蔵から出てきた古めかしい名剣の姿を見た時のような感動を抱く。
尻の丸みを優しく包み込んだ結果産まれる二つの小丘と谷間。その凹凸によって産まれるシワもまた、中々に趣がある。
既に半分くらい顔を出した臀部と下着。白い肌と白い下着が生み出すグラデーションに一人感動していると、ようやく連翹は違和感を感じたのかくるりとこちらに顔を向けた。
「――? ねえ、なんか下が寒――ってわあッ!? とっ、とっ、とっ……!?」
瞬間、すとん、と。
ぎりぎりのところで耐えていたジャージの下が、重力に従って落下。そのまま拘束具の如く脚に絡みつき、連翹はそのまま頭から地面に――
「やっべッ!」
――そうなる前に地面を蹴る。
さすがにこんなことで怪我させるワケにはいかない。
アスファルトに足がめり込む感触に『やらかした』と思いながらも瞬時に連翹に追いつき、前傾姿勢の上半身を支えてやる。
「ふわ!? ……とと、ごめんねニール。なんか脚に急になんかが絡まって」
「いや、謝る必要はねえよ。俺はまあ十分眼福だしな」
へ? という連翹に答えを示すように連翹の下半身に視線を向ける。
すとんと足元まで落ちたジャージと、露出したふとももと臀部を覆う白い布地。横から支えている結果、先程までは後ろ部分しか見えなかったがサイド部分もフロント部分もしっかりと見えていた。地味ながらしっかりと自己主張するリボンと飾り刺繍が中々に良い。
幸い、早朝ゆえに周囲にはまだ誰もいなかった。だから堂々と鑑賞できるという最高に頭の良い結論が脳内で弾き出される。チラチラ見える下着の素晴らしさは語るまでもないが、道端で下着丸出しという姿も最高に非日常的な光景で良いと思うのだ。
瞬間、連翹が黙り込む。
それに合わせて、ニールは名残惜しく思いながらも静かに距離を取った。
このまま「ふわあああ!」とか喚きながら殴りかかってくると推測して応戦するように拳を構える。
もっとも、これはポーズ。連翹も無抵抗な相手は殴りづらいだろうし、形だけ反撃したり防御したりする風を装っているだけだ。一発、二発、三発とぶん殴られたらだいたい帳尻がつく。他の女の場合はこうはいかないが、少なくともニールと連翹の間であればそれで大丈夫。
さあ、いつでも来いと連翹の顔を真っ直ぐ見つめ。
「ッ――――!?」
ジャージを穿き直すのも忘れ、顔を真赤にし、瞳に僅かに涙を滲ませて座り込む連翹を目撃した。
彼女の表情に浮かぶのは困惑と混乱と焦り、そして羞恥。どうしよう、どうすれば良いのだろう、そんな単語で頭の中が埋め尽くされているような表情だ。
その反応にニールもまた困惑する。
褒められるようなことやっていない自覚はあるが、この程度はいつも通り。連翹なら即座に反撃して来てチャラだろう――そう思っていたから。
「……ああ、その、なんだ……俺が悪かった。気づいた時に指摘すりゃ良かった」
「……うん、まあ、謝ったのなら、いいわ」
赤面した顔を隠すように俯いたまま、連翹はずり落ちたジャージを引っ張り上げる。
その姿を見て、ニールの心臓はどくりと跳ねた。
――なんだろう、この罪悪感は。
――なんだろう、この背徳感は。
ちょっと困らせてやろうと思ってちょっかいをかけたら泣かしてしまった、そんな感覚だ。正直、かなり良心が痛む。
だから、それと同じくらい――なんかこういう反応の方がエッロイよなと思ってしまうのだ。エロとは羞恥心と見つけたり――そんな格言が脳内を過った。馬鹿かお前は、とニール自身でも思う。
心の中で『なあ、もうちょっと優しくしてやろうぜ。可哀想だろ』と自制を促すニールと、『なあ、珍しい状況だしもうちっと攻めねえ? めっちゃエロいしよ』と欲望を促すニールが現れる。
ほんの数秒間だけ脳内で剣を交えた二人のニールだったが、最終的に自制を促した方が餓狼喰らいで欲望のニールをずんばらりんと叩き切った。欲望が「俺はいつだってお前の側に居るぞ」と言いながら消滅していく。どこの魔王だ。
困っている姿を見たいのは、まあ否定はしないのだが――下手に突っつき過ぎると連翹の方が限界になって泣き出しかねないと思ったからだ。
それは――正直、楽しくない。
ちょっと困らせたいとか、ちょっと怒らせたいとか、そういう部分はあるのだが――これは違うだろうと思う。
(……なんだろうな、桜大さんとの話でなんか思う所でもあったのか?)
前だって恥ずかしがってはいたが、それはあくまで男勝りな村の幼女が同年代の男の子にスカートを捲られて怒ってる――そんな反応だったというのに。
羞恥云々よりも、ようしお前そこに直れぶっ殺してやらあ! というテンションとでも言うべきか。けれど今は違う。淑やかな令嬢が往来で突然スカートめくられた混乱と羞恥とでも言うべきか。
なにか女としての羞恥心を強めるキッカケでもあったのだろうか。
「ん、んんっ……よし! 大丈夫! それじゃあ行きましょっか!」
まだ微かに赤い顔を誤魔化すように言った連翹は、ジャージの上を腰に巻き付ける。即席のベルトだ。
あまり頑丈ではないが、派手に動かなければ大丈夫だろう。連翹も同意見なのか、先程よりも遅めの速度で走り出す。
どうしたんだお前――そう問いかけようかと思って、静かに首を横に振る。
どんな変化があったにしろ、下手人のニールが突っついて良いことではあるまい。
「それでニール、公園に着いたらどんな感じでやるの?」
打ち込み稽古みたいなのは出来ないし、筋トレだけよね? と問いかけてくる連翹に「そうだな」と頷く。
正直、素振りや走り込みなんかもしたいのだが、それが出来そうにない以上はそこを重点的にする他ないだろう。
「そうだな互いに軽く二、三セットして――あー、つってもお前、ずっと転移者の力が使えるワケじゃねえしな……連翹、お前はとりあえずワンセットやった後、辛いようなら腕立てする俺の背中に座って――っておい、どうした」
先導しながらふんふんと頷いていた連翹だったが、突如振り向きながらこちらから距離を取る。腰に剣を差していたら抜剣しているのではないか、というくらいの臨戦態勢である。
連翹は「うー……」と声にならない声を漏らしながら、じりじりとこちらから距離を取る。
「……さっき謝ったのに」
このけだもの、と。
羞恥と非難の眼差しを向けながら、連翹は己の下半身を守るように動く。
「は……? あ!? 違ぇよ自分の体重だけじゃ足りねえから重りになってくれって話だ! さすがにさっきのは俺も反省した! マジで悪かったと思ってるからそんなすぐには繰り返さねえよ!」
もしこれが変態行為であったのなら、ニールを背中に載せて筋トレしていたナルキの筋肉バカはホモかつ変態のマッチョだろう。
先程の言葉は「休みながら俺の鍛錬を手伝ってくれよ」という提案であり、それ以上の意図は誓って何もない。
――けどまあ、言われてみれば。
鍛錬中とはいえ背中に連翹の尻を押し付けられたら、そういう気分になる可能性もあるというか――先ほど消滅したはずの欲望のニールが、そっとこちらを覗き始めているというか。
これって鍛錬と肉欲の解消、どちらも一気に実行出来るんじゃねえの? と復活しつつある欲望がそっとニールの肩を叩く。いいじゃん、とても楽しそうだろう? と。
(なんだそれ天才の発想かよ……!? ……いや、待て、馬鹿か俺は、冷静になれ)
そう納得しかけて、慌てて首を左右に振った。
なんだろう、恥ずかしがる仕草が新鮮過ぎて色々とうずうずする。
昨日のノーラの酒ではないが、気を抜く引き際を誤ってひどいことをしてしまいそうだ。
(だあっ、くそっ、復活早いぞ、静まれ……!)
さすがに一日どころか三十分も間を空けてない状態でそういうことはやれない。連翹に申し訳ないというのもあるが、何より人間として駄目だろう。
そんなことを考えていると、ニールの想像上のノーラが「いえニールさん、最初の時点でもう完全に駄目駄目ですからね?」と常識的な意見を述べてくる。だがまあ、それはそれ、これはこれ。失態は失態として認めて次に繋げなくてはならない……!
「んー、まあ、そういうことなら、足で乗っかればいいんじゃない? 新品のジャージを靴で踏みつけるのもなんか申し訳ないし、素足で乗った方がいいわよね?」
別段セクハラの意図がないことが伝わったのか、申し訳なさそうな顔で提案してくる。
なんだろう、先程までの自分の思考を思い出すとその表情に罪悪感しか抱けない。
そして何より罪悪感を抱くのは――
「ああ、まあ、汚れなんぞ気にしねえしお前がやりやすい方でいいぞ、うん……」
――渡りに船の提案だというのに、なんだかとてもガッカリしてしまう自分自身が居たからだ。
なんだか無性に剣に触りたい。
無心で素振りや型稽古をし続けたいな、とニールは空を仰ぐのであった。




