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グラジオラスは曲がらない  作者: Grow
「ありがとう、さようなら」
242/288

239/神前対話/2


 ――考えてみれば、だ。

 連翹はこの大陸が異世界だと言ったことがあり、日本のことを元の世界と言ったこともあった。

 だが、それが『言葉通りにちゃんと通じているか』などと考えたことがなかったような気がする。

 転移者の知識がある程度広まっているとはいえ、世界も知識水準も違うというのにだ。


 そもそもこの異世界――いいや、この大陸ではまだ大航海時代など始まっていない。少数の物好きや命知らずが、地図も無しに海の果てを目指しているだけ。


 だから、この大陸で暮らしている現地人の大部分は想像出来ていない。

 自分たちが住んでいる場所以外にも大陸があって、そこに別の国が生まれているということを。

 

(いや、いや……でも、日向ひむかいだって見つけてるんだから、別の大陸があるって考えついても――ぁ、あ、あああ! そっか、違う!)


 厳密には違う、考えついていないワケではない。

 カルナも先程言っていたではないか、転移者の言う元の世界はどこにあるのかと問われた時に『別の大陸があって、そこから来たんだと思っていたけど』と。

 別の大陸がある可能性、そこに人が住んでいる可能性は理解しているが――そこに辿り着くのは遥か未来のことだと考えているのだ。

 

 ――要は、地球における月、そして宇宙の星々と似たようなモノ。


 確かに人類は月に辿り着いたし、遥か彼方の星々に別の生き物や宇宙人などといった存在が居るかもしれないと思う者も居た。別の星に行く物語など、様々な形で生み出されてもいる。

 けれど、だからといって現実に『地球は狙われている。だから軍備を増強しよう』と面と向かって言われて、納得できる者はそう多くはないだろう。


 現地人にとって、それが海の先に存在するであろう大陸なのだ。


 大陸に別の国があって、征服するために船で攻め込んで来る可能性というのは、現地人にとってただの与太話でしかない。

 無論、全ての人間がそうではないだろうと思う。研究し、海の果てに存在する侵略者という存在が夢物語ではないと気づいた者も、きっと居るだろう。あるいは一部の転移者が、愚民に啓蒙してやると言って長々と語ったこともあるかもしれない。

 だが、それで多数派を引き込むことは難しいだろうし、失敗した結果が現状なのだ。

 恐らく、広大な大陸を見つけ、そこから成果を持ち帰らない限り――目に見える何かがない限り、人間はそう簡単に己の常識が間違いであると認められないだろう。

 

「分からぬのなら三人は分からずとも良い、近い将来理解出来ることだ。そして再起の少女よ、お前は理解出来たようだな」

「なるほど、これは滅ぶわ」


 別大陸で大航海時代が始まり、平和に暮らしているところを植民地にされる流れだと確信する。

 海洋冒険者が新大陸を見つけたとしても結果は同じ。別の文明とコンタクトを取り――まともな兵士がいないこの大陸の存在を知った時、紳士的に対応してくれるだろうか? 連翹は、望み薄だと思う。

 

「だから――転移者を都合の良い外敵に、経験値にしたワケね」


 簡単な話だ。

 ディミルゴはこの世界に存在する全ての生物を愛している。

 ゆえに、この世界に存在する生物を外敵役にはさせられない。在り方を歪め、人間のために命を消費させることなど出来ないのだ。

 

 だから――外から引っ張ってきた。


 いじめられっ子やニートなど、様々な理由で社会から落ちこぼれた存在を再利用したのだ。

 自分の世界の人間ではないから消費しても心は痛まないし、転移させたところで地球に大した影響はない。

 

「経験値……ふむ、ふむ、なるほど、良い表現だ。だが片桐連翹よ、私はお前たち転移者の都合も考慮したつもりなのだがな」

「……それが規格外チートってワケだね。欲望のままに暴れまわるのなら強力な敵になるし、真っ当にこの大陸に馴染むつもりだったら歩むための杖になる」


 カルナが納得したように頷き、連翹も少し遅れて言葉の意味を理解する。

 ディミルゴは転移させる時に言った、お前は自由だと。

 思惑通りに外敵と化すのも、規格外チートを補助輪代わりにしてゆっくり世界に馴染んでいくのも、全てお前次第なのだと。


「転移者は一部の例外を除き、元々の世界の落伍者だ。そんなお前たちが何の力もなくこの世界に降り立ったのなら、善人も悪人も、そのほとんどが受け入れられることもなく野垂れ死んでいただろう。知識も技術も常識もないとっくに成人した他人を優しく守ってやれる人間など少数派なのだから」


 ゆえに、力を与えたのだと。

 少なくとも規格外チートがあれば野垂れ死ぬという結末は回避できる。悪辣に現地人から食料を奪っても良いし、強靭な体を用いて肉体労働をし日銭を稼いでも構わない。


「当初、多くの転移者が降って湧いた力に酔いしれ、暴れてくれるだろうと思っていた。だが、結果は私の予測から外れることになった。最初期の転移者の多くは現地人の外敵になることなく、人生をやり直すために現地人と手を取り合ったのだ」


 ――そういえば。

 前に、カルナがそのような歴史を語ってくれたような気がする。

 当時の現地人は力を持つ転移者を迫害するよりも仲良くした方が得だと考え、当時の転移者もまたそれに恩義を感じて手を取り合ったのだと。

 

「なら、どうしてそいつらを再利用しなかったのか聞いてもいいかな? 別の世界から引っ張ってきただけの存在だろう? 意識を奪い、獣のように人を喰らうようにすれば、外敵という役目は果たせると思うんだけど」

「まさか。愛子たちを愛し、共に歩もうとする存在が歩み道を、一体どうして歪めることが出来るというのか。この世界に根付くというのなら、彼らもまた私の愛子。自分で生み出していないから、と邪険に扱うほど狭量ではないつもりだ」


 自分が生み出した人間も、外から来た人間も、この世界に根ざして生きるのなら平等に愛すのだとディミルゴは語る。

 だが、それでは当初の目的を達成することが出来ない。

 ディミルゴの思い通りの外敵になってくれる人間は居たが、それは少数派だ。これでは人間全ての脅威には成り得ない。危機感を煽れない。

 

「だが、ある時を境に逸材が現れだした。この私に『土下座して許しを請いながら力を渡せ』などと言い放つ人間がな」


 その男は、特別何かに秀でた存在ではなかった。

 いいや、むしろ逆。全てにおいて劣っていると評しても過言ではなかっただろう。

 人間関係に失敗し、勉学に怠け、運動もせず肥え太り、親のスネを齧っていたような男であったというのに――彼はディミルゴの存在を確認すると自信に満ち満ちた表情を浮かべ、言い放った。


『おいおい、自由にしろだと? どうせお前の不始末を俺に押し付けるつもりなんだろうが』

『そうら、とっとと土下座して詫びろ。そしてその力とやらを寄越せ愚神』

『言われなくても自由に生きてやるよ! ようやくだ! ようやく俺の時代が来た!』

 

 怒りを抱くとか、気分を害するとか、それ以前に呆然とした――そうディミルゴは語る。

 なにを言っているのだろう、こやつは。

 地球では何者にも成れず、何かをしようともせず、ただ自室に篭っていただけの人間の癖に――その自信は一体どこから湧いてくるのか。

 当時、その思考回路を理解することが出来なかった。一体、どのような経緯でそのような妄言を吐き出しているのか。

 だが、逸材だと思った。

 この男なら現地人たちの外敵になれるし――何より、使い潰したところで何も心が痛まない。 


「無論、全ての人間がそのような愚者ではなかった。だが、確かにそのような人間が増えだしていたのだ。ゆえに、私はその理由を探り――『作家になろう』というWEBサイトの読者であるという共通点を見出した」

「……え?」


 神という存在が語るには俗過ぎる言葉に、連翹は思わず間の抜けた声を漏れた。

 そんな連翹の反応など知らぬというように、ディミルゴは空中にウィンドウを生み出す。

 それは、この世界に来てからは見れていない、しかし転移前は毎日のようにアクセスしていたサイト――『作家になろう』、そのトップページが映し出されていた。

 

「異世界召喚、異世界転移、異世界転生――それに加え、最強とハーレム。それらの物語に親しんでいた者たちが、自分が主人公になったと狂気し暴れまわってくれた――他者など知らぬと力を振るう忌まわしい外敵と化してくれたのだ」


 自分は強い、自分は凄い、自分は素晴らしい。

 ゆえに無力な現地人など平服して当然だし、金も女もあちらから捧げに来るのが礼儀だろう。そうしない連中は度し難い知恵遅れだ。この力で処刑してやる。

 肥大した自己愛と欲望で、他者など省みることなく己を輝かせるために全てを踏み台にして行く彼らは外敵を量産することに適していた。


 ――だから、インターネットを介し人間たちを探し出したのだ。


『作家になろう』を読み、異世界物語を好み、自分もこう成れたら良いのにと願う人間たちを。

 その効果は――連合軍が出会った多くの転移者を思い出せば理解出来るだろう。

 

「自分が主人公である、全てが許されている、何も阻むモノはない。そんな思考をしていたからこそ、初期から備え付けていた『三年後に力が消滅する』という機能が大きな意味を持つようになった」

「……転移者どもが恐れてた時間制限ってやつか」

 

 強大な力に酔いしれながら、しかし力を失う恐怖に振るえていた転移者たちを思い出したのか、ニールは忌々しげに顔を歪めた。


「先程言った通り、お前たちが規格外チートと呼ぶ力は外敵を作り出すモノであるが、同時に『本当にこの世界でやり直したいと思っている者の補助道具』だ。どちらの目的で力を使っていたとしても、三年という期間は程よい区切りだろう。転移者の世界で言うところの卒業だ。三年もこの世界に居たのだ、学ぶ機会はいくらでもあっただろう、やり直す機会はいくらでもあっただろう、絆を育む機会はいくらでもあっただろう。転移者たちは、外敵として過ごした者も、人生をやり直すために努力していた者も、どちらも三年という期限を以て大陸に住まう者たちによって剪定せんていされるのだ」


 剪定、という言葉に連翹が脳内に疑問符を浮かべる。

 確か、それは木の枝を切り落として見栄えを良くしたり、余分な小さな枝を切り落とし他の枝に栄養を集中させること、だったはずだ。

 だが、その言葉が人間に使われる意味が分からなくて、思わず首を傾げてしまう。


「仮にだ、再起の乙女、片桐連翹――彼女がお前たちを圧倒する力を有し、お前たちを力づくで従えるような女だったら、どうだ? 力を失っても共に居たいと願うか? 弱々しくなった彼女を支えたいと思うか? 否だろう」


 その言葉に、連翹はようやく気づいた。

 転移者たちは現地人に剪定される――その言葉の意味に。


「だが、今のお前たちはそうなってはいない。彼女は力を使いすぎた、神官が力を供給せぬ限り現地人と同じ力しか持ち得ないというのにだ。それは、なぜだ?」

「……ま、こいつが最初っから真っ当だったなんて言う気はねえし、むかつくことは多々とあった」


 ディミルゴの言葉に、ニールは静かに答える。

 

「全部を許せるはずもねえが……それでも、殺したくはねえって思う程度には真っ当になった。信頼に値する仲間だと思った、それだけだ」

「ニール……」


 その言葉が、素直に嬉しかった。

 全部を許されたワケではないけれど、きっと全部を許して貰ってはいけないのだろうなと思う。

 それだけのことを、あの時の連翹は言ったのだから。

 だから、これでいい。信頼に値すると言って貰えるだけで望外の幸せだ。


「そうだ。それこそ、彼女が自由に生きた結果だ。誰に強制されることなく誤ちを犯し、誰に強制されることなく友と共に光の道を歩んだ。その結果、彼女はこうして生きている――剪定されることなく」


 その言葉を聞き、納得する。

 この時間制限は、要は一種の試験なのだろうと思う。

 転移者がこの世界で生きる資格があるか否かの。

 

 ――己のためだけに規格外チートを使い、多くの人間を傷つけた転移者は生き残ることなど出来ない。恨みを、怒りを抱いた現地人たちが報復し、命を落とすから――剪定されるから。

 ――逆に、現地人たちと共に社会に馴染んでいる人間なら、剪定されることはそうそうない。力を失った結果、生活に支障が出るかもしれないけれど、少なくとも突然無能扱いされて追放なんて真似はされないはずだ。

 

 三年間、自由に生きた結果がその身に返ってくるのだ。

 無論、人間が絡む以上はこんなに簡単な理屈ではないのだろうとは思う。

 正しく生きたとしても何らかの形で恨みを買う可能性は否定できないし、どれだけ悪辣に振る舞っても上手く誤魔化している転移者も居るかもしれない。連翹のように、善行も悪行も行っている転移者だって居るだろう。

 だが、それは運と言う他あるまい。だが、この世界で根付いて真っ当に生きていた者は、その運を掴み取りやすくなる。

 けれど、力に頼り切って何もしなかった者たちは確実に剪定されてしまう。

 それこそ小さく細い枝を、ちょきん、と切り落とすように。


「その結果が今の転移者たちだ。お前たちとて出会っているだろう? この大陸の人間に、エルフに、ドワーフに受け入れられている転移者を。お前たちも見ただろう、与えられた力が無ければ生きていけないと嘆く外敵たちを」


 そのどちらも、スタート地点は同じだった。 

 転移前の社会から脱落したか、社会そのものに見切りをつけて新天地を望んだかの違いはあるだろうが、力を持ってこの大陸の人里近くに降り立ったのは誰しもが同じ。

 違うのは、どのように行動したか、ただそれだけ。

 アースリュームで出会ったサッカー好きの青年は、転移者の力を早期に排除してドワーフたちと共に歩くことを決めた。

 オルシジームで出会ったテンションの高い男は、転移者らしく暴走したこともあったらしいが、それを反省しエルフたちと仲良く過ごしている。

 そのように出来なかった者は、ある日突然力を失って虐げた者に殺されているのだろう。


「転移者は力を失えば見向きもされない? 力のない無能は嫌われる? 力が存在しなければ現地人に殺される? 愚かなことだ。他人に見向きもされないのも、嫌われるのも、恨まれ殺されるのも、当人が自由に生きた結果だ。彼らは転移者だから疎まれたのではない、彼ら自身がそのような人間であったからそうなったに過ぎない」


 転移者は、転移者だから憎まれているのでは断じてない。


 憎まれる者は元から憎まれるような人間だったから、

 嫌われるような人間は嫌われるような人間だったから、

 そんな連中が三年という時間を経たというのに何一つ成長していなかったから、


 彼らは憎まれ、疎まれ、嫌われ、殺されるのだ。


 ――それこそが、創造神がやりたかったこと。


『作家になろう』の転生物語を心より愛し、自分も同じことをしたいと願う人間を招き、外敵にするために。

 元の世界に馴染めず、だからこそ知らない世界を望んだ者に居場所を与えるために。

 両者に三年という猶予を与え、この大陸で生きる価値があるのかを見定めるために。

 そして――量産した外敵を現地人にぶつけ、経験を積ませるために。

 初めは外敵だった者も、三年という時間で真っ当になることもあるだろう。

 初めは融和を望んだ者も、三年という時間で力に酔いしれ討伐されることもあるだろう。

 だが、強制はしない。どう行動するかは自由に決めさせたのだと。

 

「……言いたいことは分かった。やりたいことも、まあ、大体は分かった。けどよ――」


 ひゅん、と風切り音が室内に響く。

 ニールが握る霊樹の剣、その切っ先がディミルゴに向き、金属めいた輝きを放つ。

 瞳も、また――剣と同様の光を帯びた。


「――掌の上、ってのは気に食わねえな」

「……何を言っている?」

 

 言葉の意味が理解できないという風に疑問を口にするディミルゴを、ニールは睨めつける。 


「経験値って言い回しはよく分からねえが――要は全部人間に与えるつもりだったモノってことだろ、転移者との戦いなんざどうあってもこっちが勝てるように調整されてたってことだろうが。それを聞いて気分良く聞けると思ってんのか?」


 ――俺は俺の意思で戦いここまで来た、戦い抜いてきた。それが予定調和のように語られるのは腹が立つ。

 そして、転移者がそのように扱われることにも怒りを抱くのだと。

 ニールにとって転移者はあまり好感が抱ける相手ではない――いいや、むしろ一部の例外を除き悪感情を抱く相手だ。

 だが、それでも真剣に戦った相手だった。

 互いに刃を交え、死力を尽くしあった相手なのだ。

 死神グリムも、王冠クラウンも、孤独オンリーも――決して許してはならない、生かしてはならない相手ではあったが、だからと言って最初から敗北することが決定づけられた存在であったなど、認められるはずがない。彼らは確かに真剣であったのだから、強敵だったのだから。


「まさか、そのような調整など、するはずないだろう」


 強い口調で言うニールに、ディミルゴは静かに首を左右に降った。否、それは勘違いであると。


「確かに問答無用で人間を滅ぼすつもりは皆無だった。だが、腑抜けた人間を救うつもりもまた皆無。お前たちが戦う意思を見せなければ、大陸は外敵の転移者に破壊し尽くされていただろう。そうなるように転移者たちには力を与えたのだからな。此度の勝利は、外敵に抗おうとして多くの人間が、エルフが、ドワーフが奮起した結果だ」


 三年という期間を短いと感じるか長いと感じるかは、個人の主観に委ねられるだろう。

 だが、もしもまともに戦う能力も無く、抗う気力も人間は有していなかったのなら――転移者はとっくの昔にこの大陸を支配している。

 確かに転移者には明確な弱点があった。

 どれだけ強くとも根っこは素人であり、スキルは誰が使おうとも同じ動作しか行えないという弱点が。

 だが、それは戦わねば見抜けなかったことだ。強力なスキルの効果を見て、心が萎えてしまえば――戦うことすら出来ない。

 弱点を見出すことも出来ずに滅んでいたことだろう。


「ゆえに、此度の勝利はお前のモノだ。実際、お前の躍進は私の予測を上回っていたよ、狼翼ろうよくの勇者。よくぞ外敵の王を屠った。あれを打ち倒すのは剣の才に恵まれた騎士か、勇者の才能を持つ彼だと思っていた。褒めてつかわ――」


 もういい、黙れ――と。

 上から目線で拍手をしながら言うディミルゴへと、ニールは剣を右肩に担いで踏み込んだ。

 餓狼のように疾走し、ディミルゴまでの距離を即座にゼロにする。

 振り上げた刃は、人間に見えるディミルゴの姿に吸い込まれ――


「はい、ストップよ」


 ――その、直前。

 大柄な女剣士が真っ向からニールの剣を受け止めた。鳴り響く硬質な轟音に、連翹は思わず顔を顰めた。

 

「ま、イラっとするのは分かるんだけど剣を引いてはくれないかしら。あれでちゃんとあなたたちのこと考えてるのよ」


 舌打ちを一つ、大きく鳴り響かせながらニールは剣を収めた。

 リディアの言葉に納得したワケではない。ただただ単純に、リディアを突破してディミルゴに切り込む未来が見なかったからだろう。

 彼女の技量が優れているワケでも、ニールの剣を無力化する特殊な術を持っているワケではない。ただただ単純に『即死を避けながら攻撃を受け止め続ける』だろうということが連翹にも理解が出来た。

 連翹程度の剣術でもダメージを与えることは難しくないように感じるのに、彼女を突破して背後の誰かを攻撃する未来が欠片も想像出来ないのだ。


「……一つ、どうしても解せないことがあるんだけど、聞いてもいいかな?」


 カルナも同じ結論に至ったのだろうか、魔導書を閉じてリディアの背後に座すディミルゴを見つめた。

 突破は不可能――いいや、時間をかければ可能だと思うが、現実的ではない。

 なら、ここは会話を続行したほうが得だ。攻撃するのは、どうしても認められない時で良いと。


「構わん、質問を許そう黒衣の銀龍カルナ・カンパニュラよ」

「ここまで聞いて、ある程度はそちらの考えはある程度分かった――けれど、どうしても転移者を呼び寄せた理由が納得できない」

「……ふむ、何か説明し忘れていただろうか」

「いいや。勇者リディアが早期に魔王を倒し、世界を征して、その結果外敵が現れる前に人間が腑抜けてしまう……だから外部の落伍者に力を与え外敵に仕立て上げた。人間に経験を積ませるために、この世界でやり直したいと真に願う転移者たちが死なぬように。なるほど、分からなくもない。要はゴミを有効活用しようって話だ。一から何かを作り出すよりずっとローコストで済むだろう」

「か、カルナさん――!?」


 カルナの物言いに、慌ててノーラは声を荒げた。

 ディミルゴに対して不敬な物言い――というワケではない。それなら、とっくの昔にニールを制止していたはずだ。

 彼女もきっと、思うところはあるのだろう。レオンハルト然り、賢人円卓然り、転移者騒動の結果巻き込まれた人々をその目で見ているのだから。


「レンちゃんが居る前で、そんな物言い――!」

(……ああ、そっか)


 ノーラが何に対して怒っているのか、連翹は理解出来ていなかった。

 だって、自分は確かにカルナが言った通り、学校という社会から落伍したゴミで――なぜ力を与えられたのか、それを振るえば皆からどう思われるのか、何一つ考えずに剣を振るった大馬鹿者なのだ。

 言われて当然だし、そう思われて当然、今みたいに認められていることが既に望外の幸福なのだと思っていたから。

 だが、言及されたカルナはハッと目を見開いた後、眉を下げて連翹の方へと体を向けた。


「確かにこれは良くないな……ごめん、悪かったよ」

「ううん、いいの。ありがと、カルナ、ノーラ」


 お礼を言うのも変だろうかと思ったが、どうしても言いたくて仕方がなかった。

 だって、最初に出会った頃の彼なら、そんな風に言ってくれなかったろうと思うから。

 上辺だけ取り繕うくらいはしてくれただろうが、しかし今のように心から申し訳なさそうに誤ってくれることなどなかったはずだ。

 カルナはなんで礼の言葉を言われたのか分からなかったのか怪訝な表情を浮かべたが、今はそれを追求している場合ではないと思ったのか、ディミルゴに向き直る。


「……理屈は分かった。外敵を作るなら連れ出しても文句を言わない連中を転移させ、量産した力を与えるのが面倒がないってことはね。……けど、そもそもなぜ『人間のために転移者を送り込んだのか』が分からない。結局のところ、人間が上手くやりすぎた結果袋小路に入ったというだけだろう? それは人間の行動の結果、平たく言えば自業自得じゃないか。だというのにわざわざ救ってくださる理由、それはなんなのか? 僕にはどうしても理解出来なくてね」


 結局のところ人間が失敗しただけだろう、と。

 局地的な大勝利を得て、全てを支配した結果、後々滅ぶことになる――ただ、それだけの話だろう。

 なんてことはない、よくある話だ。戦術で勝利を掴みつつも戦略で敗北するなど、人間同士の争いでも多々と存在する。

 

「仮に僕があなたと同じ立場だったのなら見捨てている。視野の狭い種族が全てを支配した気になって足元を掬われるってだけの話なんだからね。それにチャンスを与えるなんて、随分と甘いように思えるのだけれど?」


 確かに、カルナの言いたいことは分からなくもない。

 そもそも人間を救おうとしなければ、転移者を作り出す手間もなかった。どこか別の大陸で覇者となった種族が、いつか女王都を攻め落とす――ただ、それだけのこと。地球の大航海時代で数多に行われてきたことではないか。

 よくある文明の終焉。悲劇と言えば悲劇だが、殊更珍しくもない。

 だというのに、なぜわざわざそれを回避するチャンスを与えようとしているのか? 

 何か裏があるのではないか、カルナはそう疑っているのだ。


「あの時代、人間は奮起した」


 ぽつり、と。

 ディミルゴは呟いた。


「リディアたち四人だけでは断じてない、人間たち皆の力が私の予測を上回ったのだ。ゆえに魔王を打ち倒し、魔族を退け、この大陸の覇者となったのだ。より良い未来に辿り着くため、血を流しながら――その結果がそのような滅びなど、悲しいだろう」

「悲しい――ですか?」

「ああ。怠惰で滅びるのなら躊躇せず見捨てている、生存競争の果てに敗北するのも一つの未来だ、それらを手助けする理由はない。それは人間たちの怠惰や、他種族や別の人間たちが奮起した結果なのだから」


 世界で生きるということは、リソースを奪い合うということ。即ち弱肉強食だ。

 ありとあらゆる存在が無限にはなれぬ以上それは当然の理だろう。そうしていく内に生き物は練磨され、進化していく。

 誰しもがより良い明日を目指し、高みへと目指す――それが生き物なのだ。

 ゆえに、愛子同士が争うのは当然のことで、それをどうにかしようとは思わない。


「だが、予測を上回り未来を掴んだ者たちの果てが袋小路など、私は認められない。それではあの時に戦った人間たち、勇気を振り絞り奮起した者たち、その一人一人が報われないだろう。いずれ海を越えて訪れるであろう存在の努力を無にする気はない、世界の覇者となるべく努力する姿もまた美しいのだから――だが、お前たちがそれに対抗出来るよう牙を研ぐ機会を与えてやろうと思った。そう思う程に、転移者を転移させる手間を惜しまぬ程に、お前たちの先祖は命の輝きを示してくれたのだ」


 ゆえに、私は転移者を呼び寄せたのだと。

 勇者リディアを筆頭により良い未来を掴み取るために戦い抜いたかつて人間のために、そしてその血を受け継いだ今の人間のために。

 お前たちならばこの試練を乗り越え更なる高みへと羽ばたいてくれるだろうと思ったから。

 そして転移者たちも、また。

 元の世界に馴染めず落伍した者たちが愛子たちを心から信頼し愛してくれるのならば、これほど嬉しいことはない。

 慈しみ、抱きしめよう。お前たちにはその権利があるのだと。

 

(……正直、上から目線過ぎる――というか、元々視点が上にあるから今を生きる人間とはだいぶズレてる気はするけど)


 一応、こちらに視点を合わせようとしてくれているのだとは思う。可能な限り個人として連翹たちを尊重しようとしている、とも。

 だが、元々の視点が種族単位で焦点を合わせているためだろうか、上手くピントが合ってない感じがするのだ。

 転移者を転移させたことは確かに人間という種族を強化するキッカケになったが、その結果、今を生きる人間たちがどう思うのかいまいち理解し切れていない風に見える。


 ――それでも、根底にあるのは愛だと思った。


 それは子の成長を喜び、祝う父のように。中々馴染めなかった養子が息子と仲良くなっていく姿を見て顔を綻ばせるように。

 現状だって、よくやった、おめでとう、と子供を祝うためにパーティーをしている感覚なのかもしれない。

 だが視点が違うということは感じ方や考え方が違うということ。親の心を子が知らぬように、親とて子の心が分からないのだ。

 事実、元々創造神を信仰しているノーラはともかく、ニールとカルナは苛立った様子でディミルゴを睨んでいる。良くぞ試練を突破した、褒めてつかわす――そのようなことを言われても、喜びより反感を抱くのだ。連翹も、また。

 

「なるほど――甘いように思えるんじゃなくて、本当に甘かったのか」

「否定はせん。が、出来の良い子を甘やかしてしまうのは人間の親とて同じではないか?」


 ゆえに愛そう。ゆえに喝采しよう。ゆえに賛歌を捧げよう。

 お前たちはよくやった、みごと外敵を打ち倒し勝利を掴み取った。本来なら、もっと別の誰かが成し遂げると思っていた偉業を、お前たちは為し遂げたのだと。

 誇るが良い、お前たちは英雄と呼ばれるに相応しい偉業を成し遂げたと知れ。

 だからこそ、神自ら神殿に転移させたのだから。


「さあ、本題だ――お前たちに褒美を授けるよう」


 瞬間、色が溢れた。

 ディミルゴが座る椅子を中心に、数多の色彩が汚れのない白を侵食していく。

 それは画家が絵を描く前に、パレットに絵の具を載せている姿を連想させた。

 

「一人につき一つ――願いを叶える。遠慮せず受け取るが良い」

「願い――って言われてもな、何が出来るんだ?」

「無論、総て。生憎、他種族を滅ぼせなどという願いやそれに繋がる願いは拒否させてもらうがな。だが、それ以外ならどのような願いでも叶えよう。最高峰の才能、至高の武具、この世界の理についての知識、総て、総て」


 ぐにゃり、ぐにゃり、と地面が歪む。

 波打つ混色の床から、剣が、ドレスが、美術品が、本が――手慰みで粘土を捏ねるように生みだされ、溶け落ち、床に混ざっていく。

 

「なっ……!?」

「はあ!? いやちょっと待って……と言うか複製品だったにしろ、そんな簡単に作って良いものじゃないと思うんだけどアレ……!」


 その最中、剣を見たニールが、本を見たカルナが驚愕の声を漏らす。

 きっと見る人が見れば一目で分かる一級品――否、それどころか伝説級の物品なのだろう。

 それが一瞬で複製され、一瞬で溶け落ちて床と同化していく姿。

 それはデバックモード起動して最強アイテム垂れ流しているのを現実でやらかされているようで現実感が薄い。


「レンちゃん、あの服可愛いですね……」

「あ、うん、そうね……ッ!?」


 ノーラが突然小学生並みの感想《小並感》を呟き出したのでそちらに視線を向け――硬直する。

 そこには脂汗を流しながら体を震わせるノーラの姿があった。


(ああ、信仰する神様が実際に何かを創造する姿を見せられてるんだものね)


 恐れ多すぎて頭の中身がバグり出しているのだろう。

 ニールたちより静かなのは、とっくの昔に驚きのメーターが振り切っているからか。恐れ多過ぎてこのままでは死んでしまいますよう……、と言うようにばかりにバイブレーションしている。

 あれか、騒がないのはマナーモードだからなのね、と連翹は現実逃避気味におかしなことを考えていた。

 だって、あんなモノを突然見せられて「じゃあ、こういうのをください」などと言えるはずもない。不敬だからとか遠慮しているなどではなく、単純に驚きで頭が真っ白になる。

 

「思いつかぬか? ならば一つ、提案をしよう」


 硬直したまま何も言わない連翹たちを見て。ディミルゴが静かに言う。

 狡猾なゴブリンの姿に見えるディミルゴは、真っ直ぐ連翹を見つめ――



「再起の乙女、片桐連翹――元の世界に心残りを抱いているな?」



 ――――どきり、とした。


 それは図星を突かれたから。

 別に、この世界が――ニールたちと過ごす今が嫌になったワケではない。そんなこと、ありえない。

 だが、それでも最近は思うのだ。

 元の世界に居る両親のことを――何も言わずに別世界に転移して行った娘のことを、二人はどう思っているのか。今、どのように生きているのか。

 ブバルディアでニールの母親と出会って膨れ上がったこの想いだったが、しかし連翹はそれ以降は考えることはなかった。

 元の世界になど興味なんてない、と何も考えずに異世界に来たのは自分ではないか。こんな後悔、恥知らずにも程がある。

 何より――どうあっても帰れないというのに、思い悩んだ所で無意味だ。忘れるべきではないし反省はするべきだとも思っていたが、しかし後悔し続けても意味がないと思った。

 だが、もしも。

 もしも、もう一度元の世界に戻れるとしたら。


「望むのならば仲間と共に転移してもいい、その時に地球に残るのもこの世界に戻ってくるのも、一人で向かうのも、そもそも転移を望まないことも――全てお前の自由だ。私は、決して何も強制はせんよ」


 ディミルゴは選択肢を一つ提示するだけで、どうしろとは一言も言ってくれない。

 ただ一つ、お前の自由だとだけ言って真っ直ぐ連翹を見つめるのみ。

 選択肢は自分で選べ、結果は自分で責任を取れ、それが自由という言葉の意味だろう――言外に伝わってくる言葉の圧に、連翹は思わず口をつぐみ――


「行ってみりゃいいだろ、ここで黙って考えたところで意味はねえしな」


 とすん、と。

 連翹の肩に大きな掌が載せられる。


「ま、行くんなら怒られたり泣かれたりするのだけは覚悟しとけ。家出娘には必要な説教だろうしな――それでも、後ろに居るくらいはしてやるし、あんまり理不尽なら止めてやる」


 だから、行くなら安心して行け、と。

 俺も行くから心配するな、と。

 そう言ってにっ、と笑うニールを見てから、ノーラとカルナに視線を向けた。


「ええ、わたしも。お邪魔にならなかったら、ですけど」

「行くなら――そうだな、僕の願いはそちらの世界の金にでもしておこうかな。さすがにレンさんの両親に金を無心するのはいい歳した男としては、ちょっとね」

「ノーラに関してはあたしからお願いしたいくらいだけど――カルナはそれで良いの? あれでしょ? 神様が叶えてくれる願いなんでしょ?」


 それが金っていうのは、いくらなんでもどうだろうか?

 そう問いかけると、彼は「何を言っているんだい、レンさん」と自信に満ち満ちた笑みを浮かべた。

 

「僕はカルナ・カンパニュラだ、自分の夢は自分で叶えるし、自分の望みは自分で実現させる。だけど、別世界で突然金を稼ぐというのは、不可能ではないと思うけどだいぶ手間だろうしね」


 それに、そちらの世界に存在する文化は気になっているんだ、と。

 連翹の付き添いというより観光気分で言うカルナの姿を見て、小さく笑みを浮かべる。普段と変わらない姿を見て、少し気持ちが楽になった。

  

「あたし――家に帰りたい。その後どうするかは……まだ、分からないけど」


 自分が何をしたいのか、帰って両親に何を話すのか、正直に言えば何一つ頭の中にはなかった。

 ただ、それでも――この機会を逃したら、今後ずっと後悔するだろうと思った。『なんであの時、元の世界に行かなかったんだろう』と何度も後悔する自分の姿が想像出来たから。

 だから、行きたいと思う。その結果、自分がどのような決断を下すのかは、分からないのだけれど。

 

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