257/初日の終わりに
親子の話し合いが終わり、その報告へと二階に上がる。その後ろを茉莉が続いた。
桜大はリビングに残っていたが――二人が階段を登りきった辺りで、風呂場へ移動する気配を感じた。恐らく消臭剤などを置きに行ったのだろう。
「そろそろお布団敷いてあげないとね。ホワイトスターちゃんは連翹の部屋で、男の子二人は二階の和室でいいかしら?」
「いいんじゃない? というか、ニールやノーラはともかく、カルナは布団とか必要なのかしら。だいぶ夜型だからね、あいつ」
連翹がニールと共に鍛錬するようになってから、彼の起床時間は四人の中でもぶっちぎりで最下位だ。
それでも寝過ごしたりしない辺りは自己管理が出来ているからなのだろう。連合軍加入直後くらいの連翹なんて、ノーラに起こして貰わなければ出発時間を過ぎても熟睡していたはずだ。
だが、明日は特別起きる用事などないのだから、カルナは一人で徹夜してしまいそう。
必要だからちゃんと朝に起きているワケであって、必要ないのなら延々と起きて早朝に寝るのではないだろうか。
そんなことを考えながら部屋のドアをノックする。
「おう、入っていいぞ――って、お前の部屋なのに俺が言うのも違う気がするけどな」
するとすぐに帰って来るニールの声。
普段なら「それもそうよね」とか言いながらドアノブを回すところなのだが――今は、ほんのちょっとだけ間が空いた。
自分がどう思っているのか完全に自覚してしまったから、少しだけ会話に困るのだ。
なんて言えばいいのだろう。
どう言えば自然なのだろう。
ぽつぽつと浮かび上がる答えの出ない疑問に悶々としつつ、連翹はため息を一つ。
(女向けの物語にある、友達のままの方が楽だった、みたいなのってこういうのも含めるのかしら)
ほんの少し前まで欠片も理解出来ない概念だったが――今は、少しだけ理解出来る。
噛み合っていた歯車の位置が少しズレたような小さな違和感。その結果、ちゃんと前と同じように歯車が回るのか他の部品と干渉して回らなくなるのか、今の連翹には全く分からないから困惑してしまう。
「ん……じゃあ入るわね」
だが、黙り込んでいても仕方があるまい。
決意と共にドアノブを握り、ぐいっと回し――
「――なんか、ノーラ超寝てるんだけど」
――真っ先に視界に入る、ぐっすり眠るノーラの姿。
それはもうくうくうと熟睡している彼女の姿に、思わず体の力が抜けてしまう。
桜大との会話の結果とその結果や自覚した感情もあって、多少は緊張していたというのに――なんだろうこれは。初手から思いっきり躓いた結果、緊張もまた砕け散ってしまった。
だって、ノーラが飲み終えたと思しき空き缶が片付けやすいようにかベッドの下に綺麗に並べられているのとか、ラノベを既に五冊くらい読み終えているニールとか、ワインを飲みながら連翹の学習机に座ってパソコンを弄っているカルナとか――確かに暇をつぶせとは言ったけれど、お前らくつろぎ過ぎだろう。カルナなんて、もはや部屋の主みたいな風格でキーボードを叩いているではないか。
「レンさん、ブラウザにパスワード記憶させてるのなら、PC起動時にパスワード要求する設定にしておこうよ。さすがに不用心だと思うんだ」
「いや、どうせ自分の部屋のパソコンだし、あたし以外は誰も触らないのに毎回パス入力するのとか面倒――っていうか本当に順応早いわねカルナ!?」
下手をすれば、昨今のスマホばかり使っている若者たちよりカルナの方が上手くパソコンを扱えるのではないだろうか。
既にブラインドタッチすら会得して、こちらに顔を向けながら検索バーに文字列を打ち込んでいる。手元には連翹の中学時代の教科書があり、興味がある事柄を片っ端から検索にかけているようだ。
だが、求める情報を得られなかったのか不満げに眉を寄せた。
「……インターネットは万能かと思ったけど、どうでも良い情報も引っかかって鬱陶しいね。ざっと概要だけ調べて、後は専門書なんかを買った方が良さそうだ」
「なんか色々会得し過ぎてて怖いんだけど。カルナって本当に異世界人? 実は転生した日本人とかじゃないわよね?」
「あー……ニールが今そんな話を読んでいるけど、残念ながら違うよ。そもそも、前世の知識とやらに頼らなくても僕ならこのくらい問題ないからね」
多くの人間が使うための道具である以上、会得するのも難しくはないよ――そう言いながら新たに文字列を打ち込み、マウスを操る。モニターに映し出されたのは大英帝国の歴史だ。
大航海時代の幕開けと共に、多くの大地を植民地にしたその歴史。
異世界とは違う歴史であり、けれど起こり得る可能性の一つを読み進め――カルナは納得したように頷く。
――ああ、なるほどな。
――確かに僕が同じ立場だったら同じことをしている。
そのようなことを言いたげなカルナの横顔を見て、連翹は小さく口元を引きつらせる。
そのページは公平な情報というよりは当時のイギリスの――というか白人たちの悪行を非難するような文面だというのにカルナは当時の白人側に感情移入しているように見えた。
事実、カルナがその時代の地球に生きていたら、きっとためらわなかっただろう。
自分のために、自分の大切なモノのために、可能であれば問答無用で侵略していったはずだ。正直、こういう側面はちょっと怖い。
(ま、だからって距離を置こうとは思わないけど)
駄目な部分や悪い部分があるから仲良くなれない、なんて複数の巨大ブーメランのようなモノだ。どれもこれも連翹の心臓やら脳天やらに突き刺さる。
完璧に自分にとって都合の良い人間なんて存在するワケがない以上、互いにそういう部分の折り合いをつけながら仲良くなるモノだろう。
まあ、それはそれとして――
「熟睡した若い女に若い男二人、何も起きないはずがなく……って冗談めかしてはいるけど、本当に何もやってないでしょうね」
「何も起こさなかったから熟睡してんだろうがば――連翹。エロ的にもゲロ的にもな」
こっそり胸とか触ったりしてないでしょうね、と威嚇してやるとニールが心配するなと言うように笑う。
いいや、それよりも気になる単語が一つ。
「……ゲロの目もあったの?」
「あの勢いでずっと飲んでいたら、まあ可能性はなくもなかったかなー……でもまあ、良識は残っていたよ。散らかしてないし、後で片付けようと纏めてるし」
カルナの苦笑と共にフォローらしき文言が、そしてノーラの小さな寝息が室内に響き渡る。
その様子に、茉莉は微笑ましさと呆れをかけ合わせたような笑みを浮かべた。
「だからほろ○い辺りにしとけば良かったのに……」
「でも茉莉さん、ノーラの奴もう四本くらい飲んでるっすよ。さすがに五本目はヤバそうだったんで寝かしつけたんすけど」
「あらやだ思ったより強いのね……!?」
アルコール度数九パーセントでロング缶よこれ!? と穏やかな顔で眠るノーラと空き缶の数を見比べる。
連翹はまだ酒を飲んだことがないので分からないのだが、そんなに凄いのだろうか。ちらりとニールの方を見てみれば、「確かにだいぶ強いっすよねこれ……」と言いながらノーラと同じくらいの空き缶を有しているのが見えた。
それでもまだまだ余裕そうに見えるのは、ノーラよりも強いからなのだろう。グラスに注ぐのが面倒になっているのか、缶のままぐびぐびと中身を呷っている。なんだろう、男らしいというよりおっさん臭い。
「あたしはよく知らないけど、名前からして強いだものね。カルナは飲まないの? これ」
まだ中身の入った缶をしげしげと見つめる。
昔インターネットで『飲む社会福祉』みたいなネタが流行った記憶があるのだが、幸せそうにすやすやと眠るノーラの寝顔を見るとあながち間違いではないのかもしれない。
「ニールから少し貰ったよ。結構美味しかったけど、僕はワインをのんびり飲んでる方が良いなあ。あんまり一気に酔うと、昔思いっきり失敗した時の記憶が蘇って……」
「初めて飲むってのにヤルとヌイーオと飲み比べした挙句、我慢も撤退も出来ずに派手に机に吐き散らかしやがったんだよな――あ、思い出すとまた腹立って来たぞオイ」
「その件は本当に悪かったってば、君にもヤルたちにも迷惑をかけたと思っているし、僕が間抜けだったと心から思うよ。やっぱり気持ちいい辺りで飲み終えるのがベストだよね」
だよなあ、と互いに笑いながら意識を手元に戻していく。
「というかニール、そういうの読んで平気なのね。『あの糞野郎ども、こんな話で舞い上がってこっちに来やがったのか。自慰行為してえなら一人でやってろ』とか言うんじゃないかって思ってたわ」
ニールの手元にあるのは典型的な転生チーレムモノだ。主人公の主武装が剣ということくらいしかニールが好感を抱く要素がないような気もするのだが。
「お前も女の端くれなんだから異性相手に堂々と自慰行為とか言うんじゃねえよ馬鹿お――連翹。……俺も強くて格好いい奴が主人公の話とかは好きだってのもあるが、そもそも物語にはなんの罪もねえだろ。つーか、物語の影響云々とか言い出したらこっちの世界の冒険者の立志伝の創作とかは大抵アウトだ。なんの鍛錬もしてなかったガキが剣一振りで成り上がるなんて物語の真似すりゃ、馬鹿の死体が一つ出来上がるだけだしな」
けど毎年それで死ぬ馬鹿が居るんだよな――そう言って顔を歪める。
物語は物語、現実は現実。
空想世界で許容されるモノと現実世界で許容されるモノは当然違うのだ。
その辺りを区別出来ず混同する馬鹿が嫌われるのはどっちの世界でも似たようなモノだろ――そんなことを言いながら、ニールは転生モノをぱらぱらと読み続けている。
正直、転生モノなんて鼻で笑われるんじゃないかと思っていたが、考えてみたら地球も昔から神から力やら装備やらを与えられた英雄の物語なんて山と存在していた。むしろ実際に神様の存在が確認できるニールたちの世界の方が、この手の物語が受け入れられやすい土壌があるのかもしれない。
「……それで、だ――」
ぱたん、と。
読みかけの文庫本を閉じて、ニールは連翹に視線を向けた。
先程までの雑多な会話ではなく、真剣な眼差しで、口調で、真っ直ぐ問いかけてくる。
「――連翹、どうするか決めたのか?」
本当は部屋に来た瞬間に聞きたかったのかもしれない。
それでも普段通りに話していたのは、こちらの緊張をほぐすためか、最後のいつも通りの会話になるかもしれないと思ったからか。
どちらにせよ、連翹の返答は決まっている。
「うん、皆と一緒に行くわ」
居住まいを正し、ニールを真っ直ぐ見返して返答した。
――しばし、無言で互いに見つめ合う。
その強い眼差しを安堵させるように、連翹は小さく微笑んだ。
「……大丈夫、これでもちゃんとあたしなりに考えた結果だから」
自分なりに考えて。
考えて、考えて、考えて考えて考えて――その果てに捨てられないと思ったのが目の前に居る彼であったから。
だからこそ、滞在中にどのようなことがあったとしても答えは変わらない。
「これが正しい選択かどうかは分からないけど、これから後悔することになったとしても、それでもあたしはこの道がいいって思ったの。だから、大丈夫よ」
「……そうか、なら俺が言うことはなにもねえよ」
ぶっきらぼうに言うニール。だが、浮かべる表情に安堵と喜びがあるように見えるのは、連翹がそのであって欲しいと思っているからだろうか?
答えはない。ただ、先程までパソコンのモニターを見ていたカルナが半笑いを浮かべてこちらを見つめてくるのが気になるくらいだ。
「……というか何よカルナ」
「いいや、なんでも。似た者同士だと思っただけさ」
でしょう? と茉莉に視線を向けると、彼女は返答に困りつつも頷いた。
「まあ、うん、そうなんだけど――そういうのは当人がちゃんと口にしないと」
「問題はありませんよ。でなければ口に出してませんし」
この程度のヒントで答えを導き出せるのなら、とっくの昔にどうにかなってます、と。
ニールと連翹に視線を向けるカルナ。なんだろう、上から目線で微妙に腹が立つ。
「……ねえニール、なんかカルナ頭が高くない? 処す? 処しちゃう?」
「処しちまうか。おーし、カルナ動くんじゃねえぞ……!」
「ははは、来るなら来ると良い二人とも。けれど、僕の手元には高価な精密機械となみなみとワインが注がれたグラスがあるってことを念頭に入れておくんだね――!」
この男、汚い――!
即座に人のモノを人質ならぬ物質にしたぞこの男。汚いなさすがカルナ汚い、あまりにも卑怯過ぎるだろう。さては忍者か。魔法使いだった。
くうっ、と連翹は悔しげな呻き声を上げる。そりゃあ確かに地球には戻って来ないのだが、だからといってこんなじゃれ合いでモノを壊して平気な顔をしていられるメンタルではないのだ。
どのように攻略するべきか――そんなことを考えていると、不意にぱんぱんと掌を叩く音が響いた。
「あー……はいはい、もう夜なんだから騒がないの。ご近所迷惑だし、ホワイトスターちゃんも起きちゃうわ」
茉莉は連翹とニールを非常に残念なモノを見るような眼差しを向けた後にそう宣言した。
なんだろう、カルナと茉莉の眼差しがどちらも同種のように思えるのだが、その意味を連翹は理解することができない。微笑ましさと呆れが同居しているような気はするのだが、何を見てそんな感情を抱かれているのかが理解出来ないのだ。
「ベッドはホワイトスターちゃんが使ってるから、連翹は来客用の布団でいいわよね? 男の子二人は和室に布団敷いちゃうわ」
「あ、すんません茉莉さん駄弁ってばかりで。手伝うっすよ」
「大丈夫よ、このくらいなら。それより、連翹の部屋に布団敷けるように片付けておいてくれない? 連翹がくつろいでた時よりずっと綺麗に使ってくれてるけど、それでも布団を敷くスペースはないから」
「あー……やっぱそんな感じなんすか?」
「ええ、そうなの。片付けなさいって言っても、あとでー、って言ってゴロゴロしながら本を読んでたのよねー」
「お、お母さん、布団敷くんでしょ! あたしも片付けるからちゃっちゃと敷いちゃって!」
かつての自分を語られるのが恥ずかしくて、思わず声が大きくなってしまう。
そんな娘の反応に何を感じたのか、茉莉は微笑ましそうにくすくすと笑って「はいはい、分かってるわ」と和室に向かった。
「うー……」
なんだろう、この妙な気恥ずかしさは。
別段過去を隠したいワケではないのだが、目の前でニールに過去の自分を語られると恥ずかしくて仕方がないのだ。
「それで連翹、これからどうすんだ?」
本を本棚に戻しながらニールが問いかけた。
「どうするって?」
「いつ帰るんだって話だ。お前を見る限り、翌日すぐにって感じじゃあなさそうだしな」
お前の故郷だ、お前が決めろ、と。
座っていたクッションを元の位置に戻しながらニールは言う。
「ん……日曜の昼辺りまでは居たいんだけど――駄目?」
ノーラの空き缶を拾いながら問いかける。
明日は土曜。休日だ。
ニールたちも連翹も土曜日に思い思いに過ごして、日曜日に帰ればいいんじゃないか――そう思っているのだ。
仮に一週間も居たら未練が大きくなりそうだし、かといって明日の朝すぐにとなると寂しい。
だから今日を含めて二泊三日くらいが丁度よいのではないかと思うのだが――
「駄目じゃねえよ、俺らも試したいことはあるしな。むしろ今すぐ帰るなんて言われた方が困る」
――不安が顔に出ていたのか、ニールは安堵させるように笑みを浮かべた。
大丈夫だ、心配すんなと。
「そっちだって思い出を作っておくのも悪くはねえだろ――ま、良し悪しかもしんねえけどな」
このまますぐに帰ったら後悔するから、家族との思い出を作りたい。その想いは間違いではない、当然の欲求だ。
だが同時に、『思い出が少ない方が後悔しないのではないか?』という考え方もある。思い返す記憶が少なければ少ない程、後悔する材料も少なくなるから。
どちらの選択にも正しい側面がある以上、絶対の正解など存在しない。
「けど、どうせ後悔して泣くなら、楽しい思い出で泣きたいの。『どうしてあの時、もっと残らなかったんだろう』なんて後悔じゃなくてね」
もしかしたら手前勝手な理屈なのかもしれない。
さっさと消えた方が両親も諦めがついて楽なのかもしれない。
だけど、もう決めた。きっとこっちが正しいのだと。
ならば、後は進むだけ。後々、やはり別の道を歩むべきだったと思う可能性もあるが、それでも今だけはこの道だけを見据えて前に進もう。
どうせ後悔はいずれするのだから――今はただこの日々を胸に刻み込もうと決意するのだ。




