224/孤独の剣鬼/1
ニールの視線の端で、雑音語りは焼死した。
最期まで死にたくないと、こんな結末は間違っていると、自分以外の全てを罵りながら。
きっと、当然の末路だったのだろう。
好き勝手に他者を傷つけ、自分にとって都合の良いことしかしてこなかった結果が死という結末だ。
それは理不尽な運命などでは断じて無く、積み重ねた自由の責任を取ることになっただけのこと。少しでも別の行動をしていれば、また別の未来が拓けていたはずなのだ。
だが、雑音語りはそのようなこと欠片も理解せず、ただただ理不尽だと、なぜ自分がこのような目にと、呪いと責任転換の言葉を吐き続けていた。
ゆえに、あの結末は必定。
仮にあそこで生き延びたとしても、どこかで自由に振る舞った積み重ねが跳ね返り、彼の命を奪ったことだろう。
――だが、今はそのようなこと、どうでもいい。
暗躍していた敵を、雑音を撒き散らす子供を排除したという安堵すら、抱く暇すら存在しない。
理由はただ一つ――
「君の憎悪は理解出来る――が、それでも仇討ちはさせてもらうよ」
――静かに、けれど明確な殺意を以て一人の転移者を、先程『クリムゾン・フレア』を使った者の首を斬り落とす男の存在だ。
枯れ草色の着流しに黒い羽織を身に着けた男であった。
僅かに逆立った黒髪をそのままに、僅かに伸びたうしろ髪を包帯で強引に縛っている。
全体的に筋肉質な体つきなのだが、転移者の平均を軽々と上回るその背丈が彼のシルエットを細身に見せていた。
まるで、肉厚な刃だ。
鋭くも頑丈で、人であろうと岩であろうと問答無用で両断する剣呑さをニールは感じた。
――その男の名は無二の剣王、転移者の王だ。
彼は斬り落とした転移者の頭部を踏み砕きながら、周囲を見渡し――にこり、と微笑んだ。
ぞわり、と肌が泡立つのを感じる。
狂犬のような暴力性を見せたのなら、大して怖くはない。
嘲るような笑みを浮かべていたのなら、まだ理解出来る。
だが、無二が浮かべているその笑みは、ただただ楽しそうな、嬉しそうな、祭りを前にした子供のような笑みだったから。
この場に全くそぐわない喜色だったからこそ、酷く恐ろしく感じたのだ。
同じ種族であり、同じ言葉を使っているはずなのに、何を考えているのかまるで理解できない。
「さあ――聞いただろう、転移者たちよ。おれに騙された憐れな犠牲者たちよ」
決して大きくはない、けれど良く通る声であった。
瞬間、憎悪の視線が、殺意の視線が彼の元に集中する。それらはレゾン・デイトルの転移者たちのモノだ。
だが、彼はそれに物怖じすること無く――むしろそれが心地よいのだと言うように微笑むのだ。
「先程、暴露された通りだ。無二の規格外などという力は存在しない。おれのつたない嘘を、君たちが真面目に信じ込んでしまっただけの話だよ、これは」
彼は何一つ言い訳すること無く、連翹の推測が全て真実だと述べる。
これ以上を嘘を吐き通せないから潔く認めた――ワケではないのだろう。
だって、彼は心底楽しそうに笑っているのだから。
騙されていた転移者を嘲笑っているワケではない、
嘘を見破られて自嘲しているワケでもない、
ただただ、楽しくて楽しくて仕方ない――そんな風に笑っている。
「て――めぇええええ!」
「死に晒せ、クソ野郎が!」
「魔法スキルを集中させろ! もう転移者じゃねえんだ、余波でも十分ぶっ殺せる!」
「うるせえ、今からやるところだったんだよ、命令すんな!」
だが、その心から楽しげな雰囲気は、レゾン・デイトルの転移者たちを煽る結果となった。堪忍袋の緒が千切れ飛んだ者たちが特攻し、怒り狂いながらも僅かな冷静さを維持していた者たちは魔法スキルの準備を始める。
転移者たちの殺意は全て無二に集中していく。もはや連合軍など眼中にない。
当然だ。レゾン・デイトルの転移者が連合軍と戦っていたのは功績を上げるため、無二の規格外の秘密を王から賜るためなのだから。
その大前提が崩壊した以上、現地人の集団と戦うことに意味などないのだ。
「ははっ――」
その様を見て――無二は笑みの色を変えた。
楽しげな色はそのままに、しかし口元だけは牙を見せつける肉食獣のように獰猛な形に歪め――一太刀で接近してきた転移者たちを薙ぎ払った。
胴を両断されたことに気づかず、「え?」と間の抜けた声を漏らす転移者に向けて体当たりをしかけ弾き飛ばす。
断面から血を撒き散らしながら弧を描く転移者たちは、魔法スキルを発動しようとしていた転移者たちの視界を遮るように飛来し――
「『クリムゾン・フレア』――なっ、馬鹿野郎こっちに来るなぁああああ!?」
「た、たす――」
――射出寸前のスキルに直撃し、爆炎が吹き荒れた。
直撃を食らった者も、スキルを放った本人も、等しく灼熱で燃やし尽くされる。
その様を見て、転移者たちは時間が停止したかのように硬直した。
何か特別なことをされたワケではない。転移者を一太刀で両断する技量は凄まじいの一言だが、それだけだ。そこらの転移者でも腕力に頼れば似たような真似は出来る。
恐ろしいのは、行動の的確さ。
真っ先に接近してくる相手を潰し、剣で届かない位置にいる者を同士討ちさせることによって処理したその手際。
恐らく一対多という状況に馴れているのだろう。どうすれば現状を切り抜けられるのか、どうすれば勝てるのか、そういった思考が的確かつ迷いがないのだ。
事実、複数の転移者に襲われたというのに、かすり傷すら負っていない。
無二は右手で油断なく刀を構えながら、左手で己の左胸を叩く。
「さあ、おれが許せないというのならここに来い。おれの命を奪いに来い。おれの心臓は今もここで脈動しているぞ。……ああ、死にたくないと命乞いをするのなら見逃してやってもいいけれど――どうする?」
「な――めるんじゃねえよ糞がぁあ!」
無二の挑発から再び戦いの火蓋が――否、虐殺の火蓋が切って落とされた。
『ファスト・エッジ』を発動し一気に間合いを詰めてくる男を剣ごと首を断ち切る。
距離を置いて『ファイアー・ボール』を放とうとする女に向け、斬り落とした首を蹴り飛ばし顔面に叩きつける。斬首された転移者もまだ規格外が有効なのだろうか、鉄の塊を叩きつけたような音と共に顔面が陥没して崩れ落ちていく。
背後から『スウィフト・スラッシュ』を放つ男の攻撃を後手で受け流し、振り向き様に胴を両断する。
吹き出す血液を目眩ましにし遠距離から魔法スキルを放とうとしていた転移者の視線を一瞬遮り、ジグザクに疾走して間合いを詰め、再び魔法スキルを使用する前に喉を刺し貫く。すぐさま剣を引き抜き、噴出する血液を背後に迫っていた転移者の顔面にぶち当てる。狼狽の声を漏らすその転移者の体を掴み、そのまま疾走。身体能力に任せた投石攻撃を防ぐ盾とする。
石やナイフの投擲の盾となりボロ雑巾と化した転移者を投げ捨てながら、無二は雷の速度で疾走。投擲を行っていた転移者たちに近づき、斬り裂く、斬り裂く、斬り捨てる。
「ふ、は――」
微かな返り血で羽織を汚しながら、無二は犬歯を見せつけるように笑う、笑う、笑う。
――もしも、転移者たちが無二の規格外の件で怒り狂っていなければ、その笑みを見て逃げ出していたことだろう。
だって、その笑みには敵意などまるでなかったから。
あるのは喜びのみ。
ただただこの殺戮が楽しくて楽しくて仕方がない、そんな笑みであったから。
「なんだ、これは――?」
その様子を見て、騎士団長たるゲイリーは鎧兜の中から困惑の声音を漏らす。
当然だろう。敵の大将を追い詰めたと思ったら、その大将が喜々として同士討ちを始めたのだ。意味がわからない、道理が通らない、その行動になんの意味があるというのか――と。
「なあ、連合軍の勇士たち。なんでそんな場所で突っ立っているんだ?」
鮮烈な刺突で転移者の左胸を穿ちながら、無二は怪訝そうな声で問うた。
「貴方たちはおれを殺しに来たんだろう? 秩序を乱す獣を誅しに来たのだろう? 無辜の民を虐げる獣を討伐しに来たのだろう? レゾン・デイトルの王の首を取りに来たのだろう?」
そう言って剣を引き抜きながら、ぐるり、と連合軍の皆を一人一人、愛おしそうに見つめた。
その瞳は恋い焦がれる乙女のようで、けれど舌なめずりする獣のようでもあった。
ぞわり、ぞわり、と肌が泡立つのを感じる。
湧き出す感情は恐怖と危機感。
なんの武器も持っていない子供が、凶暴なモンスターの前に出た時のように。
どうあっても自分は目の前の存在には勝てないのだと――本能が警鐘を鳴らしている。
「……ふざけんな!」
弱りかけた心を一喝で黙らせ、無二を、今もなお転移者たちを斬り殺している剣士を睨む。
一瞬だけ、ニールと無二の視線が交わった。
――瞬間、無二は牙を見せつけるように大笑する。
それは、極上の獲物を前にした獣のように。
今すぐにでも襲いかかり、その喉笛を食いちぎりたいと叫んでいるかのような笑み。
無二はその笑みを顔面に貼り付けたまま、周囲に纏わりつく転移者たちを切り払い――
「さあ連合軍の勇士たち。高みの見物なんてしていないで、首を取りに、心臓を穿ちに来るといい。来ないなら――こちらから行かせてもらうよ」
――ニールたちの方へと疾走した。
疾い。最高速度という面では転移者に劣っているように見えるのに、速度の緩急となめらかな動きが感覚を狂わせる。
「――させないさ」
その動きに真っ先に対応出来たのがゲイリーであった。剣の腹を盾にするように構えながら、無二の疾走を妨げる。
瞬間、無二は刺突を放つ。剣を避けて鎧の隙間を穿たんとするそれを、ゲイリーは上体をを僅かに捻って回避。その姿勢のまま、柄頭を脳天に叩き込もうとする。
かぁん、という乾いた音が響く。
無二は素早く引き戻した刀の柄で殴打を受け止めると、衝撃の勢いで背後に跳躍。襲いかかろうとしていた転移者の腹を蹴り飛ばして勢いを殺しながら再度跳躍し、一人、二人、と間合いに踏み込んだ転移者たちの首を刈って行く。
「意味が分からない! 雑音と同じ意見なのは腹立たしいけれど、こんな行為に意味なんてあるはずがない! こんなモノ、自殺と大差ないだろう……!」
回路を可動させ、鉄咆を撃ち放ちながらカルナが罵るように叫んだ。
射手としては三流のカルナの射撃だが、運良く無二の背中に向かい――けれど、振り向きもせずに切り払われる。ちい、と忌々しげな舌打ちが響く。
「どんな思惑があるのか知らないけど、こんな無茶苦茶していたら叶う前に死ぬだろう……ッ! 気が狂っているのか君は!」
――そうだ、カルナの言葉は道理だ。
確かに無二の剣王は強い。
強いが、『ただ強いだけ』なのだ。
転移者の化物じみた身体能力は既に失われているし、他に特別な能力を得ているようにも見えない。ただただ単純に強い剣士なのだ。
ゆえに、剣で切り裂かれたら血が出るし、戦い続けていたら疲弊する――深手を負えば動きが鈍るし、致命傷を受ければ先程の雑音のように足掻くことすら出来ず死ぬ。
――無二は無傷で戦っている? 僅かなダメージも受けていない? だから圧倒的に有利?
違う。
鎧も纏わず、神官の仲間も居ない以上、無傷で勝ち続けなければ勝算が薄くなる。僅かなダメージであれど蓄積すれば死ぬし、無意識に傷を庇えばそこが隙となるのだから。
ゆえに、無二の剣王が現状を切り抜けるには、ほとんど無傷の状態でレゾン・デイトルの転移者と連合軍たちの過半数を倒すしかない。
――馬鹿げている。
こんなモノは無茶無謀の類だ。
確かに勝利の可能性はあるのだろうが、それはただ有るだけ。コイントスを百回行って百回とも表だったら勝てる、などという妄言に等しい。
「転移者も現地人も全て敵に回して、勝利して――こんなモノ、大前提から破綻している! 頭が悪いにも程があるだろう……ッ!」
「気が狂ってるとか、頭が悪いとか……うん、その言葉を否定することは出来ないけれど――でも、それ以外は否と言わせて貰うよ。おれの願いは、既に叶っているんだ」
照れたような笑みを浮かべ、背後から泣き叫びながら襲い来る転移者の喉笛を演舞めいた綺麗な動作でかっさばきながら――
「だって、ほら――――君たちはおれに敵意を抱き、斃そうとしてくれているだろう?」
――そんな、意味の分からないことを口にした。
「なにを――」
「現地人の善人も悪人も、転生者の善人も悪人も、誰もがおれを憎んで本気で殺しに来てくれる――おれと本気で戦ってくれる」
意味が分からない、そう言いたげなカルナの言葉を遮って無二は語る――心から楽しげに。
「知っているかな? 最初に騎士が転移者に破れた辺りで、ゴロツキ紛いの傭兵や、西部周辺を拠点としている大規模な盗賊団がレゾン・デイトルに襲いかかってきたんだ。当然だ。転移者が徒党を組んで暴れまわったら、無辜の誰かを虐げたら――同じように誰かを虐げて利益を得ている者の敵になる。小悪党ならおれの機嫌を伺いに来るけれど、プライドの高い邪悪は転移者なんていう力だけの連中に従うことを良しとしない」
ゆえに戦い、ゆえに殺した。
自分のシマを荒らす新参者を殺すべく集った悪党どもを、斬って、斬って斬って斬って、斬って斬って斬って斬って斬り尽くした。
「良い戦いだった。自分たちのボスの命令を遂行すべく、全身全霊でおれの首を取りに来てくれた。だから、その全力に応えた。……逆に、おれにおもねるような小物に要はない。適当に美味い汁を吸わせて、適当に悪事を行わせたよ――それが積み重なれば正義の強者が来てくれるからね」
楽しげな笑みに、微かに罪悪感の色が浮かび上がる。
悪いことをしている自覚はあるのだろう、自分を正当化する気もないのだろう。
だが、それでも。
それでも、立ち止まる気はないということは、楽しそうに、嬉しそうに、そして獰猛な獣めいた形に歪む口元を見れば理解出来る。
「まさ、か――」
かちり、と頭の中でパズルのピースがハマる音がした。
彼の言動、磨き抜かれた技の冴え、そして現状を心から楽しんでいる笑み。
それらが、ニールの脳内で一つの答えを導き出した。
突飛ではあるが――それでも、微かに共感する部分があったから。
「お前――全力で斬り合う相手が欲しいから、ありとあらゆる強者と戦いたかったから、レゾン・デイトルの王をやってやがったのか?」
試合などではなく、命を賭した殺し合いで。
己の剣がどこまで通じるのか、己の剣に喰らいついてくる人間がどれだけ存在するのか、それを知りたいから。
――だから、大陸に生きる者の敵となった。
別世界から現れた対話不能の外敵として、かつて存在したという魔王の如く。
そうだ、だってそうすれば――善人も悪人も、全て本気で無二という男を排除しようとする、してくれる。
秩序、正義、利益、プライド、もしくは成り上がるため――全力で、全霊で、命を賭して!
「いいや、少し違う――九割くらい当たっているけどね。正直に言うと強い弱いは関係ないんだ、もちろん強者の方が好みではあるけどさ。おれはただただ、途中で勝負を諦めて命乞いをしたり、交渉し始めたり――そんな、そんな冷める真似が出来ないようにしたかった、それだけなんだ」
そう言って、彼は微かに苛立ったように声音を荒げた。
「だってそうだろう? 勝負っていうのは、互いに全力を出し切るから楽しいんだ、最後までやりきるからこそ燃え上がるんだ! ……だっていうのに、途中でゲーム板をひっくり返して、『負けましたー』、なんて……腹立たしいだろう! 許せないだろう! 認められるはずがないだろう……! 戦うために磨いた技術じゃないのか、全力で戦うために鍛え上げてきたんじゃないのか、だっていうのに、どうしてそれを途中で放り出したりするんだ……!」
「まさ――か、あの時、チェス盤をひっくり返したのって……!?」
ノーラが蒼白な顔で叫ぶ。
「そうさ。実際、ああいうのは腹が立つだろう? 真剣にやっていたなら尚更だ――元の世界では、ああいうのを何度もやられたよ。怒りと失望でどうにかなりそうだった」
だから、彼は王となった。
倒すべく邪悪になるべく、討ち滅ぼすべき害悪となるべく。
だって――巨大な悪に立ち向かう英雄が、まさか途中で命乞いなどしないだろう? と。
命を失うその瞬間まで、勝利を諦めず立ち向かってくれるはずだろう? と。
最後まで、競い合ってくれるだろう? と。
「ナルシスを攻め落とし、レゾン・デイトルを建国してからは楽しいが沢山あったよ。
なんとしてでもおれを押し止めようとする悲壮な覚悟を抱く兵士が居た、
逃げ惑う町人を守るために現れた正義感に溢れる冒険者たちが居た、
子を守らうとする立派な父親が居た、
妹を守ろうとする勇気ある男の子が居た、
息子夫婦を逃がそうとおれに立ち向かった儚げな老婆が居た、
ボスの命令を愚直に遂行する寡黙な暗殺者が居た、
自分こそが最強だと襲いかかる転移者たちが居た、
少しでも勝率を上げるため仲間が逃げる時間を稼ごうと必死だった領主が居た、
全員、全員、不退転の覚悟で向かってきてくれた。眩しい命の輝きを見せてくれた。
ゆえに、彼らは皆おれの宿敵だ。戦うに値する、殺すに値する存在だ。
ゆえに、おれも全力で応えた。
――全力で味わい、全力で殺した。
強いも弱いもない。
どれもこれも素晴らしい戦いだった、皆、散り行くまでの間に魂を黄金の如く輝かせていたよ。
一人たりとも忘れてはいない、忘れられるはずもない。
全てがおれの宝だ」
そう言って、無二は愛おしそうに刀の腹を撫でた。
今まで戦った相手を想起するように、斬り殺した瞬間を思い返すように。
「――領、主?」
ゲイリーの鎧兜の中から掠れた声が漏れ出した。
「――まさか、貴様――!?」
「ああ、全力を味わい、全力で殺したよ。他人の本気には本気で応える、コミュニケーションの基本だろう?」
そう言って――無二はゲイリーを真っ直ぐ見つめて、微笑んだ。
楽しそうに、嬉しそうに――お前の友人を殺したことは自分にとって最高の楽しみだと告げるように!
「彼は素晴らしかった。心構えも、技も、何かも申し分がなかった。唯一の不満は、戦いにブランクがあったことか。全盛期の彼であれば、もっと楽しめたと思うと悲しいよ――本当に、もったいない」
瞬間、ゲイリーは雷光と化した。
リディアの剣、雷華だ。巨漢からは想像出来ない高速を越えた神速で間合いを詰めると、無二の心臓へと剣を突き出す。
だが、雷鳴の如く澄んだ金属音と共に刺突は受け流された。
しかしそんなことは予測していたのか、右手を柄から手放し、そのまま殴り掛かる。
「お、っと」
上体を大きく逸し、そのままバク転するように距離を取る。
が、すぐさまゲイリーは間合い詰めて斬撃を放った。ぐらり、と無二の体勢が僅かに崩れる。
(規格外がねえ分、体格と腕力は見た目相応ってワケか)
無二もかなりガタイも良く体も鍛え上げられているが――ゲイリーの方が彼よりも一回り大きい。単純な力勝負であれば、ゲイリーの方が勝っているようだった。
そこを勝機と見たのか、ゲイリーはフェイントを交えつつも荒々しい斬撃を放っていく。
力任せなだけの斬撃ならば簡単に対処できたのだろうが、ゲイリーは相手の動きを先読みしながら的確に回避しづらい位置に斬撃を『置いて』行く。無二もまた、それを的確に回避や受け流しを駆使して猛攻を凌ぐ。
「おおおおっ!」
だが、怒りからから勝利を焦ったのか、ゲイリーが力任せに叩き潰すような斬撃を放つ。
けれど、それは悪手だ。
感情に引っ張られた渾身の一撃。その動きは単調で、簡単に回避されてしまう。
剣は空を斬り、無二は悠々とカウンターを――
(いや――違ぇ!?)
感情のままに振るった力任せの一撃――そう見えた斬撃の軌道が変わる。
強風で流される花びらの如く、荒々しくも滑らかな動きで刺突へと変わり無二の左胸へと突き進む。
即座にカウンターを中止して上体を逸らす無二だが――僅かに遅い。刃は衣服を切り裂き、胸板を僅かに掠っていく。じわり、と傷口から微かに血が滲んだ。
無二は、目を見開いた己の左胸を――傷口を見つめる。
流血する程ではない、血が滲む程度の傷。彼はそれを愛おしそうに撫でて――
「――ははっ!」
――想い人から贈り物を貰った少女のように、嬉しそうに微笑むのだ。
「凄いな、凄いなぁ、自分の怒りも利用したのか! 風華って技があるって知っていたのに、綺麗に騙されてしまった! 感情を律し損ねたんだと思い込んだ! 規格外を失ってからは初めてだよ、おれに傷をつけた剣士は!」
ちい、とゲイリーは苛立たしげに舌打ちをする。
可能ならあれで仕留めて置きたかったのだろう。出来ずとも、動きを鈍らせる程度のダメージを与えるつもりだったのだろう。
だが、結果は僅かなかすり傷のみだ。
(転移者なら、『自分が傷つけられた』って時点で動きが鈍りそうなもんだが――)
今までの転移者であれば、あの程度の傷でも勝機になり得た。
スキルの攻撃力と規格外による防御力。それらが合わされば、戦闘の素人だというのに圧倒的勝利を得られ、結果ダメージを食らうという経験を積めなくなる――そんな者たちだから、僅かなダメージでも精神的なダメージを期待することが出来たのだ。
だが、無二にそのような精神的脆弱さは皆無。
彼を倒すのなら、小さくとも多くのダメージを与えるか、一撃で致命傷を与えるかの二択だ。
「ああ、貴方に出会えて良かった! 貴方にこうも憎まれ、殺意を向けられて良かった――クレイス・ナルシス・バーベナという男を殺して良かった!」
「黙れ、この薄汚い獣が……!」
「そうとも! このようなあり方、剣王であるはずがない。誰かを纏め、導く者などではありえない! いいや、いいや! そもそも、こんな行為、人が成すべきことではないだろう!」
こんな行為、認められるはずがない、認められて良いはずがない。
無二が行っていることに正義など欠片も無く、有るのは命を賭け真剣に斬り合いたいという願いのみ。
「ゆえに、おれは剣の王どころか人ですらない。欲望のままに他者を傷つける薄汚れた一匹の剣鬼だ。我欲で剣をふるい続ける者、孤独の剣鬼だ!」
自分は人でなしであり、斃されるべき悪鬼であると。
彼は自分をそう思っているし、他人からもそう思われたい。
なぜなら――邪悪な鬼に交渉をする馬鹿など、存在しないのだから。
一度戦いが始まれば自分が勝つか相手が勝つかの二者択一。剣士の戦いとはそうあるべきだろう? と。
「――さあ、誰でも良い! この悪鬼を許せぬというのなら、全力で向かって来ると良い! おれは誰も拒まない! 本気でおれを殺すというのであれば、騎士も赤子も等しくおれの宿敵だ!」
無二の剣王は――否、孤独の剣鬼は高らかに叫んだ。
飢える衝動のまま、牙を見せつけて。




