223/雑音の潰走/2
「これでも、おれにとっては恩義のある友人でね――殺させるワケにはいかないのさ。さて、無事かい雑音?」
そう言って、着流しを纏った剣士は優しげに微笑んだ。
その姿を見てアレックスは、雑音を追っていた三人の現地人は一様に驚愕の表情を浮かべる。
なぜ今、この場所にこの男が居るのか。
なぜ今、このような男を助けているのか。
「無二ぃぃいぃいいいい!」
時代錯誤な侍めいた男に――無二の剣王に縋り付く。
「もう駄目だ、もう無理だ、このままじゃぼくらは破滅だ! 早く、早く規格外の、無二の規格外の秘密を! じゃないと、だめなんだ、このままじゃあぼくが――皆が死んでしまう!」
悲痛な声で叫びながらも、雑音の内心は歓喜で彩られていた。
(やった――さすがぼくだ! 最後の最後で思い通りの展開になったじゃあないか!)
レゾン・デイトルの幹部はもはや雑音だけであり、なぜだか魔法が使えるようになった連合軍はハピメアに冒された転移者たちを屠殺していることだろう。
その上、安全地帯である町中にまで連合軍どもが紛れ込んでいる始末。圧倒的危機だ、チェックメイト寸前の状況だ。
だが、目の前の男にはそれを覆す手段がある。
転移者の力を永遠にする技法が、無二の規格外が! それを規格外をロストしたモノたちにばら撒けば兵隊が一気に増える――この状況をひっくり返せる。
(そうだ――そう考えるはずだ!)
無論、そのような逆転劇など幻想だ。
転移者が無二に従っているのは、無二の規格外を得て自由に生きるため。
目的の力を得たら、誰もこんな男に従いはしない。皆、一斉にレゾン・デイトルから脱出することだろう。
雑音はただ、その連中を盾にしながら適当な村に潜伏すれば良い。
「……雑音、君の期待に応えられないのは申し訳なく思う。だが、何度も言っている通り――そんなモノはない、ないんだよ」
「ふっ――ふざけるな、この状況が見えてないのか君はぁ!?」
雑音の怒鳴り声を掻き消すように、街門前広場から轟音が鳴り響いた。
ひっ、と引きつった悲鳴を漏らしながら音がした方に視線を向ける。ガシャン、という音共にひしゃげた金属製の扉が地面に叩きつけられた。
扉を失った街門の先に、一人の男が立っている。
先程の兵士よりもなお体の大きな騎士だ。身に纏う甲冑は他の騎士たちよりも豪奢な意匠が施され、同じ装飾の兜で頭部を完全に覆っていた。
顔は見えないが、しかし知っている。雑音はその男を知っている。
彼は長剣を天に掲げるように突き出し、高らかに叫んだ。
「――聞こえるだろうか、虐げられた人々よ!
そして、聞こえているのだろう? 暴虐の限りを尽くす獣どもよ!
ここに宣言しよう――レゾン・デイトルは今日この日に消滅すると。我々がそれを成すと!」
騎士団長、ゲイリー・Q・サザン。現地人最強と謳われる騎士の中の頂点だ。
その背後には多くの騎士が、兵士が、冒険者がずらりと並んでいる。門を守っていた転移者など、もうどこにも存在しない。
ゲイリーが、騎士たちが、兵士たちが、冒険者たちが、整然とした足音でレゾン・デイトルに侵入する。外壁上で様子を伺っていたらしいニールたちが崩落を残して街門前広場に降り立ち、皆と合流しているのが見える。
数多くの足音が響く。
それは敗北の足音だ。死神の行軍だ。
「わ、分かった――ぼくが裏切ると思っているんだろう!? 大丈夫だ、この期に及んで君を切り捨てたりしないさ! 二人でこの窮地を脱しよう! だから頼む、頼むよぉ、友達だろ、助けてくれよぉ……」
もはや形振りなど構ってはいられなかった。
いくらでも土下座をしよう、今なら靴だって舐めてみせよう。
だからお願い、お願いします、助けてください、とプライドを全て火に焚べて頼み込む。
だというのに、無二は困った顔で黙り込むのみ。
(なんでだよ、なんでそんな無駄な時間を使うんだ。この救いがたい無能が!)
急がねば死ぬ、死んでしまう。
怒りと失血で目眩がする。瓦礫を突っ込んだ胸部から溢れる血は、断裂した両腕の断面からこぼれ落ちる赤色は、その勢いを徐々に緩めていっていた。このままでは、殺されずとも死んでしまう。
だというのに、無二に焦る様子は欠片もなかった。
いいや――むしろ喜々とした表情でこちらに歩み寄ってくるゲイリーを眺めている。
「問おう。君がこの国の王で相違ないか?」
そして、叫ばずとも声が届く距離になって――ゲイリーが問いかけた。
厳しくありながら、しかし水鏡のように澄んだ声音だ。
理性的であり、理知的な響き。だが、だからこそ雑音は恐ろしかった。
なぜなら、その声音が鞘に収められた剣のように感じたから。
ほんの些細な言動で剣呑な刃が鞘走り、己の首を斬り落とす――そんな未来を幻視したからだ。
「そうだよ、初めましてアルストロメリアの騎士団の団長さん。おれが無二の剣王を名乗る者だ。おれが、この国の王だ」
だが、無二はそんな恐怖など感じていないかのように笑みを浮かべた。
「一応、告げておく……降伏したまえ。今ならば法の裁きを下すまでの安全は保証しよう」
静かな会話の最中、騎士たちが無二と雑音を取り囲むように動き始める。
スキルを発声しようものなら、一人一人が全力で妨害してくるに違いない。
ゆえに、この場を脱するには規格外による身体能力しか方法がないが――そんなこと、相手とて理解しているはずだ。
(だ、だから――ここは、上辺だけ従うフリをして脱出の機会を伺うのが最良……)
治癒の奇跡で両腕を生やし、心臓を修復すれば現地人程度から逃げることなどたやすい。
ならば、今この瞬間だけは現地人に媚びてやろう――そう思って愛想笑いを浮かべるより先に、無二は刀の切っ先をゲイリーに向けた。
「冷めることを言わないでくれ。そもそも、そんな言葉に『はい、分かりました』と頷くような人間だったら、こんな場所で王などやっていないさ」
――馬鹿が!
馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、この男はどこまで愚かなのか。
たった二人の状況で囲まれてしまった以上、もう自分たちに勝ち筋はない。転移者と戦い慣れていない現地人なら余裕で惨殺出来るが、戦い慣れた連合軍相手ではもう無理だ。
包囲を突破するために魔法スキルを使ったとしても、スキル使用後の硬直時間を狩られて終わり。何十人かは道連れに出来るだろうが、それだけだ。
(い、いや――違う!)
挙動不審な様子で辺りを見渡しながら考えていた雑音だったが、建造物からこちらを見下ろす者たちを見て納得した。
そこに居たのは転移者とロストたちだ。窓からこちらを――無二の様子をじっと伺っている。
彼らは戦いに赴くことなく、レゾン・デイトル内で待っていたのだ。
無二が追い詰められるのを、無二の規格外の秘密を喋るその時を!
(秘密を聞いた瞬間、無二の規格外を有効にしてここから逃げ出すつもりなんだろうが――浅い浅い、考えが浅いなぁ!)
そんな連中を、正義ぶった連合軍が見逃せるはずがない。
力を取り戻して全力で撤退する彼らを倒すため、連合軍は戦力を分散せざるを得なくなるのだ。
そうして僅かに緩んだ包囲網を、最強の転移者である無二の剣王が突破する。中々脳筋気味だが、無二の実力ならば不可能ではあるまい。仮に不可能だったとしても、その時は無二を囮にして自分だけが逃げればいいだけだ。
(ああ――そうだ、どう転んでもぼくは困らないじゃないか!)
やはり自分はこのような場所で死ぬような凡夫ではないのだ。天が生きよと命じているのだ!
「ねえ、無二。一つ聞いてもいいかしら」
己の勝利を確信する雑音に目を向けることなく、連翹が一歩前に出た。
瞳に映るのは無二の剣王のみ。その他の転移者など、なんの脅威でもないとでも言っているようだ。
馬鹿め、と口元を歪める。
今、この場を真に支配しているのは雑音語りだ。無二の剣王を追い詰め、無二の規格外の秘密を暴露させる下準備をした自分なのだ。
だというのに、最強などという分かりやすい称号を前に、真の脅威に気づかずに居る。しょせんは女だ、愚かしい、と雑音は心の中で勝ち誇っていた。
「ああ、無事に仲間と合流できたようだね……それで? その質問は今この瞬間にしなくちゃならないことなのかな?」
ええ、と小さく頷いて。
連翹は無二を真っ直ぐ見据え――
「貴方――なんでまだ規格外があるフリしてまで王様ごっこなんてしてるの?」
――そんな、ワケの分からないことを問うた。
「――連翹?」
傍らに立つニール・グラジオラスが怪訝な声を漏らす。他の多くの人間もまた、ニールと同じように意味がわからないと言いたげな表情を浮かべている。
違うのは、黒衣の魔法使いカルナと、ゲイリーやアレックスといった一部の騎士のみ。
困惑と理解が入り乱れる混沌とした状況で、カルナは顔を歪め、己の間抜けさに苛立つように声を荒げた。
「……そうか、そうか! 考えてみればそちらの方が自然だ! なぜ一人だけ特別な力を持っているのかとは考えていたけれど、前提から全く違ったのか! ああ、糞、こんなの普通に考えれば分かったはずなのに……!」
――何を言っているのだろう。
一体、何を理解したというのか。
(だって、こんなの――あの女が意味の分からない馬鹿なことを言っただけじゃないか)
転移者のフリをして王様をやっている?
一体どんな思考回路から生まれ出た妄想なのだろうか。
そもそも無二はスキルを使えるのだ。彼女の言葉は、その時点で破綻している。
規格外の身体能力とスキル、それが転移者に与えられた規格外なのだ。転移者を圧倒出来る戦闘能力があり、スキルを自在に扱える以上、無二が転移者であるという事実は揺るがない。
全く以て愚かなな妄想だ。馬鹿馬鹿しすぎて嘲笑の笑みすら浮かんでしまう。
「……そう思った理由を聞いてもいいかな?」
そう言って、無二は笑みを浮かべた。
雑音が浮かべたような嘲笑では断じて無い、胸から溢れ出した喜びによって自然と笑みを浮かべた――そんな、心底楽しそうな笑みだ。
――ああ、やっと理解する人間が出てきたのか、と。
――答え合わせをしてあげるから喋ってごらん、と。
そんな風に、まるで彼女の言葉に真実があるとでも言うように。
「だって、雑音があたし程度の技をスキルと見間違えていたもの。ファスト・エッジを必死に真似て、上手く行かなかったから更に別の技を混ぜて、バランスを崩しながら放った斬撃を見て、無二の規格外だなんて言ったのよ」
分からない、分からない、分からない。
何を言っているのだろうか、この女は。
だって、使っていたではないか。自分に向けてスキルを放っていたではないか!
(だっていうのに――なんで、こんな、馬鹿馬鹿しい、虚言を)
笑い飛ばそうとして、しかしなぜだか喉が引き攣って声にならない。
それは、怯え、狼狽えるように。
自分を形作る大前提――それが土台から崩れ落ちようとしている、そんな恐れが膨れ上がっていく。
「あたしですらこうなんだもの。あたしなんかよりずっと凄くて強い剣士なら、もっともっと沢山の人を騙すなんて余裕じゃない? 何より『転移者の王』っていう先入観だってあるんだから」
なぜなら、転移者は――それも、規格外に縋り続ける者たちが、一から技術を磨くはずもない。
いいや、もしかしたら居たのかもしれない。何百人の内、数名くらいレゾン・デイトルの中にもそういう人間はいた可能性はある。
けれど、そのような者はとっくの昔に無二に戦いを挑み、死に絶えているのだろう。あるいは、彼が既に転移者ではないと声高に叫び、誰からも信用されなかった者も居たのかもしれない。
どちらにしろ彼の秘密は広まらず、ただその強さだけが広まった。
即ち――最強の転移者、無二の剣王という存在が。
転移者たちは自分たちよりも圧倒的に強い存在を、無二の規格外があるから特別なのだと思い込んだ。
そして連合軍の皆もまた、そんな状況を見てまさか無二が転移者ではないなどと思うことは無かった。
実力に裏付けされた勘違いが、転移者を圧倒する転移者という幻想を生んだのだ。
「は、はは、何を、なに、を、言っているんだ。そんな、そんな馬鹿な、馬鹿なこと、が――規格外が無いのに、転移者たちの襲撃を、退けられる、はずが、はずが……」
雑音が必死に絞り出した否定の言葉は、しかし途切れ途切れの囁き声にしかなれなかった。
胸の恐怖が肥大化して、上手く声も出せなければ思考も纏まらない。
恐る恐る、と無二の顔を見上げる。
この言葉を否定出来るのは唯一彼のみだ。一発だけで良い、スキルを放ってみせればあの女の妄想など粉砕出来る。
「ははっ」
無二は、心底楽しげに笑みを浮かべた。
「驚いた。まさかおれが明かす前に暴露されるとは思ってなかったよ」
「あ……っ! なっ……!? ぁ、ぁ、あ、あ、あ……!?」
――雑音の目の前が、思考が、全て全て真っ白に染め上げられた。
「やっぱり転移者でありながら剣を学んだ人間だから気づけたのかな? 実のところ、現地人も転移者も、黒髪の日本人が強ければ違和感を脳内補完してしまうらしくてね。『あの動きは特殊なスキル』だとか、『この動作はスキルを利用したモノである』とか、違和感を抱きつつも『無二の剣王はそういう転移者なんだ』って思い込んでしまうんだ」
おかげで、嘘が苦手なおれでも騙し通せたんだよ、と。
授業中にノートの端に描いていたイタズラ書きが先生に見つかった、そんな程度の罪悪感を表情に浮かべて口元に笑みを浮かべる。
(あ、あ、あ――それは、つまり……)
心が軋む音がした。
体以上に精神がズタズタに引き裂かれ、耐え難い痛みを発し続ける。
騙されていた。
最初からずっとずっと、この雑音語りは――存在もしないモノを求めて奔走していたのだ。
そう理解した瞬間、堪忍袋は一瞬でちぎれ、ハラワタは瞬時に煮えたぎる。
「だまっ、だまし、騙したな、騙したんだなこの詐欺師がぁあああ――! よくも、よくも! よくもぉおおおお!」
「いいや、確かにわざわざスキル名を発声するなんてことはしていたが……君の前で、友の前で嘘を吐いたことなどなかったよ」
「この期に及んで誤魔化すなよ糞虫がぁ! ぼくは何度だってお前に力の秘密を問いかけていたじゃないか!」
ここまで追い詰められていながら、なんて図々しいのか。往生際が悪いにも程が有るだろう。
とっとと騙してごめんなさいと土下座して謝罪するのが筋だろうに、どうしてそんなことも理解出来ないのだろうかこの低能は。
「少なくとも君にだけは嘘なんて吐いていないよ。だっておれはいつも、こう言っていただろう?」
憎悪を込めて睨んでいるというのに、無二は優しく微笑み返すのみ。
友情ごっこをしていた時のような、友達に向けるような振る舞いで――
「――『秘密なんて無い、無いんだ。おれはおれだから強くて、だからこそここに居る』……ってさ」
――彼は、そんな、ことを、何度も、言っていた、ような。
ああ、そうだ――何度も、何度も何度も何度も。
雑音が無二の規格外について聞く度に、彼はそう言っていたのだ。
「あ、あ、ああ、――ああああああああああああ!」
びきり、と。
全身に亀裂が走ったようだった。
だって、気付いてしまったから。
彼は最初から一貫して、雑音に対して無二の規格外など存在しないと、自分が強いのは単純に強いだけだと言っていた。そう、何度も。何度も何度も何度も何度も。
だが、雑音はそれを聞き流した。
――ああ、なんて底の浅い嘘なのだろう、と。
――レゾン・デイトルの王として君臨するためひた隠しにしているのだろう、と。
――そもそも、鍛えた程度で転移者に勝てるはずないだろう白痴が、と。
――何より、『自分が彼と同じ立場だったら、絶対に喋らない』と。
そう、思っていたから。
だから、ずっと、ずっとずっとずっと、嘘を吐いていると、誤魔化していると、思い、込んで。
「友人に嘘は吐きたくなかったから本心を話していたんだけど……君は一度だって信じてくれなかった」
――ああ、つまり。
つまり、雑音語りは。
最初の一歩を盛大に誤った、ただの道化。
勝手に深読みしただけの、愚か者なのだ。
「ふっ、ふざけるなぁああああ! なんで、なんでぼくがあんな無駄な時間を過ごしたと、お前なんかと友達ごっこをやってやったと思っているんだ! この薄汚い塵屑がぁああああ!」
いいや、違う、違う、違う!
そんなことは認められない、認められるはずがない!
そもそも、深読みした自分が納得する説明をしていないこの男が悪いのだ。
(そうだ、違う。違う違う違う違う違う! 違うぅうぅうううううううう――!)
気が狂いそうな怒りと恐怖と悲しさと無力感に、雑音は駄々をこねるように首を左右に振り続ける。
だって雑音語りは、自分は、そんな無能ではないのだから。
無能は無二であり、他の転移者であり、連合軍どもだ。惨めで憐れなのはそいつらだ、そうに決まっているし、そうでなければならないのだ。
「……そう、か。良く思われていないだろうとは思っていたけど、言葉にされるのは辛いものがあるな」
だというのに、憐れで惨めなはずの無二は悲しげに小さくうつむくのみ。
なぜだ、なぜこの男が被害者面をしているのか。一番の被害者は自分であり、救われるのは自分であるべきだろうに。
「意味が分からない! 道理が通らない! 全部全部滅茶苦茶だ! お前はなんでこんなことをするんだよぉ――!?」
そう、雑音には無二が何を考えているのか欠片も理解できなかった。
規格外が無くても強い――認めたくはないが理解は出来る。
転移者のフリをして転移者の王として君臨した――なるほど、これも理解出来る。
だが、自分の秘密を喋る女を口封じもせず、自分が既に転移者ではないと暴かれてなお笑みを浮かべる理由――そんなモノ、欠片も理解出来ない。
(だって、こんなの全てを敵に回すだけの悪手だ! 連合軍どころじゃない、生き残ったレゾン・デイトルの転移者が全て敵に回るぞ……!)
ずっと無二の規格外で転移者たちをまとめ上げてきたのだ。
それさえあれば無限に規格外を使えるようになるぞ、と。馬の前に人参を吊るすように。
それが、今更そんなモノは存在しないと知られたら――憎悪を抱かれぬはずがない、敵意を抱かれぬはずがない、殺意を抱かれぬはずがない。
レゾン・デイトルの転移者は、もはや連合軍など見向きもせずに無二の剣王を殺そうとするだろう。
ゆえに、理解が不能なのだ。この詐欺師がどのような思惑で動いているのかは分からないが、しかしこんなタイミングで暴露されたら集中攻撃に遭って死ぬだけではないか。
「雑音……」
理解不能、理解不能、理解不能、答えの出ぬ思考に埋没する雑音の肩に、無二はそっと掌を置いた。
――それが、どうしようもなく不愉快で。
雑音は体を大きく揺すって掌を剥がすと、心から無限に溢れ出る憎悪に従って叫んだ。
「触るなぁ! なに今更友達面してべたべたくっついてるんだよぉ! お前みたいな詐欺師と一緒に居るくらいなら死んだほうがマシだ、とっととどっかに消え失せろ塵屑がぁ――!」
「そうか、死んだ方がマシ、か……そこまで言われてしまうか」
そう言って、無二は寂しげに微笑んだ。
「なら、無理強い出来ないな。さようなら、雑音語り。君はおれを憎んでいるのかもしれないけれど、おれは君を心から恩義有る友人だと思っていたよ」
そんな、意味の分からないことを言った後、無二は跳躍した。
それは、何かを回避するような動作だ。
「……え?」
意味が分からず辺りを見渡すと、連合軍たちも雑音から――いいや、先程まで無二が居た場所から距離を取り始めていた。
彼らの視線は、雑音の上に向けられている。
そこに有るのは二階建ての建造物だ。何の変哲もない家屋だ。警戒するに値しない。
――二階の窓から、憎悪に染まった瞳でこちらを見下ろす転移者の姿が見えてなければ。
あ――と、小さく声を漏らした。
ああ、そうだ――先程から転移者がこちらの様子を伺っていたではないか。
無二の剣王が追い詰められ、無二の規格外の秘密を晒すのを心待ちにしていた集団が。
そして、その集団が先程の話を聞いていたとしたら――
「『クリムゾン・フレア』! はははっ、吹き飛べ! この腐れ詐欺師がぁ――!」
――答えなど、一つしかない。
無二の跳躍から数テンポ遅れて、灼熱が解き放たれる。
ほんの少し前まで無二が居た場所へ、真っ直ぐ、真っ直ぐ。
(ま、まずい、まずいまずいまずいまずいまずい!)
『クリムゾン・フレア』の直撃など喰らえば、たとえ万全な状態だったとしても消し飛んでしまう。
だというのに今、雑音は満身創痍。直撃どころか余波の爆風と熱波にすら耐えられない!
無二と連合軍たちからだいぶ遅れて、雑音は駆け出し――しかし、すぐに力を失って倒れ込む。
当然だ。規格外が無ければとっくの昔に死んでいる傷と失血を放置していた以上、体はとっくの昔に限界だ。走ることどころか、歩くことすらままならない。
「た、助――」
けて、と。
伝えるべき相手の居ない言葉を言い終える間もなく、灼熱が地面を抉る。
爆炎が、雑音の世界を覆い尽くした。
「ぁ――ああああああああ!? 熱い、熱いよぉ! ああああああああああああ!」
悲鳴はただ一人、雑音のモノだけ。
回避できる余力も無く、差し伸べられた手も振り払ってしまった。
ゆえに、焼失して行く。多量の出血で目減りしていた命が灼熱に焚べられる。
「いや、だぁ――いやだぁ……なんで、なんでぼく、がこんな惨めに……無意味に、死ななくちゃ、ならないんだ……ふざけ、るな」
命が焼失するその刹那、雑音は視線を一人の男に――黒衣を纏った銀髪の少年に向けた。
かつて、自分が倒した男。
彼を踏み台にすることによって、己の力を自覚しここまで至ったのだ。
ゆえに、自分は彼に恨まれて然るべきで――だからこそ、この死に意味が生まれる。
恩敵が自分の眼の前で殺されることに喜ぶのか、悔しがるのか、どちらでも構わない。何か強い感情があれば、それで良い。
……だというのに、その少年が――カルナが見るのは無二のみ。
怒りも憎しみも向けられることはなかった。
そんなことよりも、無二を優先すべきであると。
もはや雑音語り如きに意識を裂く理由も価値もないと。
そんな、無価値な、傍の石を、扱う、よう、に。
「憎め、よぉ、死んで良かったって、嗤えよぉ――これじゅあ、ぼくは、本当に無意味じゃないか……」
名も知らない転移者に焼き殺されて死ぬなんて嫌だ。
なんの関連性もない奴に殺されて終わるなんて、嫌だ。
死にたくはない、死にたくはない、死にたくなんて無い。けれど、死んでしまうというのなら、せめて意味のある死を迎えたいと思うのに――それすら、手元に残らない。
なんだこれは、こんな、こんな風に誰にも注目されずに死ぬなんて――ただの凡夫ではないか。
何の価値も無い――今まで自分が嘲笑ってきた塵屑のようではないか。
「理不尽だ、ぼくは間違っ、てないのに、どうして、こん……な……こんなの、いや、だ、いやだ、い……だ、ぁ――……」
――そうして、耳障りな雑音は途絶えた。
最期まで自分の咎を認めず、自分以外の何かを呪いながら、灼熱の中に消え去ったのだ。
多くの者の心に傷を残した転移者は、しかし彼自身何も得ること無く、ただただ無為に命を散らしたのであった。




