236/空白神殿
男女に分けられた怪我人用の天幕――連翹はカルナと別れ、女性用の天幕に入った。
己の剣を引きずるように運び、ノーラが眠る簡易寝台の横に腰掛ける。
規格外は現在オフにしてある。強化を維持するだけでも充電した力は目減りする以上、あまり無駄遣いは出来ない。いざ、何者かが拐いに来たという時に燃料切れなんて笑い話にもならない。
ふう、と溜息を吐いた後、ノーラの寝顔を見つめる。
幸い、寝苦しそうだったり悪夢に苛まれているような様子はない。右腕さえ無事であったのなら、普通に寝ているだけに見えただろう。
そう、右腕。ニールを治癒し続けた結果、限界を迎えて内側から破裂した部位。
弾け飛んだ当初は見るも無残な姿だったそれは、包帯を巻かれているものの元通りに復元しているように見える。けれど、まだ肉を整えただけで体と上手く繋がっていないのだという。
(女王都でカルナが脚を吹き飛ばされた時も、けっこう完治まで時間かかっていたものね)
四肢切断と四肢欠損では必要な労力と時間が全く違うらしい。なんでも、『繋ぐ』のと『生やす』のとでは神官に求められる技量が段違いなのだそうだ。
その辺りの説明を従軍神官の人が申し訳なさそうに説明してくれたのだが――地球人の連翹からすれば、切断面がぐちゃぐちゃでも繋ぐことが出来たり、トカゲの尻尾みたいに生やすことが出来るのは十分過ぎるくらい凄いと思う。
なにせ、ノーラの右腕はもちろんだが、ニールの欠損っぷりなんて地球だったら今後一生達磨生活だ。アウトドア派なニールの性格からして、地球だったら自死を選んでいるかもしれない。
そう思うと、治してくれることに感謝こそあれど、不満に思うことなどあるはずがない。大切な友人たちを癒やしてくれてありがとうと思う。
(まあ、ニールなんて朝には不満言ってそうだけど)
ニールの場合、四肢欠損以上に孤独の妖刀によって貫かれたダメージが大きすぎる。ゆえに、まずは胴体の治癒から始め、その後に四肢を完治させるのだという。
あの脳まで剣に侵されてる男が、ずっとベッドの上だなんて耐えられるとは思えない。もしも今日なにも無ければ、暇つぶしの相手くらいにはなってやろう。ずっと治癒の奇跡をかけっぱなし、というワケでもないようだし、そのくらいは出来るはずだ。前に食いつきが良かった沖田総司の話でもしてやろうかなと思う。
(そう、何もなかったら――ね)
周囲の音に耳を澄ます。
響くのは怪我人の寝息、ノーラの呼吸音、天幕を僅かに揺らす夜風の音色。
危険な様子は、今のところ存在しない。カルナが向かった男性側からも、特別何かが聞こえてくることはなかった。
取り越し苦労ならそれで良いのだけど、と剣の柄を握りしめる。危険だと思ったらすぐさま規格外をオンにして戦わねばならないから。
連翹はまだ相手の気配を探る、なんて真似は出来ない。
相手がその気になれば簡単に拘束されてしまうだろうと思う。
だが、相手が『招く』と言っている以上は連翹を一撃で殺すような真似はしてこないはずだ。
きっと何らかの手段で拘束してくる――その時に規格外を全開にすれば反撃することが出来るはず。仮に毒物を嗅がされようと、規格外の防御部分をオンにすれば無効化出来る。転移者に毒など効かないのだから。
無論、これは相手が人間などの襲撃者だった場合の想定だ。
もしも、本当に神様が転移させてきたら――正直、どうしようもない。
全く音が聞こえない静かな夜の中、連翹は顔を歪めた。
(カルナは大丈夫みたいなこと言ってたけど、正直こっちの世界の神様にあんま良い印象ないのよね――あたしなんかをわざわざ転移させたんだもの)
世界の危機に勇者を呼び出しているワケでも、この世界に必要な技能を持った人間を集めているワケでもない、作家になろう辺りで大人気のチーレムモノが大好きな人間に力を与えて各地にばら撒いている。
連翹を含め、自分勝手な欲望を優先して暴れまわる人間を集め、力を与えているのだ。
正直、シルクハット姿で登場して「おめでとう、このゲームに勝ち抜いたのは君たちが初めてです」などと言われても違和感がない。その時はチェーンソーでバラバラにしなくてはならないだろう。
そんな約対もないことを考え――ふと、違和感を抱く。
(――音が)
聞こえない。
怪我人たちの寝息も、ノーラの呼吸音も、風が天幕を揺らす音も、何も、何も、何も。
酷く嫌な予感がする。
すぐさま規格外を全開に――する、直前。自分の体が徐々に透けていくのを目撃した。
いいや、連翹だけではない。寝台に身を横たえ眠るノーラの体も、また。
(こ、れ――!?)
見覚えがあった。
二年以上前――もうそろそろ三年前になるあの時と同じ。
気づいたら自室から神殿みたいな場所に呼び出されていて、神を名乗る存在にこの世界に転移するか否かと問いかけられ、頷いた後。
体が薄れ――大陸の人里近くに転移された、あの時と同じ。
「――――!」
やばい――そう思った瞬間、力の限り叫んだ。
自分にどうしようもなくても、別の誰かならなんとか出来るかもしれない、そう思って。
「――! ……、……!?」
けれど、いくら喉を震わせようと声にならない。真空の中では音が響かないのと同じように、まるで音として伝わってくれないのだ。
(なら――!)
剣を逆手に持って、剣先で地面を削る。
『転移される 四人 きっと戻る 待ってて』
時間が無いから、これだけ。
もっと何かやれるのではないか、そもそも前もって色々考えておくべきだったと思うけど、全て愚者の後知恵だ。後悔する前にやれることをやっておくべきだろう。
これで伝わるとはとうてい思えないが、カルナはカルナで何かしらの痕跡を残してくれているはずだ。
それに、事細かく伝えるにしても神様の神殿に招かれるなんてどう説明すれば良いのか分からない。
なら最低限、近場の転移者に拐われたり殺されたりしていないということ。
そして、この失踪が自分の意思ではないことと、なんとか戻りたいと思っているという意思だけ伝わればいい――いい、はず。
そこまで考えた瞬間、連翹の意識は失われる。
残ったのは空っぽになった寝台と、傍らの地面に乱雑に書かれた文字のみであった。
◇
―――――ニールが目覚めて、最初に目に入ってきたのは純白であった。
微かな汚れすら存在しない単色のそれは大理石に似ていて、しかし同時に全くの別物であると素人でも予測がついた。
怪訝に思いながら起き上がり、周囲を見渡す。
どこかの通路なのだろうか。太く長い白い道は、一直線にどこかへと続いている。窓から覗くのは夜空の月だ。その位置からして、もう真夜中だろう。けれど、この白い建造物の内側は明かりも無いというのに薄暗さを感じない。
奇妙な場所だなと思う。だが、どれだけ辺りを観察しても、自分がなぜここに居るのか思い出すことが出来ない。
(あー……っと、確か、俺は)
寝ぼけて緩んでいる脳を活性化させ、すぐに冴え冴えとした斬撃を想起する。
そうだ、自分は無二の剣鬼に勝利し、そのまま気絶した。
あれほどの剣士に勝利したという事実が空想めいているが、しかし最後の一撃も、いずれ互いに転生し巡り会おうと笑いあったことも覚えている。決して夢幻などではないのだ。
そして、それが事実であるというのなら――
「この瞬間こそ夢、ってワケか」
こんなにもハッキリと夢だと認識するのは初めてのことだったが、まあこういうこともあるのだろうなと思う。
誘拐などといった危機的状況だと、ニールは考えない。
なぜなら――治癒が終わっていないはずの己の四肢が、違和感なく繋がっているからだ。
四肢切断に加え、無茶に無茶を重ねた結果、骨や内臓などといった部分にも尋常ではないダメージが刻み込まれていた。それを一日で癒やすどころか、体に違和感すら残さないなどもはや人外の技だ。複数の神官がノーラと同じように女神の御手を使ったとしてもここまで完璧に治癒は出来ないだろう。
ゆえに、これは夢だ。
四肢どころか着ていた衣服すらそのままだという時点で、そうとしか思えない。
イカロスの柄を撫でるように触りながら、再び周囲を見渡す。
「……どうせ夢なら、もっと楽しい夢でも見りゃ良いのによ」
壁も天井も、等間隔で立つ柱も全て真白。
唯一、窓の外だけが別の色を見せていた。太陽の落ちた暗色の空に、月の明かりに照らされる木々たち。
闇ゆえの黒と、何者の手垢もついていない白。
それはまるで、世界と世界の境界めいていて、ニールは自分もまた転移者のようにどこか別世界に転移したのではないかと錯覚し――しかしすぐに夢だったと思い直す。
夢というのは自分の頭の中にある知識を参照して、それっぽい情景を見せる幻のようなものだという。
ならば、自分が転移者側の立場になる夢とて見ても不思議ではない。
そう思い、窓から視線を外し――
(――ん?)
――ふと、その木々に見覚えがあるような気がして窓の外を観察し、しかし静かに首を横に振る。
あまり植物に興味がない以上、この感覚は気の所為だろうし、仮にこの感覚が正しかったとしても夢の中にある木の種類を言い当てて何の意味があるのか。
「……しっかし、一人ってのも寂しいな」
小さく溜息を吐きながら、ニールは静かに白い道を歩き始めた。
立ち止まっていても目が覚めるワケでもないのだ、せっかくなのだから無事な四肢のありがたみを感じよう。
一人頷きながら歩きだす。
こつ、こつ、と自分の足音だけが響き渡ることに寂しさを感じながら、何か変わったモノがないのかと周囲を観察する。
(治癒院の白さってより、キャンパスの白さみたいな感じか……?)
なんとなくだが、ここは必要があって白いのではなく、手を加えていないから白いのだと、そんな印象を受けたのだ。
本来ならもっと飾り付けるべき場所なのだというのに、家主が興味がないのか真っ白のまま放置している――そんなイメージ。
自分がなぜそんな印象を抱いたのかは分からなかったが、もしそれが正しいのならここの家主は自分の家に手を加えるよりも他にやりたいことがあるのだろうなと思う。
そんな約対もないことを考えながら歩き続け――そして、視界が広がった。
――そこは、回廊に囲まれた円形の空間だった。
建造物それ自体が真っ白な色合いなのは先程の通路と同じなのだが、しかしここには手が加えられている。赤い絨毯が敷き詰められ、洒落たカフェなどにありそうな細工の凝った椅子と机が存在している。天井は吹き抜けで、そこから月がこちらを覗くように見下ろしていた。
明かりがなくとも明るい奇妙な空間ではあるため、そのようにして光を集めても意味がないだろう――そう思ったが、すぐに違うと思い直す。
空から降り注ぐ月明かりによって、光り輝くモノがあったから。
広間の中心に四つ存在するそれに、ニールはゆっくりと歩みよって行った。
「……石像?」
それこそこの広間の主役である、と家主が宣言するかのように設置されたそれを観察する。
――下手な男などよりもずっと背の高い、大剣を構え凛々しい表情を浮かべる大女。
――粗末な革鎧を身に纏い、だらりとした姿勢で剣を持ちにやにやと笑う青年。
――両手を組んで祈りを捧げる、純朴そうな少女。
――酷く神経質そうな鋭い眼で魔導書を広げ、罵るように大口を開ける背の低い少年。
正直な感想を述べるなら、なんともこの場に不釣り合いだな、と思った。
この手の石像というのは美しく作るモノだろう。実在の人物をモチーフにしていても、全体的に美化するのは当然だ。
だが、ここに存在する石像はどれも垢抜けない――平たく言えば脚色がない。
大女の方は美人ではあるが、実用性に特化した装備をしているためかまるで女性的美しさが感じられない。健康的な美と呼ぶには物々しすぎるのだ。
だらりとした腕で剣を握る青年の像は、正直に言ってしまえば小汚い。大昔の奴隷が革鎧を身に纏ったような姿なのもそうだが、何より剣の持ち方が気に食わない。石像になってるということは何かしらで讃えられる存在だろうに、構えがまるでなっていないのはどういうことなのか。まるで山賊か何かだ。
祈りを捧げる少女の像は美少女と言って差し支えのない顔立ちなのだが、髪の纏め方や衣服とかが酷く田舎臭くて石像だというのに見ていて芋臭さを感じる。もしこの石像のモデルが喋ったら、酷く訛った言葉を吐くのだろうなと思う。
魔法使いの少年は――顔立ちこそ整ってはいるのだが、顔から性格の悪さが伝わって来そうな出来栄えだ。俺こそ至高なのだ、貴様らはすっ込んでいろ――そんなセリフが聞こえてきそうなくらいだ。
どれも出来自体は良い、それは間違いない。
素人のニールが見ても造形が細かく、今にも動き出して話しかけてくるんじゃないかと思ってしまうほどだ。全員、もっと大衆向けにアレンジしたらきっと万人が褒め称える出来なのだろうなと思う。
(――初めて見るんだが、なんつーか、どっかで見たことがある気がするんだよな)
石像を見つめながら過去の記憶をひっくり返すように参照するが、間違いなく初見だと思う。
そもそもニールは美術品に興味がある人間ではない。美しい刀剣などの美しさは分かるが、それくらいだ。鑑賞した石像の種類など、片手の指で事足りる気がする。
だというのに、どこかで見たことがあると思うのは夢だからだろうか?
「……ま、別に良いか」
そこまで考えて思考を全て放棄して剣を抜く。
夢の中とはいえ、せっかく四肢が存在しているのだ。なら、ここらで鍛錬でもしておくべきだろう。体が鈍るのは仕方がないとしても、技の冴えくらいは維持しておきたい。
それに――つい少し前まで遥か高みの剣士と斬り合っていたのだ。
その経験が薄れる前に、体に刻み込んでおくべきだろう。
ニールは一人頷き、ゆっくりと、動きを確認するように剣を振るう。その度に、違う、拙い、と動きを矯正していく。
無二の剣鬼の剣はもっと疾かった、もっと鋭かった、もっと重かった、もっと滑らかだった。
脳内に刻み込まれた彼の動きに、ニールは全くついていけない。当然だ、と思う。一度見た程度で、たった一戦斬り結んだ程度で、あれほどの高みに上り詰めることなど不可能だ。
ゆえに、一歩一歩、確実に歩んでいく。ニールにはそれくらいしか出来ぬのだから。
そうやって幾度となく剣を振るっていると、不意に誰かの足音が聞こえてきた。
足音の主は焦っているのだろうか、通路を全力で駆け抜け――広間に飛び込んできた。
「ニールッ!」
「あ? おお、連翹か」
よう、と息を切らせた状態で現れた連翹に向けて右手を上げる。
その姿を見て、連翹は安堵したように息を吐き――しかしすぐさま真顔になった。
「……ニール、貴方一体全体何やってんの?」
「見りゃ分かるだろ、鍛錬だよ」
見せつけるように素振りを一回。
連翹は「ああ、そう」と頷き――全速で駆け寄ってニールの胸ぐらを掴み、叫ぶ。
「なんでこんな場所で鍛錬おっぱじめてるのかって話なんですけどぉ――!? 人が心配してるってのに、なにいつも通り過ぎることやってんのよぉ!」
「夢とはいえ両手足があるからな、起きたらまた怪我人用天幕で寝てなくちゃなんねえんだから、気晴らしだ」
「……夢?」
「ああ、つーかお前も良く出来てんな」
夢の住人だというのに、まるで本物の連翹のようだ。
そう思いながら連翹の頬をむにむにと触ってみる。うん、やわい。
「いや、ちょ――」
頬を赤らめ硬直する彼女が反応するより先に、右手をブレストアーマーの隙間に差し込んで胸を触ってみる。うん、あんまやわくない。
「……頬の方が胸よりずっと柔らかいってのはどうなばッ――!?」
頬の赤さをそのまま怒りの色に転換して、連翹は拳を振り抜いた。
右手は的確にニールの頬を抉り、吹き飛ばし――テーブルに突っ込んだ。かつてテーブルや椅子だったモノの部品を撒き散らしながら地面に倒れるニールを、腕を組んだ連翹が射殺すような目で見下ろしていた。
「ねえ、夢と現実の区別はついた? まだ夢だと思ってるなら顔面変形するまで殴るけど」
「……確かに、痛えな」
拳の突き刺さった頬や、テーブルに叩きつけられた背中などがここが夢幻などでは断じて無いと告げていた。
つまり、先程触った連翹は本物というワケであり、現実の感触だったということになる。
「……それはそれで悲しすぎやしねえか、お前の胸――うおっとぉ!?」
高速で飛来して来た椅子を全力で回避。背後で豪奢な装飾が施された椅子が砕け散る。
「人が心配してたってのにその言い草……! こっちが礼儀正しい大人の対応してればつけあがりやがってよぉ――!」
「分かった! すまん! 確かに今のは全面的に俺が悪かった! 悪かったが、とりあえず現状把握を優先させてくれ!」
続けて第二射、とテーブルを持ち上げ始める連翹を全力で宥める。
確かに今回、ニールが全面的に悪かったし、まあ怒られるのは仕方がないだろうと思う。
だが、それは平時でならの話だ。
ここがニールの夢などではないと分かった以上、それよりも先にやるべきことがある。
「……まあ、うん、それもそうね」
知るか馬鹿、と投擲したいという想いと理性の間でしばし揺れた連翹であったが、しぶしぶ――本当にしぶしぶ、と言いたげな顔でテーブルを下ろすと、ゆっくりとこれまでの経緯を語り始めた。
カルナがノーラのカバンに入っていた本が輝いているのを見つけたということ、
そこにニールを勇者と讃える文章と、神殿に招くというメッセージが記されていたこと、
これだけで騎士たちに呼びかけるのは難しいだろうと思い、男女に別れて護衛をしていたということ、
だが、何か不思議な力でここに飛ばされてしまったということ、
これはヤバイと思って必死に通路を駆け抜けて行ったら、なんかニールがいつも通りに剣の鍛錬なんてしてやがったこと――お前マジふざけんなよと思ったとのこと。
ついでに、ノーラのカバンから本を探すまでの間に、カルナはノーラの着替えやら下着やらを確認していたらしいということ。……カルナお前何やってんだよ馬鹿かと言いかけて、今のニールではブーメラン通り越して自刃レベルの言葉だと気づき黙り込む。
全てを聞き終えて、ニールは静かに納得した。
なるほど、そりゃあ最初に掴みかかっても来る。というか、逆の立場だったらニールも似たようなことをしているだろう。
そんなニールの表情を見て溜飲を下げたのか、連翹は呆れたように息を吐く。
「というか、ここまで感覚がハッキリしてるのに夢だと思って鍛錬し始めてんのよニール。いくらなんでも鈍すぎない?」
「そうは言うがお前、一夜でここまで完璧に治癒する奇跡なんざありえないだろうが。それに、悪意や敵意が向けられてたらさすがに気づく」
右手をぷらぷらと動かしてみるが、やはりそこに違和感など皆無。前と同じように、完璧に治癒されているのだ。
ニールはブライアンやヌイーオなどといった受け止めて耐えるタイプの前衛とは違い、四肢切断を戦術に組み込むほど慣れていない。仮に四肢を治癒したとしても、自分の手足ではないような違和感が残るはずなのだ。
けれど、注意深く体の具合を確かめてみても普段通りで――そもそもニールが無二に勝利した方が夢なのではないか? と疑いそうになるくらいだ。
――だからこそ、今が夢だと思った。
あの戦いが、間近で感じた無二の刃が夢であるはずないのだから、こちらが夢であると。
そして、悪意の有無。
ニールが気づけ無いレベルの存在が命を狙っている可能性は皆無ではないが――もしそうだったらとっくに死んでいる。
それに、長い通路を歩いている隙だらけのニールなど、一撃で殺せる楽な獲物だったはずだ。だというのにこちらを害していないということは、ニールたちをここに招いた存在はこちらを害する気はないということになるだろう。
「それでニール、これからどうすれば良いと思う?」
「……ひとまず、ここでカルナとノーラを待つ。いいな?」
少し考えて、そう告げる。
ここがどのような場所かは未だに確証が持てない以上、全ての通路の合流地点らしきこの広間で合流するのが最善だろう。
幸い、この広間はニールが延々と剣の鍛錬をしていても問題なかった。他の場所がここのように安全かどうかはまだ未知数である以上、探索するにしてもカルナたちと合流した後の方が良い。
「うん、分かったわ。なんか怪しい気配とかあったら言って、あたしそういうの全然感じ取れないし」
「ああ……しっかし、素直に聞き入れるんだな。こんな場所に居られるか、ノーラを探しに行く、とか言うかと思ってたが」
「正直そういう気持ちはあるけど、ダンジョン探索に関しては剣以上に素人だからね。先輩冒険者の判断に従うわ」
「俺だって人工ダンジョン探索してるだけだけどな」
大昔に本物のダンジョンを探索していた冒険者と比べたら、どちらも等しく素人だろう。
そのようなことを考えながら、無事な椅子に腰掛ける。そんなニールを見て連翹は「じゃあ、あたしあの石像見てくるわね!」と広場の中心へと駆け寄っていく。
その背中をしばし見送った後、ニールは瞳を閉じて椅子に体を委ねる。座り心地は良好であり、先程連翹が壊したテーブルと椅子が勿体なく思える。弁償しろと言われたらどうしよう、とも。絶対高いだろう、これ。
もっとも、相手が神であったにしろ、別の実力者であったにしろ、その人物はニールたちを問答無用で転移――誘拐したのだ。こちらが弁償する義理もないだろう。
仮にモンスターや私兵の大群が通路から迫ってきたら、これでバリケードを作ってやろう。そのようなことを考えながら、ニールはふと疑問を抱いた。
(――静かだな?)
周囲の気配や足音云々ではない。
連翹が、あの連翹がさっきから騒いでいないのだ。気配が無くなっているワケではないので、どこかに連れ去られたというワケではないのだろうが――あの女が、芸術品を静かに眺めていられる人間だと、ニールはどうしても思えなかったのだ。
何か変なことをやっているんじゃねえだろうな、とゆっくりと瞼を開く。
――視線の先には、先ほどの石像、女神官の足元で仰向けに寝転ぶ連翹の姿があった。視線は真っ直ぐ、スカートの中へ向いている。
やってたよ、想像の斜め上に変なことを。
なんだこいつ、どこの変質者だ。
「……なにやってんだ馬鹿女」
色々と言いたいことはあるし、言うべきことだってあるのかもしれないが、しかし出てきたのはそんな単純な言葉であった。
(いや、本当になにをしているんだこの女)
怒るべきか叱るべきか嘆くべきか、ニールにはどうすれば良いのか分からない。
だというのに、ニールの声に気づいた連翹は女神官像の下から這い出ると、満面の笑みで親指を立ててみせた。やったぞ、やりきったぞ、と言いたげな表情だ。
「すっごいわ、貴方も見てみてよニール! この神官っぽい子、唯一スカートだから覗いてみたけど――ちゃんと中まで完璧に作り込んであるわ! 職人魂を感じるわねコレ……!」
「マジで!?」
「いやー、大昔の石像で布越しの肌みたいなのを表現した、みたいなのをテレビで見た覚えがあるけど、スカートのひらひら加減とかお尻の包まれ具合とか勝るとも劣らない出来ね!」
何言ってんだこの馬鹿、一応お前も女のはしくれだろうが、おしとやかに成れとは言わねえがもっと慎みを持て。
そんな言葉が頭を過るが、全て棄却して女神官像を見つめる。
(……やぼったい見た目つっても、美人っぽい見た目してんだよな)
この女の内側もしっかりと作り込んでいるのか――そう思うと、色々と興味が出て来る。
第一、目の前にあるのは無機物だ。ただの作り物なのだ。
だから、まあ、覗いても誰も文句を言わないのではないか……?
「――連翹、次俺な」
こうして、無二の剣鬼という強敵を打ち倒した剣士は敗北した。
無二がこの姿を見たらどう思うのかとも思ったが、それはそれとして覗き込みたい衝動には抗えない。男とは誰だって、スカートの奥に夢を見る存在なのだから。
「はいはいどーぞ……いやー、肌の質感とか凄かったわよ。これで色とか塗ってあったら本物と見間違うかもしれないわね」
「おう、悪いな……あ、すげえ。こう肉感っつーのか、下着の布感かつ、尻肉をいい具合に包み込んでるっつーか、若干油断してる腹回りもこれはこれで良いな」
ずりずりと下に潜り込み、感嘆の声を漏らす。
美人は美人でも、絶世の美女というよりは町や村の中で一番の娘くらいの造形。
それに加え、下着も野暮ったいのは職人の拘りなんだろうか。けど全体的なコーディネートのせいか、他人に見せるために穿いてるんじゃないってのが伝わってきて、これはこれで――そんなことを言っていると、連翹がじりじりとその場から退き始める。
「さすがにそういう生々しい感想は求めてないんですけど。なに、セクハラ? セクハラなの? 訴えるわよ? 訴えて勝つわよ?」
「石像とはいえ率先してスカート覗く奴が他人にセクハラ云々言うんじゃねえ。何一つ説得力がねえぞ」
そう言いつつも、ニールはゆっくりと石像の下から這い出した。
見上げる光景をもう少し視界に収めておきたかったが、あまりずっとやっていると真剣にドン退かれそうだ。それはちょっと困る。
だが、連翹は気にしているのか気にしていないのか、普段通りぷーくすくすと煽るように笑う。
「やーい、じっくり鑑賞してるとこ見られて恥ずかしがってやんのー。……それはともかく、こういうのって気にならない? あたしたちの世界ではね、3Dゲームとかで階段や段差利用したりカメラ近づけたりして女キャラのパンツ見える位置を探して遊ぶんだから。せっかく覗き込んだ中身に蓋してあったり暗黒空間だったりしたら、見えるゲームスレの皆が嘆き悲しむのよ。分かる? レゾ○ンツは偉大ね」
VRゲームは規制だらけで悲しみを背負ってるのよねー、と。
『お前、一応女の端くれだろ』と言いたくなるセリフを吐く連翹を見て、ニールは溜息を吐いた。お前だって溜息を吐ける身分じゃねえよ、とは思いながら、それでも重い息を口から吐き出す。
「お前が何言ってんのか分からねえが、たぶん全員が全員そういう人間じゃねえだろうな、ってことは伝わってきたぞ」
十中八九ただの変態だ、そいつらは。
「何言ってんの、日本人は皆HENTAIに決まってるじゃない」
日本人がどういう種族なのかは分からないが、お前全世界の日本人に謝れよと思う。
少しだけ、「なんだそれ俺も仲間に入れろよ」と思った――その矢先、こちらに向かって近づいてくる足音を捉えた。
「連翹!」
「えあ!? あ、わ、分かった!」
連翹に声を掛けながら抜剣。連翹も慌ててそれに続く。
足音は恐らく二つ。
ニールは足音で相手を正確に理解出来るほど耳は良くないが、それでも相手が戦士ではないことくらいは理解出来た。少なくとも、金属装備で武装した存在ではないだろう。
だが、遠距離から魔法を放たれたらこちらが不利――そう思ってしばし足音がする方向を警戒していたが、足音の主の姿が見えた瞬間、ニールは安堵の息と共に剣を下ろした。
「レンちゃん、ニールさん!」
「ニール、レンさん! 無事かい!?」
別々の通路から現れたのは、よく知っている人間だったからだ。
息を切らしたノーラと、周囲を注意深く観察するカルナ。二人はニールたちの姿を認め、更に通路から現れた相手を確認すると、安堵したように笑みを浮かべた。
「カルナさんも……良かった、レンちゃんもニールさんも何事もないようで安心しました」
「う、うん、だ、大丈夫よ? 超見ての通り。あたしもニールも、この通り無事だから……」
「……? レンちゃんどうしたんですか?」
「いや、うん、ああっと……あたしも、この状況にまだ混乱しているっていうか……」
「それもそうだね、ある程度予測していたとしても、この感覚はさすがに僕も混乱したよ」
カルナの無自覚なフォローに、連翹は視線を逸しながら「そ、そうよねーぇ」と乾いた笑い声を漏らす。
(……言えないだろうな)
真剣に心配していたのか、心よりの安堵の表情を浮かべながら駆け寄って来てくれたノーラに対し、「いや、安全そうだったから石像のパンツ覗いてたの」などとは。無論、ニールだって言えそうにない。この状況下で何やってんだ馬鹿か君は、とカルナに殴られてしまいそうだ。
ニールと連翹の視線が交わり、互いに大きく頷いた。これは二人の秘密にしよう、そうしよう、と。
(――待て、初めての二人だけの秘密が、こんなくだらねえモノでいいのか? いいのか俺……?)
それはそれで凄く寂しいというか情けないというか――そんなことを考えていた、その矢先。
「全員揃ったみたいね」
かつん、と。
四人以外の足音が響いた。
「――ッ」
慌てて切っ先と体をそちらに向ける。
――無骨な甲冑を身に纏い、大剣を背負った大女であった。
艶のあるブロンドの長髪に、健康的に日に焼けた肌。美人は美人であるのだが、しかし劣情を抱く美ではない。健康的な美、というのも違う。
見た目の露出の少なさもそうだが、浮かべる笑みが少年的過ぎてあまり女性らしく見えないのだ。
「初めまして、今代の勇者たち。あたしはリディア。リディア・アルストロメリア――その記録、その再現。そしてあなたたちの案内役よ」
そう言って、リディアは――勇者と同じ名を名乗った大女は、快活な笑みを浮かべるのであった。




