22/胸に突き立った恐怖という剣
ドクン、ドクン、と心臓が跳ねる。
むせ返る血の臭いと地面に広がっていく赤色。それを見て、連翹の思考は停止した。
カルナが駆け寄り、ノーラが必死にニールの傷を癒やしているその間ずっと、連翹は一歩たりとも動くことができなかったのだ。
(人の血を見るのは、そういえば――)
二回目。
この異世界に来て、まだ二回目なのか、と思考する。
二回目は言うまでもなく視界に広がる赤色であり、一回目は――
『絶、対――勝つ』
――射抜くような視線を思い出す。
血の海に沈みつつも、次はお前を打ち倒すという強い意思を持ったその視線に、心臓をわし掴みにされたような恐怖を抱いたことを。
顔も、背格好も、何もかも忘れかけているというのに、その視線と血溜まりだけは忘れられない。
「ああもう、なんであたしがこんなに怯えないといけないの……!」
思い出した情景を言葉と共に吐き捨てると、ようやく頭が正常に動き始めた。
見れば、ニールの治癒は既に完了し、担架で医務室に運ばれるところのようだった。カルナがそれに付いて行き、ノーラが神官に呼び止められているのが見える。
ようやく終わったのか、と連翹が安堵の息を吐き、しかし安堵はすぐさま怒りに塗り替えられる。
(なんであたしが、あんな凡人のために心を揺さぶられないといけないのよ……!)
あれは馬鹿だ。
無能な癖に好きだから、やりたいから、と無駄な努力をして他を巻き込む有害な馬鹿だ。
普通の騎士にすら勝てないくせに、粋がって周りに迷惑をかけて――本当に救えない、と鼻で笑う。
「だから嫌いなのよ、ああいうのって」
どうせ大成しないくせに、がむしゃらに無駄な努力をしている馬鹿は。
世界なんて一握りの天才が動かしていて、残りの全ては交換の利く部品でしかない。連翹はそう思っているし、それを認められない連中は救いようのない痴愚なのだろう。
連翹が居た世界には、そんな痴愚が山のように存在した。
思い出すのは地球で学生だった頃。救いようのない馬鹿どもが集まった牢獄。
現実に対して盲目な連中が青春だのなんだのと言ってグラウンドで玉遊びしている馬鹿共は脳みそが腐っているとしか思えないし、そんな無様な連中こそ素晴らしいとする世間の人間はきっと脳みそがあるべき場所が空洞なのだろうと思う。
ああ、くだらない、くだらない、くだらない。
才能のない奴がなにやったって無駄だし、無駄なら何もやらない方がずっとマシだろうに。
いい思い出になるとか、過去に頑張った経験は宝だ、などは全て凡人の自慰だ。自分がプロに成れなかったから、夢の残骸を大切に飾り付けて満足しようとしているのだろう。
(まったく……アホらしいのよ)
叶わなかった努力は無駄だし、延々と無駄を行うのは間抜けだ。なぜ、こんな簡単な真理にすら凡人には至れないのか。
その真理に目を背けているから自分のようになれないというのに。
(そう、転移者に!)
個人的には転生して銀髪でオッドアイの吸血鬼になりたかったのだが、まあそこは仕方ないと諦めておく。
この力を自分に与えた神とて、しょせんは踏み台に過ぎない。踏み台にそこまで期待するのは無意味だろう。僅かにでも自分の役にたったのなら、それでいい。
「君は彼女の手伝いはしないのか?」
思考の海に埋没しているところで、声をかけられた。
意識を現実に戻すと、ニールと戦っていた騎士が連翹の目の前に立っていた。傷口は既にふさがっていて、とてもではないが剣で切り裂かれたようには見えないが、斜めに切り裂かれた鎧がニールの斬撃が彼を抉ったことを示している。
それを見て、「大丈夫?」と問いかけようとして――やめた。なんで片桐連翹という転移者が、わざわざ他人の安否を気遣わなくてはならないのだ。
「あたしの力はあたしのためだけにあるのよ。なんであんな馬鹿を救うために使わなくちゃいけないの? 常識で考えなさい、常識で」
黒髪を掻き上げ、胸を張って宣言する。
昔から何度か練習していたその仕草は、この異世界ではけっこう様になっていると思っている。実力に裏打ちされた傲慢な仕草は、きっと誰よりも美しく、そしてカッコいいはずだ。
(そうよ。なんで規格外を手に入れてまで他人の顔を伺わないといけないのよ)
自分は最強なのだ。
絶対強者に凡人の作ったルールは無意味であり、強者たる自分が通った跡にこそルールが生成されるべきなのだ。
だから、さっきのは――血の海に沈むニールという男を見て慌ててしまったのは間違いであり、正すべきバグ。こんな感情はとっとと捨てないといけない。
そうすればきっと、悩んだり嫌な気分になったりすることは無くなる。
誰もがありのままの自分を肯定し、受け入れてくれるはずなのだから。
「……まいいさ。着いて来るといい、君に対する試験を行う」
「試験? ただの人間があたしを測れると思ってるの?」
「思うさ」
騎士はこちらに背を向け、言った。
「少なくとも、君は他の転移者とは違う、ということくらいは自分にも測れるのだからな」
こっちだ、と言って歩き始める背中を見つめながら、連翹はその言葉の意味を考えた。
しかしどうやっても理解ができず、
(つまり、あたしは他の転移者よりも特別な選ばれた存在に見える――ってことかしら。なんだ、見る目があるじゃない、こいつ)
そう結論づけて微笑んだ。




