229/孤独の剣鬼/6
――鋼鉄の残響が絶え間なく鳴り響いている。
疾走する、疾走する、疾走する。
刃を振るい、距離を取り、再び距離を詰めて剣を振るう。
全力で踏み込めば景色は高速で流れ、全霊で剣を振るえば自分の腕すらまともに見えない。
己のことながら、化け物じみた疾さだとニールは思った。そして、自分よりも圧倒的に遅いというのに刃を合わせてくる孤独もまた化け物である、とも。ニールが獣めいた化け物だとすれば、孤独は技量の化け物だ。
武術とは自分よりも優れた体の持ち主を技を以て圧倒する技術だ。ゆえに、孤独がニールと打ち合えているのは、正しく武術を――剣術を身につけているからなのだろう。
言ってしまえば当たり前のそれも、極まってしまえば化け物という他ない。ニールではどれだけ人生を費やしても届かない――そんな寂しい実感があった。
(ああ、だから――剣っていうのは面白え)
寂しくもある、悔しくもある。
だが――それでも嬉しいのだ。
自分が好きなモノに、まだ見ぬ地平が存在しているということが。
自分程度で極められぬ程に世界は広いと実感すると、その先を想像すると、嬉しくて楽しくて仕方がない!
牙を見せつける獰猛な笑みを浮かべ、踏み込む。ぐしゃり、と左脚が地面を蹴る力に耐えきれず砕け――一瞬で修復。ニールはバランスを崩すことなく前に出る。
痛い。
一歩踏み込む度にどこかの骨がへし折れ、砕ける。
前に進めば進むほど血管が破裂し、口から、目から、耳から血が噴出する。
耐え難い激痛は連鎖するように膨れ上がり、だというのにその都度完全に回復するためだろうか、それとも創造神がそんなモノに頼るなと言っているのか、脳内麻薬はまるで仕事をしてくれない。痛みは痛みのまま、ニールを苛み続けている。
「が――く、は、ははっ、ハハハハハハアァ!」
だが、ニールはタガが外れたような笑い声を上げながら剣を振るい続ける。
最初は力任せに、そこから徐々に、徐々に、今の身体能力に技量を組み合わせていく。
自分の体ではないように感じる化け物じみた身体能力を、ニールはゆっくりと、しかし確実に制御する。そうしなければ勝てないからだ。
身体能力が上回っているだけで勝利出来るのなら、とっくの昔に転移者の誰かが勝利して新たな王の座に着いていただろう。
この化け物じみた身体能力は、決して勝利を確定させるモノではない。せいぜい、勝率ゼロから数パーセントに上昇させるだけの微々たるモノだ。
「ははっ、どうしたニール! 速くて強いだけではおれに勝てないぞ――第二秘剣! 虚鏡!」
孤独はニールの斬撃を受け流し、通過していく背中に向けて気配のする残像を複数解き放った。
背後から複数人の孤独が迫ってくる錯覚。それを感じながらニールは更に強く踏み込んで距離を取る。ぐしゃり、とつま先と足首が圧力に耐えきれず粉砕し、一瞬で元に戻っていく。
悔しいが、ニールの技量では迫って来る分身のどれが本物かを判断する能力はない。勘に任せれば八割くらいの確率で見切れそうだが、残り二割で本物を見失い致命の一撃を叩き込まれる。そんな一か八かのギャンブルにこの戦いを託すなど――孤独風に言うなら『もったいない』ではないか
そして、先程のゲイリー戦で使っているのを見る限り、あれはあくまで斬撃のように分身を飛ばす技だ。距離を取り、軸さえズラせばあらぬ方向に飛んでいくだけだ。
なら、地力で――否、カルナとノーラ、そして連翹が授けてくれた蝋翼で十分対処出来る。
「第一秘剣――雷切!」
そう、安心した瞬間――分身たちを突き破りながら孤独は射出された。
虚を突くタイミングで使用された雷速の斬撃をニールは避けきれない。ちい、と舌打ちをして頭部を守る。
剣の間合いに踏み込んだ孤独がガラ空きの腹部に刃を走らせる。肉、骨、臓腑、それらを一刀で両断される感触と激痛に顔を歪め――
「人、ぎ、ぁ――化流ゥゥウ! 破断大猩猩……!」
――しかし動きを鈍らせることなく、全霊の剣撃を放つ。
己の腕力を無駄なく伝達する、大振りかつ強力な技だ。普段は走り回る戦闘スタイルとは合致せず、また力自慢に比べて腕力が劣るニールでは真価を発揮できないために滅多に使用しない技である。
だが、強化されたニールならば――この瞬間、最適解の一撃と化す。
「……ッ!」
体を地面に縫い付けるような力強い剣圧に笑みを色濃くしながら、孤独は体を捻る。
刃が羽織を裂き、着流しを破り、薄皮を喰らっていく。
だが、それだけだ。微かな鮮血の軌跡を描きながら、孤独は転がるように距離を取り、滑らかな動きで立ち上がり切っ先をニールへと向ける。
「ははっ、いいね。やはりあのくらいじゃダメージにはならないか」
孤独の視線の先にはニールの腹部があった。
先程刀で両断したはずのそこは、かすり傷すら残っていない。切り裂かれた革鎧のみが、孤独の斬撃がニールが斬られたことを証明している。
当然だ。なにせ、今のニールは女神の御手で常に治癒されている状態なのだ。腹部を背骨ごと両断された程度、簡単に治癒される。
「ああ、そうだ! 俺を殺したきゃ、脳みそ抉ってかき回しやがれぇ!」
そう、唯一の例外が頭部――そこに収められた脳だ。
それを一撃で破壊されてしまえば、どれだけ体を癒そうとニール・グラジオラスという人間は即座に死ぬ。思考能力を失ってしまえば、どれだけ体の傷を癒そうと戦うことなど出来ないのだから。
「おれの勝ち筋はそこだけか! 随分と重いハンデだなぁ!」
「もう一つあるぞ、『そっち』は選ばねえのか!?」
もしも孤独が心変わりして『そっち』を選んだら――ニールは呆気なく敗北するだろう。
そう――勝利することが目的なら、このように斬り合うことなど悪手と言う他ない。
だが、ニールは彼が決して『そっち』を選ばないと確信していた。
今この瞬間にその選択が出来る人間であったのなら、孤独の剣鬼という男はこれ程まで拗らせることはなかっただろう。
「まさか! そんなくだらない真似、出来るはずもない! 頼むからそんな冷めることを言わないでくれ!」
「そうだな――悪かった!」
孤独の剣鬼がそういう人間である以上、ハンデを背負って戦う他ないのだ。
けれど、彼は決してそれを苦に思うことはないだろう。
なぜなら――現状こそが、彼が求めた救いなのだから。
ゆえに、剣撃の音色は滞ることなく――レゾン・デイトルに響き渡るのであった。
◇
短弓を構えたエルフの娘、ミリアム・ニコチアナは静かに顔を歪めた。
「――まずい、ね」
視線の先ではニールと孤独が高速で斬り合っている。
ミリアムは弓を扱うエルフである。ゆえに、目にはそれなりに自信があったのだが――ニールの姿は残像でしか見えず、孤独は目で追える速度のはずだというのに頻繁に見失ってしまう。
確かなモノなど宙を舞う火花程度のモノで、後は全て夢幻のよう。
それでもミリアムが弓から手を離さないのは、好機を待つためだ。
どれだけ不確かな幻影に見えても、空を走る刃の音色が、硬質なモノ同士が衝突する残響が、地面を踏みしめる音は確かに存在する。
であるならば、機会さえ巡ってくれば穿てる――否、穿たねばならない。
(孤独はまだ気付いていないようだけど、この勝負は既に勝敗は決している)
そもそも、孤独は剣の間合いで戦う必要性など皆無なのだ。
確かに今のニールは超強化されているが――多大なデメリットも負っているのだから。
耳をすませば聞こえる。一歩動く度に骨がへし折れ、折れた骨が肉に突き刺さる音が。ニールの口から漏れる苦悶の声が。
(あんなの、ニールが耐えられるはずがない。そして、彼を強化しているノーラとカルナも同様だ。戦わずに逃げ回ればそれだけで勝てる)
時間稼ぎに徹すれば、相手は勝手に自滅するのだ。確実に、かつ楽に勝てるのだ。その手段を選ばぬ道理はない。
無論、普通の戦士ならばあの速度で駆け回るニールから距離を取るのは不可能だろう。
だが――孤独はそれを余裕でやってのける。先程までの戦いを見ていれば誰だって分かるはずだ。
ゆえに、ミリアムは静かに弓を引き絞るのだ。
集中し、集中し、集中し――孤独の姿を必死に捉え――
(――今!)
――弓を、放つ!
研ぎ澄ました意識の中でゆっくりと動く矢は、真っ直ぐに孤独に向かい――
「やめろ」
――横合いから振るわれた剣によって叩き落された。
「な――誰だい!? なぜ邪魔を!?」
転移者ではない。確かに彼らは卓越した身体能力を有しているが、多くの場合技量は素人同然だ。
無論、例外は存在するだろうが――今のレゾン・デイトルに例外が残っているとも、孤独を庇う者が居るとも思えなかった。
ゆえに、相手は現地人。それも、放たれた矢を撃ち落とす程の技量を有した存在だ。
そのような存在が、なぜ邪魔を――そう思い矢を叩き落とした者に視線を向け――
「ノエルさん……? 無事だったのかい?」
「奴に見逃された結果だがな――それより、あの戦いに手を出すな」
――満身創痍のノエルと目が合った。
傷こそ治癒の奇跡で塞いだようだが、血と体力は癒やすことが出来ない。白髪のエルフは、荒い息を吐きながら射線を遮る。
これ以上撃たせぬために、あの戦いに手を出させぬように。
「だけど! どちらにしろあんなモノ時間の問題だろう! 孤独が気づいた瞬間、彼は敗北する!」
ミリアムのような若いエルフでもノエルの強さは知っている。
魔王大戦の英雄であり、それ以上の変わり者。けれど若いエルフから見れば他の大人と同じように頭が固く古いエルフだ。
正直、あまり良い印象はないが――それでも相当の実力者であることくらいは理解出来る。
だからこそ、ノエルとて気付いているはずなのだ。
あんな戦いは茶番であると。拮抗しているように見えて、しかし孤独がその気になれば容易く勝利を掴める勝負であると。
そのくらい、少し考えれば誰だって――
(――? おかしいな)
――剣撃の音が鳴り響く。
剣撃の音のみが、鳴り響いている。
騎士や冒険者、それなりに戦闘経験を積んだエルフとドワーフたちが攻撃する様子がまるでないのだ。
(なんで――誰も援護しようとしていないんだ?)
他の若いエルフやドワーフたちのように、戦闘経験の薄さから状況を理解していない者は確かに居る。それは不自然ではない。
だが、なぜ真っ先に戦うであろう騎士たちすら、ニールの援護をしていないのか?
武器は構えている。何かあればすぐにでも動けるように陣形を整えている。戦意があることは、理解出来るのだ。
だが、それならなぜ、この状況で傍観などしているのか。
「ミリアム・ニコチアナ、貴様は言ったな。どちらにしろ時間の問題だと、このままではニール・グラジオラスが敗北すると」
言って、ノエルは首を左右に振った。
それは違うと。貴様は思い違いをしているのだと。
「二人はそれを察している。察した上で、あえて接近戦をしているのだ」
「え――?」
ミリアムが間の抜けた声を漏らした。若いエルフたちの前の歳上ぶった態度とは違う、百代相応の若者の声であった。
「そんな馬鹿な――もしそれが本当だとしても、あの男はなんでそんな無駄なことを……」
もしノエルが言ったことが本当だとすれば、孤独はあえて確実な勝利を捨てているということになる。
だが、そんなのはおかしいのだ。どんな生き物であろうとも、戦う以上は――競い合う以上は勝利を目指すモノではないか。
本気で戦う以上、勝つために最善手を選ぶ。それの、どこが間違っているというのか。
「貴様の言い分は正しい、何一つ間違っていない。だが、どうやらあの二人は正しい道を選べない大馬鹿者らしい」
小馬鹿にするような物言いだが、しかしノエルの表情には昔懐かしむような色があった。
かつては、自分も似たようなモノだったな、と。
かつては、そのような友が自分にも居たな、と。
「無二の――いや孤独の剣鬼だったな。彼にとって勝利は戦いの副産物に過ぎない。無論、敗北してそれ以降の戦いの機会を失うことは許容できないのだろう。だが、琴線に触れる戦いであれば、あの男は喜んで敗北の可能性を受け入れる」
彼は求めていた。
磨いた技を振るう先を、己と本気で向き合ってくれる宿敵を。
だからこそ、孤独は相手の本気から背を向けられない。ニールのような人間なら、尚更だ。
全力で剣を振るい、真っ向から勝負を挑んでくる一人の剣士。お前と戦いたいのだ、お前に勝ちたいのだと叫びながら真っ向から全力で勝負をしてくれる若き勇者。
その本気から、その熱意から、彼は目を背ける事ができないのだ。
――ゆえに、孤独はそれを選ばない。否、選べない。
敗北したというのに闘志は衰えず、むしろ更に燃え上がらせて刃を振るうニールという存在は、孤独が長らく求め、けれど手に入らなかった光だ。
それを捨てて得た勝利などに価値などない。
ゆえに――取れる手段は剣術による一騎打ちのみ。
ただただ、楽しんで剣を振るうのだ。
「ニール・グラジオラスも似たようなモノだ。あれだけ治癒の力を得ているのだ、相手が逃げないのであれば岩でも蹴り砕いて破片をぶつけてやれば良い。簡単に血は流れるだろうし、それを繰り返せば動きは鈍る」
相手は一人で、治癒の奇跡をかけてくれる仲間も居ない。
ならば剣での勝負に拘る理由はないだろう。
倒壊した建物から柱を引っこ抜いて、それを力任せに振り回せば良い。それだけで勝てるほど甘い相手ではないが、しかしかすり傷くらいなら与えられるはずだ。こちらのダメージは回復し、相手のダメージは蓄積する以上、そうやって力任せにちまちまと傷を増やせば良い。
――だが、ニールはそれを選ばない。否、選べない。
目の前に居るのは剣術の極地、自分だけでは決して届かぬ頂に立つ者――孤独の剣鬼なのだ。
そんな彼がこちらの勝負に乗ってくれているのに、自分はそんな打算で戦う? 無理だ、出来るはずがない。そもそも、ニールにとって地力で戦えない現状は既に痛恨の極みなのだ。剣士として恥ずべきことなのだ。これ以上、目の前の相手に情けない姿を見せることなど出来ない。
ゆえに――取れる手段は剣術による一騎打ちのみ。
ただただ、楽しんで剣を振るうのだ。
「二人は最善手を理解しつつ、なお剣での斬り合いを――剣士として競い合うことを選んだ。下手に手を出してみろ、孤独は邪魔な貴様を排除するために淡々と命を刈り取るぞ」
恐らく二人は立場や状況など欠片も考えてはいまい。
頭の中にあるのは、目の前の剣士を倒すことのみ。
己の手で、己が剣で。
この瞬間において場違いなほど真摯に、真剣に。
彼らはただただ、剣を振るうのだ。
「――馬鹿な、じゃないね。純然たる馬鹿だよ、あれは」
――正直言って、その感情をミリアムは理解出来なかった。
勝負事に真剣になることそれ自体は理解出来なくもない。
だが、刃物を振り回しながら、そして確実な勝利を捨ててまでぶつかり合うのは狂気の一言だ。率直に言って、まともではない。
そんな彼女の物言いに、ノエルは静かに口角を上げた。
「否定はせん。だが、剣に、戦いに命を捧げた者は、多かれ少なかれ皆大馬鹿者だよ」
静かに、昔懐かしむように呟く。
視線の先にあるのは剣呑な笑みを浮かべながら刃を振るう二人の男の姿。それを、何かと重ね合わせているのだろうか。
「武器を下ろすな。それを使う機会が巡ってくるかもしれん」
戦いの邪魔をせぬよう、矢を矢筒に戻そうとした瞬間、ノエルは不意にそのようなことを言い出した。
「……どういうことだい? さっきの話を聞く限り、ぼくの出番なんてなさそうだけれど」
「――ニール・グラジオラスが敗北した時、疲弊した孤独を複数人で囲んで倒すためだ」
◇
「ニールさんが負けたら――って、どういうことですか、それ!」
ニールの体に力を注ぎながら、カルナは静かに鉄咆に鉄杭を込めた。
今しがたノーラに語ったように――『ニールが敗北した時、疲弊した孤独を複数人で囲んで倒す』ことを実践するために。
「これが一番勝率が高く、犠牲者が少ない方法なんだ――騎士たちには言わずとも伝わっているようで何よりだよ」
カルナは語る。
孤独の剣鬼は強敵だ。人の身でありながら磨き抜いた技のみで化け物の領域に足を踏み込んだ――転移者風に言えば規格外な存在だ。真っ向から戦いを挑めば、数多くの命が散ることだろう。
だが、どれだけ強くても、どれだけ規格外でも、彼は人間なのだ。
圧倒的な身体能力はなく、肌で刃を弾くような常識外れな防御力も有していない。無論、体力だって人間相応だ。
そう、体力。
それを削りきれば、犠牲者を抑えた上で孤独に勝てる。
「あんな化け物じみた速度で迫る敵の対処をしていれば、いかに孤独といえど疲弊する。動きが鈍る。本来なら複数人の犠牲を以て削るはずの彼の体力が、ニールの尊い犠牲で大半を削ってしまえるんだ」
どれだけ鍛えようと人間は無限に動き続けることなど出来ない。何度も剣を振り続けていれば腕は重くなるし、延々と走り回っていれば脚は棒のようになってくる。
ある程度なら気合いと根性で動けるのだろうが、気合いも根性も無敵の万能薬などではない。無理をして力をひねり出しているだけなのだ。いずれ、糸が切れた人形のように倒れ伏すことだろう。
ならば、後は簡単――ニールが倒れた後、全員でヒット・アンド・アウェイで攻撃し続ける。
相手を休ませぬように怒涛の勢いで攻撃し続け、体力を削り、ミスを誘発し、致命打を与える――これこそ、もっとも犠牲が少なく、もっとも確実に孤独の剣鬼を仕留める手段なのだ。
(これは、ニールのような男だから成立する策だ)
もしも、ゲイリーやアレックスをニールのように強化したところで、孤独がこの策に乗ってきたかどうかは怪しい。
確かに二人はニール以上の実力者であり、同じように強化すればニール以上の戦闘能力で戦えることだろう。
だが――彼らは騎士だ。
剣士である前に、秩序を、民を、正義を守るための存在なのだ。
ゆえに、彼らは戦いながらも計算を行う。次のために、皆のために、可能な限り体力を削りきろう――と。
それ自体は悪いことではない、本来なら最低限考えるべきことである。その辺りの計算を全くせず孤独と戦っているニールが異常者なのだ。
――だが、相手もまた異常者であるから。
小賢しい計算で自分を追い詰めようとしていると察した瞬間、彼は戦い方を切り替えるだろう。
真っ向勝負をしながら、しかし体力を温存する方向に――次の戦いに繋げるために。
確かに彼は真剣な戦いを望んでいるだけであり、勝利に対して執着心はないのだろう。だが、全力の斬り合いでの敗北は死に直結する。そして、死すれば二度と戦えない。
ゆえに、騎士のような真っ当な強者ではこの策は機能しないのだ。
――だが、ニール・グラジオラスであれば。
あれほど強い剣士が戦いたがっているのだ、なら自分が戦いたい、自分が勝ちたい――その程度しか考えていない愚か者であれば。
孤独は、たとえこの次は連合軍の総攻撃が始まると理解しつつも手を抜けない。体力を温存する選択肢など放り捨てて、ただただ全力でニールと斬り結ぶ。
なぜなら、ニールのような男こそを孤独は求めていたから。
己の実力を見て戦意を失わず、むしろ闘志を燃やし、戦う方法を考えて再戦してくる――そんな人間を何より求めていたのだから、手を抜くことも目を逸らすことも出来るはずがない。
その結果、己が敗北したとしても孤独は何一つ後悔しないだろう。真に求めていたモノを手に入れた以上、残りの人生に悔いはあるまい。
「そうじゃなくて! カルナさんはそれで良いんですか!?」
怒鳴りつけるような声音。今、ニールに対して治癒の奇跡を使っていなければ手の一つや二つ出ていたかもしれない。
それだけ友人の死を前提にした流れに苛立ち、怒っているのだろう。
その気持ちは、よく分かる――
「良いワケないじゃないか! ああ、糞――分かってるよ、あいつはそういう奴だし、だからこそ僕は、僕の魔法を預けたんだ。だけど、だけどさぁ……!」
――なぜなら、カルナ自身も同じ気持ちなのだから。
イライラする、今すぐにニールの襟首を引っ掴んでこちらに引き戻したいところだ。
死んで欲しいはずがない、当たり前だろう。
彼はまだトゲトゲしかった頃のカルナを嗤わず、一緒に歩んでくれた友なのだから。共にどうすれば転移者に勝てるのかと語り合い、高めあった相棒なのだから。
だが、だからこそ理解出来る。
走り出したニールが、目的を遂げるまで足を止めるはずがないと。
たとえ敗北したとしても、悔しく思いつつも「あれに負けるなら剣士として本望だな」と笑って死ぬだろうと。
ニールは、そういう男だ。
だから、止められない。
止められるはずがない。
たとえ、脳内で弾き出される勝率が限りなく低くても。
冷静な思考がニールが敗北し、死んだ後の動きを冷淡に導き出しているのが嫌で嫌で仕方がなくても。
ニールが本気でその道を真っ直ぐに走りたいというのなら、それを支えてやるのが相棒だろう。
仮に立場が逆だったとしても、カルナは全力で魔法を使って戦っただろうし、ニールは怒りを抱きながらもカルナの手助けをしてくれたはずだ。ニールとカルナはそういう関係なのだから。
ゆえに、手を、力を、魔法を緩める選択肢など存在しない。
「――分かりました。カルナさん、今二人ですべきことをしましょう」
それだけ言って、ノーラは退いた。
その聞き分けの良さに違和感を抱く。ノーラは命を投げ出すような決断や戦いをもっと否定する人間だと思っていたから。
だが、ノーラがカルナの頬をじっと見つめていることに気づいて、そこに何かが伝う感触に気づいて、ようやく理解した。
(ああ、くそ――情けない)
どちらかに感情が振り切れていれば、もっと楽なのにと思う。
もっと感情的になれていれば、ニールを止められただろうに。
もっと冷徹になれていれば、心を乱すことなく援護をすることが出来ただろうに。
なんとも中途半端で、矛盾した想いが胸の中でぐるぐると蠢いて、苦しくて苦しくて仕方がない。
「大丈夫ですよ。だってニールさんは、ちゃんと戻ってきて欲しいっていうレンちゃんの言葉に、全力で努力するって言いましたから」
――そんな時、ノーラが柔らかく微笑みかけた。
「ニールさんの全力を今、カルナさんが全力で支えているんですから――なら、きっと勝てますよ」
気休めの言葉、希望的観測、なんの確証もない言葉であった。
理屈ではなく感情の言葉であり、だからこそ世界に何一つ影響を与えない空虚な言葉だ。そんな言葉をいくら並べ立てたところで、状況が変わることなどありえない。
ありえない、けれど。
「……当然だよ。後ろにこのカルナ・カンパニュラが居るんだ。あいつがミスをしない限り、敗北なんてありえないさ!」
それでも――好いた女が自分を励ましてくれているというのに、奮い立たない男が居るものか。




