23/騎士団長ゲイリー
通された部屋は想像以上に広く、ふと体育館を連想した。当時中学生だった連翹にとって身近であったために思い浮かべたその想像を、顔をしかめながら追い払う。
瞳を細めながら部屋の中を観察して、最初に目に入ってきたのは巨大な円卓だった、
部屋の大部分を占領するそれは、もはや卓というよりも巨大な円形の段差か祭壇かにすら見える。
形が同じであろうと、本来のサイズから大きすぎても小さすぎても、同じ種別の代物だと思えないのだ。
(あれよね。バケツプリンがプリンと同じ食べ物に見えないのと同じね)
そんな巨大な円卓に一人、入り口から来た連翹と視線がかち合う位置に、男が座っていた。
鎧を纏った大柄な男だ。先導する騎士とは違い、頭部を全て覆う兜を被っている。
身に纏う鎧はアルストロメリア女王国の騎士団の白銀の鎧と意匠は同じだが、しかし素人の連翹が見ても分厚く、そして細部の仕上げが細かい。平団員が身に纏う代物ではないだろう。
あれが騎士団の親玉ね、と連翹は確信し、にぃ唇を上げて微笑んだ。
(全身鎧で大柄な騎士団長――手頃な踏み台じゃない)
よく主人公に踏み台にされるのがあの手の人間だ。固い頭で融通が利かず、主人公たちを危機に追いやる無能。
魔王は居なくてもこの手の馬鹿は配置してくれているのか、とこの世界に自分を誘った神に内心で「よくやった」と褒めてやる。魔王と勇者が居ない時代に呼び出したマイナスはまだ相殺しきれていないが、この調子ならもっと自分を楽しませてくれるかもしれない。
「団長、転移者の少女をお連れしました」
「うん、ありがとう。ご苦労だったね、アレックス」
低く、渋い声音だというのに、少年のような口調に面を食らう。
ニールと戦い、連翹を先導した騎士――アレックスは恭しく礼をした後、椅子を引き連翹に視線を向けた。
「掛けてくれ」
「……試験って聞いたんだけど、なに? 座ってあの人と喋ることが試験なの?」
皮肉っぽく言った連翹の言葉に、アレックスは「その通りだよ」と頷いた。
(……ああ、面接か)
ファンタジーの騎士が出す試験じゃないでしょ、と落胆する反面、実力は測るまでもないと理解していることに満足する。
現地の人間である彼らが自分と戦っても、半分の実力を発揮する前に殲滅してしまうに違いない。
だから、きっと試験というのは形だけ。
当然だ。転移者である自分は現地の人間とは違う、選ばれた存在なのだから。
(なんだ、頭が固いわけじゃないのね。踏み台にはなりそうにないけど、まあ邪魔はしなさそうだしプラスマイナスゼロかしら)
椅子に座りながら、ベストじゃないけどベターよね、と思考する。
無能は踏み台に丁度良いものの、近くにいるとそれはそれで苛立つのだ。
「初めまして、お嬢さん。ボクは騎士団団長、ゲイリー・Q・サザンだ。よろしく」
「……片桐連翹、転移者よ」
渋い声のワリに一人称はボクなんだ……と内心で思うが、どうでもいいことだと切り捨てる。
出来レースであろうと試験は試験だ、多少は真面目に受けてやらねばなるまい。
そう思ったのは、連翹の機嫌が良かったからだ。
団長という肩書を持つ大男と向い合って話しているというのに、緊張も何もしていない自分が心地よい。地球に居た頃の自分なら、緊張でガチガチになり何もできなかっただろう。
(平気なのはきっと、あたしが強いから)
こんな現地人に嫌われようと問題ないし、怒らせて襲われたとしてもたやすく返り討ちに出来る。
そう考えるだけで、自分の全能感に心臓が高鳴るのだ。
「それで? 一体どんな質問をしてあたしを測ろうっていうの? 言っておくけど、下手な質問をしたら怒るかもしれないからね」
「はは、それは怖いね」
剣の柄に手を掛けながら言い放った言葉を、ゲイリーは呵々と笑って受け流す。
宙を舞う枯れ葉を殴っているような手応えの無さに苛立つも、まあここで怒るのは器が小さいな、と思い直す。
「別に難しい質問をするわけじゃないさ、それにどうしても答えたくなければ答えなくても構わない。ただ、嘘を混ぜることだけは禁じさせてもらうよ。禁を破れば、その瞬間に落第――異存はあるかい?」
「構わないわ。嘘を吐いてまで媚びる理由なんてないしね」
「ありがとう。では、最初の質問だ――連翹くん、君はどうしてボクたちの依頼を受けようと思ったんだい?」
「……? ねえ、ちょっと質問の意図が分からないのだけど」
「転移者は西でナルシスの街を占領し、自分たちの拠点としている。そこでなら君はもっと自由に動けるはずだし、様々なモノを手に入れられるはずだ。強い仲間、必要な装備、食事、金銭、そして異性すらも――その街に存在するモノであれば、転移者は何でも手に入るというからね」
だというのに、なぜ、君はここに居る? と。ゲイリーは言外に告げ、連翹を見つめた。
兜の隙間から覗く眼は槍のように重く、鋭くて、その場限りの嘘を吐こうものなら視線がかち合った眼球を貫き頭部を破砕される――そんな空想すら抱いてしまう。
「確かに、それは魅力的ね。心が揺れなかった、と言えば嘘になるわ」
そうだ。騎士団の依頼書を見て、最初に考えたのは依頼を受ける受けないではなく、同じ境遇の誰かと合流するべきか否かだった。
そして何より、英雄の国レイゾン・デイトルという名だ。由来は存在理由であり存在価値だろう。
きっと英雄たる転移者の存在理由を現地人に叩き込む、という意味を持っているのだと思う。
つまりは――我々は現地人に比べ価値ある存在であり、世界とはそういった価値ある者のために回るべきなのだ、と。
けれど、なぜだろう。
「でも、なんか嫌で――なにが嫌なのかは分からないけど、嫌な気分になって行くのを止めたの。だから、こっちに来たってだけ。こっちでも転移者の力は振るえるし、活躍してちやほやしてもらえるだろうし」
自分でも遠回りをしていると思う。
強さを知らしめ、ありのままの自分を認めさせる。誰も自分を否定させず、否定するような人間は排除する。
それはきっと、自分が望んだモノ。地球時代に渇望して渇望して渇望して――転移者となりようやくその下準備が整ったのだ。
その望みを叶えるのなら、レゾン・デイトルに居る転移者集団に合流した方がずっと楽だ。
そう思っているのに、合流することに強い嫌悪を抱いている。同じ力を持った誰かと一緒に居ると、自分の特別が薄れるからだろうか? と考えたけれど、どうもしっくりと来ない。
「……うん、そうか」
連翹の言葉に嘘が無いと判断したのか、ゲイリーは頷いた。
正直、こんな理屈にもなっていない言葉で納得するとは思っていなかったのだが、やはり転移者は特別でこの面接も出来レースなのだろうか。
「ありがとう、それじゃあ次の質問だ――君は一体、なぜ彼らと共に居るんだい?」
「ああ、それ? なら簡単な話よ。あたしがあの中の一人、ノーラって子を気に入ったから、それだけよ」
淀みなく言う。宿場町の酒場で話した数分で、自分でも驚くほどに彼女に心を許していたのだ。
どこが気に入ったのか、それは良く分からない。けれどあの時、ニールに自分の目論見――現地人相手に酒場で大立ち回りをするというアレ――をぶち壊された後の自分の心に、すうっと入ってきたのだ。
なるほど、とゲイリーは頷いた。
まあ嘘なんて一欠片も無いし当然よね、と連翹は微笑み――
「じゃあ、なぜ他の二人を排除しないのか、聞いてもいいかな?」
――唇が引きつらせた。
平然と、むしろそうしないことがとんでもなく不自然だよ、とでも言うようにゲイリーは排除と言った。
「君はノーラという少女を気に入った、しかしその子は既に二人の男と行動を共にしていた――そんなところかな? たぶん間違っていないと思うのだけれど」
絶句する連翹を気にもせず、ゲイリーは言葉を――異常な理屈を並べ立てていく。
「けれど、君なら彼らを排除するのは難しくない。いや、むしろ簡単と言ってもいいんじゃないかな。剣、魔法……いや、転移者ならその力でいくらでも金を稼げるからね、適当な冒険者崩れを山と雇って排除させてもいい――君なら、そのくらい簡単にできるだろう?」
「あんた、さっきから何を――」
「邪魔なんだろう、彼らが。そして、虫を潰すように他者を排除する力があるだろう? それを使って――」
「いい加減にしてよっ!」
円卓に拳を叩きつけ、立ち上がる。
これ以上あんな不快な理屈を座って聞いていることなど、連翹には我慢ならなかったのだ。
怒りに満ちた眼でゲイリーを睨み、剣を抜く。近くに控えている騎士アレックスがこちらに殺気を向けるのが分かるが、知った事かと無視する。
自分は最強だ、自分は無敵だ。
なら、道理の合わないこと、自分が認められないことは声を上げて否定すべきなのだ。
「あんたそれでもココの長なの!? 力があるから罪もない人間を殺していいなんて理屈――そんなの通るワケないじゃない!」
「通るさ」
怒りと殺意の二刀流で攻め立てる連翹の口撃を、ゲイリーはそれらが微風であるかのように揺るがない。兜で表情が隠れているからなおさら変化がないように見える。
「今の正義や秩序は勇者リディア・アルストロメリアが率いる勇者たちによって創られたモノ――魔王を倒した強者たちによって創られた法なんだ。それ自体は素晴らしいことさ。けれど、だからこそありとあらゆる法と正義は、強者の足あとに生える雑草でしかないという事が理解できてしまう」
生えたそれに水をやるか、放っておくかはその強者次第だけれどね。
ゲイリーはそう言って兜から笑い声を漏らした。その楽しそうな響きに、カチンと来る。
「だから強者は好き勝手にしても許される、殺し、奪い、犯し、ありとあらゆるモノを強奪する権利が――」
(もういい――!)
こんな無茶苦茶な理屈を淡々と語れる人間がトップの騎士団なんて、どう考えても間違っている。
試験なんて失格でもいい。ただ、あの兜の中にある顔を二、三発はぶん殴らないと気がすまない……!
剣を左手に持ち替え、拳を握る。そして跳躍で円卓を跳び越え、思い切りぶん殴――
「――あるはずがない。君もそう思ってくれているようだね」
跳躍する直前。
ゲイリーの言葉に連翹は思わず足を止めた。
「連翹くん、ボクはね、人間というのは個人を示す言葉ではないと思うんだ」
ゲイリーは立ち上がり、己の兜を外した。
そこに存在するのは、強面でありつつもどこか柔和な印象を受ける男の顔だ。
頭髪は無い。スキンヘッドである。
強面のスキンヘッドであり、巨漢。相手を威圧する要素を詰め込んだような姿だというのに、なぜだかそういった印象は皆無だ。
それはきっと、娘を見つめる父のような柔らかい微笑みのため。
敵意も悪意もなく、先程まで語っていたような醜悪な論理の世界で生きる人間にも見えない。だから、連翹は拳を緩めたのだ。
「人の間と書いて人間、と日向では書くのは知ってるかな? ボクはそれを、人そのものではなく、人と人の見えない繋がりを指した言葉だと理解している」
言って、彼は腰に吊るした長剣を抜き、円卓の上に置いた。
「ボクは剣士としては上位に居ると思っている。事務仕事も出来るし、砦の補修作業もできるから大工仕事も簡単なモノなら可能だろうね。けど、ボクには自分を満足させる剣を打つことなどできない。それ意外のことでも、必ず他人の力を借りなければならない」
ああ、なんて未完成な存在なんだろうね、ボクは。
言って笑うゲイリーに対し、連翹は慌てて口を開く。
「あの、でも――そんなの当然のことじゃない」
転移者の自分は他の人間に比べ、様々なことが可能だ。
だが、全てではない。こちらの世界に転移する際に手に入れた、発声するだけで力を発揮する『スキル』は強力だが、それだけで日常生活の問題全てを解決することなど不可能だ。
何より――治癒の力がないのが致命的だ。
無双の力を得たというのに、己の体を癒やす力は、転移者の力を使う限り一切使えないのだ。本当に、使えない神だ。もし完全回復の魔法が使えたら、ニールが倒れていたあの時だって、ドヤ顔で自分の凄さに浸れたはずなのに。
「当然のこと、まさにその通りだね。人間という種族は一人ではどうあっても完成しない存在なんだ。人、という単一の獣であるなら話は別だろうけど」
無論、その『人』とて個人で全てを解決することなど不可能だ。彼らは徹頭徹尾勘違いをしているに過ぎない。
人間が生み出した社会で生きている者が、自分は自分だけで完成しているなどと言っても笑い話にしかならないではないか。
そもそも、父と母に育んでもらった命でありながら、なぜ一人で完結しているなどと言えるのだろう。
「でも、ボクも、ボクを信じてくれている騎士たちも人間だ。人と人を繋ぐ社会という絆を守るため、ここに居る。そこに獣など必要ないんだ」
どれだけ力があろうと、害獣を飼うメリットなどないさ、とゲイリーは笑う。
(……ああ)
ここに至って、連翹はようやく気づいた。
ゲイリーは見定めていたのだ。片桐連翹という存在が人と共に生きる人間なのか、己しか見ていない単一の獣なのかを。
もしも獣であれば大問題だ。その獣はここの人間に比べて強すぎる。我を通し、中の人間たちを好きなだけ食い散らかし、組織を崩壊させることだろう。
ゲイリーは連翹の顔を見つめながら柔らかく微笑む。
「文句なしで合格さ。君の仲間は医務室に居るから、会いに行くといい。場所はアレックスに案内させよう」
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
ゲイリーに背を向け立ち去ろうとして、ふと足を止めた。
理屈は分かったし、なるほど、確かに必要な行動だったかもしれないとも思う。
しかし、
「ねえ、ゲイリー。あんたの思惑は理解できたけど、あんまりああいう挑発はしない方がいいわよ」
もしも自分が踏みとどまれなければ、その顔面は陥没していたぞ、と。
振り返りながらそう言うと、ゲイリーは小さく笑みを漏らした。
「大丈夫、これでもボクは強いからね」
満面の笑みで言う彼に、ビシリ! と指先を突きつけた。その考えは甘いわ、という意思を込めて。
「ダメよ、そんな風に油断しちゃ。知らないのかもしれないけど、転移者ってのは強いんだから。今だって、あたしじゃなかったら危なかったんだからね、本当に!」
気をつけなさいよ、そう言って連翹は部屋から出た。その背中を追うように、アレックスが続く。
試験は終わったが、依頼の期間を考えるとレゾン・デイトルに攻め込むのはまだ先のことだろう。
(ノーラ誘って食べ歩きでもしようかしら)
この街は無骨で連翹の趣味から少し外れているが、しかしそれでもファンタジーはファンタジーだ。
その町並みを眺めながら友人と一緒に食べるごはんはきっと美味しいだろう、と連翹は微笑む。
「それでは、案内しよう。着いて来るといい」
「ありがと、ところでこの辺りで美味しい料理出すお店とか知らない?」
「なるほど、合格祝いというわけだな。……ふむ、しかし食事か。確かに来たばかりの君よりは詳しいだろうが……女が喜ぶ店など教えられんぞ」
◇
「――ああ、やはり根は優しい子だ」
円卓の部屋に一人残ったゲイリー・Q・サザンはくつくつと笑みをこぼした。
傲慢な印象が強いものの、傲慢になりきれていない――それが、ゲイリーが連翹に対して抱いた印象である。
強気に出てはいるものの、精神的に追い詰めるとところどころでこちらを気遣う言葉をこぼしていた。その姿を見ていると、か弱い少女が物語の英雄を演じているようなちぐはぐさを感じる。転移者になる前は、気弱ながらも優しい少女だったのだろう。
彼女は自己主張するのが苦手なタイプだったのだな、とゲイリーは考えている。
その精神を彼らが言うところの規格外で鎧って、覆い隠しているのだ。だが、元々強気になりきれない気質なのか、それともこの世界で心の鎧に風穴を空けられたのかは知らないが……本来の片桐連翹という少女が会話から垣間見えるのだ。
そう、気弱で他人の目を気にする――けれども優しく、物語の英雄譚に心躍らせるどこにでも居る少女の顔が。
「そんな少女が、他人の目を見て堂々と振る舞える。転移者の力も良し悪し、なのかな」
もっとも、己の優しさを『弱さ』と断じているように見えるのはいただけないのだが。だとしても、他の転移者と同列の存在ではあるまい……と考えている。
「ああ――彼女が転移者どもと同列でなくて良かったよ。メイドたちに無駄な仕事を増やしてしまうからね」
ゲイリーは転移者が嫌いだ。
憎んでいる、と言ってもいい。
転移者になっただけで力を得られるから――などという理由ではない。そんなことは瑣末だ、どうでもいい。
その力を得た瞬間に『人間』から嬉々として『獣』になろうとする彼らが嫌いなのだ。反吐が出る。
突然、強力な力を持てば暴走するのも仕方がない。
そう部下の騎士が言うこともあるが、しかしゲイリーはそれを強く否定する。
人間には誰しも選択肢がある。無論、環境によって善の選択肢が選びやすかったり、悪の選択肢が選びやすかったりはするだろう。
しかし、それでも選んだのは当人の意思によって選んだモノには責任があるのだ。
貧しくても正しく生きる者がいるように、富んでいても気まぐれに窃盗する者がいるように、力を持って暴走しない者もまた存在するのだから。
仕方がない、などという言葉をゲイリーは認めない。それは人間であろうと努力する全ての人に対する侮辱だ。
故に、
「――――今は好きなだけ神様気分を味わっておくといいさ、忌々しい転移者共め」
西の港街を占拠し、好き勝手に振る舞う獣を、絶対に許さない。決して逃がさない。
罪を犯したのであれば、人であるなら罰を、獣であるなら死を与えよう。例外はない。それがこの世の摂理。
それがゲイリー・Q・サザンの誓いであり、秩序を守る騎士としての誇りなのだから。
曲がるつもりも、折れるつもりも、一欠片として存在しない。




