228/孤独の剣鬼/5
「ああ、嬉しいよ。君が一度の敗北程度で諦めるような人間じゃないことを、本当に喜ばしく思う」
その言葉とは裏腹に、孤独の表情は悲しげであった。
ああ、立ち上がってしまったか、と。
ああ、もう再戦してしまうのか、と。
これでは無意味に殺してしまうだけだ、と。
なんてもったいない、と。
そのようなことを、彼の瞳が言葉よりも雄弁に語っていた。
今戦ってもどうせ自分が勝つのだから、もう少し時間を置いてくれたら良かったのに、と。
それを傲慢だとか、上から目線などと言えはしない。一度、完膚なきまでに敗北している以上、それは紛うことなき真実なのだから。
だが、それでも。
「自分が勝つこと前提で考えてんじゃねえぞ――!」
勝負する前から勝利を確信されている――その事実に腹が立つ。
ゆえに、ニールは地を蹴り疾走した。
剣を右肩に担ぎ、前傾姿勢で駆け抜ける――餓狼喰らいだ。いつも通り、何も変わらない動作だ。
――唯一、ニールが蹴り飛ばした地面が放射状に砕け、勢い良く飛び散ったことを除けば、だが。
孤独が驚きで目を見開くのと、ニールが間合いを詰めて剣を振り下ろすのはほぼ同時。
霊樹の剣が薄茶の軌跡を描きながら、孤独の体に迫る。
「――オ、ラァ!」
「――ッ!?」
尋常ではない速度から放たれる強力な一撃を、孤独はギリギリのところで防御した。
周囲に硬質な爆音が鳴り響き、孤独は威力に耐えきれず地面を砕きながら滑って行く。
孤独の表情には驚きの色があった。彼が防御に成功したのは、先程の戦いで人心獣化流の理を読み解いていたからだ。その経験が無ければ、恐らく一撃で叩き斬られていただろう。
それは連合軍が転移者のスキルを見抜けるのと同じように、ニールの動きを予測することが出来たのだ。本来なら、カウンターでニールの首を斬り落とすことくらい出来たはずだ。
だが、今の攻撃は防ぐことで手一杯だった。速度において、腕力において、圧倒的に劣っていたからだ。
突然別の流派を使ったワケでも、孤独を上回る技量で予測を外したワケではない。
ニールは圧倒的な力と速度によって、技量を蹂躙したのだ。
「あ、が……!? ぐ、ぎ……ッ」
だが、苦痛に喘いだのは攻撃を受け止めた孤独ではなかった。
彼を弾き飛ばしたニールの方が、まるで耐え難い肉体の損傷を受けたとでも言うように苦痛の声を漏らしている。
見れば、ニールの両腕は奇妙な形に捻じ曲がり――けれど、すぐに元の形に戻っていく。暖かな光と共に。
「ははっ……得心が行った。なるほど、一対一でおれに勝つなら、それしか選択肢がない」
孤独は獣じみた獰猛な笑みを浮かべ、ニールは真っ直ぐに見つめる。
瞳を少年のように輝かせながら。
◇
――――時計の針は僅かに巻き戻る。
「――ぐ、ッ」
激痛と共に致命傷が癒やされていく中、ニールは睨みつけるように孤独とゲイリーの戦いを見つめる。
演舞のように軽やかで、けれど実戦ゆえの無骨さを兼ね備えた剣戟に、ニールは魅せられ――けれど同時に酷く無力感を抱いていた。
(どうあっても――俺じゃあアレに届かねえ)
気合や根性が本来の実力以上の力を引き出す場面は多々と存在する。
戦いとは極論、意地の張り合いだ。ならば、ある程度の実力差であれば本気で命を賭せばひっくり返すことが出来る。
――そう、『ある程度の実力差』ならば。
ギリッ、と歯を食いしばる。強く強く、情けない言葉を吐かぬように。
見れば理解出来る。これでも本気で剣術を学び、強くなろうとしているのだ。ゆえに――ニール・グラジオラスと二人の間に断崖めいた大きな実力差があることが分かってしまう。
たと傷を癒やしたとしても、ニールなど戦力になりはしない。せいぜい、孤独の一太刀を受け止める肉盾がせいぜいだ。
「ありがとう、ノーラさん。僕はもう大丈夫だ」
がしゃん、と破壊された回路を地面に落としながら、カルナは立ち上がった。
「けど、まだ傷は――」
「確かにまだ痛むけど――最低限腕が繋がれば支障はない。だから前衛の治癒に集中してくれ」
気遣うノーラに対し笑いかけた後、カルナはこちらに歩み寄ってきた。
右手に鉄咆を、左手に魔導書を持ったまま。まだ、自分は戦えるのだと言うように。
「さあ、次はどうするニール」
その言葉に、ニールは俯いた。
地面には、霊樹の剣が――イカロスが陽光を反射し輝いている。まだやれるだろう? そう言うように。
その光から、そっと目を逸らす。眩しかったのか、後ろめたかったのか、ニールには分からないが――それでも、真っ直ぐ見返すことが出来なかった。
(――全力でやっても届かなかった。分不相応な剣と、分不相応な称号で背伸びしても――結果は、これだ)
なんとも情けないことを言っているな、と自分自身でも思う。
けれど、仕方がないではないか。孤独との斬り合いは、ニールの全力を――否、全力以上の力を出し切ったモノだったから。
それでも、少し本気を出されたら叩き潰された。
傷が癒えた、体が動く、武器もまだ健在だ。戦えぬ道理はない。無い――のだが、体が鉛のように重く、動いてくれない。
(いいや、違ぇな)
立ち上がれないのではなく、立ち上がりたくないのだろう。
今立ち上がってもどうにもならない、どうやっても自分の剣は相手に届かない――それを確信してしまっているから。
――それ程までに決定的な敗北なのだ、あれは。
今までの相手ならば、『こうすれば良かった』とか、『ああすれば勝てる』など考えて奮起出来た。
だが、今回のそれは違う。そんな思考、微塵も思い浮かばない。
だから――カルナにこう言ってやれば良いのだ、「あいつには勝てない、騎士に任せよう」と、「しょせん俺じゃあ役者が不足していたんだよ」と。
ああ、そうだ――理性は先程からそのようなことばかり言っている。それが正しいのだと、あの剣士に勝てないことは自分が一番よく理解しているだろう、と。
――だというのに、右手はイカロスの柄を強く握りしめていた。
まだやれる、俺はまだやれる、俺はまだ戦える、なんとかして勝ってみせる――そんな衝動が、右手を動かすのだ。
勝算などまるでない癖に、それでも前に出ろと内側から湧き出す衝動が、ゆっくりと全身に満ちていく。
ニール・グラジオラスがそんなことを考えていても意味がないだろう、とっとと剣を持って動き出せ、本能がそう叫び続けているのだ。
鉛のように重い体は、自然と軽くなっていた。
(――ハッ、そりゃそうだ)
元々長々と考えることは苦手なのだ、後ろ向きな弱音なら、尚更だ。
とっとと考えるのを止めて体を動かしたくなってくる。
「……逆に聞くが、どうすりゃ良いと思う、カルナ?」
それでも無計画に前に出ずカルナに問いかけたのは、理性から生みだされた恐れも正しいと思ったからだ。
確かにニール・グラジオラスという人間は、何も考えずに前に出て剣を振るうのが一番適している。
だが、それだけで勝てるワケがないことも、生き残れるはずもないことも理解していた。
獣めいた衝動を以て前に出て、人間らしい理性で自分を制御する――それこそが人心獣化流という流派なのだから。
「……身体能力強化の魔法を使った場合、どのくらい戦える?」
「一分持てば良いほうだろ。多少速くて力強くなろうが、その程度で勝たせてくれる相手じゃねえしな」
――だが、考え方自体は間違ってはいないと思う。
少なくとも、孤独の度肝を抜く必殺剣を編み出せというよりはずっと真っ当な手段だ。
ニールでは孤独に技量で勝つことは不可能。ならば、それ以外の何かで勝利を掴む他ない。
――だが、その何かとは、なんだ?
それが分からない。
いいや、そもそもそんな都合の良い手段など存在しないと考えるのが自然だ。あれだけ技量が隔絶した相手と戦い、勝利を掴むなど、無茶無謀極まりないだろう。
だが、ニールはここで何もしないことは選べなかった。
自分のために、連合軍の仲間のために、そして――他ならぬ孤独の剣鬼のために。
ああ、そうだ。確かに孤独が成すことは許容できないが、けれど、それでも――
「良かった、二人共無事ね!」
考えても考えても答えが出ない――そんな時、連翹がバックステップでこちらまで退いて来た。
孤独から目と剣先を逸らさず、ニールたちを庇う位置取りに立つ彼女に、ニールはやはり連翹は防御に向いているなと思った。
剣士にしては広い視野は一対一の戦いでは邪魔になることもあるだろうが、今のように誰かと共闘するのなら必要な才能だ。正直、そっち方面ならニールなどよりずっと優れている。これからその才能を磨いていけば、きっと優れた戦士になれるだろう。
「ああ、無事だ――悪い、手間かけたな」
「雑音の時に助けてもらったからプラスマイナスゼロよ、気にしないで……それより、どうする? というか、どうにかなるの? アレ」
ニールの言葉に軽く首を左右に振った後、連翹は静かに問いかけた。
ゲイリーが勝利する可能性は低くはない、が敗北する可能性も決して低くはないのだ。
その時は騎士たちと共に孤独と戦わねばならない――が、どうしても勝利の道筋が見えないのだと連翹は不安そうな表情を浮かべる。
当然だろう。剣士として、冒険者として、戦う者として連翹よりも経験豊富なニールやカルナですら、答えを導き出せていないのだから。
「今の所、なにも思い浮かばないよ。そもそも、今までの戦法が通じないからね。この状況は当然と言ってもいいのだけれど」
「……どういうことですか? 今まで、何か特別な戦い方をしているようには見えませんでしたけど」
四人の中で一番戦闘に関する知識のないノーラが、訝しげに問いかける。
確かに、ノーラが言う通りニールたちは――連合軍の皆は特別な戦法を使っていたワケではない。
皆は当たり前のことを当たり前に実行していたに過ぎず、だからこそその当たり前で歯が立たない状況に苦戦しているのだ。
「今までの僕らは、転移者の隙を突いて勝利して来た。スキルの発動硬直を狙ったり、幹部の大技の穴を突いたり、剣と魔法の技術で圧倒したり……ね」
転移者は現地人と比べて化物じみた身体能力を持っている。普通に力比べをすれば、単純なスペック勝負ならば、現地人が勝利できる道理はないのだ。
だが、転移者は元々戦いの素人だった。圧倒的な身体能力と発声するだけで練達の剣士や魔法使いの技が出せるスキルでカバーしていても、素人を強制的に強者に仕立て上げたゆえの穴が存在する。
ゆえに、今まで連合軍はその穴を突く形で勝利してきた。圧倒的なパワーに対して、技量を以て征して来たのである。
何も特別なことではない、知恵を持つ生き物ならばゴブリンやコボルトですら程度は低くても実行する手段だ。
巨大な敵を相手に力比べをしない、素早い敵なら罠で動きを止める、強力なブレスを吐くのなら正面に立たたない、など――連合軍の戦士が転移者と戦えるようになったのは、その類の知識が蓄積されたからでもある。
「――でも、今は逆に僕らがそれをやられている。さっきのニールが良い例だ。技量と経験で勝ち進んできた僕らに対して、相手はそれ以上の技量と経験で圧倒して叩き潰しているんだ」
それはつまり、自分の得意分野で完敗しているという事実。
知識、技量、経験――それらを組み合わせて勝利の糸を手繰り寄せていたら、相手が同じ手段をこちらよりも高い練度でやって来た。
ゆえに、勝利する方法など――――
「なら――こっちが転移者みたいに身体能力で圧倒すれば良いんじゃない?」
――――不意に、連翹がぽつりと。
そんな、ワケが分からないことを。
「……レンさん、一体何を……?」
「だって、相手の得意分野で戦うのはマズイでしょ? なら、こっちが超パワーでぶん殴って技量を叩き潰すの。最初の頃に転移者が現地人にやってたのと同じでね」
そして経験が蓄積される前に叩き潰すのだ、と。
逆転の発想――と言えば聞こえは良いのだが。
「なるほどね、確かにそれが出来たら勝てるかもね――それで、レンさんの言う超パワーはどこから引っ張ってくるんだい? そんな便利な力があるのなら、ぜひ聞いてみたいものだけどね」
「それは、ええっと……ごめん、何も考えてなかったわ」
「……いや、こっちもごめん。せっかく意見を出してくれたのに」
ああ、くそ――と悪態を吐きながら、カルナは右手で顔を覆った。
思わず連翹に当たり散らした自分に対し、代案も無いのに責めるような言い方をした自分に対し、苛立ったように顔を歪める。
カルナは理解しているのだろう。仮にゲイリーが敗北すれば、そのまま連合軍の半数は死ぬ。そして、その半数の中にはカルナやニールも含まれているのだと。
――だが、ニールは。
ニールは、先程の連翹の言葉が、意味のない戯言であるとは思えなかった。
確かに連翹は思いつきを口にしただけに過ぎないのだろう。単純に逆に考えただけで、どうすればそれを実行出来るのかなど欠片も考えていなかったに違いない。
けれど――それがキッカケとなり、ニールの頭の中に駆け巡るモノがあった。
「……ノーラ、数分くらい女神の御手を俺に集中してかけ続けることは出来るか?」
「え? あ、ええっと、吸い上げる転移者がいれば、不可能じゃないと思いますが……」
カルナを気遣うように見つめていたノーラが、困惑しながらも返答してくれる。
――思い出す。ノーラが初めて後に女神の御手などと名付けることになる力を使ったことを。
転移者を無力化し、強力な奇跡を発動し、しかし激痛によって意識を失った時のことを。
「カルナ、身体能力強化の魔法――体がぶっ壊れるのを前提にすれば、もっと肉体を強化出来るよな?」
――思い出す。転移者と戦うために、魔法で身体能力強化が出来ないかとカルナに問うた時のことを。
ゴブリンやコボルトといった人間に近いモンスターを選び身体強化を施し――肉体が耐えきれず破壊された時のことを。
ノーラの医学者を借りて完成させたそれだが、今となっては使う機会がなかった。イカロスという名剣を手に入れ、ニール一人でも転移者にダメージを与えられるようになったから。
「は? 何を――……ッ!?」
意味が分からないことを言っているんだ――そう言いかけた口が、驚きの吐息に変わる。
その驚きは『なるほど、それがあったか』という驚きでは断じて無い。『正気か、この馬鹿は』という驚きだ。
だが、カルナはすぐさま黙り込んで考え込み――眉間に深いシワを刻みながらも、ゆっくりと口を開いた。
「……君が考えていることは、決して不可能じゃない。要は制御を放棄するってだけだからね――言っておくが、推奨はしないよ」
「そりゃいい。真っ当な手段で勝てる相手じゃねえ以上、危険はむしろ歓迎だ」
「魔法使いとしてのプライドからもやりたくはないけどね。こんなもの、長々と詠唱して莫大な魔力を使って大爆発を起こすだけの、素人くさい魔法と大差はない。いいや、むしろこっちの方が劣悪だ。大爆発の方がまだ役立つし、常識的だ」
そんな魔法を、自分に使わせようと言うのだな? と。
己の相棒がする無茶を黙って見過ごすどころか協力しろと言うのだな、と。
カルナは苛立たしげにニールを睨む。
その怒りの矛先はニールに対して向けられているモノでありながら、同時にカルナ自身にも向けられていた。
当然だ――どれだけ憤ろうとも、代案が無ければ止めることも出来ない。そして、止めるべき代案が思い浮かばない以上、実行する他ない。
「ど、どういうことですか? ニールさんもカルナさんも、何を言っているんですか……?」
ノーラは気づかない。
当然だろう、彼女は神官で命を繋ぐ者、傷を癒やす者なのだ。
ニールが考えたような頭のおかしい手段など、考えつくはずもない。
「なっ、なんか思いついたの!? だったら早くして! 団長追い込まれてる!」
連翹の視線を追えば、ゲイリーが複数人の孤独に襲われている姿が見えた。
分身か――否、それにしては目に見える孤独全てに気配が存在する。
ゲイリーはその尽くを切り払い――しかし、気配を断っていた本体の刺突によって心臓を穿たれた。
致命傷だ。複数の神官が付きっきりで癒やせば修復されるダメージではあるが――しかし、彼の傷が治癒されるまでの間、孤独が黙って立っているはずもない。
「カルナ、もう時間がねえ――頼む」
「…………分かったよ。ノーラさん、治癒を全てニールに集中してくれ。レンさん、悪いけど生きている転移者を引っ張ってきてくれないかな?」
「わ、分かったけど――どうするの? 回復手段用意したところで即死で瞬殺させられるでしょ、アレ」
確かに、連翹の考えは正しい。
ノーラの女神の御手は生きてさえいれば命を繋ぐことが出来るだろう。
だが、そんなことは相手も承知している以上――過信してダメージ覚悟で突っ込んだところで脳みそを細切れにされて殺されるはずだ。
強力な回復手段は必要ではあるが決して勝利には繋がらない。その推測は間違っていない。
だが、ニールは――女神の御手の力でダメージを防御に使うつもりはなかった。
「……簡単だよ」
忌々しげな声音で、カルナが呟く。
「『身体能力強化の魔法を暴走させて超強化』して、『耐えきれずに壊れる体を女神の御手で癒やし続ける』。原理的に、ノーラさんが理不尽を捕食する者を使わず女神の御手を使うのと大差はないんだ」
最初、ノーラが偶然女神の御手を発動した時――彼女が耐えきれない量の力を体内に取り込み、破裂しそうになる体を超強化された治癒の奇跡で癒やしていた。だからこそ激痛を感じるだけで死なずに済んだ。
それと、同じ。
『体が壊れることが前提の過剰強化で身体能力を莫大に上昇させ』て、その結果『壊れた体を延々と治す』のだ。
そうすれば、理屈の上では転移者以上の身体能力を得られるかもしれない。
剣を振るう度に腕がひしゃげようが、一歩踏み込む度に脚が砕けようが、体を動かす度に血管が破裂しようが、治し続ければ問題ない――その痛みに耐えられればの話だが。
「なっ――何を言ってるんですか、正気ですか!?」
その発言に食って掛かったのは、当然の如くノーラであった。
当たり前だ。ノーラは偶然、そして何度か意識的にその力を使用している。
体が破裂するほどの力を注ぎ込まれ、穴が空きそうになった箇所をその都度修復されるという痛みを体験しているのだ。
カルナが危険性を頭で理解しているのなら、ノーラは危険性を体で理解している。
「正気なワケねえだろ。剣士は……刃物振り回す技術を真剣に学んでいる連中は、大なり小なり皆狂人なんだよ」
どれだけ守るための剣だの正義のための剣だのと理屈を捏ねくり回したところで、結局のところ剣とは殺すモノだ。
生きるために、そして社会を維持するために武力は必須だが――それでも、戦いとは無縁の人間に比べて外れていく。
事実――ニールは今、恐怖よりも興奮の方が強かった。
これなら孤独に食らいつける、戦える――そう思うと心が沸き立って仕方がない。
これを狂気と言わず、なんと言うのか。
だが、それでも――全てにおいて完璧な人間など、健全な人間など居るはずもない。
だから、これで良い。
この狂気を正したところで別の部分が狂気で歪むのなら――ニールはこの狂気を抱えて生きて行きたいと思うのだ。
「――ただ耐えれば良いだけじゃない。君はその状況で全力で戦わなくちゃいけないんだ。前言を翻すのなら今だよ」
顔を顰めながら、突き放すような冷たい声音でカルナが問う。
やはりな、と思う。厳しいことを言ったりもするが、やはりこの男は認めた相手には非常に甘い。
どうせ無茶をやると理解している癖に、逃げ道を用意してくれている。その癖、ニールが前言を撤回したらそれはそれで不機嫌になりそうなのが面倒なところなのだが。
「ああ、もちろんだ」
「これで君が何も出来ずに死んだのなら、僕は末代まで君の愚かさを語ってやる。せいぜい覚悟しておくんだね」
「そいつは怖ぇな。その場合、とっとと忘れてくれてもいいんだぜ?」
「……まさか、君みたいな馬鹿をそう簡単に忘れられるはずないだろ」
そうか、と短く返答して前を向く。
「……ちゃんと生きて戻って来てね」
そう言って、連翹は小さく苦笑した。こんなセリフを自分が言うとは思わなかった、と。
ニールは彼女の目を真っ直ぐに見つめ、首を左右に振った。
「約束は出来ねえよ。確約出来る相手でもねえしな」
「……そういう場合、嘘でも頷くものだと思うんだけど」
「女を喜ばせる物言いが出来なくて悪かったな。だがま――」
剣を構える。
意識を研ぎ澄まし、思考から無駄を省いていく。
ただ一人の敵――孤独の剣鬼と戦うために、倒すために。
その最中、ニールは小さく呟いた。
「――全力で努力する」
それが、ニール・グラジオラスが口にすることが出来る、唯一の返答であった。
「――我が望むは肉の繊維、筋束と共に交わる力の源! 今、彼の者と混ざり合い、超越の力を顕現せよ」
「――創造神ディミルゴに請い願う。失われ行く命を守る力を、癒しの奇跡を」
カルナの詠唱と、ノーラの祈りが響き渡る。
全身に浸透していくように光が体を覆い、力を増大させて行く。
体に違和感がある。過剰な強化によって力加減が上手く行かない。
だが、悠長に慣らす時間はない。ニールは前に――
「ぐ――ッ!?」
――一歩、踏み出そうとした瞬間、脚の骨がへし折れた。過剰に強化された筋肉に、元の肉体が追いついていないのだ。
無論、骨折は瞬時に治癒されたが、痛みだけはどうにもならない。
なるほど、これはどれだけ気合と根性を入れようともそう長くは持たないだろう。
痛みに耐えることが出来たとしても、全力で戦い続けるのは難しい。
「……少し力を弱めようか」
「いや、これでいい」
呟くカルナに、ニールは首を左右に振り――首の骨が軋み、ひび割れ、修復される。
「そもそも、あれだけ実力差のある相手と戦おうってんだ――最低限これくらいやらねえと、届かねえだろ」
体を動かす度に全身のどこかが負傷する?
治癒はされても痛みは残る?
最低限その程度のリスクを背負わなければ、あれ程の剣士と戦うというリターンは得られない。むしろ、この程度で足りているのかと不安になるくらいだ。
「ねえ、ニール――貴方がそこまでする理由があるの?」
気遣うように連翹が言った。
確かにな、と思う。
なぜ、こんな痛みを受けなければならないのか。そこまでして自分が戦う理由があるのか。そんな思考がじわり、じわりと広がっていく。
なるほど、正論だ。実際、騎士たちが捨て身で戦えば数多くの犠牲を出しながらも勝利する可能性はある。
それでもニールが無茶をする理由。
これまで一緒に旅をして来た仲間を死なせたくないから、
他者を犠牲にして己の欲望を叶えようとする悪鬼が許せないから、
それらも、無くはない。
実際、ニールは騎士たちに死んで欲しくはないし、孤独を許せないと思う気持ちも無くはないのだ。
ああ、けれど、それ以上に――
「――俺の理想の果てみたいな人間が、あんなに寂しがっているってのに、放っておけねえよ」
孤独の剣鬼。孤独に生きる、剣の鬼。
自分自身にそんな名を付けているのだ、意識的に名付けたなのか無意識的に名付けたのかは知らないが、しかし彼の心の中には確かに孤独が――寂しさがあるのだ。
転移者は救いを求めてこの世界にやって来たのだ。ならば救ってみせよう。
無論、ニールは聖人君主ではないのだ。全ての人間が救いたいなどと思ったことは一度もない。
だが、それでも――真っ当な人間なら救われて欲しいと思うし、気に入った相手なら望みを叶えてやりたいとも思う。
ああ、そうだ。愚直に剣術を磨き続けた相手を、気に入らないはずがない。嫌いになれるはずがない。
――ゆえに ニールは行く。
孤独の剣鬼が抱く孤独を斬り払うため、暴虐の限りを尽くす悪鬼を討ち倒すために。
自分よりも遥かに高みに座する彼に剣を届かせるため、自分以外の力をその身に宿す。それは、蝋の翼で飛翔した異世界の神話のように。
剣を携えた餓狼は、その背に蝋翼を生やし天へと舞い上がる。
◇
「無茶をする! 体全体が悲鳴を通り越して断末魔の声を上げているじゃないか!」
たった一撃でニールが何をやったのか理解した孤独を見て、ニールは痛みに顔を歪めながらも楽しげに笑った。
ああ、やはりたった一撃で見破られた。
やはり技量で勝負するのは不可能だ。
才能も費やした年数も、きっと鍛錬の密度も違うのだろう。ニールのような道半ばの剣士ではどう足掻いても手が届かない領域に孤独は立っているのだ。
――ゆえに、その領域まで飛翔する。
自身の力ではどうにもならない部分を、他者の力で穴埋めする。
そうすることによって――ようやく手が届く。
そうしなければ――どうあっても手は届かない。
「翼が溶けて墜落したなら、今度は溶けねえように固めてもう一度飛ぶだけだ! 舐めてんじゃねえぞ孤独の剣鬼! 俺が大海原に叩きつけられた程度で諦めるワケがねえだろうがぁ――!」
正直、後ろめたさがあった。
手段を選べる状態ではないことはニール自身が一番よく理解しているが、しかしそれでも、自分の実力で戦いたかったという想いがある。
だがしかし――これこそが今の自分の全力だとも思うのだ。
結局のところニール・グラジオラスという剣士はさして特別な存在ではない。
自分以上の実力がある者、自分以上の才能を有している者、自分以上の努力をしている者、それら全てを兼ね備えた者――そんな存在は数多く存在しているはずだ。
ゆえに、ニールがすべきことはありふれた実力を発揮することなどではない。
積み重ねた絆を蝋の翼にし――己の力と皆の力を刹那に凝縮することだ!
「ははっ――これは、すまなかった。おれは君のことを過小評価していた」
孤独は微かに痙攣する掌を満面の笑みで見つめ――高らかに吠えた。
「それが君の全力だと言うのなら! 本気で命を賭すというのならば! おれはそれを歓迎しよう――来い、ニール・グラジオラス! おれの宿敵!」
「ああ――言われるまでもねえ」
――ああ、やはり剣士という生き物は狂人だ。
これから命を賭した殺し合いをするというのに、どちらかが死ぬまで刃物で斬り合うというのに、恐れなど欠片もない。
あるのは歓喜と興奮。
目の前の剣士と戦えることが、楽しくて、嬉しくて、仕方がない――!
「行くぞ孤独の剣鬼! 俺が今、全力以上の全力でお前を倒す――!」
「――ああ、やってみるが良い狼翼! 背に蝋の翼を生やした剣の餓狼よ! 背の翼が溶け切る前に、おれの心臓を穿ってみせろ、おれの首を斬り落としてみせろ! 出来ないなら殺すのみだ!」
――刃が、交わる。
時間にしてはおおよそ数分ほどの、しかし永遠にも感じられる戦いの幕が切って落とされた。




