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221/無二の剣王/2-1


 ――――騎士たちは、なぜ槍などの長柄の武器を選択しないのか?


 間合いが広く、振り回せば遠心力で強力な打撃武器にもなり、平均的な技量を得る難度もさして高くない。基本的に剣よりもずっと優秀な武器なのだ。

 実際、武装帝国アキレギア時代において兵士の主武装は槍だったという。合戦でそれを振り回しながら、人間などよりも遥かに身体能力が高く、また鋭い爪牙を持つ獣人を打倒したのだという。


 だが、今の時代に合戦と呼べる大規模な戦いは皆無。


 アルストロメリアの騎士たちも多対多の戦いの経験は少なく、街中での治安維持、犯罪者の拘束、冒険者の手に負えないモンスターの討伐、災害が起こった際の避難誘導が主な仕事である。

 戦いの場は平地での合戦ではなく、街中やモンスターの住処、あるいは犯罪者の根城という障害物の多い場所となった。そのため、柄の長い武器では邪魔になるのだ。


 だが、決して長柄の武器が弱くなったワケではない。


 使い所を誤らなければ、格上の剣士を屠ることも可能な武器なのだ。

 

「ええい、知ってはいたが化物だな貴様は……ッ!」


 だからこそ、クレイス・ナルシス・バーベナは驚嘆していた。

 剣の間合いから離れつつ、ハルバードで突き、払い、衣服に引っ掛けて転倒を狙う。

 ハルバードは選択肢の多い武器だ。ゆえに、習得難度は高いものの、自在に操れるようになれば相手を完封することも不可能ではない優秀な装備なのだ。

 事実、クレイスはその間合いの広さと豊富な選択肢を以て相手が嫌がる攻撃をし続け、実力を発揮させずに圧殺することに専念していた。

 

「なるほど、鋭く、疾く、そして上手い。それに加えて体力も中々あるじゃないか。先程の言葉は騎士たちを逃がすための建前かな」


 されど、どのフェイントも無二の剣王(オンリー・ワン)の体勢を崩すには至らず、どの攻撃も空を切るばかり。

 だが、弱音など吐いている暇など無い。クレイスは無二オンリーの動きを必死に追いながら、苛烈に攻め続ける。

 数多のフェイントを織り交ぜた刺突は本命のみを綺麗に受け流され、ならばと薙ぎ払えば跳躍で軽々と回避されてしまう。ハルバードを手元に引き寄せすぐさま空中に居る彼に刺突を放つが、太刀の腹で受け止められ、勢いを流されてしまう。

 

(勝てるとは思っていなかったが――しかし!)


 未だ無二オンリーには致命傷どころかかすり傷すら見受けられない。

 まるでこちらの思考を全て読み取られているかのような完璧な対応に、クレイスは苛立たしげに眉を寄せた。

 

 ――彼は何か特別な能力を有しているようには見えない。


 使っているのは自身の体と一振りの刀のみ。

 空を飛ぶワケでも、服の中に仕込んだ短剣が一瞬で手元に移動するワケでもない、歌で魔法を封じることもなければ、巨大な甲冑を身に纏っていることもないのだ。

 そんな彼の姿は、数多くの転移者を屋敷で見たクレイスの目からして『地味』という他ない。

 そう、地味なのだ。彼は淡々とこちらの攻撃を捌き、淡々とスキルを発声し斬りかかってくる。そこに大仰な何かは存在せず――だからこそ、突破口が見えない。

 なぜなら、彼の強さには仕掛けがないから。幹部たちのように、スキルの仕組みを利用した強さではないからだ。


 彼は――ただただ、純粋に巧い。


 それこそ、多くの転移者が言う『最強』の二文字が頭を過るほどに。


「ファスト・エッジ――」


 クレイスの攻撃を尽く回避し、受け流した無二オンリーは剣を振りかぶりながら力強く踏み込んだ。

 初動が読み難い、洗練された動きであった。スキルの発声が無ければそのまま斬り殺されていたかもしれない。

 だが、転移者のスキルは発声せねば発動せず――また、無二オンリーの動きは洗練こそされているが『遅い』のだ


(鈍重、というワケではない。一剣士と考えれば化物のように疾い)


 だが、他の転移者と比べれば剣を振るう力、地面を踏みしめる足の力などが弱いように見えるのだ。

 結果、最大速度という面において彼は一般的な転移者と比べて劣っているように思える。 

 ゆえに、彼が放つ『ファスト・エッジ』もギリギリのところで回避が――

 

「――風華」

 

 ――否、斬撃の軌道が変わった。

 地面と刃が水平になった瞬間、切り下ろされていた刀身が停止。風に撫でられる花のような軌道で、斬撃が刺突に変質する。

 細く薄い刀はクレイスのハルバードをすり抜けるように奔り、左胸へ――心臓へと疾走していく。


「――!」


 その刹那、白髪のエルフの剣士――ノエルは無二オンリーの背後から抉るような刺突を放った。

 声も無く、音も無く、気配も無く、けれど刃に必殺の意思だけを込めたそれは幽霊めいた存在感で無二オンリーへと迫り――


「おっと、それは困る」


 ――切っ先が彼の背中を抉るよりも僅かに早く、無二オンリーは腰の鞘を掴み、背後へと振り抜いた。

 瞬間、木剣と木剣が衝突したような乾いた音と共にノエルの霊樹の剣は跳ね上げられる。柄から手を離す真似こそしなかったものの、刺突の軌道は大きくズレて空を貫いてしまう。


 奇襲は失敗した――だが、おかげで僅かに刺突の勢いが落ちた。


 クレイスはハルバードを手元に引き寄せつつ迫る刀を弾き飛ばす。刃は左肩を掠めて背後へと流れていく。

 その瞬間、クレイスとノエルは攻勢に転じた。ノエルは剣を弾かれた勢いに逆らわず、むしろそれを利用して体を回転させながら斬りかかり、クレイスは無二オンリーの動きを阻害すべく刺突を繰り返し退路を封殺していく。

 

「ロータス・ロンド」


 だが、聞きなれぬスキル名の発声と共に、二人の武器はたやすく弾かれてしまう。

 舞踏のようなステップと共に斬撃を放つその姿――恐らく、あれは『バーニング・ロータス』の亜種だ。本来、炎の斬撃を飛ばし、それを重ねて檻と成す対多数用の技だが――魔法スキルが喪失しているらしい彼の使うそれは、自身に近づくモノ尽くを傷つける剣呑な花だ。

 

「ならば! 創造神ディミルゴに請い願う――」

 

 クレイスが祈りの声を聞き、ノエルが地を蹴り駆け出した。

 優秀な戦士だ、と内心で感嘆する。打ち合わせをしたワケでもないというのに、こちらがどうしたいのかを察して的確なサポートを行ってくれる。

 それは、エルフという長寿の種族が密度の濃い戦闘経験を積んだからだ。味方の些細な機微を察して連携し、敵の僅かな動きを見逃さず罠を見破りカウンターを行っていく。

 

「――獣の爪牙から命を守る盾を、防壁の奇跡を!」


 半透明の光壁を生み出す。

 自身の目の前ではない、無二オンリーの頭上にだ。支えが何一つ存在しない空中に生みだされた防壁は、重力に従って勢い良く落下し始める。

 

(そして――無二オンリーはスキルを発動したばかり。発動硬直で対処が遅れる)


 これで叩き潰せるなどとは思っていない。この程度、あの男に対して不意打ちにすらならないだろう。

 だが、回避するにしろ斬り払うにしろ――動きは、止まる。


「――なるほどね」


 無二オンリーが選択したのは後者。

 迫る防壁に対し、彼は刀の切っ先を勢い良く叩きつけ――


「リディアの剣――石華しゃくか


 ――破砕。砕け散った防壁は、光の粒子と化して消滅していく。

 その光を浴びながら、ノエルは無二オンリーの間合いに踏み込んだ。

 解き放つは鮮烈な刺突だ。無二オンリーは防壁を砕き終えたものの、剣を天に掲げるような状態のまま。防ぐことは不可能――そう思った瞬間、無二オンリーは高速で両手を引き戻し柄頭でノエルの剣を殴り飛ばした。

 ぶれる切っ先。だが、ノエルはその打撃の勢いに逆らわず、体を高速で回転させながら斬撃を放った。

 されど鳴り響くのは金属音。容易く斬撃を受け止めた無二オンリーは、鍔迫り合いの状態のまま押し潰さんと剣に力を込める。ノエルの剣が抑え込まれていく。

 瞬間、ノエルは左手を柄から離し、弓のように体を反らせた。無二オンリーの刀がノエルの霊樹の剣の刀身を滑り落ちて行く。


「――これで!」


 瞬間、ノエルは左手を抜手のように構え、無二オンリーの顔面向かって突き出した。

 狙うは眼球。転移者の防御を素手で貫通するのは難しいが、そこであれば潰せずとも最低限ダメージは通るはずだ。

 

「ははっ――」


 だが、無二オンリーは受け流された剣の勢いのまま前方へと転がってそれを回避する。


「そこだ――!」


 その瞬間、隙を伺っていたクレイスがハルバードを地面を這うような軌道で薙ぎ払った。

 屈んだ状態の無二オンリーがこれを回避するには跳躍する他無いが、そうなれば地に足が付かない状態になり回避が難しくなる。その瞬間をあのエルフの戦士は見逃さないと確信した。

 ゆえに、これで積み。

 いいや、なんらかの形で対処されたとしても、ダメージは通る。

 

「……第三秘剣――」


 その瞬間、無二オンリーは立ち上がらぬまま己の体を雑巾のように捻った。

 ぎちぎちと肉と骨が音を慣らす程に強引に捻じ曲げた体で、右手の刀の刀身を、左手の鞘を、地面と水平に構える。

 

 ――ぞくり、と。


 その異形な構えを見て、クレイスは耐え難い寒気を感じた。

 追い詰めている。確かに自分たちは追い詰めている――だというのに、むしろこちらが首に切っ先を突きつけられているような――そんな恐怖。

 今すぐ退避すべきだ、と本能が訴える。


(――何を迷う!)


 だが、その本能をクレイスは理性を以てねじ伏せた。

 確かに無二の剣王(オンリー・ワン)は強敵だ。どれだけ追い詰めても安堵できないのは当然だろう。

 ゆえに、これは自分の弱音だ。強敵を前に萎縮しているだけなのだ。

 そう確信し、クレイスはハルバードに力を込める。あの強敵を叩き潰すべく、全力で、全霊で薙ぎ払う。

 

「おおおっ!」


 力を込め、振るう。ハルバードはしなりながら無二オンリーへとひた走る。

 行ける――そう確信し無二オンリーに視線を向けると、ほんの一瞬だけ視線が交わった。

 

(――笑っている?)


 無駄なことを、とこちらを嘲笑する笑みではない。

 下等な現地人め、とこちらを侮蔑する笑みでもない。


 ただただ――その笑みにあるのは喜色。


 楽しい楽しい楽しい、ああ、この一瞬こそ我が宝だ――そんな心の底から今を楽しんだ者の笑みであった。

 だからこそ、押さえ込んでいた寒気は更に冷たさを増してクレイスの胸に舞い戻って来る。

 それは恐怖劇の中で演奏される調子の外れた明るい音楽のよう。場にそぐわないそれは酷く異質で、胸の恐怖を煽ってくる。


(まやかしだ!)

 

 鈍りそうになる己の腕を叱咤し、ハルバードに全霊を込める。

 どれだけ恐怖を感じようと、この一撃で屠れば何も問題はない――!


「――大嵐」


 瞬間、無二オンリーは刀と鞘に闘気を纏わせながら『回転』した。

 無理矢理捻った体が元に戻ろうとする力と共に、その場を高速で回る、回る、回る。

 その奇妙な動作がなんであるかを理解する前に、クレイスの武器が押し戻された。

 

「なっ……ぐ!?」


 刀で打ち払われたのではない、鞘で弾かれたワケでもない、不可視の何かでハルバードの槍先が押し戻されていく。

 そしてそれは、隙を伺っていたノエルも同様であった。剣を構えたまま、じり、じり、と後へ押し戻されていく。


(まさか、これは、剣圧――!?)


 押し戻される圧力に載って背後へ跳躍しながら、クレイスは驚愕に瞳を見開いた。

 理屈だけなら単純な話だ。高速で回転しながら剣から発する圧力を以て竜巻を形成している、ただそれだけ。

 実際、飛ぶ斬撃や間合いを取るために衝撃波を放つ流派は多い。単発の衝撃波であれば、チープな技と言ってもいいだろう。

 だが、彼はそれを長時間維持しながら周囲に解き放っている。

 そのようなことは不可能だ。あのような真似、体力も集中力も持ちはしない。あれを誰しもが出来るのならば、剣を遠距離武器として扱う流派が数多く台頭している。

 

「――凄いな、驚いた。まさかこんなタイミングで使うことになるなんて」


 二人を間合いの外へと弾き飛ばすと、無二オンリーは瞳を輝かせながら微笑んだ。


「正直に言うと、たかだか二人にここまで追い込まれるとは思っていなかったよ」


 それは高みからの賞賛であり、けれど同時に酷い侮辱でもあった。

 無二オンリーはノエルとクレイスに敗北する可能性をまるで考慮していないのだと言ったに等しい。

 だというのに怒りを抱けないのは――無二オンリーが心から賞賛しているのが伝わってくるからであり、隔絶した実力差を実感してしまったからだろう。

  

「――解せんな」


 その様子を見て、ノエルは静かに呟いた。


「貴様の剣に曇りが見えん。いいや、むしろ眩く見える。己の道を信じ貫く、求道者の輝きだ」


 ただただ高みを目指す、透き通った輝き。

 それが無二オンリーの剣なのだとノエルは言う。

 ゆえに、このような真似をしている理由が分からないのだと。

 アレックスたちが感じた彼の善性ゆえの疑問ではなく、研ぎ澄まされた技量からの疑問。私利私欲のために剣を振るう者の剣にしては、彼の斬撃は澄み過ぎている。

 なんの先入観もなく彼の姿を、振るう刃の軌跡を見れば、真っ直ぐな心根の剣士であると判断したに違いない。


「だからこそ思うのだ――なぜこのような場所に居る、とな」

「……ありがとう、光栄だ」


 ノエルの言葉に、無二オンリーはどこか後ろめたそうに俯いた。


「だけど、買いかぶりすぎだ。おれはただの悪鬼だよ。結局のところ、おれはやりたいことをやっているんだ。その結果、誰かが傷つくと理解しながらも」


 自嘲するように嗤う。

 その姿は、確かにレゾン・デイトルという国で王などをやっていることに対する罪悪感が見て取れた。

 見て取れた、のだが。

 その瞳だけは、場違いな程きらきらと輝いていた。子供が好きなオモチャで遊んでいる――そんな、輝きだ。


「だからこそ、止まる気はない。この国そのものがおれの目的であり、この世界(ココ)に居る意味なんだから」


 そこまで言って、彼は寂しそうに笑った。


「……さて、君たちとの戦いは心躍ったけれど、そろそろ終わらせようか」

「何か用事でもあるのか。もっとも、どのような目的であろうと素通りさせる気はないがね」

「いいや、押し通るとも――こんなおれでも、友を救いたいとは思っているのだから――ね!」


 静かに呟き――無二オンリーは雷光と化した。

 少なくともクレイスにはそうとしか見えぬ速度で、瞬時に間合いを詰めてくる。


「……ッ!」


 それを阻むようにハルバードを突き出せたのは、ほとんど勘だ。積み重ねた経験が、鍛錬が、考えるよりも先に体を動かした。

 無二オンリーは回避しない。避雷針に向かう雷のように、突き出された槍先に向かって疾走し、疾走し、疾走する。ハルバードを突き出すクレイスも、また同じように加速する。

 槍先と無二オンリーが接近し、接近し、接近していく。

 そして二つが交わるほんの数瞬前に、無二オンリーは跳んだ。交わらず通過していくハルバードを見下ろしながら、彼はそこに、とん、と着地する。


 瞬間、寒気が――首筋を凍えた殺意が撫でた。

 

 それが何であるのか理解するより先に、クレイスはハルバードを手放し、身を屈めながら一歩前に出た。

 瞬間、頭上を――先ほどまで首があった場所を刃が通過していく。遅れて、無二オンリーがハルバードを足場に間合いを詰めてきたのだと頭で理解した。

 だが、それで安堵など出来るはずもない。

 拳を握りしめ、距離を詰めた。ハルバードを拾っている暇などあるはずもない。ならば、拳の間合いで剣を封殺する。

 

「――ああ貴方の全力、貴方の死力、堪能させて貰ったよ」


 声が聞こえる。

 だが、意味を理解できない。

 思考は全て戦闘の処理に回されて、声を音としか認識できなかった。

 

「だけど、それも終わりだ」

 

 瞬間、ふわり、とクレイスは吹き飛んだ。

 くるくる、くるくる、世界が回る。

 その最中に、左手を剣のように尖らせ突き出した無二オンリーの姿と、クレイスの衣服を纏った頭部のない何者かの姿が見えた。

 無二オンリーが血に濡れた左手を払うと、頭部を失った何者かの体が――否、否、クレイスの体が倒れ込んだ。


(ああ――そうか)


 無二オンリーがこちらに視線を向けた。

 その顔は楽しげで――けれど、どこか寂しそうな笑みを浮かべていた。

 その表情にどのような意味が込められているのかは分からない。分からないが、一つだけ確かなことがあった。 


(理解はしていたが、やはり時間稼ぎしか出来んか――)

 

 刃が閃く。

 その輝きが、クレイス・ナルシス・バーベナが見た最期の光景であった。


     ◇


 閃光めいた抜手は、研ぎ澄まされた刃のようにクレイスの首を切り飛ばした。

 ノエルの視界の中で、頭部を失ったクレイスが白い法衣を紅く染めながら前のめりに倒れていく。

 それに憤りの感情を覚えるよりも早く、ノエルは無二オンリーへ向けて気配を殺しながら間合いを詰めた。


 強敵を倒した瞬間にこそ隙が生まれる。安堵し、気が抜けてしまう。


 無論、ほんの刹那で引き締められるモノだが――その刹那こそ、戦いの場においてこれ以上ない好機なのだ。

 クレイスの頭部が地面に叩きつけられる瞬間に力強く踏み込み、無二オンリーの背中へ刃を振るう。 


「悪いけれど、戦いの場で呆けるような真似はしないんだ」


 振り向き様の斬撃がノエルの剣を打ち払う。ちい、と舌打ちをしつつもその衝撃に逆らわず、左足を軸に回転し再び斬撃を放った。

 されど鳴り響く金属音。

 刀の柄でノエルの斬撃を受け止めながら、無二オンリーは寂しげな笑みを浮かべていた。

 それは祭りの終わりを前にした子供のように。ああ、あの楽しい時間はもう終わってしまったのか、と嘆きの表情を浮かべている。

 

(殺人鬼の類か、この男は)


 心の中で呟き、しかしすぐにその思考を否定する。


(実態はそれに近いのかもしれないが――どうしても、この男がそのような下衆には見えない)


 やっていること、それ自体は似たようなモノだろう。

 けれど、無二オンリーが剣を振るう度に伝わってくる技の冴えと真っ直ぐな瞳を見ると、どうしても人を殺して悦ぶ外道には思えないのだ。

 ただひたすらに最強の剣士を目指す愚直な求道者――そのような印象が頭から離れない。

 

「貴方ほどの剣士に対して、こんなことを言うのは失礼だと思う」


 ノエルの剣を押し返しながら、無二オンリーは心底申し訳なさそうな顔で言う。

 

「けれど、言わせて貰う――死力を尽くさない貴方など、全力を出す理由もない」

「戯言――を!」


 力比べではこちらが不利だ。無二オンリーの力に逆らわずバックステップで距離を取り、すぐさま攻勢に移る。

 踏み込み、刺突――だが華麗に受け流される。

 刺突の勢いのまま脇を抜け、背中に向けて剣を振るう――けれど左手の鞘で打ち払われてしまう。

 その勢いのまま左足を軸に回転し、首めがけ斬撃を放つ――だが、振り向き様の斬撃で叩き落される。

 その衝撃を受け流しながら、指と手首の動きで剣をステッキのように回転させ強引に刃を押し込まんとする――ほんの少しだけ驚いたように瞳を見開いたが、上体を逸らすことで回避されてしまう。


 ――額に汗を滲ませながら、ノエルは攻める、攻める、攻める。


 二対一の状況ですら圧倒されていたのだ。受けに回ればそのまま押し切られるのは明白であった。

 だからこそ、エルフの体の体力では悪手と言っても良い程に果敢に攻め続けるのだ。 

 だが、無二オンリーは焦るどころか、むしろ楽しくて仕方がないと言うように笑みを浮かべるばかり。

 

(……ッ、糞。勝利する光景が欠片も見えん)


 分厚い鉄の壁に向けて棒を振るっているような気分だった。

 どれだけ隙を探ろうと、見えるのは巨大な壁だけ。強引に押し切ろうにも、分厚すぎて突破することなど叶わない。

 

(……どうする? どうすれば生き残れる?)


 どうあってもこの男には勝てない。少なくとも、ノエル一人では勝機など万に一つもないだろう。

 ゆえに、選ぶべきは逃走だ。なんとかしてこの男から逃げ切り、味方と合流する。

 脳内で結論を下したノエルは、相手から離れるために牽制の一撃を――

 


「ああ――だから、今の貴方と戦うのは嫌だったんだ」


 

 ――放とうとしたその瞬間、ノエルの霊樹の剣が半ばから消滅した。

 いいや、違う。断ち切られたのだ。無二オンリーの刀で、音すら置き去りにする鮮烈な斬撃によって。

 

「……な、に」


 無二オンリーは先程まで浮かべていた楽しげな笑みは消し、汚泥のように淀んだ失望を表情に浮かべていた。

 ああ、やはりか、と。

 分かっていたが貴方もそうなのか、と。

 彼は大きな溜息を吐くと、雷光めいた速さで間合いを詰めてきた。

 だが、見きれない速度ではない。ノエルは半分ほどになった剣でそれを迎え撃――

 

「悪いけれど、つまらないことを長引かせる趣味はないんだ」


 ――無二オンリーの速度が更にもう一段階跳ね上がった。

 ノエルが剣を振るうよりも疾く懐に飛び込んだ無二オンリーは刀の柄頭で胸を殴打した。

 こぉん、という独特な響き。

 だが、その一撃は胸部を守る霊樹を砕く程ではない。怪訝に思ったノエルだが、しかし口から漏れたのは困惑の声ではなく苦悶の叫びであった。


「が――ぁ!?」


 霊樹の鎧の上から衝撃が体内へと伝播して行く。

 胸骨が砕け、内蔵を直接殴り飛ばされたような激痛と共に、ノエルは崩れ落ちながら口からおびただしい量の血液と吐瀉物を吐き出した。

  

「先程も言った通り、貴方は殺さないさ。神官のようだし、時間をかければ動けるようになるだろう?」

「な――ぜ」


 理解している、自分の完敗であると。

 仮に今の攻撃を凌げたとしても、次の、その次の攻撃を凌げる自信などあるはずもない。

 だというのに、なぜトドメを刺さないのか。

 そして何より――先ほどの攻撃を頭部に叩き込めば、ノエルの脳みそは揺さぶられ、かき回され、つい今吐き散らした吐瀉物のようにぐちゃぐちゃにされて死んでいただろう。


「だって、貴方はまだ全力じゃないだろう? 生き残るために余力を残して、後のことを考えて剣を振るっていただろう? 勝てないから勝負を途中で放棄しただろう? だから、駄目だ。貴方ほどの剣士をそんな状態で殺すなんて、『勿体無い』」

「――ぁ」


 パチリ、パチリ、と。

 ノエルは頭の中でパズルのピースが急速に組み上がっていくのを感じた。

 朧気な輪郭が見えてきて、ピースが残り少なくなり、急速に完成へと近づいている――そんな感覚。

 

(つまり、レゾン・デイトルとは、この男の目的とは――)


 それは酷く馬鹿馬鹿しい話だ。

 だが、剣士であれば、自分が一番強くなりたいと一度でも願った者であれば、その馬鹿馬鹿しい話を微かに共感出来ることだろう。

 だからこそ、理解する。


 ああ、彼の心根はきっと確かに真っ直ぐなのだろうと。

 ああ、真っ当な倫理観を備えているのだろうと。


 だが、どれだけ清らかな人間であったとしても、餓死寸前であればパンの一つや二つを盗む可能性があるように――備わった倫理観を無視して行動するように。

 彼は餓える衝動のまま、優しさも真っ当な倫理観も全て削り、欲望を満たすためにひた走っているのだ。

 

「それに――連合軍の人々を八割方斬り殺せば、貴方も後先考えず本気になってくれるだろう? おれがその時まで生きていたら、首を取りに来ると良い」

「待て――ま、て……!」


 童子が友人に「また遊ぼう」と告げるような笑みを向けた後、無二オンリーは背を向け歩き出した。

 止めねば、と思う。

 ここレゾン・デイトルで食い止めなければ、大勢が死ぬ。

 だが、骨が砕け内蔵が破れた体では、その背を追うことなど叶わない。


(失態だ――刺し違えてでも殺しておくべきだった)


 出来たかどうかは問題ではない。

 そう心に決めたのなら、不退転の決意を固めていれば、利き腕にダメージを与えることくらいは出来たかもしれなかった。

 耐え難い無力感と屈辱に顔を歪めながら、ノエルは静かに創造神に祈りを捧げ始める。

 まだ、後悔するには早い。過去を振り返るのは、戦いが終わってからで良い。

 今は少しでも早く体を癒やし、連合軍に合流しなくてはならないのだから。



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