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222/雑音の潰走/1


 雑音語り(ノイズ・メイカー)は必死にレゾン・デイトルの大通りを駆けていた。

 左腕は切り落とされ、右腕も既に使い物にならない。

 胸部には心臓にまで達する刀傷があり、無理矢理に突っ込んだ瓦礫がなければ体内の血も内蔵が全てこぼれ落ちてしまいそうだ。規格外チートの身体能力でなければ、転移者の頑強さが無ければ、とっくの昔に死んでいる。

 無論、転移者といえど心臓が失われた以上は遠からず死ぬ。

 だがそれは決して今、この瞬間ではない。

 屋敷まで逃げれば、本拠地に行けば神官が居る。そこまで逃げれば、この痛みから逃れることが出来るのだ。


「にげ、逃げないと……いや、違う、転進……そう、そうだ、ぼくは、ぼくはまだ負けてない、負けてなぃい……!」


 痛い、痛い、痛い、どうして自分がこんな目に遭っているんだ。おかしいじゃないか、非合理的だ、間違っている。

 こんなに血が出ている、刃物で斬られて、炎で炙られた、痛い痛い痛い、酷い酷い酷い、どうしてこんなことをするんだ。

 自分は楽に、愉しく生きたかっただけではないか。誰だって似たようなことを考えるはずだ。自分だけは上手くやって大成功だとか、自分だけの特別な力を得て大成功だとか。

 愚か者どもはそれを人情だとか常識だとかいう言葉で誤魔化して実行しないけれど、自分は違う。最短距離を突っ切って成功して来た。自分は、勝者なのだ。勝者であるはずなのだ。

 

 ――だというのに、この様はなんだ?


 まるで、惨めな敗北者ではないか。

 ズタボロにされて死にかけてる、無価値な負け犬ではないか。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 ただ、今は痛くて痛くて痛くて、腕が、体が、ざっくりと切り裂かれているから。

 酷いではないか。なんでこんなことするんだ。刃物で斬りつけたら人は死ぬんだぞ、あの罪深い人殺しどもめ。正義ぶった殺人鬼どもめ! 頭のおかしい屑どもめ!

 耐え難い痛みに苛まれつつも、雑音ノイズは自分を傷つけた相手を脳内で罵り続ける。


「ひっ――ぐ、ぅぅう……! 痛い、痛い、痛いよぉ……あんな塵どもが、ぼくを、ぼくを、ぼくを……許すものか、許してなるものか、絶対に破滅させてやる」


 そうだ、許せない。なんで自分がこんなにも痛めつけられなくてはいけないのか。


 ――だって、自分はこんな風に痛めつけられる程に悪いことなどしていないじゃないか、と。


 自分よりも誰かを殺した転移者や、建造物を破壊した転移者、強盗などを行った転移者は数多くいる。先にその連中から罰すればいいだろう、そうするのが筋だろう、と心の中で叫ぶ。

 こんなの無茶苦茶だ、道理が通らないだろうあの屑どもめ、どれだけ頭が悪いんだ。

 あんな連中を許すワケにはいかない。

 そうとも、復讐だ。復讐しなくてはならない!

 治癒が終わればとっとと身を隠そう。そしてレゾン・デイトル攻略後に良い気になっているであろう連中の食事に毒でも混ぜたり、背後から殴り殺したりするのだ。奴らを倒す手段などいくらでもある。

 そもそも、真っ当に戦う理由など皆無ではないか。自分を剣で切り裂いて、炎で焼いた極悪非道の屑どもと、なぜ自分が同じ土俵で戦わねばならない。

 闇夜に紛れて、一人一人殺してやる。これは復讐だ、傷つけられたがゆえの、貶められたがゆえの、正当なる報復である。

 そうだ、生きていればあいつらなんていくらでも対処出来る、自分の勝利は揺るがない――――



「――よう、雑音語り(ノイズ・メイカー)



 ――――大通りの真ん中に、巨漢が立っていた。

 騎士よりも装飾の少ない兵士用の甲冑を身に纏った大男だ。

 なぜだか見覚えのある男であった。兵士など騎士の劣化版で、大して重要視していないはずなのに――何度か近くで顔を見たのだろうか。

 その背後に人影が二つ。

 火縄銃に短剣を溶接したような程度の低い銃剣を持った細身の男と、修道服の上から鎖帷子を見に付けた大女だ居た。

 

(な――なんで、こっちから連合軍の現地人が……!?)

 

 おかしい、意味がわからない、味方陣地に敵が突然出現するなんてバグでもあったのかと思う程だ。

 だが問題ない、致命的ではない。

 だって――眼の前にいるのは兵士と冒険者、そして従軍神官のみ。転移者でもなければ、騎士でもない。現地人の雑魚どもではないか。

 ゆえに、ドヤ顔で待ち構えていようとなんの意味もない。このくらい、余裕で突破出来るだろう。

 余裕だ、問題ない。だが、そんな簡単な事実にも気づいていないのか、巨漢の兵士は真顔で雑音ノイズを見つめ続けている。


「随分と痛めつけられたようだな。だが、まだ逃げられるって思っている顔だ。表情に余裕がありやがる」

「は――はは、雑魚が、どれだけ頑張っても転移者に劣る劣等種族に、ぼくが負けるはずがないだろう……? 一部の例外を除けば、現地人なんてぼくの踏み台に過ぎないんだからさぁ――!」


 学ランの下に仕込んだ強化鎧に創造神の力を流し、地面を蹴り飛ばした。

 転移者の身体能力を更に増幅させた脚の力によって、雑音ノイズの速度は瞬時に最高速に至る。

 その速度は雑音ノイズに剣を突き立てたニールの疾走よりも速い。当然だ、転移者のスペックを更に底上げしている以上、現地人如きが最高速度で勝利出来るはずもない。

 

(そうだ、この程度、ダメージ食らっていても余裕だ!)


 脳内麻薬が多量に分泌され、痛みは薄れ多幸感が満ちていく。

 そうだ、先程の惨状は例外だ。たまたま起こってしまったミスだ。

 そして、例外やミスといったモノは、そう何度も起こらない!

 そう確信して加速し男の横をすり抜ける――


「――見え見えだ糞野郎」

「あ、ぐぅ――!?」


 ――その瞬間に首根っこを引っ掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた。

 ごぼっ、と口と傷口から血液が噴き出す。

 意味が分からなかった。

 だって、眼前の男の動きはゲームのパワーキャラのように鈍重だった。雑音ノイズと比べ、遥かに鈍いのだ。

 だというのに、簡単に拘束された。確かに現在の雑音ノイズは致命傷に等しいダメージを負っているが――それでも、こんな筋肉だけの現地人などに劣るはずがないのだ。

 ない、はずなのに――この現実は一体なんなのか。


「……どれだけ疾かろうが、『転移者はそういうモンだ』って慣れちまえば、ただの素人と大差ねえな」


 巨漢の兵士は雑音ノイズを見下ろしながら淡々とした声音で言った。

 転移者の身体能力は驚異だが、慣れてしまえば見切ることは容易いのだと。

 

(ば――馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!)


 確かにその理屈は他の無能転移者であれば有効だろう。

 だが、自分は転移者の身体能力を有効活用するため、ある程度体の動かし方を学んだ。一部の戦闘に特化した連中には劣るものの、それでも現地人如きが見切れる速度ではない。

 事実、巨漢の男の動きは鈍かった。

 雑音ノイズどころか無能転移者どもと比べてもなお鈍足であり、そのような劣等が自分の動きを捕捉出来るはずがないのだ。


「……これはオレは必要なかったか?」


 兵士の後方で鉄砲モドキを構えていた冒険者が呟くと、巨漢の兵士は「いいや」と首を左右に振った。


「ちゃんとサポートしてくれるって分かってるから安心して投げ飛ばせた、助かったぜ。……悪いな、さっさと合流しなくちゃならねえのに」

「問題ないよ。どのみち、こいつを放置するワケにもいかないだろう?」 


 修道服の上に鎖帷子を羽織った大女が、メイスを担ぎながらゆっくりと歩み寄ってくる。

 ひっ、と引きつった悲鳴が口元から漏れた。

 

(まさか――まさか、あれでぶん殴るつもりじゃないだろうな……!?)


 なんだそれは、ふざけるな狂っているのかこの畜生どもめ。

 あんなモノで殴られたら人は死ぬに決まってるじゃないか。だっていうのに正義面してあんなモノを振るうなんて頭がおかしいにも程が有る。

 しかし、大男は手助けしようとしている大女に対して感謝するでもなく、困ったように顔を歪める。


「マリアン――こいつは」

「ああ、分かってる。あたしは手を出さないよ」


 その言葉に心底ホッとする。

 良かった、良かった、要するに――この男は正義厨のような存在なワケだろう、と雑音ノイズは心の中で笑みを浮かべた。

 敵対した相手でも殺さず拘束して、あるいは見逃してしまう無能。後々見逃した奴が反撃してきて酷い目に遭うまでがセットの茶番劇。

 その手の登場人物は嫌いであったが、しかし自分が見逃される側になるのなら話は別だ。

 ゆえに、雑音ノイズは歓喜する。ああ、ありがとう無能な大男! ぼくに反撃のチャンスをくれて、と。

 

「サクッとトドメ刺しちまいな。そいつが逃げるようなら適当にぶん殴って止めるからさ」

「……悪いな」

 

 ――だが、その歓喜は数秒で絶望に転じた。

 

(……なんだ、それ。もしかして、誰がぼくを殺すのかを考えていただけで、ぼくを殺すのは、既定路線……?)


 自分を見下ろす大男が剣を構えている、

 そこから僅かに離れて、大女がメイスを振り上げた状態で佇んでいる、

 冒険者風の細身の男は銃剣らしきモノで雑音ノイズを常に狙いつけている、


 一つ一つなら対処出来たかもしれない。


 あるいは相手が二人であったのなら、転移者の身体能力で突破出来る可能性もあった。

 だが、地面に倒れ伏した状態で、こちらを殺そうとしている者が三人。

 どうあっても突破できない。一つ、二つを無効化したとしても、背後から残ったもう一人が雑音ノイズにトドメを刺すだろう。

 

 ――つまり、どうあっても雑音語り(ノイズ・メイカー)は死ぬ。


 その結論に至った瞬間、胸の底からある感情が溢れ出して来た。

 転移者になり、規格外チートを与えられ、全能感に酔った結果今までほとんど感じていなかったそれの名は――恐怖。


「い――いやだ、嫌だぁああ――! 死にたくない、死にたくない、こっちに来るな、この人殺しどもがぁ――!」


 ごぽり、ごぽり、と吹き出す粘液めいた恐怖に雑音ノイズは感情のままに泣き叫んだ。

 相手を馬鹿にする余裕なんて欠片もない。

 だって、このままでは死ぬ、死んでしまう。

 こんな道半ばで、なんの意味もなく、屍を晒すことになる。

 その事実が、怖くて怖くて仕方がなかった。


「誰か、誰かぁ! 殺される、殺されるんだよぉ! 助け、助けてぇ――!」 

「――黙れよ」


 泣き叫ぶ雑音ノイズに同情することなく、いいや、それどころか額に青筋を浮かべ大男は剣を振り下ろした。

 ひいっ、と悲鳴を上げながら転がる。

 だが、その程度の動きで回避し切れるはずもない。刀身は雑音ノイズの右肩に食い込み、既に機能を失っていた右腕を切断する。

 泣き声混じりの悲鳴が上がった。


「あ、が――ぁああああああ!? なんでぼくがこんな目に遭わなくちゃならないんだよぉ!? 痛い、痛いよ、痛いぃいいい! 血が、血が出てる……こんなに、ああ、こんなにぃ……! 死んじゃう、死んじゃうよぉ!」

「馬鹿が。転移者がその程度で死ぬはずねえだろ、だからオレらは苦労したんじゃねえか」


 巨漢の兵士が発する声は、ただただ冷たい。

 なぜだ、なぜだ、なぜだ、これだけ痛いって、死にたくないって叫んでいるのに、なんで手を止めてくれないのか。

 頭が悪いのか、耳が不自由なのか、どちらにしろまともな人間ではない。命乞いをする人間を淡々と殺しにかかるなんて、常識に考えておかしいではないか!

 

(そうだ、おかしい、おかしい、おかしい! ぼくの思い通りにならない現地人(NPC)も! そんな連中に良いようにされる程度の力しか渡さなかった創造神の愚図も! なんでぼくの周りにはこんな無能しかいないんだ!)


 この世界で自由に生きろなどと言った以上、他の連中など鎧袖一触で処理出来るチートを与えて然るべきだろうに。

 現地人もそうだ。なぜ自分を気持ちよくさせてくれないのか。白痴の土人なら土人らしく、弁えて転移者を讃えるべきだろう。

 だから、雑音ノイズは叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。

 こんなのおかしいと、この程度で何がチートなのかと!

 

「神! 見てるんだろぉ!? なら、よこせ、よこせ、よこせええええええ! ぼくはまだ自由に生きてない、こんな弱い力じゃ自由に生きられるはずないだろうが、白痴じゃないのか無能の愚図め! 神ならとっとと力を恵めぇ! 不具合で弱い力を渡しましたって土下座でもしてぼくを強化するのが筋だろうが――!」


 そうだ、そもそも現地人如きに殺される程度の力で規格外チートなどと言うのは間違っている。

 規格外チートと言うからには相手を視認しただけで殺せる力、そしてどのような攻撃も防ぐ防御があるべきだ。こんな塵屑能力ではない、もっともっと強い能力でなければ自由に生きられるはずもないだろう。 

 ゆえに、これは正当なる要求だ。不良品を掴まされた消費者が有する権利だろう。

 だというのに、雑音ノイズの叫びは虚しく響き渡るのみ。

 天から光が降り注ぐこともなければ、内側から力が湧き上がったりもしない。ボロボロの体が癒えることさえなかった。

 

「糞、糞、糞糞糞糞! なんでどいつもこいつも無能な役立たずなんだ!? まともな人間はぼくだけかよ、このどうしようもない白痴どもがぁ――!」


 異世界に転移、転生して無知な土人どもに啓蒙してやろうと思ったことは何度もあった。

 だが、ここまで役立たずばかりだとは思わなかったのだ。どうして皆、自分の役に立つどころか足を引っ張り続けるのか。

 口から罵りと共に血液を吐き出し続けるが、しかし見下ろす巨漢の兵士は雑音ノイズの言葉に感銘を受けるどころか苛立たしげに睨みつけてくるのみ。


「この期に及んで見苦しいんだよ――そろそろ死んどけ、下衆野郎」


 剣が振り下ろされた。

 刃が雑音ノイズへと迫る。

 狙いは首だ。一撃で斬首してやろうという決意と殺意を纏った刀身は、一切ブレることなく宙を疾駆する。


(い、嫌だ――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!)


 なぜ自分が死なねばならないのか。

 自分は殺されるほどの悪事などしていない。実行したのは雑音ノイズの足を引っ張り続けた無能転移者や幹部ではないか。

 だというのに、なぜこんな風にボロボロにされて、このように殺されなければならない。こんなの理不尽ではないか。

 

 ――そんな雑音ノイズの言葉が天に届いたのか、それとも転移者の肺活量で叫び続けたためだろうか。


 雑音ノイズが見上げる建造物がひび割れ、崩落した。

 瓦礫が降り注ぐ。雑音ノイズに、そして雑音ノイズを囲む現地人たちに。


「なっ……!?」

 

 巨漢の兵士が、ひょろりとした冒険者が、神官の大女が雑音ノイズに遅れてそれに気づく。

 彼らの行動は迅速だった。頭を庇いながら瓦礫の雨から脱するべく倒壊する建造物から郷里を取る。


(――ははっ)


 ――好機!

 にまり、と雑音ノイズは笑みを浮かべて瓦礫の雨の中を駆け抜けた。

 当然の如く全身を瓦礫が殴打するが――転移者ならこの程度耐えられる。


「しまっ……野郎!」


 痛恨だ、と言うように叫ぶ巨漢の兵士の叫びを聞きながら走る、走る、走る。

 先程は運悪く捕まってしまったが、距離さえ離せば奴らは転移者の速度に追いつけない。あのような不運は、もう起こらない!


「ちっ、止まりやがれ!」


 どんっ、と火薬が弾けるような音が鳴り響いた。

 次いで、背中を貫く衝撃と痛み。何か金属の塊が突き刺さった、そんな感触だ。


「あがっ――ぐ、ふふ、ふは、はははは!」


 痛い、痛い、痛い――痛いけれど、それだけだ。

 戦場でドワーフやカルナという魔法使いが使っていたのを見ていたから知っている。あの銃モドキは転移者を一撃で殺めるような威力はないのだ。

 ゆえに、現状あの銃モドキは障害に成り得ない。何十発も喰らえばさすがに危ういが、そうなる前に逃げ切ればいい!


「ははは、逃げられる、逃げられる……! 糞どもが、雑魚どもが、薄汚い凡夫どもがぼくの邪魔ばっかりしやがってぇええ……!」


 やはり自分はこのような場所で死ぬべき人間ではなかったのだ。

 天が味方している。雑音ノイズにはまだやるべきことがあると、あんな無能な屑どもに殺されていいはずがないと!

 これで雑音語り(ノイズ・メイカー)の勝利は確定する。

 このまま屋敷まで一直線に向かい、治癒して貰えば、いくらでもやりようが――


「詰めが甘いな、ブライアン――」


 ――大通りの真ん中に、一人の男が佇んでいた。

 金髪碧眼の現地人だ。白銀の鎧を身に纏い、左手で剣を握っている。 

 雑音ノイズはその男のことを知っていた。

 当然だ。いかに現地人が劣等種族といえど、その頂点に立つ者は脅威になるかもしれない。だからこそ、最低限は調べていたのだ。


「――そのような有様では来年もまた騎士にはなれないぞ」


 アルストロメリア騎士団の副長、アレックス・イキシア。

 現地人最高峰の戦士が、己の行く手を阻んでいた。

 彼は整った顔立ちに冷たい殺意を浮かべ、雑音ノイズを睨みつけている。


「生憎、今は片腕だ。全力など出せるはずもない」


 だらん、と右腕を力なく下げながらも、残った左腕で力強く剣を構える。

 

「だが、片腕でも貴様を抑え込むことくらいは造作もない――ここが終着だ、雑音語り(ノイズ・メイカー)


 嘘だろう、やめてくれよ、どうなっているんだ――雑音ノイズは困惑と怒りと嘆きでかき乱されていた。

 あちらが片腕だから勝機があるなんて思えない。そもそもこちらは両腕を欠損している。まともに勝負など出来るはずがない。

 ゆえに、今は逃げるしか無い、後ろに下がるしかない。そう考えて一歩下がって、すぐに背後から迫る三人分の足音が聞こえてきた。

 ひっ、という引きつった悲鳴を上げながら周囲を見渡す。どこか、どこか、どこかに逃げ道はないのか、と。

 だが、そのようなモノはどこにもなく、また先程のように建物が崩れる予兆もない。

 逃げ道など、逃げる隙だと、欠片もなかった。


「う、うそだ、なんでそんな何度も後ろから敵が来るんだよ」


 意味がない、と理解しながらも泣き言を漏らす。

 だってそうだろう? なぜ、安全なはずの味方陣地からこんなに敵が出てくるのか。


「外壁で囲んであるし、海だって――……う、み……?」


 そうだ、レゾン・デイトルは――この町は海と隣接していた。

 だが、雑音ノイズはさして警戒していなかった。海から攻め込むには船が必要だが、大勢が乗れるような船はナルシスを占領した時点で自分たちが所有していたし、東の港町からこちらまで来るには時間がかかり過ぎるし、何より目立つ。

 ゆえに、問題ない。海は大して警戒する必要もないだろう、と思っていた。

 だが、もしも。

 もしも、少人数であれば。

 大きい船の販売情報は探っていたが、寂れた漁村などで小さな船を買っていたとしたら――!?


「……なるほど、策士気取りとは良く言ったものだ。結局この男は、自分にとって都合の良い未来図しか描いていない――己の勝利条件にしか目が行っていないのだな。思惑から一歩外れた瞬間、この様か」


 呆れた、と言うようにアレックスは息を吐く。

 それは雑音ノイズに対してのモノであり、しかしアレックス自身にも向けられていた。


「こんな男を、私は――私たちは脅威に思っていたのか。この程度の男に、私たちは振り回されていたのか」


 違う、違う、違う。

 心の中でそう叫び続けるが、言葉にはならない。

 だが、違う、違うのだ。自分は、決して、決してそのような間抜けではない。雑音語り(ノイズ・メイカー)は、こんな連中に劣っていたワケではない!


 なぜなら――なぜなら、負けることを前提に動いていたから。


 そう、連合軍に攻められ、転移者たちが大勢死に、その結果王が無二の規格外(ユニーク・チート)の秘密を喋るために。そのために、レゾン・デイトルが敗北するように動いていた。

 本気で撃退するつもりなら、小舟で乗り付けることくらい簡単に考えついていたはずだ。

 連合軍など、現地人の劣等共など、全て殺し尽くせていたはず。

 本気ではなかったからミスをしただけだ。


 だから――自分が劣っていたワケではない。


 この弱者どもが舐めプの隙を突いて、たった一回の勝利でイキっているだけなのだ。ビギナーズラックを自分の実力のように勘違いしている連中が白痴なだけなのだ。自分は悪くない、自分は決して悪くない!

 もう一度やり直せば完封してみせよう。連合軍などという現地人の寄せ集め集団など、無傷で殺し尽くしてみせる。

 本気になれば――こんな連中に負けるはずがない。


「そ、そうだ――お前らなんかに、劣った連中如きに、ぼっ、ぼくが、負けるはずがない……」

「……滑稽を通り越して憐れだな」


 静かに間合いを詰めながら、アレックスは呟く。


「貴様は全能感を拗らせただけの子供だ。それ以上でもなければ、それ以下でもない」

「な――にを、ぼくは、昔から才能があって……こ、この世界では、規格外チートだって……」

「笑わせるな。力も、才能も、全て個人を形作る一要素に過ぎん」


 力も才能も、それ単品では善も悪もない。

 それを扱う者の行動によって、その者が何を成したかによって、力の価値が決まるのだ。

 ゆえに、雑音語り(ノイズ・メイカー)が有していた才能も、与えられた規格外チートも、なんの価値もない。

 前に進む努力もせず、実力相応の現状に満足することも出来ず、ただただ他者を嗤い傷つけるだけの耳障りな雑音でしかない。他者が存在しなければ何も出来ず、けれど他者を傷つけることしかしないそれに、一体どのような価値があるというのか。

 アレックスは静かに呟きながら、ゆっくりと、けれど絶対に逃さぬよう立ち位置を調整しながら歩み寄ってくる。


 無理だ、と雑音ノイズは確信した。


 どうやってもこの男を突破して屋敷に逃げ込む手段が思い浮かばない。

 だが、後ろに下がってもさっきの三人に袋叩きにされるだけだ。

 どちらに逃げようと絶望的だ。しかし、こうやって悩んでいても背後の三人が合流して状況は悪化する。

 心臓が早鐘を打つ。

 呼吸が乱れ、視界がぐにゃりと歪む。

 考えても、考えても、考えても、状況は積みという他ない。ゲームだったらコントローラーを投げ飛ばしているところだ。

 

「――ぼ、ぼくなんかより殺してる転移者は山ほど居るだろぉ!? あっちから先に殺せよ、なんでぼくなんだよ、理不尽じゃあないか!」


 じり、じり、と後に下がりながら叫ぶ。

 そうだ、こういうのは順番にやった方がいい。そうに決まっている。

 悪いヤツから順に斬首していけばいいではないか、その方が平等だろう? と。

 だが、アレックスは何も言葉を返さない。無言で距離を詰めるだけだ。

 

「そ、それに、秩序云々言ってる奴が未成年殺して平気なのか!? 少年法を破って正義面するつもりなのかよお前たちはぁあああ!」

「少年法? なんだそれは、転移者の世界の法か?」


 訝しげに問うアレックスの言葉に、しめたっ、と雑音ノイズは瞳を輝かせる。

 目の前の男は騎士だ。力があるくせに秩序なんかを大事にしているマゾ野郎なのだ。

 ならば、そこを突けば助かるかもしれない――雑音ノイズは絶望で鈍る頭を必死に動かし、恐怖に震える口元を制御して言葉を垂れ流す。


「そ、そう、そうだよ、な、なんだよ、知らないのか。なんて無知で、愚かで、馬鹿で――」

「ああ、知らんし、興味もない。そもそも元の世界の、そしてこの世界の法の外側に自分から出ておいて、今更何を言っている」


 剣で斬り捨てるように、雑音ノイズの言葉は葬られた。

 それは、最期の悪あがきが失敗したということであり――もはや、死が逃れることなど出来ないということである。


「ふ、ふざっ、ふざけるな、なんでぼくが、ぼくが死ななくちゃならないんだ。お、お願いだ、お願いします、助けて、助けてください――そう、そうだ、そうだ! ぼくは王に命令されていただけで、今までやったことは全部奴の責任で、ぼくは何も悪くは――」

「――……もう、いい。囀るな下衆」


 これだけ懇願しているというのに、騎士の眼差しは冷たくなるばかり。

 なんでだ、どうして、こんなにも違うって言っているではないか。考える頭がないのかこの劣等は。

 そうだ、自分は悪くない。もしかしたら自分にも悪いところがあったのかもしれないが、こんな自分よりもずっとずっと悪い奴は沢山居る。順番で考えればその者たちが先に死ぬべきだろう。自分ではない。自分ではない。先に死ぬべき人間は絶対に自分ではないのだ。

 

「い、嫌だぁああああああ! 助けて、誰か助けてよぉ! 死にたくない、死にたくない、死にたくないぃいいいいい!」


 アレックスは、その言葉になんの反応も示さなかった。

 ただただ、無言で首筋目掛けて剣を振るうのみ。

 それを避ける術は雑音ノイズには無く、先程のような奇跡が起こる予兆もない。

 ゆえに、雑音ノイズが助かる可能性は万に一つも無い。



「悪いが、そうはさせないよ」


 ――ただ一つ。

 他者からの介入という例外を除けば。



 白銀に輝く剣が弾き飛ばされる。

 それを成したのは淡く薄紫に輝く一振りの刀。飛燕を撃ち落とすように鋭く、けれど軽やかな斬撃に対し、片腕のアレックスでは耐えることが出来なかったのだ。


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― 新着の感想 ―
雑音、しぶといというか運が良いというか……というか今までも幸運に恵まれて策士をやれてたし、無二を勧誘できてるから相当に幸運なのか……才能があって運が良くて、それでこの程度ってのもあれだけど
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