248/ドリンクバーって魔力があると思うの
微かに薄暗くなってきた雰囲気が連翹たちの登場と共に霧散してしばらくして、カルナはようやく戻ってきた。
「戻ったよ。満足気な顔だけど、何かあったのかい?」
「まあ、少しな。……ところでけっこう長かったな、腹でも下したか?」
「いや、トイレの設備があんまりにも充実していたものだから、しばらく見て回ってた。欲を言えば女性の方もどうなってるか調べたかったんだけどね」
仕方ないから自重しておいたよ、と冗談めかして笑うカルナ。
さすがにカルナでもそこまで常識知らずではない。というか、そんな真似を無意識にしてしまうような人間であったのなら、元の世界の時点で騎士や兵士のお世話になっていることだろう。
だが、本気で気になったのも事実なのだろうなと思う。カルナほど知的好奇心旺盛ではないニールですら、様々なモノが気になるくらいだ。カルナからすれば宝の山だろう。
「それより――そらカルナ、淹れといたぞ」
「ああ、ありがとうニール」
そう言ってカルナはコップを受け取ると、ストローを使わず一気に中身を呷り――
「ご!? ぶっ、ぅ、ぐ、ぅぅぇ……っ!?」
――吹き出しそうになるのを強引に押さえ込んだ結果、奇っ怪な呻き声を上げたカルナはそのままテーブルに突っ伏した。
シン――と静まり返るテーブル周辺。
茉莉は固まり、ノーラはカルナに歩み寄っておろおろとしている。
唯一連翹は、全てを察したとでも言いたげな顔でニールを睨む。
「ニール、貴方まさか……!」
「いや、すまん、全部が入れ放題だって言うからよ――出来心でな、全部混ぜた」
カルナの背中が完全に見えなくなったのを確認し、シェイクシェイクシェイク、と。
気分はまさにバーテンダー。ちょっと楽しかった。
もっとも、ぐるぐる混ぜて出来上がったモノはカクテルなどではなく混沌の何かなのだが。色でコップの中身の混沌具合がバレそうだったので、最後にはアイスコーヒーまでブレンドした。見た目だけならコーラっぽく見えなくもない。黒いし、泡も出ているし。コーラ初見のカルナなら騙せると思ったのだ。
味についてはカルナの反応を見れば大体予測出来る。惜しい相棒を亡くしてしまった……
ノーラから紅茶を手渡され、咽ながら弱々しい動きで受け取るカルナを見て、そっと祈るように手を合わせる。安らかに眠れ、と。
連翹は、心底蔑むような眼差しでニールを見つめている。何やってんのこいつ? と言いたげな顔だ。
「馬鹿なの? 頭の軽い中高生男子か何かなの?」
「ああ、後者はよく分からねえが前者の自覚はある」
馬鹿な真似しているなとは思ったが、チャンスだと思ったら、つい、うっかり、手が勝手に。
わりと最低な行動だと思うが、カルナのリアクションの良さに笑みは濃くなるばかり。超楽しい。
そんな様子を見て、茉莉はギャップに苦しむように眉を寄せていた。
「……思ったより大人っぽいと思ったけど、思った以上に子供っぽくないかしら?」
「お母さん、何をどうしてニールを大人っぽいなんて勘違いしたのかは知らないけど、九割誤解よそれ。脳みその九割が剣しか入ってない脳剣男よ、こいつ」
「おい、一体どうした連翹。突然そんなこと言われたら俺でもさすがに照れるぞ」
茉莉が「!?」と、一体何を言ってるのだろうという眼差しを向けてくるが、正直あまり気にならない。褒め言葉に怪訝な眼差しを向けられている事実を混ぜても気分的にはプラスだ。
「まあ、うん、こういう奴なのよ」
「……連翹。カンパニュラくんといい、ちょっと変な友達多いのね」
「……うんまあ、否定は出来ないかも?」
こそこそと話す二人が、先程カードゲームショップで大立ち回りしていたカルナとニールを同一レベル扱いされている。
解せぬ――そう思考した瞬間、ニールの肩がぐわしと掴まれた。
明らかに女性サイズではない、大きな手の平。まさか、と思い振り向けば――
「おらぁニール……! 君が生み出したモノだろうが、責任持って君が処理しろよコレぇ……!」
――目の据わったカルナが、ニールに混沌のカクテルを突きつけている。
もしここで断ろうモノなら、室内だろうが異世界だろうがなんだろうが問答無用で魔法叩き込むからなお前覚悟しておけよ――と言いたげな眼差し。あ、わりと本気でキレかけてるな、と察してしまう。
「ま、確かに粗末にすんのもな……一気に飲めばなんとかなるか」
自分が錬成してしまったこれを捨てたら、粗末にするなと父に怒られる。
いや、それよりも前に飲み物で遊ぶなと怒られるだろう。全く持って正論だ、正論だからこそ最低限自分で責任を取るべきだろう。
決着は俺の手でつける、と中身を一気に飲み干そうとした、その直前。
「あ、その前にわたしも一口だけいいですか?」
――ひょい、と。
ノーラが挙手したのである。
「ねえノーラ! その無駄にチャレンジ精神旺盛なの改めた方がいいと思うの! というかこれは別に珍味とかそういうんじゃないから試す必要はゼロよゼロ!」
「でも、ここで試しておかないともう飲めないじゃないですかぁ……」
「やってする後悔とやらない後悔ってのはあるけど、これに関してはやった方の後悔が勝ってると僕は思うよ」
――やっぱノーラも自分の意志一つで連合軍に参加した神官だよなぁ、と思う。
両親の死後に教会に引き取られたというが、もしそういう家庭環境の変化が無ければ冒険者の女戦士になっていたのではないだろうか?
そんなことを考えながら、ニールはそっとコップを口元に寄せる。
先程のノーラの進言は少し――いや、けっこう心を揺さぶられたが、これはニール自身で決着をつけねばならないモノだ。他人任せになど、出来るはずもない。
心を落ち着けるため、一度だけ深呼吸をする。すると香る甘い匂いとコーヒー特有の芳香。混ざりきっていない、というか混ざるはずもないのに混ぜられたそれらは、一つ一つは素晴らしいはずなのにもはや悪臭でしかない。なんというかもう実質キメラだ。誰がこんなおぞましいモノを世に放ったのか。無論ニール自身だ。責任転嫁すら出来そうにない。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ心が折れそうだったが、カルナが無言で睨んでいるのが見えたので逃げ場はない。当然だ、ニールがカルナの立場だったとしても睨む。超睨む。睨む前に手が出てる。場合によっては剣も出す。
「ええい!」
ままよ! と、コップの中身を一気に飲み干す。
下手に時間をかけたら全滅する。なら、短期決戦で勝負をつけるべきだ。剣で戦うのと大差はない……そう、考えたのだ。
口、喉、胃――全てに飲料キメラが満たされる。
――――混迷とした甘さに、思いの外苦味の強い後味。メロンの風味を添えて。
やはりアイスコーヒーを混ぜたのがマズかったのだろうか。それさえなければ変な甘い飲料として納得出来たかもしれない。
だが、コーヒー特有の苦味や香りの主張が他の甘い飲料と一切協調せず、口内で甘味と苦味のバトルを繰り広げだすのだ。混ざりきっていないためか一瞬一瞬で勝者が入れ替わるのだが、それはそれとしてニールの口の中に計り知れない不味さというダメージを与えていく。
ああ、争いのなんと虚しいことか。つまりこれは人と人の争いの縮図。こうして大地は荒廃していくのだ――!
「ニール? ねえ、ニール!? なんか凄い遠い目になってるけど大丈夫!? 超自業自得だけど心配になるんだけどそのリアクション!」
「――は!?」
なんだろう、今、変な方向で悟りを開きそうになった。
口内で行われた大戦争は集結し、今や舌にその名残があるのみ。飲み干したっていうのにまだ口が気持ち悪いのはどういうことだこれ。
「……カルナ、すまん。悪ノリし過ぎた」
ニールの場合は色々と覚悟を決めてたから良かったものの、カルナは何も知らずこれを飲んだのだ。そりゃあキレるわ、と思う。
カルナはニールの反応に溜飲を下げたのか、楽しげに笑っている。
「まあ、全部飲んだのなら許すよ。……というか本当に全部飲んだんだね。途中で白旗上げて捨てに行くかと思った」
「自分で勝手に注いで混ぜたモノを飲めねえからって捨てるのは駄目だろ。さすがに非常識だ」
「うん、とても正論なんだけど……非常識云々は混ぜる前に考えて欲しかったと僕は思うね、切実に」
ぐうの音も出ない。
出ないのだが、それはそれとしてあのドリンクバーには飲料を混ぜたくなる魔力があると思うのだ。
そんなことを力説しようとした瞬間、店員が料理を持ってきてくれたので中断する。
「お客様、お待たせしました」
「ああ、ごめんなさい。こんなに騒いでしまって……!」
いえいえ、と。
騒いでいるニールたちを邪険にすることなく、男性店員は笑みを浮かべながら料理を並べていく。
しかしそれはプロとしての立ち居振る舞いというより、慌てて頭を下げているノーラの胸部があるからではないかと推測する。室内であるためダッフルコートの隠蔽力はなく、小柄ながらも豊満なそれが揺れる様を上からじっくりと鑑賞出来たワケだ。そうでもなければ、昼時に騒いでいる集団とか面倒なだけだろう。
「……女の店員が来たらカルナを矢面に立たせるか」
やはり人間、美男子美少女には甘くなるものだ。
ニールもその気持ちはよく分かる。それを否定すれば連翹に対する行動が大体ブーメランとなって額に突き刺さる。
「そうね、美形外人って日本じゃ得よねぇ……くそう、あたしも今の格好ならけっこう大人の女っぽく見えると思うんだけどなぁ」
「大人の女とやらは自分からそういうこと言わねえと思うぞ」
別に連翹が可愛くないなどとは思わないが、この場所で目立つのはやはりカルナとノーラだ。髪色の段階で目を引くというのが大きいのだろう。
そのようなことを考えながら、ノーラが頼んだサラダに手を伸ばし――野菜を無視して中のチキンを二つくらい取った辺りで手を掴まれる。
「ニールさん、肉だけ寄って取らないで野菜も取ってください。栄養も偏るのもそうですけど、後で食べる人の分量も偏っちゃいますから」
「いや悪い、肉食いたくてつい――っておいカルナお前ぇ!」
ニールが腕を掴まれてる間に、全く同じことをやっているカルナ・カンパニュラという男が一人。ちい、とこれみよがしに舌打ちをしている。
「駄目か、いいデコイだと思ったのに」
「子供ですか二人共ぉ……!」
この野郎、と二人で睨み合っている最中にノーラが二人の取り皿にサラダを盛り付けていく。
まあ別に野菜が食べたくないワケではないので、大人しく取り分けられたサラダを食べる。
シーザードレッシングのかかった新鮮な野菜の感触。微かに酸味を感じる味わいはニールのような男より女の方が好むだろうと思うが、これはこれで悪くない。いや、悪くないどころかとても美味い。
店に来てわざわざサラダなどを注文しないから知らなかったが、なるほど、今後一品くらいは頼んでもいいだろう。
(だが――!)
しゃき、と野菜を噛みちぎりながら自分の前に置かれた皿に視線を向けた。
そう、ビーフシチューのかかったオムライスである。スプーンを握ったニールは小手調べというように卵だけを少し掬い、食す。
(思った以上にふわふわしててうめえな)
別段、これが飛び抜けて美味しいというワケではない。
実家の父や、ナルキの女将さんのような料理が上手い人が本気で作ったモノに比べると劣るだろう。
だが、と思う。
これの真髄はどこでもこれと同等のモノが食べられるということだ。
一流の料理人が作った料理は確かに美味しいだろう。だが、その料理を食すには料理人が居る場所まで向かわねばならない。至極当然の理屈だ。
だが、これは違う。チェーン店とはあらゆる場所に店を出し、だいたい同じ味の料理を出してくれる場所だというではないか。
つまり、この場所で無くとも、同じ看板を出している場所であれば同等の卵が食えるというワケなのである。あちらの世界では流通の問題で小さな村や町では卵料理すらなかったりするというのに……!
その事実に驚愕しながらオムライスに深く切り込む。ふわふわの卵と一緒にトマトライス、そしてたっぷりとビーフシチューを絡め、一口。
「――――どこに居てもこれが食えるって控えめに言って神の御業なんじゃねえの……!?」
ふわふわ卵とトマトライスの相性はもはや語る必要すらない森羅万象の理ではある。
だが、そこに濃厚なビーフシチューを絡ませて食べると、味が更に広がるのだ。オルシジームで食べたビーフシチューは美味しかったし、ミリアムの店に再度来店する機会があればこれに近い料理を作って貰おうかっ……!?
「リアルで神の御業見た人間が言うセリフじゃないとあたしは思うんだけど」
ワリと本気の言葉だったというのに、連翹はくだらない冗談を聞いたと言うような顔でハンバーグを食べている。
解せぬ。わりと本気で解せぬ。
これは素直に凄いことだろうに。
「いや、レンさん。確かにいつものニールの物言いではあるけど、凄いのは確かだと思うよ。実際、見渡しても海なんて見えない場所で生魚が食べられるワケだし」
「あれ? でも女王都の方で生魚ってなかったっけ? ほら、丼物屋さん食べに行ったじゃない」
「それは魔法使いが商人と契約して、氷の魔法で冷やしながら輸送してるからさ。他の町で生魚なんて食べられない……というか、大陸自体生食文化はあまりないしね。僕も港町で初めて見た時は未開の野蛮人の食事かって思ったし」
そう言ってカルナはまぐろのたたき丼に醤油とわさびをかけて食し、うん、と頷く。
特別騒ぐほど新鮮で美味しいというワケではないけれど、しかし多くの店でこれと同じモノを食べられるというのなら十分過ぎる――そう言ってセットで付いてきた味噌汁を啜る。
これよりもっと美味しいモノは多いのだろうが、日常的に食べるならこれでも十分美味だろう。
もっとも、それはあちらの世界でも食べたことがある食事だったからこそ、というのもある。
「というかノーラ、けっこう攻めたわよね。あっちでラーメンとか見たことないけど、どうなの?」
「……スープパスタなら見たことがあるかな」
「日向に蕎麦だとかうどんだとかいうパスタっぽい別の何かがあるらしい、ってのは女将さんから聞いたが、実物を見たことはねえな」
連翹の問いに答えながらノーラの手元に視線を向けた。
とろりとした野菜やエビなどが入ったのスープと、パスタに近い麺。ノーラはそれをフォークで上手く巻取りながらつるつると啜っている。
「ええ、どうせなら初めて見る食べ物を、と思ったので――辛くて酸っぱくて独特ですけど、なかなか美味しいですね」
そうか、と頷く。
美味しいようで何よりだが、それはそれとしてニールの味覚には合いそうにないなと思う。正直なところ、酸味だかそういうのを強く感じる味付けは苦手だ。
「ああ、大丈夫よ大丈夫。ああいう麺料理の中でもあれが特別なだけだから。もっと肉々しいラーメンとかもあるのよ」
「お、マジで?」
残念に思ったのが顔に出てたのだろうか、連翹が苦笑しながら教えてくれる。
「肉々しいって中々聞かない言葉ね……」
その様子を見て、茉莉もまた楽しげに微笑んだ。
作った雰囲気のない自然な笑みを見て、ニールはホッとする。少なくとも、ニールの言葉はマイナスではなかったらしい。
安堵しながら食事を進め、その中でふと気になってカルナに問いかけた。
「ところでよ、カルナ。お前あれだけ買ったカードとか一体どうするつもりだよ。つーかその手の話は二人で話しただろうが、何を山のように買ってやがるんだお前」
「大丈夫、さすがにあれ持って帰ってもどうしようもないから、見た目で好みだった魔導デッキ以外は全部買い取りして貰ったよ」
そう言ってカルナがニールに手渡したのは、魔導書とそれを扱うモンスターが入ったデッキだ。自分の魔法と見た目が近しいから選んだのだろうか。
確かにニールも剣士が描かれたモンスターカードなどは見ていて楽しかった。空想の存在とはいえ、やはり練達の剣士の姿を見るとワクワクする。
「……でも、さっきの時は全然これ使ってなかったよな」
ニールが見たのは対戦とは名ばかりの一方的な蹂躙を行うデッキばかりだったような気がする。
「趣味は趣味、ガチはガチさ。大体のカードプールは覚えたから、仮に次の禁止制限が発表されたって第二第三のワンキルデッキを組んでみせるさ……! 先行ワンキルは滅びない、僕ら決闘術士が存在する限り新たに生まれ続けるモノなのだから――!」
「言葉の意味がわっかんねえよ。なんでお前、カードで遊んでただけの癖に一番こっち側に馴染んでるんだよ、色々とおかしいだろ」
「……っていうかカルナ、あれだけ本屋に興味津々だったのに一歩たりとも踏み入っていないってどういうことよ。まさかあたしたちが戻ってくるまでずっとカードショップに居たわけ?」
連翹の何気ない突っ込みに、得意げな笑みを浮かべていたカルナの表情が陰る。
「うん、はい、そうです……正直僕自身どうかと思ってる。まあ、そこら辺はレンさんの部屋の本でも読ませて貰おうかな、と」
一杯本があっただろう? と。
その言葉に答えず、連翹はそっとノーラに顔を寄せる。
「ねえノーラ。この男、あたしの部屋漁る気満々なんだけど、どう思う? 身の危険とか感じるべき?」
「……難しいラインですね。とりあえず、一緒の部屋に居た方がいいんじゃないでしょうか?」
「二人とも酷くないかなぁ!?」
こそこそと、けれどこちらに絶対届く声で話し出す二人に、心外だとばかりに言い放つ。
「え? 必要があったとはいえわたしのカバンを勝手に開けたあげく、着替えとか下着とか見分してたカルナさん的には何か文句があるんですか?」
「……な、ないです、ごめんなさい」
もっとも――凍えた真顔で言われたあげく、茉莉の冷たい視線もプラスされた以上、反論は不可能だったようだが。残念だがニールには救う術がない、強く生きろと願うばかりだ。