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225/孤独の剣鬼/2


「オオオォォォオオ――ッ!」


 ニールの体は、孤独オンリーの言葉を聞いた瞬間に動き出した。

 前傾しながら地を蹴り飛ばし、剣を右肩に抱えるように振り上げ――誰よりも早く、速く、疾く、孤独の剣鬼(オンリー・ワン)へと走り抜ける。

 真っ先に戦うために、真っ先に斬り合うために、半ば無心で己の全力を剣に込めるのだ。

 

 それは怒りのためか? ――否。

 それは邪悪なる怪物を倒すためか? ――否、否、否。


 ニールはただただ――眼の前の剣士と戦いたいのだ。

 連合軍としてではなく、勇者などという大層な肩書で呼ばれたからでもなく、ただただ単純に剣士として。



『――さあ、誰でも良い! この悪鬼を許せぬというのなら、全力で向かって来ると良い! おれは誰も拒まない! 本気でおれを殺すというのであれば、騎士も赤子も等しくおれの宿敵だ!』



 孤独オンリーの叫びを想起する。

 敵味方関係なく斬り殺し、出た言葉がそれだ。とてもではないが正気とは思えない。

 思えない、が。


人心獣化流じんしんじゅうかりゅう――餓狼喰がろうぐらいぃいいい!」


 それでも、共感する部分があったから。

 だからこそ、真っ先にこの刃を届けたかったのだ。

 ゆえに、技名を咆哮の如く叫びながら全身全霊の剣を孤独オンリーへと振るう。踏み込みの際に力強く地を蹴り加速したその速度は、一直線に突っ込んで斬るという限定された条件であれば騎士すら上回る。

 一撃で相手を斬り殺すつもりで振るった剣。だが、剣から伝わったのは肉を断ち切る必殺の感触などではなく、刀の峰を滑る軽い感触のみ。

 受け流された、と悔しがることはない。この程度で終わるような相手ならばゲイリーが一人で倒している。

 ニールは疾走の速度を殺さずそのまま孤独オンリーの真横をすり抜け、すぐさま振り向き残心を行う。瞬間、間近に迫った孤独オンリーの刀を視認。思考ではなく反射で体が動き、斬撃を真っ向から受け止める。

 鳴り響く甲高い金属音。

 剣ごと一刀両断されなかったことに安堵とイカロスに対する感謝を懐きつつ、ニールはじりじりと押し返されながら孤独オンリーを分析していた。

 

(やっぱ、身体能力は現地人相応だな)


 体格の差、腕力の差はある。眼の前の男は、ニールよりもずっと力強い。

 だが、それだけなのだ。

 もしも孤独オンリーが転移者だったのなら、一瞬で力負けして体勢を崩されているだろう。

 現地人でもブライアンやゲイリーならば転移者の力に対抗出来るかもしれないが、少なくともニールには不可能だ。

 そんなニールが力負けしつつも踏ん張れることそれ自体が、彼が既に力を失っているということの証明であった。

  

 ――それは身体能力という面において過剰な差はないということ。

 

 だというのに、転移者、現地人共に圧倒されているその理由は、ただ一つ。


(愚直なまでに技を磨いたから、鍛錬したから、それだけだ)


 無論、才能はあるのだろう。それこそ天賦の才と言い切っても良いほどに。

 だが、どれだけ才能があろうと磨かねば錆び、朽ちるのみ。雑音語り(ノイズ・メイカー)などが良い例ではないか。

 才に驕ることなく、丹念に練磨した果てが目の前の男なのだ。

 

「だから――!」


 バックステップで距離を取りつつ、地面を蹴り上げた。

 地面に転がった瓦礫が爆砕し、孤独オンリーへと殺到して行く。


「――ははっ」


 銀閃が瞬く。

 孤独オンリーへと迫る瓦礫の破片、その尽くが砕かれ、弾かれ、切り裂かれる。

 やはりな、とニールは確信した。

 孤独オンリーは高速で飛来する瓦礫程度でもダメージを負う。転移者であれば避けるまでもない児戯だが、彼にとっては凌がねばならない攻撃なのだ。

 その事実が露呈していなかったのは、ゲイリーの剣を除いてまともに傷を負っていなかったから。今まで圧倒して来たからなのだ――ただただ、鍛え抜いた剣の技のみで!

 

「ああ、だから――お前を倒したい!」


 着地と同時にニールは再び地を蹴り跳躍する。

 人心獣化流、跳兎斬ちょうとざんだ。瓦礫まみれの地面と崩れかけた建造物を足場に跳ね回り――建造物を崩壊させていく。

 地面の石塊が巻き上がり、踏み砕いた建造物から瓦礫が降り注ぐ。

 その一つ一つは致命傷には程遠いモノだが――孤独オンリーはそれを無視することが出来ない。

 瓦礫が直撃すればダメージを負うのはもちろん、脳天に叩き込まれたら最悪そのまま死ぬ。

 

「ははは――いいないいな、君は本気だね!」


 きっとその事実を正しく認識しているだろうに、孤独オンリーが浮かべたのは心からの喜びであった。

 ああ、本気だ。彼は本気で自分の命を奪いに来ている。鍛え抜いた技で、磨き抜いた剣技で!

 それが嬉しくて嬉しくて堪らない、と自身に迫る瓦礫を回避し、撃ち落とし、受け流しながら叫ぶのだ。

 

「当たり前だ! 今本気にならねえでいつ本気になるってんだ!」


 孤独オンリーの死角に回り込み、力強く建造物を蹴り飛ばす。

 倒壊するそれを背に宙を加速するニールは、全力でイカロスを振り抜く。狙うは孤独オンリーの首だ。

 ニール・グラジオラスと孤独の剣鬼(オンリー・ワン)とでは技量の差が大きすぎる。長々と戦っていたら不利なのは自分だ。

 ゆえに、狙うは速攻。自身の全力以上を絞り出し、短時間でケリをつける!


「面白い剣だ! おれの知らない流派だな!」


 だが、後ろに目でも付いているのか、左手で鞘を掴み後手で受け流す。

 ニールの必殺の意思を込めた斬撃は、最小限の力で孤独オンリーから逸れていく。

 それを悔しく思う。

 だがそれ以上に、凄いな、とも思ってしまうのだ。

 こんな場面で不謹慎にも程があるとは思うが、それでもこの感情は胸の内から溢れ出して止まってくれない。 


「真っ直ぐで力強い流派――いいや、微妙に違うな……そうか、そういう風に改造しているのか!」

「すげぇな、打ち合っただけでそこまで読みやがるのか!」


 だから、自分の技が見切られそうになっていると理解しつつも、口から漏れ出した言葉は単純な賞賛だった。

 地面を転がり勢いを殺し、すぐさま立ち上がり剣を構える。

 瞬間、先程までニールが居た場所に切っ先が突き立った。問答無用で命を貫くそれんい肝を冷やしつつも、しかしそれ以上の喜びの感情が溢れ出て止まらない。


 ――どうだ、凌いでやったぞ。

 ――どうだ、俺はまだ戦えるぞ。

 

 そんな感情を視線に載せ、獣の如く笑う。

 彼もまた、同じ笑みを返した。牙をむき出しにする大笑と共に剣を振るってくる。 


「こういうことだけは昔から得意でね! 最初の斬撃、餓狼喰らいは君の剣士としての全てと言っても過言ではないだろう!? 走って走って跳ねて斬る! 単純明快だけれど、だからこそ力強くて、真っ直ぐ――ああ、凄くそそるよ!」

「そいつは良かった! 失望されたらどうしようかと思ってたところだ!」


 火花が散る。

 恐ろしく疾く滑らかな連撃が、ニールの首、胸、腹部、四肢、手首、指へと放たれる。

 命を奪う斬撃と、相手から剣を奪うための斬撃。それらを巧みに組み合わせた斬撃を必死に凌ぐ。

 回避し、弾き飛ばす。だが、それが精一杯だ。

 ニールには目の前の男ほどの剣を受け流す技量はない。致命傷こそ避けてはいるものの、一つ、二つ、三つ四つ――凄まじい勢いで裂傷が刻まれていく。

 だが、そこに恐怖はない。

 こんな強い剣士と戦ってるのだ、命があるだけ儲けものであるし、真っ向から斬り合えるただそれだけで幸運だろう。

 そんなニールの感情が伝わったのだろう、孤独オンリーは――僅かに瞳を潤ませながら、しかし斬撃を緩めることなく叫ぶ。


「いいや、いいや! 先程言った通り、本気でおれに立ち向かう者は全て全ておれが本気を出すに足る宿敵だ! 何より――街門からの叫び、あれは腹に、心に響いた。戦ってみたい、そう思ったよ!」

「そいつは光栄だな!」


 相手の言葉は本音だと感じたし、ニールもまた本音で返した。

 目の前の男は客観的に見て悪党であり、共感してはならないのだろうと思いながらも、ニールは心から笑い返す。

 

(そうだ、今は――この瞬間だけは関係ねえ)


 善も悪も、目の前の男が何を想い転移して来たのか。

 そんなモノ――この刹那において全て些事だ。

 今はただ、目の前の男に勝つために全力を尽くす――それだけだ、それだけで良いのだ。


(……だが、それはそれとして、だ)


 避け損なって腹部を切り裂かれながら、ニールは歯を食いしばった。

 それは痛みからの動作ではない、悔しさから生じたモノだ。

 当然の帰結ではある。どれだけ大層なことを考えようと、剣の技量で完全に敗北しているのは誰の目から見ても明らかなのだから。

 だが、それでも届かせたいと思ったのだ。

 孤独の剣鬼(オンリー・ワン)という男は確かに悪党なのだろう。彼自身が言った通り、我欲のままに剣を振るう悪鬼なのだろう。

 だが、それでも冴え渡る剣術は真実であり、剣に対して誠実に生きていたことは確かなのだ。

 そんな剣士が戦いたいと叫んでいるのだ、磨いた技で競う相手はどこに居るのかと叫んでいるのだ。

 それに応えたいと思ってしまうのは、人として間違いであっても、一剣士としては決して間違いではないと思う。

 だからこそ――ニールは前に出る。

 受け続けても、避け続けても先はない。

 それに……お前もつまらないだろう? と獰猛に笑う。

 刃の波濤を全身に浴び、けれど致命傷だけは避けながら踏み込み――一閃。

 血液の飛沫をばら撒きながら放った斬撃は、しかし容易くバックステップで回避されてしまう。

 それを悔しく思うことはない。自分程度の全身全霊では、きっと届かないと理性が囀っていたから。

 だが、これで間合いは開いた。

 それを一対一の高速戦闘が終了したということであり――

 

「行くぞ、ボクに、そして彼に続け――!」


 ――介入するタイミングを伺っていた連合軍の皆が動くキッカケとなった。

 ゲイリーが踏み込みながら剣を振るう。当然のように受け流された先に巨大な灼熱の腕が落ちてくる、カルナの魔法だ。普通の相手ならば必殺となったその魔法だが、しかし闘気を纏わせた刃を飛ばし炎の腕を両断され、崩壊する。


「さすがにこれで仕留めるのは無理か――任せた!」

「言われなくても分かってる! 吹き飛べぇ!」


 炎の残滓が未だ残る大気を、黒鉄の杭が貫いていく。ドワーフたちの射撃だ。

 

「――ふっ」


 孤独オンリーは轟、と刃を薙いだ。瞬間、荒れ狂う風めいた剣圧が発生し鉄杭たちを吹き飛ばしていく。

 その瞬間、瓦礫の中から炸裂音。射出された鉄杭は、真っ直ぐと孤独オンリーの背中を正確へ向かう。瓦礫の中から覗く顔はファルコンのモノだ、身を隠して隙を伺っていたのだろう。

 しかし、己に隙などないと言外に叫ぶように、背後からの奇襲を振り向きながらの斬撃で斬り捨てる。

 だが、それでも微かに体勢が崩れた。ほんの僅かにだが重心が乱れている。


「オオォラァアアアアッ!」


 崩れたバランスが正されるよりも疾く、ブライアンが防御を固めながら突っ込んだ。

 孤独オンリーは当然のように反応し、刃を閃かせる。狙うは首だ。

 鎧を断ち切り、肉を抉る音が響く。ごとり、ごとり、と地面に重いモノが落下する音も、吹き出した血による嫌な臭いも。


「残念だったなぁ! 首には届いちゃいねえぞ!」


 そう、落ちたのは首ではない。

 地面に転がるのはブライアンの両腕だ。腕を交差して突っ込んだブライアンは、両腕を犠牲にして己の質量を孤独オンリーに叩き込む。

 さすがに想定外だったのだろう、微かに驚いた表情を浮かべながら孤独オンリーは吹き飛ばされる。

 

「そうか、腕が落ちても簡単に繋げられる世界だからね。必要ならそのくらいしてくるか」


 吹き飛ばされながら孤独オンリーは得心が行った、と言うように頷く。視線の先にはマリアンが治癒の奇跡でブライアンの腕を繋いでいる姿があった。


「――さて、その状態なら回避も防御も難しいだろう?」


 ボーイッシュなエルフ、ミリアムが静かに呟いた。

 孤独オンリーが地に足を付けるよりも早く、ミリアムたちエルフの矢が殺到する。

 

「難しくはあるが、やれないワケではないよ」


 左手で鞘を握りしめた二刀流のような構えで降り注ぐ矢を撃ち落とす、斬り払う、叩き落とす。

 人間らしい繊細な動きで化け物じみた結果を叩き出した孤独オンリーは着地し――僅かに顔を顰める。

 見れば、彼の両足が氷で地面に繋ぎ止められているのが見えた。


「どれだけ速く動けても、地面に縫い付ければ問題ないわ」


 静かな声でキャロルが呟く。

 恐らく前もって孤独オンリーの着地地点に凍結の魔法を用意していたのだろう。ブライアンが体当たりでこちら側に吹き飛ばしたのも、決して偶然ではあるまい。


「悪いわね。だけど、素早い相手なら動きを止めるのがセオリーだから――アレックス!」

「任された!」


 ニールが戦っている間に治癒して貰ったのだろう、アレックスは両手で剣を握り締めて雷の速度で疾走する。

 その動きはリディアの剣、雷華だ。移動を封じた状態で、一撃で刺し貫くつもりなんだろう。

 逃げ場は無い――これで、決まる。


「ははっ……いや、惜しいな――リディアの剣、石華しゃくか


 孤独オンリーは心底楽しげな笑みを浮かべ、地面に切っ先を突き刺した。

 瞬間、孤独オンリー周辺の地面が花弁の如くめくれ上がる。孤独オンリーも縫い付けられた地面ごと吹き飛んでいるが、その両足を拘束している氷もまた砕かれ、吹き飛んでいる。

 空中で体勢を整え着地しようとする孤独オンリー


餓狼喰がろうぐらい――ッ!」


 その両足が地面に着くよりも早く、ニールが強引に割り込み剣を叩き込む。

 火花と共に甲高い金属音が鳴り響く。ニールの剣と孤独オンリーの剣が食い合うように交えながら、互いに瓦礫を破砕して地面を滑る。

 

「……悪いな、一対一じゃなくてよ」


 速度と体重を載せた苛烈な斬撃で孤独オンリーを力づくで押さえ込みながら、しかしニールは悔しげに呟く。

 叶うならば、一対一で決着をつけてみたいと思った。刃を交えれば交える程に、その想いは強くなるばかりだ。

 自分がもっと強い剣士であったのなら、手を出すなと言えたのだろう。

 だが、現実は複数人で囲んでも未だ致命の一撃を与えられない有様だ。


「いいや、いいや! こんなに沢山の人間がおれを倒すためだけに全力を出してくれているんだ――喜びこそあれ、不快な感情なんてあるはずもない!」


 されど、返ってきた言葉は純粋な歓喜。

 それを聞いて顔を顰める者は多い。貴様はこれだけ無茶苦茶をして、誰かを傷つけて、その上で自分の欲望を優先し笑うのか――と。

 その想いはニールとて理解できる。騎士のように正義や秩序のために戦っているワケではないが、しかし悪逆を尊んでいるワケでもないのだから。


(――ははっ)


 だが、自然と口元に笑みが浮かんでしまうのだ。

 刃と刃がぶつかり合う度に、火花と共に楽しさが花開いていく。

 これほどの剣士と真っ向から戦えるなんて思っていなかった。

 一撃、一撃、その度に目の前の男を倒すべく全力を振り絞り、少しずつ全力を超越していく。

 それは遙かなる高みの空に羽ばたくように――もっともっと、高く高く、空の果てまで飛翔していく感覚だ。

 もっと、もっと、もっと――もっともっと刃を交えていたい、心からそう思える。


「――だから、残念でならない。君はまだ道半ばで、到達点じゃないことが。だから、頼む。ここで逃げてはくれないかな?」


 ゆえに、その言葉にカッとなった。


「ふざけんな――戦うからには全力を出すべきだっつったのはお前だろうが、途中で戦意を失う奴が嫌だって言ったじゃねえか!」


 柄を強く握りしめながら、真っ直ぐに孤独オンリーを睨めつける。

 この剣でお前を倒す、お前に剣を届かせる、いいやこの剣は届くのだと、己の激情を刃と視線に載せて叫ぶ。


「おれは退かねえぞ。お前のためじゃねえ、自分の為にだ! お前ほどの使い手を前にして、尻尾を巻いて逃げるなんて恥知らずな真似なんぞ出来るはずねえだろうが――!」

「……ああ、良いなあ。十年後の君に――いいや、せめて三年後の君に出会いたかったよ」

 

 その言葉が、嬉しそうでありながらも悲しげな声音が、余計にニールを苛立たせる。

 なぜなら、それは既に己の勝利を確信しているがゆえの言葉だったから。

 ニール・グラジオラスはここで敗れるのだと、表情が、声音が、何より雄弁に語っていたから。

 

(まだだ、まだ俺は――!)


 舐めやがって、とは思えなかった。

 実際、舐められて当然の実力差だ。

 そんなことは理解している、自分の身の程くらい分かっている。

 けれど、それを認めたくないから、今の自分を乗り越えたいから一歩踏み出すのだ。

 ゆえに、ニールは全力で剣を振るう。溢れ出た脳内麻薬が疲労も傷の痛みも消してくれている。まだだ、まだ戦える。


「――本当に、残念だ」


 静かに呟き、刀を突き出しながら一歩踏み込んだ。

 刺突か、と対応しようとした瞬間、孤独オンリーの刀はぐにゃりと歪んだ。


(――いや、違う!)


 そのように見えるだけ、そんな妙な確信があった。

 まるで、見慣れている技を見たかのように、相手がどのように動くのか感覚的に理解出来る。

 理解、出来るのだが――動作が速すぎて、技の完成度が高すぎて、ニールの技量では対処出来ない。

 腕と手首の動きによって螺旋を描くように突き出された刀は、イカロスを絡め取るように巻き込んで――ニールの手から強引に滑り落とさせた。カシャン、と地面を転がるイカロス。

 

「螺旋、蛇……!?」


 無手となったニールが呆然とした声音で呟く。

 そうだ、あれは自分の流派の剣術だ。相手の攻撃に合わせて剣を絡め取り、奪い取る、武器奪取のカウンター技。

 それを、孤独オンリーが使ってきた。


「ああ、そういう技名なのか……悪いね、『君の流派の理はもう見抜いた』んだ」


 孤独オンリーは真っ直ぐニールを見つめている。

 その眼差しに、その全てを見通すような黒い瞳に、ニールは凍えるような恐怖を抱いた。

 餓狼喰らいや跳兎斬を真似されても、ニールはここまでの恐怖を抱かなかっただろう。

 なぜなら、それらの技は眼の前の男に見せたから。それを完璧に真似されたとしても、驚きはあれど恐怖は感じない。


 だが――その技は孤独オンリーに見せてすらいない。


 あまり得意な技ではないから、レゾン・デイトル周辺では使う機会は無かったので盗み見ることも不可能だったはず。

 つまり、これは――僅かな時間ニールと戦っただけで、人心獣化流がどういう流派なのか、どういう動きをして、どういう技を使うのか、それら全てを見抜かれたということ。

 

「退かないのであれば、全力で戦い続けるというのなら、おれもまた全力で応えるよ。さらば勇者、さらばニール・グラジオラス、さらば蝋翼。君の翼は、ここで溶け落ちる」


 眼の前の男が剣を構える。

 右肩に剣を担ぐような構え――地面を蹴り飛ばして疾走。

 その動きは、先程の技よりも、ずっとずっと見慣れている技で――



人心獣化流じんしんじゅうかりゅう――餓狼喰がろうぐらい」



 斬撃が迫る。

 一番使い慣れた技が、餓狼喰らいが、ニールのそれよりも冴え渡った動きで放たれる。

 回避は間に合わない。受け止めようにも剣は掌にはなく、受け止めることは叶わない。

 ゆえに――飢えた肉食獣めいた軌道で迫る斬撃がニールの体を食い破るのは当然の帰結だった。

 

「――ぁ」


 刃は左肩から右の腰まで一直線に肉を切り裂き、骨を断ち、臓腑を両断していった。

 一拍遅れて、ニールは落下する。

 ずるり、と何かがズレるような音と共に――視点が下に、下に、下に。

 瞬間、頭上から血液が降り注いだ。

 それは、落下するニールの隣にあるオブジェから吐き出されるモノ。

 二足で立ち、上体を斜めに両断された――ニールの体が、そこにあった。


(――ああ、俺は)


 負けた、完膚なきまでに。

 己の餓狼喰らい(得意技)で、それもより鋭く疾い斬撃で。

 急速に痛みが失せていく体と薄れていく意識の中で、ニールは微かに口元を緩めた。

 ああ、これは――俺じゃあどうしようもないな、と。

 ゆえに、ニールは早々に敗北を、死を受け入れた。剣士として道半ばで死することに悔いはあったが、それ以上に目の前の剣士と戦って死ぬのなら『仕方ない』と思うのだ。

 思考が闇に落ちて行く。意識が溶けていく。

 ニール・グラジオラスという男は、ここで――



「ニ――……ッ、貴、様ァ――ッ!」


  

 ――死ぬ。そう思った矢先に聞こえてきた声に、ニールの意識が引き戻される。

 それは黒衣を纏った銀髪の青年だ。右手に鉄咆てつほうを、左腕にカードを設置した珍妙な盾を装着した男であった。

 彼は地を蹴り駆け出すと、左腕の盾――回路サーキットを起動。孤独オンリーへ向けてデタラメに魔法を放ちながら鉄咆てつほうを撃ち放つ。

 血が頭に回っていない。頭が動かない、彼が誰だったか曖昧だ。

 だがそれでも、それが悪手であることくらい、普段の彼ならそんな真似するはずもないということくらいは分かった。


(馬鹿が、お前が前に出てどうする――!)


 お前は全体を俯瞰しながら、必要に応じて魔法を使わなければ駄目だろう、と。

 親しい男が犯した信じがたいミスに思わず叫ぶが――声にはならず、ごぼ、と血液が口から漏れ出すだけだった。


「第一秘剣――」


 そして、そんなミスを見逃す程、その剣士は甘くなかった。

 闘気を瞬間的に両脚に注ぎ込み――地面に放射状の亀裂を生みながら爆ぜるように跳んだ。

 疾い――先ほど彼がが使った餓狼喰がろうぐらいよりも、ずっとずっと。

 雷の速度で、いいや雷に先手を打って斬り捨てる程の速度で疾走する孤独オンリーに周囲の人間は咄嗟に反応出来なかった。

 狙われている黒衣の男は、顔を歪めながら咄嗟に受け止めようと左手の回路サーキットを向けるが――斬撃は回路サーキットごと彼の腕を斬り落とされた。


「あ、が――ぐ、ぅ……!

「――雷切。駄目だろう、魔法使いが冷静さを失ったら。そこはもうおれの間合いだよ」

「我が望むは……!」


 腕から多量の血液が垂れ流される。元々白い肌が、一気に土気色に染まっていく。

 だが、それでも知った事かと詠唱を行おうとするが――それはただの悪あがきだ。彼自身、理解していることだろう。

 魔法使いが剣士にここまで接近された以上、どれだけ優秀であろうとも、もはや活路など存在しない。


「最期まで諦めないその決意、素晴らしいの一言だ。ゆえに――君の全力におれも全力で応えよう」


 刃が振り下ろされる。

 必死に詠唱する男の元に、情けも容赦もなく。


(糞――ふざけんな……!)


 その状況を見て、ニールはもはや存在しないハラワタは煮えたぎるのを感じた。


 ――なぜ、あんなミスをしやがったんだあいつは、と。

 ――なぜ、このタイミングで俺は動けないのか、と。

 

 四肢の内で唯一繋がっている右腕で辺りを探る。武器は、イカロスはどこだ、さっさと拾って助けに行かねばならないだろう。

 両脚が無い? なら這いずって行けば良い。

 もうすぐ死ぬ? 知ったことか! そんなモノ根性でなんとかしてみせよう。

 支離滅裂な思考の元に、ニールは這いずる、這いずる、這いずる。

 這いずる、けれど。 

 それでも理解はしていた。

 この状況でニールがあの黒衣の男を助けに行ける可能性など皆無である、ということくらい。

 だが、それでも――相棒が死にかかっているのに、冷静でいられるワケがないだろう。

 燃えたぎる熱情が、煮え滾る激情が、死にかけたニールの命をギリギリのところで繋ぎ止める。

 だが、刃は止まらない。止まるはずが、ない。

 振り下ろされた刃は、黒衣の男の首を――



「させない――わよ!」



 ――それを、真正面から受け止める女が居た。

 紺の水夫服にスカートをかけ合わせた奇妙な衣装の上に、更に部分鎧を装着した少女であった。

 孤独オンリーの剣を腕力に任せて受け止めながら、強く強く睨みつける。

 馬鹿女が、と必死に繋ぎ止める意識の中で呟く。


(この状況でお前一人がどうしって、どうにもならねえ。だからとっとと――)


 逃げろ、と。

 心の中でそう叫んでいるニールの周囲が、不意に明るく輝き始めた。

 一瞬、天からお迎えが来たのかと思ったが――すぐさま訪れた耐え難い激痛が否と告げる。


「ぐ、ご、……がっ――なん、だ?」


 口から血反吐を吐き、地面をのたうち――それから数瞬遅れて驚きで目を見開いた。

 なぜなら、失せた痛みが戻っているから。

 先程までまともに喋れなかったというのに、苦痛の声を吐くことが出来る。

 

「大丈夫――痛みは生きている証です。……良かった、間に合って」


 誰かの声――否、頭が回ってきた、これはノーラの声だ。

 ノーラは転移者たちの死体が散らばった場所に座り、右手を輝かせながら祈りを捧げている。

 なんでそんな場所に――そう思って彼女の周辺を見て、ニールは思わず顔を歪めた。

 彼女の手甲から伸びる蔦。それが、転移者たちの死体に巻き付いているのだ。死体に根を張る植物のように見えて不気味で仕方がない。

 そして何より不気味で奇妙なのは、蔦が巻きついた死体たちの体が修復されて行っていることだ。両断された胴はじわじわと繋がり、砕けた腹部の破片が集結しゆっくり元に戻ろうとしている。

 

「転移者は頑丈だもの……! 雑音ノイズだって心臓貫かれてだいぶ生きていたんだから、今倒れてる転移者だって動けなくてもまだ息はある――規格外チートは維持されている!」


 ならば、問題ない。

 ノーラの理不尽を捕食する者デバッギング・ダーリングトニアから伸びる蔦が、致命傷を受けながらも生きている転移者を絡め取り――規格外チートを奪い取り、強力な治癒の奇跡を発動させることが出来る。

  

「なら、ノーラの女神の御手(コード・グロリアス)が使える。あたしの力の充電にだって、力を使える!」


 そう言って、連翹は力づくで孤独オンリーを弾き飛ばした。

 力任せで技術としては拙い動作だったが、しかし転移者とそうでない者の間には圧倒的な力の差がある。

 これが全く戦闘技術を学んでいない転移者であれば、孤独オンリーは即座に反撃が出来たのだろう。

 だが、連翹はまだまだ拙くとも剣を学んだ。体捌きも、相手の動きを見極める観察眼も、また。

 ならば――後は身体能力でゴリ押せば良い。


「即死してないならノーラが全員癒やしてくれる。なら、それまでの間……皆が動けるようになるまで――あたしが相手したげる!」


 剣を構えながら連翹は叫ぶ。

 その声音は相手を威圧するためというよりも、自身を鼓舞するための叫びに聞こえた。震えそうになる声を力任せに押さえつけて真っ直ぐにした、そんな強がりだ。

 だが、それでも逃げる気はないと真っ直ぐに孤独オンリーを睨みつける。

 それに対し、孤独の剣鬼(オンリー・ワン)かつえる獣のように犬歯を晒し、連翹を見返すのであった。


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