247/残されたモノ
そこは、さして珍しくもないファミリーレストランであった。
数多くの飲食店の中からそこが選ばれた理由は、ニールたちにとっては珍しく見え、そして個々人で好きなモノを注文出来るから誰かにとっての大外れにはならないからだ。
そして何より――店内はそれなりに騒がしい。
昼飯を食べに来た大学生の集団に、話に花を咲かせている主婦たち。それらの声によって多少大声を出したところで変な目で見られることもないのだ
「まあ、大した店じゃないけどね。でも、安心して騒げそうな場所とか考えるとやっぱこういうとこになるのよね」
「大した店じゃねえとは言うけどよ」
連翹の言葉を聞きながら、ぱらりとメニューを捲る。
写真によって分かりやすく説明された料理の数は多い。大陸でも見かける肉料理や、日向風に見える料理など様々だ。
厨房内に複数の料理人が居るというのなら理解は出来るが、チェーン店で働いている者の多くは大した料理技術を有していないという。無論、練習は必要なのだろうが、それでも料理人と呼ばれる程の技量は必要なく調理出来るらしい。
だというのに、この種類だ。
「十分大した店なんじゃねえかと思――おっ」
ビーフシチューオムライスというメニューを見てメニューを捲る手を止める。
ふわふわ卵のオムライスの上にシチューをとろりとかけた写真を見て、即座にニールは自分が何を頼むべきなのか理解した。
だが、これでは量が少ない。若い男の、それも鍛えた剣士の肉体は肉を所望している。
ならば、ソーセージやチキンでも頼むとしよう。卵は良いモノであることは疑いようもないが、男なら肉であろう。
いいや、それよりも前に頼むべきモノがあった。
「よし、まずは――」
「ニール待って。それとカルナとノーラも。わりと重要な話があるから」
「レンちゃん、どうかしましたか?」
「何か必要なマナーでもあるのかな」
茉莉と共にメニューを見ていたノーラが、ニールの横からメニューを覗いていたカルナが疑問の声を上げた。無論、ニールも。
もしかして、調理が大変だから注文は一人一品までなどというルールでもあるのだろうか? だとしたら男の食欲的にだいぶ困ったことになるのだが。
「ううん、こんな場所でマナーも何もないし、普段通りなら問題ないわ。問題は、皆が絶対頼もうと思ってるこれよ、これ」
そう言って、連翹はメニューの一部を指し示した。
そこに存在するのは、透明なジョッキの中に黄金色の液体が満たされた写真だ。表面に雫が浮かんでいる写真がまたキンキンに冷えているように見えて美味しそうに見える。
だからこそニールもそれを頼もうと思っていた。こちら側にもビールがあったのだなという安堵と、こちらのビールはどのような味がするのだろうなという期待を込めて。
そんなニールの眼差しに気づいたのか、連翹は少しばかり言い辛そうな顔をしたが、しかし頭を振った。
「えっとね……こっちでは飲酒は二十歳になってからなの。つまり、真っ先に選ぼうとしているビールとかは頼めないってことよ。だからとりあえずビールみたいなことは無理よ」
「な――!?」
驚きの声を漏らしながら、しかし同時にそういえばとも思った。
あれは女王都で肉を食っていた時だ。一人酒を飲まない連翹に対し、ニールが問いかけたことがある。
『十六よ。……あたしが居た場所では、二十歳まではお酒は飲めなかったからね。こっちに来てから飲もうとはしたけど、なんか悪いことしてるみたいで、どうもね』
ああ、そうだ。昔、そんなことを言っていたような気がする。
瞬間、脳裏に浮かぶのは『黙ってりゃバレねえんじゃねえの?』という思考だ。実際、今は昼食時。相応に忙しそうな店員の様子を見る限り、そこまで細かくチェックされないのではなかろうか、と。
「……じゃあ、仕方ねえか」
とても、そうとても魅力的な誘いを蹴り飛ばして溜息を一つ。
郷に入れば郷に従え、ここではそういう法が定められているのならそれに準ずるべきだろう。
悔しげに呻きながらもそう結論付けるニールの顔を、茉莉は苦笑しながら見つめる。
「そういえばヨーロッパ辺りは十六歳から飲んでもいいって話だし、グラジオラスくんたちが飲んでいてもおかしくないのかしら。けど連翹、ホワイトスターさんにまで言わなくてもいいんじゃない?」
ねえ、と。
横に視線を向け――机に突っ伏すノーラの姿を目撃した。
「うううう……ほんの数ヶ月前なら! ほんの数ヶ月前だったら問題なかったのに……!」
「あらやだこの娘、思ったより呑兵衛なの?」
「うん。まあ、旅に出るまではあんまり飲んだ経験が無かったって言ってるし、ニールやカルナの趣味に引っ張られたって部分もあると思うけどね」
まあ、素質はかなりあったと思うけどね――と連翹がなんとも言えない顔で机に突っ伏すノーラを見つめた。
黙っていれば大人しめな美少女だというのに、なんだかんだで押しは強いしお酒大好きなのである。
「こっちの人たちは全体的に幼く見えるんだし、僕らが多少誤魔化しても気づかないんじゃないかな……?」
「おうコラ、諦め悪いぞカルナ」
仮にそれをやって気づかれた場合、迷惑を被るのは現地で暮らしている茉莉だろう。
カルナ自身、本気の言葉ではなかったのか「まあ、そうだよね」と笑う。
「今回は三人ともドリンクバーで我慢しなさい。ニールさっき自販機でコーラ飲んでたじゃない? あれが入れ放題になるサービスがあるのよ、ここ」
言って指差した先に、その装置は存在した。
ニールが先程飲んだコーラなどを注ぐ装置の他、コーヒーを注ぐ装置、紅茶に入れる茶葉とお湯などがある。酒以外なら飲むモノに困らないだろう。
「確かに、さっきのコーラが美味かったしな。未来永劫禁酒になりゃ困るが、色々試してみるのもありか――ところで、あれマジで入れ放題なのか? 信じるぞ? 勝手に飲んだからって用心棒に首根っこ捕まれやしねえだろうな」
「そんな吉○家の注文システムコピペみたいな嘘は吐かないから安心してよ、というか何? そんな嘘吐くって思われてるの?」
「いや、そういうワケじゃねえが、それで利益出るのかって思ってな」
後々になって多額の料金を請求されやしないか、と思ってしまうのだ。
美味い話には裏がある。自分に都合が良すぎる話は警戒しておいた方がいい。
「んー、まあ、あたしも細かい利益の仕組みとか聞かれても困るけど、大丈夫よ大丈夫。数人でたらふく飲んだだけで大赤字、みたいなシステムだったらここまで広まってないだろうし」
だが、連翹の方は『なにをそんなに疑ってるんだろう』と言いたげな眼差しをこちらに向けるのみ。
恐らく連翹にとって、いいやこの世界で暮らす人たちにとっては常識レベルのシステムなのだろう。だからそもそもこんなことを聞かれることを想定していない。当たり前に存在し、当たり前に利用するモノなのだから。
(――こっちに来て、色々実感するな)
ディミルゴは言っていた、規格外は外敵を生み出す種であり、同時にニールたちの世界で上手く生きられない転移者を補助する杖のような役割を有しているのだと。
なるほど、道理だ。
店内を見渡せば若い男たちも見受けられるが、その体は貧弱の一言。無論、ディミルゴに招かれた転移者たちと比べればマシではある。だが、剣を振るったり力仕事をするには不足だ。仮に彼らがニールたちの世界で人生をやり直そうと努力しても、最初の数歩で躓いて野垂れ死ぬ可能性があった。
それは彼らが怠慢だということではない。この世界では普通に生きるだけならそこまで体を動かしたり鍛えたりする必要性が薄いのだろう。
自動車と呼ばれる舗装された道を走る移動手段、手の平サイズでありながらも様々な叡智と繋がるスマホ、小銭を入れるだけで飲み物を入手出来る自動販売機は数多く存在し、そしてこの店や数多に存在する二十四時間営業のコンビニという存在。
そのようなモノに囲まれている以上、体を動かす理由は薄くなる。買い物は近場で済むし、遠出をする場合も自動車などを使って移動するのだろう。結果、ニールたちと――いいや、ノーラと比べても貧弱に見えるのだ。
無論、騎士や兵士のような仕事に就いている者は体を鍛えているのだろうとは思う。要は平均値の話だ。
考えれば考えるほど、自分たちの世界とこの世界の差を実感する。
「……? どうしたの、ニール?」
「いや、ここに居る連中なら、ノーラでも拳一つで無双出来るんじゃねえか――みてぇなくだらねえこと考えてただけだ」
考えていたことを半分隠しつつ、もう半分を茶化しながら語ると、連翹に半眼で睨まれた。
「ほんっとにくだらないわね……まあ、ノーラ服屋でもサイズ測って貰ってる時に色々言われてたものね。なにかスポーツしてるの? とか。柔らかそうだけで凄く引き締まってるとか」
言って袖から腕を触りだす連翹。
その感触にくすぐったがりながらノーラは少し心配そうな表情を浮かべた。
「わたしは店員さんが細すぎて驚いたんですけどね。ちゃんとごはんを食べてるのか不安になりますよ」
「確かに、こっちも時々エルフの体かってくらい細い人を見かけたよ」
そこらを歩いている女はそれほどではないのだが、容姿に気を使っているのだろうと推測できる者の多くは人間だというのにエルフの如く細い。
それはある種、剣士が剣を振るうために体を鍛えることに似ていると感じた。
ニールが鍛錬をして更に剣技を研ぎ澄ますのと同様に、肉を削ぎ落として己の美を研ぎ澄ます。ある意味では同じ求道なのではなかろうか。
「あれはあれで脚が綺麗でいいけどな。俺としちゃ、つーか他の男だってもっと肉ついてた方が好みだと思うんだが」
「グラジオラスくん、あんまり当人に聞こえるような声で言わないようにね。最近、その辺りってデリケートだから」
男のために綺麗になるんじゃない云々とかね、と茉莉がそっと耳打ちする。
その意味はよく分からないが、分かりましたと頷いておく。
女心の機微もこちらの文化もニールは無知なのだ。自分で考えるより詳しい人間の意見を尊重した方がいい。
「つーかくっちゃべってるがよ、お前らメシ決めたのか? 俺はとっくに決めちまってるぞ」
「おっと、そうだった――じゃあ僕はまぐろのたたき丼膳ってやつにしようかな。久しく魚食べてなかったし」
「わたしはスーラータンメンっていう何かと……みんなで突けそうなチキンの入ったシーザーサラダにしますね」
「分からないのに頼むんだ。やっぱチャレンジャーよねノーラって……あたしハンバーグとエビフライのヤツ! なんかファミレスといえばハンバーグってイメージがあるのよね!」
「それでわたしはバランス和膳で……それじゃあ呼ぶけど、大丈夫?」
茉莉の問いに頷くと、彼女はテーブルに設置された置物を押した。
すると、店内に鳴り響くベルの音。呼び鈴だったらしいその装置の音を聞きつけ、店員がこちらに向かってくる。
五人分の料理とドリンクバーを注文し、去っていく店員を見送った後、連翹は満面の笑みを浮かべながら立ち上がった。
「ようし、ここであたしが華麗に皆にドリンクバーの使い方を説明してあげるわ! これもある意味知識チートと言っても過言ではないんじゃないかしら……!?」
「いや、遠目で別の客が使ってるのを見てたら大体分かる、っつーかそんな複雑な代物でもねえだろ、アレ」
あれの使い方が分からないのなら、そもそも休憩所に設置してあった自動販売機で躓いていたはずだ。
そもそも、この世界に存在する道具の大半は使用者に分かりやすいように設計されている。専門用語や特殊な道具が必要だというのならまだしも、そうでないなら文字さえ読めればなんとかなるはずだ。
「……そ、そう?」
――はずだけれど。
どうやら連翹は住み慣れた場所で先輩ぶりたいらしく、露骨にがっかりとした表情を浮かべる。
はあ、と。
小さく溜息を吐く。
「……つっても、理解してるつもりになって下手打つかもしれねえしな。連翹、悪いが最初に手本見せてくれねえか?」
「え? ……なら仕方ないわねぇ! それじゃあこっちに来なさい! 速く速く!」
「んなに急ぐ必要はねえだろ……すんません、茉莉さん。ちょっと行ってきます」
「いいのいいの、カンパニュラくんもホワイトスターさんもいってらっしゃい。わたしは誰かが戻るまで荷物番してるから」
何やらとてもほほえましいモノを見た――そんな笑顔で手を振る茉莉の言葉に甘えて、四人はドリンクバーまで向かう。
「ジュースはこっちよ。こっちのボタンで氷を出せるから、それを入れたあとに好きなジュースを注ぎなさい。こんな風に、押してる間は出っぱなしになるから溢さないようにね」
「おー……マジで入れ放題なんだな、すげぇ」
注がれていくコーラを見て思わず感嘆の声を漏らすと、なぜだか連翹が得意げな顔をする。
別にお前が作ったワケじゃねえだろ――そう言いかけ、野暮だな、と思い直す。
ニールたちの世界では基本的に教えられている側だったのだ、立場が逆になって嬉しいのだろう。そう思うとドヤ顔も微笑ましく見える。
「レンちゃんレンちゃん。こっちの紅茶ってどうすればいいんですか?」
「待っててね、お母さん用のでお手本見せてあげるから――それじゃあ男どもは大体分かったわね? もう行っちゃうけど大丈夫?」
「大丈夫だよ、安心してノーラさんに教えてあげて」
「分かったわ。いい、ノーラ? ファミレスってティーパックの店が多いけど、ここはこんな風に茶葉を入れてね――」
言いながら複数ある茶葉をカップに沈める筒のようなモノに入れだす連翹から視線を外し、自前の飲み物を注ぐことにする。
コーラは先程飲んだので、カル○スという液体をコップに注いでみる。なみなみと注がれる白い液体。
コーラと違って泡立たないんだな、と牛乳とは違う白さの飲料を見つめてみる。どういう味なのだろうか、酒が飲めないことは残念極まりないが、色々と試せるのは素直に嬉しい。
「あ、悪いニール。ちょっとトイレ行ってくるから、君がさっき飲んだっていうコーラってのを注いどいてくれないかな」
「……オッケー、任せろ」
不自然な間にカルナが訝しげな表情を浮かべたが、しかしすぐどうでも良いと思い直したのかトイレに向かう。
カルナの背中が見えなくなったのを確認した後、カルナの分を注いで席に戻る。
「お帰りなさい。……連翹と仲が良いのね」
「ええ、まあ、長い付き合い――とまでは言えねえっすけど、それなりに気の置けない仲に成れてるんじゃねえかな、って思ってます……なんか悪かったっすか?」
茉莉の表情が少しだけ陰っているように見えた――だから思わず問いかけてしまう。
だが、彼女は驚いたように小さく声を漏らした後、すぐに首を左右に振る。
「ううん、悪いことなんて何もないの。むしろお礼を言うべきなくらい。ありがとう、あの子と仲良くしてくれて」
ただ、と。
少しだけ間を置いて、微笑む。
「少し意外って思う部分はあるの。あの子、グラジオラスくんみたいなタイプから距離を置いてたから」
「……昔はもっと大人しい女だったんすよね、あいつ」
正直、想像は出来ても実感は難しい。
ニールが初めて会った時の彼女は調子に乗りまくっていた馬鹿女だったし、再開した時は多少正確はマシになっていたけれど、やはりテンションの高い馬鹿女であった。
むろん、片鱗が見えることはあった。
アースリュームで己の規格外が消え失せるのでは、と体を震わせていた姿などを見れば彼女本来の弱さも分かる。
だが、それでも――連翹は明るく、そして楽しそうにニールたちと旅を共にして来た。だからどうしても明るく、楽しそうに、そして時々調子に乗りすぎて怒られている姿ばかり思い浮かんでしまう。大人しい片桐連翹の姿など、全く頭に浮かんでこない。
そんなニールの言葉を聞いて、茉莉はくすりと笑う。
「うん、楽しそうでなによりだわ。あんな風にはしゃいでる姿を見せてくれるのは、一体どれくらいぶりになるのかしら。中学生になってからは、あんまりああやって楽しそうにしてるのは見てなくて。もちろん、笑ったり楽しそうにゲームをしてる時はあったけど、友達とあんな風にするのは本当に、本当に久しぶり。良い出会いがあったのね」
ドリンクバーでノーラと共に紅茶を淹れている連翹を見つめながら、茉莉は微笑む。
その眼差しは子を慈しむ母の眼差しだ。楽しそうにノーラと話している連翹を、心から愛おしそうに見ていた。
「わたしは――あまり、そういう風に出来なかったから」
けれど。
その瞳を、微かに曇らせる。
「少し、連翹からは聞いたの。……なんだったかしら、でぃ? ディミ? ……ええっと、神様が呼んで、それを受け入れて異世界に行ったって」
つまり、それは――片桐連翹は母を切り捨てたという意味に等しい。
後悔しようが、愚かな自身を悔やもうが、その事実は一切変わらない。当時の連翹は確かに、こちら側の世界にあるモノ全てを焚べて異世界という新天地に飛び立ったのだから。
「わたしはあの子が何かに悩んでいるのを知っていて、なんとかそれを解消してあげられないかなって思ってた。結局、何も出来なくて、わたし以外の人がそれを成功させちゃったんだけどね」
自責、嫉妬、それに対する自責。
自分はどうして上手くやれなかったのだろう、なんで自分ではなくあなたがそれを成せたのだろう――ああ、こんなことを考える権利などないはずなのに、と。
ぐるぐると頭の中で混ざっているであろうそれらの感情、それを察してニールは小さく嘆息した。
やはり親子だ、と思う。連翹もまた、自責やら何やらを頭の中でぐるぐるとかき混ぜながら溜め込むタイプだった。
「……そこら辺、悪く思う必要はねえと思うっすよ」
だから、余計な世話だとは思いながらも口を開いた。
親子の問題は親子で解決すべきだろうと思っていたが、これでは互いに溜め込んだまま不完全燃焼で終わる予感がしたからだ。
なぜなら、互いに相手に対して負い目があるから。
――連翹は大して考えもせずに両親を切り捨てて異世界に行ったことを悔やみ、
――茉莉は彼女の悩みを解決出来ず切り捨てられた役に立たない自身の無力さに負い目を感じている
結果、どちらも強く踏み込めず他愛もない話をするだけで終わってしまう。
自分が悪いのだから我儘を言うワケにはいかないし、自分が悪いのだから強く何かを主張することが出来ない。茉莉の夫がどのような人間なのかは知らないが、少なくとも連翹と茉莉の二人ではどうにもならないだろう。
だから、少しばかり強引に行く。
「結局のところ、あいつは馬鹿女なんすよ。勝手に現実に見切りをつけて、嫌なことから耳を塞いで、俺らの世界まで逃げてきた。そんな女に何を言ったところで無意味だと思うっすよ、そもそも話を聞く気なんざ無かったワケっすから。茉莉さんが過去に戻って色々言ったとしても、結局あいつは俺らの世界に転移してたんじゃねえかって思います」
凡人は何をしても惨めで、どれだけ頑張ろうと陰で嗤われる存在である、と。
アースリュームで、連翹はそのようなことを言っていた。
ニールはその全てを否定するつもりはない。実際、どれだけ頑張っても届かない実力差、才能の差などは剣を振るっていれば嫌でも見えてくる。
無二など良い例だろう。ニールでは、どうあっても届かない頂を駆ける彼の背中は、走っても走っても近づけたという実感が得られない。傍から見て嗤われることもあるだろう、とは思っている。
だが、だからやめよう、などと考えれば沈んでいくだけだ。
実際、昔の連翹はそんな人間だったのだろうと想像している。
駄目だからとあらゆる努力を遠ざけて、他人に誇れる何かを溢して、結果どんどん卑屈に、そして意固地になっていく。
自分は駄目だ自分は駄目だ、才能がない誇れる力がない何もない、嗚呼、素晴らしい力さえあれば自分だって羽ばたけるのに、と。
きっと多くの転移者たちはそうやって力を得て、規格外に力を委ねた。
連翹もまた、そのように沈み、規格外を得た者の一人だったのだ。ニールが斬り捨てた多くの転移者たちと何も違わない。
「けど、ガキの頃の経験ってなんだかんだで体に染み付くモノだと思うんすよ。俺だって未だに朝が早いのは、実家で親父たちにそう躾けられてたからって部分もあるはずなんで」
違うのはニールとの戦いの結果、一線を越えることなく踏みとどまったこと。
ニールとの戦いで恐怖を抱かなければ、連翹もまたレゾン・デイトルの転移者たちの一人になっていたかもしれない。
しれない、のだが。仮に他の転移者が連翹と同じくニールと戦い、恐怖を抱いたとして――同じように踏みとどまれるだろうか?
ニールは難しいだろうと思っている。相手のことなどまるで考えていない以上、どうでもいいモブに自分の物語を邪魔をされたと憤慨して終わるだろう。
「だから、今みたいに明るくなったのも、立ち直ったのも、茉莉さんたち親の教育があったからなんだと俺は思ってます……なんで、もうちょい胸張ってもいいと思いますよ」
茉莉たちが愛を以て育て、連翹もまたそれを受け止め捨てなかった。
その結果が今だと思っている。
(あいつ――俺が親に勘当されたって話した時、怒ってやがったからな)
愛されていたと、良き両親だったと心の中で認めていたのだろう。
あるいは、ニールの言葉を聞いてそれを思い出したのかもしれないが――どちらにせよ、連翹が抱いた想いは変わらない。
彼女は両親を愛しているし、尊敬もしているのだ。
「そう、なのかしら。そうだったら良いのだけれど」
「俺の言葉が不安だったら、後であいつに聞いてみりゃいいんすよ。親子だろうが血が繋がってようが別の人間なんすから、言葉を交わさないと理解なんて出来ず拗れるだけじゃないっすかね」
不安も愛情も、形にしなければ伝わらない。
行動で示せる部分もあるとは思うし、言葉にし過ぎると安っぽく思えることもある。
だが、どれだけ安っぽくても、伝わならない星の輝きめいた想いなどよりもずっと有用だ。
そして何より、家族相手にそこまで気取っても意味はないだろうと思う。
「お母さーん、頼まれてたの取ってきたわよー!」
「レンちゃん、走ったら危ないですよ」
「大丈夫大丈夫、このくらいなんとも……っとと、ほら、なんともない」
重くなった雰囲気を消し飛ばす明るい声と共に、連翹が駆け寄ってくる。その背中を、ノーラは小さく溜息を吐きながら楽しげに追う。
それを切っ掛けにニールは口を閉ざす。
伝えるべきことは伝えた、ならば後はニール・グラジオラスという男抜きで語り合うべきだ。さっきのだって十分余計なお世話だろうに、これ以上はただの邪魔者でしかない。
二人っきりになった時にでも、好きなだけ話してもらおう。それがきっと一番良い。




